呪術高専、男子寮。
貴丈に割り当てられた部屋には、そこの住人である貴丈の姿があった。
台所でポットやカップとにらめっこをしている彼の表情は、いつになく真剣なもの。
時には作業手順を画面に映すスマホ、時にはポットやカップを睨み、むぅと小さく唸る。
九十九と出会ってから早くも一週間。
あれから彼女からの連絡もなく、いつも通りに授業と、真希やパンダ、狗巻らとの共同任務とをこなしていく日々が続いたのだが、
『気休めにでもなる趣味でも見つけたらどうだい。気を張り続けていると、ふとした拍子に切れてしまうよ』
彼女に告げられた言葉が頭を離れず、思いきって始めたのが今こうしている作業。
こうか、こっちかと手探りで、慎重に作業を進めていた彼は、途中からええいままよと勢いに任せて行程を先に進め始めた。
円錐形のカップ──ドリッパーに、これまた円錐形の紙を嵌め込み、それを丸みを帯びた水瓶のようなもの──サーバーの上に乗せる。
あとは円錐形のカップに買ってきたコーヒー粉を適量入れ、あとは温めておいたお湯を注いでいくわけだが、ここにもやり方があるようだ。
少量を注いでコーヒー粉を蒸らしてから、本命である二度目、三度目を続けて注ぎ、ポツポツと垂れていくコーヒーを見つめる。
「……こんなもんでいいのか?」
あとはタイミングを見てお湯を注いでいくだけなのだが、初めての彼にとってはこれが正解なのかもよく分からない。
泡の残り方や時間が大事らしいのだが、何かが物足りない気がしてならない。
サーバー少しずつ溜まっていくコーヒーをじっと見つめた貴丈は、ふとその足りない何かに気付いて「なるほど」と声を漏らす。
そう、黒さが足りない。見る限り綺麗な茶色で、香りもまた格別なのだが、コーヒーと言うからにはもっと黒くなければなるまい。
ならばと次にすべきことを考えた彼は、失敗したとしても初めて淹れたのだしと、試しに飲んでみるかとドリッパーを取り外した。
そのままお湯を注いで温めておいたカップに、お湯を捨ててからコーヒーを注ぐ。
茶色く輝いているように見えるそれに顔を近づけ、思い切り鼻で呼吸をすれば、香ばしい匂いが肺を満たす。
思わず頬を緩めた彼はいざ飲んでみるかとカップを持ち上げるが、かといってそのまま一気飲みする勇気はないのか、ちびりと舐めるように一口。
「苦っ……」
初めて飲んだコーヒーは、思わず眉を寄せて舌を出すほどに苦かった。
まだまだ未熟と思いながら、今後の成長の為の戒めとして、ミルクや砂糖をいったものを何も加えることなくさらに一口飲んだ彼は、ホッと一息。
確かに苦く、少々飲みにくい味でもあるが、何故か癖になる。
父がよく言っていた大人の味というのが、これのことなのだろうか。
貴丈はふと父の淹れたコーヒーはお店に出せると楽しそうに言っていた母の顔を思い出し、その日を懐かしむように目を細める。
自分が奪ってしまった家族の笑顔を、忘れたことは決してない。
僅かに目尻が熱くなり、呼吸も乱れ始めるが、それを誤魔化すようにコーヒーを一気に呷った。
目に滲んだ涙はきっとこの苦さのせいだと、自分に言い聞かせた。
それを飲みきった彼が「だ~」と気の抜けた声を漏らし、ぐりぐりと目を擦って涙を拭うと、ペチペチと頬を叩いて気持ちを切り替える。
口元に右手を持っていきながら「しゃ!」と声を出して気合いを入れた彼は、更なる高みを目指して二杯目のコーヒーを入れようとお湯を準備を始めた。
水が煮たち、ヤカンの口から煙が漏れ始めると、コンコンと扉が叩かれた。
ヤカンに火をかけながら「空いてるぞ」と返せば、「入るぞ~」と気の抜けた声と共に真希が、その後ろに続いて狗巻とパンダと入ってくる。
その三人は何やら見慣れない物を前に四苦八苦している貴丈の姿を見つめ、一様に首を傾げた。
「……なにしてんだ?」
代表して質問した真希に、貴丈は「趣味探しの真っ最中だ」と返す。
そして何を思ってか「飲むか?」と三人に問いかけた。
顔を見合わせた三人は怪訝そうな表情を浮かべるが、どこか自信に満ちた貴丈の表情に負けてか、同時に頷く。
「よし、任せろ」
「大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だ。コーヒーはそもそも苦い」
彼の一言に流石に不安になったのか、真希が恐る恐ると言った様子で問いかけると、貴丈は開き直ったようにそう告げた。
「棘、ミルクとか用意してくんね?」
「しゃけ」
流石にヤバイと判断したパンダが狗巻にそう言うと、彼はサムズアップと共に部屋の冷蔵庫や棚を漁り始める。
部屋主の許可もなくそれをするのはどうかと思うが、肝心の貴丈がそれを一切気にしていないのなら何も言うまい。
ふんふんと鼻歌混じりにコーヒーを淹れていた彼は、不意に三人の方に振り向き「何か用があって来たのか?」と彼らが部屋を訪ねてきた理由を問うた。
その間もドリッパーやサーバーを一切見ずに作業を進めるのは、見ている三人からすれば恐怖でしかない。
「ちゃんと見ながらやれ」
真希が悩ましそうに額に手をやりながら言えば、貴丈は「それもそうだな」と返して視線と意識を手元に戻す。
「それはそれとして、何か用があったんじゃないのか?」
先の反省を生かして作業しながら問うた彼に、パンダは「別に理由なくてもいいだろ」と笑いながら返した。
友人と会うのに深い理由が必要なのかは、パンダである彼にはいまいちよくわからない。
その一言に一瞬手を止めた貴丈は「確かに」と返し、ふとした疑問をパンダにぶつけた。
「……汚れないか?」
パンダはこうして言葉のやり取りができる通り、普通のパンダではない。
パンダはそもそもとして、呪骸と呼ばれる呪力で動く人形だ。
その研究の第一人者である夜蛾学長が、偶然生み出したという感情を持った呪骸。
本来必要な術師からの呪力の装填も必要なく、文字通り術師が死んでも動けてしまう不思議な人形。
それがパンダなのだが、流石に汚れてしまえば洗うほかない。
彼が風呂に入ったり、シャワーに入ったりという話を聞かないから、もしかしたら夜蛾学長が素材を用意しているのかもしれない。
そう言った気遣いによるものなのだが、パンダは気にした風もなく「気にするな」と返す。
「だが、コーヒーの染みは落ちにくいぞ?」
そしてまるで洗濯物の心配をするように問えば、パンダはぐっと腕に力瘤を作りながらニッと得意げに笑った。
「何かあっても、まさみちがどうにかしてくれる」
「人頼りなのに、なんでどや顔なんだよ」
「しゃけしゃけ」
そしてようやくお茶請け代わりのお菓子を持ってきた狗巻が貴丈の言葉に同意を示した。
横の真希は貴丈の手元を覗きこみ、案外手慣れた手つきに僅かに安堵。
だが趣味探しと言っておきながら、なぜ読書などの簡単なものではなく、明らかに面倒なコーヒー淹れにたどり着いたのか。
そんな疑問が浮かんだものの、割りと楽しそうな雰囲気を醸し出す彼の背中に向けて、その気分を崩すような事を言うほど馬鹿ではない。
「よし、できた」
そして貴丈の背を見つめていると、不意に彼がそう言ってカップにコーヒーを注ぎ始めた。
そして勢いよくこちらに振り向いた彼と真希は目があい、「どうかしたのか」と首を傾げる。
「……何でもねぇ。それよりも、早く寄越せ」
ほらほらと急かすように手招きした彼女に「おう」と返した貴丈は、人数分のカップを机に並べた。
それを除きこんだ三人は思わず顔をしかめる。
確かに出されたのはコーヒーだ。だが、コーヒーと言うにはあまりにも黒すぎるように思える。
「……泥水じゃねぇよな?」
「俺がそんなせこいことするわけねぇだろ」
そう言って同じく用意した自分の分を呷る。
無言のままカップを置いた彼は、三人に向けて「飲まねぇのか?」と催促。
感想を聞きたいのか、単純に友人らとコーヒーと飲めて楽しいのか、いつもは濁っている瞳が僅かに輝いて見える。
「「「……」」」
彼の表情に当てられた三人は断るに断れず、意を決したのか一息でコーヒーを呷った。
ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ三人は、呷った姿勢のまま動きを止める。
「……どうだ?」
「くっそ苦ぇ……」
だん!とカップを机に叩きつけるように置いた真希はコーヒーの味をそう吐き捨て、うぇと声を出しながら表情を歪める。
そして残る二人に意見を求めて、パンダと狗巻に目を向けるが、どうにも様子がおかしい。
「……どうした?」
貴丈が首を傾げ、カップを呷った姿勢で固まっている狗巻の肩を揺すると、そのままパタリと床に倒れた。
白目を剥いて身体を痙攣させ、口許から涎のようにコーヒーが垂れていく。
その様子に「え」、「は?」と声を漏らしたのは、貴丈と真希だ。
二人はもしやとパンダに目を向ければ、
「……」
どこか一点を見つめながら微動だにせず、口の端からコーヒーが垂れて白い毛並みを汚している。
ツンツンと頬をつついてやれば、そのままごろりと床に倒れ、カップに残っていたコーヒーが床にぶちまけられる。
「パンダ、棘……?」
貴丈はそんな二人の肩を揺らしながら声をかけるが、やはりと言うべきか返答はない。
「お、おい」と割りと本気で焦り始める貴丈を他所に、隣の真希は「そこまでか?」と首を傾げながら更にもう一口。
口内に広がる苦味にしかめっ面になるが、気絶する素振りはない。
天与呪縛──フィジカルギフテッド。
生まれつき呪力が少ない代わりに人間離れした身体能力を与えられた彼女にとって、貴丈の殺人コーヒーもただの苦いコーヒー程度。
人間離れしているのは呪具を振り回せる膂力だけではなく、五臓六腑にいたるまで強化されているのだろう。
当の彼女に、その自覚があるのかは別問題だが。
「し、死ぬかと思った……。まあ俺、呪骸なんだけど」
「す……す゛し゛こ゛……っ」
それからしばらく、貴丈と真希が激苦コーヒーを飲み終えたのと同時に、パンダと狗巻は復活を遂げた。
パンダは変顔混じりに冗談を言う余裕があるようだが、狗巻に関しては喉をやられたのかガラガラ声だ。
とりあえずベッドに寝かせた彼は捨て置いて、カップを片付け始めた貴丈は、「それで、何で俺の部屋に?」と三人が部屋を訪ねてきた理由を問うた。
前回はお見舞いであったが、今回は別に怪我をしたわけでも、問題を起こしたわけでもない。
いや三人が来てから問題を起こしたわけだが、別に起こしたくて起こしたわけではない。
コーヒーひとつで気絶者が出るなど、誰が予想できたどろうか。
やれやれと首を振る貴丈に、真希はどこか楽しそうに笑いながら告げた。
「ああ、ちょいと面白れぇ噂を手に入れてな。情報の共有ってやつだ」
「面白い噂。なにか行事でもあんのか?」
本格的に洗うのは後回しにしたのか、とりあえずカップを水に浸けた貴丈が問うと、真希は「行事じゃねぇな」とあっさり否定。
「明日、転校生が来るんだと」
そして単刀直入に告げた言葉に、貴丈は「転校生」と彼女の言葉をおうむ返し。
「……俺みたいな、訳ありか?」
「
貴丈の問いかけにパンダが答え、「先に言っとくが、重症だけど全員無事だ」と付け加えた。
「そっか……」とどこか安堵した様子で返した貴丈は、『ロッカーに詰めた』というよくわからない状態に首を傾げた。
「まあ、無事ならそれでいいか」
だが生きているのならそれでいいという、かつての怪我をしただけでも大騒ぎしていた彼では絶対に思わないような事を平然と思いながら、「明日なのか」と今さらなツッコミを入れた。
「急に決まったらしいぜ。ま、悟がまた
真希は頬杖をつき、
そんな視線を彼は気づいていないのか、「俺が先輩になるのか」と感慨深そうにしている。
そんな彼とは対照的に、真希は「生意気ならシメる」と物騒なことを言い始めた。
貴丈はその後の仕事で印象が変わったし、なんなら最初に呪術高専入学の経緯を聞いたせいで、シメるという考えさえも吹き飛んだ。
だが次の転校生は話を聞いた限りでは、多少落ち込んでいてもそこまで追い詰められているわけではあるまい。
「や、止めてやれよ……」
貴丈はその不憫な目に遭いそうな転校生を気遣ってか、彼女に一応釘をさすが、その程度の言葉を彼女が気にするわけもない。
横のパンダはうんうんと頷き、ようやく回復した狗巻は「おかか」とおそらく肯定的な事を言う。
つまり、この場にいる三人がその転校生に対して弄る気満々と言った様子なのだ。
「……もう一杯、いくか?」
せめてもの抵抗として三人にコーヒーを使った脅しをかけるが、パンダと狗巻はそもそも淹れさせるつもりがないのか、「やってみろよ」「めんたいこ!」とファイティングポーズを取る。
「私は別に飲んだって構わねぇぞ」
だが真希だけは笑いながらそう返し、罰ゲームを受け入れる姿勢を見せた。
そしてその反応に対してパンダと狗巻はゆっくりと構えを解くと、貴丈と真希を交互に見ながらニヤニヤと楽しそうに笑い始めた。
貴丈はそんな二人の笑顔に妙な雰囲気を感じて首を傾げ、真希はそんな明らかに弄ってきている二人に聞こえるように、ゴキゴキと指を鳴らす。
前もそうではあったが、目の前の二人はどこか自分と貴丈が二人でいるだけで弄ってくる傾向がある。
それを正すタイミングとしては、弱っている今が割りとベストなのではないか。
「なに笑ってんだ、お前ら!!」
そして刹那的な時間で考えを纏めた真希は吼え、グロッキー状態の二人に飛びかかる。
コーヒーのおかげで既にグロッキー状態なことに加え、真希の割りと全力で振るわれた高速の拳を二人が避けられるわけもなく、快音が部屋に響いた。
「またこうなんのかよ」
崩れ落ちる二人を見ながら、「最悪だ」と額に手をやりながら傷跡を掻いた貴丈は、二人のために氷を用意しようと冷蔵庫に足を向けた。
自分で使う量よりも、二人の介抱のために使っている氷の方が多い気がするのは、おそらく気のせいではない。
はぁと深々と溜め息を吐く貴丈を他所に、二人を伸すことで怒りが治まった真希はふーっと深く息を吐く。
「貴丈、コーヒー淹れろ」
そして有無も言わさぬ迫力を持ってそう告げると、床に倒れた倒れる二人はビクンと身体を跳ねさせた。
倒れたまま冷や汗を流し、恐る恐る貴丈へと目を向ける。
口では何も言わないが、その目は確かに助けを求めているそれだ。
貴丈は懇願にも似た雰囲気を放つ二人を無言で見下ろすと、小さく肩を竦めて真希に言った。
「苦さは据え置きか?」
文字通り、二人を切り捨てる一言を。
彼としては真希をこれ以上怒らせたくない一心なのだが、被害者の二人からすれば違う。
真希が照れ隠しに何かしても、貴丈は気にせずにいてくれると信じていたのだが、結果はこれだ。
二人の脳裏にまさか本当にそういう関係なのかという思考が過るが、真希が鼻を鳴らしたことで意識を現実に戻した。
「苦くできるなら、もっとやれ」
彼の問いかけに真希が心底楽しそうに邪悪な笑みを浮かべると、いよいよ退路がなくなったパンダと狗巻は涙目になりながら貴丈へと目を向ける。
当の彼は既にコーヒーを淹れようと器具を再度用意し始め、先ほど以上の手際をもって作業を進めていく。
「あ、あの~、貴丈さん……?」
「す、すじこ!おかか!!」
そんな彼の背中に、パンダは媚びるような声音で声をかけ、狗巻は何やら交渉を持ちかけるが、彼はどこ吹く風だ。
そして瞬く間用意されたコーヒーは、言ってしまえば漆黒のなにかだった。
煙にのって広がる香りは確かに普通のコーヒーなのだが、飲んではいけないと脳が警鐘を鳴らしている。
「ほらほら、貴丈が淹れ直してくれたんだ、残すなよ?」
「出来れば吐き出さないでくれると助かる。掃除すんの俺だし。……てか、もうぶちまけられてんだよな」
今さら溜め息混じりに肩を落とした貴丈は棚から雑巾を引っ張り出すと、そのまま床に水溜まりになっているコーヒーを拭き始める。
白かった雑巾がみるみる内に茶色く変色し、手にコーヒーの匂いが染み着く。
その脇で真希の手で無理やりコーヒーの飲まされた二人が、それを盛大に噴き出しながら崩れ落ちた。
「……最悪だ」
確かにさっきの比べて苦くなったが、リアクション芸人ばりに噴き出すとは思うまい。
シャワーのように霧散したコーヒーのせいで部屋のあちこちには斑模様が残り、だいぶ悲惨な状態になっている。
「あー、まあ、私も手伝ってやるよ」
「頼む……」
再び気絶した二人をそのままに、流石に申し訳なく思ったのか、真希が貴丈と同じように棚から雑巾を引っ張り出す。
折角の休日がコーヒーの試飲と後始末で潰れてしまったのは、果たしてコーヒーのせいか、悪乗りした友人たちのせいか。
貴丈は深々と溜め息を吐きながら額の傷跡を掻き、けれど騒がしい日常をどこか懐かしむように噛み締める。
家族と過ごした日々は、きっといつになっても忘れることはないだろう。
そして、それを奪った罪の意識もまた同じ。
「……」
ふとした拍子にネガティブになる自分に嫌になりながら、それを誤魔化すように余りのコーヒーを一気に呷る。
エグいまでの苦味に声にならない悲鳴をあげながら、どうにかそれを飲み下す。
思わず溢れた涙を苦味のせいにして、少々乱暴にカップを洗い台に叩き込み、真希を手伝って部屋を掃除していく。
パンダと狗巻が復活したのは、一通り部屋の片付けが終わってからだった。
翌日。呪術高専、一年の教室。
「転校生を紹介しやす!さあ、テンションあげて!!」
相変わらずのハイテンションで生徒らを煽ったのは、ご存知最強呪術師の五条だ。
そして反応を示したのは、形式的に拍手する貴丈。
ほぼ無表情で淡々と拍手するその様は、もはや不気味と言うほかない。
真希は机に頬杖をついてそっぽを向き、その転校生に対して興味がないことが伝わってくる。
そして狗巻とパンダの二人は、
「お、ぉぉ……」
「しゃ、じゃげ……!」
机に突っ伏したまま、どうにか盛り上げようと声を出す。
既に罰ゲームをされたのに今日の反応次第でもう一杯飲まされるという事実が、二人の背を押しているに過ぎない。
五条は見るからに不調な二人を見つめながら、「なんかあったの?」と無事な貴丈と真希に問いかける。
「俺が試しに淹れたコーヒーを皆で飲みました」
「ああ。まあ、こいつらは気に入ったか知らねぇけど何杯かいったけどな」
貴丈は一部を濁して真実を。真希は都合のいいようにねじ曲げた真実を五条に伝えた。
「コーヒーの飲み過ぎ?まったく、子供なんだから~」
二人から話を聞いた五条は、「格好つけたかったの?ねえねえ」と笑いながらパンダと狗巻を煽るが、二人からの反応は鈍い。
いつもなら何かしらの返事があるのに、それもないのは流石におかしいと思ったのか、目元を覆う包帯の下で目を細めた五条は貴丈に問う。
「……ねえ、これ本当にコーヒー飲んだだけ?呪力の流れも乱れに乱れてるんだけど」
その言葉に貴丈は「コーヒーを振る舞っただけです」と断固として譲らず、五条は「本当に?」とパンダに問う。
「あれを、コーヒーと、呼んでいいのか、わかんない」
そしてどうにか絞り出された言葉に五条は首を傾げ、再び貴丈に視線を向ける。
そして流石に隠しきれないと判断したのか、貴丈は深々と溜め息を吐いてから五条に言う。
「俺と真希は大丈夫だったんですけど、二人は飲んだ途端に倒れました」
「……それ、コーヒーなんだよね?」
「市販のコーヒーを、手順に沿って淹れただけです」
「むぅ。なら、コーヒーか」
の割りには二人の体調は最悪と言っていいほどになっているのだが、貴丈はコーヒーを淹れただけの一点張り。
「そもそもなんでコーヒーなんか」
五条はそんな疑問をぶつけたが、すぐに答えにたどり着いた彼は「なるほど」と顎に手をやりながら微笑んだ。
「趣味探しの一環かな?あいつの言葉なんて、そんな気にしなくてもいいのに」
「気を紛らわせるって意味じゃ、正解でしたよ」
五条が脳裏に九十九の姿を思い浮かべながらそう言うと、貴丈は右手でサムズアップしながら返す。
「少し犠牲を払いましたけど」
そう言いながらちらりと狗巻とパンダに目を向けると、二人からはブーイングで返される。
五条が「仲よしだね~」と微笑ましいものを見るように言うと、真希が咳払いをしてから男子四人に告げた。
「……で、転校生は?」
「「「「あ……」」」」
その一言に男子四人は揃って声を漏らし、生徒三人は揃って五条に目を向けた。
「うん、ごめん。本題はそっちだよね」
あははと誤魔化すように笑った彼は、そのまま扉の方を向いて「入っといで~!」と扉の向こうにいる誰かに声をかけた。
ガラガラと音をたてて扉が開き、件の転校生が入ってきた瞬間、
「「「「……っ!!」」」」
突如として四人の背筋を駆け抜けた悪寒。
凄まじいまでの迫力にぎょっと目を見開いた四人だが、そこからの行動は速い。
真希は机の脇に置いていた袋から薙刀を引っ張りだし、貴丈は影から生み出した煙からドリルクラッシャーを取り出す。
「
そして口を開いた転校生に、真希の薙刀と貴丈のドリルクラッシャーの切っ先が向けられた。
不調のパンダと狗巻を庇うように前に出た二人が、勢いのままにそれぞれの得物を転校生のすぐ脇に突きつけたのだ。
これぞ日本人といった黒髪黒目の見た目はひょろい青年。
何と言うべきか、前にいた場所では虐められていたんだろうなと予想できてしまう、どこにでもいるただの気の弱そうな高校生。
そう、あくまで見た目は普通の高校生なのだが、纏う雰囲気は一般人のそれではない。
近づくだけで悪寒が走り、本能が逃げろと警鐘を鳴り響かせる異常な気配。
「これ、なんかの試験……?」
異様なまでの迫力に怯まず真希は五条に問うが、当の五条はご想像に任せると言わんばかりに肩を竦めるだけだ。
突然二人に得物を突きつけられた転校生──乙骨憂太は困惑した様子で両手を挙げて降参の意思を二人に伝えるが、それを切り捨てる形で真希が告げた。
「オマエ、呪われてるぞ。ここは呪いを学ぶ場だ、呪われてる奴がくる所じゃねぇよ」
「え……?」
「え?じゃねぇよ!オマエ、ふざけてんのか!?」
乙骨の反応に首を傾げた貴丈は、構えたドリルクラッシャーをそのままに五条に視線を向けた。
「あ、そういえば何も説明してないや」
メンゴと片手を顔の前にやって謝るその姿は、本当に教師なのかと言いたくなるが、それが平常運行なのが本当に腹が立つ。
「あ、それともうひとつ」
そしてついでと言わんばかりに人差し指を立てた彼は、「早く離れた方がいいよ」と二人に警告。
「「……?」」
その言葉の意味がわからずに二人が顔を見合わせた直後だった。
『ゆ゛うだを゛をををを……』
地の底から響いてくるような、低く、凄まじい圧力を込められた言葉が、どこから教室に放たれた。
そしてその言葉と共に解き放たれた、むせかえるほど強烈な呪いの気配に、貴丈と真希は乙骨の方へと視線を戻した。
そして目にしたのは、乙骨の背後の黒板から伸びてくる巨大な二本の腕の姿。
その手は薙刀とドリルクラッシャーの刃を纏めて掴むと、空いている手が振りかぶられる。
「っ!?待って、
乙骨が慌ててその何かを止めようと声を出すが、里香と呼ばれたそれは彼の言葉を気にする素振りを見せない。
『ゆう゛だを、ゆうたを゛……虐めるな!!!』
絶叫にも似た怒号と共に、拳が振り抜かれる。
「っ!?」
そして不幸にもその矛先が向いたのは真希だ。
ぎょっと目を見開いた彼女は突然の事態に反応できないのか、腕を交差させて防御の体勢を固める。
だがそれよりも早く、貴丈が動いた。
手の中に素早くゴリラフルボトルを出現させ、最低限の動作だけで振ってから蓋を開ける。
『《ゴリラ!》』
状況に反して陽気な声が六人の頭の中に響き、貴丈の右腕に茶色のエネルギーが集まり、無機質なゴリラの腕を形作る。
そのまま彼は真希を押し退けると、迫る拳に全力の拳を叩き付けた。
凄まじい衝撃が教室の窓ガラスを全て叩き割り、無下限呪術を発動している五条と、思い切り踏ん張っている貴丈を除いた生徒四人を転ばせるほど。
『うう゛ぅうううう゛うう゛う゛う゛う゛う゛う!!!!』
「っ!ぅおおおおおおおお!!」
里香と貴丈はお互いの拳を合わせたまま競り合い、拳が合わさる位置にはバチバチとスパークが起きるほど。
押したくとも押しきれず、かといって引けば拳が振り抜かれてそのまま死ぬという状況に放り込まれた貴丈は、額に脂汗を流しながら乙骨を睨む。
「さっきのは謝るから、いい加減これ引っ込めて欲しいんだが!?」
少しずつ押され始めた状況に焦る貴丈は、プライドも何もかもを投げ捨てて乙骨に頼み込むが、肝心の返答は
「ご、ごめん!でも、どうやればいいのかわかんなくて……」
と、大変情けないもの。
「のぉおおおおお──……」と貴丈もまた情けない声を漏らすと、五条が貴丈と里香の間に割って入る。
「はい、そこまで」
直後、五条が片手で印を組んだかと思えば、バチン!と何かが弾ける音と共に里香の腕と貴丈の身体がそれぞれ吹き飛んだ。
里香の腕は黒板に、貴丈はロッカーに突っ込み、それぞれ豪快な音をたててそれぞれぶつかった物をひこませる。
力を使い果たしたからか、あるいは貴丈を無力化できたからか、里香の腕は黒板の中へと引っ込んでいき、教室には割れた窓ガラスと、ロッカーにめり込んだ貴丈という、彼女が残した爪痕だけが残される。
貴丈のおかげで助かったとも言える真希は、少々の怒気を込めて五条に詰め寄った。
「一から全部説明しろ」
「オッケー。まずは貴丈の治療からだね」
五条が仕切り直すようにパンと手を叩くと、慣れている真希、パンダ、狗巻の三人は溜め息を吐き、状況についていけない乙骨はその場でおろおろして目を泳がせ、ロッカーにめり込んだ貴丈は、
「最……悪だ……」
そう言い残して、意識を失うのだった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。