Escape from Aincrad 作:リンクス二等兵
またどこかに転移させられたのか。そう思ったが、転移門広場から動いてはいなかった。
ところで、鏡には何の役割があるのか。そう思って鏡を覗き……思わず落としてしまった。
「……俺の顔?」
大人になりそうでなりきれていない、そんな微妙な年頃の顔。歳を食った厳つい顔ではない。
嫌と言うほど見て来た。自分の顔だ。
「えっ……みんな、見た目が……」
コハルが何やら驚いているので、視線の先に目を向けると、キリトとクラインであろう人物がいた。
クラインは精悍な顔つきに顎髭を生やした野武士になっている。まだ面影はあるし、気のいい兄ちゃんは崩れていない。
問題はキリトだ。クールなイケメンはどこかへ消え去り、幼さを残す中性的な顔立ちの少年になっていた。大人に憧れたのだろうか。背も低くなっている。
「クラインとキリトだよな?」
「お前レイジか!? あの顔からそれは想像つかねえ!」
「タルコフのキャラメイクに文句言え!」
時に、コハルはどうなのだろうか。ネカマの可能性も捨てきれず、目を向けるのが怖い。
だが、現実を直視する時が来たのだ。勇気を出そう。
そう思って首を動かすが、コハルは全く変わっていなかった。そのまんまの美少女がオロオロしながら立っている。
「コハル、まんまだな」
「VR試着用のアバターをそのままコンバートしたの。ほら、自分の顔じゃなきゃに合う服を選べないでしょ? それで、ゲームを始める時に出て来たメッセージを適当にOKしたらこの姿で……」
「今となったら、手間が省けたみたいなもんか」
タルコフのキャラメイクで身長を変えられなかったから、これはありがたい。
目線が普段の生活と違うと、中々動きに慣れないのだ。これなら思うように動けるだろう。
隣の酔っ払い2名も、驚きながら自分の体をあちこち触っている。楽しそうで何よりだ。
「レイジ、その姿の方がいいかも」
「ゴツいロシア人キャラよりはいいか?」
「そうだけど、何だかお兄さんって感じがするよ」
「おだてても缶詰かチョコバーしか出ねーぞ?」
スキャンがどうだとキリトが考察しているが、それはどうでもいい。今この場に囚われて、自分自身の姿でここにいる。その事実で十分だ。謎解きゲームじゃあるまいし。
「以上で、ソードアート・オンライン正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る」
死神は消え、赤く染まった空は青空へ戻る。
一瞬の静寂の後に、悲鳴、怒号、罵声。ありとあらゆる声が転移門広場に木霊した。隣にいるはずのコハルの声が、かなり遠くに聞こえるほどに。
「ねえ、レイジ……これ、ドッキリじゃないのかな。ほら、よくバラエティ番組であるやつ! ね、そうだよね……」
無理矢理作った笑顔に、縋るような目が心を抉る。覚悟して、ここで戦うと決めたばかりなのに。それが、この瞳を見ただけで揺らいでしまう。
何か答えなければ。それなのに、俺の頭には何も言葉が浮かばない。
彼女の流す涙を見ているのが、あまりにも辛すぎたから。
その無言は、コハルに現実を突き付けるには十分すぎた。
コハルはその場に崩れ落ち、何とか抱き止めるのが間に合った。早くこの場から離れなければ。
「クライン、どっか休めるところを。雰囲気に飲まれるぞ」
「あいよ。案内してやるから運んでくれ」
コハルを抱き抱え、クラインとキリトの先導に従って広場を離れる。
雰囲気に飲まれて絶望したらそれまでだ。一度挫けて仕舞えば、再び立ち直って戦うのは難しい。
「レイジ、クライン。聞いてくれ」
移動の最中、キリトは神妙な顔で口を開く。何かあったかと耳だけ傾けつつ、目は意識を手放したコハルに向けていた。
「何だ」
「俺はこの街を出る。生き残るにはレベルを上げることが必要不可欠だが、みんなが気付くのは時間の問題だろう。すぐにこの辺のリソースは足りなくなる」
モンスターも狩り過ぎればいなくなる。それなのに、ここはプレイヤーが密集しすぎていた。
だからこそ、キリトは誰も来ない場所でいち早くレベリングをして、足元を固めるつもりなのだろう。
「そうか。で、俺らにも来ないかと?」
「ああ。少人数ならば俺も助けられるから」
「もう出るのか?」
「そうしないと間に合わない」
どうする? とクラインへ目を向ける。正直な話、俺にはあまり関係がない話だ。
レベルが上がって強くなるのはSAOプレイヤーに限った話で、俺たちPMCは違う。
HPは増えないし、スキルは特定の行動をしないと成長しない。精々、トレーダーから購入できるアイテムが増えるくらいだろう。
「悪い、俺はダチが待ってるんだ。前のゲームからの仲間で、まだ広場にいるはずなんだ。放って置けねえよ」
クラインはどこか寂しげで、それを笑顔で無理矢理隠していた。
キリトと共に行きたい気持ちもあるのだろうが、かつての仲間を見捨てられない。そんな優しさが滲み出ていた。
キリトはクラインを置いていくことを躊躇っている様子だ。かと言って、クラインの友人全員を守れるわけもない。
苦渋の決断、というやつか。
「俺もコハルを放って置けねえ。後から追いつくから、先に行ってくれ」
コハル出会ったばかりではあるが、放り出すわけにはいかない。
あの縋るような瞳が脳裏に浮かぶ。誰かが支えにならなければ、立ち上がるのすら難しいだろう。
だから、せめてとばかりにスマホ型の端末を取り出し、キリトとクラインへフレンド申請を送る。
すぐに届いたのか、2人は承認してくれた。その通知が画面に浮かび、嬉しく思う。これは訣別ではない。少しばかりの別れだ。またいつの日にか会える。
「何かの縁だ。生きてまた会おうぜ。お互いの知識が役に立つかも、だろ?」
「なんかあったらオレを呼べよ! すぐ駆けつけてやるからよ!」
クラインに肩を叩かれ、嬉しく思う。自分も不安だろうに、安心させようとしてくれたのかもしれない。
「レイジ、クライン……すまない」
「行っちまえ。お互い出来ることをするんだ。胸張って行きやがれ!」
餞別に水と食料を手渡し、今度は俺がキリトの肩を叩く。キリトも俺たちを置いて、1人旅立つのを心苦しく思っているのだろう。
ベータでの知識を持っていて、少し有利に立ち回れる。それでも、その両手の届く範囲はまだ広くない。
助けたいと思うなら、強くなれ。願わくば、プレイヤーたちを導く存在にまで。
キリトはもう振り返らない。小さくなっていく背中を、俺とクラインは見守っていた。不思議と、また会える気がする。
「……走れ、走れ、走れ、走れ!」
俺も、俺に出来ることをしなければ。
※
「あれ……ここ、アインクラッド……?」
「よう、起きたか眠り姫」
ようやく目を覚ましたコハルはあちこちを見回し、状況を理解しようとする。夢でなかったと理解して、落胆した様子だ。
「やっぱり、夢じゃないんだね」
コハルはまた泣き出してしまいそうだった。少しでも安心させようと頭を撫でると、心地良さそうに目を細める。
「そういうこった。ほら、食べるか?」
コハルが枕にしていたバックパックに手を入れ、チョコバーを取り出して手渡す。
街などの"圏内"ではエネルギーも水分も減らないようだが、落ち着くために甘いものを食べるのはまた別問題だ。食事には娯楽の意味もある。
「ありがとう……キリトとクラインは?」
「キリトは山にレベリング、クラインは川で仲間探しを」
「桃太郎じゃないんだから」
「鬼退治的なことはするだろ?」
クスリとでも、コハルは笑ってくれた。笑えているならばまだ大丈夫。笑えなくなっていたらどうしようかと思ったものだ。
「このチョコバー、かなり甘くない?」
「激甘だぞ。割と好きだけど」
「レイジ、見た目によらず甘党なの?」
「失礼な。人生辛口なんだから、食い物くらい甘口でいいだろ」
そう言いながらコーラの缶と緑茶の缶を差し出すと、コハルは迷わずコーラを選んだ。コハルも甘いの好きじゃないか。
「それに、ここなら食べても太らないしね」
「それな。稼いで甘いもの食い倒そう」
「目標がそんなのでいいの?」
コハルはまた笑う。俺はこのアインクラッドを楽しむつもりのスタンスなのだ。甘味の食べ歩きだって最高の目標じゃないか。
そのためには、戦って稼がねばならないのだが。
「開き直っただけさ。俺たちがメソメソしてるのを見て、茅場の野郎がほくそ笑んでると思うとムカつくし」
「レイジは強いね」
「強いんじゃなくて、勢い任せって言うんだよ」
お茶を一気飲みして、もう一度街を見つめる。座り込んでしまう人、泣いてる人、見ていてあまり精神衛生上良くなさそうだ。
こう言う時こそ、何かに熱中して忘れるべきなのだろう。辛いことも悲しいことも、意識の外に追いやるように。
「コハル、俺たちもレベル上げに行くか」
俺たち、その言葉にコハルは驚いたような表情を浮かべる。なんだ、置いてけぼりにするとでも思っていたのか?
「いいの? 私、ゲーム下手なんだよ? ベータでも全然戦えなくて……」
「構わん。接近されるまでは俺が削るから、剣が届く位置に来たらコハルが仕留めてくれ。俺にはソードスキルなんてないからな」
「……わかった。よろしくね」
「決まり、だな」
コハルにフレンド申請とパーティ招待を送ると、笑顔で承諾してくれた。
全くの別ゲームから来て、出会ったばかりの俺たち。それなのに、こうして信用してくれるのが嬉しくてたまらない。
ソロプレイもいいが、どうやら俺はチームプレイの方が好きなようだ。