イタチの真実を突きつけられ、サスケは身体の奥底から響いて来る声と戦っていた。
「駄目だ……」「認めるな……」「嘘に決まっている……」「イタチは悪だ!」
それは己自身を守ろうとする叫びだと気付いていた。
マダラの言った事を信じて、認めてしまえば……自分は……。
だが、首を横に振り続けることが無駄だと言うことにもまた、気づいてしまっていた。
その証拠に、今更ながらに思い出される「兄」の姿……。
あの日……一族が滅んだあの夜に、イタチは確かに涙をこぼしていた。その意味に、今まで気付けなかった。
イタチは「兄」だった。弟だけは殺せなかった、「兄」だった。
落胆はなかった。
まだ、後悔すら沸き上がらなかった。
ただ、渦巻く絶望への対処も見いだせず、サスケは宙を眺めて座っていた。
だから気付けなかった。
「サスケ」
マダラが再び現れたことも。
「ナナはまだ戻らないのか?」
ナナの姿が消えていることも。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部屋の真ん中に、丈の低い寝台があった。その脇の台に置かれたろうそくだけが、その部屋を照らしていた。
ナナはゆっくりと音も無く、寝台に歩み寄った。
その上に、イタチが寝かされていた。
「イタチ……」
ナナのかすれた呟きは、蝋燭の火を少しだけ揺らした。
イタチの前髪が落す影が、青白い顔の上で形を変える。
ナナは跪き、そっとイタチの頬に触れた。
「冷たい……」
もう涙はこみ上げない。
動かないイタチを見つめるナナの心もまた、動くことを止めてしまったかのようだった。
しばし、ナナはイタチを見つめ続けた。
蝋が痺れを切らしたように蜀台に落ちた。
同時にナナは大きく息を吐いた。そして、印を結んだ。
イタチを見下ろしたままの瞳が、瑠璃紺にイロを変える。
その変化に呼応して、灯火が明るく青白く光った。
風など無いのに、ナナとイタチの髪が揺れた。
「……イタチ……」
ナナはその名を呼んだ。
目の前に横たわる肉体ではなく、そこを離れてしまった彼の魂へ向けて……。
静かに吐いた息で、そこら中が冷えていく。
背にも冷たい闇を感じていた。
術者であるナナには、背に現れたものがわかっていた。
術が終わった時、その成果と引き換えに術者の魂を引きずり込まんとする“闇”が、其処で口を開けている……。
だが、ナナには何の躊躇いもなかった。失敗するつもりもなかった。もちろん恐れも無い。
自信があるというよりは、ただそうすることが
理性などとっくに失っていた。そんなものどうだってよかった。
ただ思うがままに……ナナは最初の
ヒュウ……と、耳の奥で高い音が鳴った。
これで合っているのかは知らない。習ったことなどあるはずもない術だった。
それでも、失敗するという予感は微塵もなかった。
このときばかりは己の身体を流れる和泉の血の濃さに感謝した。
ナナは二つ目の呪を唱え、腕を横に広げた。
見えない風が舞った。蝋燭の火が先ほどよりも激しく揺れる。イタチの髪もまたかすかに動いた。
「イタチ……」
傍に来ている……“彼の魂”が……。
それだけで、ナナは安堵した。
もうすぐ……もうすぐ叶う……。
身体の芯がだんだんと凍てつき、周りの空気に力を吸い取られていくような感覚が、術の順調な運びを示している。
「イタチ……」
願いを込めて、ナナは三つ目の呪を唱えた。
そして、彼の魂をその肉体に導くかのように、右手を彼の青い唇にかざした。
「もう一度……」
ただひとつだけ残った願いをささやいた。
「生きて……イタチ……」
その時、
「……痛っ……!?」
イタチの身体に伸ばした腕を何かが阻んだ。いや、抑え込んだ。いや……噛み付いた。
「はっ……放してっ……!!」
腕の痛みで、術へ注ぐ力が乱れた。
空気は歪み、ナナの動揺とともに青い灯が乱れる。
「放してホクトっ!!」
悲鳴のように叫んで、妨害するモノを払おうとした。
だが、腕にはしっかりと白い毛並みの三尾の狐が噛み付いている。
「ホクトっ!!!」
湧き上がる怒りのままに、ホクトの牙から腕を引き抜こうとした。
食いちぎられても良かった。青い焔が消える前に、この術を終えなければ……。
「お願いっ……放してっ……!!」
ホクトの瑠璃色の目は、まっすぐにナナを見上げていた。
怒りも、哀れみも、何も映らぬ瞳。
わかっている……。
自分の分身と思っていたその神狐が言わんとしていることは、痛いほどにわかっている。
だが、
「お願いだからっ……!!!」
醜く泣きわめいてでも、この術を達成させたかった。
「イタチっ……イタチをっ……!!」
何を犠牲にしても、何をぶち壊してでも、イタチをこの世に生き返らせたかった。
「もう……いちどっ……」
心を乱し、息を切らし、これ以上呪を唱えることさえ出来なくなっても、ナナは力いっぱいホクトの牙から逃れようとした。
「やめろ、ナナ……!」
腕を自ら引きちぎらんばかりに暴れるナナを、押さえ込んだのはマダラだった。
「ナナ、お前がその力で“世の理”を破ってどうする?!」
ホクトはようやく、ナナの腕から牙を放した。
そして、マダラすらも振りほどこうと取り乱すナナを、ただじっと見つめていた。
「お願いっ、放して!!」
「ナナ!!」
「まだっ……今ならまだ間に合うからっ……!!」
「ナナ、よせ!」
「イタチを、もう一回、イタチをっ……!!」
ナナは叫び続けた。
「イタチをっ、……もういちどっ……!!」
自分が何を言っているのか、わからぬまま……。
「イタチとっ……サスケをっ……!!」
だが、自ら発した『サスケ』の名に怯えた瞬間……、ついに青い焔は消えてしまった。
あっけなく、あたりまえのように。
「……っ……!」
その結末に、ナナは言葉にならない声で叫んだ。
そしてイタチに手を伸ばしたまま、思考も思念も放棄して……意識を失った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
灯りを失った部屋の中、マダラはしばらくの間、身じろぎせずにナナの身体を抱えていた。
イタチが眠る、すぐ側で。
サスケはそれをただ傍観していた。
最初から、ずっと……。
部屋の入り口に突っ立ったまま、一部始終を黙って見ていた。
兄の死体と、その前で泣きじゃくるナナ……。
それを抱きかかえるマダラと、横で見守る真っ白い三尾の狐。
怖気がするほど冷たい空気にうっすら混ざる血の香り。
歪に揺らぐ不自然な青い焔。
……何も、感じなかった。
ナナの悲鳴がサスケの胸を深く刺した。その感覚はあった。
だが、痛みは無かった。
言葉にならないナナの叫び。
それでも、想いは伝わって来てしまう……。
いつの間にか、白い狐は消えていた。
それにやっと気づいたとき、サスケはマダラがこちらを向く前に、静かにその場から立ち去った。