夜明けと晴天   作:まみむ衛門

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最終話・後悔

 神奈川県某所。住宅地から少し離れた山の上に、とある私立高校が「あった」。

 

 それなりに立派な校舎は、一晩のうちに、人知れず、見るも無残に崩れ去ってしまったのだ。

 

 公式の発表によると、建築に欠陥があったわけでもなければ老朽化があったわけでもなく、ただただ不幸な事件――不発弾の爆発によるものだとされている。

 

 そして不思議なことに、静かな深夜に発生したであろう、校舎が崩壊する音も爆発音も、周辺住民は誰一人聞こえなかったという。

 

 音同士がぶつかり合ったことで相殺され、そこに湿度や風向きと言った気象条件も重なり、周辺に拡散する音が極端に小さくなる、ごくまれに起きる現象――と言う説明はなされている。

 

 当然それに納得がいくはずもなく、周辺住民のみならず、この出来事は世間の注目を集めたが――数日もすれば、様々なニュースに圧されて世間で話題に上ることはなくなり、周辺住民の「ほぼ」全員にも、またいつもの日常が戻りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ええ、補助監督や『窓』による隠ぺい工作は順調です。溜め込んでいた有名人や政治家の不祥事も開放して、おおむね全国的に話題に上がることは無くなりました」

 

 呪術高専東京校の一角で、伊地知は、両手でキーボードを打ち事務作業をしながら、肩と頬で器用にスマートホンを挟んで通話・報告をしていた。

 

 あの事件から数日、国や自治体や呪術界は「いつもの通りに」協力して隠蔽工作を施し、奇妙な出来事は世間から忘れられつつある。あとはたまにインターネット上で話題に上がるだろうが、そこから大事になるのを防ぐのはたやすいことだ。

 

『そうですか。ご苦労様です』

 

「ありがとうございます」

 

 スマートホンから、平坦な成人男性の声が聞こえる。それに対して伊地知は、対面しているわけでもないのに、小さく会釈しながらお礼をした。

 

「ところで、七海さんは順調ですか?」

 

『……はい、無理を言って許可を取っていただき、ありがとうございます』

 

 通話の相手は、七海建人だ。彼もまた当事者の一人として、直後に出す簡易報告書のみならず、落ち着いてから出すことになっている詳しい報告書の作成が義務付けられていた。

 

 七海がいるのは、高専にある蔵書室だ。古い本が、適切に保たれた湿度・室温の元、清潔さを保って厳重に管理されている。それでもどこか埃っぽい臭いがするのは、ここがほぼ密室で、所狭しと古書が並んでいるからだろう。

 

「…………」

 

 そんな七海の報告書作成は、順調とは言い難かった。机の上に開かれた二つの古びた書物のうちの一つを、身動きもせず、じっ、と見つめている。

 

 いや、そのサングラスの奥の眼光は、もはや「睨みつけている」と表現するのが正しいほどに、煮えたぎる感情を孕んでいた。

 

 彼が見ているこの本は、江戸時代に起きた奇々怪々な事件の、「裏の」報告書集、『呪い伝集』だ。

 

 前近代の奇怪な事件は主に異聞・奇譚として面白おかしく、怪談や都市伝説として、きわめて表面的かつ誇張が多くなされた形で後世に伝わっている。それは、今にして考えれば、いくらでも科学的に説明がつくものや、勘違い、でっち上げや作り話と言えるものがほとんどだ。

 

 しかしながら、その中にはごく少数、呪霊や呪詛師による事件もある。この本は、そうした事件の、表には出ない、それでいて「本物」の報告書である。

 

 深い深いため息をつき、七海はページをめくっていく。そして、やけに歪んだ、どこか禍々しくも見える筆文字で「獅子蟲」と書かれたページで、彼の手と目は止まった。

 

 内容は、先日彼が祓った呪霊≪獅子蟲≫が起こした事件の報告だ。

 

≪獅子蟲≫は単体では現代基準でいう特級と言えるほどの力を持たない呪霊だが、非常に賢く、また自分を取り込んだ相手を逆に支配して利用する力を持つ。「獅子身中の虫」がその名前の由来。理性のない呪霊が呪力を強化するために呪物の放つ呪力に吸い寄せられその身に取り込もうとする性質を利用し、自ら呪霊が好む呪力を発しておびき寄せ、取り込ませて支配する。その後はどんどん力を持つ呪霊に乗り換えて、力を増していく。

 

 ここまでは知っている。この呪物の調査をするにあたって、事前に報告を受けていた内容だ。

 

「…………やはり」

 

 七海の口から、憎々し気な声が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その続きは――彼が事前に報告を受けていない内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんどん力を増した≪獅子蟲≫はついに当時の呪術師たちも放置できず、強力な術式を持つ手練れが、複数人で挑んだ。

 

 しかし、被害は予想よりも大きくなってしまった。

 

 ≪獅子蟲≫はある程度以上――現代の基準で言うと2級以上――の宿主を手に入れると、行動を変容する。乗り換えるのではなく、呪術師や呪霊を「取り込み」、自らの糧とする。しかも取り込まれた呪術師・呪霊の術式を、その場で扱えるようになる。手練れの呪術師たちの一部が呑み込まれて爆発的に力を増した≪獅子蟲≫は、破壊の限りを尽くした。

 

 最終的には、参加した呪術師の一人である当時の加茂家当主が、その身を顧みず戦い、見事に退治した。しかしながらその多大な呪力と生命力の源にして存在の核である≪獅子蟲≫本体はどうしても破壊しきれず、やむなくその力のほとんどを封印し、呪物とすることで解決した。

 

 七海が机に並べているもう一つは、彼が任務に行く段階で報告を受けた分の内容しか書かれていない書物だ。こちらは、最近伊地知に使われたこともあってか、比較的取り出しやすい表の方に置かれていた。

 

 だが、いま彼が見ている、この『呪い伝集』――これは、蔵書室の中でも何重にもセキュリティがなされた「禁書」の棚にあったものだ。高専所属の呪術師ですら簡単に見ることはできず、学長と司書と教員1名と補助監督1名の許可が最低でも必要となる禁書の一つが、この報告書集なのだ。

 

 しかも不思議なことに、禁書の棚の中でも、絶妙に目につきにくい位置に配置されている。本のタイトルも、単に『呪い伝集』と抽象的なもので、所蔵データには、その中身の目次すら書いていない。

 

 現代まで呪物として残る特級呪霊の起こした事件が書かれているとなれば、普通ならば、その危険性や性質を後世に伝えるべく、分かりやすい場所に置いてあるべきだろう。またアクセスがしやすいよう、所蔵データの特記事項として、≪獅子蟲≫のことが書かれている等の情報が載っていて然るべきである。

 

 そう、まるで、この≪獅子蟲≫の報告が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私たちに、隠されていた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ように見えるのだ。

 

 誰の耳があるかわからないので小声で、自分が抱いていた、しかしながら否定したかった予想を、口にする。いつもの彼には似つかわしくなく、その声は震えていた。

 

 呪術界の体制が腐っているのは、よく分かっている。

 

 当代どころか歴史上を探しても「最強」の呪術師と言っても間違いではない、彼の先輩でありここの教師でもある五条悟が、教師になった理由だ。

 

 そして自分も、それに嫌気がさして、一時は呪術師から離れた。

 

 隠されていた理由は分からない。もしかしたら、≪獅子蟲≫そのものを隠す意図はなかったのかもしれない。加茂家当主が出張ったにもかかわらず大事件になったから隠したのかもしれないし、この書物に載っている別の事件を隠したかったのかもしれない。

 

 それでも七海は――今回の事件にまとわりついているように思えてならない悪意に、心底、はらわたが煮えくり返っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、呪術師は、クソだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敬語が崩れたその独白が、清潔なのに埃っぽい蔵書室に、虚しく反響した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、成宮が……」

 

 咲来の死は、元在校生だったこともあって、事件当日に簡易報告書が作られた時点で、歌姫にも伝わっていた。まだ簡易的なものであるにもかかわらず、その戦いと死にざまが壮絶と言うのも生ぬるいことがわかる。それでいて、呪術界では「たまにある」程度のものでしかないとも同時に考えてしまい、彼女はそれを振り払うべく、首を激しく横に振った。

 

 あの日の夜。歌姫は咲来からの連絡を、受け取ることができなかった。突如発生した強力な呪霊との戦いを強いられていたのだ。事が終わってからスマートホンを見た時には、報告書から察するに、すでに飲み込まれて手遅れの段階だった。自分には何もできなかっただろうが、やるせなさを強く感じてしまう。

 

 このことを、 生徒(あの子 )たちに知らせるべきかどうか、彼女は思い悩んだ。ほんの数か月だが、確かに同級生および先輩・後輩として親交があった。それゆえに、そんな彼女の死を、知らせるべきとも思うし、知らせないほうが良いとも思う。

 

 そうして悩み悩んで数日、歌姫の元に、七海と伊地知が作った詳細な報告書が届いた。それを読み終わったころには、彼女の決断は決まっていた。

 

 

 

「そうですか…………それは、残念です」

 

 いまや京都校のリーダー的存在である加茂憲紀に、最初に知らせた。

 

 反応はただそれだけで、そのまま背を向けて去ってしまった。しかしその声と背中は、わずかに震えていた。深い親交があったわけではないが、それでも、思うところはたくさんあるのだろう。

 

 

 

「そんな、嘘でしょ!? なんで咲来ちゃんが死ななきゃならないの!」

 

 西宮桃は涙声で叫ぶ。

 

 彼女も分かっている。報告書にある通り、咲来には逃げる選択肢があったし、事実そうするべきだった。それでも彼女は、自らの意思で戦うことを選び、それゆえに死んだのだ。

 

 一度呪いの世界から「逃げた」にも拘わらず、中途半端に、「逃げる」を選ばなかった。

 

 高専に入学して二年が経つし、その前からのキャリアもある彼女には、咲来の死が、「当たり前」のものだと分かってしまう。

 

 それでもなお、その死を受け入れられない。

 

 理不尽だと思った。

 

 一度完全に逃げ出すほどの恐怖を抱えていたのに、それでも一人の人間を助けるために身を挺した。彼女がいなければ、もう一人の呪術師は死んでいた可能性が高い。そのことが、報告書から、憎らしいほどに分かりやすくまとまっているがゆえに、理解できてしまう。

 

 そんな素晴らしい人間が、そのせいで死んでよいはずがないのだ。

 

 彼女は、咲来のことを可愛がっていた。呪術師としてはあまりにも弱気なのでイライラすることもあるし、箒に乗せてる時は毎度毎度悲鳴を上げるからうるさく思うこともある。それでも、術式的に相性がよくてコンビを何回も組んだし、性格的には真逆なのに、どこか惹かれるところがあった。今思うに、咲来の、痛ましくすら見える優しさが、眩しかったのだろう。

 

 

 

「成宮ハ……戦ったのだナ……」

 

 機械を通しているため無機質に聞こえるはずだが、メカ丸の声には、深い感情が籠っているように聞こえた。

 

 天与呪縛によって強大な呪力と元来のセンスを持つ彼は、入学してすぐ等級が上がり、咲来と同じ任務に向かうことはなかった。それでも同学年としていくらかの交流があったし、呪術師には珍しい彼女の一般的な感性は、生まれつき「異常」になることを強いられている彼にとって、得難いものだった。

 

 ギシ、と不快な、機械がきしむ音が小さく響く。機体が壊れてしまいそうなほどに、無機物の拳が強く握られていた。

 

 咲来は、逃げずに立ち向かうことを選んだ。

 

 この事実にメカ丸は、彼だけの、歌姫には今はまだうかがい知れない感情が湧き出ているように見えた。

 

 

 

 

「あの子はっ…‥こんな無茶をしてっ……バカ……っ!」

 

 禪院真依は、前髪をぐしゃりと乱暴につかみながら、顔を伏せて、歯を砕かんばかりに噛みしめながら、宛先のない感情を声に出した。

 

 特に仲が良い同級生だった。真依の≪構築術式≫は、彼女程度の呪力では呪霊相手にさほど効果があるわけではなく、人間相手にも一発の不意打ちにしかならない。家と姉のせいで呪術師になることを強いられた彼女に与えられた才能は、あまりにも残酷だった。

 

 そんな彼女の 術式(こころ)に差し込んだ光が、咲来の≪爆散≫だった。

 

 身体に多大な負担をかけて、一日一発の銃弾を作るのが精いっぱい。咲来の≪爆散≫は、そんな命を削るような成果を、一瞬で破壊してしまう術式だ。

 

 最初は、姉や家にも匹敵する程に憎らしかった。

 

 しかし、最初の合同任務でとっさに咲来が活用法を思いついてからは、その感情が180度変わった。

 

 真依にとっての咲来は、≪ 構築術式(じぶん)≫を最も活かしてくれる存在だったのだ。

 

 数か月で親友になったし、呪術のことを思い出すのも辛いだろうに、退学した後も連絡を取り合ってくれた。そんな彼女の死は、真依にとってあまりにも重かった。

 

 この世に「呪い」なんてなければ――今まで何度も思ったことだ。

 

 そしてこの時は、今までの中で一番強く、そう思った。

 

 

 

 

「咲来っ――」

 

 もう一人、特に仲が良い同級生がいた。彼女――三輪霞は、報告書を半ばまで読んだあたりで、顔をぐしゃぐしゃにゆがめ、紙のほとんどが涙で濡れてしまうほどに号泣した。

 

 そして、時間をかけて最後まで読み切った霞の口からは、親友の名前がやっと絞り出されただけだった。

 

 霞は呪術師として特異な性格だ。普通の感性を持ち、貧しい家族のために身を挺して働く、根っからの善人。そんな彼女にとっても、また咲来にとっても、この呪術界で、「普通の善良な人」と同級生として出会ったのは、運命的と言えるほど幸運なことだった。

 

 出会ってすぐに打ち解け、旧来の親友のようになった。お互いのおかげで、この薄汚れた呪術界でも、前を向いていられたのだ。

 

「……歌姫先生」

 

 たっぷり数十分は泣いただろうか。ようやく落ち着いた霞は、それでもまだ肩と声を震わせながら、しかし芯の通った声で、報告書を渡してから傍で付き添っていた歌姫を名前を呼ぶ。

 

 彼女が上げた顔は、酷いものだった。涙と鼻水で汚れ、目は腫れている。人に好かれやすい可愛らしい顔が台無しだ。

 

 しかし、その目には、確かな志が宿っている。口元は決意に満ちてキュッと引き締まり、歌姫の目を真っすぐに見ている。そんな彼女の顔は、いつもとは違う意味で、美しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「咲来は、立派に戦いました。一人の人を、救ったんです。私たちも……咲来の分まで、頑張らなければなりません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思わず歌姫は気圧された。

 

 しかしすぐに、心の奥底から、嬉しさと感慨が、あふれ出してきた。

 

「ああ、そうだ」

 

 笑って、その頭を撫でてあげて、抱きしめる。するとまた、霞は、大きな声を上げて泣き始めた。

 

(成長したんだな……)

 

 可愛い生徒たちは、いつの間にか、ずいぶんとたくましくなったようだった。

 

 呪術師としても、人間としても、強い心を持つようになっていた。

 

 それは、たった数か月だけとはいえ歌姫にとっては可愛い生徒である咲来もまた、同じだ。だからこそ、その心が、こうして受け継がれていく。

 

 そしてふと、思い出すことがある。

 

 実は加茂と西宮の間に、もう一人の三年生、東堂葵にも、この報告書を見せた。

 

 東堂は、咲来のことを全く評価していない。つまらないやつ、と言ってはばからなかった。それでも彼もまた彼女とかかわりがあった先輩であり、これを知らせるべきだ。これで酷いことを言うようだったら、例え敵わなくても、一発殴り飛ばしてやるつもりだった。

 

「最後は呪術師として戦い、呪術師として死んだ。その身を顧みず、一人の人間を助けるために」

 

 読み終わった報告書を乱暴に投げ返しながら、いつもの調子で、東堂は話し始めた。

 

「ならば、俺たちは、成宮の死と意志に、報いなければならない。それが、呪術師として、生きている俺たちの義務だ」

 

 霞は、東堂と同じ結論にたどり着いていたのだ。そして同じことを、加茂も、メカ丸も、西宮も、真依も、きっと想っている。

 

 強くならなければならない。

 

 自分の志を貫き通せるぐらい強くなれば――死んだ咲来の意志もまた、貫き通せるのだ。

 

 この子たちはきっと、立派な 呪術師(にんげん)になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霞を優しくなでながら、歌姫は、可愛い生徒たちが立派になったことを、心の底から喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――どろりと湧き上がってくる後悔の鈍痛を、押し隠すように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、歌姫じゃーん?」

 

 それからさらに時が過ぎ、(きた)る姉妹校交流戦の打ち合わせのために東京校を訪れていた歌姫は、たまたま通りがかった特級術師である五条悟に声をかけられた。

 

「……五条か。今日は暇そうだな」

 

「仕事帰りだよーん」

 

 げんなりとしながら、軽薄な目隠し男の方を見る。相変わらずしっかり立つことなくヘラヘラフラフラとしている。

 

「なーんか元気ないねー? どうしたの? 生理?」

 

「夜蛾学長にセクハラ報告しとくわ」

 

 相変わらずデリカシーの欠片もない失礼の塊みたいなことを言われた歌姫は、適当に言い返しながら、彼から目を逸らす。しかし圧倒的な身体能力を持つ悟は彼女の前に一瞬で回り込んできて、その顔を覗き込んできた。

 

「……成宮咲来の件は、残念だったね」

 

「………‥ああ」

 

 いつも通り無駄に察しが良い、とは思わない。今の自分は、客観的に見て、明らかに落ち込んでいる。

 

「………………なあ、五条」

 

 自分が思う以上に、弱弱しい声が出てしまった。こいつに弱みは見せたくない。いつもだったら、絶対に話題を打ち切る。

 

 それでも、今回ばかりは、勝手に、自分の口から言葉が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前の言う通り……私は、咲来をスカウトするべきじゃなかったか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咲来を見出し高専に誘ったのは、歌姫だ。

 

 そして野暮用があって咲来入学直後に京都校に行った悟は、たまたま近くにいた咲来を見て、今すぐ退学させるべきだと、歌姫に言ったのだ。その時はいつものノリと対抗心で、意地でも育てると否定してしまった。

 

 東京校と京都校では、生徒の受け入れ基準は違う。

 

 どちらも教員や関係者の推薦と学長による面接が必要なのは変わりない。

 

 しかし京都校は呪力や呪術に一定のレベルがあれば受け入れるのに対して、東京校は悟と夜蛾学長の方針から、その「心」を重視する。

 

 呪術への向き合い方、入学動機、心の強さ、そして何よりも「イカれている」か。

 

 呪術師は、過酷だの凄惨だのといった言葉ではまず言い表せないほどに、残酷と言うのも生ぬるい仕事だ。そんな呪術師になるにあたっては、まず「イカれて」いないと、やってられない。いざという時には心が弱いとすぐに死ぬし、仮に生きても長くは続かないし、「呪い」から離れてもずっと苦しみが尾を引く。

 

 今にして思うと、悟と夜蛾の方針は、これ以上ないほどに正しいとすら思える。

 

 咲来は、あまりにも「普通」だ。「イカれて」いないし、気弱だし、臆病だった。

 

 似たような「普通の善人」として霞がいるが、思うに、彼女もまた一年間呪術師をやってこれただけあって、「イカれて」いる。

 

 呪術に関わりのなかった一般人が、貧しい家族のために呪術師になった。こんな状況は、まず普通の女子高生、いや大人だろうと、耐えられないはずだ。それほどに、呪術師の世界は厳しく、暗く、そして腐敗している。

 

 それなのに彼女は明るく、真面目だがどこか能天気で、それなりに楽しそうに過ごしている。咲来が退学するきっかけとなったあの事件では霞も瀕死の傷を負ったのに、咲来と違って、呪術師を続けられているのだ。それも、なんというか、いつもあまりストレスを、「なんにも」感じている様子がない。この感性に関しては、生まれながらに抱えるものが大きいはずで呪術界に「慣れている」はずのメカ丸のほうがよっぽど「マトモ」とすら言える。彼はいつもストレスを抱えている様子だ。

 

 そうなるとやはり、咲来は、全く「イカれて」いないのだ。

 

「そうだね、歌姫は間違っていたよ」

 

 軽薄さがない、いつになく真面目な声で、厳しいことを言われる。それを聞いただけで心が折れそうになるが、それでも自分の「罪」と向き合わなければならないため、逃げることは許されない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌姫は――咲来とその未来を、殺してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし歌姫が咲来をスカウトしなければ。ちょっと変なものが見える、善良で優しい普通の女子高生としての未来があったはずだ。事実、退学後の彼女は、その気質から、ひっそりと同級生たちに好かれて頼られていた。

 

 だが、歌姫がスカウトしてしまったせいで、「呪い」に関わることになってしまった。

 

 結果、酷いトラウマを抱えることになってしまったのだ。

 

 しかもその行く末は、せっかく退学して苦しみを抱えながらも普通の人生を歩もうとしていたのに、「呪い」を本格的に知ってしまっていたがゆえに、あまりにも凄惨な死だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしスカウトしていなければ、もし悟の言う通りにすぐ退学させていれば――咲来は、死ななかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が……咲来を、殺したんだっ……!」

 

 歌姫は、自分が泣くことを許さなかった。

 

 爪が食い込んで手のひらを傷つけるほどに強く拳を握り、歯茎が沈むほどに歯を食いしばり、涙をこらえる。それでも、その目からは、大粒の悲しみと後悔が、ぽろぽろとこぼれだしている。

 

 これ以上、誰かといるのは辛かった。

 

 自分が逃げるのを許さないとしながらも、それでも歌姫は逃げるように、悟から早足で離れる。それを悟は、引き留めず、無言で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………聞いているだろう、七海」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……貴方にはすべてお見通し、ですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガズッ! と破壊音が響く。歌姫が去っていった方向だ。悔しさ、悲しさ、怒り、ありとあらゆる負の感情に任せて、壁を殴ったのだろう。準1級術師である彼女の腕力での殴打は、それだけの破壊力を持つ。

 

 その逆方向の陰から姿を現したのは、七海健人だ。ちょっとした用があって東京校に来ていたところ、たまたま先ほどの場面に出くわしたのである。

 

「目隠しをしててもお見通しだよーん」

 

「そうですか」

 

 悟はおどけて見せるが、七海は「いつも通り」の塩対応をする。

 

 だが、悟からは、「いつも通り」には見えなかった。

 

「歌姫はさ、成宮を『殺した』と思ってるらしいよ」

 

「ですが、私は、成宮さんに命を救われています」

 

 歌姫が咲来を殺した。これはある意味での、冷酷なまでの真実だ。

 

 だが、同じ理論で、歌姫が、七海を救ったともいえる。

 

 そして、それを認めるならば――七海は、その意味でも、そして本来の意味でも、咲来を「殺した」ことになる。

 

 もし、彼が油断していなかったら。

 

 もし、もっと下調べをしていたら。

 

 もし、何があっても手を出さないよう事前に言っていたら。

 

 もし、見かねて励ますというようなことをせず落ち込ませたままにして人助けのモチベーションを下げていたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし――七海がもっと強かったら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咲来は今も、生きていたかもしれない。

 

 七海もまた、咲来を「殺した」。しかも、彼の場合は、その手で直接殺してもいる。

 

 歌姫がああしたから。ああしなかったから。たまたまこうなったから。もし七海がこうだったら。少し状況が違ったら。たまたま呪霊が集まったから。呪物の性質がそうだったから。

 

 あの日からずっと、事実とIFが、理由と結果が、「因果と言う『呪い』」が、頭の中を「廻って」いる。

 

「呪術師ってさ、後悔だらけだよね」

 

 悟の口からどう励ましたところで、歌姫も七海も、変わることはない。

 

 だから悟は、ただそれだけ言って、次の仕事のために、その場を去る。これから、かなり遠方への出張だ。いきなり入ったそれにはどろりとしたねばついた悪意や陰謀を感じるが、あくまで予感でしかないため、逆らうことはできない。

 

 ポケットに両手を突っ込み、歩きながら、悟は、それでも笑う。

 

 

 

 

 

 呪術師は、理想通りなんかありえない。生きるどころか、死体が残るだけでも御の字の世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからこそ、呪術師は、常に後悔の連続だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今回の事件で背負った後悔も――二人なら、きっと乗り越えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悟はそう信じているから、二人を励まさなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この数日後、悟が高専入学を許した虎杖悠二が「死ぬ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その時に悟は、歌姫や七海が背負ったような後悔を、深く味わうことになるのは、また別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、残念。上手くいかなかったね」

 

 時は少しさかのぼり、咲来の死の翌日。

 

 南国の自然豊かなビーチ「のような場所」で、頭に縫い目がある男と、一つ目で頭が火山のようになっている呪霊が、パラソルの下で並びながら会話していた。

 

「だから言っただろう、夏油。上手くいったら不思議なぐらいだ」

 

 胡散臭い笑みを浮かべる縫い目の――夏油と呼ばれている――男に、呪霊が心底呆れ果てながらしゃべりかける。

 

 この呪霊の名は漏瑚。人が大地に抱く崇拝と敬意、そして畏れから生まれた、強大な呪霊だ。

 

 夏油と呼ばれた男の作戦は、あまりにも滅茶苦茶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 計画の目的は、「咲来を取り込んだ≪獅子蟲≫を手に入れる」こと。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪獅子蟲≫の性質に目を付けた夏油は、自身の術式≪呪霊操術≫を活かして、一つの作戦を立てた。

 

 咲来は呪力が少ないゆえに真価を発揮できなかったが、その術式≪爆散≫は強力だ。

 

 そこで、今は呪物になり果てていたがかつての特級呪霊であった≪獅子蟲≫の性質に目をつけたのである。

 

 学校に安置されていた≪獅子蟲≫の封印を破って呪霊を大量に呼び寄せさせる。咲来たちが集まり大量の呪霊との防衛戦が始まったら、タイミングを見て手持ちの2級以上の呪霊に≪獅子蟲≫を食わせ、そして≪獅子蟲≫に咲来を食わせる。特級呪霊の呪力をもって≪爆散≫を振るえば、強力で凶悪な火力と破壊力を誇るだろう。そしてその場にいるであろう他の呪術師と戦わせて吸収させてさらに術式を得た直後、闘いで消耗しているところを狙って夏油が戦闘を仕掛けて、支配下に置く。今回生き残った術師・七海健人の持つ術式は使いにくいが、格上を喰うことができる破壊力を持つ。そんな彼を取り込むことが出来たら、それもまた良い。

 

 通常の呪霊には無い知性と狡猾さを持つ特級呪霊が、特級たる呪力で、圧倒的な破壊力と格下を確実に倒せる≪爆散≫と、格上を狩ることができる≪十劃呪法(とおかくじゅほう)≫を振るう。さらにはそれ以上に色々とりこんで成長する余地もあり、領域展開まで使える。漏瑚ほどとはいかないが、同じような生まれの花御に匹敵する力を持つ、強力な手駒になるはずだった。

 

 だが結局、それは失敗した。あまりにも不確定要素が多すぎる計画だったのだ。実際その無茶苦茶さは、事前に話した漏瑚や花御、そしてあまり口出ししない真人からすらも、そうとう馬鹿にされた。

 

 例えば、漏瑚が提案した作戦は以下の通りだ。

 

≪獅子蟲≫の封印を破るや否や即座に手持ちの呪霊に≪獅子蟲≫を食わせ、覚醒させる。そしてその場で倒して手駒にして、あとはこっそりと咲来を取り込ませ、その後どんどん秘密裏に呪術師を取り込ませる。

 

 こちらの方が、派手な動きで呪術師に感知されることもなく、確実かつ安全に、目的が達成できる。

 

 こんな提案を事前に受けていたのに、それでも夏油は自身の計画を決行し、そしてものの見事に大失敗した。

 

 1級以下の雑魚とはいえ、呼び寄せられる呪霊たちに紛れ込ませていた手駒はそれなりの数が減り、強大な戦力になり得た≪獅子蟲≫は完全に祓われた。失った手駒も、強力な攻撃力を持つ巨人型呪霊と、術式こそ持たないが多量の呪力と巨体を生かしたフィジカルが魅力のウツボ頭呪霊はそこそこ痛い。幸い、この二体へ隠蔽術式をかけさせた呪霊は健在だが、夏油自身がそばに隠れてリアルタイムで≪呪霊操術≫で仕事したにも関わらず成果は得られなかった。

 

 漏瑚は、まさしく馬鹿を見る目――人間と違って一つ目だが――で、夏油を見下す。

 

 そんな漏瑚に、夏油は苦笑しながら、手をひらひらとさせて話の続きをする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成宮咲来なんてさ、正直、『どうでもいい』んだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑い話でもするかのように朗らかに、それでいてその顔には、酷薄は笑みが浮かんでいた。

 

「手駒にするのは、できればいいな、程度にしかないんだ」

 

 学校一つが崩れ去り、大きな事件となった、あの戦いと咲来の死。彼によって仕込まれた地獄の舞台は、彼にとっては、あくまでも「サブ」でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれはしょせん、宿儺の器(虎杖悠二)の計画を遂行するための陽動でしかないんだからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時間、様々な場所で、大小の呪霊に関する事件が起きていた。各所で、残酷な事件や死が、引き起こされた。

 

 咲来と七海の≪獅子蟲≫をめぐる戦いは――その一つでしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その全ては、虎杖悠二に、両面宿儺の指を食わせるための、目くらましと足止めだったのである。

 

 そのせいで、五条悟を筆頭としたほか呪術師の増援は遅れ、伏黒恵は単独で戦わざるを得ず、劣勢になり、悠二は指を喰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の善良な「元呪術師」の女子高生が凄惨な死にざまを迎え、学校一つが崩壊し、関係者の心に深い傷を残した、≪獅子蟲≫をめぐる戦い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、夏油の体を操る「ナニカ」が立てた長い長い計画の始まりの、そのおまけにしか過ぎなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夏の南国。この、この世ならざる異界に渦巻く陰謀は、夜の闇が明るく見えるほどに、どす黒い。

 

 しかし、そんな世界もまた――領域の性質上、どこまでも突き抜けるような、気持ちの良い晴天だった。




最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はオリキャラ等の設定集ののち、オマケの話を5話分ぐらい投稿しますので、そちらもぜひお楽しみください
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