ビルド廻戦   作:EGO

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4.

 上も下も真っ暗な空間。

 寝る度に放り込まれるその空間に、血塗れの貴丈はいた。

 無様に地面に転がってはいるが呼吸はしている。

 だが、骨が折れている筈なのに痛みを感じない。

 

 ──これ、死ぬかもな……。

 

 痛みを感じるのが生きている証拠だと言うのなら、痛みも何も感じない今の自分は、果たして生きていると言えるのだろうか。

 捨てた命を惜しむ理由もないが、今死ぬわけにはいかない。

 ここで死ねば、弟が罪を犯すことになる。

 ここで死ねば、真希に彼を殺す罪を背負わせてしまう。

 ここで死ねば、家族を救う(殺す)ことも出来なくなってしまう。

 

 ──それは駄目だ。

 

 死ぬのは皆を見送ってから、一人孤独に逝くと決めている。

 自分が犯した罪を、彼らが犯した罪を、その全てを背負ってから、死ぬと決めているのだ。

 だがそうと決めていても、迫り来る死の気配から逃れる術はなく、段々と寒くなっていく。

 傷を癒す呪術もあるらしいが、生憎とそんなものが出来たら苦労はしていない。

 

 ──どうにか、しねぇと……。

 

 ここでじっとしていてもどうにもならず、かと言ってどうにかできる術もない。

 夢の中とはいえ焦る彼は何かないかと首を巡らせるが、いつも通り何もない。

 時々見せられる異形同士の戦いも今はなく、本当に暗闇の中にぽつんと一人でいるだけだ。

 こうしている間にも真希が戦っているのだから、一刻も早く戻らねばならない。

 戻ったところで何ができると言われればそうだが、何もせず見ているだけなのはもうやめだと決めたのだ。

 かと言って、これからどうするという話に戻ってしまうのだが……。

 死ぬまでの数分か、数秒か、なにか出来るとしても一つか二つ。

 そもそも夢から醒めなければどうにもならず、どうやって目を覚ますという話にもなってしまう。

 

 ──詰んでねぇか、これ……。

 

 目が覚めた途端に死ぬとか、目が覚める前に死ぬとか、現状行き着くのは『死』という最悪の結果のみ。

 それは嫌だなと思っても、回避する方法もない。

 

「最……悪だ……」

 

 貴丈は悪態混じりに空を──もっとも真っ暗なのだが──を見上げ、血塗れの手を伸ばす。

 手を取ってくれる相手はおらず、掴めるものもなく、何の意味もない、体力を無駄にするだけの行為。

 意識が消えていくのと同時に伸ばしていた手から段々と力が抜け、ゆっくりと手が降ろされていく中で、不意に伸びてきた手が彼の腕を掴んだ。

 

「……っ」

 

 霞む視界。消えかける意識の中で、彼が捉えたのは一人の少女。

 黒い髪に赤いリボンを巻いた、どこかの中学校の制服を着た少女。

 その少女に見覚えるのある貴丈は、涙を流しながら気力を振り絞り、少女の頬を撫でた。

 にこりと微笑んだ少女は彼の手を両手で包み込むと、貴丈に告げた。

 

「頑張って、お兄ちゃん」

 

 少女は、貴丈の妹はそう言って死にかけの兄を励ますと、彼の胸に手を当てた。

 仄かに温かく、優しげな赤い光が彼の胸から放たれ、そこから赤い兎が飛び出す。

 それは少女の足にすり寄ると、二人の周りをぴょんぴょんと跳ね回り始めた。

 ぴょんと一際高く跳んだ兎が少女の肩に乗ると、少女はその兎を撫でてやりながら貴丈に告げた。

 

「使い方は、知ってるでしょ?」

 

「……ぇ」

 

 だが、彼女から告げられた言葉に貴丈は間の抜けた声を漏らした。

 使い方をこれから学ぼうとしているのに、知ってるでしょ?と言われても困ると言うもの。

 パチパチと瞬きを繰り返し、困惑気味に首を傾げるが、少女はにこりと笑うばかり。

 そのままの笑顔で貴丈の額に手を置くと、すっと目を細めた。

 

「知ってる筈だよ。だって──」

 

『これから、教えてやるんだからな』

 

 そして告げられたのは、少女のものとは違う声。

 ぎょっと目を見開いた貴丈は、声の主へと目を向けた。

『やれやれ』と肩を竦めるのは、目が蛇を思わせる形をした異形の存在。

 両肩には金色に輝く星座の早見盤のようなものがあるが、僅かに欠けているように見えるのは気のせいではあるまい。

 腰に巻かれたベルトのバックルには、赤と青の異形がつけていたものとよく似た──けれどだいぶ豪華になって見える箱が取り付けられている。

 それの登場に少女は不満そうにむっとするが、異形は『落ち着けよ』と少女と、その肩に乗っている赤い兎を撫で、貴丈へと目を向けた。

 

『お互い、こいつに死なれたら困るだろ?』

 

「それは確かに」

 

『それに、外のあいつを野放しにしておくわけにもいかない』

 

「それもそうだ」

 

『で、あの武器を振り回すだけの呪術師じゃあ、勝てない』

 

「それはどうだろう?」

 

 何とも手慣れた様子でやり取りを繰り返す二人は、揃って貴丈に目を向けた。

 話についていけず、困惑の表情で今にも死にそうになっている彼に、異形は溜め息混じりに告げた。

 

『助けてやる』

 

「寂しいけど、しばらくお別れだね」

 

「ちょっと……待て……っ。何が、どうなって……」

 

 勝手に話を進める二人に貴丈は抗議するが、異形がそれを手で制した。

 

『余計な詮索はなしだ。お前には強くなってもらわないと困る』

 

 異形はそう言うと彼の頭を鷲掴み、ベルトに取り付けられたレバーに手をかける。

 

『お前に力をやる。使い方も教えてやる。その代わり、ここでの出来事を忘れろ。いいな?』

 

「あいつを……真希を、助けられる……のか?」

 

 そのまま頭を潰されてもおかしくない状況でも、貴丈が問うたのは誰かのこと。

 異形は可笑しそうにくつくつと笑うと、『お前次第だ』と曖昧に返すが、少女は「大丈夫だよ」と微笑み、赤い兎を撫でた。

 同時に赤い兎は光輝くとベルトのバックルに吸い込まれていき、小さな赤いボトルへと姿を変える。

 

「頼む」

 

 二人の返答を聞き、それを見届けた貴丈は、迷う素振りもなくその提案に応じた。

『あいよ』と返した異形がレバーを回し始めると、どこか聞き覚えのあるオーケストラ(ベートーベンの交響曲第9番)が流れ始める。

 同時に赤いボトルから溢れた力が異形を通って貴丈へと送られ、彼の身体を赤い光が覆っていく。

 その音を聞きながら、少女はぎゅっと貴丈の手を握る。

 仄かに感じる彼女の温もりと、全身を巡っていく力と、頭に刻まれていく情報を感じながら、自分を落ち着かせるように深呼吸を一度。

 

『チャオ』

 

「ばいばい」

 

 二人からそれぞれ贈られた別れの言葉を合図に、貴丈の意識は暗闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 真希と、青い装甲に覆われた異形。

 貴丈の戦闘不能から睨みあいを続けていた両者は、天井の一部が落ちたことを合図にぶつかり合った。

 

「オラッ!」

 

『オオオ……ッ!』

 

 気合い一閃と共に放たれた薙刀の一撃を片腕で受け止め、もう片方の腕をフルスイング。

 ぶぉんと空気が唸る音と共に迫る拳を紙一重で避けた真希は、薙刀の石突きで異形の顎と思われる場所を殴打。

 ゴッ!と鈍い音が工場内に響くが、やはりと言うべきか決め手にはならず、異形は怯んだ様子を見せずに拳を振るった。

 舌打ち混じりにその場を飛び退いた真希は、どっと出た疲労を吐き出すように深々と息を吐き、薙刀を構え直す。

 一撃でも当たれば死ぬという、嫌でも叩きつけられる事実と、早く倒さねば貴丈が死ぬという事実。

 その二つが二重苦となり、彼女の精神を磨り減らしているのだ。

 とはいえ、真希もこれが初めての戦いではない。こういった状況には慣れている。

 慣れているのだが、相手が元人間だという認識が、どこか彼女の身体に重くのし掛かっているのだ。

 ふーっと深く息を吐いた彼女はずれた眼鏡の位置を直し、細めた瞳で異形を睨む。

 

『オオオオオ!!』

 

 吼えた異形は再び突撃せんと姿勢を低くするが、身体の向きがどこか可笑しい。

 真希の方を向いておらず、貴丈が埋もれた廃資材の方へと身体を向けている。

 

「あの野郎……っ!」

 

 そして異形の意図を察した真希は、額に青筋を浮かばせながら駆け出した。

 あの異形は挑発しているのだ。この突撃を止めてみろと。止められなければ、あの男は死ぬぞと。

 ざっ!と音を立てて地面と靴底を擦らせながら、真希が

 異形と貴丈の間に割り込み、防御姿勢を取ると同時に異形は吼えた。

 力を溜める闘牛のように地面を蹴りながら、巨体と脚力に物を言わせてその場から飛び出す。

 爆音にも似た音を響かせ、十数メートルは離れていた間合いが瞬時に零に。

 

『オオッ!』

 

 突撃の勢いのままに真希を轢き殺そうとした瞬間、

 

『《レディー・ゴー!ボルテック・ブレイク!!》』

 

 赤い斬撃が、その巨体を吹き飛ばした。

 装甲を砕く轟音と共に、異形は訳もわからないまま地面を転がり、装甲が干渉してうまく立ち上がれないのか、じたばたともがき始める。

 真希は「は……?」と間の抜けた声を漏らし、自分の前で何かを振り抜いた体勢を取っている貴丈に目を向けた。

 

「ギリギリセーフって感じだな」

 

 そうして振り向き様に呟かれた言葉にハッとした真希は、「お前、大丈夫なのか……」とどこか気の抜けた声音で問うた。

 

「よくわかんねぇけど、この通り」

 

 貴丈はぼりぼりと頭を掻きながらそう返すと、右手に握られたドリルのような形をした剣を肩に担いだ。

 知らない筈なのに、名前も、使い方もわかる、奇妙な感覚。

 額を掻きながら唸った彼は「まあ、なんだ」と、ようやく立ち上がった異形へと意識を向けた。

 先の一撃で装甲の一部が剥がれ、中身というべき肉の塊が顔を出している。

 だが戦意は衰えていないようで、『オオオオオ!』と吼えて両腕で自分の胸を叩いた。

 対する貴丈はドリル型の武器──ドリルクラッシャーを構え、持ち手の溝から小さな赤いボトルを取り出した。

 デフォルメした兎のような紋様が刻まれたそれを小刻みに振りながら、真希に「後は任せろ」と告げて身構える。

 言われた彼女は「ふざけんな」と悪態混じりに余裕の笑みを浮かべ、僅かに刃こぼれしている薙刀を構えた。

 

「一発入れないと、気がすまねぇ」

 

「なら、行くぞ!」

 

 彼女の言葉に意気揚々に返した彼は、振っていたボトルの蓋を開ける。

 

『《ラビット!》』

 

 どこからか聞こえる、と言うよりも頭の中に直接響く陽気な声が、貴丈と真希、異形に届き、貴丈を除いた二人は何事だと身構えた。

 その直後、貴丈の姿が消えた。

 

『っ!?』

 

 驚いたのか、異形がピクリと身体を揺らした瞬間、赤い風が彼の脇をすり抜けていった。

 

「オラッ!」

 

 赤い残像を残して異形の背後に回った貴丈が、ドリルクラッシャーを振りかぶって思い切り叩きつける。

 ギャン!と甲高い金属音が鳴り響き、火花と共に濁った血液が散る。

 

『ウゥ!』

 

 重く、身体の芯まで響く一撃に唸った異形は、背後の貴丈に向けて乱暴に裏拳を放つが、

 

「おっと」

 

 彼は気の抜けた声と共に、赤い残像を残して後ろに下がった。

 彼が握る『ラビットフルボトル』がもたらす恩恵は、速度の強化。

 彼は残像のみを残して異形の周りを駆け回り、すれ違い様にドリルクラッシャーで堅牢な装甲を叩き割っていく。

 

「ハッ!セイ!ヤッ!」

 

 上段からの振り下ろし。

 横凪ぎの一閃。

 締めの突き。

 流れるような動作で放たれたそれを避ける術はなく、異形はその巨躯を、細腕一本の力で宙に吹き飛ばされた。

 

「真希!」

 

「わかってんよ!」

 

 ごろごろと地面を転がった異形が立ち上がった瞬間、前線に躍り出た真希が、好戦的な笑みと共に薙刀を一閃。

 半月を形取る銀光が煌めき、砕かれた装甲の間に滑り込む。

 火花は散らず、金属音もなく、あるのは肉を裂く鈍い音と、舞い散る血の濁った色。

 

『オオオオオ!?』

 

 途端に感じた熱と、僅かに遅れて訪れた鋭い痛みに異形は悲鳴をあげ、殴り返さんと真希に拳を振るうが、再びの赤い風が二人の間を駆け抜けた。

 振るおうとした拳が視認不可の速度で弾かれ、片膝を着くほどに体勢を崩す。

 

「おらよっ!」

 

 その隙に更なる一閃が異形の肉を裂き、瞬く間に放たれた連撃が装甲の下の肉体に次々と傷を刻んでいく。

 

『オオッ!』

 

 だが、異形もやられるばかりではない。

 彼は片腕一本で地面を殴り付け、小規模な地震を再び発生させる。

 舌打ち混じりに混じりに攻撃を中断し、両足を踏ん張った真希はちらりと貴丈へと目を向けた。

 直後、異形と真希の間を駆け抜けた貴丈が彼女を抱えてその場を離れると、異形の拳が振り下ろされた。

 地面に蜘蛛の糸状の罅を入れるが、先程までのような迫力はなく、肩を揺らして苦しそうに呼吸しているようにも見える。

 全身から血を流し、立ち上がる気力もなくなり始めているのに立ち上がり、貴丈と真希を潰さんと突き進む。

 

「……」

 

 足を引き摺り、全身から血を噴き出しながら近づいてくる姿は、例え異形となっていても痛々しい。

 その姿にすっと目を細めた貴丈は、真希を下ろしながら彼女に告げる。

 

「あとは俺がやる」

 

 その静かで、有無を言わせない迫力にたじろぎながらも、真希は「はっ!」と鼻を鳴らした。

 

「俺がやるじゃねぇよ。仕留め損なったら、私がやるだけだ」

 

「……そう、だな」

 

 彼女の言葉に、貴丈はどこか自嘲するような声音で返すと、ラビットフルボトルを自分の影へと落とした。

 影とボトルが触れそうになった瞬間、影から噴き出した煙がボトルを包み込んだ。

 それが晴れると、そこには最初から何もなかったかのようになにもなく、あるのはすぐに霧散する煙の残滓のみ。

「へぇ」と興味深そうにそれを見下ろしていた真希が、影から視線を外して貴丈に目を向けると、ゆっくりと目を見開いた。

 握られた彼の拳から、煙と共に白い光が漏れているのだ。

 その光は段々と強まっていき、それが最高潮に達した瞬間、貴丈はぐっと拳を握る力を強めた。

 直後白い光が溢れ出し、開いた彼の掌の上に何かが創られていく。

 

『《ハリネズミ!》』

 

 そして先程のように陽気な声が頭の中に響くと同時に光が止み、彼の掌には小さなボトルが乗っていた。

 形は先のラビットフルボトルと違いはないが、赤かったあれとは対照的に白く、刻まれた紋様も音声通りに針鼠を模しているようで、微妙に形が違う。

 

『オオオオオオオオオオオオオッ!!!』

 

 異形も危険を察知してか、最後の力を振り絞って咆哮をあげると、貴丈は生成した『ハリネズミフルボトル』の蓋を開けると、ドリルクラッシャーのソケットにセット。

 

『《ハリネズミ!》』

 

 再びの音声がドリルクラッシャーから発せられ、白いエネルギーがドリル状の刃を包み込む。

 エネルギーが最大まで高まるとドリルクラッシャーを両手で握り直し、駆け出す。

 ラビットフルボトルをしまった以上、先程のようなスピードを出すことは出来ないが、弱りきった異形を仕留めるには十分。

 

「うおぉおおおおおお!」

 

『オオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 二人の雄叫びが木霊し、貴丈はドリルクラッシャーを、異形は拳を振りかぶった。

 激突する瞬間、先に動いたのは異形の方だった。

 異形は巨大な拳分の間合いを生かすべく、振りかぶった拳を全力をもって打ち出したのだ。

 先程よりもだいぶ遅くなった貴丈を捉えるには問題なく、彼の身体を四散させるには十分な威力を秘めているのだろう。

 だが、それも当たらなければ何の意味をなさない。

 貴丈は眼前に迫る拳を紙一重で避け、ドリルクラッシャーを異形の腹部へと叩きつける。

 ギャン!と鈍い異音が鳴り響き、異形の口からは『ヴゥ……』と低い呻き声が漏れた。

 

「ごめんな」

 

 貴丈はそっと目を伏せながら、異形にだけ聞こえるようにそう呟く。

 自分のことを慕い、妹たちの手本となるべく、不器用ながらに頑張っていた彼を、今から殺すのだ。

 覚悟を決め、脳裏に過る弟の顔を振りきりながら、ドリルクラッシャーの持ち手に取り付けられたトリガーを引き、刃に蓄積されたエネルギーを解放。

 

『《レディー・ゴー!ボルテック・ブレイク!!》』

 

 貴丈の表情とは対照的に、嫌にノリのいい音声が鳴り響いた。

 直後、ドリル状の刃から大量の針が飛び出し、異形の全身を貫く。

 真っ白な刃が血で濁った色に染まり、装甲さえも貫いた針が工場の天井、床、壁さえも貫いていく。

 

『ヴ──……』

 

 ビクン!と身体を跳ねさせた異形は途端に力を失い、振り抜いた拳がだらりと垂れ下がる。

 

『兄……貴……』

 

 ぼそりと呟かれた言葉に、貴丈はハッとして顔をあげ、目を見開いた。

 異形となり、理性の欠片も感じなかったのに、殺す寸前になって話しかけてくるなど、誰が思うだろうか。

 

『はな……れ……ろ……っ』

 

 異形はかろうじて動いた片手で貴丈の胸を叩いた。

 見た目の割に凄まじい衝撃に怯み、後ろに数歩下がった瞬間、異形が爆散した。

 地面を抉るほどの威力のそれは、禍々しいほどにどす黒い煙をばら蒔き、辺り一面を黒く染めあげる。

 真希は危険を察知して離れようするが、その全てが彼女にたどり着く前に貴丈の影へと吸い込まれていき、すぐに廃工場の光景へと戻った。

 煙と共に四散した血を全身に浴びた貴丈は、ぼんやりと爆散した異形がいた場所を見つめていた。

 

「……」

 

 だが、今の彼にその不快感を感じる余裕はない。

 返り血の生温かさも、肌に貼り付く滑り気も、どうでもいいのだ。

 手に力が入らずにドリルクラッシャーを取りこぼし、カランと乾いた音が静かになった工場内に響く。

 脱力するままに両膝をつき、歯茎から血が滲むほどに歯を食い縛る。

 達成感はない。あるのは強烈な虚脱感と罪悪感、自己嫌悪。

 化け物のままなら良かったなどと思うのは、ただの免罪符に他ならない。

 

 ──俺は、人殺し以外の何者でもない。

 

 死ぬ間際になれば、人としての感情を取り戻せるのだろうか。

 いいや、きっと取り戻したのだ。

 そして、最後の力を振り絞って救ってくれた。

 最後の爆発に巻き込まれていれば、こうして無事でいるわけがない。

 

「……ごめん。ごめんな……」

 

 目に涙を溜め、声を震わせながら、踞るように地面に額をつけた。

 自分を助ける理由はない筈なのに。

 自分を殺す理由の方が多い筈なのに。

 それでも救ってくれた彼に言うのは、謝罪の言葉ではないだろう。

 

「ありがとう」

 

 たった一言、彼に感謝を述べ、顔をあげる。

 その表情は晴れやかとは言えず、目元を真っ赤に腫らしてはいるが、決して後ろ向きではない。

 空元気だとしても、前を向こうとしているのだ。

 落としたドリルクラッシャーを拾い上げ、それを杖代わりにして立ち上がる。

 

「大丈夫か」

 

 そんな彼の背中に問うたのは真希だ。

 薙刀を肩に担ぎながら近寄った彼女は、彼が頷いた事を確認すると、その後頭部を石突きで叩き、「ん」と声を出しながら片手を差し出す。

 

「……えーと?」

 

 いきなりの鈍痛に後頭部を擦りながら振り向いた彼は、彼女の行動の意味がわからずに首を傾げた。

 彼の反応に額に青筋を浮かべた彼女は、「返せ」と告げながら更に手を前に出した。

 そこでようやく意味を理解した貴丈は気まずそうに目を逸らし、ぴゅうぴゅうと下手くそな口笛を吹く。

 

「おい」

 

 流石にふざけすぎたのか、真希は今にも斬りかからんばかりの迫力を込めて彼の肩を掴む。

 そのまま少しずつ力を込めていき、骨が軋む嫌な音が身体から漏れ始めた。

 

「わかった!わかったから、一回離してくれ!」

 

 いだだだだだ!とわざとらしく痛がる彼の反応に真希は溜め息を吐き、言われた通りに手を離す。

 その直後、貴丈は恐る恐るドリルクラッシャーを差し出し、それを彼女に渡した。

 

「……ふざけてんのか?」

 

 差し出されるがまま、とりあえずそれを受け止った真希は一周回って冷静になったのか、落ち着いた声音で問うた。

 問われた彼は「それが、小太刀なんだ」と言いづらいそうに告げて、顔を背ける。

「は?」と不満そうに声を漏らした真希は彼の胸ぐらを掴むと、無表情のままに「説明しろ」と一言。

 

「俺だってよくわかってねぇんだ。なんか、気付いたら小太刀がこれになってて……」

 

「なら、さっさと戻せ」

 

「これが戻せるなら、さっきのあいつも人間に戻してる」

 

「……」

 

 彼の俯きながら呟かれた言葉に、真希は言い返せずに眉を寄せた。

 それを言われては反論できないと、どこか批難するような視線を彼へと向け、そしてついには諦めたのか、深々と溜め息を吐いた。

 

「わかった。お前には貸しがあるからな」

 

 そして助けられたことを話題に出し、「これでチャラだ」と告げてドリルクラッシャーを差し出した。

 

「お前にやる。大事に使えよ」

 

「……!おう」

 

 貴丈は彼女の言葉に一瞬驚いたような素振(そぶ)りを見せるが、すぐに頷いてドリルクラッシャーを受け取った。

 とりあえず差しっぱなしになっていたハリネズミフルボトルを引き抜き、ドリルクラッシャーと一緒に影に落として煙に飲み込ませる。

 

「……便利だな」

 

 その姿を真希はどこか恨めしそうに言うと、薙刀へと目を向けた。

 別に重いわけではないのだが、いちいち持ち歩くのが面倒ではある。

 今使っているのはこれだけだが、これから増えていくとなると尚更だ。

 彼に持たせて、適宜取り出してもらうと言うのは楽ではあるが、それは彼と四六時中一緒にいるということだ。

 それは彼の目的の邪魔をすることにもなるだろうし、何よりも、

 

 ──こいつも変えられたら困るよな。

 

 彼女の心配はむしろそれであった。

 小太刀をあんな訳のわからない物に変えたのだから、薙刀も他の物に変えられる可能性もある。

 今度鉛筆か何かで試すかと今後の指針を決めて、踵を返した。

 まだ残党もいるかもしれないからそれを見回らなければならないが、先の異形の強さや、外にいた呪霊の様子からして、きっとあれが好き勝手に暴れていたのだろう。

 大半は喰われたか、住処を変えたかして、ここで何かが起こるということはあるまい。

 

「面倒くせぇけど、あがる前に一周していくか」

 

 だが、万が一というのもある。

 確認を怠ってまた呪霊騒ぎが起きたとなれば、目覚めが悪くなる。

 真希はさっさと済ませようと歩き出すが、「ごぼ……っ」と何かを吐き出す音と、べちゃりと湿った音が聞こえた。

 弾かれるようにそちらに目を向ければ、そこには目や鼻から血を噴き出し、口からも血を吐いた貴丈の姿があった。

 

「あ……れ……?」

 

 貴丈自身も予期せぬ事態だったのか、彼は自分の血で真っ赤に染まった手を見下ろすと、そのまま崩れ落ちた。

 べちゃりと音を立てて自分の吐いた血に被さるように倒れ、身体がピクピクと痙攣し始める。

 

「貴丈?!おい、どうした!」

 

 真希は慌てて彼に駆け寄り、自分の身体を汚れることもいとわずに彼を担ぎ上げた。

 呪術師として鍛えているとはいえ、女子高生が男子高生を持ち上げる姿は、端から見れば滑稽にさえ見える。

 それは一重に彼女の特異な体質によるものだが、貴丈がそれを知るよしもない。

 ぐったりとしたまま、かろうじて意識を保っている貴丈は「ま……き……?」と彼女を呼ぶが、当の彼女からは「喋んな!」と黙らされる。

 彼女が駆け出し、廃工場を飛び出さん扉を蹴り破ると同時に、貴丈は意識を混濁させていく。

「おい!おい……!」と、間近から聞こえる筈の彼女の声も、随分と遠くから聞こえるような錯覚を覚えながら、彼はそのまま目を閉じた。

 

 

 

 

 

 黒く塗りつぶされた空間。

 貴丈の心のどこかにあるその場所に、少女と異形の姿があった。

 二人は背中を会わせる形で座ってはいるが、少女は見るからに不機嫌そうだ。

 

「それじゃ、説明してもらおうかな」

 

『何をだ?』

 

 そして告げられた言葉に、異形はわざとらしく肩を竦めてはぐらかす。

 

「お兄ちゃんが死んじゃったら、そっちも困るんじゃなかったの?」

 

『俺は壊すのは得意だが、治すのは下手でね。まあ、死にはしないだろうさ』

 

「……」

 

 そして真面目半分、誤魔化し半分で告げた言葉に、少女はじと目になりながら異形を睨んだ。

 

『おいおい、そこは信じてくれよ』

 

 異形は『お互いの利害は一致しているだろう?』と改めて少女に告げた。

 

『お前は兄を死なせたくない。俺はあいつに強くなってもらいたい。強くなれば死なないし、死なない限り強くなる』

 

 異形はくつくつと喉の奥を揺らして楽しそうに笑うと、「む~」と不満そうに唇を尖らせる少女に目を向けた。

 

『ま、ボトルの精製法も教えてやったんだ。後は、()()()()()()だけだな』

 

「その前に、死なないことを祈った方がよくない?」

 

『そこは、五条悟(最強様)のご友人を信じるとしようぜ。俺たちじゃ、何もできん』

 

「それもそうだね」

 

 はぁと溜め息を吐いた少女は立ち上がり、闇の中に溶けるように消えていく。

 無言でその背を見送った異形は、やれやれと言わんばかりに首を振った。

 

 ──あのガキ、何者だ……?

 

 本来なら、ここで一人貴丈の成長を眺めている筈が、気付けば彼女が入り込んできた。

 彼女も呪術に関する才能があったのか、あるいは彼女の術式によるものか、それはわからないが……。

 

『まあ、精々利用させてもらうとしよう』

 

 フフと不気味に笑う異形は、自分の側に転がるベルトを叩いた。

 彼が身に付けている物に酷似しているが、黒を基調としているためかどこか地味な印象を受ける。

 

『まずはこいつを創る所から、だな。今のレベルじゃ、どうやっても無理だが……』

 

 手っ取り早く強くなる方法はただ一つ。

 実戦を繰り返し、修羅場を潜り抜け、自分の殻を破り続けること。

 呪術師となれば実戦には事欠かず、訓練と称して現代最強の名を欲しいままにしているらしい、五条悟との戦いもあるだろう。

 

『ここから全て()()()()()()()()、最強様』

 

 異形は嘲笑うような声音でそう呟き、ごろりと大の字に寝そべった。

 しばらく退屈ではあるが、これからの事を思えば我慢はできるし、何ならこの退屈がスパイスとなって、より刺激的な体験となる可能性もある。

 

『──早く強くなれ、桐生貴丈』

 

 異形は嗤う。

 未来は誰のものではないが、来る未来はほぼ決まっている。

 今はただその日を待つばかりだ──。

 

 

 




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