対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい。 作:槍刀拳
Episode1 『Go to Travel to another world.』
「ちょっと……! ねぇ……! ねぇったら……!……すぅ、ねぇってば!!!」
次に私が意識を取り戻した時は、まぶしくなるような青い空に白い雲が流れるどこかの屋上で、本を開いてぼーっと正面の虚無空間を眺めていた。
耳をつんざくような声の方に視線を向けると同い年ぐらいの制服を着た少女が、私の肩を揺さぶっているのが見える。
「え、あぁ、うん?」
「さっきから、私が声をかけても無反応なぐらいに熱中していたみたいだけど……熱心に読んでいるその本、どんな本なの?」
どうやら、私は幸先から豪運に恵まれているようだった。
いきなり屋上で意識が戻ったことは衝撃的であり、見知らぬ娘から声を掛けられたことも焦ったが、どういうわけか私は彼女の言葉を理解することが出来ていた。
ゆえに彼女が話している言語は、地球上の言語でもマイナーな部類である〈日本語〉であり、私の〈母国語〉でもあった。いきなり言語の壁により意思疎通不可能という危機的状況を〈幸運〉にも避けられたのだ。
彼女に促されるまま、表紙を確認する。
「……」
前言撤回。
表紙には明らかに日本語ではないタイトルで、開かれたページにも表紙と同じような幾重ものミミズが地面を這うような——焦点の定まらなくなってしまうような——冒涜的な文字が綴られている。
だが私の知りうる〈クトゥルフ神話〉的な魔導書の類でもなさそうだ。なにかの言語の文字筆か〈エノク語〉や〈アクロ語〉に少しだけ似ていることしかわからない。
「……ああー——ごめんね。この本は、露店の古物商のおじさんから買ったもので、私もよくわからないんだ。表紙が面白そうだから、買ったんだけど……。中身もこんな文字ばっかりで、君は読める?」
「……んとね……ん。私にも良く分かんないや」
「だよねー……。買い物、失敗しちゃったなー」
頭をポリポリと書いて、ドジっ子アピールをしてごまかす。
前世では抉られ、頭蓋骨がむき出しだった筈の頭部に頭皮と髪の毛があり、本当に転移できたという確信を得て自身に若干驚く。
まぁ……頭皮が無かったら、今頃、この子は絶叫を上げていると思うけど。
「でも、それ魔族語か魔獣語じゃない?」
「へっ?」
想定もしていない思わぬ単語に変な上ずった声が出る。
魔獣語なんて……聞いたことも、見たこともない。〈クメール語〉や〈ミャンマー語〉〈ヘブライ語〉ならまだわかる。でも魔獣語はちょっと斜め上過ぎる回答で、思わず挙動不審な行動をとってしまう。
だが幸いにも、私に話しかけてきた彼女は私が手にしている本に熱中しているようで、そんな私には気が付いていない様子だ。
「魔獣語と言ってもナーガ族や、アラクネ族とか種族によって言語が多岐に渡るから、この本に書かれた言語はどの種族が書いたものなのか正確にはわからないけど超レアな本を買ったんだね! ……どうしたの? そんなに目を大きく見開いて」
「え。あ、いや、あははー。物知りだって思って、ね?」
「え? こんなの基礎中の基礎、小学生で習うことじゃないの?」
えっ!? この禍々しい文書って、この世界では小学校で習う内容なの!?
本と私に話しかけてきた人物を交互に二度見する。
……ちょっと教育内容が高度過ぎて、この世界の人についていけてない感が否めない。そんな私を、彼女は『珍しい』というよりも、怪しいものを見るような目つきでまじまじと見つめてくる。
……これ以上不信感を与え続けると、あとでどんな仕打ちがあるかわかったものじゃない。
「うっ! 急にめまいが! ……もしかして長時間太陽にあたっていたから、熱中症にでもなっちゃったのかな? あーそうだー水分補給しないとー。ごめんね!」
急いで本を閉じ、傍らに置かれていたずっしりとバカみたいに重いリュックサックをひったくるように手にし、足早に屋上の隅にある出入口の扉に手を掛ける。
「……おお」
そこで初めて街全貌を目にすることになった。
高層ビルから見下ろす地上は息をのむような絶景で、ここはいくつもの大型高層ビルが立ち並ぶような都心であるようだ。いずれの建物も深藍色の鋼鉄製のビルと衛星アレイがいくつも乱立されており、サイバーパンクを連想させるかのような街並みであるにも関わらず、少し視線を奥に向ければ紫色に輝く山に森林地帯が広がっている。
初めてみることになったこの奇妙な配色ながらの綺麗な景色を眺めていたいとは思ったが、後ろの少女に水分補給をすると言った手前もある。私は逃げるようにしてその場を去った。
………
……
…
ビル内部の様相を見たところ、ここはそれなりのボンボンが立派な紳士淑女になるため研修や各高校の説明会を受けるために訪れるような場所であることがわかった。廊下を徘徊していれば、私と同じような制服を着た生徒を見かけるし、各部屋の入り口には研修内容の札が掲げられている。また私が移動可能な上層階に備え付けられているフロントのパンフレットから、ある程度の情報収集ができたことも大きい。
パンフレットのおかげで、フロント嬢に決死の顔で「給水室はどこですか!」などと尋ねずとも、適切な場所で適当に水分補給を行い、だれにも邪魔されることのないトイレまでやってくることができた。
トイレの内装もそれなりに豪華であり、洗面台の鏡には“この世界”での私が映っていた。
髪をブラシで梳かしたことがなさそうなボサボサの癖っ気のある黒髪には、若干のフケと若白髪が混じっている。髪の毛は結うこともなく自然におろしていて長さはロングほどだ。近頃は不健康的な生活でも送っていたのか、目の下にはくまが出来ており、心なしかジト目の瞳は寝不足により目つきが更に悪化……三白眼であるように見える。発達段階にあると思わしい薄い胸部はチャームポイントだが、そのチャームポイントを美しく相手に見せつけるための制服もところどころ皺やシミがあって——
……全体的に不潔——清潔感に欠けているように感じた。
「……陰キャって感じ……」
元の肉体の所有者に関する素直な感想をボソリと呟いて、両手を洗面台につく。
自身の顔をぐっと鏡に近づける。
……別段、容姿が“
ちゃんとした若白髪染めや化粧や洗顔、髪のトリートメントケア、規則正しい生活を送れば、鏡に映る自分はそれなりに可愛くなる……可愛くなれると思った。
鏡を見つめながら自分の容姿や服装を見直しているそんな時、自動洗浄の音のせいで尿意が催されてきたため個室の一番奥のトイレに入る。
………
……
…
「ほわぁぁぁ……♡♡♡」
私にとって何よりも嬉しかったのは、
1.この世界でも便座が『洋式』であったこと。
2.つぎに便座が『温かった』こと。
3.最後に『ウォシュレットの“勢い”が優しい』こと。
……これに尽きる。
前の世界では、“トイレに”友人を3人も殺されている。
1人目は——和式便所で踏ん張りすぎて、脳血管が切れて死んだ奴が1人。
2人目は——真冬の便座が冷たすぎて、心臓発作を引き起こして亡くなった奴が1人。
3人目は——ウォシュレットの設定が最強で、噴射されたウォシュレットがウォーターカッター張りの激流による……肛門と直腸。そして内臓をズタズタにするデストラップによって……1人。失っている。
嘘のような——本当にあった怖い話。
トイレでは気をつけた方がいい……。油断していると……死ぬ。
死亡カルテや墓石に『死因:トイレ』『死因:ウォシュレットによる裂肛/内臓破裂』なんて書かれたくないだろう?
ひとまず、激重リュックサックの紐を解く。
なかには、おそらく肉体の主が使用していたであろうノートパソコン。私が意識を取り戻した時、手に持っていた〈魔獣語〉が記載された本。その他は上着と雑貨、懐中電灯。スマホが2つ、あとちょっとしたお菓子と財布などが入っている。
それから——私がこれまでの人生の中で、見たこともないB5判サイズの大型本が2冊入っているのが確認できた。1冊につき、約400頁はくだらないような分厚い本で、2冊で特大の司法辞典のような異様な分厚さを解き放っている。
それぞれの表紙には『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』、『新クトゥルフ神話TRPG』と文字が綴られている。
「……これが私に関する説明書、なのかな?」
誰も居ないトイレで独り言をぼそりとつぶやいて、『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の本を開いた。