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時を同じくして。
呪術高専京都校の職員室で、歌姫は事務作業をしていた。
呪術師は常に人手不足。そんな人手不足を救ってくれる未来ある生徒たちを育てる機関だというのに、結局人手不足が祟って、教員の仕事は多い。東京校のバカ目隠しのように親しい補助監督に丸投げパワハラすれば楽をできるのだろうが、あいにくというべきか、歌姫はそのようなことをする性格ではなかった。
今作っているのは、一年生たちの前期の様子をまとめる報告書だ。本来彼女は二年生の担任で、これは一年生の担任がやるべき仕事なのだが、先日とある任務で怪我をしてしまい、彼女が代行している。こういったところにも人手不足が響いてくるのだ。
そういうわけでやらされているのだが、モチベーションは無くはない。今日は、普段は東京にいる家入硝子がたまたまこちらに仕事で来ているため、業務が終わった後は久しぶりに親友との食事――と表現するには酒が多いが――なのだ。それを楽しみに、この作業も順調に進んでいる。もっとも、家入が来ている理由と言うのが、この作業の原因でもある一年生担任の治療のためなのだが。
粗暴な口調とは裏腹にそれなりに几帳面な彼女は、自分が担当する二年生たちの分は終わらせている。三人とも呪術師として見ても性格に難あり――特に一人――だが、実力で言えば粒ぞろいだ。特に手間はかからなかった。
一年生の分も、霞、真依、メカ丸の報告書はもう終わらせている。これから取り掛かるのは、咲来のものだ。
顔写真付きの資料を眺めながら、ふっ、と歌姫は笑う。初めて会った時から、もう一年半だ。時の流れが速く感じる、から連想される悍ましい事実――自分の年齢――から目を逸らしつつ、なつかしさに浸る。
呪力と術式を持っていて、幼いころから自分の意思で呪霊を祓っていた、ただの女の子。
その動機は、「人助け」。そこに、咲来は、確固たるやりがいを覚えていた。いくら力を持っていても、あのグロテスクな呪霊と、ただの女の子が自分から戦おうとするのは、中々ないことだ。その動機が人助けとなれば、なんとも頼もしいと思ったものである。強力な術式も持っていたので、あのボロ神社と弱り切った呪霊を吹っ飛ばすのを見た瞬間、歌姫は、人手不足である呪術界の未来を任せられると思って、スカウトすることにした。
一方で、そこに危うさも感じていた。
まずは、分かりやすい危険。
当時の彼女は、術式こそ強力だが、あらゆる点で未熟だった。これまで運が良かっただけで、ほんの少し本格的な――4級上位クラス――呪霊に出会えば、むごたらしく死んでいただろう。歌姫がスカウトしたのは、そんな彼女を保護する意味もある。
それともう一つ。
頼もしさの裏返しだ。
彼女の動機は「人助け」。それ自体は立派なことではあるが、この「呪いの世界」において、それがモチベーションと言うのは、不安定さを感じる。
そもそも、「呪い」は人が負の感情から生み出したものだ。それによって起こることに、良いことなんて一つもない。
呪術師の使命は非術師を守ることだが、「守れたら幸運」であるのが現実。人助けをしようとしても、助けられないことの方が多い。
それに、人の負の感情に嫌でも直面し続けるため、「人を助ける」ことそのものに、疑念が生じることすらあるだろう。
――とても強い後輩が、そのせいで呪詛師に身を落とした。
非術師を助けるのが使命だ、という、お手本のような呪術師だったが、醜い現実に直面し続けて、それが、裏返った。
言ってしまえば、咲来の動機は、大きな不安定さを絡んでいる。
もし、助ける対象への嫌悪感が募ったら。
もし、助けられなかったら。
もし、助けるどころか自分のせいで傷つけてしまったら。
――咲来は、どうなってしまうのか。
そうして頭によぎるのは、東京校の学長の方針と、そこの教師である憎たらしいバカ目隠しから言われたこと。
「……いや」
首を振る。
色々不安はあるが、咲来が頼もしい呪術師の卵であることは間違いない。それに、不安定さを孕むからこそ、スカウトして保護する意義がある。厳しい現実を乗り越えた呪術師の先輩がいるほうが、彼女が折れる可能性を減らせるからだ。
――呪詛師になった後輩のリベンジを、あの子に仮託しているだけじゃないか?
一瞬、嫌な自認がよぎるが、それも首を振って払う。
そしてそんな不安を消し去るように、彼女は総合評価欄にもともと書こうと思っていたことを入力しはじめた――
「なんだ、こんな時に」
――直後、作業に使っているパソコンに、メールが入ってきた。
いつもなら後回しにするが、目についた件名が、それを許さなかった。
【注意】、とついている。
メールには通常の他に、注意、警戒、緊急、非常事態、などの段階がある。
緊急・非常事態は、電話や校内放送、警報が使われるレベルの出来事が起こった時であり、メールはそれの付随資料だ。
一方、注意・警戒はその前段階で、今すぐ危急に動くほどではないが、すぐに目にいれておくべき内容だ。似たようなものとして【至急】もあるが、そちらは事務的な意味での急ぎである。
【注意】である以上、今すぐ読まなければならない。歌姫は作業を中断し、それを開く。
そしてその中身を一瞬で読み終えると同時に――
「おい! 今すぐ出せる車はあるか!?」
――嫌な予感が駆け巡った。
すぐに立ち上がり、自分も準備をしながら、職員室にいる補助監督に声をかける。
「今日は東堂と加茂とメカ丸も非番だったはずだ! すぐに呼び出せ!」
自分一人では足りないかもしれない。三人のうち、誰か一人でも来てくれればありがたい。
にわかにあわただしくなる。1級術師が揃う教師陣の中では劣るとはいえ、彼女も準1級術師だ。そんな彼女がここまで慌てるからには、とんでもないことが起きる可能性が高い。周囲も焦らずとも急いで、冷静に指示に従い、動いていく。
――セキュリティ上危ない話だが、慌てていた歌姫は、パソコンをログアウトどころか、画面すら付けっぱなしであった。
――そこには、送られてきたメールの内容が、映し出されたままになっている。
件名:【注意】西宮桃、禪院真依、三輪霞、成宮咲来の任務先について
調査の結果、新たな事実がわかりました。
ホラースポットになった原因は、トンネル工事までの経緯にもありそうです。
元々予定地にはさびれた寺があり、管理者こそすでにいなくなっていましたが、近隣集落で親しまれていました。工事の話が入ると近隣住民は反対しましたが、工事は強行されました。
その工事の途中、ずさんな管理のせいで落盤事故が起き、作業員一名が死亡しています。近隣住民から祟りと脅されましたが、その後は対策をしたこともあって無事に完成しました。
・寺を潰して無理やりトンネルを作った点
・落盤事故で死者が出ている点
この二点が、ホラースポットとなった原因になっていそうです。
ただの雰囲気によるホラースポットと比べ、人々の負の感情が集まりやすい状況です。
これにより、もし呪霊が発生していた場合、予想よりも強力なものである可能性もあります。
同内容の連絡を、現地の四人および補助監督にも送っています。
準備をしながら、スマートホンを取り出し、咲来たちに電話をかける。
山中の、しかもトンネル内を調査しているからか、電話がつながることはなかった。恐らく、メールも届いていないだろう。
「……今時、あの程度のトンネルで繋がらないなんてことがあるか!?」
歌姫は叫ぶ。
――すでに彼女たちは、呪いの領域に引き込まれている。
†††
「危ない!」
霞がとっさに、咲来に向かって鋭く踏み込みながら、居合切りを放った。
「ちょっ!?」
訳も分からず、咲来はとっさに避ける。そのせいでバランスを崩し転んでしまった。
直後、激しい衝突音が鳴る。金属と金属がぶつかり合う音だ。
咲来が見上げる先では、霞の刀とツルハシが、お互いに押し合っていた。
「呪霊!?」
「咲来ちゃんはこっち!」
パニックになった咲来を、桃が無理やり引っ張って回収し、自分が乗ってる箒の後ろに乱暴に乗せ、宙に飛び上がって一時離脱する。
「わ、きゃあ!?」
「いい加減慣れてよね!」
かろうじて掴まって振り落とされなかった咲来に、桃が苛立たし気に叫ぶ。
真依の銃と違って狙いをつける必要が少ないタイプの遠距離型の咲来は、桃の箒に乗って後方上空から戦うことができる。その相性の良さから二人はこうして組むことが何度かあったが、未だに細い棒一本で宙を飛ぶこの感覚に、咲来が慣れることはなかった。可愛い後輩ではあるが、毎度毎度すぐ後ろで叫ぶのは勘弁してほしいものだ。とはいえ今声を荒げているのは、急な非常事態であるからと言うのが大きい。
「離れなさい、霞!」
咲来と違いすぐに対処に移れた真依が、霞とつばぜり合いめいたことをし続けているツルハシに呪力を籠めた弾丸を放つ。金属同士の衝突なので近くにいる霞に跳弾が当たる危険はあるように見えて、それはない。むしろ跳弾する先は、呪霊の口の中だ。
そう、ツルハシは、呪霊が持っているものではない。
呪霊の全体像が、暗いトンネルの中でもようやく見えてくる。
その体躯は巨大で、ワンボックスカーと同程度のサイズだ。暗い紫と深緑の中間のような形容しがたい汚らしい色をしていて、ぶよぶよとうごめいている。手足のようなものは無く、巨大な球体が宙に浮いているような格好だ。身体の各所からはまるで大きな石で殴られたように潰れた人間の頭が生えていて、それらはグロテスクな見た目とはアンマッチに、人工的な黄色いヘルメットをかぶっている。
そして特徴的なのが、ツルハシだ。
なんと、それは呪霊の歯。大きく開けた口には、まるで鋭い牙のように、上下に鈍く光るツルハシが無数に生えているのだ。
「さっきまで気配はしなかったのに!」
跳弾を口の中に放り込まれても効いた様子はない。それでも追撃をかけるべく、桃が箒を操って突風を発生させる。大きく開けた口にもろに風を受けてしまい押された呪霊は少し怯むが、それでも気にせずに、目の前の霞を食らおうとする。
「シン・陰流、≪抜刀≫!」
霞はそれを持ち前の瞬発力では避けず、正面から受けて立つ。ただしツルハシと打ち合っては日本刀の刃は負けてしまうため、峰で受けている。
「霞ちゃんはそのまま下がって!」
ようやく状況を受け止められた咲来が、呪霊の背後に、上空から、腰のポーチから取り出した金属球を投げる。それと同時に、霞はぶつかり合った勢いを利用して大きく後ろに跳び、距離を取った。
――直後、トンネル内に、爆発音が響き渡る。
咲来の≪爆散≫が発動した。今投げた金属球は、任務が無い日に毎日一個ずつ、真依が≪構築術式≫でこつこつと作ってきたものだ。弾丸と違って構造が複雑ではないため、以前奈良の山で鹿の呪霊に放った鉛玉よりも質量が大きく、爆発の規模が大きい。
「…………これでもダメみたい」
咲来が小さく漏らす。さすがに少しは効いているように見えなくもないが、その呪霊は無傷だった。3級どころか2級でもあの爆発は相当に痛いはず。巨体にふさわしく、タフなのだろう。
「想像よりも大物が出てきたわね」
「だとしたら、もっと被害が大きくてもいいはずなんですけど」
真依の呟きに、霞が震えた声で反応をする。楽な任務で終わると思ったら、こちらが現状出せる最大火力の一角を余裕で耐えられてしまった。霞の声音は、そのことに驚きと不満を抱いている証だ。
一方真依はと言うと、もっと深いことを考えている。数か月かけて襲ったのは三人だけと言うのは、この強さににしてはおかしい。呪霊は欲望に忠実なので、もっと無差別に人を喰っているはずだ。
考えられるのは、それが呪霊にとっての何かしらの「縛り」になっていること。
とはいえ、それを考えている暇はないし、分かったところでどうしようもない。今はとりあえず、逃げるのが先決だ。
そう思って、真依は出口の方を振り返る。方向感覚と距離感覚はばっちりで、今は入ってきた方とは反対側の方がトンネルを出るうえでは近いはずだ。
――しかしそこに、トンネルの続きは無かった。
いや、もはやここは、「トンネルではない」。
周囲を見回しても、ぱっと見は普通のトンネルだ。
だが、元々のトンネルとは違う。
人工的なすべすべした壁や天井は、まるで工事途中のようにごつごつとしていて土が露出している。落書きもない。また、入り口や出口のようなものは無く、進んできた道にも、これから進もうとしていた道にも、大量のがれきが落ちていて、塞がっている。
「嘘!? 生得領域!?」
経験豊富な桃が、この異常事態の正体を即座に看破した。
生得領域。生まれながらに持つ「心の中」ともいうべきものが、現実に具現化した領域。
並の呪霊や術師では、これを展開させることはできない。京都校最高戦力の術師である東堂や楽巌寺ですら不可能だろう。
それを展開しているということは、つまり――なんらかの術式を持っているうえに、1級術師である楽巌寺よりも同格以上である、ということだ。
「■◆●▼▲――!!!」
呪霊が咆えて、霞や真依を無視し、宙を飛ぶ咲来たちに一直線に向かってくる。巨体だというのにその速度はすさまじく、さながら砲弾だ。
「当たるわけないでしょ!」
桃は即座に箒を操って回避し、すれ違いざまにその体へと蹴りを叩き込む。踏ん張りがきかず姿勢も良くなくまた小柄な女の子の細い足だが、呪力で強化されたその蹴りの威力は強く、呪霊の体にめり込む。それでも少し体勢が崩れる程度にしかならなかったが、メインの目的であったその反動によって、距離を取ることに成功した。
「ここは相性悪すぎるでしょ、桃!」
「そもそもこんなところに派遣されたのが不思議なぐらいにね!」
真依と桃が軽口を叩きあいながら、弾丸と突風を呪霊に浴びせる。桃の本領は自由に浮遊できることを活かした高所からの一方的な戦闘や索敵であり、こうした閉鎖空間には弱い。仮に生得領域が無くても、トンネルでも発揮できなかっただろう。それでも派遣された理由は、トンネルがほぼ直線なので、障害物が無く離脱が最速でできるからだった。
だがそんな利点も、逃げ道が塞がれた今は全く意味がない。咲来たちは、完全に、呪霊に閉じ込められたのだ。
突風も弾丸も、やはりそこまで効果は無い。呪霊はUターンして、また咲来と桃に向かって突っ込んでくる。どうやら、今のところ最大火力を見せている咲来に狙いを定めているらしい。だが、この距離と速度なら、桃は余裕で躱せ――
「も、桃先輩?」
――しかしいつまでたっても、桃は動こうとしない。呪霊の巨体が、みるみる迫ってくる。
「――!!!」
咲来は声にならない悲鳴を上げた。なぜだかわからないが、桃は動けないようだ。死の恐怖が、咲来の心を覆いつくす。
――直後、景色が変わった。
「ぴっ!?」
ものすごい勢いで引っ張られ、情けない悲鳴が漏れる。桃が、急に箒をこれまでにない速度で発進させたのだ。
これにより、ギリギリながらも呪霊の突撃を回避することができた。勢いを殺すことができず、呪霊は地面に激突し、爆音とともにクレーターを作る。すさまじい勢いで砂礫が飛び散るが、咲来と桃はその圏内からはとっくに脱出できている。
「これならどう!」
桃が急旋回して呪霊に向き直り、箒を操って突風を巻き起こす。今度はただの風ではなく、咲来の爆発と呪霊の突撃による砂礫がそれに乗せられ、鋭い刃と弾丸となって襲い掛かった。
桃はあえて直前まで引きつけることで、呪霊の激突によるダメージと、それによって発生する砂礫を狙っていたのだ。どうやらこの呪霊、1級クラスのフィジカルと呪力を持っているが、そこまで賢くはないらしい。
「まだまだ!」
さらに反対側から、霞が斬りかかる。呪霊の体が盾になって、砂礫が当たることはない。先ほどのように居合の強い一撃ではなくただの袈裟斬りで威力は低いが、今はこれで十分。まるで斬首するかのように、呪霊から生えるヘルメットがついた潰れた頭を切り落とす。
「こっちもあるわよ!」
さらに真依が弾丸を一気に三発放つ。それらは寸分たがわず同じヘルメットの同じ場所に当たり、一発目でひび割れを起こさせ、二発目でさらに罅を拡大させ、三発目で完全に破壊する。
霞と真依は、この短時間である程度の方針を立てた。ぶよぶよした見た目通り、本体は衝撃には強いが固くはない。とびきり厄介なのがツルハシの牙で、こちらは対処不可能。だがヘルメットは斬り落としたり破壊したりすることで剥がすことができる。そうして本体が露出している部分を増やし、攻撃を通しやすくする作戦だ。
「私だって!」
そして咲来もようやく動き出す。砂礫に乗じて金属球を放り投げ、呪霊の口の中に放り込む。そして霞が距離を取ったタイミングで、それをまた爆発させた。
『▼▲■◆●▲●▼――!!!』
呪霊が、岩同士がこすれ合うような独特の不快な声で叫びながら悶える。体内で起きた大きな爆発は、さしもの1級相当の呪霊にも響いたようだ。大口が開いていたため爆風の大部分が逃げてしまったが、それでも絶大。その隙を見逃さず、霞と真依がさらに追い打ちをかけ、ヘルメットをはがしていく。
(いけそう!)
最初は絶望したが、目に見えて効き始めている。こちらが一方的に攻めている形だ。
咲来は少しだけ口角を上げて頷く。これなら、このまま祓えそうだ。
『―――――!!!!!!!』
そしてそんな希望を吹き飛ばすように、呪霊が咆えた。
先ほどの岩同士がこすれ合うような声ではない。遠くから人が泣き叫んでいるような、それでいてトンネル中に響き渡る、本能的に不快な声。
直後、天井が崩れた。
「危ない!」
無数の瓦礫が降り注いでくる。まず最初に、空中を飛ぶ咲来と桃に襲い掛かる。唖然として頭が真っ白になった咲来を、桃が箒を思い切り振るうことで投げ飛ばし、迫る瓦礫から離れさせる。投げ出された咲来は、塞がっている端のギリギリまで飛ばされる。その衝撃で丈夫なはずの制服はボロボロだし、呪力でできた金属球やその他道具を入れていたポーチも壊れて外れかけている。それでも、瓦礫の雨から逃れることができた。
だが、彼女を助けたせいで桃自身の避難が遅れる。それでもすさまじい反射神経で身体への直撃は避けたが、箒には当たってしまった。瓦礫に押された箒の後ろ部分は、グン、と一気に下へと押し込まれる。その反動で、桃の乗る部分はまるでシーソーのように勢いよく持ち上がり、彼女はそれで投げ出されてしまった。そして不幸なことに、降り注いでいる途中の別の瓦礫に強く衝突してしまい、一緒に力なく墜落する。それと同時に箒も制御を失って力なく地面にポトリと落ちて、次々落ちてくる瓦礫にへし折られてしまった。
また、真依と霞も深刻だ。二人とも走って逃れようとするが間に合わず、呪力で全身を強化し、さらに頭を腕でガードしてうずくまる。そこへと容赦なく、無数の瓦礫が降り注いだ。
「みんなっ!?」
咲来が悲痛な悲鳴を漏らすが、全く意味をなさない。瓦礫が降り注ぐ爆音と、かすかに聞こえる霞たちの悲鳴。腰を抜かしたまま立ち上がることすらできない彼女は、全くの無力だった。
これこそが、この呪霊の術式。トンネルと言う閉鎖空間で、天井から無数の瓦礫を降らせる。呪霊自身は一番頑丈な歯で受けるべく上を向き、また自分の周辺を薄くすることで制御して、無傷だ。
やはり、1級相当の呪霊だ。満足げに嗤って追撃しようとしないその姿に高い知性こそ感じないが、先ほどまで突撃だけしかしなかったのは、そのフィジカルだけで十分だと思ったからに過ぎなかった。奥の手であろう術式はかなり強力だ。呪力ガード込みでも、広範囲の多人数を戦闘不能、もしくは即死や瀕死に一瞬で追い込むことができる。
術式があるというだけで準1級扱いが基本だというのに、これほどの規模だ。1級の中でも上の方だろう。
「そん、な……」
身体が、声が、震える。目からは涙がこぼれ落ち、悲惨な光景が滲んでいく。
人助け。
呪術師となる前からの理由であり、呪術師になった理由であり、呪術師となった後の理由でもある。
しかし、彼女は今、どうあがいても、それをすることができない。
力不足。彼女は、人を助けると豪語するには――あまりにも、弱かった。
多くの人を助けたい。
だが、真の脅威の前では、身近な親友や先輩すら助けることができない。
ひとしきり嗤って満足した呪霊が、こちらを向く。目のようなものは無いが、その口の形から、嘲るように見下しているのが分かった。だが、それがわかったところで、どうしようもない。
死ぬ。
何よりも根源的な恐怖が、思考を覆いつくした。
絶望と恐怖が、さらに全身の力を奪い、震えを強くする。もはや咲来は立ち上がるどころか、体を起こしていることすら精いっぱいだ。
そんな咲来の眼前で、呪霊がまた天井を見上げる。
そこには、ひときわ大きな瓦礫が三つ、浮かんでいた。
咲来は分かってしまう。悲惨な先ほどの光景は、脳と目にこびりついていた。
あの巨大な瓦礫の真下には、霞たちが埋もれている。
呪霊はあれを落として、三人に止めを刺すつもりだ。咲来の目の前で、咲来に見せつけるように。
「だ、だめ……」
力のない声が口から洩れる。手を伸ばし、ふらふらと立ち上がり、おぼつかない足取りで歩きだす。
一歩、二歩、三歩……四歩、五歩…………六歩。
ゆっくり、ゆっくり、咲来は、何ができるわけでもないのに、呪霊に向かって歩くことしかできない。
そんな彼女を、あえて瓦礫を落とさないで待ちながら、ニタニタ笑いながら見下す。
そして、ついに呪霊に手が届こうかと言う直前。
「――っ!」
呪霊が少し体を動かし、足元の瓦礫を咲来に飛ばした。ほんの小突く程度の勢いだったが、今の力が抜けた咲来には避けることもできないし、耐えることもできない。声にならない悲鳴を漏らし、倒れる。
「いや……だめ、おねがい……」
情けなく懇願する。
――親友二人が。
こんなこと、意味がないことも分かっている。
――可愛がってくれた先輩が。
それでも、こうすることしかできない。
――死んでしまう。
彼女は、あまりにも弱かった。
――助けられない。
『●▼▲◆●■――!!!』
呪霊が大口開けて、嗤う。
それと同時に、空中の大きな瓦礫が、ほんの少し、持ち上がった。
もうすぐ、落とされる。
霞が、真依が、桃が、殺される。
助けられない。
「いやああああああああああああああ!!!!!!」
甲高い悲鳴を上げる。
そしてとっさに、落下の衝撃で外れかけていたポーチを腰から外し、呪霊に投げつけた。
落とすのに夢中な呪霊はそれに気づかない。
嗤うために開いた大口に、何本も並んだツルハシの隙間を通って、ポーチが入り込む。
「――――――!!!」
先ほどの呪霊もかくやと言うほどの、意味をなさない金切り声で悲鳴を上げながら、ギュッと目をつむり、全身に力を籠める。
世界が、弾けた。
視界が真っ黒に染まる。黒と緑が混ざった衝撃の奔流が、トンネル中を覆いつくす。
呪霊を、瓦礫を、壁を、天井を、咲来を、霞を、真依を、桃を。
無差別に、暴力的な爆風が、全てを吹き飛ばした。
†††
八月半ばのうだるようなうんざりする暑さ。
だが、呪術高専の職員室はクーラーが効いている。
それでも庵歌姫は、あまりの憂鬱さに、深い、深い、ため息をついた。
今まででも屈指の気乗りしない仕事だ。
八月初旬。京都校一年生の4級術師である咲来、霞、真依と、二年生の桃が、京都府内のトンネルへと調査に向かった。
今書いているのは、その詳しい事後報告書だ。
あのトンネルには、予想外の強い呪霊がいた。
1級相当。それも術式もフィジカルも呪力も強力で、しかも遭遇したのはその呪霊のホームグラウンドであるトンネル内。
当然、勝てるわけがない。
実際、東堂、加茂、メカ丸を連れて歌姫が現場についた時は、酷いありさまだった。
目についたのは、大量の瓦礫と、その中で倒れる、ボロボロの四人。
西宮桃、重傷。全身に軽度の骨折、内臓損傷、無数の打撲と切り傷。
一番軽傷だった桃ですらこのありさま。一年生三人は、もっとひどかった。
禪院真依、重体。全身裂傷、内臓損傷、数か所重度の骨折。左足首から先は潰れていた。
三輪霞、重体。全身裂傷、内臓破裂、全身に重度の骨折。右足が根元からちぎれていた。
成宮咲来、重体。全身裂傷・打撲、内臓破裂、全身に重度の骨折。右膝から先と左肘から先がちぎれていた。
桃以外は瀕死で、まだ生きているのが不思議なほどだった。
幸い、医療と治癒に使える≪反転術式≫のエキスパートである家入硝子が京都に来ていたため、迅速な治療が間に合い、全員一命をとりとめた。それどころか、今は全員が五体満足であり、傷もほとんどない。治療を早く済ませ、また家入が過去これ以上ないほどに頑張ってくれたおかげだ。療養とリハビリが必要だが、今後も家入によるケアもあれば、夏休み終了となる九月半ばまでには復帰が可能だ。
それでも、歌姫の気分は、これ以上ないほど沈んでいる。
身体上は、復帰可能。
これ自体は、喜ばしいことだ。
それでも、「心」は、そうはいかないものである。
成宮咲来が、自主退学を申し出てきたのは、つい先ほどの事だった。
†††
一番軽傷だった桃が最初に目覚め、最後の最後まで意識を保っていた彼女が、起きたことを証言してくれた。
入り口にだけ残穢を感じたこと。トンネル内で気配もなくいきなり襲われ、さらにいつのまにか生得領域に取り込まれていたこと。急に強力な術式を発動し、全員が戦闘不能になったこと。
そして、咲来が、呪力を暴走させたこと。
生物はだれしも、限界を超えて無理が出ないよう、無意識に力をセーブしている。呪力に関しても同じで、特に呪術師は、術式が暴走しないよう、無意識を超えてさらに意識的にセーブすることを求められる。
例えば咲来の場合。本人の能力の限界と言う面が強いが、制御範囲内に収めるとしたら、≪爆散≫できるのは一度に一つまで、呪力質量はせいぜいスマートホン程度、連発は出来ず数秒のタイムラグがある。
だが、あの時。限界まで追い込まれた咲来は、呪力を暴走させてしまった。
ポーチの中に入っていた金属球は二十七個。それらが一気に、呪霊の体内で爆発した。一個だけでもかなりの爆発だが、それが一気に二十七個。
しかし、それだけに収まらない。
なんと咲来は、自身の限界をはるかに超え――呪霊が生み出した瓦礫すらも、≪爆散≫させた。
そう、あの瓦礫は、術式によって天井から崩れてきたものではなかった。仕組みとしては真依の≪構築術式≫と同じで、呪力によって大量の瓦礫を生成していたのだ。真依の≪構築術式≫は呪力の範囲でなら何でも作れるが、あの呪霊の場合は、瓦礫しか作れない代わりに、一瞬で大量に作れるのだろう。
当然、≪構築術式≫と同じく、もはやコントロールから外れたものだ。咲来の≪爆散≫の対象になりうる。
暴走した咲来の呪力と術式はそれらをも≪爆散≫させ、甚大な爆発を生み出した。
規模から逆算するに、呪霊のそばにあった、拳大から顔面大ほどの瓦礫を十数個。
結果、その大爆発によって呪霊は消し飛んで、祓われた。
だがその爆発は、咲来自身、そして霞たちも巻き込んだ。
こうした証言や家入の検証を合わせると――四人の大怪我の原因の大半は、咲来の≪爆散≫によるものだ。
呪力でガードしていたから、瓦礫によるダメージは、せいぜい全身裂傷と打撲、軽度の骨折程度。
だが、暴走した≪爆散≫による爆発の威力は、すさまじいものだった。
内臓損傷・破裂、重度の骨折、身体欠損。
こうした瀕死の重傷は――呪霊ではなく、咲来が負わせたものだった。
目が覚めた咲来は、それを知り、酷くショックを受けた。このことは本人のためを思って知らせなかった。それでも、起きた当初は混濁していた記憶も、徐々に鮮明になってくる。賢い彼女は、瓦礫ではそこまでの怪我にならないこと、その原因が爆発であること、それを起こしたのが自分であることを、すぐに分かった。つまり――
――助ける助けないどころか、自分が酷く傷つけてしまったと、理解してしまったのだ。
それに気づいた直後の錯乱状態は酷いものだった。精神安定剤と鎮静剤で辛うじて落ち着いたが、それでも、ずっと、泣きじゃくっていた。
その姿を見るのは、酷く辛かった。それでも歌姫は、自分が彼女から尊敬されていたのを知っているため、彼女のためを思って、毎日お見舞いに行った。それは、呪術の世界に咲来を誘ってしまった、つまりこんな事態を招いてしまった、自分の責任を少しでも果たすためでもある。
そして、先ほどお見舞いに行ったとき。病室で、咲来から、自主退学の意思を告げられたのだ。
「くそっ」
何が教師だ。
こんな世界に誘ってしまって、心優しい女の子の体と心を、深く傷つけてしまった。その結果、入学四か月と言う早さで退学を決意させてしまった。
酷い自己嫌悪から、悪態をつきながら、思わず机を殴る。職員室に激しい音が響き渡ったが、周囲も分かっているため、何も反応しなかった。
今書いている報告書は、事件の詳細だけではない。
咲来の退学と、それにまつわる諸々の書類もある。
怒り、悲しみ、自己嫌悪、トラウマ、後悔……いろいろなものが押し寄せてくる。
そしてそれと同時に、虚しさもあった。
彼女のパソコンのデスクトップの端。そこには、あの日書いていた、作りかけの、前期の報告書がある。
メールが来て、中断してしまった、咲来の報告書。
そこに書こうとしていた言葉。
『まだまだ未熟だが、後期には3級術師へと昇格可能。』
咲来は、自分をずっと弱いと思っていた。自信が無かった。
それでも、担任や歌姫の目から見て、彼女は、順調に成長していた。
「まだまだこれからだったのに……」
呪術師としての、明るいこれから。
それは、咲来が歩むはずだった、闇のない、普通の女の子としての人生――あるかもしれなかった「これから」を、犠牲にさせた上でのものだ。
だが、それも、断たれた。
咲来にあった、二つの「これから」。
そのどちらも、歌姫が奪ってしまった。
――呪術師はクソ。
かつての後輩が言っていた言葉が、歌姫の脳裏に、ふと、よぎった。
†††
咲来が退学することを、霞たちにどう伝えるか。歌姫の口からすぐに伝える方法、または辞めた後に事後的に歌姫が伝える方法、この二つのうち、後者を歌姫が勧めた。これならば、咲来は引き留められることもなく、退学できるからだ。
しかし彼女は、あくまでも自分の口で伝えることを選んだ。四か月と言う早さで辞めること、呪力を暴走させ重体にさせてしまったことを、直接謝りたかったからと言うのもある。
三人に伝えた時、彼女たちは酷くショックを受けた。霞どころか、真依や桃ですら、泣きながら彼女を引き留めた。
もし彼女があそこで呪力を暴走させなければ、全員が呪霊に殺されていただろう。それなのに、彼女が責任を感じて辞めることに、納得ができなかった。
呪術について何も知らない同士で奇跡的に出会った、気が合う普通の女の子同士の親友。
嫌いだった自分の
甘いところもあるが、誇り高い意志で呪術師になることを選んだ、可愛い後輩。
そんな咲来が離れていくことが、三人はどうしても受け入れられなかった。
しかしそれでも咲来の決意は固い。咲来自身も色々想うところがあって酷く泣いてしまったが、それでも退学の意思は曲げなかった。
そして、八月の末。
咲来が呪術高専を去る日となった。
「二人とも、わざわざありがとね」
突き抜けるような真夏の青空の下。高専の入り口。咲来が去るこの瞬間、それぞれ大きな紙袋を持った霞と真依が、そこで待ち構えていた。
それを見た咲来は、嬉しそうに、申し訳なさそうに、そして悲しそうに、苦笑する。
そんな咲来の姿は、いつもとは違った。
真っ黒なのにどこか可愛らしさを感じたワンピースタイプの高専指定制服は、ただの私服に。低めの位置で結んでいたポニーテールは、二つ結びのおさげに。
その姿を見て、霞と真依は、改めて、彼女がここを去るのだと実感した。
二人は、咲来のポニーテール姿しか知らない。本人曰く、あれは、高専入学に当たって気分を変えるためのものだったらしい。それが、元のおさげに戻っている――呪術師から、一般人に戻るということの象徴に他ならない。
「ねえ、今ならまだ間に合うわ。考え直す気はない?」
真依が睨むように見つめてきながら、問いかけてくる。その目つきは怒っているようだが、瞳は揺れているし、声を振るえている。
最初は、やたらと嫌われていた。
どんな心変わりがあったかは知らないが、あの奈良県での出来事以来、一気に仲が深まった。理由は恥ずかしいらしく話してくれなかったが、今では、大切な親友だ。
「そうですよ! せっかく、ここまでやってきたんです。まだまだこれからじゃないですか!?」
霞が、涙を流しながら、縋り付くように引き留めてくれる。いつもの底抜けに明るい彼女が嘘みたいだ。そんな彼女の顔を曇らせてしまっていることに、咲来は申し訳なさを覚える。
咲来は少し人見知りをするタイプだが、霞とはすぐに仲良くなれた。性根が、どこまでも合っていたのだろう。彼女がいたからこそ、短いながらも呪術高専生としての生活は、最高の思い出と言えた。彼女もまた、大切な親友だ。
「……ううん、ごめんね」
それに対し咲来は、明確ではないものの、拒絶をする。
「…………私、もう、怖くなっちゃって」
そんな彼女の声は、別れの哀しみによるもの以上に、酷く震えている。
その姿を見て、二人は、改めて愕然とした。
咲来は、控え目ではあるが、いつもやる気に溢れていた。まるで光が漏れるようにすら見えるほどだった。人を助けることが、本当に好きだったのだろう。
だが、今は――その覇気とでも言うべきものが、一切、感じられない。
嫌でもわかってしまう。
咲来は――完全に、折れてしまったのだ。
あのトンネルでの出来事で、残酷なほどに突きつけられた。
甘さ、油断、弱さ。人を助けることができるほど強くない。自分が生きることすらできないほどに弱い。それどころか、人を傷つけてしまう。
呪術師として戦うこと。それそのものに、耐えられないほどの恐怖を覚えてしまったのだ。
もし、こんな状態で、無理に呪術師を続けたら。
近いうち、彼女は死んでしまうだろう。
呆けてしまう二人の目の前で、咲来が一歩、二歩と、二人に近づく。彼女が「呪術師を辞める」瞬間に、近づいていく。
「…………受け取りなさい」
そして、すれ違いざま。真依が、その手に持っていた紙袋を差し出してきた。
「これは、せめてもの餞別です。みんなで、咲来のために用意しました」
霞も少し遅れて渡す。
そんな彼女の言葉に、咲来は驚くと同時に、嬉しさと申し訳なさで、胸がいっぱいになった。
霞や真依、桃といった、特に仲が良かったメンバーだけではない。加茂やメカ丸、そしてなんと、東堂までもが、彼女のために、この二週ほどの間に、贈り物を用意してくれていたようだ。
「…………あり、がとう」
泣きそうになるのをこらえながら、咲来は受け取った。
そして、表情筋を総動員して、無理に笑顔を作る。
別に今生の別れと言うわけではない。連絡先は交換してあるからいつでもチャットや通話はできるし、休みが合えば会うこともあるだろう。
だからせめて――二人が、この真夏の晴天のように、少しでも明るくなれるように、笑ってお別れしたい。
口を開いたら、堰を切ったように泣き声が漏れてしまいそうだった。笑顔だけ見せると、咲来はそのまま足早に、入り口に停まっている黒い車の後部座席に乗り込む。補助監督が運転するこの車で、これから彼女は、一時的に故郷の広島に帰る予定だ。
「また会いましょう! これからも、何回も!」
エンジン音を鳴らして、車が出発する。それを追いかけるように、霞が叫ぶ。真依も何か言おうとしたが、嗚咽ばかりが漏れて、何も言えなかった。
――そして、車が見えなくなってしばらく。
呪術高専京都校の入り口には、真依のすすり泣きだけが、響いていた。
それに釣られて、ついに霞も泣き出す。二人で抱き合い、声を上げて号泣した。
そして、泣きながら、二人は願う。
呪術師としての咲来は、もういない。
だけどせめて、輝くような志を持った彼女が、普通の女の子として幸せになれるように、祈る。
咲来の未来が――この晴天のように、明るいことを。
車が発進するときのエンジン音の奥に聞こえた、咲来の泣き声が、二人の耳に、しばらく木霊していた。