「あの崩れた壁の向こうです!」
カツユが耳元で叫んだ。
冷静なはずのこの口寄せ動物も、今は口調に焦りが現れている。
だが、シカマルはもっと焦っていた。
つい先ほど負傷者と遺体を担いだ忍らとすれ違った。彼らは父のシカクにこう報告したのだ。
『向こうで得体の知れぬ技を使う暁の忍と、いずみナナが交戦中』
と。
シカマルは反射的に走り出した。
普段なら「焦るな」とか「ひとまず落ち着け」とか言いそうな父も、何も言わずについて来た。
シホがいるのにも関わらず、カツユにその場へと誘導させ、シカマルは走った。
そして崩れた壁を飛び越えた時、走り出そうとして膝を付くナナの姿を視界にとらえた。
「ナナ!!」
そのままバラバラに壊れてしまいそうでゾッとした。思わず足が凍り付いたが、無理やりそれを動かした。
「ナナ! 大丈夫か?!」
肩に触れた。布越しでも、その身体が死人のように冷えきっているのがわかる。
「シカマル……」
ナナは懸命に意識を繋ぎ止めながら、彼と空の影を交互に見た。そして最後に、肩のカツユに視線を移した。
「ナナ、どっかに避難を……」
言ったところでどこに逃げれば良いのかはわからない。
わかるのはただ、もう時間がないことと、逃げ場がないことだけ……。
「とりあえずここから離れるぞ!」
我ながら情けない策だ。が、今はそれしかなかった。
あの空の不気味な物体から、少しでも離れなければ……。
だが、抱き上げようとナナの身体に腕を回した時。
「カツユ、里のみんなについてるんだよね?」
ナナは鋭い声で言った。
「は、はい……ほぼ全員です」
そしてカツユが戸惑いながら答えると、続けざまにシカマルに言った。
「シカマル、あのコを護って」
「え?」
「早く!」
ナナの指は少し遅れてよろけながら走って来るシホを指していた。
そして、側に来ていた父を向く。
「シカクさん、クナイを一本貸してください」
「クナイ? 悪いがもう切らしちまって……」
「何か刃物は?」
「護身用にもならねえ小刀が……これだ」
「貸してもらえますか?」
「あ、ああ」
さらに、カツユにも。
「カツユ、アナタの身体を通してみんなに私の術を伝えて」
「え……?」
「できるでしょう?」
「は、はい……」
誰もが言うとおりにせざるを得なかった。疑問を持つ隙間すら作らせない、切迫した空気がナナから醸し出されている。
ナナは再び上空を見上げた。
シカマルはシホの所まで戻り、ナナを振り返った。ナナが握りしめていた小刀の切っ先が、ナナの胸を抉った。
「ナナ?!」
すぐ側にいた父さえも止める間はなかった。
ナナはそのまま自分の肌に刀を滑らせ、呪を唱えた。
それと同時に、上空の影が一瞬強烈なチャクラを発したかと思うと、一瞬で感覚をもぎ取るような爆発が起きた。
木ノ葉の里は、一瞬にして形を失くした。
まるで隕石でも落ちたかのように、中心から深くえぐられ、建物も地形すらも原型を留めてはいなかった。
「ぐっ……」
シカマルは瓦礫から這い出してその光景を目にした。
この惨状で自分が生きていることが不思議だった。そう思わざるを得ないくらい、辺りには何も残っていなかった。
「おい、シホ!」
「うぅ……」
すぐに側にいたシホの無事を確認し、ナナと父の方を向いた。
瓦礫と土埃のせいで二人の姿は見えない。
背筋が冷たくなった、その時。
「シカマルさん、無事ですか?」
その背に乗っていたカツユが言った。
「あ、ああ……オレたちは……」
「ナナ様が、私の身体をとおしてみなさんを結界で包み込みました」
「結界?」
「はい。そうしなければ、全員吹き飛ばされて死んでいました」
「ナナは?!」
シカマルは無理やり立ち上がった。が、すぐに片膝が崩れ落ちる。足は言うことを聞かなかった。
「くそ! 折れちまったか……」
「あ、わ、私をかばって……!」
シホが真っ青な顔で言う。
「いや、気にすんな。それより……」
そう、それよりも気になることがある。
シカマルはもう一度立ち上がりながら、ナナと父の姿を探した。
「親父!!」
むくりと起き上がる大きな影を見つけ、わずかに安堵する。
そして……。
「ナナ!!」
その父が、すぐにナナを見つけて抱き起していた。
「…………!」
声は出なかった。
ここからでも、父の腕の中で、ナナの四肢にはどこにも力が入っていないことがわかったのだ。
懸命に足を動かした。
シホが肩を貸してくれた。
ナナと父の元まで行くのに、もどかしいくらいの距離を感じた。
「ナナ……!」
ようやく辿り着いたとき、父は初めてこちらを見た。
「お前ら……無事だったか?」
「わ、私は大丈夫で……」
シカマルはやはり、声を出すことができなかった。
横たわるナナが、まるで死人のようだったから。
そして、その胸の“紅い星”の鮮やかさに目を奪われたから。
「ナナ……」
自ら作った傷は浅いようだった。首筋に触れると、弱々しくも息をしていた。
が、人の温度とは思えぬほど冷たい肌だった。
「とりあえず止血だ」
「こ、これを使ってください」
シホが着ていた白衣を破り、父に手渡した。
「カツユ、ナナを治してやってくれ!」
シカマルは思い出したようにそう言った。
同時に目の前が明るくなった。治癒能力のあるカツユがいたのはラッキーだと思った。
だが……、カツユは残念そうにうつむいた。
「どうした、カツユ?!」
じれったを感じながら言う。
と、
「ナナ様の身体は、私には治すことはできません……」
カツユは消え入るようにそう答えた。
「そ、そんな……」
特殊な血……。特別な存在……。
それを改めて思い知らされた。
「くそっ……!!」
遠くで爆音がした。
カツユは、ナルトが戻ってきてペインと戦っているのだと伝えた。
今の彼らには、ナルトの援護に向かうことすらできなかった。
そこへ、
「シカマルー!!」
いのやいのいちらが現れた。
シズネも一緒だったが、彼女の息はすでに絶えていた。
絶望と無力感の中、いのはナナの治療を試みる。
「とりあえず、この傷だけでも塞がないと……!」
しかし、はだけた胸につけられた傷口はなかなか塞がらなかった。
いのの能力が足りなかったわけではない。チャクラが不足していたという理由でもない。
「ナナの身体が特別だから……、細胞も……。集中力がいるし、チャクラも大量に使う……」
いのの額から汗が流れた。目じりには涙も滲んでいた。
彼女の“言い訳”を誰も責められなかった。
「それに、血圧が低い……血を流しすぎよ……!」
ナナの唇は紫色をしていた。
よほど近くで確かめなければ、死人と見まがう姿だった。
「ナナの入院中、サクラと交替でナナを看ていたから……状態はよく知ってたわ」
いのは手元に力を込めながら言った。
「発見された時、ナナは……生きられるギリギリのところまで血を抜かれたそうよ」
それは周囲の怒りを誘う言葉だった。
「綱手様たち医療班がみんなでなんとか治療したけど……血が足りなくて……」
「輸血したんだろ?!」
焦りを覚えながらシカマルはそう聞いた。
いのは一瞬だけこちらに視線を投げた。
そして、
「ナナの血に合う“型”なんて、誰もいない……」
そう告げた。
いの自身も、ナナの看病に携わるようになって初めて知らされたことだったのだ。
「しかし、ナナは自己輸血してたはずだろ?」
言葉を失くしたシカマルの代わりにいのいちが問う。
“特異な血”を持つ者は、もしもの時のため、定期的に自分の血をストックしていた。当然ナナもそうしていたはずだった。
「そうだけど、ナナは元々貧血気味だったし……全然足りなかったのよ」
「そんな……」
遠くでナルトとペインが激しく戦っていた。大気が騒ぎ、地も揺れた。
轟音の中で、彼らは沈黙した。
「そ、そうだ」
それを破ったのは、いのだった。
「シズネ先輩なら、造血剤を持ってたかも」
「造血剤?」
はっとして、シホがシズネの遺体を遠慮がちに探った。そして、懐から巾着を取り出した。
「広げて見せて」
「は、はい」
いのは治療を続けながら、中から出て来た何種類もの丸薬に目をこらした。
「それだわ、黒っぽい茶色の丸薬」
「これですか?」
シホがそれをつまみ上げた。
「それをすりつぶして……注射器があればいいんだけど……」
いのが呟くと同時に、シホは再びシズネが注射器を持っているかを確かめようとした。
シカマルは彼女の手から丸薬を奪った。そしてそのままそれを口に含み、噛み砕いた。
「シカマル?」
「シカマルさん?」
横から、父が黙って水筒を出す。シカマルはそれも口に含んでナナを抱き起した。
「シカマル……?」
そのまま口移しで薬を飲ませる。と、ナナの喉は小さく動いた。
「とりあえず飲んでくれたか」
父もほっと息をついた。
そのままいのにナナの治療を続けさせながら、父といのいちはペインについて知恵を絞り出す。
ペイン“本体”の居場所を。
ナルトが独りで戦っているというが、カツユからの情報ではそれがペインという忍の“本体”ではないということだった。
一刻も早く“本体”の居場所を突き止め、そこを潰さねばならない。
あれほどの力を見せつけられただけに、皆、焦りを露わにした。
「ペインと接触した人たちから、カツユをとおして情報を集めよう」
父がナナを見つめたまま言った時、
「そうか……わかってきたぞ、ペイン本体の居場所が……!」
いのいちが突然そう叫んだ。
「本当か?! いのいち!」
いのいちは自らを落ち着かせながら、自来也が捉えた雨隠れの忍を調べた時の状況を踏まえて、ペイン“本体”の居場所を分析した。
それは、チャクラを“送信”するために最も効率的な場所……。木ノ葉近くの“一番高い場所”であった。
「早急にその場所を探し出すぞ。カツユ、このことを動ける者たちに伝達してくれ」
「わかりました」
「オレたちも行こう!」
負傷したシカマル、非戦闘員のシホ、目を開けぬナナと、ナナを看るいのをその場に置いて、父といのいちは動き出そうとした。
その時。
「な、なんだ?!!」
「きゃっ……!!」
ナルトとペインが戦っている方から、今までにない強烈なチャクラが発せられた。
それはまるで火柱のように天に向かって昇り立ち、邪悪な気は彼らのもとにまで熱風となって吹き付けた。
「九尾化か……」
父が奥歯を噛みしめた。
「何故だ!? ヤマトとカカシで封印していたはずだぞ!」
いのいちの言葉に、カツユが伝達した。
助けに入ったヒナタがペインにやられ、それで“箍”が外れたのだと……。
誰もが九尾を押さえ込むことができるヤマトの登場を願った。
が、その時、
「……ナルト……」
かすれた声で、ナナが呟いた。
「ナナ!?」
いのが確かめる。
「意識は無いわ……!」
が、
「ナルト……」
ナナはうわごとのように言った。
「止め……なきゃ……」
うっすらと開かれた瞼だが、その瞳にはそこにいる誰も映っていない。
「私が……」
ダラリと下がったはずの手を、なけなしの力で差し伸ばす。
「わたし……が……止め……なきゃ……」
「ナナ! お前はもういいから!」
「ナナ、あんたはもう動ける身体じゃないのよ!」
シカマルといのとで止めるが、ナナには聞こえていなかった。
「ぐっ……」
さらに苦しそうに胸を抑えた。
「まさか……!」
シカマルははっきりと覚えていた。
以前、こうしてナナが胸を抑えて苦しみ出した時、自分で言っていた。
『九尾とまだ繋がっている』と。
反射的に、ナナの胸から止血布を取り去って傷を露わにした。
「ちょ、ちょっと、シカマル?!」
その行動を問いただそうとした誰もが息を呑んだ。
「こ、これって……」
そこには真新しい“赤い星”があった。だが、その傷の下には決して消えかかったとは言えないもうひとつの“星の痕”があった。
少し歪なそれは、まるで皮膚の下に妖しい生き物が巣食っているかのように、うねうねと蠢いていた。
「わたしが……止め……る……から……」
刷り込まれた呪文のようにナナは言った。
「……わたしが……きゅうび……を……」
まるで壊れた機械のように頼りなく繰り返した。
「ナナ……!」
シカマルはふらふらと宙に伸ばされた手を思わず握った。
「わたしが……止める……」
そして、
「……ナルト……」
その名を呟いた時、ナナの姿は彼らの前から煙のようにかき消えた。