ビルド廻戦   作:EGO

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京都編最終回。
次回からやっと原作に入れます。


11.

 呪術高専京都校。貴丈の自室。

 京都で目撃された最後の変異型呪霊(スマッシュ)を撃破した貴丈は、やはりと言うべきか一睡もすることができず、ベッドの上で寝転ぶだけで夜を明かしてしまった。

 ちらりと時計に目をやれば、時間は昼過ぎ。昨晩から何も食べていないというのに、空腹も感じないのは流石に危険だろうか。

 ゆっくりと目を閉じる。瞼の裏に映し出されるのは、自分や兄弟姉妹に母親が子守唄を歌ってくれたとある日の昼下がり。いつもなら心が温かくなる筈なのに、今はむしろ悲しさと寂しさだけが頭を埋め尽くす。

 目尻が熱くなる。雫が溢れそうにある。だが、それを堪えながら額に手を乗せ、深く溜め息を吐いた。

 体を起こし、両手を膝について立ち上がる。

 意味もなく部屋を右往左往し、溜め息混じりにその場にしゃがんだ。

 乱暴に額の傷跡を掻き、器用に膝で頬杖をつきながら、ぼんやりと床の木目を凝視。

 そのままの姿勢で、ただ意味のない時間を過ごす。

 数分か。数十分か。黙々と熟考する彼の胸中にあるのは、一だけだった。

 

 ──母さんは、焔と同じで人に戻ったりできなかったのか?

 

 いいや、出来なかったからあんな事になったのだ。被害者も──正確には誘拐されただけだったが──出ていたのだ。祓う(殺す)しかなかった……筈だ。

 

「ああ、くそ……!今さらあれこれ考えたって仕方ねぇだろ」

 

 額の傷跡も掻きながらあれこれと考える貴丈は思考を止めようとするが、やはり『もしも』を考えてしまい前に進めない。

 はぁと再び溜め息を吐くと、不意に指先に湿り気を感じ、額を掻く手を止めた。

 手を顔の前に持ってくれば、そこにあるのは赤くなった自分の指先だった。何か生温かい液体が額から鼻の方に流れ落ち、顎からポツポツと床に滴り落ちたそれは、赤い染みをつける。

 

「やっちまった……」

 

 慌ててティッシュで額を押さえる貴丈は、ちらりと時計を確認。

 正月休みとはいえ、昼過ぎまで寝ている呪術師はいないだろう。任務が入っていたら、迷惑になるかもしれないが──。

 

「ええい。ままよ」

 

 貴丈は額を押さえながら机の上に放置していたスマホをぶん取ると、気分転換ついでに何か飲み物を買うべく部屋を飛び出した。コーヒーを淹れてもいいが、それこそそんな気分ではない。はっきり言って面倒くさい。

 もう見慣れ始めた廊下を進み、突き当たりにある休憩所に移動。

 自動販売機でとりあえず目についた缶コーヒーを買おうとして、その手を止めた。

 

 ──いや、コーヒー淹れたくねぇからここに来たのに、コーヒー飲むのか?

 

 ある意味で気分転換には成功しているのだろう。ほんの一瞬、本来の悩みを忘れ、自分の行動に自分でツッコミを入れていた。

 彼はそのまま隣のペットボトルのお茶を買い、一口呷る。口の中に広がる渋さが、何とも心地よい。

 やはり日本人にはお茶かと、胸中で自分の趣味を全否定する事を宣いながら、もう一口。

 そのまま窓の外に広がる京都校の景色を眺めながら、スマホを弄る。

 七海にも確認を取った。念のため他の補助監督にも、歌姫にも、これで終わりかと念押しで確認した。

 なら、約束を果たさなければならない。

 スマホの画面に映るのは親友の名前。貴丈はほんの僅かに電話をかける指を止め、咳払いをした。そして何度か声を出して喉の具合を確かめ、声に変調がないかを確認。

 大丈夫そうだと確認が取れてから、呼び出しボタンを押し、スマホを耳に。

 数回の呼び出し音のあと、相手と繋がる音が耳朶を撫でた。

 

『おう、待ってたぜ』

 

「ああ。待たせたな、真希」

 

 スマホ越しに無遠慮に投げられた声に、貴丈は笑みを浮かべながら返事をするのだった。

 

 

 

 

 

 呪術高専東京校。

 正月ということで人の出入りは少なく、実家に帰らずに寮暮らしをしている生徒達は基本暇をしている昼過ぎ。

 真希、乙骨、狗巻、パンダの四人は、暇潰しついでの訓練のため、校庭に集まっていた。

 

「それにしても、真希。最近元気ないよな」

 

「あ?」

 

 そんな訓練の休憩中。芝生の上に腰を下ろし、胡座をかいていたパンダが不意に放った一言に、真希は怪訝そうに眉を寄せた。

 

「別にそんなことねぇよ。さっきも憂太の野郎ぶん投げただろうが。見てなかったのか?」

 

「いいや、そんな事あるね。たまに溜め息吐いてるし」

 

「しゃけ」

 

「確かに、あんまりキレがなかったかも……?」

 

 真希はすぐに反論するが、すぐさまパンダが言葉を返し、狗巻が首肯し、乙骨が先程の組み手を思い出すように頭を捻った。

 普段とあまり変わらなかったようにも感じるが、いつもよりも迫力というべきか、気迫のようなものが弱かったように思える。

 乙骨は「負けた癖に何言ってんだ」と訓練用の棒で脳天を叩かれる羽目になり、頭を押さえながら悶える結果になるが、パンダは更に捲し立てた。

 

「でもよ〜。昨日なんてずっと寂しそうにしてたし、何回も溜め息してただろ〜?」

 

「しゃけしゃけ!」

 

「寂しそうになんかしてねぇ!」

 

「溜め息は否定しないんだ」

 

 パンダが煽り、狗巻が捲し立て、真希がツッコミ、乙骨が無意識の内に揚げ足を取る。乙骨には無言の拳骨が落とされた。

 乙骨は再び悶える事になり、パンダと狗巻が合掌する中、真希は鼻を鳴らすと共に腕を組んだ。

 

「てか、お前らはどこから私を見てんだよ。ストーカーか?」

 

「いや、自販機の前で動かなくなったの真希の方だろ」

 

「あ?ああ、あの時か」

 

 パンダの言葉に首を傾げた真希が思い出したのは、昨日の昼頃。

 何か飲み物をと自動販売機に行ったはいいが、何を飲もうかと考え込んだタイミングを見られていたのだろう。

 別にあの後普通にコーヒーを買ったのだが。

 

「真希にしては珍しくコーヒー買ってたよな。もしかして、貴丈のコーヒー飲みたいけど缶コーヒーで我慢したとか?」

 

 どうやらそこも見られていたようだ。

 

「飲みながら『なんか違ぇな』とか、『物足りねぇな』とか言ってただろ?」

 

 ついでに、その後も見られていたようだ。

 真希は鋭くパンダを睨みつけ、眼光と殺気を放つ事で黙らせようとするが、パンダは気にした風もなく顎を摩る。

 

「まあ、確かに。あいつの部屋空っぽになってて道具借りるってのもできないし、あいつの部屋で(たむろ)って、部屋を汚くしてやろう作戦も出来なかったが」

 

「何で、私があいつの部屋に勝手に入る前提で話が進んでんだよ!!てか、何しようとしてんだ!」

 

「入らないのか?」

 

「入るわけねぇだろが!?」

 

 そんな下らないパンダと真希の口論は続き、「でもよ、真希〜」「るっせぇ!」とだる絡みしてくるパンダを心底鬱陶しそうに──というかウザそうにしている真希だが、不意にポケットに入れていたスマホが鳴り始めた。

 ヴ〜!ヴ〜!とバイブ音が彼女だけでなく他の三人にも聞こえ、真希に電話をかけてくる物好きなど、この場にいる者を除いて一人しかいない事を知るパンダと狗巻はニヤニヤと笑い始め、乙骨も誰が相手か察したのか、「あ……」と小さく声を漏らした。

 

「うっせぇ。黙ってろ」

 

 そんな男子達の反応を他所にスマホを引っ張り出した真希は、相手を確認。

 パンダ達も身を乗り出して画面を見ると、やはりそこにある名前は『貴丈』の二文字だった。

 あら〜と初恋を茶化す女学生のように頬を朱色に染めるパンダと狗巻を他所に、乙骨は「桐生くんからだ」と単純に友人からの連絡に喜んだ。

 

「面倒だ。スピーカーでいいよな」

 

 真希はいちいちスマホを回すのも面倒だと、スマホの画面のスピーカーのボタンを押す。

 

「おう。待ってたぜ」

 

『ああ。待たせたな、真希』

 

 画面の向こう、いつもの声音の貴丈の声が聞こえてきた。

 

「おう。元気そうだな」

 

「めんたいこ」

 

「桐生くん、久しぶり」

 

『なんだ、皆いんのか。こっちは大丈夫、もうすぐ帰れそうだ』

 

 パンダ、狗巻、乙骨の挨拶に画面の向こうの貴丈は笑い、何かに座ったのか木が軋む音がした。

 

『そういうことだから、土産は何がいいのか聞きたくてよ。リクエストあるか?』

 

「リクエストってもな〜。京都土産ってどんなのがあるのかよくわからん」

 

「しゃけ」

 

「僕もわかんないかな」

 

 貴丈の問いかけに男子三人が困り顔を浮かべる中、真希だけは神妙な面持ちで眉を寄せていた。

 スマホを見てはしゃいでいた三人もそれに気付いたのだろう。彼女に目を向けながら首を傾げると、真希が貴丈に問いかけた。

 

「──なあ、大丈夫か?」

 

『…………』

 

 画面の向こう、貴丈が息を呑んだ気配を感じた。

 言葉を失い、言おうとした言葉に喉に突っかかっているのか、僅かに『あ、いやぁ……?』と変に上擦った声が返される。

 

「何かあったんだな。さっさと言え」

 

 悪戯の現場を押さえた母親のような、面倒見のいい姉のような、気迫に満ちながらも相手への心配を確かに感じられる声音。

 もっともそれも指摘すれば、照れ隠しの拳が飛んでくる事に間違いないだろうが。

 

『……』

 

「どうした。言いづらい事を言うのはわかってんだ、早くしろ」

 

 画面の向こうで言葉に困る貴丈を急かすように真希が語気を強めると、彼は諦めたように溜め息を吐き、『本当、色々あってよ……』と途端に覇気のない声を漏らす。

 

『着いて早々に東堂先輩に親友認定されるし』

 

「「「「ん?」」」」

 

 予想外の方向から来た東堂の名前に、四人は一斉に首を傾げた。

 東堂はどんなに言い繕ったってイカれている人間だ。初対面の相手を半殺しにするような狂犬に、親友認定されたとは一体何をしでかしたのか。

 

『そうしたら休む暇もなく変異型呪霊(スマッシュ)祓う(殺す)ことになったし』

 

「「おう」」「うん」「しゃけ」

 

 次の悩みは予想通り。そもそもそれをしに行ったのだから、彼にとっての問題はそれしかない。なのに東堂という特大の横槍が入り、余計に彼のストレスになってしまっている。

 

『その後、真依に──ってか、真希!妹いるならいっといてくれよ!」

 

「ああ、悪ぃ。会わないと思ってたからよ」

 

『がっつり会ったよ、こんちくしょう!』

 

 そして真希の双子の妹である真依と出会ったことと、彼女から姉妹がいたことを説明されなかったことへの愚痴が漏れた。

 勢いのままに悪態を吐いた彼は、すぐに溜め息を吐いて言葉を続ける。

 

『あと、禪院直哉って奴に会ったぞ』

 

「はぁ!?」

 

 なんて事のないように出てきた名前は、禪院家当主の息子の名前。いの一番に反応した真希が声を荒げると、貴丈は『大変だったんだぞ〜』と気の抜けた声で返す。

 

「お前、何があった!?」

 

『なんか真依が直哉に絡まれてたから助けた。んで、そのまま決闘することになった』

 

「────ッ!!」

 

「あ、やばい。真希が見たことないくらい恐ろしい顔になってる」

 

「しゃけ!?」

 

 貴丈が一切隠すことなく何が起きたのか、そしてなぜ起きたのかを簡単に説明すると、真希は昔からいけすかない態度を崩さないど畜生の直哉が、真依にちょっかいをかけたということと、貴丈が戦わされたこと──ひいては禪院家から興味を持たれたことに苛立ち、額に青筋を浮かべた。

 スマホからはみしみしと軋む音が漏れ始め、パンダと狗巻が慌てて止めようとする横で、

 

「禪院直哉……」

 

「……憂太もすごい顔になってる!?」

 

『え?何がどうなってんの?』

 

 乙骨は親友と敵対した男に対して敵意を剥き出しにし始めた。

 右にはブチギレの真希。左にはなぜかどろりとした殺意を滲ませる乙骨。二人に挟まれたパンダは顔を真っ青に──もっとも毛でよくわからないが──しながら、貴丈にこちらの状況を簡潔に説明するが、当の本人はあっけらかんとした、どこか楽しそうにしている声音で返される。

 

「とにかく、大丈夫なんだな」

 

 狗巻にぺちぺちと肩を叩かれ、ようやく過剰な握力を込めていたスマホを解放した真希は、ごほんと咳払いをしてからそう問いかけた。

 大変遺憾ではあるが、直哉は強い。そんなあいつと一戦交えたということは、それなりに苦戦を強いられた挙げ句、怪我をした可能性だってある。

 

『ああ。結構殴られたけど、倍は殴り返してやった。あんまり覚えてねぇけど』

 

 あははと乾いた笑い声と共に告げられた言葉に、真希は「そうか」とどこか安堵しつつ、喜色が強い声音で頷いた。

 あの野郎をぶちのめしてくれたのなら、多少なりとも溜飲も飲めるというもの。

 あんまり覚えてないというのは気になるが、彼だって疲れていたのだろう。あまり言及はしてやらない方がいいだろう。

 

『まあ、その後直毘人って爺さんに止められたけどな』

 

 貴丈はその呆気ない結末をあっさりと語ると、その後の戦いも手短に真希達に伝えていった。

 次の仕事は東堂先輩と真依も一緒だったとか。

 その戦いの中でバイクを手に入れたとか。

 東堂と学校を壊す寸前まで稽古をしたとか。

 最後に、まだ理性を保っていた母親を殺したことを。

 

「道理で元気ねぇわけだ。大丈夫か?」

 

 何と声をかけてやるべきか。男子三人が悩み、口を閉じてしまった直後に、相変わらず無遠慮な真希の声が投げられた。

 その問いに貴丈は『大丈夫だ』と返すが、すぐに溜め息を吐いて『──って、言いたいけどな』と声色を途端に弱々しいものに変えながら呟く。

 

『言いたくはねぇけど、やっぱ辛ぇ……』

 

 苦渋に満ちた声と共に、頭でも抱えているのか髪を掻き上げる音が聞こえてきた。

 はぁと深々と溜め息を吐く声まで聞こえ、こちらの気分まで落ち込んでいく中、貴丈は『だから』と呟いて四人に問うた。

 

『気分転換に買い物に行きたい。お土産何がいいかリクエストしてくれ』

 

 先程までのそれとは違う明るい声音。開き直ってか、あるいはこれ以上気を遣わせることを嫌ってか、とにかく貴丈は後ろ向き(ネガティブ)な思考を少しでも前向き(ポジティブ)に変えたいのだろう。

 

「そうだな、私は──」

 

 そして真希がリクエストを口にしようとした瞬間、スマホの向こうで何か物音が聞こえた。

 

『真依?どうかし──……』

 

 妹の名前を呼んだ声が聞こえたかと思えば、ブツッ!と問答無用で電話が切られた。

 

「…………あ?」

 

「「「ひぇ……」」」

 

 瞬間解き放たれる強烈な怒気に男子三人が小さく悲鳴を漏らす中、真希は止める間もなく折り返しで電話をするが、

 

「出ねぇ」

 

 彼のことだ、すぐに出てくれるとある種の確信があったというのに、それがない。

 

「出ねぇ……」

 

 数度のコール音。だが彼は出ない。無情にも更にコール音が続いたかと思えば、ブツッ!と今度は出られることもなく電話が切られた。

 

「…………」

 

「「「…………」」」

 

 真依の名を呼んだ直後にこれだ。おそらく、彼女と何かがあっただろう。

 あの無愛想な妹のことだ。自分の名前が出たタイミングでちょっかいを出して来たのだろうか。

 まあ、真依にちょっかいを出されるほど仲良くなったと思えば姉として嬉しい気持ちではあるのだが。

 

「……せめて何か言ってから切れよ。ムカつく」

 

 胸中に渦巻く謎の不快感にもやもやしながら愚痴ると、パンダも狗巻が何やらニヤニヤと笑い始め、乙骨はそんな二人を他所に「何かあったのかな?」と親友の心配をしていた。

 

「よし!パンダと棘は叩き潰してやる。やるぞ」

 

「ぁ……。これ死んだかも」

 

「……おかか」

 

「頑張ってね」

 

 真希からの死刑宣告にパンダと狗巻が死んだ魚のような目になりながら、彼女に首根っこを掴まれた連行されていく中、一人難を逃れた乙骨はそんな二人に激励の言葉を投げながら、ふと空を見上げた。

 憎たらしいまでに青い空には雲一つなく、吸い込まれるような美しさだけがそこにはあった。

 直後、パンダと狗巻の悲鳴が聞こえてこなければ、きっといい休日であったのだろう。

 彼は困ったように笑いながら、三人に混ざろうと駆け出していくのだった。

 

 

 

 

 

「待っ……!いきなり何すんだよ!?」

 

 そんなパンダと狗巻にとっての修羅場が展開される東京校とは打って変わり、京都校の休憩室には貴丈の悲鳴にも似た声が響いた。

 背後から近づき、無言でスマホを奪った挙句に電話を切った真依もまた、今更自分がやったことを自覚したのか、気まずそうに目を逸らす。

 

「せめてこっち見ろよ!?てか、スマホ返せ!」

 

 貴丈が赤を真っ赤にしながら怒りを露わにし、スマホを奪い取ろうとするが、真依は「別にいいじゃない」と告げると共に彼のスマホを彼に向けてぶん投げた。

 

「ちょ!?」

 

 慌ててそれを受け止めた貴丈は、画面を確認して罅が入っていない事を確認すると、ホッと安堵の息を吐く。

 そのまま真希に折り返しの電話をかけるが、生憎とパンダと狗巻を叩きのめすのに夢中な彼女は気づかない。

 だが、そんな東京校の事情を知らない貴丈は彼女を怒らせたと顔を青ざめながら項垂れ、溜め息を吐く。

 

「ヤバイって。帰ったら殺されるって」

 

 そのまま頭を抱えてしゃがみ込む彼に多少の罪悪感を感じつつ、真依はくるくると髪を弄りながら言う。

 

「話は聞いたわ。買い物行くんでしょ?私も行くから付き合いなさい」

 

「……わざわざそれを言いに来たのか?いや、まあ、いいけどよ」

 

 ぽりぽりと額を掻きながら立ち上がった貴丈は「一つ、問題があるけどな」と人差し指を立てた。

 

「真希達への土産を何にするのか、全く決まってないってことだ」

 

「問題ないわよ。あいつの好みならわかるわ」

 

 妹だからと貴丈には聞こえない言葉でそう呟き、言及される前にと踵を返した。

 真希のことは嫌いだ、それは決して変わらない。変えようがない。だが──。

 ちらりと振り向いてみれば、そこには兄弟姉妹を、そして育ての両親を殺しながら、それでも誰かの為に立つ馬鹿野郎の姿があった。

 今更両親に何か思うことなどないし、真希に対して姉妹だからと特別な感情を抱いているわけでもない。

 だが、それでもたった一人の姉に、何かしてやりたいと思う程度には、貴丈に絆されてしまったのだろう。

 真依は溜め息を吐きながら、「着いてきなさい」と一方的に言うだけ言って休憩室から出て行ってしまう。

 

「ああ、おい。ちなみにバイクは七海さんに持ってかれたから出せねぇぞ」

 

「どうでもいいわよそんな事!あんなのに二度と乗りたくないわ!」

 

 貴丈はバイクスマッシュの追撃の為に生み出したマシンビルダーが七海預かりになっていること──免許を取り次第返してくれるらしい──を報告するが、真依はむしろその方がいいと言わんばかりに声を荒げた。

 

「別にいいだろ?カッコいいじゃん、あのバイク」

 

「どこがよ!?あんな玩具みたいなバイク、見た事ないわ!」

 

 そんな彼女の怒鳴り声を無視し、自分が生み出した物への自画自賛的なセリフを吐くと、真依は彼のバイクを玩具っぽいっとばっさりと切り捨てる。

「うっ!」と苦悶の声と共に体をくの字に曲げる貴丈だが、すぐに笑みを浮かべて背筋を伸ばした。

 和気藹々、いや喧々囂々としながら廊下を進む二人。その背後、廊下の曲がり角から体を半分だけ出した状態で、何やら訳知り顔で二人の背を見送るのは、東堂だ。

 

「行ってこい、超親友(ブラザー)。親友と学友のデートだ、邪魔はせん」

 

 家族との問題だからとあまり干渉せず、だがあいつなら立ち上がれると信じて待っていた彼は、文字通り真依に遅れをとった。正確には、貴丈がいるタイミングでふらりと休憩室に立ち寄った真依の豪運に負けた。

 ならば、後は真依に任せよう。彼女になら貴丈を任せられるし、貴丈になら彼女を任せられる。自分が入る隙間はない。

 

「だが、暇になってしまったなぁ。仕方ない、超親友(ブラザー)に渡す予定だった高田ちゃんのDVDの再選定でもするか」

 

 東堂は顎に手をやりながらそんな独白をこぼし、自分の部屋へと戻っていく。

 なお貴丈に贈る高田ちゃんグッズは、予定の倍近くまで増えることになり、それを全て彼の部屋に押し込められることになる。

 それを知らない貴丈は、帰ってきたら自室が大変なことになっているなど、欠片も予想していなかった。

 

 

 

 

 

 京都校、職員室。

 

「結局、私は何もしてあげられませんでした」

 

 一人呟く七海が見つめる先にいるのは、真依に連れられて正門を潜ろうとしている貴丈の姿だ。

 彼の負担を減らすべく馳せ参じたというのに、結局できたのは道案内や露払い程度。

 引率すべき大人が何もできなかったなど、五条が聞けば一頻り爆笑したあと、割とマジな声で叱咤されるかもしれない。

 あの人にだけは怒られたくはないが、今回ばかりはそれを受け入れざるを得ない失態を重ねてしまった。

 眼鏡の位置を直し、溜め息を吐きながら、貴丈の代わりに報告書を纏めていく。

 無駄なく、事実のみを述べながら、上層部に不審を抱かせないように注意を払いつつ、ペンを走らせる。

 時計の針が進む音とペンが走る音のみが部屋に満ち、静かな時間だけがゆっくりと過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

「真依も無事。桐生貴丈は任務を終え、明日にも東京に戻るか」

 

 禪院家の屋敷。当主、直毘人の自室。

 酒が満杯に入れられた瓢箪を傾けながらそんな事を呟いた直毘人は、己の意に反した内容とは対象的な獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「まあいい。向こうには真希もいる。後は五条悟からどう引き剥がすかだが……」

 

 だが一番の難題に頭を捻り、酒を呷る。

 五条は最強だ。そして、最強だからこそ押し通している規定違反──今回でいえば秘匿死刑囚の貴丈の保護──も数多い。そこを突いたところで、最悪実力で黙らされるだろう。

 

「やはり機が熟すのを待つほかないか。真希か、真依か、どちらでもいい。桐生貴丈を堕とせればそれで終いだ」

 

 だが、それでも個人的な色恋に口を出すほど腐ってはいまい。

 惚れた相手が偶然禪院家の者で、婿入りする他ない状況さえ揃えてしまえればどうとでもなる。

 直毘人は笑いながら禪院家の安泰の為の策を練り、更に酒を呷るのだった。

 

 

 

 

 

 そんな親友(仮)や大人達の気遣い、あるいは悪巧みに晒されている事を知る由もない貴丈は、両手いっぱいの荷物をどうにか抱えながら溜め息を吐いていた。

 

「なぁ、買いすぎじゃねぇか?」

 

「うるさいわよ、荷物持ち。色々とお土産のアドバイスしてあげたでしょう?」

 

「それは、そうだけどよ」

 

 前を歩く真依に悪態をつくが、彼女はどこ吹く風といった様子で受け流し、貴丈は黙らざるを得ない状態となっていた。

 人込みに飲まれないように四苦八苦しながら彼女の背を追いかけ、時折こちらを気にするように振り向こうとして、けれどすぐに辞める挙動不審な首の動きに気づき、思わず苦笑。

 

「でも、ありがとうな。いい気分転換だ」

 

「……あっそ。こっちはあんたのせいでここ何日かは本当に大変だったんだから、もっと感謝しなさい」

 

「ああ。ありがとう。で、次はどこに行くんだ?」

 

 貴丈から何の裏もなく伝えられた素直な感謝の言葉に、真依は多少面を喰らいながら皮肉を返すが、貴丈は再び素直な感謝を告げて、開き直ったように次の目的地を問うた。

 顎に手をやり、次の行き先を考える真依の背を追いかける中、不意に貴丈のスマホが鳴った。

 

「あ、ちょい待ち。一回待ってくれ」

 

 貴丈は真依に声をかけてから道の端に寄り、荷物を一旦置いてから電話に出る。

 

「もしもし、こちら貴丈」

 

『よ。で、さっきいきなり切ったのは何なんだ?』

 

「げ。真希……」

 

 開口一番に告げられた、凄まじい怒気が込められた問いかけに、貴丈は露骨に嫌そうな顔をするが、すぐに柔らかく破顔した。

 隣では真依がほんの僅かに不満そうな顔をしているが、それに気づかない貴丈はそのまま真希との会話を続行。

 

「悪い悪い。それで?」

 

『さっきやり損ねた土産の話なんだ。私は──』

 

「それは問題ない。今、真依と一緒に買い物中だ」

 

『真依と?』

 

 なぜか真依の名前を出した途端に声のトーンが一つ下がった真希の様子に怪訝な顔をするが、まあ気にする事でないと無視した貴丈が隣の真依に目を向け、告げた。

 

「ああ。何なら替わって──」

 

「嫌よ」

 

『いや、別にいい』

 

 だがそんな彼の気遣いもあっさりと二人揃って断り、貴丈は「そうか」と苦笑混じりに肩をすくめた。

 

『で、もう帰って来れんのか?」

 

「明日には帰れる予定だ。土産楽しみにしてろよ」

 

『そうだな。帰ってきたら、とりあえずお前のコーヒー飲ませろよ。意外と飲めないなら飲めないでむしゃくしゃする』

 

「俺のコーヒーがヤバイ薬みたいに言わないで欲しいけどな……!」

 

 時には笑い、時には怒り、二人のそんな下らない年相応のやり取りは続くが、そんな姉と言葉を交わすたびにコロコロと表情を変える貴丈の横顔を見つめた真依は、ほんの僅かに拳を握り、そして告げた。

 

「ほら、さっさと行くわよ。そろそろお店も空くだろうし、何か食べましょ」

 

「ん?ああ、もういい時間だもんな。何食う」

 

『何だよ、まだ昼飯食ってねぇのか?もう二時だぞ』

 

 電話も切らずに真依とのやり取りを続行した為か、すぐに真希からのツッコミが入り、貴丈は誤魔化すように笑った。

 

「色々あったんだよ。それじゃ、切るぞ」

 

『ちょっと待て。やっぱ真依に替われ』

 

「……?わかった」

 

 さっきまでは散々嫌がっていたという、突然の手のひら返しに首を傾げる貴丈だが、言われた通りに真依にスマホを差し出した。

 

「嫌よっていった筈よね」

 

 差し出されたスマホを押し返しながら露骨に嫌そうな顔をする真依に、まあまあ落ち着けと笑いかけながら「どうせ一言喋るだけだろ?」と告げ、「これで最後になるかもしれねぇし」と自分の事情を盾にして真依の意地を突き崩す。

 数秒続く、長い長い溜め息を吐いた真依はぶんどるように貴丈からスマホを奪い取ると、「何よ」とぶっきらぼうに問いかけた。

 

『──────』

 

 真希が彼女に何を伝えたのか、生憎と貴丈には聞こえなかったが、その言葉を聞いた途端に真依の表情が変わり、面倒そうにしていた顔が何故か赤くなった。

 

「は……?ちょっと、それどういう意味よ!?って、真希!真希!?切れてるし……!」

 

 真依はスマホに向けて怒鳴りつけるが、既に電話は切れているようだ。返事はなく、あるのはプーッ。プーッ。という電話の切れた音声のみ。

 

「なんて言われたんだ?」

 

「うっさい!さっさと行くわよ!荷物持ちなさい!」

 

「へいへい」

 

 貴丈が言及しようもしても真依は取り付く島もない様子で返し、いくつかの袋を抱えながら先に出発してしまう。

 小さく肩をすくめた貴丈が残りの荷物を抱えて立ち上がると、遠くなっていく彼女の背中を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

「……」

 

 パンダと狗巻を叩きのめし、自室に戻った真希。

 貴丈と真依との電話を終えた彼女は、そのままスマホを枕元に放ると共にベッドに寝転び、ぼんやりと天井に目を向けた。

 

「何であんな事言っちまったかな」

 

 先程真依に告げた言葉を胸中で反芻しながら、溜め息を吐く。

 いや、まあ、深い考えもなしに言った言葉といえばその通りだ。現に真依は大いに慌て、彼の前で恥をかいたに違いない。

 

「ま、明日になりゃその話も聞けるか」

 

 早く帰ってこねぇかな〜、なんて独り言をぼやきながら、彼女はそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 そして、時間というものはあっという間に過ぎていく。

 歌姫と七海、東堂、真依に別れを告げ、新幹線に飛び乗ること数時間。

 貴丈からすればあまりにも濃い京都出張はようやく終わり、見慣れた呪術高専東京校の寺社仏閣を思わせる建物が視界に映り始めていた。

 そのまま正門を潜り、更に進む事数分。

 どこからか聞こえる聞き馴染んだ友人達の声と、恩師の声に誘われるように校庭の方へ。

 真っ先に気づいたのはやはりと言うべきか五条だった。目元を覆う包帯越しに視線を向け、「お、帰ってきた!」と待ってましたと言わんばかりに声を張り上げた。

 つられるように顔を上げたのは、今しがた彼にぶん投げられた乙骨。校庭脇の芝生の上に座っていたパンダと狗巻だ。

 

「桐生くん、おかえり!」

 

「帰ってきたな。早速で悪いが、お土産寄越せ〜」

 

「しゃけ!明太子!」

 

 男子達がそれぞれの言葉で彼の帰還を祝う中、狗巻の「明太子!」を合図に校庭に集まっていた男子三人と教師が彼の元に集まり、彼を揉みくちゃにしながら土産が入った袋だけを持ち去っていった。

 呼び止める間も無く校舎に消えていった男子達の背を見送った貴丈が言葉を無くしていると、彼と同じく取り残された真希が溜め息を吐いた。

 ひたすら素振りをしていた彼女は残心を済ませてから薙刀を肩に担ぎ、貴丈に向けて不敵な笑みを浮かべた。

 

「おかえりって奴だ、貴丈」

 

 そんな彼女の挨拶に照れくさそうに笑いながら、貴丈はその言葉を呟いた。

 

「ああ。ただいま」

 

「そんじゃ、早速コーヒー飲ませてもらおうか。あと、向こうで何があったのか隅々まで話せ」

 

 そっと彼の隣に並んだ真希が、彼と肩を組みながら帰還直後の彼にコーヒーを催促。

「え〜」と不満そうな声を漏らす貴丈だが、すぐに「わかった」と微笑みと共に首肯した。

 

「貴丈、これ全部食べちゃっていいよね!」

 

「八ツ橋旨ッ!生八ツ橋も旨ッ!」

 

「しゃけ!しゃけ!」

 

「うん。美味しいね」

 

 全開にされた窓からは男子組の土産に関する感想が飛んでくる中、貴丈は溜め息を吐いた。

 

「早くしないと俺たちの分がなくなりそうだな」

 

「そういう訳だ、さっさと淹れてこい」

 

 貴丈の嘆きの言葉に真希は笑い、彼の肩を叩いて男子達に合流してしまう。

 やれやれと肩を竦めた彼も歩き出し、とりあえずコーヒーを淹れる道具一式を手元に生み出した煙から取り出す。

 そのまま土産が広げられた教室に入り、一斉にこちらに視線を集めてきた親友達と恩師に告げた。

 

「コーヒー淹れるけど、飲むか?」

 

「「「いらない!」」」

 

「おかか」

 

「じゃんじゃん持って来い!全部飲んでやるよ!」

 

 彼の悪戯っぽい笑みと共に告げられた問いかけに男子達が一斉に首を横に振る中、真希だけが不敵な笑みを返した。

 そんな様々な反応を受け止めながら、貴丈はコーヒーの準備に取り掛かる。

 いつもの日常。いつもの光景。そこに込められた温かさを感じながら、彼はコーヒーを淹れるのだった。

 あと四ヶ月もすれば新学期。後輩もできて、自分の呪術師としての階級も決まるだろう。

 これからどうなるのか。それはわからないが、

 

「ま、ベストを尽くすっきゃないか」

 

 家族との約束を、誰かの笑顔を守る顔のないヒーローになるために頑張るしかない。

 とりあえず今は親友達を笑顔にするところから。

 

「さあ、出来たぞ!」

 

「「「だから要らないって()!?」」」

 

「おかか!?」

 

「おう、寄越せ」

 

 和気藹々、あるいは喧々囂囂。呪術高専東京校に、いつもの騒がしさが戻り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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