Escape from Aincrad   作:リンクス二等兵

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幕間 風邪の日

 夢を見ていた時もあった。優しい夢を。ボスとの死闘さえも生き残って、現実で再び会う夢を。あと少し、あと少しで夢が叶う。そう信じていた。信じていたかった。

 

「……ねえ、起きてよ」

 

 現実に帰ったらPMCでも何でもない、ただのありふれた学生。そんな存在でもいいか? なんて言っていた彼の、ありのままの姿を見てみたかった。

 デアデビル(命知らず)じゃない、1人の人間として、そんな彼ともっと先の未来を旅したかったのに。

 

「答えてよ……」

 

 それなのに、彼は答えない。冷たい石畳の上に倒れて、眠るように目を閉じた彼は微笑んでいた。満足そうに、やり切ったとでもいうように。

 白地に緑の線と、落書きの挟まれた注射器が足元に転がっている。彼の隣には、最強の相棒も同じように倒れていた。

 

「ねえ……ねえ!」

 

 夢の続きを、現実で見たかった。彼は優しいから、私が風邪をひいたら真っ先に駆けつけてくれるだろうし、心細くなればずっと側にいてくれるのに。

 

 ずっと一緒にいようって、この先の未来を一緒に旅しようって約束したのに。

 

 そんな約束も未来も、幸せさえも投げ捨てた。顔も知らない誰かのために。臆病だから、誰かが傷つくところを、私が泣くのを見ないように、彼は逝ってしまった。

 

 わざと命を削って、強敵に不利な戦いを挑んで、友の一撃に身を切り裂かれて勝利を勝ち取った、悲劇の英雄。だけど……

 

「こんな結末なんて、望んでなかったのに!」

 

 ボス部屋は歓声に包まれることもなく、葬送式のように静寂が包んでいる。私の慟哭と悲鳴だけが、葬送曲のように響き渡っていた。

 

 英雄なんかじゃなくてよかった。ただ1人の優しい青年として、私のそばに居てくれればそれでよかったのに。

 

 

 これは夢だってすぐにわかった。ここがアインクラッドじゃなくて私の部屋で、これでもかってくるい具合が悪いんだもん。SAOで病気になんてならないから、夢で間違いないよ。

 身体はだるくて、頭も割れそうに痛い。寝て意識を失えば、こんな苦しみも味わわないで済むのに、結局苦しみのせいで寝付けない。

 

 もしかしたら、SAOのこと自体が熱にうなされながら見た夢なのかも。悪夢というにふさわしいし、それで物語を書いたら売れるかもね。

 でも、夢じゃなかったんだなって思う。だって、目の前には彼がいるから。

 

 相変わらずBEARの刺繍がされた緑の帽子に、黒のジャケット。現実なのにそんなミリタリールックを好む彼は、そっと私の頭を撫でていた。その優しい微笑みも、あの時のままに。

 鋭く敵を睨みつけていたあの瞳が、優しく私を見下ろしている。

 

「目が覚めたか?」

 

「うん……」

 

「シートを変えよう。随分ぬるくなってやがる」

 

 彼は私の額の熱冷ましシートを剥がして、立ち上がろうとする。そんな彼の裾を、私は無意識に掴んでしまう。

 

 離したらどこかへ行ってしまう。いつもそうだった。私に何も言わず消えてしまって、お墓どころか死んだことさえも知らないまま、現実に帰ることになるんじゃないかって思っていた。

 ずっと一緒、そばにいて欲しいって願って努力もした。私が死ななきゃって覚悟を決めた時もあったけど、彼は抗って覆してくれて、ようやく今がある。

 

 だから離したくない。やっと命の危険もなく、そばに居続けるって誓いあったから。熱の苦しみに耐えてでも、離したくないの。

 

「全く、この甘えん坊が。少しだけ我慢しろ、お守りを置いておくから」

 

 彼は帽子を私に被せる。少しぶかぶかだけど、さっきまで被っていたからか少しだけ温もりがある。不快な熱の熱さじゃなくて、優しく包み込む心地よい暖かさ。頭を撫でられているみたい。

 

「そら、冷たいぞ」

 

 そんな帽子が取り払われて、代わりに冷たいシートが額に貼り付けられた。

 

「……手、大きいね」

 

「当たり前だろ。ま、AK握るにはちと小さかったかもな。ロシア人みたいにはデカくねえし」

 

「私はこの手が好きだよ」

 

 そっと指を絡めると、彼は恥ずかしそうにする。女慣れしていないのか、反応が初々しくて可愛いと思うことがよくある。

 強くて優しくて、その裏返しで臆病な、そんな私の英雄。誰にも讃えられなくても、特別視されるような存在じゃなかったとしても、私だけのヒーローは確かにここにいる。

 

 この手を握りながら、あの鋼鉄の城を一緒に戦って、隣で生き残ってきたんだもん。

 

「なんか食うか?」

 

「……あんまり食べられなさそう」

 

「少しでも食った方がいい。プリンならあるぞ」

 

 彼はそう言ってプラスプーンでプリンを掬うと、私の口にそれを運ぶ。あーんしてもらうのって、もっとドキドキするものだと思ってたのに、今は風邪のせいでそんな気分になれない。

 ただ、胸の内が暖かく感じる。好きな人に食べさせてもらって、看病してもらうのって幸せなことなんだね。

 

「美味いか?」

 

「うん……」

 

 本当は味なんてわからない。きっと熱のせい。それでも、彼が食べさせてくれたのが嬉しくて、億劫さや食欲のなさを押し殺してでも口を開け、次をおねだりする。 

 

 そんな私を見て、彼はやっぱり笑っていた。

 

「彼女にあーんしてるというより、雛鳥に餌やってる気分だな」

 

「もう、少しはキュンとさせること言えないの?」

 

「言おうと思えば言えるけど、笑いの方がお望みだろ?」

 

 そうやって、いつも私を笑わせようとするんだ。そんな彼が、私は大好き。

 

「私が初めての彼女なのに、そんなに言えるの?」

 

「レパートリーだけは豊富なのさ。恥ずかしいだけで」

 

「いつもそうやってふざけるんだから」

 

 でも、それが楽しい時間をくれる。熱が出て苦しくて、心細くても彼がいる。優しく包まれるようで、安心感が睡魔を運んできた。

 いつの間にか、彼が子守唄を口ずさんでいる。相変わらずロシア語はわからないけれども、優しい旋律と撫でる右手が心地よくて、いつしか私の意識は闇に落ちていた。

 

 

 目が覚めると、そこは薄暗いハイドアウトだった。どれが夢なのかもうわからない。試しに虚空に指を振ってみると、メニューウィンドウが開いた。

 ここが現実か。そう意識した私は落胆して、ベッドに身を沈める。そんな時に、ふと思った。彼の姿がない。

 

 隣のベッドはもぬけの殻で、背中に寒気が伝う。どれが夢で、どれが現実か分からない。もしかしたら、本当にいなくなってしまったのではないか。そんな恐怖心が私を支配する。

 

「嫌……イヤ! レイジ、ねえ……!」

 

 私は飛び起き、走り出した。狭いハイドアウトの中で前も見ずに駆け出して、角を曲がったらぶつかった。その悲鳴は私の求めていた声で、弾き飛ばされた彼に私は縋り付いてしまう。

 

「レイジ……! よかった、生きてた!」

 

「ったく、急に悲鳴上げたからびっくりしたぞ。シャワー浴びてたのに」

 

 我に返って、今の様子を見てみる。私は寝巻きで、レイジはシャワーの途中で悲鳴を聞きつけて飛び出したらしく、ズボンを履いただけ。それを、私が押し倒して縋り付いている。

 顔が熱を帯びるのがわかる。こんなところを見られたら恥ずかしいし、そもそも、半裸のレイジを押し倒していること自体が異常事態なんだよね。

 

 申し訳ないことをしたのに、彼は笑っている。そして、優しく私の頭を撫でてくれた。

 

「なんか怖い夢でも見たか?」

 

「……うん。レイジが死んじゃう夢とか、レイジが風邪を引いた私を看病してくれた夢とか。それで、起きたらいなくなってたから怖かったの」

 

「うなされてたもんな。しばらく撫でたら落ち着いたし、それでシャワー浴びに行ってたんだが」

 

 あれは夢じゃなくて、本当に撫でてくれていたみたい。そんな優しさが暖かくて、好きになったんだろうなって思う。

 ここが仮想空間だとしても、この温もりを確かに感じている。鼓動さえも再現されていて、それが耳に心地いい。

 

 もう少しだけ、あと少しだけ、味わっていてもいいかな。

 

 これをリョーハとシノンに見られて、アトラスの人たちにしばらく揶揄われたのは別の話。




この次から11層突入になります!みんな大好き、あのトレーダーが現る!?
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