ビルド廻戦   作:EGO

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11.

 呪術高専東京校。

 吐く息に白く色がつき、寒さを凌ごうとマフラーや手袋を引っ張り出し、出来ることなら暖房の利いた部屋に一日中を籠っていたい季節。

 そう、まさに冬であった。

 寒空の下でマフラーで口元までを隠した貴丈は、ふと空を見上げ、小さく首を傾げた。

 なんだろうか。何かに見られているような、何かが近づいてきているような、妙な気配を感じるのだ。

 

「……?」

 

 そして校舎に行こうと隣を歩いていた乙骨も足を止め、空を見上げているのだから余計に怪しいというもの。

 

「どーした、二人とも。揃って空なんか見ちゃって」

 

 そんな二人に気付いたパンダが二人に声をかけ、二人を真似て空を見上げた。

 生憎の曇り空で、隙間から青空がほんの僅かに覗いている程度。

 星空ならまあ見上げてもいいかもしれないが、代わり映えしない曇った空を見ていて何が楽しいのか。

 

「……で、どったの」

 

 そしてすぐに空から視線を外したパンダが二人に問うと、二人は言葉に困ったように顔を見合せた。

 

「なんか、嫌な予感がする」

 

 そして貴丈が告げた言葉に乙骨が頷いて応じると、パンダは眉を寄せて神妙な面持ちとなった。

 

「憂太だけなら気のせいだ、で済ませるんだが、貴丈もか……」

 

「なんだ、隕石でも降ってくんのか?」

 

「おかか」

 

 パンダの言葉に真希、狗巻が続き、揃って空を見上げた。

 分厚い雲に遮られ、日の光があまり差し込んでこないが、別に雨が降りそうというわけでもない。

 言ってしまえば何もなく、ただ雲が拡がるばかりだ。

 

「……気のせいなんじゃねぇのか?」

 

 ぼりぼりと乱暴に頭を掻いた真希はそう言い、「授業に遅れるぞ」と告げてパンダ、狗巻、乙骨を連れて教室に向かおうとするが、

 

「……」

 

 貴丈は変わらず空を睨んでいた。

 単なる勘ではあるが、やはり何かに見られている気がして仕方がないのだ。

 

「おい、貴丈!置いてっちまうぞ!」

 

 そしてその場から動こうともしない彼の姿に嫌気が差してか、真希が言葉を強めて彼の腕を掴んだ時だった。

 

「あ……?」

 

 不意に感じた呪霊の気配に声を漏らし、表情を引き締めた。

 後ろで二人を待っていたパンダと狗巻も同じく身構えるが、乙骨だけが「え、どうしたの?」と訳もわからず疑問符を浮かべている。

 特級過呪怨霊たる里香が常に隣にいる乙骨は、呪霊や呪力を探知することが大の苦手だ。

 里香の力があまりにも強すぎる結果、周りの気配が読み取れないという、呪術師としてはある意味で致命的とも言える弱点を抱えてしまっている。

 だが、自分を除いた四人が何かを警戒しているとなれば、彼も辺りを見渡しながら身構える程度のことはする。

 

「来たぞ」

 

 そしてじっと空を睨んでいた貴丈は雲の切れ目から見える巨大な影を発見し、四人にそう告げながら手元に煙を出現させ、そのままドリルクラッシャーを取り出した。

 そしてその影がばさばさと羽音をたてながら、五人の視界に現れた。

 それはまさに巨大な鳥であった。二対の羽を巧みに操り飛んでいる姿は不気味なものだが、下顎が妙に膨らんでいる所をみるに、ペリカンか何かを模した呪霊であろうか。

 その鳥型の呪術は真っ直ぐに五人の元を目指して降りてくると、着地と同時にその背から袈裟を纏う男性が飛び降りた。

 

「関係者……じゃねぇよな」

 

「見ない呪いだしな」

 

「すじこ」

 

 真希が薙刀を取り出し、パンダが首を鳴らし、狗巻が呪言を使えるように口許を見せ、それぞれが戦闘態勢に入る中、

 

「わー、でっかい鳥」

 

「……呑気すぎねぇか」

 

 乙骨が鳥型の呪霊を見ながらボケーっとそんな感想を漏らすと、貴丈が思わずツッコミを入れた。

 おそらくは敵であろう相手を前に、そんな余裕があるのは頼もしい限りではあるのだが、流石に苦言を呈するのは仕方があるまい。

 そんな彼らのやり取りを他所に侵入者──夏油は、着地の拍子に乱れた髪を手梳で直しながら辺りを見渡し、どこか懐かしむような声音で呟く。

 

「変わらないね、呪術高専(ここ)は」

 

 その言葉を合図にしてか、鳥型の呪霊が大きく口を開き、中から数人の人影が飛び出した。

 

「うぇ~。夏油様ァ、本当にココ東京ォ?田舎くさァ」

 

 そしていの一番に飛び出した金髪の少女が辺りを見渡しながらそう言うと、次いで飛び出した人形を抱えた黒髪の少女がその背中に言う。

 

「菜々子……失礼……」

 

 菜々子と呼ばれた少女は「えー」と不満げに声を漏らすと、「美々子だってそう思うでしょ?」と黒髪の少女──美々子に問うた。

 彼女は何も言わないが、代わりに二人が止まったおかげで後が詰まっているのか、上半身裸の男が二人の背を押した。

 

「んもう!さっさと降りなさい!!後ろがつかえてるでしょう?」

 

 その男──というよりはオネェのラルゥに押し出された二人は「「わ~」」とわざとらしく悲鳴を漏らし、次いで身構えている呪術高専一年五人組に目を向けた。

 最初こそ興味なさそうな視線であったが、パンダを目にした途端に菜々子は「あー、パンダだー、かわいー!!」とはしゃぎながらスマホで写真を撮り始めた。

 

「……なんなんだ、あいつら」

 

 そんな彼ら侵入者の反応に、いちいち身構えている自分が馬鹿に思えてきた貴丈がそう漏らすと、パンダが「そうだ、そうだ!」と同調して乙骨の背を押した。

 突然押し出された彼は「わ、わ!?」と驚愕の声をあげるが、パンダは構うことなく侵入者らに告げる。

 

「オマエら何者だ!侵入者は憂太さんが許さんぞ!!」

 

「こんぶ!!」

 

 そして乙骨を盾に相手を煽り始めたパンダと、彼に悪乗りした狗巻の言葉に乙骨は「……え!?」と困惑の声を漏らし、助けを求めるように真希と貴丈に目を向けるが、

 

「憂太さんに殴られる前にさっさと帰んな!!」

 

「そーだ、そーだ!帰れ帰れ!」

 

「えぇ!?」

 

 先の二人に乗ったのか、あるいは元からそうするつもりだったのか、真希は威勢よく侵入者らを煽り、貴丈は半ば自棄になったように棒読みでそう叫んだ。

 逃げ場なしとなった乙骨が余計に困惑し、誰か止めてと涙目になりながら辺りを見渡すが、現状ここにいるのは彼ら一年組と侵入者のみ。

 そんな乙骨の姿に流石に悪いと思ったのか、貴丈はごほんと咳払いをしてから侵入者らに告げた。

 

「……まあ冗談はここら辺にして、オマエら──」

 

 そして何者か問いかけようと彼らに視線を戻した貴丈は、ゆっくりと目を見開き「え……な……」と困惑の声を漏らした。

 見るからに狼狽えている彼の様子を訝しんでか、真希が「おい、どうした」と彼の肩を叩くが、彼は反応を返さずに「何で……」とある一点を見つめていた。

 真希が彼の視線を追ってそこに目を向ければ、ちょうど鳥型呪霊の口から少女が飛び出してくる。

 しゅたと優雅に着地した少女は辺りを見渡すと、すぐに貴丈を見つけてぱっと表情を明るくした。

 そして我慢できなかったのか、少女はその場を駆け出す。

 ラルゥが「ちょっと、お待ちなさい!」と制止の声をあげるが、少女は構わずに駆け抜け、貴丈に接近。

 真希が念のため迎撃せんと構えるが、少女はそれすらも眼中にないのか足を止めない。

 そして真希の間合いに入り、仕方ないと彼女が薙刀を振るわんとしたした瞬間、少女が満面の笑みのまま貴丈に告げた。

 

「──お兄ちゃん!!」

 

「っ!?」

 

 真希がその一言に驚愕し、慌てて薙刀を振るう手を止めると、遮るものがなくなった少女は貴丈の胸に飛び込んだ。

 全速力で突っ込んできた少女を受け止めた貴丈は、偶然とはいえ叩き込まれた頭痛の痛みに耐えながら、無意識の内に少女を抱き締めた。

 服越しとはいえ伝わる体温と、胸に感じる彼女の息遣いに安堵し、かつてのように彼女の髪を撫でてやる。

 

「ちゃんと会えた、良かったよぉ!!」

 

 ぐりぐりと彼の胸に額を擦り付けて、彼の服で溢れた涙を拭った少女は顔をあげ、にぱっと太陽を思わせる温かな笑みを浮かべた。

 つられて僅かに引きつった笑みを浮かべた貴丈は、「生きてたのか……?」と少女に問うた。

 

「見ての通りだよ。ふふっ、変なこと言わないでよ」

 

 彼の問いかけに可笑しそうに笑った少女は彼の頬と、額に残された傷跡を撫でた。

 さながら愛撫のように優しげな手つきには、彼に向けられた純粋な好意のみが込められ、彼と親密な関係なのは見ればわかる。

 

「貴丈、こいつ何者だ」

 

 そしてなんの説明もなく進むこの状況に嫌気が差してか、真希が貴丈にそう問うのだが、

 

「…お兄ちゃん、誰この人。私の(・・)お兄ちゃんに馴れ馴れしくしないでくれないかな?」

 

 途端に不機嫌になり、瞳から光が消えた少女が抑揚の消えた淡々とした声音で切り返した。

 突然の変わりっぷりに面を食らう真希に、貴丈は「妹だ」と返し、「あの日、死んだと思ってたんだが……」と不思議そうにしながらも、彼女の生存が嬉しいのか、その表情はいつになく明るい。

 真希は「妹、ね」と興味深そうに少女をみるが、当の少女は彼女を警戒してか、貴丈をぎゅっと抱き締めて離さない。

 そして貴丈もまた彼女を守るように抱き返すのだから、二人を引き離すのはまず不可能だろう。

 

「あー、貴丈さん?いい加減名前くらい教えてほしいんですけど……」

 

「しゃけしゃけ」

 

「僕も知りたいかな」

 

 そして少女を気遣ってか、貴丈に対してだいぶ下手に出ながらパンダが問うと、狗巻、乙骨が彼に続き、一年組五人全員の視線が少女に集まった。

 その視線を一身に浴びることになった少女だが、真希に聞かれた時ほど気にしていないのか、こほんと咳払いをしてから告げる。

 

「お兄ちゃんがお世話になってます。妹の桐生焔(きりゅうほむら)です。以後お見知り置きを」

 

 そして少女が貴丈の妹──焔と名乗ると、律儀に彼女の挨拶が終わるのを待っていた夏油が音もなく六人に近づいた。

 焔の登場とその後のやり取りに意識を向け、言ってしまえば油断していたとはいえ、かなり離れた位置にいた夏油の接近に、誰一人として気付けなかった。

 その事実に真希、パンダ、狗巻、貴丈が驚愕し、貴丈が焔を庇うように背中に回したと同時に、夏油は乙骨と貴丈の手を取った。

 

「はじめまして、乙骨君、桐生君。私は夏油傑」

 

「えっ、あっ、はじめまして……」

 

「……っ」

 

 彼の言葉こそ丁寧な挨拶に乙骨は思わず返事をするが、貴丈はぎょっと目を見開いて夏油の顔に目を向けていた。

 優しそうに微笑んではいるものの、先程の接近といい、警戒していたのに容易く手を握られたことといい、今まで相手した呪霊と比べれば、何もかもが規格外。

 そんな相手が目の前にいて、もっと言えば片手を封じられている状況に恐怖を覚えるのは当然のこと。

 つーっと頬を伝う汗を拭うこともできない貴丈の様子に気づいてか、夏油は優しげな微笑みをそのままに告げる。

 

「そう緊張しないでほしい。ただ話をしにきただけなんだ」

 

 彼はそう言うと改めて乙骨と貴丈に視線を配り、そして語り始める。

 

「君たちはとても素晴らしい力を持っているね。私はね、大いなる力は大いなる目的のために使うべきだ考える」

 

「今の世界に疑問はないかい?一般社会の秩序を守るため、呪術師が暗躍する世界さ」

 

「……何が言いたい」

 

 夏油の言葉をいまいち理解できず、何なら手を離して欲しい貴丈が睨みながらそう言うと、夏油はさながら友人にそうするように乙骨と貴丈と肩に腕を回し、二人を抱き寄せた。

 貴丈を抱き寄せた拍子に彼と離された焔が「む……」と不満げに声を漏らすと「ごめんごめん」と軽く謝るが、話を続ける。

 

「つまりね、強者が弱者に適応する矛盾が成立してしまっているんだ。なんって、嘆かわしい!!!」

 

「万物の霊長が自ら進化の歩みを止めているわけさ、ナンセンス!!そろそろ人類も生存戦略を見直すべきだよ」

 

 さながら政治家か、あるいは宣教師か、知らぬ者に新たな道を示すように高らかに彼は言うのだが、乙骨と貴丈の反応は鈍い。

 いきなり現れて「一般社会の~」とか「強者が弱者に~」とか、一学生が考えるには少々複雑な話をしてくるのだから、首を傾げるのは当然のこと。

 二人の反応にそれを察したのか、夏油は「では、要点を簡潔に言おうか」と微笑み、告げた。

 

「──非術師を皆殺しにして、呪術師だけの世界を作る。協力してくれないかな?」

 

 彼の一言に、その場にいる誰も反応ができなかった。

 呪術師にとって非術師は守るべき存在でもある。それを皆殺し、呪術師だけの世界を作るなど──。

 

「イカれてんのか?」

 

 貴丈の口から無意識の内にこぼれた言葉は、他ならない彼の本音だった。

 何の力もなく、呪霊に対して無力な人たちを守ること。

 それは貴丈にとって、あの日の贖罪という意味でも大切な意味を持つし、ある意味で呪術師になれば誰もが持つ目的の一つでもあるだろう。

 それを真っ向から否定し、人を殺すことをこうも堂々と言える輩はそうはいない。

 故に先の一言が口から出たのだが、夏油は気にせず、むしろ楽しそうに笑い始める始末。

 彼は笑みを浮かべたまま振り返り、「久しいね、悟ー!!」と手を振り始めた。

 貴丈ら学生も夏油が向いた方向に目を向けると、そこには五条と夜蛾学長、そして二人に率いられた呪術師たちが各々得物を構えていた。

 その中で先頭を進んでいた五条が「僕の生徒から離れてもらおうか、傑」と夏油に告げると、夏油は名残惜しそうに乙骨と貴丈から離れた。

 お互いに相手を呼び捨てにし、夏油に関しては明らかに五条に対して友人として接するような声音だ。

 そんな疑問を抱く貴丈に、離れた夏油と交代に焔が抱きつくのだが、貴丈本人が気にしない為か、他の人たちも気にも留めない。

 ただ夏油だけは微笑ましいものを見るかのように笑いながら、五条に言う。

 

「なるほど、この子達は君の受け持ちか。聞いていた通り、粒揃いだ」

 

「特級被呪者。突然変異呪骸。呪言師の末裔」

 

 乙骨、パンダ、狗巻を見ながらそう言い、次いで貴丈に目を向けた。

 興味深そうに、そしてどこか警戒するような視線だが、敵意の類いは感じない。

 

「過去に例のない、未知の術式を持った術師。私個人としては君に興味があるんだけど……」

 

 貴丈をじっと見つめる夏油だが「む~」と不満そうな頬を膨らませる焔に気づくと、「なにもしないよ」と誤魔化すように笑った。

 そして最後に真希に目を向けた夏油だが、今までの柔和な笑みを崩し、相手を侮辱し、嘲りを含んだ笑みを彼女に向ける。

 

「君には何の興味も湧かないよ。禪院家のおちこぼれ」

 

 彼女に向けてそう告げた直後、ピクリと貴丈の肩が揺れた。

 

 ──おちこぼれ?どこの誰が、おちこぼれだと……?

 

 静かに、けれど確かに、貴丈の額に青筋が浮かび上がった。

 黒い瞳に僅かな赤みが加わり、拳に呪力が集まり始めた。

 

「テメェ──」

 

 それにも気付かず、真希は夏油の挑発に乗り、彼に向けて言葉を返そうとするが、それを遮る形で夏油が言葉を放った。

 

「発言には気を付けろ。君のような猿は、私の世界にはいらな──」

 

『《ゴリラ!》』

 

 どこまでも冷たく、相手を人とも思っていないであろう声音を遮ったのは、場違いな程に明るく陽気な声だった。

 そして侵入者らが何事と警戒した瞬間、凄まじい快音が辺りに響き渡り、彼らの脇を人影が高速で通りすぎていった。

 その人影は数度地面をバウンドし、数メートル石畳を滑ることでようやく止まった。

 

「いやー、怒らせてしまったか」

 

 だがその人影──夏油はすぐに立ち上がると、盾代わりに出現させた結果、ぼろ雑巾となった呪霊を投げ捨てると、垂れてきた鼻血を拭った。

 そして彼が目を向けた先にいるのは、赤い瞳で真っ直ぐに自分を睨む貴丈だった。

 茶色に呪力に包まれた拳を振り抜いた姿勢を見るに、彼が全力をもって殴り飛ばしたのだろう。

 だが生憎と夏油の反応速度を越えられず、防がれてしまったようだ。

 貴丈は小さく舌打ちを漏らすと、拳に握りこんだゴリラフルボトルを煙の中に返し、代わりにラビットフルボトルを取り出す。

 数度振って込められた呪力を活性化させ、蓋を開けて呪力を解放。

 

『《ラビット!!》』

 

 陽気な音声と共に赤い呪力が全身を包み、全身が羽のように軽くなる。

 

「っ!貴丈、待て!」

 

 そして、彼が行おうとしていることを察した五条が彼を止めようとするが、貴丈はそれよりも早く赤い一迅の風となった。

 

「「夏油様!」」

 

 彼の残像を辛うじて追えた美々子、菜々子が夏油に駆け寄ろうとするが、他の誰でもない夏油の手で制されることで足を止めた。

 直後、貴丈は加速の勢いのままに拳を振るうが、夏油の影から飛び出した異形の手により、受け止められた。

 

「っ!?」

 

 己が出せる最高速度での拳を止められたことに、貴丈はぎょっと目を見開いて驚愕を露にするが、夏油の盾となった異形──変異型呪霊を睨みつけた。

 夢で見た二色の異形に良く似ているが、あちらの複眼が兎と戦車の模していたとすれば、こちらは両目ともに龍を模している。

 両腕からは牙を思わせる白い刃が生え、肩から胸にかけて金色の炎の紋様が刻まれた装甲に覆われている。

 そして何よりあの夢の異形はどこか無機質で、まるで作り物のような印象があったが、こちらは有機的で、開いた口にはいくつもの牙が並び、獲物を見つけた獣のように低い唸り声を漏らしている。

 だが、それが何だと言うのだ。

 貴丈もまた獣じみた唸り声をあげると、片手を掴まれた体勢のまま変異型呪霊の顔面に蹴りを入れようとするが、

 

『キシャァアアアアア!!』

 

 龍の変異型呪霊の影からもう一体の変異型呪霊が飛び出した。

 龍の変異型呪霊に比べて身体こそ人間に近いのだが、その頭部はさながら大きな蜘蛛のようになっており、唯一人の形をしている口から糸を吐き出した。

 蹴りを入れんと不安定な体勢であった貴丈にそれを避ける余裕はなく、彼の瞬く間に糸に巻かれ、拘束された。

 

「っああああああああ!!」

 

 だが貴丈は吠え、糸を弾き飛ばさんと全身に呪力をみなぎらせるが、

 

「ごめんね、お兄ちゃん……」

 

 どこか切なげて、今にも泣き出しそうな焔の声が耳に届き、彼はハッとして視線をあげた。

 そこには背中から炎の翼を生やした焔がおり、爪先に呪力により生み出された炎が集まっていくのがわかる。

 

「オマエ、まさか──」

 

 貴丈の頭にあった、彼女が無事であった事への安堵が消え、代わりに湧き出してきたのは強烈なまでの罪悪感だった。

 彼女は無事であったのではない。彼女自身もまた、人の形を保っているだけで変異型呪霊に極めて近い何かに変わってしまったのだ。

 その一瞬の思慮が、致命的な隙となった。

 焔は爪先にありったけの──けれど貴丈を殺さない程度の呪力を溜めると、滞空した状態のまま高速で横軸回転。

 遠心力を乗せたサマーソルトキックが、糸で拘束された貴丈の顎を撃ち抜いた。

 

「っ!?」

 

 そのインパクトの瞬間、呪力の炎が爆発し、彼に巻き付く糸を焼き払い、爆発の勢いのままに貴丈の身体が吹き飛ばされた。

 夏油と肉薄した時と同様か、あるいはそれ以上の速度でもって戻ってきた貴丈は、その勢いのままにパンダらにぶつかりそうになるが、

 

「貴丈!!」

 

 すかさず割り込んだ五条が片手で印を組み、無下限呪術を発動すると、貴丈の身体が空中でゆっくりと減速し、五条らの元にたどり着く頃には完全に停止した。

 五条はそのまま貴丈を抱えて足元に降ろすと、改めて夏油と、その脇に控える龍の変異型呪霊と蜘蛛の変異型呪霊、そして焔に目を向けた。

 

「傑。その変異型呪霊が何なのかを知っていて、操っているんだな」

 

「勿論だよ。それに、彼らも私からすれば唾棄すべき猿と変わらない」

 

 五条の問いに夏油は意味深に笑みながら応じると、焔は申し訳なさそうに寝かされた貴丈に目を向けていたが、

 

「貴丈!おい、大丈夫か!?」

 

「ぐ……ぐぞが……っ!!」

 

 真希の声に血の泡を吹きながらもどうにか応じている姿に安堵の息を吐き、同時にどうも彼との距離が近い真希の姿に不満そうに鼻を鳴らした。

 

「ちょっ、これ顎割れてんじゃねぇの!?」

 

「た、たかな!めんたいこ!!」

 

「動かないで、僕が治すから……!」

 

 五条がいるからとパンダ、狗巻、乙骨は貴丈をどうにかしようと駆け寄るが、貴丈は血を吐きながらも真希に支えられて立ち上がり、焔へと目を向けた。

 

「ぼむら゛……!オマエ゛……なんで……っ」

 

 だがそこに敵意や憎悪の色はなく、ただひたすらに困惑し、妹の行動の意味を図りかねている様子だ。

 その痛々しい姿に悲痛な面持ちとなった焔だが、すぐに「お兄ちゃんのためだよ」と返して笑みを浮かべた。

 

「お兄ちゃんが呪術師になったら、顔も名前も知らない人のために戦って、傷ついて、下手したら死んじゃうんでしょ?」

 

 届かないとわかりつつもそっと貴丈に向けて手を伸ばし、彼のことを優しく握り潰しながら、彼女は無表情になった。

 

「そんなの、私我慢できないよ。私のお兄ちゃんが、他の誰かのせいで傷つくのも、死んじゃうのも、許せないよ!!」

 

 そして無表情のまま、胸の内の感情に任せるようにそう叫ぶと、轟!と音をたてて身体から炎が溢れだし、周囲の木々に火を灯した。

 隣で暑そうに手で顔を扇いでいる夏油を無視し、焔は言葉を続ける。

 

「お兄ちゃんが戦わなくても済むような世界にしたくて、お兄ちゃんのことを守りたくて、私はこっちにいるの。だから、お兄ちゃん……」

 

 ──ちゃんと、見ててね。

 

 彼女は表情を引き締めて覚悟を決めると、ポケットから赤いフルボトルを取り出した。

 

「ほむ゛ら……。ぞれ、は……っ」

 

 突然彼女がフルボトルを取り出したことに驚く貴丈を他所に、彼女はそれを数度振ると蓋を開けた。

 

『《フェニックス!》』

 

 そしてその場にいる全員の頭の中に陽気な声が響き、そのフルボトルの正体──フェニックスフルボトルの存在を示す。

 

「ほむ……ら……」

 

 貴丈が彼女の名を呼ぶと彼女は優しげに微笑み、フェニックスフルボトルを自分の胸に突き刺した。

 身体中にバチバチと火花が散ったかと思った直後、彼女の身体を炎が包みこみ、一瞬にして火達磨となる。

 

「っ……!」

 

 突然妹が火達磨になれば、誰であろうと取り乱すというもの。

 貴丈が慌てて彼女に駆け寄ろうとするが、真希に「よせって、死ぬぞ!」と腕を引かれた制された。

 それでも駆け出さんと彼女の手を振り払わんとした瞬間、焔は『ハッ!』と気合い一閃と共に腕を振り抜き、炎が掻き消した。

 そして現れたのは、龍の変異型呪霊とは似て非なる異形だった。

 体色は赤を中心としながら、背中には折り畳まれた一対の翼を持ち、両肩には鳥の頭部を模した装甲。

 頭部は鳥と人間を足して二で割ったような独特な風貌を持ち、赤い一対の瞳が貴丈を見つめていた。

 

『これが今の──本当の私。えっと、おじさんが言ってた名前は、「フェニックススマッシュ」だったかな?』

 

 焔──フェニックススマッシュは夏油にそう問うと、「そう言っていたね」と頷いて彼女を肯定し、彼女を除いた変異型呪霊を指差しながら貴丈らに告げた。

 

「君たちが事あるごとに変異型だ、変異型だと言っているが、こいつらを調べている人曰く『スマッシュ』と言うらしい。まあ、どんな意味なのかは私にもわからないけど……」

 

 夏油はそう言うと「わかったかな?」と五条らに問い、フェニックススマッシュを除いた変異型呪霊(スマッシュ)たちを自身の影へと回収した。

 

「スマッシュ?それを教えに来たわけじゃないんだろう。なにをしにここに来た」

 

 負傷した貴丈を背に庇いながら五条が問うと、夏油が美々子、菜々子をはじめとした己の一派を集合させた。

 そして得意気な笑みを浮かべながら、その場に集った呪術師全員に向けて告げた。

 

「お集まりの皆々様!!耳の穴かっぽじってよーく聞いて頂こう!!」

 

 そして背後に控える仲間たちを見せつけるように両腕を広げ、さらに言葉を続ける。

 

「来たる十二月二十四日!日没と同時に我々は百鬼夜行を行う!!場所は呪いの坩堝(るつぼ)東京──新宿。そして呪術の聖地──京都。各地に私たちが回収した変異型呪霊(スマッシュ)を含めた千の呪いを放つ!!下す命令は勿論『塵殺』だ!!!」

 

「地獄絵図を描きたくなければ、死力を尽くして止めにこい。思う存分に、呪い合おうじゃないか」

 

 夏油の宣戦布告に刃の空気が一気に張り詰め、これから起こるであろう惨劇の予感に誰もが固唾を飲み、冷や汗を流す中、スマホを弄っていた菜々子が「あー!!!」と間の抜けた声を漏らした。

 何事と夏油が振り向くと、菜々子はスマホの画面を見せながら言う。

 

「夏油様!お店閉まっちゃう!!」

 

 その画面は貴丈たちからは見えないが、これからどこかに行こうとしているのは確かなようだ。

「もうそんな時間か」と菜々子のスマホの時計で現在時刻を確認した夏油はそう言うと、再び五条らに目を向けた。

 

「すまない、悟。彼女達が竹下通りのクレープを食べたいときかなくてね。お(いとま)させてもらうよ」

 

 彼はそう言うと脇に控えていた鳥型呪霊が口をあけ、菜々子、美々子、ラルゥの三人が口の中に飛び込んだ。

 

「いやはや、あんな猿の多い所の何が──」

 

「このまま、行かせるとでも?」

 

 そして鳥型呪霊の背に乗ってそのまま去ろうとする夏油に向けて、五条が冷たい声音でそう言い、片手を向けて彼らに無下限呪術を使わんとするが、

 

『行かせてもらわないと困るんですよッ!!』

 

 五条の前に立ち塞がるようにフェニックススマッシュが前に出ると、握った右手に呪力を溜め、手の中に小さな火球を発生させた。

 

「「ッ!!」」

 

 そして五条と貴丈のみがその危険さに勘づき、五条は攻撃に使おうとした呪力を防御に回し、貴丈は慌てて真希を押し倒し、彼女に盾にならんと覆い被さった。

 

『またね、お兄ちゃん』

 

 フェニックススマッシュはそう言うと、右手を前に突き出して火球を放ち、それと同時に鳥型呪霊はその場を飛び立ち、その後に続いてフェニックススマッシュも翼を広げて飛び去った。

 直後、放たれた火球が炸裂し、大量の火の矢が雨となって彼らに降り注いだ。

 呪術師らが慌てて防御、あるいは回避に徹しようとする中、五条のみが右手を降り注ぐ火の矢に向けた。

 

「しゃらくさい!」

 

 その一言と共に手を握った瞬間、降り注ぐ火の矢が見えない何かに凝縮されたように空の一点に集まり、終いには全て掻き消えた。

 彼の術式──無下限呪術。

 本来なら収束する無限級数を現実にする術式であり、薄く圧縮された無限の壁を自身の周囲に展開し、攻撃を防ぐのが主な用途だが、ただそれだけが無下限呪術ではない。

 収束の力を更に強化し、より強力に、大規模に現実に発生させる術式順転──『蒼』。

 それを用いることで降り注ぐ矢を一点に収束させ、全てを自滅させる。

 五条がしたことはその程度なのだが、それができるのは五条しかいない。

 そこかしこから安堵の声が漏れる中で、貴丈に覆い被さられた真希は少々乱暴に彼を退かした。

「ぐぇ……」と気色悪い悲鳴を漏らして倒れる貴丈だが、もはや立ち上がる気力もないのかそのまま地面に大の字で転がり、ぼんやりと空を見上げた。

 相変わらずの曇り空だが、先程よりも雲が厚くなってきている。もうすぐ雨か、あるいは雪でも降ってくるのだろう。

 口内を満たす鉄の味と顎の痛みに耐えながら、片腕で自分の顔を隠した。

 敵となった家族。

 敵となった妹。

 そして、御大層なことを言いながら、人の家族を利用する夏油という名の呪詛師。

 

「……最悪だ」

 

 何もかもを投げ出して逃げたくなるが、それも許されない状況に嫌気が差す。

 そして何より、あの男にこの拳が届かなかった事実に──あまりにも弱い自分に、嫌気が差す。

 

「おい、大丈夫か」

 

 いつまで経っても立とうともしない貴丈を心配してか真希が声をかけるが、彼はそれを無視する形で拳を地面に叩きつけた。

 

「──ぶっ殺してやる」

 

 赤く輝く瞳に映るのは、家族を利用し、悪行をなそうとする憎き呪詛師──夏油傑の姿。

 あいつは必ず殺すと、誰でもない自分と、奴に利用されている家族に誓う。

 自分の内側で一匹の蛇が嗤っていることに、気付くこともなく。

 

 

 




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