呪術高専京都校、医務室。
本来なら呪いに関しての知識がある医者が在中し、怪我人に備えてある筈なのだが、生憎と正月だからか肝心の医者がいない。
入室早々にそれに気づいた真依は溜め息を吐くが、連れてきたのは自分だからと後ろで律儀に待っている貴丈に「入んなさい」と声をかけた。
「お邪魔します……。っても、誰もいねぇか」
念のためと挨拶をしながら入室した彼だが、真依は棚から消毒液や包帯などを取り出し始める。
「そこ、座って」
「おう」
彼女からの指示に垂れてくる血を拭いながら返事をした貴丈が言われるがまま着席すると、真依は彼と対面するように椅子を運び、そちらに腰を下ろした。
禪院家でやらされていたのか、手慣れた様子で貴丈の額の血を拭いながらガーゼに消毒液を染み込ませていく。
「染みるわよ」
「ん……」
念のためと告げられた言葉に貴丈が気の抜けた返事をすると、彼女は何の躊躇もなく消毒液を滲ませたガーゼを額の傷口に押し付けた。
声もなく悲鳴をあげ、身体を強張らせる貴丈に「我慢しなさい」と淡々と告げる真依だが、彼が僅かに涙目になっている事に気づいてのか、僅かに手付きが優しくなる。
額から垂れて顔を汚していた血を拭ってやりながら、髪の毛を巻き込まないように注意しつつ包帯を巻くのだが、巻いたそばから赤く染まるのだから彼女も困ってしまう。
表情には出さずとも困っていることが伝わったのか、貴丈は苦笑混じりに「反転術式が使えれば楽なんだけどな」と呟き、自分の治療をしてくれている真依の真剣な顔に目を向けた。
眼鏡こそかけていないが、真希と瓜二つの顔立ちは二人が姉妹であること、そしておそらくだが双子であることの証明だろう。
だが、直哉のせいで流してしまったものの、彼女が真希に対してあまり良い印象を抱いていないことも、おそらく事実。
痛いほどの静寂が支配する医務室に、貴丈と真依の呼吸の音と、包帯がキツく巻かれる音だけが聞こえる中、不意に貴丈が真依に問いかけた。
「……真希と、あんまり仲良くねぇのか?」
「……っ。それを聞いてどうすんの、さっきのあいつみたいに殴るわけ?」
彼の問いかけに真依はほんの一瞬狼狽える様子を見せたが、すぐに気丈に振る舞いながら彼に問いを返した。万が一にも「ああ」と返されれば最後、自分は碌な抵抗もできずに叩きのめされることだろう。
脳裏に蘇る、不条理とも言える禪院家での扱いと、それに伴う強烈なまでの恐怖心に当てられてか、僅かに身体が竦んでしまう。
だが貴丈は気にした様子もなく「するわけねぇだろ」と疲労が滲む声で言うと、じっと真依を見つめながら告げた。
「ただ気になっただけだ。真希も、俺に気を遣ってんのかあんまり家族の話題出さねぇから。恥ずかしい話だけど、あいつに妹がいんのもさっき知ったし」
ポリポリと頰を掻き、拭いきれずに肌に貼りついた血を剥がしながら笑った彼は、何だかんだで治療を続けてくれている真依を見やり、言葉は悪いが相手を気遣う優しさがあるという、真希との共通点を見つけて小さく苦笑。
「なに笑ってんのよ」と気味悪がる真依に言葉だけの謝罪をしながら、改めて彼女に問うた。
「──で、真希のこと嫌いなのか?」
「……ええ。嫌いよ」
僅かに俯き、表情に影を落としながらそう告げた真依に、貴丈はふむと小さく唸りながら目を細めた。
何故かはわからないが、真依は真希を嫌っている。真希の方も妹がいるなんてことを欠片も話題に出さない。側から見れば姉妹仲が悪いように見えるのだが、先ほどの言葉が本心なのか、貴丈は僅かに疑った。
確かに彼女は真希のことを落ちこぼれと称していたが、あの時の言葉は単純な蔑みよりもどこか怒りを露わにしていたようにも感じられる。
──何か、裏があんのか?
あの禪院家で、呪力を持たない姉を持つ妹だ。二人がどんな扱いだったのかは、考えるまでもない。
二人の仲を拗らせる何かがあり、結果的に真希は東京に、真依は京都に別れることになったと考えられるのでは、貴丈はそう推察するが、答えを聞ける雰囲気でもないので一旦黙る選択を取った。
先程まで話していたのに突然黙ったからか、あるいはじっと見つめてくる彼の視線に耐えかねてか、今度は真依が問うた。
「そういうあんたはどうなのよ。真希のこと、好きなの?」
「……?それはlike、それともloveって意味か?」
そんな彼女の問いに貴丈が戯けた様子で返すと、真依は無言で彼の包帯を今日一番の力を込めて締め上げ始めた。
突然額を駆け抜けた激痛に悲鳴をあげる貴丈を他所に、真依は「ふざけないで」と苦言を一つ。
「私は真剣に聞いてるのよ。まじめに答えなさい」
「……お前は真希が好きなのか、嫌いなのか、どっちなんだよ?」
「黙りなさいっ!」
「いだだだだだだッ!!」
養豚場の豚を見るが如く冷たく見下ろしてくる真依の視線に狼狽える様子もなく切り返すと、彼女は額に青筋を浮かべながら更に締め上げ、貴丈は更なる激痛に悲鳴をあげた。
ペチペチと包帯を締める手を叩かれたのを合図に力を緩めれば、観念したように両手をあげた貴丈は「別に変な感情は持ってねぇ」と言うが、すぐに「けど」と言葉を続けた。
「同じ呪術師としては、信頼してる。あいつに助けられたのも一度や二度じゃねぇし、その逆も然りだし。それに尊敬もしてる。俺が前を向けたのは、あいつのおかげだ」
照れ臭そうに目を背けながら、真希に対する感情──信頼と尊敬を口にした彼は、真依から向けられるとんでもなく冷たい視線に気づき、何か間違えただろうかと首を傾げた。一応自分が思うことをそのまま口にしただけなのだが……。
「そう。あの真希を、ね」
どこか切なそうな、けれどどこか嬉しそうな声音で呟いた声に、貴丈は一つ確信を得た。
──こいつ、言うほど真希のこと嫌いじゃねぇな。
口では嫌いだの落ちこぼれだのと言っているが、彼女も彼女なりに真希を気遣い、心配しているのだろう。
すっと目を細め、僅かに怪訝な表情を見せる貴丈だが、そんな彼に真依が告げた。
「気を付けなさい。真希は嘘を言う時もあるから」
「そうなのか?あんまり嘘言われた記憶ねぇんだけど」
そして実際に覚えがあると言わんばかりの、やって当然といえ確信と共に告げられた言葉に、貴丈は首を傾げる。真希にボコボコにされた記憶はあれど、嘘を言われた記憶はない。コーヒーの件も、他の皆の口に合わないだけの筈だ。
「昔、なんかあったのか?」
そんな真希が、良くも悪くも裏表のないあいつが、嘘を言う訳がないと謎の自信に満ちた声音でそう問うと、真依は僅かに鬱陶しそうにしながら「あんたに言う義理はないわ」と一蹴。
「いや、そうだけどさ。気になるには気になるだろ?」
「話すつもりはないわ。はい、これで終わり」
それでも食い付かんとしてくる貴丈の言葉を退けながら、ようやっと止血と包帯を巻き終えた真依はそう言うと、今度はボロボロになっている彼の拳に目を向けた。内出血だの骨折だのは、素人のそれでどうにかなるものではない。
別に悪気がないわけではないのだが、軽く触れてやれば彼は痛みに表情を歪め、触れられた手も小刻みに震えている。
「あ、あんまり触んな……っ」
腫れ上がった手を触診しているという建前で触りまくっていた真依に軽く怒鳴ると、彼女は悪びれた様子もなく手を離し、消え入りそうな声で呟いた。
「あんた、怖くないの?」
「あ?悪い、もう一回言ってくれ」
そしてその言葉は本来発するつもりはなかったのか、貴丈が聞き返すと真依はハッとして口を噤むが、今更何でもないと言える雰囲気ではないことを察してか、溜め息を吐いてから彼に告げた。
「こんなになるまで戦って、怖くないの……?」
下らないことを聞く自分を恥じるように、苦虫を噛み潰したような表情でそう問いかけてきた真依に、貴丈は「怖いに決まってんだろ」とさも当然のように告げ、そして顔の火傷の痕を撫でた。
「毎回痛い思いするし、顔もこんなになるし、手もそうだけど足もすげぇことになってるし、何なら腹に風穴開いたこともあるし……」
あははと乾いた笑みを浮かべた彼は、真っ直ぐな瞳で真依を見つめながら告げた。
「でも、俺にしかできねぇことがある。俺が、やらなきゃいけねぇことがある」
決して譲れないものがあると、鬼気迫るほどの覚悟を持って放たれた言葉に面を喰らう真依に、貴丈は更に言葉を続けた。
「さっさと死刑を受け入れて死んじまえば、上の連中も、多分俺も肩の荷が降りて楽にはなれたと思う」
過去の自分を自嘲しながらそう告げた彼は「でもな」と続けると一転清々しいまでの笑みを浮かべ、得意げに言う。
「そんなの俺らしくねぇ。何回ぶっ倒れようが立ち上がって、血まみれになりながら誰かを護るためにこの力を使う。それが俺なんだよ。父さんや母さんが、弟妹たちが大好きだった、自意識過剰な正義のヒーローになりてぇんだ」
子供みたいだろと今度は照れ隠しのために笑い始める彼を見つめながら真依はそっと自分の胸に手を当てた。
自分が呪術高専に来たのは、言ってしまえば真希のせいだ。
彼女が『禪院家の当主になる』と宣言し、家を飛び出したのとほぼ同時期に、有無を言わさずにここに放り込まれた。
落ちこぼれと言われている真希が頑張るほど、禪院家の連中は妹である真依にはそれ以上を求め、時には苛烈な任務に向かわされることもある。
真依自身は禪院家での不当な扱いも、一部を目を瞑れば我慢することはできた。ただ周りを怒らせないように振る舞い、適当に雑用をこなす、それだけでとりあえず死ぬまで生活することはできた筈なのだ。そして、そこには姉もいて欲しかった。
そんな姉が禪院家に喧嘩を売り、家を出ていったのだ。姉妹なのだからいつも一緒にいると、約束したにも関わらず。
それが今の真希嫌いに繋がる切っ掛けになるのだが、それは彼女だけが知っていればいいことだ。
そして真依の目には、今の貴丈が酷く眩しいものに見えていた。
自分と同じ恐怖心を抱いている。ある種の諦観も抱いている。だがそれらから目を逸らさず、前を向こうとしている。
自分なんかとは違う、真希のことを信頼していると言っていたが、きっと真希からも信頼されているのだろう。
あの自分勝手な姉は、東京で勝手に心を通わせる友人たちを見つけたのだ。
「そう……」とどこか隠しきれない哀しさを滲ませながら彼女が言うと、貴丈は余っていた包帯を痣だらけの拳に巻きつけ、腫れの酷い場所が直接他の場所に当たらないように保護。掃除をする分にはこれで問題あるまい。
ぎこちないながらに拳の開閉を繰り返す貴丈は、ちらりと真依の顔色を伺うと、何を思ってか彼女の頭にそっと手を置き、撫で始めた。
「な、なによ……」
突然の奇行を行った彼の手を払いながら真依が問うと、貴丈は小さく肩を竦めながら言う。
「何か今にも泣きそうな顔をしてたから、元気つけてやろうと、な?」
「別に泣きそうにはなってないわ」
「自覚なしとは、これは重症だな」
そして彼女の強がりとも言える言葉を冷静に切り捨て、彼女の手を引いて立ち上がった。
ちょっとと不満を口にする彼女を他所に、貴丈は笑いながら言う。
「さっさと片付けようぜ。話はその後に──」
ニカッと歯を見せるように笑いながら掃除に行く為に医務室を出ようとした瞬間だった、少々荒っぽい音を立てて扉が開いたかと思えば、
「桐生くん。何をしているのですか?いえ、違いますね。何をしたのですか?」
眉間に見たこともない程に皺を寄せ、額に青筋を浮かび上がらせた七海が、見下ろしてきていた。
「ぴ」と怯える小動物のような情けのない声を漏らした貴丈だが、それでも真依を庇うように背に隠すあたり、自分だけが矢面に立つつもりなのだろう。
そんな彼の様子に小さく息を吐いた七海は眼鏡の位置を直すと、「少し、お話ししましょうか」と淡々とした声音で告げた。
「……っ」
怯えた表情のままこくこくと何度も頷くその様子は、はっきり言ってあの禪院家に喧嘩を売り、当主の息子である直哉を相手にしていた人物とはとても思えない。さながら父親に悪戯が見つかった悪ガキのようだ。
彼の後ろで少しでも彼を認めようとした自分を恥じる真依を他所に貴丈はそっと真依の手を離し、彼女に向けて肩越しに苦笑した。
「悪いな、真依。俺は七海さんと話があるから、また今度な。掃除は俺がやっとくから、気にすんな」
そして自分にしか損がないというのに申し訳なさそうに言った彼は、七海とどこで話すのかを話し合い始めるが、真依はそんな彼に嫌味の一つでも言おうとするのだが、出かけた言葉を飲み込んで溜め息を吐いた。
そもそもとして騒動の原因は自分なのだし、決闘から後処理までを彼に一任するというのも、少々居心地が悪い。
「部屋で待ってるわ。話が終わったら声かけなさい、手伝うから」
「……いいのか?」
「何か悪い?」
「いいや、別に」
気を遣って言ってやった言葉に、貴丈は僅かに驚きながらも聞き返し、真依の返答を受けてどこか嬉しそうに笑った。
そんな彼の笑顔と、途端に照れたように顔を背ける真依を見た七海は眼鏡の下で目を細めた。
二人の言動は年相応、初々しさも感じて微笑ましいのだが、貴丈はただですら傷だらけの身体に生傷を増やし、応急手当ての包帯で額や拳がぐるぐる巻きになっている。
五条から頼むと言われた手前、来た時と同じ状態で帰すことを目的としていたのだが、合流一日目にして失敗に終わるとは思うまい。
五条から、自分のことを棚に上げてあれこれ言われそうだなと眉を寄せた彼は、小さく溜め息を吐く。
その溜め息を待たせたことへの怒気と判断したのか、貴丈が反射的に謝るのだが、七海は「気にしないでください」と子供を宥めるような声音で言うのだが、やはりと言うべきか気を遣われたと判断した貴丈がみるみるうちにしょげていく。
──意外と繊細、というか面倒なやつなのね。
真依の中で、彼の評価が二転三転を繰り返していた。
京都某所。禪院家の屋敷。
禪院家当主、直毘人は酒を呷りながら呪術高専で見ることになった貴丈の術式に関して考えていた。
学長やその他関係者とそれなりに楽しく酒を飲み交わしていたというのに、突如として背筋を震わせたとてつもない呪力の濁流と殺気。
二日酔いを覚悟で飲んでいたというのに、一瞬で酔いが覚めることになったあれは、生半可な術師が出せるものではない。
そして自分の術式を継いだ息子──直哉との決闘。遠巻きに眺めていただけだが、おそらくあれが全力ではあるまい。話ではかの百鬼夜行の際、乙骨と共に特級呪詛師、夏油を撃破したというし、特級過呪怨霊『里香』とも張り合える出力を誇るという。そんな相手に、直哉では逆立ちしても勝てない。
だが、結果だけ見れば引き分け。直哉は殺すつもりであったろうが、貴丈はあくまで撃退を念頭に置いた勝負に対する前提の差が、その結果を生んだのだろう。
「だが直哉が黒閃を出したのは重畳。あいつにも少しは学びがあったか」
格上との戦闘というのは、成長する上で手っ取り早い方法の一つだ。貴丈とて五条と訓練をしているだろうし、おそらく真希もまた五条や彼を相手に訓練を積んでいる筈。
自分に啖呵を切っていった彼女の姿を思い出した直毘人が小さく笑みを浮かべ、僅かにご機嫌そうに再び酒を呷ると、勢いよく部屋を仕切る襖が開き、そこから腰に刀を帯びた細身の男──禪院
細身の男が二人が入室したにも関わらず酒を呷っている直毘人を睨むが、すぐに咳払いをして「当主、話が」と話題を切り出した。
「わかっている。どうして直哉が怪我をして帰ってきたのか、呪術高専で何があったのか、だろう?」
そして二人が訪ねてくるのを見据えていた直毘人が先んじて口にすると、扇は何かを言おうとしていた口を閉じ、甚壱も無言で頷いた。
「まあ、座れ」と立ち話もなんだと二人に着席を指示すると、二人は下座に腰を降ろし、上座に座る直毘人を見やる。
「単刀直入に言えば、噂の男──桐生貴丈と一戦交えた。その結果が、あれだ」
「……っ!また先走りしおって、あいつの悪い癖だ」
彼の言葉に甚壱は隠すつもりもなく直哉を侮辱する言葉を口にするが、直毘人は気にする様子もなく同意を示すように首肯した。
本来なら少しずつ彼に取り入り、外堀を埋め、五条の庇護下からぶんどる手筈だった。
呪術界御三家からすれば、全くの未知の術式を持つ彼の価値はそれこそ計り知れない。曰くただの道具を呪具にする、曰く日に何度も構築術式を使うことができる。
何より、そんな彼の手綱を握り、完璧に制御できていると総監部に思わせられれば、禪院家の評価も御三家の中で一つ抜けたものになる筈だ。
五条のように好き勝手やらせてまた暴走となれば、今度こそ死刑は免れまい。あの術式に関して何もわからずじまいで殺してしまうのは、余りにも惜しい。
最悪死刑になってしまうとしても、禪院家の若い女中に何人か子供を作らせ、術式が相伝されたのを確認してからにしてもらいたい。
「直哉には後で言っておくとして、収穫はあった」
「収穫?何かあったのか」
ずずずといつの間にか用意されていた茶を啜った扇が問うと、直毘人は酒を呷ってから告げた。
「扇。お前の娘たち、どうやら桐生と仲がいいようだぞ」
その言葉に扇はピクリと眉を揺らし、持っていた茶飲みを置いた。
そして嘆くように大きく息を吐くと、額に手を当てて天を仰いだ。
そう、直毘人が言った通り、扇は真希、真依の姉妹の実の父親である。そして、禪院家の中でも特に二人を嫌っている人物でもある。
もっと言えば直毘人の弟であり、かつては兄弟で当主の座を争ったのだが、結果は現状の通り、直毘人の勝利で終わった。
そして扇は敗因を自分の子供たち──禪院家の中でも指折りの落ちこぼれを産んでしまったからと断定していた。
「あの出来損ないどもに、ようやく価値ができ始めたか」
そんな
どこかでのうのうと、理由もなく生きている二人を嘲笑うように気味の悪い笑みをこぼした扇を他所に、甚壱は「桐生貴丈から直接聞いたので?」と念のための確認。
直毘人は酒臭い息を吐きながら頷くと「今回の騒動の原因だからな」とついでと言わんばかりに口にし、顎を摩った。
「どうやら、直哉が真希を愚弄したのが切っ掛けだそうだ。小娘一人のために我々に喧嘩を売るとはな」
面白い奴だと酒を呷った直毘人は、扇と甚壱を一瞥しながら好戦的な笑った。
「中々骨のある奴だ。迎え入れるにしても、敵対するにしても、一筋縄ではいかん」
直毘人は初対面の相手であった貴丈をそう表すると、心の底から楽しそうに笑い、再び酒を呷る。
飲み過ぎだぞと注意した扇だが、既に思考は次に向かっているのか続け様に口を開く。
「差し向けるにしてもどちらにする。真希も真依も、身体つきは変わらん」
そして惚れさせるにしても、あの姉妹のどちらが適役かを考えねばならない。双子だからか顔はともかく身体つきもだいたい同じなのだ。差があるとしても性格程度。
そもそもとして彼の拠点は東京だ。そういう意味では真希の方が
どちらにせよ、今の貴丈は禪院家そのものは敵視している可能性が高い。その
「……。やはり直哉を一人にするのではなかったな」
直毘人は敵視の原因と言える馬鹿息子の姿を脳裏に描きながら、酒臭い溜め息を漏らした。縛り付けてでも部屋に置いておけば、少なくとも現状よりかはマシな関係になれた筈だ。
やれやれと面倒臭そうに溜め息を吐くと、ドタドタと騒がしい足音が廊下の向こうから聞こえ始め、そして妙齢の女中が挨拶と共に入室した。
「当主様、お話中に失礼いたします」
「おう、どうした。また直哉が何かやらかしたか?」
「す、既にご存知でしたか」
そして女中が言いそうなことを適当に口にすると、まさかの正解という事態に部屋に集まっていた三人は揃って頭を抱え、溜め息を漏らした。
甚壱が真っ先に立ち上がり、バキバキと指を鳴らしながら「どこだ」と強烈な威圧感を放ちながら女中に問うた。
甚壱の巨躯に怯えながら「く、訓練場です」と呟けば、甚壱は足早にそこを目指して走り出し、廊下の向こうへと消えていった。
それを見送った扇もゆっくりと立ち上がり、刀の位置を直しながら「俺も行こう」と告げ、歩き出した。退出の際、甚壱の圧で腰を抜かしてしまった女中を蔑むように一瞥し、何の言葉をかけることなく立ち去ってしまう。
その視線を受けた女中が余計に怯えている中、直毘人は「もう下がっていいぞ」とやはり気にした様子も見せずにそう告げて、酒を一口。
「暴れるにしても怪我が治ってからでいいだろうが、馬鹿者め」
直毘人が吐いた悪態を聞き流し、女中は慌てて部屋を立ち去った。
触らぬ神に祟りなし。呪術師でもなければ人として扱われないこの家において、彼女が取れる自衛手段はこの程度。
そして先を急ぐ彼女に耳に、風に乗って流れてきた戦闘音が、嫌に響くのだった。
禪院家所有の訓練場。
山を切り抜き、さながら石を切り出す採掘場のようになっているその場所の中央に、応急手当てをされただけの直哉の姿があった。
直毘人の手で気絶させられ、引きずられる形で帰宅した直哉は、目を覚ました直後に割られた額、砕けた拳をそのままに他の術師の訓練にカチコミを入れ、今しがた彼らの蹂躙を終えたところだった。
あちこちから聞こえる悲鳴や呻き声、恨み節の何もかもが、彼の耳には届いていない。
今の彼の頭を支配しているのは、貴丈──もとい彼が変身したビルドの姿だった。
いくら打ち込んでも殴り返してくる姿が。
いくら止めても倒れない姿が。
そして黒閃を当て、鎧を砕いたにも関わらず、尚も立ち上がる貴丈の姿が。
「──けんなや……」
爪が肌を突き破る程に拳を握り、二、三度殴ったり蹴ったりしただけで立ちあがろうともしなくなった術師たちを睨みつけ、瞳に強烈な嘲りの念を込めた。
「ざっけんなや。どいつもこいつも、こんなんで動けなくなって、情けないと思わんの?」
そして心の底からの侮蔑の言葉を吐くが、術師たちは睨みつけてくるだけで立ちあがることはない。
その視線だけは貴丈と似たようなものだが、彼の場合はどんなにボロボロになろうと立ちあがり、向かってくる。
呪術師歴一年足らずの若造に、根気でも実力でも負けているなど、禪院家の呪術師として恥ずかしくないのか。
不敵に鼻を鳴らす直哉はこちらに近づいてくる気配に気づき、獰猛な笑みを浮かべた。
すたんと軽い音を立てて彼の視線の先に現れたのは、女中の報告で駆けつけた甚壱だ。後方には扇も控えている。
「直哉、やり過ぎだ。これくらいにしておけ」
甚壱は呪力を込めた拳を構えながら言うが、直哉は気にする様子も見せずに構えを作り、べっと舌を出して挑発。
年の割に子供じみたことをする直哉に甚壱は溜め息を吐き、周りで倒れている術師たちを見つめ、彼らをどう巻き込まずに立ち回るかを思慮。
だがそれをさせまいと直哉が動き出し、それへの対応を強いられてしまう。
「俺はもっと強くなるんや!踏み台になってくれ!!」
「断る!!」
そして直哉の口から出た言葉に甚壱は鋭く返し、『投射呪法』による高速で動き回る直哉を迎撃せんと身構えた。
貴丈が原因ではあるが、貴丈が全く知らない内に、禪院家での大騒動が巻き起ころうとしていた。
呪術高専京都校。
七海からの簡単な説教が終わった貴丈は、真依の手を借りて割れてしまった窓ガラスの後片付けを行っていた。
箒で払う度にジャラジャラとガラス片がぶつかり合う音が廊下に響き、ちりとりはすぐさま一杯になってしまう。ゴミ箱と廊下、果たして何往復しただろうか。
「あんた、一体何枚割ったのよ……っ!」
「多分、中庭を向いてるやつ全部」
「ぜ……っ。この、馬鹿……!」
箒でガラス片を集めていた真依の問いかけに馬鹿正直に答えると、彼女はついに我慢できなくなったのか箒で彼をぶん殴るが、対して効いていないのか、あるいは反応するのも億劫なのか、貴丈はノーリアクションだ。
そしてそれが気になったのか、真依は彼の顔を覗き込みながら「ちょっと、大丈夫?」と声をかける。
「え?ああ、大丈夫だ。ちょっと疲れてるけどな」
そして気丈に笑みながら告げた言葉に真依は「そう」と興味なさそうに返すが、その表情はどこか心配そうではある。
「そんなに心配すんなって。俺、結構頑丈だし」
貴丈はドン!と胸を叩きながらそう言うと、不意に何か忘れているようなと思考を巡らせた。
そう、自分も誰かのことを心配して、休憩返上で介抱しようとしていたような気がする。
だが忘れているといことは、そこまで大事なことでも──、
「……あ」
そうしてようやく思い出した貴丈は気まずそうに目を背けていき、真依に目を向けた。
「な、なによ」
「いや、俺とお前が会ったのって、自販機の前だっただろ?」
「そうね。それがなに」
「東堂先輩に飲み物買おうと思ってたんだよ、忘れてた」
あの人大丈夫かなと首を傾げた彼は、手元に煙を発生させてあの時買った飲み物を取り出した。術式の効果のおかげなのか、長時間放置した割にはまだ冷たい。
「東堂のことなんてほっときなさい。あんたよりかは頑丈だろうし」
「いや、でもさ」
「片付けないと今度は学長に怒られるわよ?」
「それは、困る……っ」
学長からの叱咤と東堂からの好感度低下。
二つを天秤にかけた貴丈はほぼ即答で東堂からの好感度低下を取り、一刻も早い現状復帰を目指し、ガラスを片付けていく。
途中、騒動を聞いて駆けつけた歌姫や、見かねた七海や補助監督たちにも手伝ってもらい、日が沈む前には終えることができた。
そして手伝ってくれた人たちへの感謝の言葉と謝罪を済ませた彼が宛てがわれた部屋に戻ってくると、
「遅かったな、
ここに居て当然と言わんばかりに椅子に腰掛けて待ち構えていた東堂が、彼の帰還を祝福した。
そして訳知り顔であれこれ言ってくるが、先程まで寝ていたのか僅かに衣服が乱れている。
「とりあえず、帰ってくれます?」
「何故だ!?夜通し語り合おうじゃないか、高田ちゃんに関して!!」
貴丈の肩を掴んで鬼気迫る迫力を放ちながらそう言った東堂は、懐から彼が推しているアイドル、高田ちゃんのライブDVDが何枚も出てくる。
「こ、これを夜通し見るんですか!?寝させてくださいよ!」
「寝ていても構わん。高田ちゃんの歌声を聴きながら寝るというのもいいものだ」
「俺は静かな場所じゃないとねれないんです!」
「そういうな
「できるわけないでしょ!?」
せっせとDVDの準備を進める東堂を止めようと貴丈は言葉を重ねるが、やはりと言うべきか東堂がそれに聞く耳を持つはずが無く、リモコンを手に取った彼は流れるように再生ボタンを押した。
同時に流れ始める高田ちゃんのライブ映像。それを横目にベッドに寝転んだ貴丈は、ふと違和感を感じて東堂に声をかけた。
「なんか、シーツに違和感があるんですけど……?」
「ん?ああ。俺の汗をだいぶ吸ってしまったからな、備品室から新品を拝借してきた。なにか問題か?」
「いや、大丈夫です」
その気遣いを他に回して欲しいですけど……と出かけた言葉を飲み込み、枕に顔を押し付けて溜め息を吐くと、全身を弛緩させてベッドに身を沈めた。
やかましい程に聞こえてくる高田ちゃんの歌声を聴きながら、彼は眠気に身を任せて瞼を閉じた。
なお夢の中でも高田ちゃんライブ音声が鳴り響き、軽く魘されることになることを、貴丈が知るよしもなかった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。