兄妹で乙女ゲームの世界に転生したけど俺がヒロインで妹が悪役令嬢ってどういうこと? 作:どくはら
この世界は歪んでいる。
五年前まで、リティア=アウアはそんな気持ちを抱いて生きていた。
中流貴族の三男として生まれた彼は、男として生を受けたその瞬間から、生家から出されることが決められていた。長男にもしものことがあった時の代わりには次男がおり、三人目の息子は家督を継ぐ時の厄介者にしかならないからだ。
しかし、そんな自分の人生をリティアが嘆くことはなかった。
貴族として成功する未来がないなら、養子に出された先で成功すればいい。齢十歳にも満たないうちからそんな割り切りと展望が抱けるほどには、リティアという少年は賢かった。
だが、その賢さは彼の人生において全てプラスには働かなかった。
中流貴族の出、養子として引き取られた司教の家。
庶民に比べて遥かに広大な見聞を得られる世界の中で、賢い少年は次第に世界のいびつさに気づいていったのだから。
あるものとして人々の口に上がり、国交や人の行き来があるにも関わらず、なぜか詳しい実態がようとして知れない隣国。
文明の度合いに噛み合わない服飾の技術、風呂やトイレといった衛生面の充実。風土に不釣り合いな作物や香辛料は貴重なものの、オリエンス王国全体で見れば充実しすぎている食糧事情。露骨ではないものの、見据えれば小さな矛盾が目に付く。
調べればそれらしい理由は出てくるものの、どこかちぐはぐさが否めない。時には本の普及率を理由に、記録が残っていないという結果さえ出てきた。
それだけなら、まだよかった。
リティアが何より解せなかったのは、周囲の人間がこれに矛盾を感じていないことだった。
どうしてそんなことが気になるのかと首を傾げる者。
気にしすぎなのではないかと笑う者。
粗を作って自分の賢さを顕示したいだけだろうと馬鹿にする者。
中にはリティアの指摘に思案を始める者もいたが、夜が明ければすっかり忘れるありさま。
少年の疑念に答える者は、応えてくれる者はいなかった。
その事実を前に自分の方がおかしいと認識するには、彼は自身の聡明さに理解があった。
また、他人の意見に表向き迎合しても他人の常識に心を折られない程度には我が強かった。
それらは彼の芯を支えこそすれ、彼を救いはしなかったが。
よりどころとして宗教に傾倒しても、そこから得られたのは聖書でさえどこかちぐはぐという残酷な現実。敬虔な信者の証としてロザリオを首から提げていても、彼が信じられるのはもはや己だけだった。
そんな少年が成長し、少年から青年へ、そして大人と呼べる時分までさしかかったころ。
養父と同じように聖職者となり、敬虔な牧師として信者達を導いてきた。養父の後押しに家柄、そこにリティア自身の聡明さが合わさり、最年少司教になるのも時間の問題だろうと周囲では囁かれていた。リティアもまた、そうなるのは当然だという自負があった。
優れた者は、弱い者を導く義務がある。
そのためには、相応の地位につかねばならない。
それは、己の聡明さを自覚したころからずっとリティアの胸にあったことだった。
しかし、その道に立ちはだかるものがあった。
他者からの羨望や妬みによる妨害――ではない。そんなものは予想の範疇内であったし、何より聖職者でありながら他人の才を僻むしかできない凡人の謀略にはめられるなど己のプライドが許さない。
障害は――――リティア自身だった。
日に日に、不自然なほど膨れ上がる野心。
もっと早く上に昇りつめたいと、焦燥感にも似た衝動がリティアを急き立てる。その衝動は賄賂や競争者の排除といった、短絡的かつ即物的な――リティアが最も嫌う――愚行へと彼を押しやろうとした。
周囲の妨害をはねのける自信があっても、自ら破滅への道を歩むなら止めようがない。
理解できない衝動を必死に抑え込むが、まるで呪いのようにそれはリティアの心を苛んだ。
己しか信じられるものがなかった男は、ついに自分さえ信じられなくなっていった。
この世界は歪んでいる。
自分も含めて。
そう悟り、絶望し、首を掻き切ることさえ視野に入れ始めたころ。
リティア=アウアは、救いを得た。
「なので、貴方には私のメッセンジャーになっていただきたいのです♪その代わりと言ってはなんですが、貴方には知りたがっていた世界の真実をお教えしましょう」
銀のナイフを虚ろに見つめていたリティアがふと我に返ると、そこは茜色の世界だった。
学校に似ていながらも、リティアが知るそれに比べて異質な部屋。その中に悠然と佇む、アッシュグレイとは一線を画した聖なる銀の髪の少女。
「……君は?」
「私はこの世界の管理人。いわゆる、女神というやつです」
返された言葉を一笑に付すより、女神を自称する少女の一言がリティアの関心を全てさらった。
「この歪んだ世界にも、真実があるのか?」
「ええ。残酷で悪趣味で愉快な真実が」
そんな言葉とともに、少女はその身に纏う神秘的な雰囲気とは対照的な、清々しいほど悪辣な笑顔を浮かべる。
それに初恋にも似た熱を抱きながら、男は首を縦に振る。
そして、リティア=アウアは世界のことを知った。
この世界は、虚構から生まれた少女の憎悪によって創られた模造品――微小世界だということ。
虚構を世界として運用するにあたり、欠陥や欠落が強引に埋められたこと。
原型となった虚構は世界に対して絶大な影響力を持ち、この世界に住む限り、強制力とも言えるその影響から逃れることはできないということ。
残酷で、悪趣味で、第三者から見れば滑稽極まりない『真実』。
嘘だと信じたくなるような、虚偽だと疑いたくなるような『真実』をしかし、リティアは腑に落ちたような心地で受け止めた。それを是とすれば、今まで自分が感じてきた世界のいびつさも、自身が抱える衝動のおかしさにも説明がつくからだ。
「数年後、一人の少女が奉公先の屋敷から小さな教会に厄介払いされる可能性があります。そうなった時に原型と矛盾が生じないよう、リティア=アウアは失脚し、左遷されなくてはいけません。リティアさんが乱暴な出世を目指したくなるのは、それが原因です」
「……なるほど。このまま破滅したいのかと自問自答を続ける毎日だったけど……本当に自分が破滅するためだけに、愚かな衝動に駆られていたのか」
加えて少女は、奇行のメカニズムを丁寧に説明した。
一人の少女と出会う「かも」しれない。
そんな些末な可能性を成立させるために、台無しにされる己の人生と品格。ああ、なるほど、悪趣味極まりないと。そう笑わずにはいられない。
「随分と親切に教えてくれるんだな」
「ええ。何分、なかなか人と対面してお話する機会もないもので。話したがり、語りたがりになってしまうのは性分のようなものなのです」
世界の仕組みと同じくらい悪趣味な少女は、そう言って蠱惑的に微笑む。
短いやりとりの中で、リティアはすっかり目の前の少女のことが気に入っていた。久々に――本当に久しぶりに、他人とあけすけな会話ができているというのも、ずっと暗雲がたちこめていた彼の心を晴れやかなものにしていた。
もっと会話を続けたくて、もっと真実を知りたくて。
リティアはさらに話を振る。
「どうして、僕だけが世界のいびつさに気づけたんだ?」
「おそらく、リティアさんが原型となる虚構《ものがたり》の『登場人物』で、なおかつ、物語の輪から外れたおまけのような存在だからでしょうね」
そんな疑問にも、少女は愉快そうに返事を返す。
「世界のおかしさに気づくのは、基本的には上位の世界からの転生者です。転生者は原型の物語を知っているがゆえに悲劇を回避しようとし、原型に収束しようとする補正の力に阻まれるからです。中には、原型の中心人物――いわゆる『主人公』が、強制力に感づくという例もありますね」
「話を聞く限り、僕はそのどちらでもないと思うけど」
「ええ、そうでしょう。数合わせにルートを用意された、騎士様の添え物。少女の善性を強調するために、有能でありながらも愚かな野心が搭載された可哀想な牧師様。それが、原型におけるリティア=アウアという立ち位置ですから」
朗々と、リティア=アウアという男の悲惨さを――滑稽さを語る。
「設定上、リティアさんは攻略対象として選ばれない限り、物語に関われず、他の『登場人物』とも絡みません。つまり、貴方にかかる補正の力は他より少ないわけです。最終的には小さい教会に左遷されて、そこで少女に会ってくれればいいわけですからね」
「それ以外は自由が許されているというわけか。ありがたくて反吐が出るな」
「ふふふ。加えて、ノブレスオブリージュの精神に釣り合うだけの無鉄砲な野心の裏付けもなく。その結果、世界の不具合に気づける聡明さと、それを看過できない高潔さがリティアさんの主要な構成要素になったのでしょうね」
「お褒めに預かり光栄の至り……とでも言っておけばいいのかな?」
「ええ。掛け値なしにすごいと思っていますよ」
皮肉交じりの言葉には、予想外にまっすぐな返事が返ってきた。
思わず目を丸くする。その反応が見たかったとばかりに、少女は楽しげに――意地の悪さを感じさせるものではない、無邪気さを漂わせた笑みを浮かべた。
「その他大勢に比べると、『登場人物』の方々は設定がしっかりしている分、存在強度が高いです。その分役割というものがあるので、有能とされる方でも強制力や補正に振り回されて認知が歪んでいることが多いんですよね。そんな中で世界の完成度の低さに気づいた知性は、見事と言わざるを得ません」
「――――」
少女の――女神とのやりとりは、リティアの中にずっとあった荷を軽くしてくれた。
それでも、彼を最も救った決定的な言葉があるとするなら、間違いなく今の一言だろう。
リティア=アウアの一番の武器にして、彼が長年苦しんできた最大の要因である知。それが今、神の視点から是とされたのだから。
「……そうか。ありがとうございます、信愛なる女神」
「いえいえ♪」
居住まいを正し、心からの感謝を口にする。
フランクな態度でそれに応じた後、少女は変わらぬ表情で「さて」と話を切り替える。
「そろそろ本題の方に入ってもいいでしょうか?」
「メッセンジャーになれと。そう貴方は言われましたね」
「ええ」
リティアの言葉に、少女は頷いてみせる。
「貴方には五年後の同じ日、一人の少女と接触してほしいのです。少女の名前はフレール。上位世界からの転生者にして、この世界の原型となった物語の『主人公』。貴方が恋に落ちるかもしれなかった、平凡で善良な女の子です」
「フレール……」
「とはいえ、進んで破滅してもらうのは可哀想ですからね。リティア=アウアという器を私にいただけるなら、こちらとしてはそれで問題ないのですが」
「どういうことです?」
「話が本題からずれるのですが……」
そう前置きしてから、少女は口を開く。
「リティアさんはこの微小世界に適応できていませんでした。そういう魂は特例として、別の世界に転生させるようにしています」
「テンセイ?」
「簡単に言うなら、こことは異なる世界、しかしここよりはリティアさんの精神と合致する世界で、別の人生を送るということですね。転生する時は肉体的に死んでいただくことになるのが基本なのですが、今回はリティアさんが転生した後も肉体を残しておいて、それを私の制御下に置くという形にしたいなあと」
「なるほど。……要するに、女神はこういう特例を除き、直接的な干渉ができない。そのために端末を欲していると。こういう認識で大丈夫でしょうか」
「おーっ、その通りです!いやあ、話が早くて助かりますねえ。あ、もちろん不要に辱めたりはしないのでご安心を!そこは協力者への礼儀として誠実にいきますよ」
「……ふむ」
提示された要求。
今まで少女が口にした情報を加味した上で、リティアはしばし思考する。
ほどなくして、彼は小さく俯かせていた顔をゆるりと持ち上げた。
「世界からの強制力とやらは、絶対なんでしょうか?」
「いえ。人によっては呪いのように働くこともありますが、基本的には心象操作や理性の箍の緩急程度です。なので、転生者の干渉や『登場人物』同士の作用によっては未知の状況が生み出されることもありますね」
それが転生者の面白いところなのですがと笑う少女に、答えは得たとばかりにリティアは頷いた。
「逆説的に言うなら、最終的に「リティア=アウアとフレールが出会う」という可能性に繋がるなら、その過程にはある程度自由が利く、と。そう思ってもいいわけですね」
そんな彼の言葉を聞いて、少女は感心したように唸った。
「……うぅん。本当に察しがいいですねえ」
「五年後の特定の日時に接触してほしいということは、僕からコンタクトをとろうとしなければ会えない状況になっている、ということでしょうからね。つまり五年後の僕が、末端の教会に左遷されている必要がない」
「その通りです。いやあ、転生したいという気持ちに水を差さないように黙っていたのですが。見事に見抜かれましたか」
「そのお心遣いはありがたく頂戴します。ですが、僕はこのままこの世界で生きていきますよ」
女神の言葉に救われた時に決意していたことだが、自分が想像していた以上に、その言葉はすんなりとリティアの口から出た。
ほほう、と興味深そうな呟きが零れる。
「真実を知ったところで、貴方にとってこの世界が生きづらいことに変わりはないと思いますが」
「でも、転生先の世界が僕にとって完全無欠なものとも限りません。そして、今回のように不完全さを教えてくれる誰かと巡り合えるとも限らない。それなら、リティア=アウアを救ってくださった貴方に見守られながら生涯を終えるのも、悪くないなと」
そう思っただけですよ。
神の疑問に対して、そんな返答を行う。心からの言葉を口にするリティアの顔には、久しく浮かべてこなかった穏やかな微笑みが浮かんでいた。
こうして、リティア=アウアは神のメッセンジャーとなった。