ビルド廻戦   作:EGO

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登場人物の見た目は、イメージしやすいのでとりあえずアニメ版でいく予定です。



3.

「早速だけど、転入生を紹介しやす!」

 

「「「……」」」

 

 呪術高専、一年用の教室。

 朝のHRとも言える時間に発せられ五条の声に、反応を返す者はいなかった。

 別に生徒がいないわけではない。現に教卓を挟んだ向こうには四つの机が並び、既に三つは埋まっているのだ。

 その中の一つに腰を掛ける、このクラスにおける紅一点である禪院真希は、机に頬杖をつきながら溜め息を吐いた。

 今は五月。転入というか、単純に面倒があって入学が遅れたと言うわけではないのだろうかと推察し、とりあえずシカトこいてやると目を伏せるほど。

 それよりも、その転入生に関しては噂の一つもないというのが不気味だ。

 仕事上様々な情報が飛び交う呪術高専において、なんの前触れもなく生徒が入ってくるなど稀中の稀。

 そういう意味では興味もないではないが……。

 

「はい、皆!テンション上げて!」

 

 沈黙に耐えかねてか、あるいは廊下にいるその転入生に気を遣ってかは知らないが、五条は改めて一年たちに言うが、やはり反応はなし。

「皆恥ずかしがっちゃって、仕方ないな~」と的はずれなことを宣う五条は、パンと手を叩いて教室の扉へと目を向けた。

 

「入っといでー!!」

 

 扉の向こうで待っているであろう誰かに向けて、五条は入ってくるように指示を出した。

 一年三人も一応顔を見ておくかと扉に目を向けると、がらがらと音をたてて扉が開く。

 そこから入ってきたのは、呪術高専の黒い制服に身を包んだ、黒髪黒目の青年だった。

 額を隠すように前髪を垂らし、暗そうな雰囲気を醸し出してはいるが、その歩調やピンと伸びた背筋からはどこかやる気のようなものを感じさせる。

 だが、それよりも三人が気にしたのは彼の目の下に残った隈だ。

 メイクでもしてきたのかと聞きたくなるほどに、くっきりと残された黒い隈。

 眠たげに瞼が垂れているが、意識ははっきりしているようでぴたりと教卓の前で足を止めた。

 そして一年三人を一瞥した彼は、とある一人の存在に気付いて僅かに目を剥くが、すぐに気を取り直して姿勢を正す。

 

「桐生貴丈。よろしく」

 

 そして名を名乗り、たった一言だけ挨拶をしてぺこりと頭を下げた。

 一年たちは反応しないが、五条はぱちぱちと拍手をしている。

 

「とある事情でこんな変な時期での入学になっちゃったけど、仲良くしてあげてね~」

 

「……小学校の教師みたいなこと言うんだ……ですね」

 

 五条がある程度の事情を濁して紹介した瞬間に貴丈が放ったカウンターに、彼は気にした素振りもなく一年三人へと目を向けた。

 

「そっちの三人は反抗期真っ盛りだから、僕から簡単に説明しちゃうね」

 

 五条はそう言って三人の方を手で示すが、貴丈はまた別のことを考えていた。

 五条は反抗期と言ったが、彼は割りと適当で、大人の癖して子供のようなところがある。

 そんな人に師事しながら過ごす三人にとって、彼こそがストレス源ではないのだろうか。

 じとっと相手を責める視線を五条に向けるが、既に三人の方に振り向いた彼は気付かない。

 

「それじゃ、向かって右から。このクラスの紅一点にして、呪霊を祓える特殊な道具──呪具の使い手の禪院真希!」

 

 彼が示したのは、暗い緑髪をポニーテールに纏めた女性。

 身長は貴丈と同じか少し低い程度で、眼鏡をかけてはいるがその瞳から知的な印象は受けない。

 何と言うべきか、だて眼鏡とは違い、仕方なく掛けていると言った雰囲気を感じられる。

 当の真希は無言を貫くが、五条の紹介は次へと移った。

 彼が示したのは三人の中でも一番小柄な、白髪の青年。

 制服の襟を伸ばしているのか、ネックウォーマー的なものを着けているのか、口元を隠している。

 

「呪言士の狗巻棘くんです!語彙がおにぎりの具しかないから、頑張ってね」

 

 紹介された狗巻は軽く右手を挙げて、本当におにぎりの具である「こんぶ」とだけ言って手を下ろした。

 

「……こんぶ?」

 

 一応、初めて声をかけてくれた一年ということでどうにかコミュニケーションを取ろうとはするが、まずこんぶの意味がわからないのでそれもできない。

「こんぶ……こんぶ……?」と首を捻って考え込む貴丈を他所に、紹介は最後の一人──正確には一匹へと移った。

 五条が手で示した先にいたのは、白と黒の毛皮と覆われた獣。

 それが日本に来たり、子供が産まれたりしようものなら、連日ワイドショーで取り上げられるような、よほど時世に疎くない限り知っているであろう動物。

 そう。それなまさに、

 

「パンダだよ」

 

 動物園の人気者、パンダそのものであった。

 一応は熊であるから、その身体能力は人間の比ではないのは承知しているが、まさかそのパンダと同級生になるとは思わなんだ。

 

「パンダだ、よろしく」

 

「喋っ……!?」

 

 そして、パンダが喋れば誰だって驚くというもの。

 貴丈は溜まっていた眠気が綺麗さっぱり消え失せる衝撃に意識が冴え渡り、説明を求めて五条に目を向けるが、

 

「紹介はこんなもんかな」

 

「え……」

 

 彼は貴丈の視線をあえて無視し、無慈悲に紹介を終了させた。

 さっさと授業を始めたいのか、あるいは面倒臭がったのか、それは定かではないが、それを思慮するよりも早く貴丈の口が動く。

 

「パンダは、その、最初から、パンダなのか……?」

 

 恐る恐る、さながらそうとわかっていて地雷源を進むように、貴丈はパンダに問うた。

 パンダは「どういう意味だ?」と首を傾げるが、とりあえず「俺は最初からパンダだが」と返答だけはしてやる。

「そうか」と安堵したように息を吐いた貴丈の反応を、一年三人は不思議そうに見つめ、五条へと目を向けた。

 訳ありだとは言っていたが、その訳が気になるのは仕方がないことだ。

 これから背中を預けるとなれば、尚更に。

 三人の視線を受けた五条は「そうだね」と僅かに考える素振りをすると、貴丈に「言っちゃってもいい?」と確認。

 断る理由もない貴丈はこくりと頷くと、五条は彼の肩に手を置いた。

 

「それじゃ許可ももらったし、説明しちゃうか。ちょっと面倒くさいけど」

 

 どこから説明しようかな~と、もったいぶる五条の様子に、真希が「早く言え」と急かし、狗巻が「しゃけ」と肯定を意味する具材を口にした。

 

「単刀直入に言って、彼の術式は謎が多い。今わかっているのは()()()()()()()()()()()()()くらい。現に被害者も大勢出てる」

 

「は……?」

 

「……!」

 

「マジか」

 

 彼の言葉に真希、狗巻、パンダは単純に驚いたり、どこか気を遣うように目を細めたりと、それぞれ反応を示すが、否定的なことを口にはしない。

 呪術が暴走、あるいは意図せず呪術を使ってしまい、他人に迷惑をかけるなど、吐いて捨てるほど聞く話だ。

 そして彼の術式は、その中でもかなり特異な部類に入るものなのは間違いない。

 呪霊を祓う力の筈の呪術が、逆に呪霊を生み出す要因になりえるなど、滅多なことでは聞かない。

 

「その呪術のコントロールを覚えて、被害者の捜索。そしてもしもの場合は排除するのが、貴丈がここに来た理由って感じ。改めて、仲良くしてあげてね」

 

 五条は何てことのないような調子でそう言うと、「それじゃ授業を始めまーす!」と四人に告げて黒板へと向かった。

 三人は揃って貴丈に目を向けると、彼は「よろしく」と改めて頭を下げた。

 流石に無視は憚られた三人は「よろしく(明太子)」とそれぞれ返し、とりあえず座席につく。

 貴丈が余っている席に腰を降ろすと、タイミングを見計らっていた五条は、黒板にチョークを走らせた。

 

 

 

 

 

 その日の午後。

 貴丈は東京某所にある廃工場にいた。

 午前は座学の時間ではあったが、午後は何でも呪術実習なるものだったらしく、言われるがままに駆り出されたわけだが。

 形式上は監督官ということになる五条が辺りを見渡し、後ろで車から降りた真希と貴丈へと目を向けた。

 

「さてと。貴丈は初めての実戦になるわけだし、真希のフォローをすれば大丈夫だから」

 

「なんで私が……。こう言うのはパンダの方がいいだろうが」

 

「それを来てから言う辺り、素直じゃないよね」

 

 にやにやと楽しそうに笑う五条の言葉に、真希は堪らず舌打ちを漏らすと、隣で工場を見上げている貴丈へと目を向けた。

 

「なんか出そうだなとか思ってるだろ」

 

「そういう場所に呪霊が出るってのは聞いた」

 

「呪霊が出るから噂が立つんじゃなくて、噂が立つから呪霊が湧くんだけどね」

 

 貴丈の言葉に五条が付け加え、午前中にも教えたことを改めて復唱した。

 呪霊とは人から溢れた負の感情が形となり、人に害するもの。

 詰まる所、心霊スポットと呼ばれる場所に呪霊がいるのではなく、心霊スポットと呼ばれるから呪霊が現れると言った方が正しい。

 五条がそう言って腕を組むと、「さて、仕事の話だ」とここに来た理由についての話を始めた。

 

「最近、肝試しに入った人たちが相次いで行方不明になっているらしくてね。まあ、呪霊の仕業だよねってことで、仕事が回ってきたって感じ」

 

「……突撃して、全滅させて、終わりか?」

 

「ま、簡単に言えばそうだね」

 

 貴丈の問いかけに五条が頷くと、貴丈は「どうやって」と重ねて問うた。

 呪術なるものを扱える記憶はないし、そもそも喧嘩はしたことはあれど命のやり取りはこれが初めてだ。

 呪術を使おうとして再び暴走など、洒落にならない。

 貴丈はぐっと拳を握りながら、五条に問う。

 

「呪霊って、殴り倒せるもんなのか?」

 

「無理だよ。呪いは呪いじゃなきゃ祓えないって、午前中に教えたばっかりなんだけど?」

 

「……?記憶にないんだが」

 

 困惑した気味に首を傾げる貴丈は、どうにか午前中のことを思い出そうと頭を捻った。

 三人への自己紹介を済ませ、授業を受けたのは覚えているが、途中からの記憶が随分と曖昧だ。

 ふっと意識が途切れ、気づけば時計の長針が半周していたというのは確かだが……。

 うんうんと唸る彼を横目に、真希は車の後部座席から引っ張り出した袋から、禍々しい紋様の布で刃を隠された薙刀のような物を取り出した。

 紹介の時に言っていた呪具なるものが、あれなのだろう。その辺りの記憶はある。

 

「呪いが込められた武器だと思えばいいよ。あれで殴ったり、斬ったりすれば呪霊を祓える」

 

「俺にはそういうのないのか」

 

 手ぶらでここにいる自分が場違いに思えて仕方がない貴丈はそう問うが、五条は顎に手をやってしばし考えると、真希に目を向けた。

 

「他に何かなかったっけ?」

 

「予備か?あー、これしかねぇが」

 

 薙刀を車に立て掛け、袋に手を突っ込んだ彼女は、小太刀を取り出した。

 鞘に何やら紋様が刻まれており、おそらく呪具なのだろうと素人目でもわかる。

 

「貴丈に使わせてあげて」

 

「……断ったら?」

 

「万が一が起きた時、貴丈はろくに抵抗できずに呪霊に殺られる」

 

「死にたくねぇな」

 

 五条の脅しに貴丈が乗っかると、真希は苛立ちのままに頭を掻き、小太刀を差し出した。

 

「折るなよ。折ったら弁償だ。ついでに腕も折る」

 

「ちなみに、値段は」

 

「一軒家」

 

「……」

 

 たかが小太刀とたかを括っていた貴丈は、突きつけられたおおよその値段に言葉を失った。

 こんな一振りの小太刀に、一生に一度するかしないかの買い物ほどの値段がするとは。

 貴丈は額に脂汗を垂らしながら、片手で持っていた小太刀を両手でしっかりと握り直した。

「今のうちに慣れておきなよ」と笑う五条は、そっと二人の背を押した。

 

「呪いを祓い、生存者がいれば救出。死んでいて、かつ見つけられれば遺体か遺品を回収。お願いね」

 

 押されるがまま二人が廃工場の敷地に入ると、五条は手で印を組んだ。

 

「『闇より出でて闇より黒く。その穢れを禊ぎ祓え』」

 

 そして何かを詠唱すると、空の一点に黒い染みが出現し、それがじわじわと広がっていく。

 真昼なのに夜のように辺りが暗くなり、

 見覚えはあるが、何かはわからないそれを見ていた貴丈に、五条が言う。

 

(とばり)って言うんだけど、簡単に言えば結界だね。中の状況を見えなくさせて、ついでに呪霊を煽って出てきてもらう為のもの」

 

「あの時も、張っていたように思うんだが」

 

「一部の呪霊は力任せに破ってくるよ。あの時は補助監督官がやったんだけど、まあ僕の帳を破れるやつなんてそういないから」

 

 そうこう言っている内に帳はドーム状に広がり、廃工場を包み込もうと広がり続ける。

 五条はその場から退いて廃工場の敷地から出た。

 

「それじゃ、頑張りたまえ、若者たちよ!」

 

 しゅび!と勢いよく敬礼をした彼が、降りきった帳の向こうに消えていくのを見届けた貴丈は、溜め息混じりに真希へと目を向けた。

 

「さっさと殺るぞ。どうせ雑魚だろうからな」

 

 そう言って真希が目を向けた先。

 そこには廃工場の影から這い出てきた、複数体の異形の姿があった。

 痩せ細り、骨と皮しかなくなった、犬のような何か。

 ぐるぐると喉を鳴らし、牙を剥いた口からは涎が垂れている。

 だが、何かを警戒しているのか頻りに辺りを見渡しており、怯えるように震えている個体さえもいる。

 

「犬の、呪霊。いや、犬型の呪霊……か?」

 

 見ればわかる情報を口にしながら小太刀を構えた貴丈を他所に、真希は薙刀の刃を覆う布を剥がし、刃を剥き出しにした。

 かといって薙刀を構えるわけではなく、自然体のまま歩き出す。

 

「貴丈、覚えとけ。呪霊ってのはな」

 

 ガチガチと牙を打ち付け、血走った瞳で目配せした呪霊たちは、自棄を起こしたように吼えながら一斉に真希へと襲いかかった。

 

「弱い奴ほど、よく群れる」

 

 そう告げながら薙刀を真一文字に一閃。

 一斉にかかった呪霊たちは、三日月状に残る銀の残光に切り伏せられ、醜く濁った血飛沫が辺りを汚す。

 

「ま、人間もそれは同じだよな」

 

 頬についた返り血をそのままに振り向いた彼女に、貴丈はその場で立ち尽くして「お、おう」と声を漏らした。

 

 ──もう、あいつ一人でいいんじゃねぇか……?

 

 この場にいる自分の存在意義に、疑問を持ってしまうのは仕方がないことだ。

 

 

 

 

 

 そこからは真希の独壇場──というわけではなく、むしろあれからというもの、呪霊と遭遇する事さえもなかった。

 一応小さく、人を傷つける程の力を持たない呪霊──蠅頭(ようとう)と呼ばれるものはいれど、目的の呪霊とおぼしきものがいない。

 

「だー!どこにいんだ!」

 

 そしてついに痺れを切らした真希が吠えた。

 それに怯えた蠅頭たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていき、ぽつんと真希と貴丈の二人が残される。

 

「呪霊を怯えさせるのか。凄いな、禪院」

 

 貴丈はグッとサムズアップして見せるが、その言葉に真希は舌打ちを漏らした。

 そのまま貴丈に目を合わせることなく、ずかずかと奥へと歩き始め、貴丈は遅れまいと慌てて後ろに続く。

 

「悪い、怒らせたか?」

 

 僅かに足音が大きくなり、歩調も荒っぽくなった真希にそう問うと、彼女は不意に足を止めた。

 それに合わせて貴丈は足を止め、「禪院?」と彼女に声をかける。

 

「苗字で呼ぶな」

 

 そして振り向き様にただそう告げると、再び歩き出す。

 無言で彼女の背を見つめた貴丈は「わかった」と頷きながら、視界の端を動いた蠅頭に目を向け、小太刀で一閃。

 断末魔をあげることも許されず、ぼろぼろと形を崩していき、血痕を残して消えてしまう。

 無事に祓えたことへの安堵か、あるいは切れ味に関してか、彼は感嘆の息を吐いた。

 小太刀の具合を見るように素振りしてすばやく納刀すると、ちらりと真希の方へと目を向ける。

 何してんだと言いたげに睨んでくる彼女に、貴丈は誤魔化すように目を背けた。

 

「何事も、試運転ってやつは大事だろ?」

 

「……さっさと行くぞ」

 

 そして苦し紛れに放った言葉を真希は興味なさげに吐き捨て、彼女の背後にある錆びた扉を示した。

 調べねばならない工場は何棟かあり、今は一つ目の建物内だ。

 ここから更に歩き回ることを考えれば、足を止める時間も惜しい。

「了解」と頷いた貴丈は小走りに真希へと近付き、彼女の進行方向を塞いでいた錆びた扉へと手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 それは、まさに岩であった。

 硬質な鉱石を思わせる青い装甲に包まれた上半身は、天井から溢れる月明かりに照らされて怪しい輝きを放ち、人のそれとは違う色の返り血に染まった拳が鈍く光る。

 

『オオ……』

 

 それが拳を振るえば、ぐちゃぐちゃと湿った音を工場内に響き、その度に足元に転がる呪霊の残骸が、ビクビクと痙攣を繰り返す。

 

『オオ……』

 

 岩のような拳を呪霊の残骸へと叩きつけ、衝撃が蜘蛛の巣状の亀裂を辺りに刻むほど。

 屈強な上半身を支える下半身は、人間のそれのように細いものの、確かにその体躯を支え、亀裂の広がる床をしっかりと踏み締める。

 

『オオ……』

 

 再び拳を振り上げ、振り下ろす。

 一際強く身体を跳ねさせた呪霊は塵となって消えていくが、岩のようや異形が大きく息を吸うような動作をすると、その塵を体内に取り込んでいく。

 そしてそれを全て飲み込んだ瞬間、異形は恍惚の呻き声をあげ、身体を支配する全能感に任せて拳を振るった。

 盛大な破砕音と共に工場内に放棄された資材が容易く吹き飛び、壁や天井に突き刺さる。

 

『オオオ……ッ!!』

 

 数分前の自分よりも、格段に強くなっている。

 それを自覚した異形は吼え、岩のような拳で自分の胸を叩いた。

 もちろんその程度で傷つくことはなく、力任せに太鼓を叩いたような轟音が工場内に響く。

 

『ウウッ!……?』

 

 凄まじい全能感、多幸感に包まれていた異形は、不意に動きを止めた。

 耳を澄ますように黙りこんだ異形の耳には、重々しく扉を開けるような音が微かに聞こえる。

 その後に微かな足音が聞こえ、何かがここに来ているのは明確。

 

『オオオオオオオオッ!!!』

 

 新たな獲物の接近を察知した異形は再び吼え、工場の壁に向けて走り出した。

 加速の勢いのままに壁をぶち破り、最短距離で獲物を目指す。

 さらなる快感のため、さらなる強さのため。

 彼は、突き進む。

 

 

 

 

 

 パンパンと手を叩き、掌に貼り付いた錆を払った貴丈は小太刀を抜いて次の棟へと踏み込んだ。

 後ろに続く真希は辺りを見渡し、再びの舌打ち。

 

「ここにも何にもいねぇ」

 

「……外のあれが本命だったってオチは?」

 

「ありえねぇだろ」

 

 貴丈が一応の気遣いとして告げた言葉に、真希はきっぱりとそう言いきった。

「だよな」と肩を落とした貴丈は辺りを見渡し、そして不意に聞こえた轟音に耳を澄ませた。

 あまり聞き馴染みのない、それこそアクション映画でしか聞かないような破砕音が段々と大きくなっている。

 

「……?」

 

 もちろん真希もそれに気付いたようで、薙刀を構えて警戒を強め、音の発生源がいると思われる壁へと目を向けた。

 音の大きさから、壁の向こうに何かいると判断したのだろう。現にその判断は合っている。

 少なくとも、この時点では。

 何かが突撃してくると読んでの構えだが、突然その音が消えたことを合図に「あ?」と間の抜けた声を漏らす。

 小太刀を構えていた貴丈も、耳が痛くなるほどの音が止まったとなれば首を傾げるのも仕方がない。

 だがそれと同時に、突然の頭痛が彼を襲った。

 絶え間なく針で刺されるような痛みに表情を(しか)め、空いている手で額を押さえる。

 その直後、彼の視界に本来のそれとは違うものが映った。

 気のせいだと思うにはあまりにも鮮明で、現実だと思うにはあまりにも突拍子のない、幻覚。

 それは今自分たちがいる工場を見下ろす、何とも不思議な光景だった。

 視界は段々と工場へと迫り、この勢いで行けば間違いなく天井を貫いてくることだろう。

 あの日折られた腕の痛みがぶり返し、それを合図に視界が本来の自分の物へと変わった瞬間、彼は動いた。

 幻覚に対する疑問が確信に変わり、それに対処せねばと、考えるよりも早く反射的に身体が動いたのだ。

 

「っ!」

 

 前に立っていた真希の腰に腕を回し、彼女を抱えたまま全力をもってその場から飛び退いた。

 彼の突然の行動に「おい!?」と怒鳴った瞬間、凄まじい音をたてて工場の天井が突き破り、隕石のように何かが二人のいた場所に激突した。

 

「ッ!?」

 

 ぎょっと目を見開く真希を他所に、どうにか着地した貴丈は彼女を降ろすと、油断なく小太刀を構えた。

 舞い上がった砂塵や埃で見えないが、その奥を動く何かの影が見え隠れしている。

 

「お前、なんでわかった」

 

 立ち上がり、薙刀を構えながら投げられた問いかけに、貴丈は「わかんねぇ」と即答。

「ただ、何となく」と付け加えるが、真希は目を細めるだけで納得した様子は見せない。

 落ちてきた何かが、途中から壁抜きではなく上からの奇襲を狙ったということだろうが、なぜ貴丈は気付けたのか。

 疑問は尽きないが「ありがとうよ」と言う辺り、感謝はしているのだろう。

 貴丈は「おう」と応じると、じっと砂塵の向こうを睨みつけた。

 そして、ついに動く。

 

『オオオオオオオオッ!!!』

 

 落下してきた何かが吼えると、その音に押される形で砂塵が吹き飛び、その姿を二人に見せつけた。

 岩のような青い装甲に覆われた上半身。

 大人の身体ほど有りそうな両腕もまた同色の装甲に覆われ、拳には呪霊のものと思しき血液がこびりついている。

 

「……あれだな」

 

 真希がついに獲物を見つけた興奮からか獰猛な笑みを浮かべる中、貴丈は相手の拳を見つめながら、小さく目を見開いた。

 全身の姿に見覚えはないが、少なくともあの拳には見覚えがある。

 あの日自分を殴り飛ばした拳が、まさにあれなのだ。

 自分の隣で食事に手を出していたのは、位置の都合上二人しかいないが、拳が飛んできたのは右から。

 つまり自分の右隣にいた弟が、あれなのだろう。

 

「貴丈……?」

 

 そうして刹那的な時間で相手を把握した貴丈に、真希が声をかけた。

 構えたまま身動ぎ一つせず、じっと相手の拳を見つめているのだから、気にするのは当然のこと。

 その声にびくっと肩を揺らした貴丈は、彼女の方に振り向きながら目を細めた。

 

「あいつだ」

 

「あ?」

 

「あれは、俺の──」

 

 そこまで言いかけた直後、異形が吼えながら二人に向かって突撃を開始した。

 話どころではないと切り替えた二人は、貴丈は左、真希は右へとそれぞれ飛び退き、二人がいた場所を異形が通りすぎていく。

 直後、二人は無防備に晒された背中に刃を突き立てんとするが、

 

『ウウッ!』

 

 異形は反転と同時に唸り声をあげながら裏拳を放つ。

 前に出ようとしていた二人は即座にその動作を中断。一歩踏み込んだ先に、岩のような拳が振り抜かれ、拳圧により生じた風が二人の髪を揺らす。

 だが、拳を振り抜いた異形はその重さに振り回されているのか、『オオ……』と声を漏らしながら体勢を崩し、その場で地団駄を踏んだ。

 その隙をみすみす逃がす訳もなく、真希は薙刀の突きを放つが、異形は両足を踏ん張って強引に体勢を整え、乱暴に拳を振るう。

 ガキン!と甲高い金属音が工場内に響き渡り、火花が暗がりを照らして隠れていた蠅頭の姿を照らし出すが、貴丈も真希もそれに気を向ける余裕はない。

 薙刀を跳ね上げられた真希は舌打ちを漏らし、数歩分後ろに下がり、薙刀をぐるりと一回転。

 ちらりと刃を一瞥し、欠けや歪みがないことを確認。

 

『オオ……ッ』

 

 異形も異形で真希を脅威と判断したのか、じっと彼女を睨みつけた。

 どこが目なのかはわからない真希は、とりあえずそれらしい窪みを睨み返した。

 だが、相手は彼女一人ではない。

 

「オラッ!!」

 

 異形の注意が彼女に向いた瞬間、貴丈はその背中に刃を突き立てんと小太刀を振るうが、

 

『ウ゛ッ!』

 

 異形は低く唸りながら地面を踏みつけ、その勢いで跳躍。

 彼がいた場所を銀光が駆け抜け、振り抜いた貴丈はその勢いのままに体勢を崩すが、勢いを利用して素早く地面を転がり、真希の隣へ。

 同時に異形が地面へと降り立つと、ゴリラがドラミングするように両腕で胸を叩く。

 

「で、あれがお前がやっちまった結果か」

 

 そして真希が途切れていた会話を切り出すと、貴丈は苦虫を噛み潰した表情でこくりと頷く。

 今回に限って言えば誰なのかも把握できているが、それは言う必要はないと出掛けた言葉を飲み込む。

 

「呪うなよ」

 

 これからお前の家族を殺すという宣言。

 真希が淡々とした声音でそう言うと、貴丈は「わかってる」と返し、異形を睨んだ。

 

「呪われる理由はあっても、呪う理由はない」

 

 彼はそう言うと制服についた埃を払い、小太刀を握り直した。

 異形は二人を睨みつけると再び吼え、先程の再現のように突撃。

 距離も大して変わらない。二人の距離も大差ない。本当の意味での再現。

 二人もならばと先程のように回避しようと構えるが、それと同時に目を剥いた。

 

『オオオオオオオオオオッ!!!!』

 

 先程とは、段違いに速いのだ。

 回避する暇もなく開いていた間合いが瞬時に縮まり、なす術もなく吹き飛ばされるに見えた二人は、

 

「なろ!」

 

「~~っ!」

 

 真希は薙刀を巧みに動かして異形を受け流し、貴丈は盾代わりに小太刀を自分と異形の隙間に差し込み、ダメージを軽減。

 真希は罅の入った長柄を睨みながら、貴丈は全身の骨が軋む感覚に襲われながら、回避できなかった分詰まることになった間合いを生かすべく、行動を起こす。

 二人は同時に得物を振り上げ、無防備な異形の背中に突き立てた。

 直後響いたのは異形の悲鳴──ではなく、硬質な何かがぶつかり合うような金属音だった。

 

「こいつ……っ!」

 

(かて)ぇ!」

 

 二人はそれぞれ悪態をつき、その場から退かんとするが、今回は異形の方が速い。

 彼は振り向くことなく両拳を振り上げ、力任せに地面に打ち付けた。

 直後、地震でも起きたかのような揺れと衝撃が二人を襲った。

 地面に足をついて動く都合上、その地面を揺らされてはどうにもなるまい。

 真希は咄嗟に薙刀を杖代わりに身体を支えるが、貴丈は堪らずに片膝をつく。

 揺れは収まっておらず、体勢を整えるのにおよそ数秒。

 そしてその数秒を逃がすほど、異形の理性も蒸発していない。

 

 ──最大の脅威は女の方。男の方はどうとでもなる。

 

 故に冷静に、慎重に、おそらく最初で最後の隙を晒した真希に対して拳を振るった。

 空気が唸る音をたてながら、容易く金属さえも砕く拳が眼前に迫る。

 真希はどうにも薙刀で受け止めんとするが、呪具であるのはあくまで刃のみで、長柄はただの木材にすぎない。

 その程度で呪霊の攻撃を防げれば、誰も苦戦はしないだろう。

 柄を砕かれれば振るいにくくなるが、それでも戦闘する分にはどうにでもなる。

 この一撃を耐えられれば、という話だが。

 

「真希!!」

 

 だがその思慮を吹き飛ばすように、貴丈の声が彼女の耳に届いた。

 片膝をついた為か、あるいは単に根性を見せたのか、一瞬早く体勢を整えた貴丈が、彼女の盾にならんと割り込んだのだ。

 直後振り抜かれた拳が貴丈の胸を捉え、肉を潰す鈍い音と共に、彼の身体を吹き飛ばした。

 その勢いのままに廃資材に突っ込んだ貴丈は、ごぼりと血を吐きながらそのまま意識を手放した。

 

「貴丈!?」

 

 真希は彼の名を呼ぶが反応はなく、代わりにあるのは異形が振り下ろした次なる拳。

 彼女はその場を転がってそれを避けると、放たれた拳が地面を叩き、再びの地震を発生させる。

「チッ」と舌打ちを漏らした彼女は大袈裟に距離を取り、薙刀を構えた。

 ちらりと廃資材に突っ込み、気絶している貴丈に目を向ける。

 目の前の相手を仕留め、帳の外にいる五条と合流すれば、彼は助けられるだろう。

 だが、どう言い繕ったとしても、彼に助けられた事実は変わらない。

 

「恥だな」

 

 とりあえず後悔も反省も後にして、目の前の呪霊をどうにかせねばならない。

 相手が元人間であろうと、知ったことではないのだ。

 

 ──呪術師として、呪霊を祓う。

 

 呪術師としてここにいる以上、それは変わらないのだから。

 

 

 

 




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