事の発端は、六年前。
どこにでもいる普通の少年だった乙骨憂太は、友人でもあった
子供が、大好きな相手に『大人になったら結婚しようね!』と約束するのは、まあそれなりにある話だろう。
現に乙骨もそれを受け入れただろうし、祈本もまた喜んだ筈だ。
だが、運命というものは残酷なものだ。
二人の間にそんな細やかな、けれど幸せに満ちた約束が交わされてから、幾日かした頃。それは突然訪れた。
祈本が車に轢かれ、そのまま亡くなってしまったのだ。
そして、その瞬間を乙骨は目撃してしまった。
大好きな相手が、目の前でただの肉の塊へと変わる瞬間を見せられた当時の乙骨のストレスは計りしれないが、更なる不幸が彼に降りかかった。
死んだ筈の祈本が呪霊へと転じ、そのままとり憑かれてしまったのだ。
乙骨と結婚したいという純粋無垢な愛が呪いとなり、乙骨を呪っている。
彼を傷つけようとした者を迎撃し、時には半殺しにするそれは、その異常なまでの強さと異質さに特級過呪怨霊として登録され、被呪者である乙骨にはその危険性から秘匿死刑が決定したのだが──。
「そこに颯爽と現れた僕が、待ったをかけたってわけさ!」
一通り乙骨の現状について説明し終えた五条がどや顔でそう言うと、真希、狗巻、パンダの三人は反応に困るように顔を見合わせた。
後ろで頭に包帯を巻いていた貴丈は「なるほどな」と一応は納得。
「それじゃ、改めて!転校生の乙骨憂太くんです!」
そして諸々のどたばたで中断してしまった転校生の名前を紹介しながら彼の肩を叩いた。
叩かれた乙骨はその勢いで一歩前に出ると、「乙骨憂太です……」と改めて名乗った。
その声音が酷く申し訳なさそうなのは、目の前に自分のせいで怪我をした貴丈がいるからだろう。
「はい、皆も自己紹介して!」と五条が一年四人に言うが、それに対して四人は誰から行くよと顔を見合わせた。
我関せずとしている真希、自分からいったら混乱を生みそうと悩むパンダと狗巻、誰かいくだろと他人任せの貴丈。
結果的に誰も口を開かないという状況に、五条は「もう、皆して照れちゃって」と可笑しそうに笑った。
「そんな恥ずかしがりは皆に代わって、僕が紹介してあげよう!」
そして待ちきれなかったのか、五条がそう言うと真っ先に真希を手で示した。
「まずは呪いを祓える武具を扱う呪具使い、禪院真希!」
「……」
紹介された真希は何も言わず、むしろ警戒するように乙骨を睨んだ。
睨まれた彼は怯えた様子で萎縮するものの、五条は構わずに次の生徒へと手を向ける。
「呪言師の狗巻棘。おにぎりの具しか語彙がないから、会話頑張って」
「こんぶ」
五条の言葉に狗巻は軽く右手を挙げながら返すと、次はこっちと言わんばかりにパンダの方に手を向けた。
それに合わせて頷いた五条は乙骨に向けて「パンダだよ」とだけ告げて、パンダもパンダで「パンダだ」と真剣な面持ちで返すのみ。
パンダが喋るという状況に困惑する乙骨を他所に、五条はどこか懐かしむように目を細めていた貴丈に手を向ける。
「そして最後に桐生貴丈。憂太と同じで死刑になりそうなところを、僕が助けてあげたんだ」
「え……」
五条の言葉に驚いたのか乙骨が小さく声を漏らすと、貴丈は小さく会釈しながら彼に言う。
「桐生貴丈。よろしく」
「あ、えっと、よろしくお願いします……」
そして差し出された右手に、乙骨は自分の手を差し出して握手を交わした。
とりあえず、まともに話してくれそうな人がいるというだけでも、彼にとっては救いなのだろう。
五条がうんうんと満足そうに頷きながら五人に言う。
「さて、これで一年は五人になったわけだけど……」
ちらりと目を向けた先にいるのは、狗巻とパンダの二人。
それなりに持ち直したようではあるが、やはり不調なのかよく見ればふらついているし、顔色も悪い。
むぅと困ったように唸った五条は、「仕方ないか」と貴丈、真希、乙骨の三人に目を向けた。
「悪いけど、今日の実習は三人でやってもらおうかな。パンダと狗巻はここで自習ね」
右手の指を三本、左手の指を二本立てながら告げられた言葉に、パンダと狗巻は申し訳なさそうに頷き、真希は露骨に「げっ」と嫌そうに声を漏らし、貴丈はいつも通りに「了解です」と返す。
「よ、よろしくお願いします……」
そんな二人に乙骨が声を掛けると、真希はじっと彼を睨むような視線を向けた。
「……オマエ、イジメられてたろ」
そして呟かれた一言に乙骨は身体を強張らせた。
その反応に「図星か」と頷いた真希は、「まあ、私でもイジメる」と言葉を続けた。
「……真希?」
転校生にいきなり何を言い出すと、貴丈が割って入ろうとするが、何やら意味深な視線を向けられて踏み止まった。
彼女なりに何か言いたいことがあるのだろうと思ってのことで、万が一言い過ぎた時に備えてパンダと狗巻に視線を向ける。
フォローは任せろと言わんばかりに二人が見ていないことを頷くと、真希の言葉に促すようにどうぞと手で示す。
深々と溜め息を吐いた真希は乙骨に視線を戻すと、改めて告げる。
「呪いのせいかは知らねぇけど、『善人です』ってセルフプロデュースが顔に出てるぞ。気持ち悪ぃ。なんで守られてんのに被害者ヅラしてんだよ」
その言葉に乙骨はびくりと肩を跳ね、さながら自分を守るように右手で自分の身体を抱き締める。
だが、真希の言葉はまだ終わらない。
「ずっと受け身で生きて来たんだろ。なんの目的もなくやっていけるほど、
どこか決めつけるような声音で、淡々と告げられた言葉。
それを一言一句聞き逃さず、真正面から言われた乙骨の額には嫌な汗が流れていき、僅かに呼吸も乱れているようにも見える。
更に真希が捲し立てようとすると、「流石に言い過ぎだ」と今度こそ貴丈が割って入った。
「こいつの過去をなにも知らない俺たちが、あーだこーだって言うもんじゃねぇよ」
「そうだぞ、真希!言い過ぎだぞ!」
「おかか!」
貴丈のツッコミに対してパンダ、狗巻が加勢すると、真希は「わーったよ」と不服そうにしながらも言葉を止め、ぼりぼりと頭を掻いた。
パンダはどんどんと背中が丸くなっていく乙骨の肩に手を置いた。
「すまんな。アイツは少々他人を理解した気になる所がある」
「……いや」
そしてパンダの励ましの言葉に首を振った乙骨は、俯きながらぼそりと呟く。
「本当のことだから」
どこか諦めたような、認める以外に知らないような声音で呟いた言葉に、貴丈は溜め息を吐いた。
少々ネガティブ気味になった弟妹たちでさえ、ここまで自分を卑下にすることはなかった。
今までの経験のせいでそうなった可能性が高い──と言うよりは間違いなくそうなのだろうが、それにしたって自己評価が低すぎるような気もする。
「──まあ、とにかく」
そして、こういうのは他人があれこれ考えても仕方がないと知る貴丈はべし!と乙骨の背中を叩き、五条に目を向けた。
「乙骨の初仕事なんだし、早く行きましょう」
それから数時間後。とある小学校の校門に、貴丈、真希、乙骨、五条の四人はいた。
「──というわけで、説明を始めます!」
小学校の校舎をバックにパンと手を叩いた五条が、今回の騒動に関する資料を片手に説明を始める。
「一見ただの小学校なんだけど、こういう大勢の思い出になる場所は呪霊が生まれやすいんだよね。既に生徒が二人行方不明になってるし」
「犯人は呪霊で間違いないんですか?」
貴丈がしゅっと挙手しながらした質問に、五条は「まず間違いなく」と返して校舎に目を向けた。
「ここからでもちらほら呪霊がいるのがわかるから、犯人はそいつらでしょ」
そしてどこか適当に決めつけるように告げると、途端に真剣な面持ちになりながら告げる。
「呪いを祓い、子供を救出。死んでたら遺体の回収。まあ、いつも通りだけど、よろしくね」
彼の言葉に真希は鞄から薙刀を取り出しながら「おう」と返し、貴丈も影から発生させた煙からドリルクラッシャーを引っ張り出しながら「了解」と返す。
「ちょっと二人とも~。まだ『帳』降ろしてないんだけど~」
周囲からの視線を遮る帳は、確かに彼が言うとおりまだ降ろしていない。
詰まる所、この学生二人が武装している場面を無関係な一般人に見られれば問題になることは間違いなく、五条はそれを咎めたのだが、
「「じゃあ早く
二人から少々の威圧感と共に告げられた言葉に、五条は「可愛くないなぁ、もう」と肩を落とした。
生徒からの敬意が足りないと思いつつも、ならば格好いい所見せてやろうとすぐに気を持ち直し、片手で印を結ぶ。
「『闇より出でて闇より黒く。その穢れを禊ぎ祓え』」
そして詠唱を紡いだ瞬間、小学校の敷地のほぼ中央の空に黒い点が発生し、それが小学校を包むように球体状に広がり始めた。
「え、え?」と困惑する乙骨を他所に一足早く二人が校門を潜ると、五条が乙骨に声を掛けた。
「分かりやすく言えば結界みたいなものだよ。中で何があっても、外からは見えない」
「け、結界……」
「うん。と言っても内側から簡単に破れるから、危ないと思ったらすぐに出てくるんだよ?」
「わ、わかりました……っ!」
五条の言葉に緊張しながらも頷いた乙骨は、律儀に待ってくれている二人の方に駆け出し、校門を潜った。
「それじゃ、くれぐれも死なないようにね!」
帳か降りきるまぎわに投げられた言葉。
いつも通りのそれを真希と貴丈は軽く片手を挙げるだけで応じるが、初めての乙骨はそうともいかない。
「え、し、死なないようにって、先生?!」
突然突きつけられた『死』という言葉に狼狽え、堪らずに振り向くが、既に帳は降りきってしまい、黒い壁が乙骨の視界を塞いだ。
外に五条がいることはわかっていても、死ぬかもしれないという事実が揺らぐことはない。
「転校生」
そして校門の方を向いて固まる乙骨の背中に、真希が声を掛けた。
慌てて振り向いた乙骨は、昇降口から現れた三体の異形を発見し、頬に冷や汗を流す。
異様に縦に長い身体には頭部がなく、頭があるべき場所には大きな目玉がひとつあるのみ。
身長ほどある腕はだらりと下がり、身体を支える足は頼りないほどに細い。
呪霊たちは三人を見つけると途端に動きを止め、そちらに身体ごと振り向く。
『は……い……る……?』
そう言いながら縦長の身体に手を掛けたかと思えば、それを力任せに左右に抉じ開けた。
一見自傷行為とも取れる動きだが、直後に身体の割れ目から顔を出した数本の歪な歯と、醜く腫れ上がった舌が顔を出し、それが口であることを知らしめる。
ぎょっと目を見開いて驚愕する乙骨を他所に、呪霊たちは三人を喰らわんと走り出す。
「ど、どどどどうしよう!?こ、こっちに──」
そして武器も知識もない乙骨が慌てて貴丈に目を向けると、既に彼の手元には小さな赤いボトルが握られていた。
里香と打ち合った時と同じように数度振ってから蓋を開ければ、『《ラビット!》』と陽気な声が三人の頭の中に響く。
直後、貴丈がその場を駆け出したかと思えば一迅の赤い風が呪霊たちの間を抜けていき、一拍遅れてからその身体がバラバラに切り裂かれた。
「おし、終わり」
「す、すごい……。一瞬で三体も……」
ドリルクラッシャーに付着した返り血を吹き飛ばした彼の姿に、乙骨はただ感嘆の息を漏らした。
何をしたのかはわからないが、見るからに切ることを想定していないような得物で、呪霊三体を一閃したのだ。
当の貴丈は乙骨の称賛を聞き流し、呪霊に斬りかからんとしていた真希に目を向けた。
彼女は溜め息混じりに構えを解くと「私の獲物だろうが」と悪態をつく。
そのまま薙刀を肩に担ぎながら歩き出し、「転校生がいるからってはしゃぐな」と貴丈の頭を叩いた。
ベチンと鋭い音が出たものの、叩かれたこと自体は気にしないのか「はしゃいでねぇ」とそこだけは否定。
そのまま昇降口を目指して歩き出した真希から視線を外し、ぽつりと一人残された乙骨の方に目を向けた。
どうすればいいのかわからず立ち尽くす彼に「次いくぞ」と声を掛け、手招きを数度。
小走りで近づいてきた乙骨が不安そうに「い、行くってどこに……?」と問いかけてくると、貴丈は心底不思議そうに首を傾げた。
「……?校内に決まってんだろ」
そしてさも当然のように次の戦場を指差し、そのまま昇降口を潜った彼の姿に、乙骨は額に嫌な汗を流す。
──もしかして、僕はとんでもない人たちと一緒にいるじゃ……。
そして随分と今さらなことを思いながら、もう後戻りが出来ないことも思い出して身震いした。
逃げ場もなく、下手をすれば死んでしまう。そんなプレッシャーが彼に降りかかり、無慈悲に押し潰そうとしてくる。
酷く乾いた喉を潤すように唾をのみ、意を決して昇降口を潜った。
誰もいない廊下に、コツコツと三人分の足音だけが響く。
ビクビクと怯えながら目を泳がせる乙骨を守るように、先頭を真希が、最後尾を貴丈が担当し、厳重に警戒して校内を探索しているのだが、
「……嫌に静かだな」
ドリルクラッシャーを片手に顎に手をやった貴丈がそう呟くと、真希は無言で頷き、乙骨は「そ、そうなの?」と疑問符を浮かべる。
お化け屋敷に放り込まれた子供のように、大量の汗で額を濡らしながら辺りを見渡す様は見ていて不安ではあるが、貴丈はすっと細めた瞳を彼に向けた。
五条の話では、彼に憑いているのは特級過呪怨霊とまで言われる、言ってしまえば呪いの中でもトップクラスの化け物だ。
そんな見えている地雷ともいえるそれに、自ら挑むほど呪霊たちも馬鹿ではあるまい。
詰まる所、こうしてビビりまくっている乙骨がいるから、肝心の呪霊が現れない。
ありがたいような、逆に迷惑なような、複雑な表情を浮かべた貴丈は溜め息を漏らす。
「そう言えば、オマエらって何級だ」
そんな彼の耳に、真希の問が届いた。
貴丈が「なんの話だ」と切り返すと、「呪術師としての階級だよ」となに言ってんだオマエと言わんばかりの声音で返してくる。
貴丈は額の傷跡を掻くと「四級だったかな」と曖昧な返答をした。
呪術師としての強さの指標として階級制度があるのだが、文字通り駆け出し呪術師の貴丈はその最下位である四級に位置している。
正確にはさっさと変異型呪霊を殲滅させ、そのまま使い潰そうとした上層部が、単独行動が許される二級にしてしまおうとしたのだが、五条が力尽くで四級へと落とさせたという背景がある。
呪術のじゅの字も知らない素人を、いきなり最低でも二級相当の案件に放り込むような外道な真似をさせたくはなかったのだろう。
そして、その都合を知るのは五条や夜蛾などの一部の教師陣だけだ。
それを知らない貴丈は「誰だって最初はそうだろ」と乙骨に目を向けた。
「そ、そうなの……?」
当の乙骨は困惑ぎみにそう返し、「どうやったらわかるの?」と重ねて問うた。
「あの目隠し野郎から学生証貰ったろ。それ見せろ」
それに真希は話が進まないことにイラついたのか、面倒臭そうな声音でそう言うと、乙骨は懐を探り始める。
そしてすぐにそれを見つけたのか「はい、どうぞ」と学生証を差し出した。
それをぶんどるように奪った真希は、「ま、どうせ四級だろうが……」と呟きながら学生証に目を向ける。
「……は?」
そしてたっぷり間を開けてから間の抜けた声を漏らした真希に、貴丈は「どうかしたのか?」と乙骨の学生証を覗きこむ。
乙骨憂太、2001年三月七日産まれ。
貴丈が同年十月産まれとすると、三月産まれの乙骨は早生まれで、学年は一つ上ということになる。
「……え、乙骨って年上なのか……?」
「そこじゃねぇ!ここ見ろ、ここ!」
まさかの事実に驚く貴丈の脇を肘で小突いた真希は、学生証に刻まれた文字を指差した。
本来なら生徒の階級が書かれるそこには、『特』の一文字が書かれている。
つまり、五条と同じ特級呪術師であることを、この小さな紙切れが証明していた。
「「……」」
日本に三人しかいなかった筈の特級呪術師。
つまり目の前でビビりまくっている青年が四人目であり、学生でありながら破格の戦力であることは間違いない。
その事実に言葉を失った真希と貴丈は、学生証を眺めながらしばらく思考を停止させていた。
乙骨のおかげで呪霊が寄ってこないことに油断したからか、あるいは何かあっても切り抜けられると驕った結果か、ともかく今の二人は油断していた。
「ふ、二人とも、後ろ……っ!」
乙骨が怯えながらも発した声に二人はハッとして振り向くと、そこには廊下を埋め尽くさんばかりの巨大な呪霊の姿があった。
人面の芋虫にも見えるそれは、ぎょろりとした目玉に三人を映すと、
『いた、いた……だき……まず……ぅうう……』
身体を縮め、一気に動き出した。
盛大な破砕音と共に校舎の一階から屋上用までをぶち抜き、吹き飛ばされた三人はそのまま上空へと放り出される。
「クソッ!!」
空中で体勢を整えた真希は悪態をつくと、既に手元に煙を発生させ、ボトルを取り出している貴丈に目を向けた。
「貴丈、合わせろ!!」
「ああ!」
打てば響くような返事とはまさにこの事。
彼女の言葉に即答した貴丈は、取り出したボトルをドリルクラッシャーのソケットに嵌め込んだ。
『《ハリネズミ!》』
いつもの陽気な音声が頭の中にも中に響き、ドリルクラッシャーの刃を茶色のエネルギーが包み込む。
三人を見上げる呪霊は口を開け、落下してくる彼等を丸呑みにせんと迫ってくるが、貴丈と真希の表情に焦りはない。
貴丈がドリルクラッシャーの柄に取り付けられたトリガーを引き、真希は薙刀を振りかぶる。
同時にパクン!と音が出るほど見事に三人は丸呑みにされ、呪霊の口から『ごち、ごちごちごちごち、そう、さま』と勝ち誇るような声が発せられた直後、
『《レディー・ゴー!ボルテック・ブレイク!!》』
腹の中から響いた陽気な音声に、呪霊は首を傾げた。
そして腹部がぼこぼこと異様に波打ち始めると、ぶちゃりと音をたてて巨大な白い針が腹を突き破った。
それも一本だけではない。二本、三本、四本と続けて腹を突き破り、濁った血が学校の校庭にぶちまけられる。
針の発生はそれだけに止まらず、その数が二桁に突入すると、
「オラッ!!」
それを足場に体内を疾走した真希が、薙刀の一閃で腹を裂いて飛び出した。
鮮血を全身に浴び、足には落下中に牙が引っ掛かったのか、深々と切られているようだが、それを気にする時間はない。
抉じ開けられた穴から乙骨を肩に担いだ貴丈も飛び出し、それを合図に白い針が煙となって消えていく。
そして二人が着地を決めると、呪霊はドォオオンと重々しい音をたて、自らの血で染まった校庭に倒れた。
腹に大量の風穴を開けられても生きているのか、身体らビクビクと痙攣を繰り返し、『お、おなか、すい、すいた……』と呟いている。
「……」
たった数秒に起きた大量の出来事についていけない乙骨が、言葉もなく脂汗を流しながら目を泳がせていると、貴丈がホッと息を吐いて「降ろすぞ」乙骨に告げた。
言われた彼は「ご、ごめん!」と迷惑をかけたことを謝るが、貴丈は「気にするな」と淡々とした声で返し、容赦なく乙骨を支える手を離した。
べしゃりと湿った音をたてて校庭に寝転ぶことになった乙骨は、何とも言えない表情で貴丈を見上げるが、助けられたという事実を前に何も言えない。
当の貴丈は乙骨の視線を無視すると、ポンと手を叩いて呪霊を指差した
「あとはあれの腹の中を探って、行方不明の子供を探すだけだな」
おそらく小学校に憑く呪いの主と思われるそれが、今回の事件の犯人と断定してのことだろう。
真希が「そうだな」と怠そうな声音で返すと、貴丈はちらりと彼女に目を向けた。
顔色も悪く、発汗も多く、彼女にしては珍しく呼吸も乱れている。
「……大丈夫か?」
「こんくらい、問題ねぇ……っ」
貴丈が心配して声をかけると、彼女は強がるように笑いながら返すが、すぐにふらついて薙刀を杖代わりにして踏ん張った。
見てみれば、足の傷から呪霊の血が入ってしまった為か傷口が膿んでおり、目玉を思わせる気味の悪い痣のようなものが傷口から広がり始めている。
「禪院さん!?」と慌てて身体を起こした乙骨が彼女を支えようとするが、「触んな!」の一言で断られる。
「それと、私を苗字で呼ぶな……っ!」
キッと鋭い視線で乙骨を睨んだ彼女はそう言うが、やはりと言うべきかいつもの迫力に欠ける。
そんな彼女の姿に溜め息を吐いた貴丈は、仕方ないと言わんばかりに頭を掻くと乙骨に「真希を頼む」と一方的に告げて呪霊へと目を向けた。
あれを完全に祓除すれば、少なくとも真希の呪いの進行は遅くはなるだろう。
ならばさっさと済ませるのが先決と決めた彼は、呪霊の体内に戻ろうと歩き出すが、
「……っ!」
突然の頭痛に眉を寄せ、額の傷跡に手を触れた。
脳ミソを絶えず針で刺され続けるような鋭い痛みに襲われ、それを堪えるようにぎゅっと目を閉じる。
そして、その痛みには覚えがあった。
いつかに変異型呪霊と接敵した時と同じだが、初めてのあの時と比べればだいぶマシなもの。
その痛みに耐えながら意識を集中すれば、閉じた瞼の裏には他人の視界を無理やり見せられるような幻覚が映った。
醜い肉塊に囲まれたどこかだが、幻覚が見えるということは変異型呪霊がかなり近くにいることを意味している筈。
そしてそんな肉塊に囲まれるような場所は、一ヵ所しかない。
「──っ」
目の前の呪霊を睨んだ直後、貴丈の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
まだ呪術師となって日は浅いが、一応何度かは実戦を経験しているのだ。
そんな戦いの中で少しずつ発達し始めた直感が、彼の身体を突き動かした。
呪霊に向かっていた足をすぐさま反転させ、後ろの二人に向けて全力で駆ける。
「な、なに?!どうしたの!?」
突然血相を変えて戻ってくる貴丈に、乙骨は再びパニックになりながら問うが、肝心の彼は何も返してくれない。
彼はそのままの勢いで真希を脇に抱え、乙骨の首根っこを掴むと、そのまま半壊した校舎の方へと走り出す。
その直後、校庭に倒れる呪霊が大爆発を起こした。
凄まじい爆音と衝撃が校庭を駆け抜け、崩れかけていた校舎の一角を完全に倒壊させる。
チッと舌打ちした貴丈はそのまま無事そうな校舎の一角に飛び込み、乙骨を少々乱暴に落とし、怪我人の真希は優しくその場に降ろす。
「い、いきなりどうしたの……?」
結果的に尻餅をつくことになった乙骨が尻を擦りながら問うと、貴丈は人差し指を口に当てて静かにするようにジェスチャーで伝える。
口を押さえながらこくこくと頷いた彼は、直後響いた爆発音に肩を跳ねさせた。
弾かれるように顔をあげれば学校を囲む帳が波打ち、何かしらの攻撃が加えられたことは明白。
貴丈と乙骨が慌てて影から顔を出せば、校庭の中央に呪霊とも違う異形の姿があった。
どこか近代的な趣がある装甲に全身を包まれ、両肩には戦車をそのまま小さくしたようなものが取り付けられている。
硝煙があがっているのは、まさに帳を揺るがす砲撃を行ったからだろう。
外の五条にも状況が伝わっていればいいのだが、彼のことだから「皆、張り切ってるな~」と笑い飛ばしてくる可能性もある。
小さく舌打ちした貴丈はじっと異形を睨み、再びその姿を観察。
帳を破れなかったことに不満そうに唸り声をあげるそれは、足元からキュラキュラと奇妙な音をたてながら、腰を落とした砲撃姿勢のまま移動を開始。
砂埃で見えにくいが、足の裏が戦車のキャタピラのような形状をしている可能性が高い。
身体は動かないにも関わらず、アスリートの全力疾走をはるかに越える速度で動くその様は、端から見ればシュールなものだ。
だが帳を揺らした砲撃の威力といい、あの機動力といい、それはどちらも驚異的だ。
「乙骨」
「な、なに……?」
険しく眉を寄せた貴丈は再び身を隠すと、ボケッと顔を出したままの乙骨を影に引っ張りこむ。
「俺があれを足止めする。お前は真希を連れて帳から出ろ」
「え!?な、なに言って──」
「あれは、俺が
驚愕の表情のままに問うてきた乙骨の言葉を遮り、貴丈はドリルクラッシャーを肩に担いだ。
そのままちらりと真希に目を向けるが、彼女はぐったりとしながらも鋭く彼を睨んできている。
「オマエ、あれを一人でやんのか……?」
「まあ、現状で戦力になりそうなの俺だけだし」
彼の言葉に真希が「……はっ」と力なく鼻を鳴らすと、「ムカつくが、その通りだよ畜生」と歯噛みした。
彼の隣で戦えないことを悔いているのか、最後まで仕事を完遂できないことを悔いているのか、それは彼女にしかわからないが。
「──とにかく、やるだけやるさ」
貴丈は真剣な面持ちでそう言うと、再び異形──変異型呪霊の姿を確認。
肩の砲身に呪力が集まり、不気味な青い光を発している。
その砲身が向いているのは、やはりと言うべきか帳だ。
五条が張った帳である以上、そう易々と破られることはないだろうが、物には必ず限度というものがある。
「時間との勝負だな」
即判断を下した貴丈は手元にラビットフルボトルを出現させ、それを数度振ってから蓋を開けた。
『《ラビット!》』と音声が頭に響いたかと思えば、彼の身体を赤い光が包み込む。
「乙骨。それじゃ、任せたぞ」
そして振り向きながら投げられた言葉に、乙骨は不安そうな表情を浮かべながら、こくりと一度頷いた。
それを見届けた彼は「よし」と呟くと、真希が彼の背中に「死ぬなよ」と言葉を投げた。
彼女からの激励に「当然」と返した彼は、二人に背を向けたままサムズアップ。
そのまま彼は何も言うことなく、一迅の風となって二人の前から姿を消した。
それを合図にどうにか気合いを入れた乙骨も行動を開始し、真希を背負って帳から出ようと歩き出す。
背後から、貴丈と変異型呪霊の激突音が響き渡った。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。