貴丈、乙骨、真希の合同実習から時は流れ、早三ヶ月。
呪術高専東京校の校庭には、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いていた。
「ほらよっ!」
「~~~!」
相対しているのは乙骨と貴丈。
乙骨の手には抜き身の刀が握られ、金属とは別の怪しげな輝きを放っている。
彼が日本刀を使い始めたのは、三ヶ月前の里香完全顕現以降のことだ。
あの一件で里香の祓除は不可能と判断した五条と、彼女を自分が呪っているのではと仮定した乙骨が話し合い、彼女の呪いを『解く』という事態解決の方向を定めた。
だが、ただですら強力な里香という呪いはそう簡単に解けるわけもなく、長い時間かかることは明白。
そこで『呪いは物に宿ると安定する』という特性を生かし、里香の受け皿として刀を渡したのだ。
その刀に里香という呪いを込めて安定させ、できるだけ危険性を排除してから解呪の方法を探る。
その為にも、その刀を乙骨は肌身離さず持ち歩かねばならず、それの扱いを練習するのは当然のこと。
問題があるとすれば、抜き身の刃で同級生に斬りかからねばならない状況だろうか。
「らっ!」
貴丈が豪快に振りかぶってから叩きつけたドリルクラッシャーを、乙骨は呪力を込めた刀で受け止め、強引に押し返しながら刃を返して一閃。
貴丈は摺り足で半歩下がることでそれを避け、同時に右足を軸に回転。
ドリルクラッシャーを両手で握りこみ、野球のバットよろしくフルスイング。
「っ!!」
乙骨は反射的に刀でそれを受けるが、今度は力負けして弾き飛ばされた。
ごろごろと地面を転がるが、素早く身体を起こして追撃を迎え撃たんと構えるが、
「……い、いない!?」
本来そこにいる筈の貴丈の姿がなく、乙骨は切羽詰まった声を漏らした。
左右に視線を向けて彼の姿を探すが、やはりいない。
直後、乙骨に影がかかり、彼はハッとして頭上を見上げた。
そこにはドリルクラッシャーを既に振りあげた貴丈の姿があり、乙骨はぎょっと目を見開いた。
だが考えるよりも速く手が動き、直後に振り下ろされたドリルクラッシャーを真正面から受け止めるが、呪力により強化された貴丈の腕力と、落下の勢いに乗せた一撃は凄まじい重さを生み、乙骨に膝をつかせる。
そのまま乙骨を押し込みながら着地した貴丈は、ドリルクラッシャーの刃に腕を押し付けて更に力を込め、押し込まんとするが、
「……っ、こんの!」
乙骨は片膝立ちの状態から、無理やり体勢を整えて貴丈の足を払った。
「うお!?」と声を漏らして僅かな浮遊感に驚き、力加減が変わったことで、競り合っていた刃同士がお互いに滑るように逸れた。
勢いで乙骨は立ち上がり、逆に膝をつくことになった貴丈に向け、刃を振るわんとするが、それよりも速く彼が動いた。
逸れた勢いで地面にめり込んだドリルクラッシャーを手放し、そのまま弱めの呪力を込めた拳を乙骨に振るったのだ。
「え……」
事前に話し、今回は武器同士での打ち合いということを決め、それに集中していたからこそ、乙骨は間の抜けた声を漏らした。
故に彼の拳は見事に乙骨の鳩尾を打ち抜き、ドン!と鈍い音が辺りに響いた。
「やべっ」
対する貴丈も、思わぬクリーンヒットに困惑の表情を浮かべた。
乙骨のことだから避けるか、防ぐかしてくれるとある意味で信頼していたのだが、それを裏切られる形となってしまった。
だが、勝負は勝負だからと、まともに呼吸もできずに鳩尾を押さえて踞る乙骨の後頭部にコツンと拳骨を落とす。
「かひゅ……!ひゅっ!ひゅ……っ!」
「いや、わりぃ。ちょっと、ムキになった、かも……」
呼吸が上手くできず、口から変な音を漏らしながら抗議するように睨んでくる乙骨に平謝りすると、貴丈はやってしまったと額の傷痕を掻いた。
そのまま審判を勤めてくれていた五条に目を向け、「これは、どっちが勝ちなんです?」と問いかけた。
事前には武器同士での模擬戦だという話だったが、自分はそれを破ってしまったのだから反則負けだろうか。
顎に手をやった五条は数瞬迷うように小さく唸ると、すぐにいつもの無邪気な笑みを浮かべ「ルール違反は駄目だよね」と告げた。
その直後には横で観戦していた真希、パンダ、狗巻は「お前が言うな」と言わんばかりの視線を五条に向けるが、彼はそれを意図して無視し、貴丈と乙骨に言う。
「でも、本当の勝負にルールも何もないし、憂太にはいい経験になったんじゃない?まあ、今回は引き分けってことで」
そしてルールを破ったことを気にする貴丈の心境への考慮と、それに対して無防備に殴られた未熟な乙骨の戒めとして、引き分けという結果を二人に示した。
「うす」と頷く貴丈と、踞ったままどうにか頷いた乙骨の反応に、五条は「よし」と返して手を叩いた。
それを合図に貴丈は乙骨を担ぎ上げると、そのまま観戦席の方を目指して歩き出す。
そのままバッチ来いと構えたパンダに乙骨を半ば投げるような形で渡し、パンダとふかふかボディーが乙骨を受け止めた。
「よくやったな」「しゃけしゃけ」とパンダ、狗巻に褒められるが、本人的にはまだやり足りないと思っているのか、瞳にはやる気が満ちている。
パンダはやれやれと肩を竦めるが、「一回休みな」と告げて視線を貴丈と、彼と相対する真希へと目を向けた。
二人の間に割って入るように歩み出た五条は、二人にそれぞれ一瞥くれると言う。
「この際面倒だからもう何でもありにしちゃおっか。実戦形式の一本先取」
彼の提案に二人は揃って頷くと、貴丈はドリルクラッシャーを、真希は薙刀を構え、鋭い視線で睨みあった。
その様子に満足そうに頷いた五条は右腕を振り上げ、「始め!」の一言と共に振り下ろす。
「「っ!!」」
直後、二人は同時に動きだし、それぞれの得物を激突させた。
甲高い金属音が辺りに木霊し、舞い上がった砂塵が二人を覆い隠すが、真希の振るった薙刀が残した鋭い銀光が砂塵を切り裂き、すぐさま二人が見えるようになる。
直後に始まるのは、瞬き厳禁の攻防だった。
薙刀を手足のように振り回し、上下左右間髪入れずに放たれる真希の猛攻を、貴丈はドリルクラッシャーを間一髪のところで割り込ませて防ぎ、時には体捌きで避け、僅かな隙を見つけては反撃を滑り込ませる。
もちろんそれも真希は防ぎ、流れのままに反撃を放ってくるのだが、それも防いで更に反撃、それに更に反撃、反撃、反撃。
薙刀の刃とドリルクラッシャーがぶつかり合う甲高い金属の音と、薙刀の長柄とドリルクラッシャーがぶつかる乾いた音が断続的に続き、二人の表情からもだんだんと余裕らしきものがなくなっていく。
瞬きすれば間違いなくそれが致命傷で、踏み込み、避け、防御、何か一つでも間違えれば負けに繋がる。
「おらっ!」
大振りに薙刀を振り抜いて貴丈を牽制。
それを避けるように半歩下がることを見越し、素早く長柄を持ち直し、間合いが開いた彼に対してすぐさま刺突。
取ったと心のどこかで思いつつ、けれどこいつならと油断なく次の行程を頭の中で組み立てる。
そして、その予想はすぐに現実となった。
半歩下がった都合上、中途半端に地面に両足をつく形になった貴丈だが、迫る切っ先に対して臆することなくドリルクラッシャーを振り抜いた。
キン!と甲高い金属音と共に薙刀が跳ねあげられ、今度は真希が体勢を崩す番だった。
「ここっ!」
身体を回転させてドリルクラッシャーを振り抜いた勢いを殺しつつ、両足を大きく開いて半身になるように構え、大きく踏み込むと同時にドリルクラッシャーを真っ直ぐ突き出す。
真希は薙刀の石突きを地面にめり込ませ、棒高跳びよろしくそれを軸に跳躍。
貴丈の頭上を大袈裟に飛び越えながら、腕力に物を言わせて薙刀を回収。
貴丈は着地の瞬間を狙うべく素早く反転し、その勢いのままにドリルクラッシャーを振り抜いた。
だが刃は空を切り、そこにいる筈の彼女の姿もない。
「マジか……っ!」
驚愕に目を見開いた貴丈は、そのまま自分の足元──着地同時に地面に這いつくばるように姿勢を低くした真希に目を向けた。
そのまま彼女の足が貴丈の足に絡み付き、首根っこを掴まれて体勢を崩されると、あとはもう流れのままだった。
あっという間に地面に引き倒された貴丈の額に、ゴッ!と鈍い音をたてて薙刀の石突きが叩きつけられた。
「あだ!?」と悲鳴を漏らす貴丈に、真希は「まず一本だ」と得意気な笑み。
「はい、そこまで」
同時に五条が二人を手で制し、それを合図に組み付いていた真希は貴丈から離れた。
額を押さえながら悶える彼に背を向け、ある程度離れると振り向き、すぐさま薙刀を構えた。
「続けんだろ?」
「当然」
そして挑発するように手招きしながらの問いかけに、貴丈はすぐさま頷いて立ち上がる。
鈍い痛みが広がる頭を振って、一度だけ深呼吸。頬を伝う汗を乱暴に拭い、身構える。
そして五条の始めの合図と共に、二人は再び激突した。
「すごい……」
真希と貴丈の模擬戦を観戦していた乙骨は、不意にそんな感想を漏らした。
隣のパンダもまた同じように「すげぇよなぁ」と気の抜けた声を漏らし、狗巻も「しゃけ~」と同調するように肯定を意味するおにぎりの具の告げる。
天与呪縛──フィジカルギフテッドの効果で常人離れした身体能力を誇る真希に、フルボトルなしの純粋な呪力による強化のみで食らい付く貴丈の姿は、ある意味では異常に見えるだろう。
呪術に触れ始めておよそ半年。たかが半年と嗤う者もいるだろうが、その半年で貴丈は加速度的に強くなっている。
それは五条の教えのおかげもあるだろうが、やはりいい練習相手もいるからこそだろう。
「そういえば桐生くんと真希さんって、その、どんな関係なの……?」
そんな二人を見ていた乙骨が、不意にそんな質問をパンダと狗巻に投げ掛けた。
なぜその質問をしてきたのか、何より二人が目の前にいるこの状況で聞いてきたのか、様々な疑問が湧いてくるが、
「「……っ!!」」
問われた二人は表情もろとも身体を強張らせ、慌てて貴丈と真希に視線を向けた。
当の二人は戦闘に集中しているのか、乙骨の声は聞こえてはいないようだ。
その様子にホッと安堵の息を吐いたパンダと狗巻は、ずいっと乙骨と額を合わせるほどに顔を近づけた。
二人の急接近に「な、なに?」と困惑する乙骨に、パンダは「なんでそれを聞く?」と問い返した。
「この前桐生くんの部屋に行ったら、真希さんと二人でコーヒー飲んでて。すごく仲良さそうだったから」
「マジか……」
「めんたいこ……」
乙骨の返答にパンダと狗巻は神妙な面持ちとなり、ちらりと貴丈と真希に目を向ける。
貴丈が一瞬の隙をついて真希を投げ飛ばしているが、素早く受け身を取った彼女には効果が薄く、そのまま高速の攻防を再開している。
大丈夫そうだと目配せしたパンダと狗巻は頷きあい、パンダが乙骨に耳打ちする。
「いいか憂太。その話題は二人の前で出すなよ。死ぬぞ」
「し、死んじゃうの……?」
「ああ。命がいくつあっても足りない」
「しゃけしゃけ」
パンダの脅すような声音での言葉に乙骨が狼狽えるが、二人の表情の本気具合から「本当なんだ」と頷いた。
「具体的に言うと、コーヒーのような何かを飲まされて、その日は腹痛に悩まされて終わることになる」
「……?コーヒーじゃないの?」
「見た目はコーヒーなんだが、味がどうにも、な」
「めんたいこ」
「な、なにそれ……」
話を聞けば聞くほど訳がわからない乙骨は困惑するばかりだが、彼らの話は八割がた真実なのだ。
真希を弄ろうものなら貴丈の部屋に連行され、貴丈のスペシャルブレンド──と言う名のクソマズコーヒーを飲まされる。
そのコーヒーの味は凄まじく、お遊び感覚で一口飲んだ五条が真顔になり、いつになく真剣な声音で苦言を呈するほど。
それを無理やりカップ一杯分を飲まされるのだ。死を覚悟するほどの苦味と、それを拒絶せんとする胃腸が悲鳴をあげる。
その日と下手すれば翌日も腹痛に悩まされ、まともな生活を送るのは不可能になる。
そんな兵器ともいえるそれを、貴丈はほぼ毎日のように生み出し、彼と、おそらく真希の二人で消化しているのだ。
そして乙骨は、その場面に遭遇してしまったのだろう。
「飲んだことがないなら、飲まないように立ち回ることだな。あれは飲まない方が身のためだ」
パンダの最終忠告に狗巻はうんうんと頷き、頑張れよと言わんばかりにぐっと親指を立てた。
直後校庭から二人の悲鳴が漏れ、それにつられた三人がそちらに目を向ければ、何がどうなったのか二人が重なりあうような形で転倒していた。
真希の胸に貴丈が顔を埋める形で倒れ、見事に覆い被さっている。
あれは貴丈が真希に殴られる…と乙骨は顔を青ざめるが、真希は「重い、どけ」と拳ではなく棘のある言葉で彼を攻撃し、貴丈も「わりぃ」と返して気にした様子もなく身体を起こした。
何と言うべきか、随分と慣れているように見えるそれに乙骨は再び首を傾げ、
「……結局二人って、どういう関係なの」
再びパンダと狗巻に問いかけた。
思春期の青年である乙骨は、やはりそういった話題が気になるのか、どうにか話を聞き出さんとするが、二人は口に人差し指を当てて静かにするように彼に伝えた。
これ以上首を突っ込めば、まず間違いなく二人からの天誅が下る。
故に二人が取った手段は黙秘。口は災いの元なのだ。
「野郎三人がくっついて、何やってんだ?」
だがそうやって密集していたおかげで悪目立ちしたのか、真希が薙刀を肩に担ぎながら三人の方へと近づいた。
真希に伸された貴丈は奥でダウンしており、五条にどこからか拾ってきた小枝でつつかれている。
「で、なんの話をしてたんだ?」
その様子を流し目で一瞥くれた真希は三人に問うが、パンダと狗巻は再びの黙秘。
流石の乙骨も怒らせたら危ないとわかるのか、「な、なんでもない」とはぐらかす。
ふぅんと疑うような視線を三人に向けるが、話しても埒が明かないと思ったのか、「まぁいい」と話を切り上げた。
「それで、次の相手は誰だ?」
そしてパンダと狗巻に目を向け、挑発するような笑みを浮かべる。
「よし、憂太にいいところ見せてやる」
それに応じたパンダが腕を曲げて力瘤をつくる。
その背に乙骨が「頑張って」と声援を送り、狗巻も彼に「めんたいこ」と声援だろうおにぎりの具を告げた。
「……頑張れ」
そして身体中を土と砂利で汚した貴丈が入れ替わりで戻ってくると、どかりとパンダがいた場所に腰を下ろした。
パンパンと身体を叩いて汚れを落とすものの、やはりと言うべきかそんなもので落ちるような汚れではない。
「お疲れ様」
「しゃけ」
そんな彼に乙骨と狗巻が労いの言葉をかけ、慰めるようにポンと肩に手を置いた。
はぁと溜め息を吐いた貴丈は「また負けた」と肩を落とし、ポリポリと額の傷痕を掻く。
すると不意に五条の携帯が鳴り始め、それを取ると共に二三やり取りをした彼は、心底面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「パンダと真希、貴丈はこのまま鍛練をしてもらって、棘にご指名の依頼だ」
五条の指示に狗巻は「しゃけ」の一言で応じると、五条はそのまま乙骨にも目を向けた。
「憂太も一緒に行っといで。君の目的のためには、色んな呪術を知る必要がある。棘の呪言はいい例だ」
「は、はい!」
その言葉に乙骨は緊張の面持ちで頷くと、狗巻に「頑張ろうね」と声をかけ、狗巻は「しゃけ」と笑顔混じりに応じた。
それを見つめた貴丈はどこか微笑ましいものを見るような優しげな視線を二人に向け、嬉しそうにすっと目を細めた。
乙骨はこの三ヶ月でだいぶ前向きになってきた。笑顔を見せる機会も増えてきたし、里香の呪いを解くという明確な目的が見つかってからは目にも覇気がある。
──俺は、どうなんだろうな……。
そんな彼の姿に、貴丈はそんな自問をした。
目的はあれどそれはあまりにも遠く、血にまみれ、終わったところで何かあるというわけでもない。
彼はゆっくりと目を伏し、小さく溜め息を漏らした。
都内某所。
とある宗教団体の本部。
ここ数年で規模を大きくさせ、決して少なくない金銭が納められるその宗教には、はっきり言って謎が多い。
そんな宗教の教祖として崇められ、多くの信者から絶大な信頼を寄せられているのが、日本に四人いる特級呪術師の一人にして、百を越える一般人を呪殺した最悪の呪詛師──
前髪の一部をさながら触手のように前に垂らし、教祖らしく袈裟を着る彼は、今日も人当たりのいい笑みを浮かべながら、信者たちの悩みを解決していた。
もっともその笑顔は相手を油断させる仮面にすぎず、彼らの悩みと言っても呪霊絡みから夏油の術式である呪霊操術──その名の通り、呪霊を操る術式だ──を用いて自らの手駒へとする程度。
呪霊が絡んでいなければ、何か適当な事を言って解決したような気分にさせるだけだ。
「やれやれ、呪術も扱えない猿共の相手も疲れるよ」
そして信者たちを返し、室内が身内のみになったことを良いことに、夏油は信者たちを猿の一言をもって断じた。
彼の思想、それを言ってしまえば呪術師至上主義。
力を持つ呪術師が、何の力を持たない一般人を守るために命を懸け、時には命を落とすという現状に嫌気が差し、術師にして人を呪う存在──呪詛師になった過去を持つ。
そして付け加えるなら、かつては五条と肩を並べた学友にして、ただ一人の親友でもある。
「素が出てますよ、夏油様」
「!!」
やれやれと首を振って先ほど調伏した呪霊が転じた黒い球体を手のひらで転がしていると、彼の側近である女呪詛師──
気を許している相手である彼女からの不意な呼び掛けに、夏油が思わず驚いた素振りを見せるものの、菅田は気にせずに告げる。
「あの娘を除いた幹部が揃いました、
それを聞いた夏油はどこからかスプレー型の消臭剤を取り出し、それを自分の身体に吹き掛け始める。
「……何をなさっているのですか?」
「除菌消臭。皆に猿の臭いが移るといけない」
それを全身くまなく浴び終えた夏油は、信者たちを前にした時とは違う柔らかな笑みを浮かべた。
「嬉しいなァ。いつぶりかな、全員集合は」
「そうだ。久しぶりに皆で写真を撮ろう。一眼どこだっけ」
彼の問いかけに彼女は「こちらに」と返しながら一眼カメラを取り出し、夏油は「ありがとう」と礼を言いながらそれを受け取った。
そして何を思ってか菅田の肩を抱いて身体を密着させると、カメラを自分たちに向けて構え、そのまま自撮りを始めた。
「夏油!貴様ぁ!!」
そんな二人の耳に、ばたばたと騒がしい足音と、彼らからすれば聞くに耐えない猿の声が耳に届いた。
何事とそちらに目を向けた二人の視界に飛び込んできたのは、汗びっしょりのままこちらに走ってくる中肉中背のスーツ姿の男。
「これはこれは金森さん。そんなに慌ててどうされました?」
そんな彼に内心面倒に思いながら営業スマイルを浮かべて対応した夏油に、金森と呼ばれた男は必死の形相で告げる。
「とぼけるな!!早く儂の呪いを祓え!!オマエにいくら払ったと思っている!!」
「いくら?」
必死な金森とは対照的に落ち着き払った様子の夏油が菅田に問うと、彼女は手元のタブレットを弄り、金森の情報にざっと目を通した。
「一億とんで五百万ですね。しかし、ここ半年間の寄付はありません」
「あーあ。もう限界かな」
彼女の言葉に夏油はどこかわざとらしくそう言うと、金森は喉からコヒュー、コヒューと気味の悪い音を漏らして乱れた呼吸を繰り返しながら「何を……言って……」と夏油に問うた。
問われた夏油は持ったままだった黒い球体を飲み込むと、「猿にはそれぞれ役割があります」と前ぶりしてから説明を始めた。
「金を集める猿と、呪いを集める猿。信者たちが後者なら、あなたは前者。そして、そんなあなたにお金がないなら、もう用済みです」
「ふ、ふざけるな!儂がオマエに一体いくら──」
「一億とんで五百万と、さっき言いましたよね」
胸ぐらを掴まん勢いで自分に詰め寄ってくる金森に、夏油は心底面倒臭そうに肩を竦めた。
これだから馬鹿な猿共は嫌いなのだと、営業スマイルさえも止めて相手を威圧する冷たい表情になる。
細められた瞳に金森は映ってはいるものの、彼のことを人間とは欠片も思っていない。
事実夏油は、金森をそこにある何か――石ころ程度にしか認識していないのだろう。
邪魔者にはさっさと消えてもらおうと術式を発動しようとすると、不意に金森の背後に人影が現れた。
「おじさん、邪魔」
ぺしぺしと肩を叩かれた金森が振り向くと、そこには一人の少女がいた。
年は十三か、十四ほどの、中学三年生ほどに見える。
だが年の割りには高めの身長や、確かな膨らみがある胸部。それらを強調するような黒いワンピースに、肩に掛かるほどに伸びた濡れ羽色の髪。
年齢不相応の格好と身体付き、そして落ち着き払った表情のおかげで、随分と大人な雰囲気を醸し出している。
「な、なんだオマエは!?今は儂が話しているのだ!!」
だが、話を遮られた金森からすればどうでもいい。
彼は彼女を無視して再び夏油の方に振り向くと、少女は溜め息を吐いて夏油と菅田の方に目を向けた。
二人揃って首をかっ切るようなジェスチャーをしたことを確認し、再びの溜め息。
「二回も言わせないでください」
そしてパチン!と指を鳴らすと、金森の身体が燃え上がった。
「っ!?」
一瞬にして火だるまになった金森は、その一瞬で肺と喉を焼かれて声を出すこともできなくなり、悶え苦しみながらその場に崩れ落ちる。
それを興味なさげに見下ろした少女が再び指を鳴らすと、火の勢いが一気に強まり、金森を灰も残さずに焼き付くした。
後に残ったのは人型の焦げた跡と、生物が焼けた鼻につく臭いのみ。
「人の話は聞いた方がいいですよ?」
そして誰に言うわけでもなく、微笑みながら告げた彼女は夏油と菅田に目を向けた。
菅田が「待っていましたよ」と、さながら妹や娘にするように微笑みを返すと、少女は「えへへ」と嬉しそうに綻ぶような笑みをこぼす。
「ちょっと遅くなっちゃいましたけど、逆に良かったですかね?」
足元の焦げた跡を見下ろしながら、彼女は小さく首を傾げた。
別に用があったというわけでもなく、単純に道に迷っただけのことなのだが、遅れたおかげで先ほどの場面に出くわしたとなれば、ある意味では正解ではあったのかもしれない。
「さて。君も来たことだし、行こうか」
そして菅田と少女のやり取りを微笑ましそうに見ていた夏油が、申し訳なさそうにそれに割り込みながら告げた。
菅田が「はい」と表情を引き締めながら返事をし、少女が「は~い」と間延びした返事をすると、夏油を先頭に歩き出す。
そしてたどり着いた扉を開け放ち、既に部屋に待機していた面々に一人ずつ視線を向ける。
後ろに控える少女と同年代に見える、金髪と黒髪の少女二人。
上半身裸だが、胸を隠すようにハート型のシールを貼っている、どこか女々しい雰囲気を放つ筋肉質な男。
顔の右半分に火傷と思われる大きな傷痕を残している男性。
サングラスをかけた長身の黒人男性。
そして、部屋の片隅でタブレットを弄っている白衣を羽織った壮年の男性。
「時がきたよ、家族達」
彼の一言にどこか気を抜いていた彼らの表情が引き締まるが、夏油の背後に控えていた少女が怪しげな笑みを浮かべ、白衣を羽織った男性がそれを窘めるように睨み付けた。
その視線に気付いた少女は頬を膨らませて不機嫌そうにするが、夏油はその姿に苦笑するが、すぐに表情を引き締めて家族達に言う。
「猿の時代に幕を下ろし、呪術師の楽園を築こう」
──まずは手始めに呪術界の要、呪術高専を落とす。
彼は淡々とした声音でそう告げると、室内の全員が一斉に頷いた。
ここに集った呪詛師全員が、夏油が目指す楽園──呪術師のみが生きる世界を夢見ている。
その果てにある、呪霊のいない世界を夢見ている。
その世界で家族全員で団欒することを、夢見ている。
彼らの覚悟と結束は強く、生半可なことで揺らぐことはあるまい。
目的こそ九十九と同じではあるが、その仮定で流れるであろう出血を彼女は拒んだが、彼らはそれを受け入れて地獄を作り、その先に楽園を築こう築くことを決めた。
「──クラッシュ・アンド・ビルド。破壊と創造は表裏一体だな」
白衣の男性がぼそりと呟くと、夏油が「その通り」と笑みながら頷いた。
「そういったことは人類よりも上位の存在──『神』がすることだと猿共はいうが、我々呪術師という上位者がいる以上、神は必要ない」
夏油は家族を見渡しながら真剣な声音で面持ちでそう告げるが、すぐに破顔して無邪気な笑顔を浮かべた。
「まあ、私は神なんてものになるつもりはないけど」
面倒臭そうだしねと苦笑した彼に釣られ、家族たちも笑みをこぼす中、夏油の背後に控えていた少女が白衣の男性に近づいた。
「その呪術高専って場所に、お兄ちゃんがいるんだよね?」
「ああ、勿論。調べもついている。それに夏油のことだ、近い内に
「なら、その時に着いていけばいっか」
「急ぐことはない。君に会えるだけで、彼も喜ぶ筈だ」
あごに指先を当てて考え込む少女の頭を撫でてやりながら、白衣の男性は柔らかな笑みを浮かべた。
くすぐったそうに目を細めた少女は「そうだよね~」と嬉しそうに笑った。
「楽しみだな、どんな顔するかな、何て言ってくれるかな、ぎゅってしてくれるかな」
──早く会いたいな……。
愛してやまないのに、もう半年近く会えていない最愛の兄の姿を脳裏に思い浮かべ、思わずだらしのない笑みをこぼした。
その気味の悪さに仲間達は僅かに引いているが、少女は全く気にする素振りを見せず、ポケットに手を突っ込んだ。
持っているだけで兄と会わせてくれるお守りであり、彼女を呪術師足らしめる力の源になる物を取り出し、それを部屋の照明に透かした。
不死鳥を模した紋様が刻まれた赤いフルボトルが照明の明かりを反射し、怪しげな輝きを放ち、じっと彼女を見下ろしていた。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。