画面の中には満面の笑顔をした小糸が写っていた。GRADに優秀しましたという出だしでファンのみんなへたくさんの感謝の言葉が連ねてあった。いかにも小糸らしい。
小糸のソロシングルがスマホから聞こえた。小糸からのメッセージだ。スマホを開くと、通話口から嬉しそうに優勝したと伝える小糸の声が流れてくる。おめでとうと伝えると、もじもじした声で明日、みんなでお祝い会をしたいというお願いにも見た提案を彼女はしてきた。..小糸はしっかりしている。本当に。
了承をすると、電話口から小型犬がしっぽを振って大喜びするかのような小糸の声が聞こえてきた。いつもだったら、穏やかな気持になるはずが、小石に靴が挟まったような違和感を樋口は覚えた。スマホを切り、ベッドに横になる。眠気が次第に樋口の意識を奪っていくがモヤモヤはいつまでも消えなかった。小糸のお祝いのときもずっとその嫌な違和感は消えることはなかった。
それから数年後―。
街の大型テレビに可愛らしい少女の姿をした何かが写っている。それの歌声が交差点を支配する。それは心の底から歌うことが大好きで仕方のないような表情ときれいな歌声をしていた。それを彩るかのようにステージは優しい色のライトで埋められ、それを照らし出していた。衣装も昔と違い、それに似合う可愛らしいものを着ている。とても良く似合っていた。テレビに映るそれは衣装にもライトのキラメキにも負けないキラキラと煌く一等星だ。昔のようにおどおどした喋りもなく、司会との談笑にも大きな声でハキハキと、笑顔を浮かべながら、ジョークを交えて返しているそれの姿が見える。これなら、きっと誰からも愛される。昔以上に。樋口にとってはあまり好きな姿ではないが―。それの名前をいかにもオタクっぽい小太りの男性がうっとりとした名前で呼ぶのを樋口は聞いた。
「小糸ちゃん...。」
あれをその名前で呼ぶなという思いと幼馴染を気安く呼ばれた感情で頭が一瞬熱くなる感覚が樋口に走った。
樋口はすでに引退していた。学業を優先したかったからだ。小糸からは未だにしょっちゅう連絡は届いていた。小糸はいつも忙しそうにしているが、小糸にとっては一番癒やされる時間だからと言う理由で時間を見つけては会いたいと連絡してきた。たまに、小糸の予定が合えば皆で会う。今日もその日だった。
「円香ちゃん!」
小柄な少女が手を振りながら走ってくる。メイクをせずに普段着を着ると、昔の彼女と全く変わらない。彼女にはオーラというものが一切なかった。一緒にアイドルをやっていた当時からの話だ。一緒に街を歩いていても、樋口だけが気づかれ、小糸は気づかれないということはしょっちゅうあった。
「あれ...他のみんなは?」
「忙しいって。今日はやめる?」
小糸の困り顔が更に強まって、手をふる。前のときと同じなにも変わっていない。昔と一緒の顔、仕草。
「う、ううん!円香ちゃんがいやじゃなければ一緒に…。」
「別に構わないけれど。」
満面の笑みを浮かべる小糸。テレビでもネットでも見たことのない表情。昔と変わらない表情。ずっと後ろからついてきてる彼女をちらりと見ると浮かべてくる安心しきった嬉しそうなキラキラと煌くような表情。大好きだった顔。
他愛のない話をしながら、くだらない買い物を小糸と樋口はした。昔、勉強会を四人でした場所だ。小糸と会うときはだいたいいつもここだ。小糸の経済状態ならもっといいところに行けると雛菜が提案したが、小糸がここが大好きだからという理由でいつもここに勝手に足が向いていた。なんとなしにやったクレーンゲームで取れた巨大な熊を小糸がじっと物欲しそうに見つめている事に気づいた、樋口は小糸にそれを渡した。嬉しそうな顔をする小糸を見ていると、樋口の心は少しほぐれ、頬が緩んだ。一人で歩くようになっても彼女は何も変わっていない気がしていた。それは錯覚に違いないが―。
買い物からの帰り、少し疲れたから公園によっていきたいと小糸が言った。大事そうに大きなぬいぐるみをずっと抱え続けていたからだろうか。
「これ、ありがとう。」
愛おしそうにクマのぬいぐるみを小糸はなでた。顔を少し埋め、息を吸い込む。
「大事にするね。ずっと前にもらった熊も大事にしてるんだよ。」
「ファンから貰ったもの全部大事にしてたよね、小糸はしっかりしてたから。
その熊ファンからもらったプレゼント置き場に放置しておくの?そんな熊そんなにいらないでしょ。」
やめろ。
小糸の顔を樋口は目だけ動かしてみる。小糸は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「円香ちゃんとファンの人達がくれるものはち、違うよ。」
「どっちも同じでしょ。私はもうアイドルじゃないんだから。」
やめろ。
「円香ちゃん、今日ちょっと変だよ。」
「アイドルになった小糸に私のことはわからない。」
小糸は泣きそうな顔をしていた。昔、一人ぼっちで困っていた頃の小糸の顔が重なるような不安げな顔がそこにある。だが、彼女はずっと昔の彼女ではない。もう小糸じゃない。
「どうして、アイドルをやめたの?わたしなんかよりずっと才能があったのに。」
「勉強が―」
「う、嘘だよね。円香ちゃんは私よりずっとできるからそんなわけないよ!!ずっと聞きたかった!でも、聞くのが怖くて!」
「疲れたから。愛想笑いをしてるのに。」
「それも嘘!円香ちゃんはアイドルを楽しんでいたよ!」
「私が楽しんでいたのはアイドルじゃない。それを続けるため。」
冷たい風が、身を切るような風が二人の間に吹いた。
「目論見は8割うまく行って、浅倉がやめて雛菜もやめてくれた。でも―小糸はやめなかった。」
「続けたかったことって何?」
「小糸がアイドルを始めた理由と同じこと。」
小糸を見る。小糸がアイドルを始めたのは、幼馴染といたいからだという事を樋口は気付いていた。乾いた声風をきるような声、自分たち以外に話すようなとても小さなそよ風が小糸の喉から発せられ理由を樋口に問いかけてきた。
「アイドルをやって次第に「私達」以外のものが増えてきたから。」
沈黙が流れる。風できしんだブランコの音が聞こえた。遠い昔にブランコに隣りにいたアイドルが乗っていてそれを押した記憶が何故か蘇った。もう戻れない。みんな変わった。
「ノクチルだけでやっていたときはそれで良かった。でも。私達以外のものが凄まじくたくさん小糸の中に入ってきた。知らないものや知らない世界を覚えてキラキラした瞳で喋る小糸は私の知っている小糸じゃなかった。だから―
小糸に戻ってきてほしかった。」
残酷な願いだ。大事な幼馴染に一生追いつくことのない虚ろの背中を追い続けさせたかったと自分はいっているのだから。小糸が言う自分たちは知らない人たちだ。それがひどく危うげだった。
トップアイドルまで上り詰めたひたむきさという輝きや何かしなければいけないという義理堅さや真面目さという今の小糸を作り上げた一等星のようなきらめきすら、小糸を苦しめるものになるナイフに樋口には見えていた。アイドルは小糸にとっての唯一のシェルターだ。そのため、樋口も小糸がアイドルになって成長していき、自信を、自分のやりたいことを獲得していくことはとても嬉しく感じていた。いずれ、自分のきらめきを見つけて、自分を愛せるのではないかと期待していた。しかし、それを自分の身勝手で壊してしまった。小糸が自分たちを見捨ててしまうのではないかという恐怖とシェルターがいなくても自分たちがいるのだから、小糸の心は折れてもは大丈夫だ、自分が支えるという傲慢さで。
「戻ることはできないよ。」
「そう。」
知っていた。隣りにいるトップアイドル、福丸小糸にとってシェルターはもはや私達じゃない。今のシェルターはプロデューサーやファンの人達だ。私達は取るに足らないただの幼馴染。ふと、サビだらけの壊れかけのジャングルジムが目の端に入る。あれは私達なのだろうか。
「わたしは…変わってないよ。ずっとみんなのことが一番、大好き。何が入ってきてもそれは変わらないよ!
だって…だめだめなわたしのことを一番初めに好きになってくれたのはみんなだもの!アイドルに始めてなってステージに立った時、わたし、みんなと一緒の衣装やメイクができて嬉しかった。みんなに少しでも近づけたかなって思ったんだよ!
はじめはわたしには似合わない衣装だったけれど、でも、みんなと一緒に踊って、笑って...、そんなことを続けているうちに似合わない衣装がわたしのものになっていっていくことがわかった。みんなと一緒にいてもいいんじゃないかって思ってたんだよ!みんなと一緒になって前を見れるアイドルの福丸小糸が好きになったら、みんなを愛すようにアイドルじゃない福丸小糸を好きになれた。みんながわたしを愛してくれたみたいに…。
今、わたしがアイドルをやっている理由も、昔のわたしみたいな人たちに頑張って前を向き続けていれば、いつか自分を愛せる自分になれるって信じてほしいからだよ。だから、すきだよって、頑張ろうって言い続ける!みんなが私にしてくれたみたいに!」
嘘だと思った。そんなものいるわけがない。とても、きれいな何かが。虚言だろう。信じるな。しかし、目の前にいるのはずっと一緒にいた福丸小糸だ。嘘を付くときの癖も何もかも知っている、大事な、幼馴染。その幼馴染が嘘偽りのない決意のこもった表情で自分を見つめている。ずっとずっと慣れ親しんだ顔が見せたことのない表情で自分に小糸自身の考えを伝えている。
「ふふっ…。」
「ぴえっ。」
「小糸って本当に引っかかりやすいよね。ちょっとからかっただけなのに。」
「えっ・・・もー、だめだよ!!!!そんなことしちゃ!」
「お詫びにクマのぬいぐるみ持って行かせて。」
「もー、しかたないな!ちょっとだけだよ!」
夕焼けの中を二人で歩く。目の前には3人の小さな幼稚園児が歩いてる。ひときわ小さい女の子が一生懸命、二人の女の子に追いつこうと歩いていた。彼女たちの笑い声が聞こえる。
「ねえ、円香ちゃん。」
「何?」
「あの小さい子、きっと幼馴染のこと忘れないよ。絶対。大切な友達だから」
「そう。」
小糸が樋口のあいた方の手を取り、握った。
「小さいとき、ずっとこうして隣で歩いてみたかったんだ。えへへ…。」
樋口は小さな手のぬくもりを感じた。後ろを振り返った。後ろをチラチラと見ないと危なっかしい少女の姿はそこになかった。横を見ると、虚ろを見ずに自分をまっすぐと見つめ、笑顔を返す友達の少女がいた。
「あのね、円香ちゃん、二人が友達でいてくれたからわたしはわたしのことがすきになれたんだよ。ありがとう。」
しっかりしていて、きれいで、無垢なもの。自分にはない輝き。ずっと憧れていたもの。自分にはない愛しいぬくもり。
どうか。
私が大事に育ててきた大切なものが、守ろうとしたものが
この手の中にある輝きが、ぬくもりが
いつまでもいつまでも
夜が来ず
続きますように。