Escape from Aincrad 作:リンクス二等兵
「落ち着いたか?」
「……ごめんなさい。みっともないところ見せたわね」
「可愛かったぞ。いつでも甘えてくれてOKだ」
シノンは目を逸らしながら身を起こし、そっぽを向いてしまう。もう少し甘えていてくれてもいいのに。返ったら抱きしめてみようか。
余韻を味わいながら俺も立ち上がると、シノンは既に前進準備を整え、いつものようなクールさでそこにいた。さっきまでの弱い姿はどこへやら。切り替えがうまいな。
「先へ進もう。出口を探さねえと」
「本物のクレバスなら、登るしかないんでしょう?」
「本物ならば、な。茅場の優しさに期待しようぜ」
落っこちても生き残る可能性があるのに、脱出は不可能なんて鬼仕様を残していないと信じたい。半ばグリッチのようなものだが、何かしら救済は準備されていると信じた方が気も楽だ。最後は登ればいいんだしな。
「転移結晶、落ちてねえかな」
「隠しスタッシュがあるといいわね」
「そんな時に限ってゴミが出るんだよ」
グラボの一つ出てもいいのにな。まあ、転移結晶があるという安心感のおかげか、メンタルを強く持っていられる。レイジは絶対に助けてくれるだろうさ。
「UNTARアーマーとかね」
「GzhelかSlick来たって思ったら青アーマーって、悲劇以外のなんでもねーよ」
シノンにも覚えがあったらしく、クスリと笑った。やっぱり笑ってる方が可愛いじゃないか。いつものクールな顔も好きだけどさ。
時々他愛もない話をして、ほとんどは無言のまま進む。俺は前を、シノンは後方を警戒して、終わりの見えないクレバスを歩き続ける。スタッシュのひとつもないけれど、散歩にはちょうど良かった。
そして、この世界が俺には合い過ぎている。こんな戦術なんてサバゲーか自衛隊に入るかでもしなければ役に立たないような代物なのに、ここではそれが全て。
おかげで俺は必要とされている。今の立場がある。悲しいほどに、俺にはよく似合っていた。
もし現実に帰ったとして、失った時間は戻らない。コースから外れた俺を社会は受け入れてくれるのだろうか。そんな不安にさえ襲われる時があるほどに。
「そういや、なんか俺のリアルに興味あるみたいだが……やっぱ、リアルに帰りたいのか?」
「当然じゃない。リョーハは……どうして帰ろうと思わないのよ」
「就職も進学もままならず、放り出されるのが目に見えてるからだよ。ゲームでこうなった奴に、社会は厳しいぜ」
それならばこの世界で戦っていた方が幸せだ。少なくとも、生きているという実感があるのだから。
例えここで死んだとしても、恐れる必要はないんだ。疲れたからしばらく寝て休む。それだけなんだ。怖いのは、シノンやレイジを置き去りにしてしまうことだけだけれども。
「……だとしても、死んだら終わりよ」
「覚悟は出来てるさ」
言い放った直後に、背中へ重みが加わる。バックパックを押しつぶして、シノンが抱きついて来たのだ。深淵まで行ってしまいそうな俺を引き止めるように、縋り付くように。
「生きて。その銃を握ってる限りは、私のこと思い出すんでしょう?」
その約束で渡されたAS-VALは、既に何度か機関部を交換している。それでも銃身やダストカバーのように、その時から変わらずに取り付けているパーツもあった。
つぎはぎだらけの銃で、新品にしても何も変わらない。それでもシノンとの絆を感じて、同じ部品なのに頑なに古いものを使い続けている。これを撃つたびに、シノンを思い出すために。
「わかったよ。ただ、ヤバくなったら約束はしねえぞ」
「そこははっきり言い切りなさいよ」
クスリ、とシノンが笑った。今はそれでいいさ。もしも、この先も一緒にいられるならばその時に改めて……
「止まれ」
思考が切り替わる。確かに話し声が反響して聞こえてきた。ヘッドセットの環境音増幅機能でようやく聞こえるレベルだから、まだ俺たちの話し声は気付かれていないと信じたい。相手が同じものを持ってたらアウトだが。
「なんかいる。複数」
「こんな所に?」
「おかしいだろ。偵察しよう」
足音を立てないように忍び寄る。入り組んだ道の先を慎重にクリアリングしていくと、黒フードのプレイヤーがいた。
頭の上のカーソルに目を凝らすと、オレンジ色に見える。あいつらは歩哨だ。本命はその奥にいて、何かをしているのだろう。あちこち探してもアジトが見つからないわけだ。クレバスの下なんて思いもしねえよ。
「コンタクト、オレンジ2」
「どうするの、主力はあの奥でしょう?」
「まーな。まずはレイジに報告するわ」
声を聞かれたらまずい。テキストでレイジへ、オレンジの居場所を見つけたので調査する、援軍はまだ出すな、というメッセージと共に座標を送る。
返事はすぐに来た。了解と返ってきたから、こっちの方は大丈夫だろう。バッグアップ態勢を整えて待っていてくれるだろうから、こっちは俺のやることを果たすだけだ。
「よし、レイジが上でバックアップしてくれる。シノン、周辺警戒頼めるか?」
「いいけど、どうするの?」
「あいつらをダウンさせて、その先に行く」
AS-VALなら銃声を聞かれることなく奴らを始末できる。殺さずにダウンさせて、後は縛っておく。その先で何が起こっているかを確かめるには、それが最適の選択だろう。
「……撃つの?」
「ダウンさせるだけだ。捕虜にする」
殺すのか、そう心配しているのだろう。シノンは俺に殺して欲しくないらしい。それがどうしてなのかはあまりわかっていないけれども、知り合いが人殺しになる姿なんて見たくないだろうしな。
どうしてだか、シノンは殺しの痛みを知っているようだしな。
「お前は撃つなよ。ドラグノフは音がデカすぎる」
「わかってるわよ」
AS-VALを構え、やる気のない見張りの頭に狙いを合わせ、静かにトリガーを引く。亜音速の9×39mm弾が銃声を響かせることなく頭を貫き、もう片方も何が起きたかわからず、声を出せないままに頭への一撃を受けてダウン状態へと陥る。
クリア。もう1発ずつ頭に銃弾を撃ち込んで黙らせ、手早くパラコードで縛り上げていく。シノンも打ち合わせ通りに片方を縛り上げてくれたから、止まるのは最低限の時間で済みそうだ。
ここからは声を出さない。ハンドサインで合図すると、シノンは取り回しの悪いドラグノフからMP7へと持ち替える。こっちはサプレッサーをつけているけれども、消音性能はAS-VALの方が上だ。
そんなことよりも、シノンに人を撃たせたくない。その気持ちの方が強かった。だから、俺が先頭を行く。撃つ痛みも撃たれる恐怖も、全部俺が受けてやるさ。俺は盾として、矛としてここにいるんだ。
今更迷うことなんて、ありはしないんだ。