「………なに?」
どんな要求が来るだろうと身構えていたアシズは、まさかの一言に呆気にとられてしまう。要求から考えるに、大方アシズの噂を聞いた腕試し目的の戦士だろうか。
しかし、この男は今までの輩と明らかに違う。
真意を測りかね、チラリとシャナを……次いでロイツを見てから口を開く。
「……であればもっと広い場所に移そう。ここでは目立ちかねない」
この場所で戦う場合、ロイツを生き来する誰かに見られる可能性が高い。
彼の実力次第では、最悪本来の姿に戻る必要があることを考慮し、アシズとしてはこの場を避けたい気持ちだった。
「不要ダ」
しかしコキュートスがそう短く返すと、彼の足元に朱色の陣が浮かび上がって氷の粒子が噴き上がる。
『!?』
驚くティスとアシズをよそに、氷の粒は煌めくダイヤモンドダストのように広がっていき、辺りの景色を朱色に染めていく。
「これは………!」
この世界の魔法ではない。
この力は、アシズとティスにとってあまりにも慣れ親しんだものだ。
[b:(自在法だと!?)]
「シャナちゃん!?」
ここで声を張り上げるティスにバッと振り向けば、彼女は必死な様子でシャナの身体を揺すっていた。
だがここでアシズは違和感に気付く。シャナは肩はおろか髪の一房に至るまでが全く動いておらず、まるで彫像のように止まっていたのだ。
「貴様、何を!?」
「案ズルナ、コノ術ニ他者ヲ傷ツケル力ハナイ」
まさかかつての悪魔の仲間かと睨みつけるアシズの威圧に対し、コキュートスは穏やかな口調で語りかける。
「コレハ封絶トイイ、コノ世カラ隔離スル自在法ダソウダ」
アシズの自在師としての目は、この自在法の性質にも気付く。
似ているのだ、自身の自在法『清なる棺』に。
しかしこれは明らかに[[emphasismark:簡略化されている > ・]]。
「貴様は一体……」
その目に悪意も敵意も感じられず、代わりにあるのは申し訳なさそうな色で……その眼差しにアシズは戸惑うしかない。
「己ノ限界ヲ今一度知リタイ、私ノ願イハタダソレダケダ。全テガ終ワッタアトハ、煮ルナリ焼クナリ好キニシテクレテ構ワヌ」
だがその声色から、苦渋の決断からこのようなことをしたのだと、切実な思いは伝わってくる。
(………引く気はない、か)
それだけ己の欲望を抑えきれないのだろう。
実に徒らしい『欲』への忠実さだ。
「………わかった」
ティスに目配せしてから、もはや隠し立ては無用とアシズは人化を解く。
アシズの本来の姿を目の当たりにしたコキュートスは、しばし見惚れるように硬直するが、やがてその身体がひび割れ砕け散る。その下から現れたのは、巨大な蟲のような異形だった。
「それが貴様の本性か」
「ウム…」
ゆっくりと立ち上がり、鞘から剣を抜いてコキュートスは構える。
しばしの沈黙が両者の間に流れ、先に動いたのはアシズだった。
小手調べとして小さな炎弾を放てば、コキュートスは刀でそれを切り伏せる。そのまま地を蹴って距離を詰めると、左真横から斬りかかっていく。
対するアシズは冷静に、左腕を覆うように小さな『清なる棺』を纏わせてからその刀を受け止めれば、キインと甲高い音が響く刃は刃毀れすることはない。
続けてアシズの翼の影から矢のような速さで数本の羽根が飛び、コキュートスは首を反らしてそれらを躱すとそのままアシズから距離をとる。
「ふむ……なるほど」
コキュートスの動きを一通り監察したアシズは素直に感心した。
(見たところ………腕力と技巧と速さ、反射神経は悪くない)
多少荒削りな点は見受けられるが、少なくともこの世界で手合わせしてきた人間達に比べれば間違いなく優れているだろう。
次いで『ならばこれはどう来る?』と今度は翼を羽ばたかせて飛び立ち、一定の距離を置いて様子を見ることにする。対するコキュートスは自在法で氷の礫を生み出し、アシズに向けて放ち始める。それを見たアシズは、小さな壁を作りそれらを防ぎつつ、コキュートスの自在式を監察する。
徒の基本中の基本である炎弾を使わない代わりに氷の礫を放つ。恐らくこれが彼の固有能力なのだろう。
(なるほど、確かに強い)
だが………
「まだまだ若いな」
コキュートスの戦い方を見てアシズは思う。
この人外、強さの割りには同格以上と闘い慣れていないのではないか?
自身の予想を裏付けるべく、アシズは今度は縦横無尽に空を飛んでみる。コキュートスは氷の礫を撃ち続けるが、飛行速度はアシズのほうが上なため掠りもしない。
(ダメダ、コノ距離デハ届カナイ)
一方のコキュートスも、自身とアシズの実力差を肌で痛感していた。
もともとコキュートス自身に射撃系のスキルはなく、最近春雷との鍛錬でようやく形にできたところだった。ゆえに飛び慣れているであろうアシズのほうが有利なのは明確である。
このままではまともに攻撃を当てられない。
どうすればいい?
考えろ。
考えろ。
藍色の複眼が美しい蒼翼を凝視する。
撃ち落とすのが無理ならば……
「………理解シタゾ」
ここでコキュートスは一旦攻撃を止め、今までと違う自在式を起動し始める。
アシズは何が来るかと身構えていると、コキュートスの背中から薄氷でできた甲虫の翅が生えてきた。
「なに!?」
コキュートスが感覚を試すように、氷とは思えない柔軟な動きでバサリと軽く羽ばたくと、翅からは鱗粉のように粉雪が舞いながらアシズに向けて飛び立った。
舞い散る粉雪は鋭い氷の針となってアシズに放たれるが、彼は青水晶の壁を素早く形成してそれらを防いでいく。それは先ほどアシズが放った羽とよく似ている自在法だった。
そして自在師であるアシズだからこそわかった。
この自在法は、アシズの自在法を擬似的に再現したものだと。
にわかには信じがたいが、彼は見ただけでアシズの自在式を我流に改良したというのか。
徒は自在法の仕組みを理解できない人間に説明する際、よく自在法を歌、自在式を譜面と例えることがある。
炎弾や達意の言のような簡単な曲ならば譜面がなくても歌えるが、徒固有の自在法はその日の気分で適当に歌うだけなので見様見真似で真似することは実質不可能なのだ。
だが彼の場合、他人がその時の気分で歌った曲を一度聞いただけで理解し、なおかつ自身に歌いやすい形にアレンジしているわけである。
[[rb:小夜啼鳥 > ナハティガル]]ほどではないにせよ、並みの自在師からすれば羨望の目で見られること間違いなしな才能だ。
「アシズ様!」
ティスは動かないシャナを抱きしめながら慌てて呼びかける。彼女もまた自在師であるため、コキュートスの能力の特異性に気付いていた。
一方のコキュートスは距離が縮まった好機を逃さないとばかりに攻撃の手を緩めない。氷弾がアシズの左翼上を掠め怯んだ隙を見逃さず、斬りかかろうとした瞬間だった。
「!?」
突如、刀を振りかぶった体勢のまま身体が動かなくなった。
何が起こったのかとよくよく目を凝らしてみれば、アシズの翼から無数の細い糸が伸びている。それに気付いたコキュートスは首だけで周囲を見渡せば、糸は縦横斜めと乱雑に伸びてコキュートスの身体に絡みついており、さながら空に張り巡らされた蜘蛛の巣ようになっていたのである。
(イツノ間ニ……!)
アシズはただ逃げ回るために飛んでいたわけではない。万が一コキュートスが自身の懐に接近した場合に備えて、いくつかの罠を仕掛けていたのだ。
パチンッ、パチ、パチン。
アシズが指揮者のように両手で指を鳴らせば、糸は網のように纏まってコキュートスを絡め取り、そのまま地面に叩きつけられてしまった。
地響きと共に土煙を上げる大地を眺めつつ、アシズとティスはなおも警戒を解かない。
やがて土煙が風で吹き消されていくと、陥没した地表の真ん中で大の字で倒れるコキュートスの姿があった。
決して軽くはないダメージだっただろうが、アシズの見立てではまだ動けるはずだ。
不意打ちに身構えながら一度傍らに舞い降りて、短く問いかける。
「まだ続けるか?」
「イヤ、勝負ハ決マッタ」
思いのほかあっさりと負けを認めたコキュートスに拍子抜けするアシズに対し、コキュートスは改めてアシズという男の強さを実感していた。
「………ヤハリ、マダ届カヌカ」
次いで呟いた声は、負けたというのにどこか嬉しそうだった。
「いくつか聞きたいことがある、貴様は何者だ?」
「………ソレハ、私ニモワカラナイ」
「わからない?」
「ウム……ワカラナイカラ、サガシテイル」
コキュートスは先ほどまで高く飛んでいた青空を眺める。どこまでも続く彼方に恋焦がれるように。
その姿が、どこか迷い子のようにも見えて。
ふいにアシズの脳裏を、かつて幾度も敵対しながらも最終的には自身を守る盾となってくれた、老竜の言葉が脳裏を過ぎる。
『主、また拾い物をしたのですか? 全く……御身がここまでお人好しだったなど、在りし日からは想像もつきませぬよ』
ああ………もしここに彼がいたならば、きっとまたそう言って呆れていたことだろうなと、アシズはつい苦笑してしまう。
「………行く宛がないならば、しばらく私のところにいるか?」
アシズからのまさかの申し出に、コキュートスは複眼を見開くように彼の顔を凝視する。
「イイノカ?」
「ああ。それにお前のその特異な自在法、実に興味深くもある」
優しく微笑みながらコキュートスに向けて手を差し伸べれば、コキュートスは輝くような眼差しでその手を握り返すのだった。
アシズとコキュートスが闘っていたのと同じ頃。
彼らが邂逅した場所とは別方向の、ロイツの外れにある森があった。
ヒュルリと風が吹き抜けて木々がざわめくと、ピシリと空間に罅が割れる。罅は次第に広がっていくと大きな穴となり、その奥から何かが近づいてくる。
「ねえ本当にいいの? 勝手にログインして」
現れたのは二人の人間だった。
一人は赤い鎧に剣と盾、白い兜を被った男。
もう一人は黒い山高帽に杖を持つ若い女。
「仕方ねえだろ。ここ最近荒らし共のせいで、サーバーダウンばっかりでろくに楽しめなかったんだからよ」
苛立たしげに男が剣を振るうと、衝撃波とともに周囲の木々が薙ぎ払われた。
彼らはユグドラシルでも名の知れたプレイヤー達だ。
ここ最近、相次ぐ不具合と緊急メンテナンスのせいでゲームをまともに遊べず、プレイヤー達のフラストレーションは限界に達していた。
そんな中、彼らはとあるスジから入手した『未開エリアへの侵入方法』を使ってここにやってきたのだ。
「クソ運営が、たかだか悪質ハッカーぐらいなんとかしやがれってんだ」
「でもあの『たっち・みー』ですら返り討ちされたって話なんでしょ?」
男は舌打ちしながら運営をディスるも、宥めるような女の話にグッと押し黙る。
プレイヤー間のコミュニティによると、クラッカーの討伐に赴いたかのワールドチャンピオンも、チートの毒牙にかかりしばらく動けなくなったらしい。
彼の強さをよく知る二人からすればゾッとする話だ。
(まあ、あの勝ち組野郎がギャン泣きしたって聞いた時はいい気味だと思ったが……)
もし次に自分達の番が来たらと想像して背筋を悪寒が伝い、考えを振り払うように頭を振る。
いつまでも嫌なことを考えていられない。
そう、遊ぶ時は楽しくだ。
「まずは周辺の探索から始めるぞ」
「ええ」
女が杖を振るい魔法を唱えると、二人の身体が『飛行』で空を飛んでいく。
辺りを見渡してみると、男の目にあるものが映る。
「お、ちょうど近くに街あるじゃん」
そこは、ちょうどアシズ達が飛び立ったあとのロイツであった。
「それじゃあ、憂さ晴らしのPKといこうぜ……!」
解説
自在法『見稽古』
コキュートスの本質である「高みを目指し己を磨く武人」の顕現。
その能力とは一度見た自在法を我流にアレンジして再現することであり、理論上はどんな自在式でも目で見て観察してから即席で作ることが可能なもの。
ただしあくまで我流にしか作れないため、封絶のような簡単な自在法でもオリジナルのまま再現することができないという特異性がある。