Escape from Aincrad 作:リンクス二等兵
2層に上がって早数日。キリト曰く"モーモー天国"の2層は確かに牛だらけだった。
リョーハがドロップアイテムのアラミド生地を広げて闘牛をしたところ、見事に跳ね飛ばされた。あいつは本当にアホだ。シノンが腹抱えて笑うレベルにはな。
ところで、この2層"ウルバス"の街は美味い乳製品の店が多い。特に、コハルと食べているこのケーキとかその最たるものだ。
濃厚なクリームがたまらない。砂糖の甘さより、ミルクそのものの甘さを活かしているような感じだ。ふわっとした食感もまたグッド。
「んー! 美味しい!」
「そいつはよかった。俺もケーキにしちまったけど、クレープも試しておくべきだったかな」
財布はぶっ飛んだけど、コハルの笑顔が見れたから良しとしよう。この満面の笑みに癒されない男がいるものか。
尚、後ろの席ではキリトが涙目でケーキを頬張っている。アスナとの賭けに負けて奢る羽目になったそうだ。ドンマイ。
「また食べにこようよ。リョーハやシノンに、キリトとアスナのみんなでさ」
「戦勝会だな。そうしようか」
きっと、楽しいパーティになるだろう。それが出来るのが、生きているってことか。
「そういえば、ここにもEFTのマップがあるのかな?」
コハルから興味を持つとは珍しい。思わずイチゴを取り落としてしまった。皿の上に落ちたからセーフ。
「アルゴから調べろってメッセージ来てたし、あるかは分からないけど探す価値はあるだろう。リョーハ引きずり込むか」
「リョーハ連れて行くのは決定なんだね」
「ボスとタイマン張りたくねえもん」
コハルと笑いながらコーヒーを啜り、ホッと一息。1層で張り続けていた緊張の糸が溶け、少し休む余裕が出来た気がする。
次々とプレイヤーが2層にやってきて、レベリングに勤しむ姿を見ることも増えた。俺たちがしたことは、確かにプレイヤーたちに希望を与えたのだろう。
次もコハルと共に乗り切ってみせよう。彼女を泣かせるわけにもいかない。俺の手が届く範囲にいるうちは、笑顔でいてもらいたいものだ。
「ねえ、レイジ」
「どうした?」
「2層も頑張ろうね」
「ああ、俺たちで突破してやろうぜ」
俺は自信たっぷりに、コハルは嬉しそうに笑顔を浮かべ、互いの手を握る。
きっと、この関係が続くのはこの城にいるうちだけになるだろうから。だから、せめて今だけは許して欲しい。彼女に、俺の戦う意味を委ねることを。
「お2人サン、熱々だネ」
「きゃっ!?」
「また生えてきた!」
急に飛び出してきたアルゴに驚き、悲鳴を上げてしまう。キリトとアスナも振り向いたが、アルゴが生えてきたと見るやまた向かい合って話に戻ってしまった。
折角のコーヒーが溢れてしまったではないか。アルゴめ、覚えておけよ?
「ん? デートのお邪魔だったかナ?」
「で、デート……!?」
「アルゴ、揶揄わないでやってくれ。コハルがオーバーロードしてる」
コハルの顔は真っ赤で、頭から湯気が出ていそうだ。そんなところも可愛いのだが、これでは話にならない。
「おやおや、レー坊は満更でもないようだネ」
「悪い気はしないからな。だが、ネタにはすんなよ? 口封じしなきゃならなくなる」
「怖いこと言わないでヨ。仕事を頼みにきたんだからサ」
「ちょっと待ってレイジ、悪い気はしないって!?」
すまんなコハル。俺は命知らずではあるけど、こういうことに関しては割とチキンハートなのだ。まだ詳しく言う勇気がないものでな。
「仕事と書いて生贄だろう? 今度はどこの調査だ」
「はぐらかさないでよね……」
コハルは不満そうにこちらを見つめてくる。これは、後々尋問されそうで怖いな。
「クエストを探して回ってたら、見たことないNPCがいたのサ。髭を生やしたニット帽の男で『湾を望む部屋にアルバムを置いてきてしまった、それをとってきて欲しい』ってナ。覚えがあったりしないか?」
思い当たる節がある。個人的には激しく面倒なタスクだ。激戦区に行かされる上、途中で死んだらやり直しなのに報酬はドキュメントケースと発電所の鍵。
本当ならあまり行きたくないのだが、今はPMC同士で戦闘にならないし、楽な部類かもしれない。
「それ、タスク名"Nostalgia"だな?」
「知ってると言うことは、タルコフ絡みのタスクだナ?」
「依頼人はタルコフのトレーダーだ。早速行ってくるよ。場所を教えてくれ」
「気をつけてナ。コーちゃんはレー坊と楽しくやれヨ」
「あ、あ、あ、アルゴさん!?」
コハルはアルゴに揶揄われ、顔を真っ赤にしながら立ち上がる。相当動揺しているではないか。
そんな姿も可愛いと思いつつ、俺はリョーハにメッセージを飛ばしていた。
※
帰ってからハイドアウトで準備を進める間、コハルは顔を合わせてくれなかった。少し目が合うと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまうのだ。
少し寂しい気もするが仕方ない。俺もコハルに好意は持っているし、脈はありそうな気がする。でも、リスクを冒す勇気が持てずにいた。
「コハル、水と食料は多めにな。予想通りならデカいマップになるから、すぐ足りなくなる」
「う、うん……どんなところなの?」
「多分、”Shoreline”だな。Nostalgiaと来たらここしかない。保養地だったらしくて、水力発電所や村、マップ中央にはリゾートホテルがあるんだ」
ちなみに、タルコフで一番大きいマップでもある。
高価な装備に身を固めたPMCはレアアイテムを狙ってリゾートに行ってしまうため、外周は接敵率が低い傾向にある。
そんな理由で、初心者や金欠PMCが出稼ぎに来ることも多い。激突したら地獄が待っているわけだが。
「泳げたらいいのにね」
「モンスターとかSCAVがいなければな。もしかしたら、この上の層に安全なビーチがあるかもしれないし、今回は我慢だ」
コハルの水着が見たいと言うのも本音だが、あんなところで泳ぐわけにもいかない。海岸はSCAVもいるし、場合によってはボートハウスにボスまで湧くのだ。
「キリトに聞いてみよう。いつか、泳ぎに行けたらいいね」
「ああ、きっと行けるさ。俺が連れて行ってみせる」
自分の装備を変えている最中だったから、ウィンドウ以外を見ていなかった。そんな俺の背中に重みが加わる。
両手を背中に乗せられたらしい。装備を外しているから、今はシャツ一枚。その手の感触がよく伝わってくる。
柔らかさ、暖かさ。仮想世界で感じるこの感触は、現実でも同じなのだろうか。それを俺は知らない。
現実で得られなかったものをここで得られた。厳しい世界なのに、どうして現実よりもこんなに優しいのだろうか。
「その時まで……ううん、それより先。
震えが伝わってくる。今もスタッシュに仕舞われている6B47ヘルメットが、彼女の震えの理由を物語る。
耐久力を全損したそれは、ボスに頭を斬りつけられた時のもの。跳弾判定のおかげで九死に一生を得て、俺はここにいる。
勝利のため、分裂を防ぐためにしかたない犠牲だった。でも、コハルにそんなことは関係ない。相棒が死んだと言う事実だけが、彼女に残るはずだったのだ。
俺のために流された涙を、忘れることなどできなかった。
「約束しただろ、置いていかないって。パートナーだからな」
本当は、現実に帰りたくなどない。ストレスとプレッシャーの濁流に押し流され、色のないそこで溺れるくらいならばここで死にたい。
敬意、友情、愛情。仮想の世界ならいくらでも手に入る偽物で、現実のものだから価値があると人は言う。ならば、この優しい夢の中に包まれて眠っていたい。
でも、コハルは共に生きて、この城から脱出する事を望んでくれた。捨てるつもりだった命を拾ってくれると言うならば、その望みを叶えよう。
「うん。すぐに追いついてみせるから…だから、待っててね」
「ああ。待ってるさ。もし……」
もし、その先が許されるのだとしたら……現実でも、"レイジ"の皮を脱ぎ捨てた俺にも、同じように接して欲しいとさえ願ってしまう。どうやら、俺は欲深いらしい。
「……いいや。今は生き残ろうぜ。またケーキ食いに行きたいからな」
「そうだね。今度は私がご馳走するよ」
「やめとけ。破産するから」
こうして笑っていられるのが嬉しい。叶うならば、もう一歩踏み込んでしまいたいとさえ思う。
でも、それはまだだ。彼女の可能性を狭めるべきではない。まだまだ無限に広がっていくのだから、俺1人に囚われるべきではない。
そう、自分に言い訳をして答えをまた先延ばしにする。悪い癖だ。きっと、Shorelineを走る間に答えを出せるだろう。
アスナ計画のWoods魔法陣お百度参りによってShoreline行きが数日遅れ、結果として答えを先送りにしたのはまた別の話としておこう。
・Nostalgia
トレーダーの1人、イェーガーから受注できるタスク。Shoreline中央のリゾートホテル西棟303号室、引き出しの中のアルバムを回収し、イェーガーへ納品するタスク。
イェーガーがリゾートホテルを訪れた時、やってきたUSECによって私物の持ち出しも許されずに退去させられ、置いてきてしまったアルバムを取ってきて欲しいという物。
激戦区に突入しなければならない上に、死亡したらやり直しになってしまう。(制限時間ギリギリまで粘って行けば比較的安全)
・Jaeger
イェーガー。本名は"イヴァン・イゴロヴィッチ・ハリトーノフ"。
ショットガンや狩猟用品を扱う老ハンターであり、かつては野生動物保護管理局の職員として、プリオゼルスキー自然保護区(Woods)の管理人をしていた。
隠遁生活をしているが心の中では正義を渇望しているようで、ボスキルタスクは彼が出す。もちろん、ボスを含めたSCAVはゴミとかクズ呼ばわり。
半年だけ化学工場で警備主任をしており、Terra Gropeの怪しさに早くから気付いていた模様。そのためか、現場主任だった"Mechanic"とは友人同士の仲。
(彼のタスク"Tarkov shooter part3"は多くのPMCの心へ傷を負わせた)