兄妹で乙女ゲームの世界に転生したけど俺がヒロインで妹が悪役令嬢ってどういうこと?   作:どくはら

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57話:裏庭にて

「……おや」

 

 バルコニーで風に当たっていたセザール・ルクスリアは、眼下に広がる中庭、さらにその奥にある屋敷の門にいる人影をその整った双眸で捉えた。

 目を凝らしたのは、人影のうち一人が、遠目からでも想い人とわかったため。

 隣にいるのがスペルビア王家の王子達に仕える執事だと気づき、思わず眉間にシワが寄る。

 悪人ではないことはわかっているが、それでも自分の私利私欲のために時に主さえ軽んじているような享楽的な空気はセザールの肌に合わない。普段の物腰が自分と同じく穏やかな分、余計に相容れないものを感じた。

 もっとも、顔を顰めてしまった一番の理由は、あの執事もまたセザールの想い人――フレールに思慕を寄せていると気づいているからなのだが。

 

 何か不埒なことをするなら、バルコニーから飛び降りるのも辞さないと。

 そう思いながら様子を窺うが、執事は言葉を交わすような素振りの後、最後にフレールの頭を撫でてから踵を返していく。何事もなかったことに安堵したのも束の間、執事の背中が遠ざかったところで、大きく肩を落とすフレールの姿が目に留まった。

 そのまま屋敷に向き直った彼女は、何やら逡巡した後、屋敷の中ではなくその裏手の方へと歩を進める。裏庭へと消えて行った彼女の表情は、遠目から見ても明らかに浮かないものだった。

 

「……」

 

 繰り返すが、あの少女はセザールの想い人である。

 そしてセザールは、想い人――例え彼女には既に好いている男がいて、それを本人から公言されていたとしても――の沈んだ顔を黙って見過ごせるほど、情のない男ではない。

 騒々しくはならないよう、しかし急いた足取りで、彼は裏庭を目指した。

 

 

 

 フレールがいたのは、裏庭にある井戸。

 くしくもそこは幼き日、青臭いプライドにこだわっていたセザールに寄り添ってくれたフレールが、邪険にされながらも傷の手当てをしてくれた場所だった。

 甘くほろ苦い懐古が胸を突き、思わず足を止める。

 その間に、井戸から水を汲んだフレールがその水を顔に浴びせ始めた。

 それが終わってから話しかけようと、離れた場所で佇む。しかし、ばしゃばしゃと音を立てながら乱暴に顔を洗う姿に寂寥感を覚え、気づけば足を前に進ませていた。

 

「フレール」

「うおっ!?」

 

 驚かせようという意図はなかったが、想像以上に注意が散漫していたらしい。

 肩を大きく跳ねさせた後、フレールは勢いよくセザールの方を振り返った。

 

「……なんて顔をしているんですか、お前は」

 

 水滴を落としては胸元を湿らせている、びしょぬれの顔。

 捨てられた子犬のような表情が浮かんだその姿は、泣いているようにしか見えなかった。

 

「……さっきも、いーにいさ……イーラ様に言われました」

 

 弱々しい声でそう笑いながら、フレールは濡れるのも構わず、袖で己の顔を乱暴に拭く。野原にひっそりと咲く素朴な花のような顔から水分は消えたが、それでもなお、セザールの目には彼女が泣いているように思えてならなかった。

 

「何かあったんですか、フレール」

「……そんなことありませんわ、セザール様」

「フレール」

 

 ごまかそうとする彼女の名を、思わず半ば咎めるように呼ぶ。

 それに目を丸くした後、フレールは困ったように笑った。

 

(そんな顔を、させたかったわけでは)

 

 己の短慮を悔いながら、がしがしと頭を掻く。

 とはいえ、ここでごまかされるつもりは毛頭ない。想い人の悩みを――それも、間違いなく重みがあるものを――軽くしたいと思う程度にはセザールは善良な人間であり、そうするのが自分でありたいと、他の誰かがそうするのは落ち着かないと感じる程度には、彼の中には本人も知らない根強い嫉妬心があった。

 焦りたくなる気持ちを深呼吸で宥めてから、セザールはフレールに近づく。

 

「……私は、お前が淑女らしからぬふるまいをする姿を知っている」

「えっ」

「だから、その、だね。……他の者には言いづらいことも、繕わずに言ってみなさい。誰かに気兼ねなく打ち明けるだけで、少しは楽になることもあるだろうから」

 

 賢しい言い回しが浮かばず、セザールの口から出たのはありきたりな言葉。

 しかし、かえってそれが彼の気遣いを如実に伝えた。

 フレールは悩むように頬を掻いた後、井戸の縁に軽く腰を預ける。そうしてセザールと相対する意思を見せてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「あのさ――――」

 

 

 

「……ってことがあったんだ」

 

 淑やかな口調とは真逆の、砕けた口調。

 だが、口調の軽さとは裏腹に、フレールが語ったのは質量を伴う煩悶だった。

 

「クリストフ様が女性と仲睦まじそうにしていた……と」

「うん……。クリス様のこと疑いたくないんだけど、悪い想像ばっかしちゃって……。こんなのあいつに悪いってわかってるんだけど……」

 

 疑心を抱く自分が悪いとばかりに肩を落とし、顔を俯かせる。

 普段の溌剌さからは想像できない落ち込みようを悼ましく思う一方、セザールは目の前の少女の精神性に舌を巻いていた。

 

(自分を責めるのか、この子は……)

 

 浮気と思しき現場を目撃した時、どれだけ深く想い合った相手であろうとまず疑ってしまうのが自然の反応だ。先ほど語られた様子を考慮しても、フレールが過剰に嫉妬心を抱いているとは思いづらい。

 そして、疑いの後には不安や悋気が生まれる。これもまた、自然の摂理だ。

 そこから肥大化した不安を周りにぶつける者、強すぎる悋気で愛する者を傷つける者と様々だが、嫉妬したことに罪悪感を抱く者などセザールは初めて見た。

 程度はあるが、疑われるようなことをしたクリストフに怒りを向けても、そのこと自体は誰も責めはしないだろう。しかしフレールは、疑ったこと、不安を抱いたことがクリストフへの裏切り行為だとばかりに、自責の念を抱いていた。

 

 もっともこれは、前世の性別が彼女の中で大きな負い目になっているのが大きい。

 体は女でも精神に男性性が混じっている以上、そこが原因で見限られても仕方ないという思いは――例えクリストフが受け入れてくれているとわかっていても――頑固な油汚れのようにフレールの中にこびりついていた。

 加えて、前世でも今世でも恋愛経験が皆無のくせになまじ漫画やアニメで嫉妬が悪いものだとすりこまれているため、己の悋気を受け止めきれないのも一因としてあった。早い話が、嫉妬している自分に生理的嫌悪に近いものを抱いているのだ。

 

(まるで聖女だ)

 

 そうとは知らないセザールは、悼ましいフレールの様子に高潔さを見出し、感嘆する。

 そして同時に、諦念を抱かざるを得ない。

 

(……それほどまでに、クリストフ様を想っているということでもあるか)

 

 クリストフが女と歩いていたという話になった時、本音を言うなら好機だと思った。

 かつてフレールに告げたように、セザールは彼女への想いを諦めていない。フレールの心が少しでもクリストフから離れたなら、例え相手が王族であろうと迷わずその手を取り、彼女を連れてどこまでも逃げるという決意があった。

 そしてその決意は、クリストフが誠意なき愛を示した時も同様に発揮する気でいた。

 例えフレールがクリストフに心を残していても、かの王子がその想いを裏切るような行為をとったなら、その時もやはり迷わず彼女を奪い去る。そんな心算はしかし、他ならぬフレールによって呆気なく打ち砕かれた。

 

 彼女が少しでもセザールに甘える態度や縋るような素振りをしたなら、セザールはそれを「奪い取って欲しい」という意思表示だと受け取っただろう。

 しかし、フレールにはそのような素振りは一欠片もない。

 彼女は愛する者の背信を考えざるを得ない光景に傷ついてこそいるが、だからといってそれをセザールに慰めてもらいたいとは思っていない。セザールがそう言ったように、少しでも己の中の荷物を軽くするために話をしているにすぎないのだ。

 それが痛いほどわかるからこそ、セザールは己の入り込む余地がないと理解せざるを得なかった。

 

 ここでもし彼女を連れて逃げたなら、ジャン=クリストフ・スペルビアよりもスール・ルクスリアよりも、まずフレールがセザール・ルクスリアのことを許さないだろう。そんな確信を、セザールは抱いていた。

 それはフレールと結ばれないことよりも。

 フレールと自分の想いが同じ質量を持たないことよりも。

 セザールにとって、耐え難いことだった。

 

「……悪い想像はついしてしまうもの。クリストフ様だって、私とお前が仲睦まじそうに歩いていたら同じような想像と不安を抱くだろう。だから、お前ばかりがそんなに負い目を感じることはないんだよ、フレール」

「セザール様……」

「それでも嫉妬を抱いた自分を許せないと言うのなら、安心しなさい。例え世界中の誰もがお前の悋気に後ろ指をさそうとも、私だけはお前の味方で居続けるよ」

 

 ゆえに今、セザールにできるのは彼女の気持ちを軽くしてやること。

 自責の念に囚われた少女を労るように、微笑みながらその頭を優しく撫でてやった。

 

「ぅぅ…イケメンずるい……。ほだされそう……」

「はい?」

「な、なんでもないっ!」

 

 ……とまあ、このように。

 確かに彼女はセザールに甘える気持ちも縋るつもりもなかったが、心が弱っていたのもまた事実。セザールが本気を出していればあるいは、想い人の心は案外あっさり手に入ったかもしれないが、それは語られないIFの話である。

 

「それに、クリストフ様のことだ。案外、お前へのサプライズをたくらんで、知己の女性から知恵を借りているのかもしれないよ」

「……あー、ありえそう」

 

 そんなIFに気づかないセザールは、フレールを安心させるべく、己の中で考えた穏当な可能性を提示する。今までその可能性に思い至ることができなかったフレールは、一転して納得したような呟きを零した。

 

「……ああ、そうだ」

 

 その様子に内心安堵するセザールの中に、一つの閃きが生まれる。

 それは手っ取り早い試金石であり、同時に仮に偶然が生んだ誤解だったとしても、フレールに不安な想いをさせたことに変わりはないクリストフへの、嫉妬も含んだ意趣返しでもあった。

 

「それならいっそ、フレールもクリストフ様にサプライズを仕掛けてみるというのは?」

「えっ、お…私が?」

「ええ。それでクリストフ様がやきもきしたらお互い様、喧嘩両成敗というやつだ。それならお前もすっきりするんじゃないかい」

「そうかな……そうかも……」

 

 そしてフレールも、一度自責が沈んだことにより、代わりに今まで底の方で沈殿していたクリストフへの不満が浮かび上がるのを無意識に感じ取っていた。

 突拍子がないセザールの閃きも、つい前向きに考えてしまう。

 

 思案を始めるフレールに思わず笑みを零しながら、セザールはたった今生まれた閃きを伝えるべく、口を開いた。

 

「お前も舞踏会に出ればいいんですよ、参加者としてね」

 

 それが、物語《せかい》という水面を大きく揺らめかせる投石になるとも知らず。

 

 

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