Escape from Aincrad 作:リンクス二等兵
クレバスは底へ行けば行くほど狭くなっていくものだと教わっていた。氷河の裂け目はV字になっているから、そこへ足が挟まって抜け出せず、命を落とすこともあるのだと。
でも、ここは底が広く、通路のようになっていた。もしかしたら、ダンジョンか何かの入口だったのだろうか。ピッケルか何かがなければ、入る前にゲームオーバーだけどな。
「……ねえ、リョーハ」
「どしたよ?」
振り向いて声をかけるが、シノンはバツが悪そうに目線を外して首を横へ振る。ヘマをした責任を感じているのだろうか。たまにはしおらしいシノンも可愛いな。
それに、2人きりとかいつぶりだろうか。バッグアップ隊もいない、本当に2人きり。たまには、話したりするのにいい機会かもな。
「休憩するか?」
「あれだけしたじゃない。早いところ脱出しましょう。時間がもったいないわ」
「俺は構わねえけどな」
まるで焦っているような声色だ。まあ、気持ちはわかる。でも、そのために判断を誤られても困るし、こういう時は休憩するに限る。
そんな訳で、強引に休憩にした。バックパックから取り出した焚き火セットで暖を取り、鍋にアリョンカチョコバーを投入。そこにミルクを少し入れて煮込む。
甘い物は気分転換にいい。ストレス下では尚更だ。こういう小細工で自分を騙し騙し動かして乗り越えていく。俺はその術を知っていて、彼女は知らないってだけだ。
「出来たぜ。リョーハ特製ホットチョコレート。バフはねえけど飲んどけ」
「ありがと」
いつも通りそっけないのに、どこか怯えたような雰囲気がどうしても気になる。きっと、放っておけばこの小さな溝は大きなクレバスへと姿を変える。長い時をかけてゆっくりと。
だからこそ、俺はわざとシノンの隣へ座った。普通ならビンタの一つ飛んでくるだろう、肩の触れる距離。それでも、シノンはわずかに声を漏らすだけで抵抗しない。
「気にすんなよ。お前は悪くねえ」
「……でも、リョーハを死なせるところだった」
「死なねーよ。雪山で滑落した時の方がよっぽどヤバかったわ」
本当はどっちもヤバかったが、優しい嘘というものもあるさ。俺には優しくねえけど。
カップを握るシノンの手が震えていた。熱々のカップを持って寒いわけがない。だからと言って指摘するのはナンセンス。
そっと手を添えるだけでいい。握る訳でもなく包み込んで、それだけでいい。きっと、伝わってくれる。
「相方が生きていてくれりゃ万々歳よ。ただ無意味に死ぬより、シノンのために体張る方がやりがいもあるっての」
「……死にたいみたいな事、言わないでよ」
軽く、触れるようにシノンの拳が俺の肩を叩く。本当に叩かれたのかも分からないほどで、思わず彼女を二度見してしまった。
「一生守るって言ったじゃない。忘れたの?」
「忘れられてるか、ジョークと思って流されたかと思った」
「あんな状況で言われて、冗談なんて思わないわよ」
それもそうか、と笑いが溢れた。なら、シノンは予約済みって事でいいか。
関係がどうなっているのか一度整理したいけど、弱ったシノンにそれを迫るのは酷だから後回しにする。まあ、いつものシノンになら下僕って言われるんだろうな。その時はフカ次郎に泣きつこう。
「……どうして、手を掴んだのよ」
きっと、クレバスに落ちた時のことを言っているのだろう。あそこでシノンを見捨てたなら、俺は落ちずに済んだ。
でも、間違いなくシノンは死んだだろう。その後俺はどれだけ打ちひしがれたか。こんな考えも後付けか。
「勝手に動いた。シノンに死なれたくねえからな」
「……バカ」
肩に加わる重みはシノンの体重か。頭を乗せてきたのだろう。
そんなシノンを見ることはなく、静かにホットチョコレートを啜る。止まり木は何も言わず、そこに聳え立つだけだ。少し休んでいきたいと言うならば、微動だにせずそこへ鎮座して羽を休ませてやる。そんな存在であれればいいのさ。
「どうして、いつもそうなのよ。何かあったらすぐ駆けつけて、火の粉は自分が浴びようとして。私にそこまでする理由がわからないわ」
そうは言われても、明確に説明するのは難しいんだよな。本当に、本能みたいなものだ。ふわっとした、そんな感覚。一応理由はあるけれども、その理由でさえもがふわっとした根拠しかない。
でも、ぶちまけていいかもしれない。シノンを信じて、それで拒絶されたら……その時はその時か。
「そりゃ、好きだからに決まってるだろーがよ」
「何を言い出すかと思えば……!」
シノンが声を荒げても、俺は変わらない。何を言われても、俺の気持ちに嘘はつかないし取り繕うこともしない。
それが俺の本心だからだ。誰かになんと言われても揺らぎはしない。この想いの一つ一つが、俺を形作る大切なものなのだから。
さあ、帰ってくるのは肯定か拒絶か。吐き出してスッキリして、気楽に身構えていた俺の視界は急に上を見上げた。
はて、どうしたことか。視界の端にシノンが映っているのを見るに、突き飛ばされたか押し倒されたのか。流石に予想外だ。距離をとっていないのを見るに、嫌われたわけではないようだけど。
「なんで、いつもそうなのよ……5層の時だって、突き放すつもりで言ったのに……!」
きっと、一生守ってという話のことだろう。普通の奴なら逃げ出す。重過ぎるし、背負う覚悟のあるような奴はそうそういない。
でも、俺はそうじゃない。仲間の命を背負ってきて、今更1人増えたところで変わりはしない。それが、本当に守りたい人の命ならば、心地よく思えるだけだ。
「言った通りだぞ、好きだからって。それに、お前とバディになった時から守るって覚悟はしてたからな」
そっと手を伸ばし、シノンの頬を包み込む。流れる涙は親指で拭って、もう片方の手は彼女の背中へと回し、引き寄せた。
きっと、セクハラ防止コードが警報を鳴らしている頃だろう。拒絶して、俺を牢獄送りにするならそれはそれで構わない。その時は、想いを捨てて任務に忠実な猟犬になればいいんだから。
シノンが震える指で、俺には見えないウィンドウを操作する。終わりの足音がするような気がして、俺は目を背けた。覚悟をしたとは言っても、やっぱりその瞬間は見ていたくないものだ。
レイジは何と言うか。コハルは俺を軽蔑するだろうか。フカ次郎は、慰めてくれるかな。
そんな思いとともに、俺の心はどこへ消えていくんだろう。そんな不安を抱きながら時を待つが、いつまで経っても強制転移させられることはなかった。
その代わりに、重みが加わって動けなくなる。シノンが俺の胸に抱きついて来たのだ。
「……今だけ、こうさせて。弱い私でいたいから、守っていて」
「いつでも。全部、俺が受けてやる」
彼女が抱える傷も、受けるはずだった傷も、全部俺が受け止める。ボロボロになっても笑顔を見せて、背中を向けて泣けばいい。
降り積もる雪がやけに冷たく感じたのは、頬が火照っているせいではあるまい。きっと、気のせいだ。