ビルド廻戦   作:EGO

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諸々気を付けて呪術廻戦0の映画を見てきました。
タイミングのせいか、0.5巻は貰えませんでしたけどね(血涙)っ!

まあそれはそれとして、0巻から1巻までの幕間ーー貴丈の受難編です。



貴丈の受難 ―ブラザーが見ている―
1.


 百鬼夜行解決から幾日か経った頃。

 呪術高専東京校学生寮──男子寮の貴丈の自室。

 

「なんか、あっという間だったな」

 

 自腹を切って部屋に設置したこたつに潜り、黙々とみかんの皮を剥いていた貴丈は、カレンダーを見てぼんやりとそんな事を口にしていた。

 百鬼夜行がクリスマスだったが、既に年が明けて二時間ほど経っている。

 家族や友人らと騒ぎながら、そのまま寝落ちするのがここ数年の常であったのだが、今は違う。

 呪術師として昼夜問わず動き続けていた為か、一晩徹夜程度では眠気も感じなくなってしまったのだ。

 

「貴丈、剥けたか?」

 

「ん?ああ、ほい」

 

 こたつに肩まで潜り、顔だけ出していたパンダが彼にみかんを催促し、貴丈は皮を剥いただけの塊を差し出した。

 パンダは「あー」と声を出しながら大口を開ければ、貴丈は溜め息混じりに彼の口にみかんを放り込んだ。

 

「ん〜、甘っ!」

 

 そして何度もそれを咀嚼し、弾ける果肉と舌を舐める果汁の甘さにパンダが舌鼓を打つと、貴丈の隣に陣取る──正確には座らされた──真希は頬杖をつきながら貴丈を睨む。

 

「甘やかしてんじゃねぇよ。そんくらい自分でやらせろ」

 

「しゃけ、しゃけ」

 

 彼女の苦言に狗巻が同調するが、貴丈が「そんなこと言うなよ」と微笑みながらみかんを剥き、それを差し出してくるのだから余計に矛先も鈍るというもの。

 現に狗巻は「めんたいこ」と返しながらみかんを受け取り、それを食べるのだから、もはや何かを言う資格はあるまい。

 パンダ、狗巻はもう駄目と判断した真希は、最後の砦である乙骨に目を向けるが、

 

「本当だ。甘いね、これ」

 

 彼の手には既に貴丈が剥いたであろうみかんがあり、一つずつ口に運んで綻ぶように笑っていた。

 里香の解呪後、呪術高専を去る事もできただろうに、それでも呪術師として過ごす事を決めた彼がここいるのは、嬉しい反面どこか複雑な気分にもなるのだが、当の乙骨本人が決めた事なのだからと口出しはしない。

 

「で、年明けたのに何にもなしか?」

 

「蕎麦なら食っただろ?」

 

 退屈そうに指でテーブルを叩きながらテレビを見ていた真希が貴丈に問うと、彼はちらっと台所に目を向け、積み上げられた皿を見ながら苦笑した。

 

「あ、コーヒー飲むか?」

 

 そしてふと思いついたようにそう口にした瞬間、パンダ、狗巻、乙骨がビクリと肩を跳ねさせ、みかんを食べる手を止めると共に、顔色が青くなっていく。

 そんな三人を横目に真希は「おう、くれ」と貴丈に返し、彼もまた乗り気で「あいよ」と返す。

 

「で、憂太たちは──」

 

「「飲まない!!」」

 

「おかか!」

 

 その流れで男子三人にも聞くのだが、それを言い切る前に三人それぞれが否定の言葉を口にした。

 あまりの勢いに「お、おう」と困惑気味に応じた貴丈は、こたつから這い出して台所に足を向けた。

 

「……よくあっさりと出られるな」

 

 相変わらずこたつに潜っているパンダは、一度入れば行動する気力を根こそぎ奪い去ると噂のこたつから、何の躊躇いもなく出ていった貴丈に言うが、彼は「慣れてんだよ」と苦笑混じりにコーヒーの準備を進めていく。

 

「弟とか妹が出ようとしねぇから、俺がやんないと誰も何もやんねーの」

 

 そしてどこか懐かしむような声音で、平然と彼にとっての特大の地雷を踏み抜いてくるのだから、ほか四人は思わず吹き出してしまうのだが、

 

「あ?なんだよ、別に変なこと言ってねぇだろ?」

 

 そんな友人らの様子に貴丈は可笑しそうに笑いながらそう言い、コーヒーをカップに淹れていく。

 同時に部屋の中に香ばしいコーヒーの香りが充満するのだが、騙されてはいけない。

 匂いこそただのコーヒーだが、その味はまさに殺人兵器。

 下手な術式で攻撃されるよりも効くというのが被害者らの共通の意見なのだが、それを生み出す貴丈と、平気で飲み干す真希にはいくら言っても伝わらない。

 二人からすれば、だいぶ苦いだけのコーヒーなのだから当然だ。

 

「ほい、できたぞ」

 

 部屋を満たす香りだけを楽しむパンダ、狗巻、乙骨を尻目にコーヒーを二杯用意した貴丈は、自分と真希の前にそれぞれを置いて再びこたつに潜る。

 あ〜と気の抜けた声を漏らしながら、ふにゃりと力の抜けた表情で机に突っ伏す辺り、やはりこたつの力には勝てない証拠か。

 ずずずとお茶でも飲んでいるのかと言いたくなる音を出しながらコーヒーを啜り、相変わらずであるえぐいまでの苦味に眉を寄せる。

 

「か〜、苦っ」

 

「そうか?前に比べりゃだいぶマシだろ」

 

 そんな苦味に唸った貴丈の隣では、平然とした様子でコーヒーを呷った真希は物足りなさそうな声音でそう言い、残った分を一気に呷った。

 

「やっぱ前の方が苦かったな」

 

 そしてコーヒーの味をそう評し、おかわりを求めるように空のカップを貴丈に差し出した。

 まだ飲み途中、と言うよりはその一杯で店じまいにして解散させようとしていた貴丈は露骨に嫌そうに困惑の表情を浮かべ、空になった真希のカップに目を向けた。

 底に溜まったコーヒーのドス黒い残り滓がカップに染みを残し、追加で注がれる時を待っている。

 貴丈は仕方ないと言わんばかりに溜め息を吐くとこたつから這い出し、真希のカップを受け取ると再び台所に足を向けた。

 そのまま改めて湯を沸かす訳なのだが、時間が惜しいと判断したのかガチャガチャと音を立てて皿を洗い始めた。

 そんな彼に申し訳ないなとは思いつつ誰も手伝おうとしないのは、単にこたつから出たくないからか。

 貴丈が皿を洗う音と、垂れ流しになっているテレビの音を聞きながら、ふと乙骨が真希、パンダ、狗巻に問いかけた。

 

「そう言えば、僕たち二年生になるんだよね?」

 

「ん?ああ、そうだな。それがどうした」

 

 その問いの意図が読めずに真希が首を傾げると、乙骨はだんだんと緊張した面持ちになっていく。

 何か特別なことがあっただろうかと三人は顔を見合わせるが、やはりと言うべきか思い当たらずに疑問符が浮かぶばかり。

 そんな三人の様子を知ってか知らずか、乙骨は声まで緊張させながら三人に言う。

 

「──ぼ、僕が先輩になるんだね」

 

 そう、あと三ヶ月もすれば乙骨らは二年生となる。

 そうすれば勿論新一年が入ってくるわけで、乙骨らが先輩となるのは必然だ。

 だが緊張しているのは乙骨だけなようで、他三人はあまり気にした様子はなく、むしろ何言ってんのお前と言わんばかりに見つめ返している始末。

 友人らからの同意が得られなかった乙骨は「ぼ、僕だけ!?」と逆に焦った様子を見せ始めた。

 ならばと皿洗い中の貴丈に目を向け「桐生くんは?」と彼の背に問いかけるが、当の彼は気の抜けた声を漏らして手を拭くと、顎に手を当てて何やら思慮し始めた。

 そしてすぐに言葉が纏まったのか、彼はにこりと微笑みながら告げた。

 

「どうせ呪術師歴は一年の方が上だぞ?」

 

「あ……」

 

 彼の一言に乙骨はハッとして、同時に緊張していた面持ちが途端に緩んでいった。

 そう、乙骨と貴丈という存在のせいで忘れがちだが、呪術師になる為に呪術高専に入学するのではなく、既に呪術師だから、呪術に関わりがあるから呪術高専に入るという生徒の方が圧倒的に多い。

 例外が二人もいる現一年五人の方が、業界的には珍しいのだ。

 

「まあ、その入学予定の一年も今のところ二人しかいないんだけどね」

 

 途端に緊張が解れた乙骨がホッと安堵の息を吐くと、そんな彼の肩に誰かの手が置かれ「あ、そうなんですか」と振り向いた瞬間にぎょっと目を見開いた。

 振り向いた目の前に目元を包帯で覆った恩人の顔があれば、誰であろうと驚くだろう。

 

「ご、五条先生……?」

 

「うん。グットルッキングガイ、五条先生だよ〜。で、新年だからって流石に夜更かしし過ぎだよ、解散解散」

 

 ぺちぺちと乙骨の頭を叩きながら五人に言うが、誰も言う通りに部屋に戻ろうとしない辺り、最強である彼のカリスマもその程度なのだろう。

 それを見せつけられた五条は眉を寄せ、「あのね」と割と真剣な声音で五人を叱ってやろうかと思うが、それはそれで面倒だなと匙を投げた。

 自分がここに来たのは夜更かし中の五人への指導もあるが、本来の目的はそれではないのだ。

 

「貴丈、ちょっといいかい」

 

 五条はこたつに入りながら貴丈に声をかけ、呼ばれた彼は皿洗いを中断すると、「何ですか?」と彼の方に振り向いた。

 

「まずはこれ。色々調べて弄っておいたから、後で確かめておいてね」

 

 彼はそう言いながらテーブルに置いたのは、五条に預けていたベルトとフルボトルだった。

 見た目は変わらないが、彼が弄ったと言うのならそうなのだろう。それに関しては後で好きなだけ調べればいい。

 

「……まずはってことは、まだ何かあるんですか?」

 

 だが五条が言った言葉が引っかかり、感謝の言葉よりも先にその問いかけが口からこぼれた。

 うん。と、なんて事のないように頷いた五条は、貴丈に向けて言う。

 

「年明け早々で悪いんだけど、任務だ。明日──ってよりは、今日の昼過ぎには君一人で京都に行ってもらうよ」

 

 五条はちらりと時計に目を向け、日付が変わってだいぶ経っていることを思い出しつつ、今後の予定を確認。

 

「きょうと。……あの京都ですか?」

 

「他に京都があるなら教えて欲しいんだけど」

 

 突然の出張勧告に驚いたのか、もはや訳がわからない問いかけをしてくる貴丈に五条は困り顔で返すが、すぐに真剣な表情となって彼に告げた。

 日本で『京都』と言われて、まず真っ先に思い浮かぶのは関西にあるあの京都だろう。

 関西人のみならずあちこちの地方の学生たちからすれば、修学旅行などで訪れることもあるであろう日本の古都。

 様々な寺社仏閣が立ち並び、それらをひっくるめて世界遺産になっている、死ぬまでに一度は行ってみたい場所の一つ。

 まあ、一部の人からはお隣の大阪に行きたいと言う人もいるかもしれないが、それは人それぞれだ。

 そして、せっかくだからとどちらにも行くことになる可能性もそれなりに高い。

 

 ──ってか、そうなったんだよな……。

 

 貴丈はありし日の思い出と、元気が有り余る弟妹らに振り回される自分を含めた年長組と両親の姿を思い出し、深々と溜め息を漏らした。

 だがそれは、一見すれば五条の話に対して心底面倒臭そうにしているように見えてしまう悪手であった。

 パンダがニヤリと笑い、「嫌そうだな、貴丈」と彼を弄る方向に意識を向けた。

 

「そんなに俺たちと離れたくないのか」

 

「しゃけ。めんたいこ」

 

「桐生くんらしいね」

 

 そしてパンダの言葉に続くように狗巻、乙骨が続くと、貴丈は三人の言葉を否定はせず、むしろ照れ臭そうに頬を掻きながら「やかましいわ」とツッコミを入れた。

 そんな彼の姿に五条は学校に来た頃の、基本無表情だった彼からは考えられない年相応とも言える言動に嬉しそうに笑いつつ、真希に目を向けた。

 一人だけ貴丈への弄りに便乗せず、無言で不満そうにしている──と言うよりかはおそらく心配している──彼女の内心は穏やかではないだろう。

 京都は文字通り呪術界の総本山。彼女の生家である禪院家の宗家もそこにあり、五条という後ろ盾から物理的に遠く離れた彼を、彼らが放っておくわけがない。

 彼女の懸念を他所に、やいのやいのと騒いでいた三人をコーヒーを差し出すことで黙らせた貴丈が、五条に向けて告げた。

 

「それで、内容は何となくわかりますけど……」

 

 彼の言葉で貴丈に意識を戻した五条は「うん。君の予想通り」と真剣な面持ちで返し、その表情通りの声音で言葉を続ける。

 

「この間の百鬼夜行で変異型呪霊(スマッシュ)が出たんだけど、何体か取りこぼしがいたみたいでさ。で、京都の方で暴れてた奴らがようやく見つかったってわけよ」

 

 先日の激闘──夏油一派による百鬼夜行には、彼が服従させた変異型呪霊、つまり貴丈の家族だった者たちも利用され、多くの術師に被害をもたらした。

 その多くは現場の一級術師が中心となって祓除(殺害)し、その力が巡り巡って貴丈の元に戻り、先日のフルボトルの大量生成に繋がるわけなのだが、やはりと言うべきかその全てを祓えた(殺せた)わけではないようだ。

 そしてその追撃を、正確には過去の自分の尻拭いを、これから京都に行ってしなければならないのだ。

 

「了解です」

 

 貴丈は自分のすべきことをすぐに把握し、躊躇の気配もなく応じた。

 覚悟はあの日(クリスマス)に決めた。あとは精一杯に進むのみだ。

 

「……慣れない土地で、下手すれば俺より強い奴ら相手に一人だけってのは不安ですけどね」

 

 だが多少の弱音を吐く程度のことは赦して欲しいと思ったのか、不意にそんな事を口にした。

 行ったと言っても一度だけ。それもパンフレットに載っているルートに沿い、有名な観光地を巡っただけだ。

 一応、向こうにも補助監督官──呪術師をサポートする人たちだ──がいるにしても、彼らにも限界があるだろう。

 そもそも非戦闘員である彼らに、戦闘面のサポートまで要求するのは酷だというもの。

 

「あ、その心配はないよ」

 

 そんな不安そうにしている彼に五条がなんて事のないように言うと、グッとサムズアップしながら不敵な笑みを浮かべた。

 

「僕の後輩に手伝いを頼んであるから。大丈夫、腕は確かだよ」

 

 ニッと白い歯を見せながらそう言うと、貴丈は僅かに表情を和らげて安堵した様子を見せた。

 だが話を聞いていた真希は相変わらず不満そうであり、下手をすれば先ほどよりも表情が強張っている気さえもする。

 

「なら、準備します。ほらお前ら、解散だ解散」

 

 新年早々から仕事が入った貴丈はそう言いながらパンパンと手を叩き、部屋に居座る気満々だった同級生と担当教師に告げた。

 男子三人は仕方ないと言わんばかりの様子で頷き、這うようにしてこたつから脱出。

 

「解散してくれるなら、僕もおいとまするよ」

 

 そして夜更かしの生徒を部屋に戻すという教師としての仕事も終わるからか、五条もさっさとこたつから這い出した。

 だが真希だけが動かず、何やら神妙な面持ちで何かを考えている様子。

 

「真希?どうした?おかわり待ちか?」

 

 そんな彼女に貴丈は声をかけ、ようやく準備ができたコーヒーを指差しながら問うが、真希は「いや、いい」と冷たく返してこたつから出た。

 

「そ。じゃ、俺が飲んじゃお」

 

 先程までの機嫌の良さをどこにやったのか、酷く不機嫌になった彼女の様子に首を傾げるが、飲んだコーヒーの苦さに眉を寄せた。

 

「あんまり飲むと眠れなくなるよ〜?」

 

 退室間際に五条がそんな事を言うが、貴丈は気にする様子もなくさらにもう一口。

 

「……ほどほどにね」

 

 そして言っても無駄かと諦めた五条はそう言うと、「おやすみ〜」と夜の挨拶と共に今度こそ退室。

 その後ろに続いて乙骨らも挨拶と共に退室していき、最後に真希が部屋を出ようとするが、そんな彼女の背中に貴丈が声をかけた。

 

「そうだ、真希」

 

「なんだよ」

 

「お土産、楽しみにしてろよ」

 

 微笑みながら告げた言葉に真希は足を止めると彼を小馬鹿にするように鼻で笑い、首だけで振り向いて彼に笑みを向けた。

 

「何がいいのかも知らねぇのに、何を買ってくんだよ」

 

「それは……。終わったら連絡するから待ってろ」

 

 彼女の煽りとも言える言葉に貴丈は言葉を詰まらせるが、どうにかそう返してふんと鼻を鳴らした。

 確かに京都の名産や土産に関しての知識はないし、何ならどんな店があるのかも知らない。

 そんなものスマホで調べればすぐにわかるのだろうが、それが相手の好みの物なのかは別問題。

 有名だからこれにしようで相手に嫌な顔をされては、土産を買ってくる意味がない。

 

「じゃあ、待ってるぞ」

 

「おう。すぐに連絡するから、待ってろよ」

 

 そんな彼の気遣いに気付いてか、真希が僅かに機嫌を良くしながらそう返すと、貴丈はくしゃっと破顔しながらそう返してやった。

 そのやり取りを最後に今度こそ解散しようと真希が廊下の方に視線を戻すと、

 

「「「「……」」」」

 

 扉の影からイタズラ小僧のように、ムカつくほどの満面の笑みを浮かべる五条、パンダ、狗巻、そして照れたように赤面しながら視線を逸らす乙骨らと視線があい、ピキリと音を立てて額に青筋を浮かべた。

 貴丈はあははと乾いた笑みを浮かべると、冥福を祈る為に合掌。

 

「よぅし、今度こそ解散!!」

 

 それを合図に五条が解散を命じ、バタバタと騒がしい足音と共に男子三人を伴って廊下の向こうに消えていく。

 

「待ちやがれ、テメェら!!!」

 

 真希は真夜中にも関わらず学校中に響き渡る怒号を放ち、逃げていった彼らを追いかけていった。

 そんな騒がしい彼らを見送った貴丈は溜め息を漏らし、今度こそ準備しようとクローゼットに目を向けるが、その前にコーヒーを処理せないばと残ったコーヒーを一気に呷る。

 強烈な苦味が眠気を吹き飛ばし、緩んだ意識を冴え渡らせる。

 

 ──とりあえず着替えと諸々必需品は持っていくとして。

 

 彼はそう思慮していくが、不意に思い出したように目覚まし時計を持つと、それを包むように煙を発生させた。

 時計には一切呪力を込めず、優しく包むように慎重に。

 煙に呑まれた時計は手元から消え、煙が晴れると共に手ぶらになった事を確認すると、今度は反対の手に呪力を集めて煙を発生させる。

 ドラゴンスマッシュや夏油との戦いを経て、自分の術式──『ビルド』もそれなりに制御できるようになってきた。

 やろうやろうと思いつつ、失敗したら大変だからとやらなかった事を試すには、ちょうど良いだろう。

 フルボトルやドリルクラッシャーにそうするよりもゆっくりと、煙で包んだ時よりも更に慎重に呪力を操り、しまい込んだ時計を取り出す。

 そして、その結果をフッと不敵に笑んだ。

 

「おし。いけるな、これ」

 

 そこには変形もせず、正確に時を刻んでいる目覚まし時計がそこにはあった。

 これなら大きい鞄はいらず、何なら手ぶらでも何とかなるだろう。

 

 ──どんだけ入れられるかは今度調べるとして。

 

 鞄の大きさとの相談という一番の課題を超えた貴丈は、どこかウキウキ気分で準備を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 呪術高専京都校、応接室。13:00頃。

 右頬から顔を横断するほどの大きな傷跡がある女性──京都校所属の準一級術師兼教師、庵歌姫(いおりうたひめ)は困惑していた。

 割とガチで嫌いな後輩、五条から「僕の生徒をよろしく!」と頼まれた時は渋々応じ、「僕に似て優秀だから」とも付け加えられた時には思わず怒鳴りつけてしまったが、その生徒が。

 

「えっと、庵先生ですよね。俺は桐生貴丈です。しばらくお世話になります!」

 

 気をつけからの綺麗な一礼をしてくれば困惑もするだろう。

 五条が自分に似ているとまで言い切ったのだから、無礼な輩が来ると思っていたのだが、第一印象としては良い方だ。

 

「え、ええ。よろしくね。桐生くん、でいいのかしら?」

 

「はいっ!」

 

 彼を駅からここまで連れてきた補助監督官も、彼のことを人当たりのいい好青年と判断していたし、こうして挨拶を交わしただけでもその評価は正しいもののように思える。

 だがそんな青年の、呪術師になって一年足らずのただの青年だった彼の左頬に残る酷い火傷の跡が、彼の辿ってきた軌跡の痛ましさを物語る。

 そしてこれから更なる地獄に進もうとしているのだから、彼の覚悟は壮絶なるものだろう。

 歌姫は彼に気付かれないように小さく息を吐くと、五条の言葉を思い出す。

 

『貴丈はちょっと目を離した隙にボロボロになって、それでも強がって頑張ろうとするから、ヤバくなる前に絶対に止めてね。できれば変異型呪霊(スマッシュ)を、彼の家族を殺させたくないけど、歌姫弱いから助っ人の方に期待する』

 

 最後の一言は余計ではあるが、五条の言葉の大部分に同意するしかないのが遺憾ではあるが、貴丈の情報に目を通し、こうして直接会ってしまえば彼の言葉が真実であることがわかる。

 自分の身も顧みず、ただ我武者羅に目的を果たさんとするのは呪術師として良いことなのか、悪いことなのか、そのどちらとは断言できない。

 ただ自分の半分ほどしか生きていない若者が、自分をそこまで追い詰めなければならない状況にあるのに、変異型呪霊──強さはピンキリながら、最低でも二級相当、最高で特級相当の化け物を前に、自分の力では何もしてやれないのが腹立たしい。

 

「庵先生?」

 

 物憂げな顔でじっと見つめてくる歌姫に貴丈は声をかけると、彼女はハッとして「ごめんなさい」と謝ってから咳払いをして場の空気を切り替える。

 ただですら知り合いがいない京都に来ているのだ。彼が不安に思う要素は出来るだけ少なくしてやりたい。

 

「少し待ってて。あなたに同行する人を呼んでくるから」

 

 ついでに何か飲み物も買ってくるわね、と微笑み混じりに告げて、歌姫は一旦退室。

 五条からはコーヒーが好きだと聞いている。それが本当かは信用ならないが、生徒に関わる事であまり嘘を言わないのは確かだ。

 なら呪術高専の自動販売機にコーヒーがある筈だし、とりあえずそれで良いだろう。

 とりあえず打ち解ける所から。歌姫は根気よくやっていこうと心に決め、勇み足で廊下を進んでいった。

 

 

 

 

 

 歌姫が退室したと同時、貴丈は耳を澄ませて彼女の足跡が遠ざかっていくのを確認すると、溜まった疲れを吐き出すように深々と溜め息を吐いた。

 言動から優しさが滲み出していたが、出発直前に告げられた五条の言葉が脳裏を過り、身体が変に緊張してしまうのだ。

 

『あ、歌姫に会うと思うけど、気をつけてね。ヒスる時あるから』

 

 ヒスる。つまりヒステリック持ち。変な事を言えば最後、テンションが振り切れた鬼の形相で詰め寄られる事になる。

 相手がただの一般人ならまだ大丈夫かもしれないが、歌姫は準一級術師。暴れ出せば最後、どんな被害が出るか予想もできない。

 

 ──とりあえず無難に、礼儀正しくだ。長男の意地を見せろ。我慢は得意だ。

 

 モミモミグニグニと凝り固まった頬を解しつつ、長男としての意地と誇りを賭けた我慢比べ。

 限界を迎え素を出し、下手に刺激すれば最後、きっと大変な事になる。

 自分に暗示をかけるようにそう繰り返しつつ、痛いほどの沈黙に包まれる応接室。

 貴丈の呼吸音と時計の秒針が動く音だけが流れるその空間は、不意に扉が開けられた事で破られた。

 

「っ!?」

 

 貴丈は慌てて姿勢を正しながら弾かれるようにそちらに目を向け、その直後に目を見開いた。

 そこには巨漢がいた。五条と並ぶほどの身長に対し、その四肢は分厚い筋肉に包まれ、さながら岩のよう。

 ドレッドヘアーを頭の天辺の辺りで一纏めにし、顔には額から左頬にかけて大きな傷跡があるせいで、威圧感が割増となっている。

 突然の訪問者に固まる貴丈を睨んだその巨漢は、彼を観察するように爪先から脳天までを見つめると、「お前が桐生貴丈か?」とドスの効いた低い声で問うた。

 

「え、あ、はい。桐生貴丈……です……」

 

 夜蛾とは違うベクトルの迫力を持つその人物に軽く怯える貴丈だが、その巨漢は突然ゴキゴキと指を鳴らしながら彼に近づいていき、落胆したように溜め息を吐いた。

 

「東京校から生徒が来ると言われてきてみれば、乙骨ではないのか」

 

 なぜここで乙骨の名が出るのかと疑問に思う貴丈だが、すぐに答えを思い出してハッとした。

 確か乙骨は先輩の代わりとして姉妹校交流会に参加していた。

 それぞれの学校の生徒が己の技を見せ合い、お互いの技を高めあうという行事なのだ、その時はもちろん里香の解呪前。何が起きたのかは語るまでもない。

 まさかその仕返しかと警戒するが、その巨漢は貴丈を間合いを捉えると同時に立ち止まり、「まあいい」と呟いて腕を組んだ。

 

「人を見た目で判断してはいけないからな。桐生貴丈、お前に聞きたいことがある」

 

「は、はあ……」

 

 巨漢の言葉に貴丈が気の抜けた声を漏らすと、彼は貴丈を指差しながら問いかけた。

 

「桐生貴丈!お前、どんな女が好み(タイプ)だ!」

 

「っ!?」

 

 貴丈はその問いかけに強烈なデジャブを感じ、全身に鳥肌を立てながら、ゆっくりと目を見開いた。

 どうやら一部呪術師の間では、初対面の相手に性癖暴露の流れがあるようだ。

 

 ──もう、訳わかんねぇ……。

 

 ヒス持ち女教師。性癖暴露強要男。

 京都に来て早々に浴びせられる強烈な洗礼に貴丈は目眩を覚えつつ、貴丈は小さく溜め息を吐いた。

 

 

 

 




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