木ノ葉病院の待合ホールは怪我人で埋め尽くされていた。椅子もベッドも足りず、床に寝かされたり座らされたりと、まさに足の踏み場もない状態だ。
その上さらに、戦闘で負傷した忍たちが次から次へと運びこまれる。
サクラはそこで、綱手の弟子としての責務を果たさねばならなかった。
ここも一つの戦場だった。
その殺伐とした状況で、不意に柔い声がかけられた。
「サクラちゃん」
振り返ると、白い入院着を土埃で汚した姿のナナが居た。
「ナナ?!」
ナナは表情のないままに、用件だけを言った。
「クナイを一本貸してくれる? メスでもいい」
サクラの脳で、ナナの姿はパズルになっていた。
今朝病室を訪れた時、ナナはまだ目を覚ましていなかった。重度の貧血から回復の兆しはまだ見られなかったはずだった。
そしてこの凶事が起きた直後、マニュアルに従って各病室に駆けつけた担当の医療忍者から、すでにナナのベッドは空っぽだったと先ほど報告を受けていた。
そのナナが、目の前に居る……。
「クナイってどういうこと?! あんたも早く避難所へ……」
「避難所なら大丈夫」
ナナはサクラの言葉を遮り、淡々と言った。
「結界を張って、私の式神に護らせた。避難所への通路も来る途中に結界で護りを固めて来たから」
「そ、そう言うことじゃなくて……!」
避難所の心配ではなく、ナナの身体の心配を……それを伝えようとしたが、ナナはまた言葉遮って、機械のように説明した。
「さっきシカマルにも心配されたけど私は大丈夫。私が木ノ葉へ来たのは、里の人たちを護るためなんだから、そのための術の修行は十分してる」
「修業……?」
「今は戦う力が足りなかったとしても、戦えない人たちは護れる。そういう術を習って来てるから大丈夫」
そして手を差し出した。
「ここにも結界を張るから、クナイを貸してほしいの」
クナイと結界……それがどう結びつくのかサクラにはわからなかった。
だが、差し出された方と反対の手を見て気づいた。
そこからは、血がポタポタと落ちていた。
「ナナ、その怪我……!」
サクラはそっちの方へと手を伸ばした。が、ナナはそれすらも遮った。
「サクラちゃんのチャクラは怪我した人たちのために使って」
サクラの周囲は重症者で溢れている。
確かに、彼らを救うためのチャクラは貴重だった。
「でもっ……」
「少しでも多くの人を治療しなくちゃ」
「ナナ……!」
「それがサクラちゃんの役目でしょう?」
ナナはやっと“人”らしい表情を見せた。
サクラは諦めてクナイを一本手渡した。
護るためなら命を惜しまない……その気持ちはよくわかっていた。
自分が同じ状態でも、じっと大人しくしてなどいないだろう。
「ナナ、無理はしないで」
冷たい金属に想いを込めた。
「わかってる」
それが伝わったかのように、ナナは少し笑った。
「大丈夫、そんなに難しいことじゃないから」
「ナナ……」
立ち上がり背を向けたナナは、儚げでも凛としていた。
「それに……私はまだ死ねない」
サクラはその背をまっすぐに見上げた。
そして次の瞬間、聞こえて来たのは……。
「サスケが来るまでは死ねないから」
「意味がわからない」と判断するのに時間がかかった。
「え……?」
やっと短く聞き返した時、すでにナナの姿は消えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚めたのは、たくさんの“声”が聞こえたから。
その主は、この里に留まる“見えない者たち”だった。
「急げ」「目を覚ませ」「里を護れ」「愛する者を助けてくれ」……。そんな彼らの声に耳を傾けた時に目が覚めて、この惨状を知った。
窓の外に立ち上る煙や次々に壊れていく建物。そして、身体に感じる地響き。
それは信じがたい光景だった。
「何故またこの里にいるのか」「あの海からどうやって戻ったのか」一瞬そう思ったが、追及する気は逸れた。
これから何をしなければならないのかが、自動的に頭の中に浮かび上がった。
この里に来る前に、身体にしっかりと刻み込まれていたからだった。
そして、いつかはこうなるという予感もあった。
あの時……波打ち際でサスケの意志を聞かされた時から、この時が来ると知っていた。
点滴を引っこ抜き、ベッドから降りて、窓を開けた。
土埃の匂いが木の葉中に巻き上がっていた。
手をかざすと、ピリピリと張り詰めた空気を感じた。
空は鳴いていた。この里の平和が終わったことを嘆くように……。
だが、この現状は“予感”とは違っていた。
「ちがう……」
ナナは呟いた。
「……サスケじゃない……」
安堵したのか失望したのか……。
自分でもどちらかわからなかった。
その、安堵か失望かわからないものをぶら下げたまま、ここまで来た。
シカマルもサクラも、とても心配してくれていた。
だが、その想いは風のように身体を通り過ぎるだけで、心を揺らしはしなかった。
ただやるべきことをやるだけ。使命を果たすだけ。それだけで良いはずだった。
木ノ葉病院の屋根の上は、意外にも静かだった。階下の惨状や、向こうの喧騒とは切り離されたように。
ナナはサクラから借りたクナイを左の手のひらに突き立てた。
塞がりかけた傷口から、新しい滴が乾いた屋根に落ちた。その円がある程度まで大きくなると、指で広げるようにして紅い星を描く。
そして、両手を組んで呪文を唱えた。呪文はスラスラと淀みなく口から零れた。四つか五つのときに覚えて以来、一度も忘れたことのない呪文だった。
五分もかけてそれを唱え終えると、術は難なく発動され、木ノ葉病院は結界に包まれた。
ナナは立ち上がり、ひとつ溜息をついた。
プログラムは第二段階まで完了した。
次の第三段階は“敵”をくい止めている木ノ葉の忍を撤退させること。
その次は“敵”と一対一の状況を作り出すために、“敵”と自分だけの空間を結界で作り出すこと。
そこまで終わらせた時、いよいよ“敵”と対峙する……。
その全ては、“敵”=“九尾”を想定してのプログラムだった。
今回、想定とは状況が異なる。
が、ナナは“敵”が“九尾”でなくても出来る限りそれを遂行するつもりだった。
この身体で、できるところまで……。
それは決意というより、本能というほうが正しかった。
決意とか使命とか……想いとか……。そんなことを考える気力はない。
幼いころに身体に叩き込まれたことを、無意識的に機械のように……“道具として”実行する方が楽だった。
ただ、死ぬわけにはいかなかった。
サクラに言ったように、まだ死ねない。
この襲撃が、“サスケでない”のなら……。まだ死ぬことはできない。
サスケが“来る”までは……まだ……。
ナナは再び吐息をついた。
敵が口寄せした巨獣がすぐ近くで暴れていた。
まずはあれから……
そう思った時、急に体から力が抜けた。ガクンと膝が折れ、屋根の上に手をつく。指の先まで震えていた。
そのわけは……。
「そんな……」
目覚めてから初めて心が揺れていた。
魂の行方を知ることができるナナの血が、それを伝えていたのだ。
「カカシ……せんせいっ……」
カカシの魂が、この世から去ったことを。