海を見渡す崖の上に、イタチの棺が埋葬された。
マダラの手によって。
サスケはそれすらもただ傍観していた。
今はもう、イタチの“何か”に関わることはできなかった。
息を吸うたびに、マダラの語った“イタチの真実”が身体に染み込んでいく。
それを止める術は無かった。
憎しみを思い起こしても、後悔さえ噛みしめてみても……、最期のイタチの笑顔が全てをかき消してしまう。
長い間抱えていたはずの憎しみ、怨み、望み……、あの夜のイタチの涙がそれらを偽りに塗り替えてしまう。
努力をするだけ無駄だった。どんなに憎んでも、“優しかった兄”を心の奥底から追い出せなかったのだから。
初めから、マダラの言葉を撥ね付けることなどできなかった。
ナナにはわかっていたのだ。
真実の中身は知らなくても、イタチの本質をわかっていた。
ずっとイタチを信じていた。妄信でなく、それこそが真実だった……。
だからイタチを護ろうとした。こちらに刃を向けて、イタチを護ろうとしたのだ。
あの時の目が眩むような醜い感情も、今はただ侘しいだけだ。
いっそ怒って欲しかった。憎んで欲しかった。罰して欲しかった。
ナナはあの瞬間に『これが本当に願っていたことなのか』と叫んで、胸を叩いた。『本当にこれで良かったのか』と責めて、泣いた。
そのまま……彼女の手が自分の全てを罰してくれれば良かった。
が、それを今の彼女に求めるのはあまりに身勝手で酷だった。
その望みの欠片があまりに浅ましく、もう二度とナナに触れることはできなかった。
ナナが己の命と引き換えに、イタチを生き返らせるという禁を犯そうとしても。それを止められて狂ったように泣き叫んでも。電池が切れたように意識を失っても。死人のような顔でただ虚ろに宙を見つめていても。もう……こんな自分には触れることはできない。
マダラが全て世話をした。そんなマダラの姿も、彼女の視界には入っていないようだったけれど。
だから今も、少し離れた所で真新しいイタチの墓をぼんやりと眺めている彼女に、触れることはできなかった。
側に寄り添うことも、言葉をかけることすらできなかった。
マダラが隠れ家に戻るよう促したが、彼女にとってそれも風と同じだった。
諦めてマダラはこちらに向かって来た。
「サスケ。お前の小隊を集めてある。戻るぞ」
サスケはうなずいた。
ここにいる意味はなかった。
黙ってマダラの後に続いた。
身体が重い。
イタチの“墓”と取り残されたナナに背を向けて、言い様のない冷たいものに覆われる。
「…………」
それが何なのか敢えて確かめようとして、そっと後ろを振り返った。
と……、ナナはゆっくり、まるでため息を付くように崩れ落ち、地に手を付いた。
そして、そのまま膝を抱えてうずくまった。
その姿はまるで、自分も一緒に地に溶けてしまいたがっているようだ……。
そう気づいた瞬間、矢が刺さったように胸が鋭く痛んだ。
それは……胸に取り込んだばかりで曖昧だった“真実”に、まっすぐ突き刺さっていた。
水月、重吾、香燐。隠れ家に集まった彼らの前に立った時にはもう、次にすべきことは決まっていた。
イタチを倒す目的のために結成した小隊だったが、彼らは新たな目的のためにも力を貸すと言ってくれた。
その真意はわからない。重吾はともかく、水月と香燐が何故この先も手を貸してくれるのかはわからなかった。
面白がっているわけでもないだろう……。
次の目的は単純に面白がるようなものでもない。
木ノ葉隠れの里を潰す……。
そんな狂気じみたことなのだから。
が、サスケに迷いはない。
“イタチ”と“ナナ”に背を向けた時、心は決まったのだ。
マダラの語った真実を受け入れ、木ノ葉に復讐をする……と。
今度はイタチへの復讐ではなく、イタチを利用した木ノ葉への復讐をする……と。
この復讐に意味がないのはわかっている。
もうイタチは戻って来ない。イタチにいろいろ質したくとも叶わない。
結果がどうであろうと、ナナが決して喜ばないのもわかっている……。
が、今の自分にはそうすることしか生きる理由がないのだ。
たとえイタチとナナが喜ばなくとも、“二人のため”になる気がして仕方がないから。
“二人のため”に、それしかできることがないと思うから。
そして新たな出立の日。
日が昇る海を眺めた。
波打ち際に佇んで塩辛い海風に吹かれながら、徐々に赤く染まる波を眺めた。
この朝の日や、朝の風、朝の波のように、自分の心も新しく生まれ変わったのだ。
そう思うと、ちゃんと足を進められそうだ。
この背に、新たに背負ったものと共に……。
だから、古きものはここに全て置いて行く。
波は都合よく流し去ってはくれないだろうが……、ここに置いて行こう。
擦り切れそうな後悔も、哀情も、愛情も……。
流れ出た涙は不快ではなかった。
これで最後……、いや、最初で最後だ。イタチとナナを想って泣くのは。
全部、全部、ここに置いて行く。
もう二度とこんな想いになることも、涙を流すこともないだろう。
慟哭は歯を食いしばって抑え込んだ。が、この背は情けなく揺れている。
それでも、誰も急かすことはなかった。水月と香燐さえもおし黙っている。
彼らの視線も、マダラの視線も、気にはならなかった。
気になるのはただひとつ……。
だがこの決意も、別れも、ナナに告げることはなかった。
あれから一度も、あの崖には行っていない。
だから、マダラがどんな言葉をかけようともあの場から離れようとしないというナナの姿は、一度も見ていない。
今もナナは、イタチの墓の前でうずくまっているのだろうか。
いや、それも心残りになるほどでもない……。
だが、そうではなかった。
波音に紛れて、かすかに布のはためく音が近づいた。
それは砂を踏みしめる音を一切立てずに、まっすぐに、ゆっくりとサスケに歩み寄る。
そしてとても自然に、サスケの横に並んだ。
その横顔を見ることはできなかった。
それでも、ナナがうつむきもせずに遠くの波間を見つめているのがわかった。
呼吸はとても穏やかで、なんだか懐かしい気がした。
いつだったか……、こうして二人並んで海を眺めてことがあった。
黒い海、そこに流れ落ちる星、波の音、潮の風、少し暖かくて、少し痛む胸……。
あの夜と同じところが同じように痛んだ。捨てようとした感情の最後のひとかけらが、足掻くように疼いたのだ。
それを感じた時、きつく握りしめていた拳にナナの指が触れた。冷たい肌がそっと繋がる。
涙の温度が変わった気がして、サスケはナナを抱きしめた。
ナナも抱き返した。今度は強く……。
この温もりを感じるのもこれで“最後”とわかっているのに、想い出がいくつも浮かび上がるということはなかった。
ただ“今”だけを抱きしめた。
今となっては、この存在を護りたかったのか、傷つけたかったのか、奪いたかったのか、愛したかったのか……、もうわからない。
わかるのは、とても“大切”だったことだけ。
だからこそ、これが“最後の別れ”と決めていた。
今度こそ、本当に……。
サスケは身体を離し、袖で涙を拭った。そして、まっすぐにナナを見た。
同じ傷を刻まれたはずのナナは、とても静かにそこにいて、ちゃんと視線を受け止めてくれた。
きっとナナもわかっている。だから……。
「オレはこれから、木ノ葉を潰す」
そう、きっぱりと告げた。
その瞳は、やはり少しも揺れはしなかった。
そして。
「ナナ……お前は……」
お前は……来るな……
そう告げる前に、ナナは言った。
「私は行かない」
涙を枯らしたナナの瞳は、とても静かだった。
「さようなら、サスケ」
何度も繰り返した別れの“最後”は、とても静かだった。
だがそれを波がかき消すことも無く……、二人でこの時間を分かち合った。
ちゃんと瞳を逸らさずに、互いの漆黒の色を最後の想い出として残すように。
そして、こうまで手折られても己の意思を告げるナナの魂が本当に、本当に“大切”だったと……、そう胸に押し寄せたものがゆっくりと引いて言った時、サスケは黙ってナナに背を向けた。
さようなら……。
それは言わなかった。これ以上この時を穢したくはなかったから。
背中にはもう視線を感じなかった。
それでよかった。
今まで身体の中にあったものが、無くなった気がした。
臓器の一部でも欠けてしまったかのように。
これが“終わり”なのだと悟った時……、冷たい波が足元を濡らして、砂を連れて引いて行った。