Escape from Aincrad 作:リンクス二等兵
スタングレネードを喰らったように目眩がする。光に包まれた視界はぼんやりしていて、耳鳴りで声も聞こえない。
何が起きた。それさえもわからず、ただ突っ立っていた。
誰かが体を揺さぶっている。視界がぐらついて、それを誰がやっているのか分からない。代わりに、少しずつ聴覚が戻って来た。
「レイジ! レイジ!」
コハルの声だ。相変わらず耳に優しい。目覚まし時計のアラームをコハルの声にしておきたいな。
「ねえ、起きてって! 立ったまま寝たらダメだよ!」
流石にガクガク揺すられ、首が取れそうだ。目眩の原因は、コハルが揺すっているせいじゃなかろうか?
「起きてる、だから揺するのをやめてくれ。酔っちまう」
「ごめんごめん。でも、まだEFTに戻ってないんだね」
「今度はコハルたちがタルコフに来たりしてな」
そうなったら地獄だろう。みんな銃を持っているPvP主体のゲームに剣士を突っ込んだら待つのは虐殺だ。
ナイフ一本で走り回り、アイテムを拾い集めるナイファーもいるが、大概NPCに殺されている。というか、ナイファーはめっちゃ追われる仕様になんだよな。
「タルコフじゃないけど、転移門広場には来たね」
「やっぱりバグってて、運営が説明するんじゃねえか?」
「ピッツァの補償、してもらえるといいな」
クラインの言うことには一理ある。ログアウト出来ない上に、別ゲームのプレイヤーがごちゃ混ぜになっているのだ。デバッガーは何しているんだと、責任問題にもなりかねない。
それにしても、全プレイヤーが集められているのではないかと思うほどの密度だ。何かしらのイベントか、説明と思っても仕方なかろう。じゃなきゃ訳がわからない。
「オープニングイベント全員参加してもらうために、わざとログアウト不可にしてたりして」
「なら、始まるのは校長先生の長話か?」
「せんせー、キリトくんが倒れました〜」
キリトとジョークを飛ばしていたら、少し緊張が緩んだ。やはりユーモアというのはどこの世界でも大切なのだろう。
「ちょ、押すなって! 密です、密です!」
隣でプレイヤーの波に押され、悲鳴をあげる見知らぬBEAR野郎もいるんだ。逆に落ち着くと言うものだ。
「落ち着け同志。ゲームで密でも、リアルじゃキロ単位の距離を取ってるぞ」
「そうだな同志よ。だがまずはアルコール消毒といこう」
そう言って彼はバックパックからウォッカ(BEARの初期配布アイテム)を取り出す。まさか、ここで飲むつもりなのか?
「イベント前だぞ。後で草原の景色を楽しみながら飲めよ」
「タルコフの廃墟に戻すって話かもしれないんだ。今を置いて他にあるか?」
「俺しーらね」
ウォッカは鎮痛効果やストレス耐性上昇のバフもあるが、水分量減少に加え255秒後に手の震えのデバフが発生する代物だ。他にも、スキル関連のデバフが多い。
そんな馬鹿げたことする奴があるかと思っていたら、彼の隣にいたUSECオペレーターがウィスキー(やはりUSECの初期配布)を取り出して、呑気に乾杯し始めた。
こいつら、ゲームじゃなくて頭がバグってるんじゃないのか?
そんな馬鹿どもを無視していると、遥か100m上空に真紅の市松模様が広がり始めた。
望遠鏡代わりに持っていたライフルスコープで見てみると、『Warning』やら『System Announcement』など、不穏な単語が書いてある。
「なんかアナウンスかバグ警報か? 運営め、やっとバグを認知したらしいな」
「おめぇの隣でバグってる奴らは平気か?」
クラインが見ている先では、さっきのPMC2名が肩を組んで歌っていた。高々と酒瓶を掲げて、完全に酔っ払いになっている。
「無視してくれ。タルコフの恥だ」
「タルコフってヤベーんだな」
流石に市松模様の隙間からドロリと血のような液体が滴り落ちて来て、空中で巨大なローブ……死神を思わせる風貌の人型を作り出すと、彼らは酒瓶を落とし、俺や他のPMCと同じように銃を構えた。
銃を構えても、まだトリガーは引かない。あれがモンスターなのか、ホラー演出なのかまだわかっていないのだ。
「プレイヤー諸君。私の世界へようこそ」
まるで神のような一言に全員が傾聴した。銃口を力なく下ろし、次の言葉を待つ。神の使徒にでもなった気分だ。敬虔な信者のように、その神託を待つ。
それにしても、随分ホラーな演出をするものだ。コハルが怯えているではないか。
「私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ」
そう言えば、SAOもナーヴギアも彼が作ったものか。唯一、と言うことはEFTの運営サイドはどうなったのだろう。
「待ってましたー! ボリスを出せー!」
隣のBEAR野郎がまた騒いでいるが、それはどうでもいい。
「茅場さんってSAOの開発者だよね? やっぱりこれって正式オープンの挨拶?」
「いや……茅場晶彦は今までメディアへの露出を避けて来た。ゲームマスターの役割だって、一度もしたことがないんだ。なぜこんな真似を……!?」
「それに、挨拶にしてはEFTのスタッフもいないしな。ロシア語で喋られてもどの道わからないが」
謎は深まるばかりで、キリトは茅場と思われるローブを凝視し、コハルは不安そうに、祈るように手を組んでただ次の言葉を待つ。
ロクな言葉が紡がれないのだろうけど。
「また、Escape from Tarkovのプレイヤー諸君も、この事態に困惑していると思われる。君たち1万人はソードアート・オンラインのゲストとして、私が招いた」
ゲストだと? 一体どうやったのだろう。キャラクターだけコンバートするならともかく、武器や装備はそのまま、なんならSAOにも一部EFTのシステムが導入されている。
ただのイベントゲストとは思えない。まるで、2つのゲームを融合させたようだ。
「また、既にメインメニューからログアウトボタンが消失していることに気付いていると思う。しかし、これはゲームの不具合ではない。これはソードアート・オンライン本来の仕様である」
その言葉は、俺たちに最悪をプレゼントしてくれた。
ログアウトするための唯一の方法がなくなり、体は動かせない。意識だけ、この電脳世界を漂うことになったのだ。
キリトやクライン、コハルが何かを呟いているが聞こえない。隣の酔っ払いが「やってやるぜ!」「舐めんなコラ!」と騒いでいるせいだ。酒瓶で殴っておくべきか?
「諸君は今後、この城の頂を極めるまでゲームから自発的にログアウトすることは出来ない。外部の人間によるナーヴギアの停止、あるいは解除もあり得ない。それが試みられた場合」
茅場は一呼吸置く。まさかな、と可能性に過ぎない考えが脳裏にチラつく。
意識が戻らない、何かしらの後遺症が残る。そう言った可能性が幾つも浮かんでは消える。そして最後に一つだけ、最悪の可能性が残った。
「ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる」
最悪の可能性に行きついてしまった。思考が止まり、無数の選択肢が浮かび上がっては、泡沫のように消えていく。
でも、不思議と嫌な気分ではない。現実のしがらみを捨てて、ここで思いのままに生きられるのではないだろうか? パンドラの箱を開けたような気分だ。
「レイジ……大丈夫?」
コハルに肩を叩かれ、思考が中断する。きっと、死ぬのが怖くて呆然としたと思われただろう。
不安そうに自分の胸元で拳を握りしめている、そんな彼女の方が随分怖かろうに。デスゲームに放り込むには惜しいほど、優しい少女なのだから。
「大丈夫。少し考え事さ」
おかげで茅場の話を少し聞き漏らしてしまったが、まあそこまで重要な話でもあるまい。
「しかし、十分に留意してもらいたい。諸君にとってソードアート・オンラインはもう一つの現実というべき存在だ。ヒットポイントが0になった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される」
ずいぶん現実感が増したものだ。死んで覚える、死んだ経験を次に活かせるからこそ、ゲームはゲームたりえた。
でもこの瞬間、死んで学ぶことは出来なくなった。生きて知識と経験を蓄積し、死んだら全てをロスする。現実と何ら変わらないではないか。
「尚、EFTプレイヤーについては、頭部および胸部のヒットポイントが0になっても即死はしない。あくまで、全体のヒットポイントが0になった場合にのみ死亡する」
元々は頭部、または胸部の耐久値を全損したら即死だったのに、随分と温情をくれたものだ。それでも、厳しい戦いを強いられるのは変わらないのだろうが。
俺の頭は冷めている。現実とて、何気ない日常の中で突然に死ぬ危険はいくらでもある。意識しているかどうかの違いだ。
ダラダラ生きて、重圧の中で苦しむくらいならば、一瞬だけ輝いて消える生き方を望もう。
最期の瞬間まで、俺は俺でありたい。現実で生き方を選べなかった分、この世界では存分に選んでやろう。
「レイジ……」
でも、みんながそうではない。俺がほくそ笑んでいる横で、コハルは震えていた。レベルは僅かに1で、体力量はEFTプレイヤーの自分より僅かに少ない。
平和な日本で生きて来た人間が、突然死の危険に晒されたのだから、これが正常なのだろう。
「そう簡単に死なないさ。俺が援護してやる」
コハルの手を握り、そっと語りかける。
俺は自然と笑っていたと思う。現実では必要とされない自分だが、ここでは必要としてくれる人がいるのだろうか。
そう思うと、やはりこの世界にきてよかった。周りの人たちとは真逆な、破滅的な思考が俺の背中を押す。
戦おう、思いのままに。死神が俺を捕まえるまで。
「このゲームから解放される条件はたった一つ。アインクラッド最上部、第100層まで辿り着き、最終ボスを倒してゲームクリアすれば良い」
周りのプレイヤー達から不満の声が上がる。ベータじゃろくに上がれなかった、出来るわけないだろう。そんな無数の声が木霊する。
失う覚悟もなく、与えられるのを待つばかりなら、いつまでも囚われの身のままだ。
生き残りたければ戦え。迷い、立ち止まれば死ぬ。ベータ版のEFTで味わって来た、無数の擬似的な死を思い出せ。
銃弾に身を切り裂かれ、爆風に吹き飛ばされ、霞む視界の中で体は言うことを聞かず、出血につれて視界が暗く、意識が途絶えていくあの感覚を。
何度も、何度も死んで学んできた。生き残るためには攻撃的にならねばならないと。それは、この鋼鉄の城を相手にしても変わらないはずだ。
「それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実である証拠を見せよう」
手元に手鏡が現れ、思わずそれを覗き込む。キャラメイクで致し方なく選んだ厳つい顔が浮かび上がるのだろう。
記憶に残るその姿を見ることは、もうなかった。
・BEAR
Battle Encounter Assault Regimentの略。ロシア政府によって直接設立されたと噂されるPMCで、旧ソビエト諸国の元特殊部隊員で構成されている。
ロシア政府の代理として、タルコフ市で"Terra Grope"による違法研究の調査に当たっていた。
しかし、表立って軍の援護を得られず、封鎖されたタルコフ市から出してもらえない状況となったため、USECと共闘してでも謎を解き明かし、脱出しなければならなくなった。
・USEC
United Security。"Terra Grope"に雇われた西側PMCであり、ロシア政府及びBEARによる調査に対して
公式映画にて、Terra Gropeの研究員を虐殺したり、サーバールームを爆破するなど、証拠隠滅に当たっていた。
しかし、タルコフの封鎖により自身の脱出や保護を約束してもらえない状況となったため、任務を放棄して脱出のために行動している。
・Terra Grope
40社以上の大企業が参加する、巨大な企業グループ。世界に120社以上の支店を持ち、タルコフで違法研究をしていたTerra Grope Lab有限会社はその子会社。
各地のコンテナやシートなどにロゴが描かれている。