目を開いた瞬間、自分がどこにいるのかわからなかった。
とりあえず何かが動いた気配を感じて足元を見下ろすと、膝の辺りまで温い水に浸かっていた。
いつの間にか、白い袴を身にまとっていた。
生暖かい風が髪をさらった。
それが吹いてきた方を向こうとした時、頭上から声が響いた。
「やっと来たか、和泉の姫」
腹を揺さぶる、低く、しわがれた大きな声。
それは、聞いたことのない声だった。が、知っているような気もした。
ナナは黙って振り仰いだ。
薄暗い空間の向こうに、星のように妖しく光る目が二つ。
暗がりに目が慣れるまでもなかった。
「九……尾……」
ソレは聞かされていた通りの姿をしていた。おぞましく、醜悪で、狂気すらまとっていた。
「九尾……アナタは……」
が、初めてわかったこともあった。
「アナタは……
九尾はナナを見下ろして、にやりと笑った。
「そうだ……。今ならわかるだろう? 和泉の姫」
そこから感じられるのはただの悪しき“気”ではなく……、激しい『憎しみ』、深い『恨み』、そして『嫌悪』『絶望』『殺意』『苦しみ』……闇の気配だった。
「ワシを封じに来たか?」
九尾の目が妖しく光った。
「あのガキのタガはもうすぐ外れる。そうすれば、ワシを閉じ込めるのはお前の役目だ」
言葉に反して、九尾は楽しんでいる。
不気味な狂気を感じ、ナナは胸に手をやった。目の前のモノを封じ刻印があったはずの場所を探した。
「ワシをその身に封じればいい」
それを見て、九尾はそう誘った。
「私はもう“刻印”を持たない……。だから……アナタを封印する力はない」
産み出された目的が消滅したことを、鼻先に精一杯突きつける。
自分を倒す力がないと宣言されて、九尾は笑った。
しかしそれは、天敵が“必殺技を失ったただの人”となり下がった……という理由ではなかった。
「和泉の姫……お前ならば“刻印”などなくとも、このワシを封印できるはずだ」
九尾は己が喜ぶべき事態に、全く逆のことを言ってのけた。
嘘だ。そんなわけがない。
ナナはそう言おうとして留まった。
嫌な予感が背をつたった。
「ただのヒトが“人柱力”になれるのに、和泉の姫ができないわけがないだろう?」
「え……?」
その言葉は、ナナの根幹を揺るがす。
「お前が産み出されたあの日から、お前とワシはともに生きる運命なのだ」
「共に生きるって……ど、どういう意味……?」
ナナの目には、もう九尾の妖しい光しか映らなかった。
「お前がワシを封じることで、ワシとお前はひとつの存在として生まれ変わる」
が、九尾はナナの恐れに構わず悦に入った。
「“今の”お前となら、この世に敵うモノがないほどのチカラを手にできるだろう」
九尾は笑い、口が耳まで裂けた。その妖気はとっくにナナを包み込み、意識まで束縛しようとしていた。
「私と、九尾が……ひとつの存在に……?」
戯言……と言い聞かせようとしても、言葉は見つからなかった。新たに疑問を投げかけようとも、その答えが恐ろしかった。
ナナはグッと喉に力を込めた。何か言えば、意識を囚われそうだった。
「さぁ、ワシを封じろ、和泉の姫!! あのガキが、もうすぐ自ら封印を解きに来る」
巨大な体を揺さぶって、九尾は笑った。
「ナ……ルト……」
ナナは精一杯、信じたはずの存在を思い浮かべた。
「ナルトは……」
こんな日が来なければいい……きっと来ない……そう思って過ごした木ノ葉での日々。
まっすぐで、まぶしくて、強く惹かれた存在だった。
救われた。自分の使命を忘れられた。
だから、
「ナルトは封印なんて解かない!!!」
ついに、ナナは叫んだ。
「ナルトはっ……アナタの声なんか聞かない!!!」
絡みつく醜悪なチャクラが途切れた。
「ナルトがもしここへ来ても……私が止める!!」
九尾も一瞬、瞬きした。
「アナタを絶対に開放しない!!!」
が、
「お前がナルトを“止める”だと……?」
九尾は今までで一番高らかに鳴いた。
そして、
「ではなぜ、お前は“コチラ側”にいる?」
そう言った。
「え……?」
ナナは後ろを振り返った。
巨大な九尾の身体を閉じ込める柵が、巨木のようにそびえていた。
「こ、ここは……」
そう、そこは九尾の『檻の中』。
「なんで……?」
九尾を封じる使命を持った自分が、何故檻の内側に居るのか……。
疑問はすぐにまた恐れと直結した。
「お前とワシはひとつになる運命だと言ったはずだ」
恐れに染まった心が、知らずと九尾の言葉に呼応した。
「もう楽になれ……どうせお前に今のナルトは止められない」
耳から心へ、そして脳へ……九尾の言葉はナナの深みへと侵攻していく。
「お前もわかっているはずだ、何故、封印が解かれようとしているのか」
言いながら、九尾はナナの後ろへと視線を向けた。
操られるように、ナナも後ろを振り返る。
柵の向こうに、見慣れた影が立っていた。
「ほら……来たぞ」
九尾は小さくほくそ笑んだ。
「感じるだろう? 和泉の姫」
ナナは、檻の前にフラフラと立つ「ナルト」に息を呑んだ。
「あのガキの、混乱や憎しみを……!!」
「ナルト!!」
その名を叫んだ。が、また声を失っていた。
走り寄ろうとも、膝を曲げることすらできなかった。
『なんでだ……?!』
逆に、ナルトの声が聞こえた。
『なんでこうなっちまうんだよ……?!』
激しい感情も伝わって来た。
『苦しい……』
混乱と苛立ち、絶望、嫌悪、憎しみ……ぐちゃぐちゃに混ざったそれは、受け止めるのに耐えきれるものではなかった。
『イヤだ……』
次第にそれが己の奥深くにあるものと同調するのを感じた。
それも、止められるものではなかった。
『オレってばどうすればいい?!』
ナナは何もできなかった。
つい先ほど、「ナルトを止める」と言った矢先であるのに、声のひとつも出ない。
『誰か助けてくれ!!』
弱い言葉も、諦めも……とても似合わぬ姿を見せつけられても、何もできなかった。
『誰か答えを教えてくれ!!』
「全てを壊せ」
代わりに、九尾が言った。
「ワシに預けろ」
薄暗い空間に、星のように妖しく目を光らせて。
「お前の心を、全て」
そうナルトを誘った。
「そうすれば、お前を苦しみから救ってやる」
甘い誘いだった。
ナルトにとっても、そしてナナにとっても。
「ぐっ……!!」
九尾の誘いに答えるかのように、ナルトの腹の封印式が壊れた。
「そうだ……それでいい」
頭上の声は満足げだった。
「ナルト!!」
何が起ころうとしているか、もちろんわかりきっていた。
だから、ナナは本能のままに叫んだ。
が、やはり己の声は聞こえなかった。足も、その場に根をはやしたかのようにピクリとも動かなかった。
「ナルト!! ダメだよっ!」
精一杯叫んだ。喉に痛みも感じていた。
それでも、声は出なかった。
「さあ こっちに来い」
反対に、九尾はますます饒舌になる。
「この封印の札を引き千切れ!」
「ダメだよっ、こんなのっ!!」
届かぬ声に意味はなく……ナナの目には、誘われるがままにこちらに近づいて来るナルトの姿が映った。
「ナルト! 来ちゃだめ!!」
ナルトの意識は消滅していた。
反対に、憎しみの感情がナナの意識になだれ込んでくる。
「ナルト……!!」
必死で言葉を探した。届かなくとも、彼を止める言葉を探した。
「…………」
が、見つからなかった。
頭上で九尾が喉を鳴らした。
ナルトの手が、檻に張られた札にかかった。
もう、ナナの脳は、その先に起こることを受け入れようとしていた。
「…………!」
と、その時……。突然白い影が現れてナルトの手を掴んだ。
そしてそのまま、ナルトを九尾から引き離した。
「お、お前は!!」
ナナより先に、九尾が反応した。
怒りの火花が、頭上から落ちた。
同時に、ナルトの目に色が戻った。
「火影……様……?」
現れたのは、“四代目火影”だった。