DARK SOULS → SKYRIM でまったり()スローライフ() 作:佐伯 裕一
また、ぽんぽぽ樣、Lucille Felix樣、寒河江椛樣、誤字報告ありがとうございます。大変助かりました。
日暮れにリフテンへと到着したラーナルクと養父は、そのまま町で一泊することになった。養父曰く、友に事の顛末を報告する、とのことだった。
門を潜り、視界にホワイトランとはまた違う都市の景観が広がったとき、ラーナルクはしばし目を奪われた。
町中に水路が張り巡らされ、水の匂いがする。近くにある大きな湖とつながっているらしく、淀んだ臭気は感じられない。西日が水面に映えて、綺麗だと思った。水が身近で火事をあまり恐れていないせいか、石壁や地面を除けば、町全体に木造の施設や設備が多い。それが夕焼けを優しく受け止めているようで、ラーナルクはこの景色が好きになった。
尤も、そこにラーナルク個人の嫌悪と贔屓が無いとは言い難い。新しい土地へと辿り着いたのだという高揚感と共に、ラーナルクにとってあまり良い思い出の無いホワイトランを下げ、このリフテンという新天地を上げて見てしまうのも、致し方ないことではある。
何にせよ、ラーナルクはこの町のほうが好きになれそうだ、と感じた。
ラーナルクは、『友の家』とやらに向かって歩く養父の後ろに付いて行きながらも、町の様子を『興味津々』といった具合に見やる。
門から地続きの土地を上層とするならば、そちらの様子はホワイトランと然程大きな違いは無い。物を売り買いする者。気怠げに腰掛けで休んでいる者。普請に精を出す者等や、一心不乱に何かを作っている職人。
もっと町の奥へ行けば、蜂蜜酒醸造所や、大小の水産業者の施設があり、多くの人員が働いているそうな。それに、ホワイトラン同様タロス像が安置されているらしい。現在地から遠いせいか、リフテンに例の奇人の同類はいないせいか、タロス崇拝を呼びかける喧しい声は聞こえなかった。
その上層に対して、水路が張り巡らされた土地を下層とするならば、そちらはホワイトランでは絶対に見られない光景が広がっていた。
下層には要所要所に桟橋が設けられており、幾らかは小舟が係留してある。そこへ、商人や職人に雇われた人夫達が、上層から階段を伝って荷物を運び入れたり、逆に運び出したりしている。水路自体を見れば、狭いながらも壁や舟と衝突しないようにか、人や物を乗せた舟がゆったりと行き交っている。
あくまで商工業のために用いているのだろうが、水路から見える景観がもう少し良ければ観光にも使えそうだ、とラーナルクは思った。というより、このときのラーナルクの心情を正確に表現するならば、「もし舟でお父さんとあそべたら、きっとすごくたのしいはず」だ。
ラーナルクの亡き母曰く、このスカイリムには五大都市と呼ばれる五つの大きな町があり、このリフテンもその一つらしい。馬車旅の道中に養父からも聞いたが、なかなか楽しそうな町だと思った。
その反面、上層でも下層でも目に入る浮浪者については、努めて意識の外へ置くことにした。
ラーナルク自身、ついひと月前まで似た境遇であったことを鑑みれば、思うところが無いではない。しかし、それは養父との付き合いが同程度であることも指す。自分は偶々拾われたが、孤児や浮浪者へどのような考えや感情を抱いているのかわからない。事実、ホワイトランにて養父がそれらの社会的弱者へ何か施しをするような様子は見られなかった(住民が人集りを作っていたことが大ではあるだろうが)。
ラーナルクは、養父の為人が今少し把握できるまでは、この手の話題に対する自己主張を控えるべきだと考えた。
それに、浮浪者がいるのに孤児がいないのは訝しい。養父の話では孤児院なる施設があり、孤児を引き取っているらしい。だが、浮浪者は上層市場の隅に幾人かが、多くは下層の陰に隠れるようにしてちらほら姿が見える。
ラーナルクに、高い砦から下々を見下ろす首長の思惑などわかるはずもないが、一方にだけ温情をかける、というのも
町についてラーナルクが色々と思いを馳せていると、一軒の民家へ辿り着いた。おそらくここが目的地である『友の家』なのだろう。しかし、歩いているうちにすっかり日は暮れた。人を訪ねるにはやや遅い時間だが、養父が扉を叩こうとし……その前に扉が開いた。
「やぁ、兄弟、お帰り。君の足音と、報告にあったとおり子供の足音が聞こえたんでね。タムリエル随一の英雄がご帰還なさったと、
「やぁ、
養父の返しに、家主らしき男が呵々と笑い、ラーナルクと養父を家内に招き入れる。扉を潜ってみれば、夕餉のいい匂いがする。
「今日あたり帰ってくるだろうと聞いていたもんだからね。男の雑な料理で悪いが、夕餉を用意しておいた。
家主はどうやら気遣いのできる男らしい。養父などは「いつも助かる。心が温まるな」などと上機嫌である。それにしても、家主の先の言はどういった意味なのか。ラーナルクは不思議に思うと同時に、少しずつ胸の中にもやもやとした面白くない気持ち悪さが芽生え、大きく育っているのを自覚した。
気の置けない会話をしつつも各々が席に付き、夕餉と相成った。ラーナルクは養父の隣である。
「さて、夕餉のあいだに報告を聞いてもいいんだがね。早速と言うべきか、君は
どうだい? 今日はとっとと飯を食ってさっさと寝て、諸々の話は明日、叔父貴を交えてからにしないかい? 君も、どうせ報告するなら一度で済んだほうが楽だろう?」
養父は家主の提案に対し、「いいのか?」と訝しげだ。「以前、報告をおざなりにしたときには、随分と絞られた覚えがあるのだが」とも続ける。絞られた? 同胞団を相手取って傷一つ負わなかった銀鎧たるお父さんが? もしかして何かの冗談?
ラーナルクは養父と家主の関係に疑問を覚え、同時に、先程自覚した気持ち悪さが増すのを感じた。少々自棄食い気味に、夕餉を掻き込む。元孤児がなかなか贅沢な食事の仕方をするものだ、と自嘲に自虐まで湧き上がり、苛立ちはかえって大きくなった。
自分の「お父さん」に対して気安い態度のこの男が、どことなく気に食わないのだ。軽薄にも思える飄々とした態度が癇に障る、ということもある。
「そりゃあ基本的には良かないがね。以前の反省を生かしたからこその万全な連絡体制なのさ。
君があまり気にせずいてくれるから助かってはいるが、叔父貴が君の周囲に手勢を忍ばせていることは伝えたろう? だから連中からの報告で、基本的には君のそれ無しでも、事の顛末はある程度把握できるようになっている。組織が堂々と動けるなら、こういう利便性があるわけだ」
成程な、と頷きながら、養父もラーナルク同様夕餉を終えたようである。しかし、得意気にも見えた家主が「ただ……」と続ける。
「メルセルも君の動きには注意を払っている。何せ盗賊ブレックスの砦を一人で落としてしまったわけだからね。あからさまな監視は控えているが、ギルドの活動に支障が出ない程度には君の動向を調べさせ、把握している。無論、今回の一件も遠からず耳に入るだろう。
こちらはメルセル嫌いの君にとっては面白くないかもしれないが、英雄を恐れる小市民の自己防衛、とでも思って流してくれれば、幹部の俺としては有り難いんだがね」
「君の言うとおり、たしかに面白くはない。が、メルセル・フレイの指示で動いている構成員にまで恨みがあるわけではないしな。君に迷惑がかかっても心苦しい。そういうものだと思って、気にしないようにするさ」
ラーナルクは年の割にはかなり聡い子供である。しかし大人同士が会話をすれば、そのほとんどは理解できない。単語を少し拾って、邪魔にならないよう自分の中で思考を回すだけだ。
養父からは「気になることがあれば何でも聞け」と言われているが、二人きりならともかく、他人を交えてもそれが適用されるのか、ラーナルクにはまだわからない。それに長年染み付いた、
気が付けば、養父も家主も夕餉を終えている。それなのに会話は続く。ラーナルクは面白くなかった。そこで一芝居打つことにした。
いかにも会話の邪魔にならないよう気を使っているふうに、顔を背けてあくびをし、瞼を鈍くしながら養父へもたれ掛かったのだ。
これには、友人らしき家主と会話をしていた養父も「今日はお開きだな」と苦笑し、ラーナルクの頭を撫でてくれている。このまま甘えていれば、多分寝台まで運んでくれるはずだ。
ラーナルクは抱き上げられながら、『勝った』と思った。何に勝利したのかは全くの不明だが。とにかく、この小さな策士は満足感に浸っていた。その勝利の余韻を味わおうと、怪しまれないよう後ろを振り返り家主を覗き見ると……。
養父の背中に向けて、正確にはその陰から視線を送る自分に対し、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて鼻を鳴らす家主がいた。
ラーナルクが抱いた気持ち悪さ……養父を取られまいとする嫉妬も、そのために小細工を弄したことも、家主にはお見通しだったのだ。家主はラーナルクのことを、つまらないものだ、興味も湧かない、と言わんばかりに視線を外すのも早かった。既に食器を片付けに背を向けている。
ラーナルクの甘美なる勝利の喜びは崩れ去った。代わりに訪れたのは、強烈な敗北感と家主に対する嫌悪感と、一層強くなった敵愾心だ。負けてなるものかと、ラーナルクの幼心に火が付いた。
……言わずもがな、こんなことは些事であるのだが、しかし幼子ラーナルクにとって養父は、やっと見つけた庇護者である。どれだけ些末な情動と言われようが、本人にとっては重大事である。「お父さんはぜったいにわたさない」と心に誓うラーナルクであった。
ちなみに、それだけ執着されている養父は、それらのやり取りに全く気付く素振りも無く、腕の中の養子を一刻も早く快適な寝台で寝かせてやろうとそれだけを考えている。自らに降りかかる敵意や悪意には異常なほど敏感な男ではあるが、耳目に触れない好意を察しきれるほど鋭くはないようだ。
寝台に寝かされたラーナルクは養父に添い寝を強請った。そしていつもどおり二人で一つの毛布を被ると、顔を見られないように養父の胸元へ顔を埋めた。甘えているのだと思ってくれればいい。今は、あの家主に対する怨悔の念を悟られなくない。だから顔を隠すのだ。
それに、養父の不思議なぬくもりを直に感じていると、心が安らぐのだ。
凍える暗闇にたった一つ浮かんだ篝火のような、心身に安堵を齎す穏やかな熱。今の「むしゃくしゃした気分」を紛らわすのには、養父の腕の中が絶好の場所であった。
ラーナルクはホワイトランからの旅を経て、すっかりこの定位置がお気に入りになってしまっていた。
一夜明けて養父と家主が仕度を整え、いざ扉を開き出立しようという段になって、養父がラーナルクに尋ねた。
「坊主、昨晩は夕餉を馳走になり寝床まで貸してもらったわけだが、それについての礼は言ったのか? その有難みがわからんお前でもないだろう。どうなのだ?」
お父さんは正しいことを言っている。ラーナルクは幼くともそれをきちんと理解した。だからこそ、なんと酷なことを言うのだろうかとも思った。不意打ち気味にかけられた言葉だっただけに、昨晩のように取り繕うこともできない。絶望の表情が浮かんでいる。それに付け加えれば、視界の端では家主が笑いを堪えている。それをラーナルクは忌々しく思い、睨みつける。
しかし「お父さん」の言うことに逆らうことも無視することもできない。理不尽でもなく、自分に道理を教えるための言なのだ。だが、でも。
ラーナルクの踏ん切りがつかないでいると、家主は軽く溜息をつき、これ見よがしに組んだ腕を指でとんとんと叩き、如何にも「礼の言葉を待っている」と態度で示す。ラーナルクの腹立ちが加速度的に増していくが、それにかまけていては養父から叱責が飛ぶかもしれない。ラーナルクは歯を食いしばり、覚悟を決めた。
「…………昨日は、おいしいごはんとねどこをもらえて、助かりました。……………………ありがとう、ござい、ます」
「……すまんな友よ。この坊主、頭の出来は悪くないようなのだがな。如何せん口が重い子供なのだ。許してやってくれ」
「いやいや、何を水臭いことを兄弟。ちゃんと
家主は養父へ友好的な態度を取りつつ、ラーナルクへ僅かに視線を向けたときには、その目に嘲りの色を浮かべている。なんたる悪辣。ラーナルクの胸中に、昨晩の怨悔が蘇ってきた。
……繰り返すが、些事である。そしてあえてどちらが悪いか、という話をするのならば、圧倒的にブリニョルフが悪い。幼子を相手に張り合ってどうするのか。然程、気にもしていないくせに、殊更煽り、
そしてこれも繰り返しになるが、養父たる男はそれら二人のあいだで交わされたやり取りに、全く気付いていない。戦闘や、明確な目的意識が絡まなければ、恐ろしいほどの呑気さを発揮する唐変木である。
リフテンを出て砦へ移動しているあいだも、ラーナルクにとっては辛い時間だった。
何せ、馬車旅のときは常に隣にいてくれた養父は、馬と全く遜色ない速さで駆け、肝心の馬には自分と、その後ろに憎き家主が跨っているのだ。馬の揺れに酔うことは無かったものの、嫌っている人間に包まれながら、延々と下から突き上げられる衝撃に耐え続けるのは、とても愉快とは言えない。
唯一の救いとしては、家主は駆ける養父とずっと会話をしており、家主の視線が自分に向かなかったことだ。
家主が「実際、どのあたりに見張りが潜んでいると見当をつけたんだい?」などと水を向ければ、養父は林の木々や丘陵、岩陰などを指し、説明する。それを受けて家主も、「成程……」と考え込んでいる。
後で養父に聞いた話だが、この時の家主は自らの隠密の業を高めるため、待ち伏せに慣れた養父なら予測を何処に立てるのか、確かめていたのだとか。
そうしているうちに、目的の砦とやらに着いた。
ラーナルクは養父から事前に聞いてはいたが、見事に人相の悪い者ばかりだ。それに、養父を「旦那」と呼びながらも、何処か
ラーナルクは砦の盗賊達について、少し警戒心を高めた。
……それもすぐに消えて無くなるのだが。
砦についてすぐ、一行は頭目の執務室へと案内された。
養父曰く、この砦の頭目はもう一人の友であるらしい。家主が
案内された扉を養父が叩くと、随分と愛想のいい男が「お待ちしておりました」と人好きのする笑みを浮かべながら扉を開く。男はそのまま、頭目の座す室内へと一行を
しかしラーナルクは、この男の目の奥に、得体の知れない何かを感じた。何かは『何か』だ。強いて言うならば『妙なもの』としか表現できない漠然とした話だ。そして思う。「この人は、ひょうじょうも声色もかえずに人をころせそうだ」と。現に今も、笑顔でこそいるものの、本当に機嫌が良く、自分達を歓迎しているがために笑っているのだとは思えなかった。寧ろ、仏頂面で座っている頭目らしき男のほうが、見ていて余程安心できる。砦にいた一味の悪人面など、可愛いものだったのだ。
ラーナルクは、この砦で最も恐ろしいのは、この愛想のいい男なのではないか、と思った。
一行は男に促されて執務机の前の椅子に腰掛ける。ラーナルクは養父の膝の上だ。話し合いの準備が整ったと判断したのか、仏頂面の頭目が口を開く。
「おい、何でこうなった。俺は『同胞団に喧嘩を売ってこい』とは言った。ついでに『不自然でなければバルグルーフにも』と。だが、『孤児を拾ってこい』とは間違っても言ってねえぞ。
いやな、先触れから聞いちゃいたがよ。本当になんで手前ってヤツは、目を離したほんの一時のあいだにガキ拾ってんだ?」
開口一番、言ってくれるものである。
ラーナルク自身、孤児であった自分が行く先々で歓迎されるとは露ほども考えていなかった。それでも、「お父さん」の友人であれば、それなりの態度は見せてくれるのではないかと密かに期待していたのだ。それが、一人は大人気なく、一人は厄介者扱いである。当然、面白くはない。
養父も反論するのだが、ラーナルクからしても、論点が微妙にずれているのではないかと思われた。薄々感じてはいたが、自分の養父は優しくはあっても、少々変わり者かもしれない。
と、ここで、意外な援護が入る。
「いや、兄弟。僭越ながら、叔父貴が聞いてるのは多分そういうことじゃあないと思うんだがね。そもそも犬や猫じゃあるまいに。そんな簡単に孤児なんて拾って大丈夫なのかい?」
しかし援護とは言っても、それは養父へのもので自分へのものではない。ラーナルクは自身の立場が依然として危ういと感じた。
それを察知したのか、自分を抱えている養父が頭を撫でてくれる。最近のラーナルクは、この養父に撫でられると、それだけで心に安心感が広がるようになっていた。養父の手は温かく、その手つきは柔らかいのだ。生家にいた男とは違う。
ラーナルクが養父の手を堪能しているうちに、会話が幾らか進展したらしい。そして自分が「坊主」と呼ばれていることが話題に上がったあたりで、突然、頭目が立ち上がり、「手前!」と養父の頭を引っ叩いた。ラーナルクの頭にカッと血が上り、何をするかと腰を浮かしかけた。その瞬間、再び家主から助け舟が入る。まだ拳を振り上げる前とはいえ、少しバツが悪い。
「叔父貴、横から嘴を挟むのもどうかと思うが、一応兄弟の名誉のために言い訳させてくれ。
彼はその、自分の名前にすらあまり頓着しないんだ。
ご家族を愛しているから名を捨てることこそ無いが、あまりに永いこと呼ばれることも無く過ごして来たから……。
だから多分、その孤児を軽んじていたがため、ではないと思う。……多分」
なんとも歯切れの悪い擁護だと思った。なさけないヤツめ。
しかし、たしかに言われてみれば自分は養父から坊主としか呼ばれていないし、名を聞かれたことも無い。そして養父が自らの名を名乗ったことも無い。ホワイトランからこっち、「坊主」「お前」「お父さん」で事足りていたため、それでいいと思っていた。
何せ、孤児になるまで、ラーナルクの名を呼ぶのは
……これは、人間性の摩耗した不死人と被虐待児の組み合わせという結果論ではあるが、ラーナルクも養父の男も、『変わり者』という面においては、一部似たもの同士と言えた。
しかし、いやだからであろうか。ラーナルクが養父からかけられた言葉で、思考が一瞬飛んでしまったのは。
「それで、今更だがお前の名は何というのだ? ちなみに私はノメイで、こっちの若いほうはブリニョルフ、年嵩のほうはブレックスだ」
驚愕であった。『
そのため、つい長年の習慣が口から零れてしまう。
「…………ラーナルク。でも、お父さん……ッ! ……前のお父さんはあんまり呼んでくれなかった。お母さんがつけてくれた名前」
あぁ、自分にとっての『お父さん』は「お父さん」ただ一人のはず。何故、ホワイトランで今も管を巻いているだろうあの男なんぞをそう呼んでしまったのか。これほどまでに自分は愚かしい人間であっただろうか。養父へ初めて自分の名を名乗った幼子は、愕然とし、自分の迂闊さを激しく後悔した。
……そうだ、お父さんは!? 不快に思ってはいないだろうか。他の面々は?
ラーナルクの胸中を占めていたのは、恐怖であった。自分の不用意なたった一言の呼称で、徐々に日常となりかけていた暖かな生活が消え去ってはしまわないだろうか。「お前なんぞは要らん」と放り出されないだろうか。周囲の人間が、「やはり捨てて来たほうが良いのでは?」と養父に進言しないだろうか。そうして、また夜を一人彷徨う羽目にならないだろうか。
恐ろしくて、恐ろしくて、ただ恐ろしかった。心身を恐怖に支配された。自己保身のための謝罪すら思い浮かばない。ラーナルクは、あまりの恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。
養父は抱えたラーナルクの頭を再び撫で、聞こえるか聞こえないかの小さな声量で「ラーナルク……」と一度呟いた。そして言う。
「良い名ではないか、ラーナルク。ご母堂には感謝を忘れるなよ。実の父親に関しては、お前の好きにすればいい。忘れたければ忘れろ。覚えていたければ覚えていろ。
ただまぁ、これからここが、お前の新しい家になるのだ。帰る場所だ。それは、忘れるなよ。とても大事なことだ。いいな?」
ラーナルクは再び混乱した。今日だけでどれだけ小さな胸の内が乱れに乱れたかわからない。
母は今でも好きだ。だから「お父さん」に感謝を忘れるなと言われればそうする。
しかし、父親であった男について、忘れるも覚えているも自由とはどういうことだろう? 養父からすれば、ホワイトランの男など邪魔な存在ではないのか。形式的にも心情的にもきっぱり縁を切れ、と言うべきなのではないだろうか。無論、言われるまでもなく後生大事に覚えていてやる気はない。それでも、ラーナルクにはその言葉の真意がわからなかった。
そのため、産みの親に関する思考は一度棚上げし、この砦が新しい家、帰る場所だという言には頷いた。『とても大事』とまで言うのだ。本当に大切なことなのだろう。ラーナルクは頭と胸の奥底に、母への感謝と、帰る場所がある、という事柄を刻み込んだ。
……実際のところ、養父の男が言うラーナルクの実父への言は、少々先の、ラーナルクが数年は成長した頃のことを考えてのものである。それ故、十にもならない幼子に理解できるはずもない。だからこそ、ラーナルクがそのあたりにまで考えが及ぶことはない。ただでさえ繊細な問題であり、ただでさえ見つめ辛い自分の内面の問題なのだ。ラーナルクがこの問題にある程度の結論を下せるようになるまで、今暫く時を要することになる。
幾らかの日々を経て、ラーナルクはすっかり砦に馴染んでいた。それには、まず、養父の友人達が総じて、第一印象よりもずっとラーナルクに優しかったことが大きい。
頭目は手も足も出すし口も悪いが、よく観察してみれば、その言動は情を持ってのことに思えた。それを汲み取ってか、多少手荒に扱われても、配下の者等は頭目を慕っている。
思い返せば、顔合わせの際に、頭目が養父を引っ叩いたことがあった。足でも小突いていた。あのときは頭に血が登ったが、頭目が声を荒げたのは、自分のためであった。強面だが、同胞団でも相手にならない強者へ食ってかかるほどには、お人好しらしい。
一味の者達も、付き合ってみれば気のいい連中だった。少なくとも、誰もラーナルクへ憐れみや蔑みの視線を寄越さない。
考えてみれば、何の事情も無しに盗賊稼業に手を染める者は少数なのだ。であればこそ一味の者達は、ラーナルクの境遇にを理解はすれど同情はせず、「『若過ぎる』新入りが来た」程度に受けとめたのだ。
しかし何事にも限度がある。その『新入り』の養父は、恐怖のデイドラロードなのだ。遭遇の仕方が仕方だっただけに、「道理を守れば危険はない」などと安心することもできない。ある意味、ラーナルクは砦へ持ち込まれた新たな危険物である、と認識する者も少なくはなかった。
ラーナルクとしてはその遠巻きに恐れつつも疎んじているような視線が気に食わなかったので、適当な者を一人捕まえて、養父と砦の一味の関係を色々と聞いてみた。
すると、あの優しい「お父さん」は、あろうことか当初、砦の全員を殺し尽くしてしまうつもりでいたらしい。結果的に思い留まったものの、翌日にも、つまり連日に渡り砦全体を巻き込んでの大立ち回りをし、その後、無理やり手打ちに持ち込んだのだとか。
話し終えて「わかったかよ」と吐き捨てる男に対し、我知らずラーナルクは「お父さんがごめんなさい」と口にしていた。流石にそれは
ラーナルクとしては、同胞団を嬲った姿を見ているだけに、可能不可能の面で納得するのは早かった。だが、よもや友と呼ぶ一味にまで同じことを、いやもっと酷いことをしていたとは思いもしなかった。尤も、詫びを入れられた側もどんな表情で返せば良いのかわからず困惑したのだが。
そして、ラーナルクは朧気に感じていた事実について、確信に至ることができた。「ぼくのお父さんは変わってる」と。
その『腫れ物扱い』の状況を改善させたのが、ラーナルクが砦内で最も警戒していた、あのやたら愛想のいいハンという男だった。
顔合わせが済んだ日の晩、いつものように養父と同衾しているとき、自分の抱いた彼の男の印象を訴えてみた。すると養父はカラカラと笑い、「お前は本当に聡い子だな」と頭を撫でてくれた。
しかし、撫でてもらえるのは嬉しいが、何故養父が笑っていられるのかがわからない。自分を「聡い」というのなら、おそらく訴えた彼の者の印象について、大きくは間違っていないはずだ。なのにどうして?
ラーナルクが疑問に思っていると、養父が種明かしをしてくれた。曰く、彼の者は正しく頭目の信奉者である。故に、自分のために怒りを表明してくれたことについて頭目に礼を言いたい、とでも口実を作り彼の者へ接触すれば、それだけで万事丸くうまくいくだろう、と。
養父を疑うわけではないが、この時、既に養父を『変わり者』認定していたラーナルクとしては、若干の不安を抱きつつ、養父の言うとおりにしてみた。
するとどうだろう。ハンの目の中には慈愛の色が見え、「昼餉の前には頭の手も空くだろうから、そのときに手引してあげよう」と上機嫌に言うではないか。そしてラーナルクが頭目に礼を言い、「おう」とぶっきらぼうな返事を受け取った後の昼餉の席で、彼の者は言うのだ。
「どうもあたしを含めて、この小さな新入りを扱いかねているように思うんでさ。でもいつまでもそれじゃあ、ちと不健全でしょう。だからまずは形から入るべきかなと。
そんで、頭の正式な客人である旦那の子なら、それ相応にお呼びするべきでしょうな。『坊っちゃん』、あたりが妥当でしょうか」
ハンはラーナルクと目線を合わせながら、「如何でしょう? ラーナルク坊っちゃん?」と微笑んだ。自分が急に良家の子息にでもなった気がしてくすぐったかったが、否やはなかったため、了承を告げるように大きく頷いた。
それからは、砦の一味全員が、自分を視界に入れると「ボン」だの「坊っちゃん」だのと挨拶をしてくれるようになった。ラーナルクは勿論ハンにも感謝の念を示すために礼を言ったが、それ以上に「お父さんの言うとおりになった! お父さんはすごい」と嬉しくなった。
それをまた就寝前のひと時に話してみせると、養父は事も無げに言う。
「あのハンという男は、前にも言ったとおりブレックスの信奉者なのだ。俗に言えば『首ったけ』。あるいは『狂っている』といったところだな。だから頭目ブレックスを立てる物言いをしていれば、概ね危険は無いはずだ。寧ろ、此度のように協力的になってくれることもあるだろう」
ラーナルクは養父の言を聞いて、自らの洞察と実情が線としてつながる感覚を得た。ハンという男の目に見た得体の知れなさは、頭目への執着であったのだ。だから、頭目に敵対するものであれば何であれ排除するであろうし、頭目が認め、頭目のためになるのであれば、私心を排して尊重する。そういうことなのだろうと納得した。
したはいいが、やはり少々変わっていると思う。そしてその思いは、砦全体にも及んだ。強面のくせにお人好しな頭目。頭目に狂った副頭目。それらに付き従うことに対し、一切の不満を
この砦は変なところだ。そう思うとくすくす笑いが止まらなくなった。
そういえば、砦の一味ではないが、リフテンの
同衾していた養父が不思議そうに見てくるが、「何でもない」と言っていつものように養父の胸元へ顔を押し付けた。温かくて、可笑しくて、賑やかな場所だ。
ラーナルクは、盗賊の砦が好きになった。
翌朝から、ラーナルクは砦の様々な場所へ顔を出すようになった。
まずは調理場。床に伏せる母に代わり料理をしていたラーナルクであるから、調理場の手伝いくらいは可能だ。炊事当番は「飯の仕度を手伝おうたぁ殊勝なこったな、ボン。ほれ」と快く迎え入れてくれ、ラーナルクに摘み食いを許してくれた。誰かと一緒に食べる食事も美味しいが、誰かと一緒に作るのも楽しいと思った。
練兵場にも顔を出した。そも自分は銀鎧の強さに憧れてホワイトランを出たのだ。まずは強くならなくては。そう思い練兵場にいた面々に「お父さんみたいにつよくなりたい!」と訴えてみた。
肝心の「お父さん」は錬金術の修行に明け暮れており、とてもではないが我儘を言える状況ではない。そのためだ。なお、言語化して理解しているわけではないが、幼子の正直な告白は、時に大人の庇護欲を刺激する、と認識しているラーナルクである。幾らかの打算もあった。
しかし反応は芳しくない。数拍の静寂を置いた後、「て、手解きくらいはしてやってもいいぜ」と一味の男達が請け負ってくれた。だが賢いラーナルクには、その静寂の裏で響いていた男達の「いや、『お父さん』みたいに、は流石に無理なのでは?」という心の声が聞こえていた。当然面白くはないが、致し方ない。自分はまだ何者でもないのだ。まずは一つ一つ着実に、だ。
また、数日に一度ではあるが、養父はラーナルクを砦の外に連れ出し、錬金術材料の収集に付き合わせた。
その際、この薬草にはこれこれこのような効能がある。この茸にはこれこれこのような毒がある、と説明してくれる。錬金術の修行、というよりは、万一ラーナルクが自分とはぐれ、数日を一人で耐えなければならないときでも困らないように、と食料になる野草を作業の傍らに教えていたのだ。
ホワイトランでは食糧事情で散々な目にあった元孤児なだけに、ラーナルクは養父の心遣いが嬉しかった。とは言え、そのようなことが無ければ一番いいのだが。
外出時の更に素晴らしい点は、運が良ければ養父の狩りに付き合えることだ。
不本意ながら、大好きな「お父さん」に『変わり者』の烙印を押さざるを得なかったラーナルクではあるが、狩りのときの「お父さん」は別格だ。銀鎧とはまた別の、戦士の顔を見せてくれる。
呼吸を整え、姿勢を整え、弓を構え矢を番えながら、空いた指には何本もの矢を追加で持っている。そして、ゆっくり大きく息を吸い、少しだけ吐き出し、止め、痛いほどの緊迫感と静寂が訪れ……一発必中とばかりに射止める。
相手が大空を行く猛禽だろうが、鹿の群れだろうが、狩猟依頼の出される熊や狼だろうが、考慮に値しない。
獲物が複数いる場合は、追加の矢を連射する。一頭目を仕留めて、異変に気付いた獲物が逃げを打とうとしても、もう遅い。養父はその進路を変えるための減速を見逃さず、射抜く。まだ獲物がいれば、その場から離れたい被食者の心理を読み、その進路へ置いておくように矢を放ち、当てる。
ラーナルクはこの狩りを見るのが、養父の腕の中で眠ることの次に好きだった。「お父さんのすごいところ」が見たいのだ。
今の自分は短弓すら引けない非力な身ではあるが、常に養父の動きや視線を意識して、自分の身体で真似てみる。ラーナルクは誰に言われずとも、精度の高い見取り稽古を常に行っていた。
更に更に素晴らしい点は、その後のお楽しみにある。
獲物を仕留めた養父は直ぐに血抜きや川での冷却を行い、解体して、肉や皮を砦へ運ぶ。しかし内蔵は傷みやすいので、その多くを捨てざるを得ない。だが、直ぐに火を通せば十分可食に耐え得る臓器もある。肝臓や心臓などだ。それらをよく洗い、塩で揉み、適当な石を探して養父の魔法で高温に熱し、平鍋代わりにして焼く。追加の塩を振って暫く、あたりに堪らない匂いが漂い十分に火が通ったら、思う存分に食べる。こればかりは、狩りの現場に居合わせなければ味わえない。
砦の食事も腹を満たすには十分ではあるのだが、裕福な者でもなければ、動物の肉を頻繁に食すことは難しい。特に、砦には男盛りの面々がひしめいている。自然と肉やチーズは取り合いになる。しかしラーナルクは、養父に付いていくだけでその恩恵に預かれた。これは非常に大きな楽しみだった。
ちなみに、食さない内蔵などの不要部位は一般的に、穴を掘って埋めるそうだ。しかし、養父は雑にあたりへ撒く。理由を尋ねると、「これを食いに捕食者である禽獣が寄ってくるなり、縄張りとしてうろつくことになる。どうせ探して狩らねばならんのだから、連中のほうから足を運んでくれるのならば、手間が省けるというもの」だそうな。
養父はこのとき間違いなく、このリフト地方の食物連鎖の頂点にいる、とラーナルクは思った。……その評価が文明人として如何なものか、という話にまでは、意識が及ばなかった。
しかし、これはこれで肉食獣の分布が乱れ、街道を行く旅人などに被害が出かねない。町の外に出て間がないラーナルクの考えがそこまで及ばないのは致し方なくとも、養父である男は、それを承知で行っている。
それが正しいと思うでもなく、被害を誘発させたいわけでもない。確信犯でも故意犯でも無く、ただ、見知らぬ者達が遭うかもしれない凄惨な被害に興味が無いのだ。
強いて言うならば、愛息との時間を有意義に使うために、獲物を探すなどの面倒が
ラーナルクは美味しい肉が食べられて、まさに『ご満悦』といった具合だが、しかし、養父は狩りが成功すると、少々複雑な顔を浮かべる。
何でも、可食部は砦へ持ち帰るが、錬金術材料にならない毛皮や装飾品に使える牙などは、町で売られ、錬金術修行のために使われるのだとか。既に殺人的な修行をこなしている養父を知っているだけに、ラーナルクは何とも言えなくなる。
だが、これでも
日に日に虚ろになっていく養父の目を見て、本能的に「これはぜったいに不味い」と思い、ラーナルクは修行の時間を短縮するよう頭目に抗議した。正確には、本物の悪人が自然と身に纏う空気に当てられて『泣きついた』というのが実情だが。とにかく、頭目や不気味な副頭目が何と言おうともこれだけは絶対に通してやる、と覚悟を決めて挑んだ。
とはいえ、その主張はあっさり通った。どうやら頭目も、修行の内容を省みるべきではないかと考えていたらしい。おかげで、ラーナルクが床に就いてから翌朝の朝餉を済ますまでは、養父を解放してもらえるようになった。ラーナルクは、自分が養父のために働けたことが、この上なく誇らしかった。同時に、あんなに強く逞しかった「お父さん」が廃人寸前になるような目に遭ったことが、不安で、恐ろしく、何より悲しかった。養父も頭目も口を揃えて「必要なことだ」と言うものだから、ラーナルクはそれ以上の口出しを封じられてしまったが。
……また、これはラーナルクの預かり知らぬことではあるが、頭目ブレックスの中では、修行時間の短縮は既定路線であった。
いくら不死人が生命活動に休息を必要としないとはいえ、人間である以上限度はあるはずだと理解していた。だが、あえて殺人的な予定を組み、教導役には砦の中でも錬金術に長け、且つ男に
男の砦襲撃からすぐ、食堂で手打ちの宣言をした。それで配下の暴走を抑えることはできた。男とブレックスが(半ば強制的に)友人となったため、大部分は矛を収めた。しかし、それでも腹の虫が収まらない者はいる。だからブレックスは、あえてそれらの者を選んだ。
一つには教導役に甘い顔をされては、何のための修行かわからない、ということもあった。だが一番の理由は、その隔意を可能な限り拭ってしまいたかったからだ。
襲撃を受けて不意打ちで眠らされ、真正面から突破され、一味の頭は虚仮にされた。許せないのはわかる。しかし、いつまでもその隔意を持ち続けられても困るのだ。そこで、自分達と似たような恵まれない境遇の子供が、泣きながら「お父さんをいじめないで」と訴えてくるよう仕向けた。そうなれば大人気ない蟠りも、バツの悪さと共に幾らかは消える。
あとは、生徒である男が
孤児であったラーナルクも幼いながらに大変だろうが、傍若無人を地で行くデイドラロードに目をつけられた一味の頭目も、様々なところへ目を光らせなければならず、また大変なのだ。
リフテンへ着いて早々にカチコミかけ行った養父に代わり、二四話ぶりで町の景観に触れる養子の鑑。
そして「お父さん」が『変わり者』(「ポン」のだいぶ優しい表現)だと流石に気付いた模様。