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それから時が過ぎ、九月の中頃。
ついに姉妹校交流会の日がやってきた。
京都校のメンバーが石段を上がっていくと、そこには、東京校のメンバーが勢ぞろいしている。
「菓子折り出せゴラァ! 八つ橋、葛切り、そばぼうろ!!!」
そして開口一番、なにやら以前にも増して不機嫌な野薔薇が、お土産を要求してくる。
当然、交流会とは言いつつもバチバチの真剣勝負をしにきた相手だ。そんなのに渡すお土産など、持ってくるはずがない。ましてや互いに呪術師であり、そのような気づかいや常識は持ち合わせていなかった。ちなみに持ち合わせているはずの霞は、家に仕送りをしているため、金を持ち合わせていない。
そういうわけで野薔薇は、旅行の目論見も、お土産も手に入れることができない――はずだった。
「えっと、こちらで満足してもらえるか分からないですが……」
ずらりと並んだ京都校メンバーの後ろから、身長が低めの気弱そうな眼鏡の女の子・咲来が出てきて、大きな紙袋を渡す。その袋のデザインは、まさしく「京都」とでもいうべき、上品な十二単風の柄だ。
「おい、まじかよ、お土産まで用意するのか」
「ありえねえ、乙骨ですらあそこまで気が利かねえぞ」
「しゃけ……」
東京校二年生の三人がそれを見て、理不尽なことにドン引きする。
もしや、毒でも盛っているのか。はたまた嫌がらせみたいなクソお土産でも持ってきたのだろうか。
いや、呪術師ならばあれに呪いを籠めているのが一番ふさわしいかもしれない。贈答品を相手が受けとることを「儀式」として、「受け取った」を呪いを受け入れる「了承」とみなす、非常に陰湿な呪いの手法だ。
「おほほー! 何よあんた気が利くわね!」
「みっともない……」
喜び勇んで乱暴に開封する野薔薇と、それが猿に見えて仕方なく、死ぬほど恥ずかしくて赤面する恵。なるほど、彼が苦労人ポジションだな、と霞は理解した。
「ぶぶ漬けとかだったりして」
「こんぶ」
その短い間に、パンダと狗巻は、一番もっともらしい予想を口にする。
毒を盛っていたり、呪いを籠めていたり、クソお土産だったりの線もあるが、考えてみれば、相手は京都人。ここで「ぶぶ漬け」の意味を込めて、高級お茶漬けセットでも出す可能性が、非常に高い。そして呪術師らしくもある。
「うおおおおおおおお!!!!!」
野薔薇がお土産を掲げる。
それは、お土産の定番・和菓子有名店の生八つ橋詰め合わせだった。
東京校一同が唖然とする中、野薔薇はさらに開封していく。
葛切りこそなかったが、定番のそばぼうろは当然として、近年人気沸騰の和風バームクーヘンや、乾燥抹茶セット、真空パックの京野菜まである。さらにお土産内容は京都に留まらず、そのお隣の大阪名物粉ものセットや、渋いことに奈良の千枚漬けまであった。
京都の人気お土産に、さらに近畿圏の他府県のお土産まで持ってくる。とんでもない気の利きようだった。
「あんたサイッコーよ! やっぱ京都の人って『粋』なのよね!!!」
「すみません、ありがとうございます」
「お前いいやつだな。どうだ、東京校に編入しないか?」
「以前から思っていたけど、お前は聖人だ。何か東京でほしいものはあるか? なんでもやるぞ」
「いくら、明太子、すじこ!!!」
現金なもので、剣呑な雰囲気でおよそ歓迎しているとは言い難かったのに、一気に空気が和らいだ。とはいえそれは、咲来にだけしか向けられていないし、他京都校メンバーのことはガン無視である。
他のメンバーにこんな常識があるわけない。咲来の独断で、このお土産が選ばれたのだ。
それを、東京校のメンバーが、察したのである。
パンダから「なんでも」と言われたので、顔を輝かせながら抱き着かせてもらって頬ずりしている咲来に、京都校のメンバーは、呆れ(真依、桃、歌姫)、冷めた(東堂、メカ丸)、無関心(加茂)、羨ましそう(霞)、とそれぞれ個性的な視線を向けている。
「全く、そんなお土産なんかいらないって言ったのに……ご機嫌取りなんかしてどうするのよ」
呆れ目線代表の真依が、ため息をつきながら呟く。
パンダのモフモフに抱き着いて上機嫌だった咲来が一転、口をとがらせて反論した。
「真依ちゃんと東堂先輩が迷惑をかけたからいけないんでしょ!」
そう、咲来だって、いくら使うタイミングが微妙にない給料が入ってくるとはいえ、わざわざ自腹を切ってこんなにそろえるつもりはなかった。お土産と言うのは高価なものなのだ。用意するとしても、本来なら、せいぜい八つ橋セットぐらいだろう。
だが以前訪ねた際、真依と東堂がとんでもない迷惑をかけたのだ。このお土産は、そのお詫びの意味合いが強いのである。
「お、お詫びまでする心がある、だと……」
「呪いじゃなくて天使か?」
「アナゴ……」
呪術師としてあまりにも異質。驚きのあまり、若干三馬鹿めいた反応を、二年生の三人はしてしまった。
「んで、あの馬鹿は?」
「悟は遅刻だぞ」
「誰も馬鹿って先生の事言ってないですけど」
なんて会話もあったところで、噂をすれば影と言うべきか、馬鹿が現れた。
「おっまた~!」
変な目隠しをした長身が、金属製の箱を台車に乗せて、ガラガラうるさい音をたてながら走ってくる。
それを見て、最強術師にお目見えしたミーハーな霞は喜び、咲来は歌姫の影に隠れた。
そして渡される、海外出張のお土産だという、とある部族のお守り。毛糸でできた、なんだか力の抜ける人形だ。およそ、咲来が渡したものとは釣り合わないいらなさである。
そして東京校のメンバーから冷めた目線を向けられる中、そちらへのお土産だという大きな箱が、ついに開いた。
「はい、おっぱっぴー!」
『………………』
この瞬間、残暑厳しい東京校の温暖化は、確かに解決したと言っても良いのかもしれない。
それぐらい、空気が冷え込んだ。
京都校はお土産に夢中、東京校は冷めている。
死んだはずの宿儺の器・虎杖悠仁は、針の筵に晒されていた。
(あの子が、虎杖悠仁君かあ)
そんな彼を咲来は、気づかれないように、横目で観察していた。
†††
「で、君はミーティングにはいかないの?」
時間が経ち。
各校の参加者と学長が、それぞれ分かれてミーティングをする中。
悟と歌姫が話し合っているところに、付き添いとして咲来が同行していた。
「えっと、はい……」
歌姫の影に隠れながら、咲来はややおびえた様子で肯定する。
「その、私は二か月前まで中退していて、それにすごく弱いし、コースとしても戦闘はしない補助監督コースなので……人数差の都合で、補欠なんです」
「ふーん、なるほどねえ」
その事情は、悟も大体わかっている。一度中退したのに戻ってきたというのは過去にないことだから、彼にしては珍しく覚えていたのだ。
ちなみに、悠仁が合流したので補欠は咲来だけになったが、本来は人数差二人の予定だったため、団体戦は霞が、個人戦は真依が、交代で出ることになっていた。
「で、なんでそんな僕に怯えてんの?」
真に彼が気になるのはそこだ。
咲来は、彼が現れてからずっと、歌姫の影に隠れている。はっきりと、怯えていた。
(似たような性格っぽいあの変わった髪色の子はツーショットまで求めて来たのになあ)
正直、身に覚えがない。今日が初対面のはずだ。
「そ、その…………歌姫先生や学長や、ナナ…………ンンッ、学長から、とんでもない人だと聞いていたので……」
「お前の馬鹿が感染しそうだから守ってやってるんだ。ほらそれ以上口を開くな」
咲来が説明を終えると同時、歌姫がシッシと悟を追っ払う。咲来をここに連れてきたのは、あくまでも補助監督になるための経験として、教員同士のやり取りを見てもらうためだ。悟がいても連れてきたのは、苦渋の決断である。
「なーんだよ、ひどくなーい?」
「自分の行動を全部振り返ってからものを言え!!!」
「あ、あはは……」
この人は、東堂先輩と同じタイプの様だ。
口喧嘩――歌姫が一方的に怒鳴っているだけだが――を始めた二人を見て、咲来は困ったように苦笑する。
なんだか、仲が良さそうだ。
「――――それでさ、成宮」
「ひゃ、ひゃい!?」
そこで突然、真剣みを増した低い声で、水を向けられる。
「ちょっと今から二人きりで話せるかい?」
「え、えっと」
「こら五条、いったい何するつもりだ」
戸惑う咲来の前に歌姫が立ちはだかって遮る。普段は頼りになる歌姫先生の背中のはずだが、しかしこの男を前にしては、どうにも、心細く感じた。
「特級呪物防衛戦の話、って言えばわかるかな?」
「それは――!」
歌姫が声を出し、咲来は声が出ない。
わざわざ咲来に特級呪物なんて言う雲の上の話を持ち掛けるということは。
間違いない。
≪獅子蟲≫の件についてだ。
「……大丈夫か、成宮」
「はい、大丈夫です」
さすがに断るわけにはいかない。歌姫が気づかわし気に確認してくる。それに咲来は、先ほどまでの怯えが嘘みたいに、はっきりと返事をした。
「わかった。私は離れるけど傍に入るから、なんか変なことされそうになったら、迷わず大声出すんだぞ」
「歌姫は僕の事なんだと思ってるの?」
「特級バカ」
やっぱり、仲が良さそうだ。
割と本気で嫌っている感もあるが、こうも素をさらけ出している歌姫は珍しい。
きっと、話に聞くほど悪い人ではないのだろう。
咲来は少し安心して、悟と二人きりで向き合うことにした。
†††
「まず確認したいんだけどさ、君、本当に成宮咲来?」
「え、あ、はい」
あまりにも唐突すぎる質問だった。哲学の話でもない限り、ここは「はい」と答えざるを得ない。
その返事を受けて、悟は首をかしげながら、角度を変えて咲来の顔を見つめる。目隠し越しだというのに、服どころか、皮や筋肉の奥、骨や内臓、果ては魂までもが見透かされているかのように感じた。
「俄かに信じられないなあ。去年は、もっとはるかに弱かったのに。まあ今も弱いけど」
「それはまあ、否定できませんが……」
悪い人ではないが、そんな言葉が使われてる時点でそこそこ悪い人である。
真依がそんなようなことを言っていたのを思い出すほどの、直球の罵倒だ。
「実はさ、去年の五月くらいだったかな? 君が入学したばかりのころ、一回見てるんだよね」
「え、そうなんですか?」
以前から自分のことを知っていたのは確かだろうが、てっきり書類上の話かと思っていた。
「まー、君は俗にいう、『いい子』ってやつなんだろうね。人から好かれると思うよ。でもさ、呪術師って、『イカれて』いないと長続きしないし、早死にするんだよね。その点で言うと君は、実力も性格も、まるで足りなかった」
「……前半は別として、後半はあっていますね」
自分が「いい子」かはさておき。性格も実力も、呪術師にまるで向いていないのは、自覚している。だからこそ、あのトンネルで死にかけて心が折れて、そしてあの夜の学校でも何度も死にかけたのだ。
「でもさー、今見ると、どーも違うんだよねえ。呪力もまあ、最低限はあるし、なんだか頭のネジも一本二本飛んだみたいに見えるよ」
あまりにも口が悪い。
咲来は不快感よりも居心地の悪さを感じながらも、この文脈では、もしかしてさほど馬鹿にされていないのでは、と思い直す。
実力も性格も向いていなかったのに、実力も最低限ついていてさらに呪術師らしい性格に近づいている。
そう言いたいのだろう。
「どっちがきっかけだろうなあ。トンネル? ≪獅子蟲≫? それともどっちも?」
あまりにも無遠慮。この二つの出来事は、咲来の心に未だに深い傷を残している。ズカズカと人のデリケートなところに気にせず土足で踏み込んでくる様は、傍若無人の言葉がよく似合っていた。
「……わかりません」
少し悩んで絞り出した答えは、曖昧なもの。
実際、その二つの出来事は咲来にとって大きなものになっているが、一方で、具体的にどうなったかというのは、自分ではわからなかった。
「ふーん、あっそう。ま、いいや」
彼の中では何か解決したらしい。悟はそこで話題を変える。
「それでさー、悠仁についてどう思った?」
「……はい?」
その話題転換は、あまりにも唐突だった。
訳が分からない。
だが、「この自分に聞いてきた」ということは、何かすでに察しているのは確かだ。
「その、宿儺の器? っていうのだとは聞いています。特級呪物を飲み込んでも大丈夫とかなんとか。……殉職したとは聞いていたんですが、生きていたんですね」
「ふーん、で、どう思うって聞いてんだけど」
「えーっと……」
どこまで見透かされているのか。
咲来は冷や汗を垂らしながら、ひとまず、素直な第一印象を答えた。
「えっと、釘崎さんとかもそうですけど、東京の子は髪色が派手だなぁ、って」
直後、気まずい沈黙が流れる。
悟はポカンとして、咲来はどうなるのかと緊張している。
そんな時間が、数秒。
「――――――あっはっはっは、何それ! あははははは!!!」
そんな沈黙を破ったのは、悟の大笑いだった。
「確かにそうだね! あはははは!!!」
その様子を見て、咲来は戸惑う。誤魔化せた、のだろうか。それにしたって、ここまで笑われる理由が分からない。何のツボにはまったのだろうか。
「ちなみに、悠仁も野薔薇も東北出身の、いわば田舎者だよ。なんなら悠仁は、ああ見えて地毛」
「えええええええええ!?」
咲来は驚きのあまり、素っ頓狂な大声を出した。それに反応した歌姫が部屋に飛び込んで拳を構えたが、二人の様子を見て、すごすごと戻っていく。
あれで東北出身? あれで地毛?
山陰・山陽地方では指折りの都会(自称)である広島出身の咲来としては、そのあか抜け具合にびっくりした。そして悠仁の二色ヘアーが地毛であることもびっくりである。
「ま、僕からすれば、えっと、京都のいい子そうな子、えーっと」
「霞ちゃんですか?」
「そう! その子の方が地毛変わってるけどね」
「た、確かに……」
一瞬で仲良くなったし、それからすぐに慣れたので、あまり違和感を感じなかった。
言われてみれば相当珍しい。人間の髪の毛どころか、動物の毛すら、自然にあんな鮮やかな水色や青色になることはそうそうないだろう。考えるほど、まるでアニメの住人だった。
「ま、それは置いておくとして。もう別に隠さなくていいよ。七海から全部聞いているんでしょ?」
「……知ってたんですか…………」
「まあ、君に話したよって七海から聞いていたしね」
どうやら、からかわれていたらしい。
咲来は疲労感を覚えてがっくりと肩を落としながらも、安心する。
――あの出来事以来、七海とは、頻繁に連絡を取り合っていた。
もっぱらメッセージは咲来から送るし、七海からの返事も簡素なもの。それでも、むしろそこが七海らしいし、そう悪くは思われていないことを知っているので、遠慮せずやり取りをしていた。
その中で、つい先日。
珍しく向こうから電話で話そうと言われて、ドキドキしながら応じたら聞かされたのが、悠仁の話だった。
悠仁が高専に入学した経緯と、表向きは殉職したこと。そして色々あって生き返って裏でこっそり活動していたこと。それに七海が協力したことと、≪獅子蟲≫以上の特級呪霊がかかわった事件の顛末。悠仁の人となり。それと、良かったら仲良くしてあげてほしいというお願い。
おそらく歌姫や学長クラスですら知り得ない超重要機密のオンパレードに押しつぶされそうになったが、何はともあれ、七海からの珍しいお願いだ。内容も結局のところは「仲良くしてください」だけなので、聞いたことを秘密にすれば良いだけで、前向きにとらえていた。
「どうやら七海ったら、あの時のことで相当君の事気に入ったみたいでさ。結構、君のこと話してくるんだよね」
「そうですか? えへへへ……」
咲来は照れながら笑う。
思ったよりも憎からず思われているようだ。
考えてみれば、七海から聞く悟の話も、とんでもない人だというのが大半だったが、その端々には親しさも感じられた。悟から極秘に頼まれるということは、仲が良いのだろう。
それなら、警戒する必要はない。
「それで、さっきの質問についてですけれど」
先ほどまでと違って穏やかに。
咲来は柔らかく笑いながら、悠仁をどう思っているか、正直に答えた。
「明るくて、いい人そうだな、って思いますよ」
そんな当たり障りのない評価が、悟にとっては、とても嬉しかった。
こんな穏やかな会話が為されているのと同時刻。悠仁の人となりを知らない京都校のミーティングで、暗殺計画が練られていたのは、皮肉な話である。
†††
「みんな、頑張れー」
ついに姉妹校交流戦が開幕し、一回戦である団体戦、「チキチキ呪霊討伐猛レース」が始まった。
不参加者である咲来は、歌姫たち大人組と一緒に、バックヤードで呑気に観戦である。不相応なふかふかの椅子は心地よいが、なんだか心地悪くもあった。
皆が頑張っている中で一人観戦と言うのは、中々に気が引ける。3級呪霊を沢山狩るのが有利と言うゲーム性から見ても、咲来にそこそこ適性があるゲームだ。とはいえ、対人要素もあるこれは、咲来の術式は向かない。開始直前に霞から、相手メンバーの大まかな能力を聴いたうえで相談され、二言三言役に立つか立たないか分からないアドバイスをした程度しか貢献できていないので、せめて応援はしっかりすることにした。
急に訓示を求められたせいでグダグダなことしか言えず落ち込んでいる歌姫を慰めながら、協力者らしい冥冥の術式によるリアルタイムカメラで、戦況を確認する。
両校、開始直後はまとまって行動している。
ただ一人を除いて。
『よおおおし! 全員いるな! まとめてかかってこい!!!』
「東堂先輩、相変わらずエキサイトしてる……」
へにゃ、と苦笑いが漏れる。実に東堂らしい単独行動だ。
それに対する東京校の対応はスムーズ。悠仁が単独で東堂に一撃を入れた間に、バランスよく二組に分かれた。
「え、虎杖君が東堂先輩を一人で!?」
思わず声が出る。
七海から聞く限りでは、少なくとも自分よりは強いのは知っているが、それでも一年生が東堂とタイマンで渡り合えるわけがない。下手をすれば大怪我だ。
「心配しなくてもいいよー。呪力なしの殴り合いなら、葵より強いから」
「ええ……」
悟の言うことは、およそ信じられない。
咲来からすれば、東堂の身体能力は、呪力抜きでも化け物だ。呪力有の二年生女子三人がかりで挑んでも、呪力なしでボコボコにされる。そんな彼を上回る身体能力を持つ人間が、この世にいるとは思えなかった。
「歌姫先生、私もやっぱり、体力とか鍛えた方がいいんですかね」
「あー、結局フィジカルが全ての基礎だからな」
咲来が見るに、呪術師として強い人は、そもそも身体能力が高い。あの華奢で可愛らしいお人形さんみたいな桃も、2級術師であるだけあって、体格差で大きく勝るはずの真依や霞より運動能力がある。真依はまだしも、霞なんかは近接ファイターなのに、空中からの陽動・偵察・遠距離攻撃が役割の桃が勝つのは、身体能力がいかに重要かを物語る。
その点で言うと、咲来は実に弱い。京都校メンバーの中での身体能力勝負は常に圧倒的ビリだし、先の様子を見るに、東京校のメンバー全員にも完敗するだろう。一般人の中だったら無意識の呪力強化で無双していたが、この世界では、咲来はあまりにも貧弱なのである。
さて、そうこうしているうちに、試合は展開していく。
「あ、あの、すみません! 京都校のみんなって映せますか?」
遠慮がちに、カメラ係である冥冥に問いかける。
「すまないね、お嬢ちゃん。動物は気まぐれだからさ」
「あ、はい……無理を言ってごめんなさい」
「気にしてないよ」
「いくら積んだの? おじーちゃん?」
「なんのことかの?」
初対面の子供からのお願いでも、冥冥は余裕の笑みを浮かべるだけ。そんな会話の裏で、楽巌寺と悟が何か剣呑な雰囲気を出しているが、いまいちよく分からなかった。
あんな見た目だが楽巌寺は真面目だ、軽薄な悟とはソリが合わないのかもしれない。
そんな勘違いをしつつ、画面に目を戻す。なんやかんや冥冥が気を利かせてくれたみたいで、京都校のメンバーが映り始めた。
位置関係からして、ひとまず一人減らそうと未知の戦力である悠仁に全員でかかったらしい。今それぞれ散っているのは、おそらく東堂がタイマンを望んで、仲間割れでも始めたのだろう。信じられないことに、東堂と悠仁は、互角に戦っていた。それとなんだか、東堂が嬉しそうだ。対等な相手と珍しく戦えて、ハイになっているのかもしれない。東堂の存在しない記憶については、知る由もなかった。
「あ、霞ちゃんが戦ってる! 相手は……真依ちゃんのお姉ちゃんかあ」
咲来は身を乗り出す。二人はすぐには戦わず、何やらお互いに向き合いながら会話をしていた。霞の表情が暗いのがとても気になるが、すぐに気を持ち直した様子だ。
真依の話を聞くに、真希は4級術師。呪力が無く、呪具に頼って呪霊を祓っているらしい。雑魚、ととんでもない言い様だった。
「真依ちゃんのお姉ちゃん……真希さんって、どんな方なんですか?」
とはいえ、真依の様子からして、姉のことを憎んでいる。ただ憎しみだけとは思えないが、それはともかく憎んでいるのは確かで、そんな相手への真依の評価は、当てにならない。少なくとも人に話す分には、相当強がって悪口を言うだろう。長い付き合いなので、そこはよくわかっていた。
だから、確認する。聞いた相手は、悟と夜蛾学長だ。
「結構強いよ。呪力はないけど、それが天与呪縛になって、すんごい身体能力なんだ。等級は禪院家に妨害されて4級だけど、最低でも2級レベルはあるね」
「え、それじゃあ……」
悟の回答に、咲来は顔を青くする。
霞はシン・陰流こそ習得しているが、術式は持っていない。対人間同士の肉弾戦となればシン・陰流はあまり効果がなく、純粋な体力勝負となる。
そんな彼女に、呪力なしで2級呪霊を簡単に祓えるという真希がマッチングした。未だ3級術師の霞では、およそ勝ち目がない。
(霞ちゃん、頑張れ!)
咲来は両手を組んで、ギュッと目をつむりながら応援する。
――霞の家は、酷く貧乏だ。
中学生の段階で闇アルバイトをして家計を助け、中学を卒業したら風俗で春を売るほかない。そんなところに、呪力があったことを理由に師範にスカウトされて、学生の身分でありながら中々の給料が出る呪術師になった。
そんな彼女は、出世欲や名誉欲や権力欲こそないが、等級が上がることを望んでいる。等級によって、給料が大きく違うからだ。
この交流戦は、権力者や教員などの目に留まる良い機会となる。ここで活躍して等級を上げたいから、霞は珍しくとても張り切っていたのだ。
咲来としては、そんな健気な親友には、ぜひ活躍してもらって、等級が上がって欲しい。
だが、そんな霞の前に立ちはだかったのが、天与呪縛によるフィジカルギフテッドの真希である。
「あ、あー、頑張って、頑張って!」
周囲の大人の目など気にせず、咲来は身を乗り出して応援する。これまた冥冥が気を利かせてくれたみたいで、カラスも迫真のカメラワークで演出してくれていた。
その戦いは予想通り、一方的だった。元々白兵戦主体とはいえ防御型と言うこともあり、防戦一方。虎の子のシン・陰流を使っても一瞬で姿勢を崩され、投げ技を決められ、あげくに刀を奪われた。
「あー……」
完敗。はっきりいって、良いところなど全くなかった。真希の咬ませにしか見えない。しかも武器となる刀を奪われるという最悪の失態だ。意識こそあるが、これでは戦うこともできないだろう。実質リタイアだ。
画面の中で真っ白に燃え尽きて棒立ちになっている。
その隣の画面でも、動きがあった。
メカ丸とパンダ、人外同士の戦いが佳境を迎えていたのだ。
非常にもったいないことに立派な寺社仏閣を破壊しながら、両者は暴れまわっていた。そこに、一瞬の隙を突いたメカ丸が、パンダの脇腹に、細く収束させた衝撃波を放つ。それによってパンダは、ビクンッ、と一瞬体を跳ねさせ――そのまま力が抜けて、だらりと垂れ下がった。
とりあえず、メカ丸は勝ったようだ。
「……それで、あのパンダさんっていったい何なんですか?」
「呪骸じゃよ。夜蛾が生み出した、自由意志と知能を持つ突然変異呪骸じゃ」
答えてくれたのは、その親である夜蛾ではなく、楽巌寺学長だ。
「え、すごいですね! それって、何人も作ったら、とっても強くないですか!?」
今の映像を見るに、あのパンダはメカ丸とほぼ同格だ。等級は2級らしい。つまり、2級ないしは準1級の術師を、人工的に生産できるということである。呪術師の人手不足が一挙に解決しそうだ。
そんな咲来の明るい反応とは裏腹に、大人組はなんか反応が薄いし、なんなら少し剣呑な雰囲気にすらなっている。
何か悪いこと言っただろうか。咲来は冷や汗を流しながら、周囲の反応を伺った。
「……残念だが、さっき言った通り、パンダは突然変異なんだ。もう一度作れと言われても、どうやればいいか皆目見当がつかん」
「あ、そうなんですか、はい、すみません……」
深い深いため息を吐くように、夜蛾学長が説明してくれる。ただこれだけのことがなんでこんな雰囲気を作るのか分からないが、咲来は頭を下げて、画面に向き直った。
「……え?」
そこには、倒れたはずのパンダがピンピンしていて、メカ丸が倒れ伏している映像が流れていた。
咲来は訳が分からず、目が点になる。一体、少し目を離した間に、何があったのだろうか。
「呪骸ってさ、活動のための核があるんだ。メカ丸はそこを狙ったんだろうね。だけど、それがデコイで、パンダは無事だったんだろうね」
「…………東京の人ってすごいですね……」
「パンダは人じゃないけどね」
咲来は頭を抱える。これで京都サイドは二人戦闘不能だ。頼りの東堂は悠仁との戦いに夢中で、全く競技をするつもりがない。
それ以外の様子も、順調とは言い難かった。
不良っぽいガラの悪い一年生・野薔薇が、なんと三年生で2級術師である桃を相手にギリギリのところまで追い詰めた。結局は潜伏していた真依による異次元の狙撃によって勝ちはしたが、桃の消耗は大きい。そしてその真依も、因縁があるらしい姉との一対一が始まった。親友のことを信じてあげたいが、先ほどの霞の戦いを見るに、虎の子の≪構築術式≫を上手く決めないと勝ち目がないだろう。
そして頼りの加茂は、屋内で恵相手に楽しそうに、かつ有利に立ち回っている。なんか恵の方はげんなりしているが、加茂の天然でも発動しているのだろうか。そしてそんなことを考えているうちに、≪構築術式≫の手札を切ってもなお、真依が敗北した。銃弾を至近距離で掴むとは何事だろうか。
そして気になるのが、狗巻の動向だ。
先ほどパンダがメカ丸の懐を漁って奪ったスマートホンが、彼の手に握られている。
そして彼が操作すると同時に、自分のスマートホンを手に取ったのが――霞だ。
『はい、役立たず三輪です』
『眠れ』
勝負あったな。悟がニッと笑い、歌姫が残念そうに溜息をつく。
『あー、えっと……いたずら電話、ですよね?』
だが、画面の中の霞が寝ることはなかった。
狗巻は少し驚いて目を見開くが、即座にスマートホンの電源を切り、恵の式神である犬を伴って、あらかじめ場所を見定めておいた霞の元へ、細い体のわりに俊足で急行する。その気配を感じ取ったのか、霞はワタワタとしながらも、中々の逃げ足で逃走していった。
「霞ちゃん、あんまり意味なかったね……」
大人組が驚く中、咲来だけは、残念そうに溜息をついて呟いた。
「おい成宮、あれはなんなんだ?」
何か訳知りらしい彼女に、隣の歌姫が問いかける。
狗巻の≪呪言≫は強力で、一番似た音声データに変換されているだけに過ぎないはずの電話越しですら効果を発揮する。パンダがメカ丸のスマートホンを貰ったのは、これを京都校メンバーに行うためだ。誰がリタイアしたかは競技の性質上分かりにくくなっており、仲間からの通話で油断しやすいのを狙っているのである。
「えっと、始まる前に霞ちゃんからアドバイスを求められて……狗巻君が電話越しでも呪えるんだったら、電話出る時も耳を呪力で覆った方がいいかもって言ったんです」
京都校のメンバーは、一番等級が高い上にその活躍と強みが高名な狗巻を最も警戒していた。東京校メンバーの資料でも一番詳しくまとまっていたので、咲来はその可能性を、ポッとその場で思いついたのだ。
「まあでも……霞ちゃん、刀取られちゃったし、あまり意味ないですよね……」
咲来は嘆息する。
確かにそうだ。歌姫は、未来の補助監督として頼もしい閃きを発揮した咲来に感心しつつも、そこは残念に思った。
がんばれ三輪。個人戦で挽回しろ。
そんなことを脳内で口走ったその時。
――どの呪霊が祓われたかを示す札が、一斉に赤く燃えた
こそこそ話
アニメじゅじゅさんぽのように「好みのタイプは?」と聞かれたら、咲来は霞以上に照れながら、「真面目で頼りがいがあるタイプ」と答える
ただし実際は、その性格上、ほぼ確実にDVヒモダメ男に逆依存する未来が見えるので、霞・真依・桃が、裏でこっそり、ダメ男から咲来を守る誓いを立てている。