TS転生お姉ちゃん♂は神威くんから逃げたいようです   作:B型

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心にいつも石川啄木

 ──誰かが泣いている。 

 

「……どうしたの、神威くん」

 

 壁から飛び出た橙色のアホ毛。できるだけ軽い調子で顔を覗かせると、案の定、べそをかいた幼い弟が膝を抱えて蹲っている。

 

「……別に……」

「また父さんに怒られた?」

 

 潤んだ青い瞳が無言で逸らされる。丸い頬がさらに膨れて、それが答えのようなものだった。

 その拙い抵抗をいじらしく思う。髪に土がついていたので払ってやろうとしたら、その下の皮膚に妙な膨らみがあるのがわかった。痛みにか、神威が僅かに汚れた顔をしかめた。

 

「大っきなたんこぶができてるよ」

 

 またごつんと一発、やられたんだろう。神晃が古い男だからなのか、それとも夜兎の習わしなのかは知らないが、神威は彼に、お小言と一緒に拳骨をもらうことが多かった。

 ──しかし、のんびりときょうだいらしい会話ができたのはそこまでで。

 私の背後を見て、神威が表情を引き攣らせる。なに、と聞き返すよりワンテンポ早く、

 

「ねえさん、危ない!」

 

 視界の隅に映るゴブリンもどき。襲ってきた、と理解するより先に手足が動いて。

 

「げべッ」

 

 裏拳が、そのイボだらけの顔面にめり込んでいた。

 個人的には軽い打撃のつもりだったが、拳をモロに食らったその体は優に数メートルは吹っ飛んでいき。はっと我に返った時にはもう遅く、ひび割れた壁で花開く現代アートだけがそこにあった。

 

「………………」

 

 先ほどの一撃のせいだろう、二の腕から指先にかけてが痺れるように痛む。しかし、そんなダメージ以上に私の頭を占めていたのは、焦り。

 

「……やべ」

 

 ──力のコントロールができていない。

 制御できない超大なパワーは不要に他者を害し、己の肉体さえ痛めつける。

 神晃にやんわり釘を刺されたことを思い出す。朔夜ちゃんは戦っちゃいけない。その力は他人も朔夜ちゃん自身も不幸にしてしまうから。

 そう言われたのにもかかわらず、またやってしまった。しかし後悔先に立たずとはこのことか、と嘆いていても何も変わらない。壁にめり込んで未だ動かないその姿に、スラム街育ちらしい解決方法が浮かぶ。

 

「……このまま川にブチ込めばバレないか、ちょっと神威くん足持って」

「弟に何させようとしてんだこの人!」

 

 人権という単語が腐臭を放つこの街では、特に問題ない処理の仕方だと思ったのだが。

 存外、倫理観に溢れているらしい彼に一発で却下されてしまった。

 

「じゃあどうやって誤魔化したら、」

「死体の隠蔽工作から離れて!?」

 

 そんな会話をしている間に、

 

「あ」

 

 息を吹き返したのだろう。壁からむりくり頭を引っこ抜いたゴブリンが、ほうほうの体で路地裏から逃げ去っていくのが見えた。……黙っていなくなればいいものを、か弱い女児(に見える存在)に一発KOされたのが気に食わなかったのか。

 

「っ、化け物が……!!」

 

 そんな余計な捨て台詞を吐いて、姿を消した。いっそそのまま死んでいれば良かったのに。

 

「……人のこといきなりぶん殴ろうとするようなヤツのほうが化け物だよ」

 

 ……何だか、どっと疲れてしまった。

 天人を殴った左腕はまだ痛いし、化け物と言われて気分が良い訳もない。

 

「ふー……」

 

 神威の隣にずるずると腰を下ろすと、申し訳なさそうに揺れる瞳と目が合った。もはやそれは拗ねた幼子の顔ではなく、いびつに大人びた表情。

 

「ごめん、ねえさん……帰ろう、外は危険、」

「神威くん」

 

 立ち上がろうとしたその手を、優しく引いて座らせ直した。……天真爛漫に見えて、この子は既にたくさんの我慢を覚えてしまっている。

 

「良いの。私のことは気にしないで。大丈夫だから」

 

 神威はこんな不出来な姉を守るよう、両親に言いつけられているのだ。母、姉、妹。彼の始まったばかりの人生は何かに縛られてばかり。

 

「……神威くんは優しいね」

 

 こんな言葉を吐くのが一番無責任だとわかってはいても、言わないではおれなかった。

 彼は優しい。優しく、ならざるを得ないだけだ。彼のありのままを受け止められるほど、私のほうが強くないだけ。

 神威は、何も言わなかった。私も黙って鉛色に濁った空を見上げて、ふと、頭に浮かんだこと。

 

「……一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」

 

 うつむいていた神威が、顔を上げる。

 

「……なに?」

「私が好きな詩のひとつ」

「詩?」

 

 教養のキの字もなさそうなこの星で育って、歳の近い家族の口からそういう単語が出てきたことが意外だったのか。微かに目を瞠ってみせる。

 

「一度でも俺に頭を下げさせた奴ら全員死にますようにっていう意味なんだけど」

「どういうことだよ」

 

 優しい神威。家族思いの神威。──まだ。

 

「お姉ちゃん、これを座右の銘にしてるの」

「いや過激派すぎるでしょ」

 

 私がいつか誰かに殺されるとしたら。

 それは神威なのだろうな、とぼんやり思った。

 いつか、きみは、

 

「だから、神威くんも────」

 

 

 

 

 

 ──暗がりで目が覚めた。

 

「…………神、威……」

 

 夢。伸ばした手が虚空を掻く。

 

「……ゆめ、」

 

 あれは、現実じゃない。改めて認識する。

 最近、眠ると昔の夢ばかり見る。

 鉄錆と汚泥の臭いしかしないドブ川だったけれど、私にとっては確かに日常だった。得難い煌めきだった。

 帰りたい、と思っているのだろうか。

 私には繋ぎ止められない日々だと、最初から諦めていたのに。何もかも終わった後にこんな悔やみ方をするなんて、とんだ傲慢だ。

 

「はあ……」

 

 舗装された作り話だと俯瞰する神の瞳と、今この瞬間を生きる私自身の心がばらばらになって、胸が苦しい。私には何も変えられない。……いや、何も変えたくないと思っている?

 そこで、自分がまだ生きていることにようやく思い至った。今まで何をしていたのかも。

 ぶつけたらしい節々が痛むけれど、手足は動くし、心臓はまだ止まっていない。いきなり現れた神威から逃げて崖から飛んで──それで、どうなったんだっけ?

 

「ここどこ……?」

 

 幸い、崖下でミンチになる最悪の事態は避けられたようだが。私は一体、どこに着地したのだろう。

 重い四肢を叱咤して、起き上がる。

 ……暗くて何も見えない。

 手探りで、壁伝いに這うように前へ進んで。おもむろに、さあっと目の前が開けた。

 

「……っ、」

 

 太陽の光かと一瞬身構えたが。

 私の顔を照らしていたのは、人工の冷たい白色光。どうやらここは屋内で──形も色もとりどりな人種が、照り映えるリノリウムのフロアにひしめき合っていた。

 誰も彼も、ぼうっと立ち尽くす私なんかには見向きもせず、せこせこと先を急いでいる。なんとなく、見覚えのある風景だった。

 まるで、

 

「……空港みたい」

 

 自然に、その呟きが口から出た。

 空港。そこで、少し引っかかった。空港に準ずる特別な場所が、銀魂の世界にはなかったっけか。

 幸い、その単語はすぐに記憶から取り出せた。

 

「ターミナル……?」

 

 私はうっかり洛陽から出航する船の一隻に落ちて、そのまま別の星に運ばれたと。どこに入り込んでどう辿り着いたかまでは定かではないが、つまりはそういうことなのだろう。

 

「とりあえずは良かっ……いや良くないな、」

 

 神威の魔の手から生きて逃げられたはいいが、新たな問題が雨後の筍のように発生している。

 今さらあの星には帰れないが、全く知らない星なんてもっと居場所がない。こちとら前世で海外旅行にさえ行ったことのない生粋の鎖国人間やぞ。やっていける気がしない。

 とにかく、外に出てみよう。

 

「傘持って来といて良かった」

 

 神威との戦闘の流れだったが、夜兎にとっては生命線である番傘が手元にあったのは、不幸中の幸いだった。急く気持ちを抑えて、おそらく出入り口らしき場所を目指す。

 

「……ふう、」

 

 それで目当ての出入り口はすぐに見つかったのだが。

 逆光で、外がよく見えない。番傘を開きつつ、足を踏み出して。

 ──そして、硬直した。

 

「え、」

 

 目の前に広がるのは、時代劇とスターウォーズを混ぜ込んだようなごった煮の風景。

 文字にすると意味不明な景色だが、ものすごく見覚えがあった。行き来する住民たちは見慣れた異形の天人──そして、和服ばかりを身に纏った老若男女。

 

「あの」

 

 たまたま脇を通り抜けようとした、江戸小紋の若い女性をとっさに呼び止める。

 

「ここって……どこですか?」

「え?」

 

 黒髪をかんざしで纏めた彼女は、明らかに場違いな質問に怪訝な顔をしたが。それでもこちらを面倒がったり邪険にしたりはせず、

 

「江戸ですが……」

 

 そう、教えてくれた。

 江戸。私が教科書で学んだ絵面とはだいぶ異なるが、なんたってここは“銀魂”の世界。

 それは問題ない。問題ない、のだが。

 

「……密入国だこれ……」

 

 会釈した女性が足早に立ち去って、まず頭に浮かんだのはそれだった。

 無論どの星でもそうなのだが、はからずも妹と同じ星で同じ罪を犯してしまうとは。

 次に、

 

「これからどうすればいいんだろう……」

 

 どこに行けばいいのだろう。

 今の私には、比喩ではなく何もない。

 ……地球の江戸ときて神楽の顔が浮かばなかった訳ではないが、それでは本末転倒だ。私は私のことを放っておいてほしかっただけなのだから。

 江華が死んで。家族がばらばらになって。原作から退場できるチャンスかと思いきや、神威に追いかけられるわ、江戸に流れ着くわさっそく散々だ。求めていないハプニングである。

 

「はあ……」

 

 またため息。神楽に見られたらまた心配されてしまうな、と頭の表面だけで考えた。

 そこに、

 

「きゃああッ」

 

 ──つんざくような悲鳴。

 さらに嫌な予感、と肩を竦めるより早く、

 

「え──えいりあんだああっ」

「逃げろォ!」

 

 誰かの叫び。ご説明どうも、だ。

 嫌なことは続くもの、と言っても、限度があるだろう。つい、悲鳴が聞こえたほうを見てしまった。案の定というべきか、エイリアンエイリアンしい巨大な紫色の塊が、ずるずるとのたくりながらこちらに迫ってくるところだった。

 エイリアン初めて見た、なんてはしゃぐ気には到底なれなかった。

 

「……トラブルの宝石箱やぁ、」

 

 戦闘狂のきみまろみたいなセリフが出た。

 わんこそばのようにハプニングが襲い来る、実に“漫画らしい”展開ではあるが、実際に巻き込まれる側としてはたまったものではない。

 

「危ない!」「イヤあっ!」

 

 未知の生物において何ら抵抗する術を持たない一般市民が、さっそく怪物にさらわれている。

 この状況で事態を解決してくれそうな集団、

 

「真選組とか、いないの……? この規模だとあんまり頼りにならないか、」

 

 我ながら素晴らしい手のひら返し。

 なんたって相手は大通りを埋め尽くす巨体、ついでに街のど真ん中。政府のお役所仕事に任せていたら普通に死人が出そうだ。

 ──夜兎に生まれついておきながら、目の前でみすみす人を死なせるなんて、後味が悪すぎる。

 そんな思考が頭をよぎる。

 我ながら薄汚いノブレス・オブリージュだ。それに、神威との戦闘の傷も癒えていないし。

 彼の言うように、私は“出来損ない”だし。

 けれど、

 

「クソ、なるようになれっ」

 

 今のどん詰まりな状況に、目覚めの悪さまでプラスされたくない。

 ただそれだけの理由で、走った。この行為がどんな結果を生むかまでは考えたくなかった。ただ、目の前で死にかけている人間だけが全てだった。

 蜘蛛の子を散らすように逃げていく町人とは反対方向へ。手足をくねらせる怪物めがけて、まっすぐに。

 こちらを捕まえようと伸びてくる触手の一閃をスライディングで避け。懐に入り込んだところで閉じた番傘を思いっきり、振り上げた。

 

「──おりゃあ!」

 

 鈍い手応え。ぶよぶよとした皮膚が破ける感覚が、獲物越しに伝わってくる。

 気持ち悪い、と身を竦ませるより早く、怪物が巨体に似合わない金切り声を上げて。それが断末魔となったらしい。弾けて飛び散る紫色の体液と太陽を避けるべく、番傘を広げる。

 まあ、このくらいなら仕留めること自体は余裕なんだよな──と内心で自己肯定感を上げてみた。すぐに虚しくなってやめた。

 

「うべ」

 

 触手に捕まっていた女性は、うら若き乙女が出してはいけないような声を出して、ぶよぶよの亡骸に墜落した。いいクッションになったのではないかと思う。

 さて、人命救助は終わった訳だが。

 ふと後ろを振り返って、

 

「……た、倒した……」

「一撃で、」

「ナニモンだ……?」

 

 少し、ぎょっとした。たくさんの目、目、目。好奇の視線が私を照りつけている。

 

「………………」

 

 居心地悪くて、番傘の下で縮こまる。“夜兎”という名は聞いたことはあっても、普通の人間と見分けがつかなければ意味が無いのだろう。

 くそう、何もかもこいつのせいだ。

 八つ当たりで死骸を軽く蹴り飛ばして、ふと。

 

「……まさかこれ、またハタ皇子のペットとかじゃないよね?」

 

 こんなところでお縄じゃ笑えない。もっと笑えないことに、こちとら関係ない余罪がたんまりあるのだ。

 

「うまく説明してくれよな命を助けたお嬢さん……ってもういねえ」

 

 五体満足だったのは何よりだが、捕まっていた彼女はとっくに逃げ出したところだった。

 あーあ、これからどうすりゃいいんだ。がりがりと、ぼさついた髪をさらに掻き乱す。女性らしく、を意識して気を遣ってきたところだけれど、今はもうどうでもいい。

 

「はあ、……ぁ、?」

 

 何度目かのため息をついて。

 目をやった人混みの中に、覚えのある姿を見かけたような気がした。

 いや、覚えがあるというか、

 

「……さ、……」

 

 視線が絡み合って。驚愕に目を瞠る彼女が、何かを言いかけた。

 他人の空似などではない。これが漫画の世界だというのも関係ない。──どこの世界に、妹の姿を見間違える姉がいるだろう。

 

「かぐ──」

 

 思わず飛び出したその名は、

 

「朔ねえっ!」

「ぐえ」

 

 他ならぬ彼女の体当たりでキャンセルされた。タックルの勢いで飛びついてきた妹──神楽は、セミのように私の体にしがみついて、胸元に激しく頬ずりしてくる。

 おお、少し見ないうちにまた成長したような。まあ14歳といえば成長期真っ只中だからな。

 

「この硬さ……確かに朔ねえアル!」

「神楽ちゃん私のこと胸で判別してたの?」

 

 ……感傷に浸っている間に聞き捨てならないセリフが聞こえた気がした。

 そりゃある訳ねえべ男なんだから。微乳以前に無乳ですが。ペラッペラのカッチカチやぞ。

 しかし、どんな偶然か、ここ数日でもうしばらく顔を合わせないだろうと考えていた家族に立て続けに再会してしまったな。あとは神晃に会えばコンプリートだが、今の状況では厄介ごとのフルハウスが完成するだけだ。

 

 ──会いたくない、と考えていた矢先に向こうからやってきてしまった。

 

 素直に喜べないまま、体重を掛けてくる軽い体を抱きしめ返す。マジでトラブルの宝石箱。どうなってるんだこの世界のフラグ管理。

 

「神楽ちゃーん!」

「おい、勝手にどっか行くなって!」

 

 ……案の定、上司コンビも一緒だったらしく。

 道の向こうから、若い男2人が彼女を呼びながら走ってくるのが見えた。こちらも当然、見覚えがある組み合わせ。

 

「あれっ、倒されてる……」

 

 まず揃って事切れた怪物を見やり。

 次に、その傍らで抱き合う私と神楽に目をやる。微妙な顔の彼らは開口一番、

 

「えっ……どちら様?」

 

 それはそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──同日、万事屋のリビング兼客間にて。

 

「紹介するアル、私の姉貴ネ」

 

 隣に座る神楽の簡潔な説明を受けて、テーブルを挟んだ男2人の胡乱な瞳が私を観察してくる。

 今さらだが、彼らは仕事としてあの怪物を追いかけ回していたらしく。結果的に私がそれを横取りする形になってしまったらしい。

 

「えっと……さ、朔夜です……どうも……」

 

 言語化できない居心地の悪さを感じつつ、とりあえずご挨拶。……ぎこちない会釈だけが返ってきた。そりゃそうか。

 

「こっちは銀ちゃんとメガ……新八」

「今メガネって言いかけなかった神楽ちゃん」

「私の舎弟どもアル」

「こいつ息を吸うように嘘ついてくる」

 

 さっそく虚偽の申告に非難轟々だが、父からメンタルの強さを受け継いだらしい神楽はしれっと

 

「朔ねえ美人だけど、イヤらしい目で見るなヨ」

「誰が見るかこんな絶壁まな板娘ッぐぼァ」

「イヤらしい目で見るなっつったろ」

 

 理不尽にもソファごと蹴り倒される万事屋の主こと銀時。隣の眼鏡が巻き込まれている。

 絶壁も何も男ですが、胸はなくても股間には立派な膨らみついとるわ──とはさすがに言えないので、苦笑でセクハラを受け流す。

 いやそれにしてもどいつもこいつも乳を見すぎだろ、詰め物でもするか?

 

「んふふ」「わ、」

 

 ころん、といきなり膝上に寝転がってくる神楽。股間に近い場所に顔があると心労がすごいのだが、さすがにそれは言い出せない。

 久しぶりに会った反動か甘えモードが振り切れているらしい妹が、嬉しさが隠しきれない声音で呼びかけてくる。

 

「ねー、朔ねえ、なんでこっち来たアルかー? 私に会いたくなっちゃったとかー?」

 

 なんで。端的に言えば、偶然の産物というか運命の悪戯でしかない訳だが。

 言えない。余計に言える訳がない、神威に追われてここまで逃げてきたなんて。

 今ここで誤魔化すのが最善とも思えなかったが、事実を口にして起きるトラブルとどちらがマシかなんて、今の私には判別つかなかった。だから、延命措置の意味も含めて私は前者を選んだ。

 努めて平静を装って、彼女のきっちり整えられたお団子頭を撫でる。

 

「……そうだね。お姉ちゃん、寂しくなっちゃって」

「そーだと思ったネ! やっぱり朔ねえには私が必要アルなー」

 

 ふふん、と胸を張ってみせる。申し訳ない気持ちを覚えない訳ではなかったが、少なくとも今はこれ以上トラブルを巻き起こしたくなかった。

 

「今日は一緒に寝るアル。うふ、朔ねえ、あのね、神楽いーっぱい、喋りたいことあるネ」

 

 ──銀時や新八、それに神晃の前では気丈に振る舞っているように見えていたけれど。

 本当は、こうやって甘える対象が欲しかったのかもしれない。なつくように手のひらへ擦り寄ってくる柔らかいほっぺたを、タンパク質の収縮に逆らわない程度につまむ。原作には存在しない同性(じゃないけど)のきょうだいの存在が、何か彼女に影響を与えたりしているのかも。

 

「おいおいベッタベタじゃねーか」

「神楽ちゃんが妹してる……」

 

 で、おそらく原作ではお目にかかれないデレっぷりに、まさしくえいりあんを見たような顔をする2人。

 それから、仲介になるべき近親者が使い物にならない状況にさすがに危機感を覚えたのか、新八がやんわりと横槍を入れてくる。

 

「えっと朔夜さん? は、今日というか、今後泊まる場所とか……」

「……すみません、決まってなくて」

 

 話を進めたいところ悪いのだが、今の私は不法入国ほやほや、どこに出しても恥ずかしい文無し宿無し玉有りの夜兎なのである。つまり、建設的な会話などできようもない。

 なんかこいつも厄介な事情がありそうだな、という内心を露わにする新八、早く飯食って寝たいが顔から滲み出る銀時。そして神楽は、

 

「ここに泊まればいいアル」

「は? お前何勝手に決めて、」

「オマエ歌舞伎町の夜にか弱い朔ねえ放り出すつもりアルか? 血の雨が降るヨ、朔ねえに群がる変態どもの」

「いや何も心配いらねーだろそれなら」

 

 神威譲りの傍若無人っぷりを遺憾なく発揮し、コミュ障の姉の代わりに宿をぶん取ってくれる構えらしい。やり口がほぼ野盗。

 

「銀ちゃんそんなカリカリしてるとハゲるヨ……ふぁあ、」

 

 明らかに特定の人物を想定した悪態の最中、大あくびをついてみせる。疲れが今になって出た、という雰囲気だった。

 

「神楽ちゃん、疲れちゃったの?」

「んー……大丈夫アル」

「ねえ今ハゲるっつった?」

「お仕事頑張ってたんでしょ。寝ていいよ」

「でもぉ……寝たら朔ねえ……」

「俺の話聞いてる?」

 

 子どもはせわしない。さっきまで元気そうだったのに今はもう寝る寸前、といった感じだ。

 

「大丈夫。どこにも行かないよ。明日、またいっぱいお話ししよう?」

 

 私が何を言っても寝てしまうだろうなと思ったが、とりあえずそれだけ言い添えておく。彼女の眠りが少しでも良いものになるように。

 前髪を梳くように撫でて、それが最後のひと押しになったらしかった。瞼が降りて、呼吸が規則的な寝息に変わる。

 

「……寝ちゃった」

 

 男の膝なんか枕にしても寝心地悪いだろうにと思ったが、神楽はすやすや寝入っている。

 そのタイミングを見計らってか、新八が再び声を掛けてきた。

 

「お姉さん……なんですよね?」

「まあ……ええ、」

 

 色んな意味で肯定できない名称だけれど、今はまあ、とりあえず。しかし、その中のひとつには新八も疑問を抱いたらしく、

 

「なんか、あんまり似てなっ、だァ」

 

 スパコーン、と良い音がした。銀時が丸めた新聞紙で新八の後頭部を引っ叩いた音だった。

 

「何すん、────」

 

 新八は反射で銀時に噛みつこうとして。

 

「あ、……す、すみません、」

 

 自分の何気ない呟きが、どんな意味を内包していたのかに察しがついたらしかった。しかし、こちらも傷つきなどしない。わかっていることだ。

 

「……お察しの通りですよ。神楽ちゃんもさすがに気づいている頃かも」

 

 ──現に、神威はそれを看破していた。

 もう姉ではない、と言われた。

 

「でも、変わらず姉として接してくれている。……私にはもったいないくらい良い子です」

「良い子は雇い主をマッチポンプの挙げ句足蹴にしねーだろ」

 

 銀時は、そこでひとつ息を吐き。膝上で眠る神楽を何とも言えない表情で見やって。

 

「つーかアンタ、こいつのこと連れ戻しに来たんじゃねーのか?」

 

 ……なるほど、私は未来の神晃と同じポジションだと思われていた訳か。

 どちらかといえば、かつての神楽に近い根無し草のポジションなのだけれど。

 

「……いいえ。神楽ちゃんが地球に行ったことは私も知っていました。新しい星で大変なこともあるだろうけど、あの故郷にいるよりは何もかもマシだと思ったからです」

「ついて行ってやりゃ良かったじゃねーか」

「私では彼女の重荷になってしまう」

 

 語尾を食うように放った言葉に、銀時がぴくりと銀色の眉を寄せた。

 そこまで言っておきながらなぜ、ここにいるのか。新八も触れなかった核心に、彼の淀んだ瞳が触れようとしていた。

 

「……矛盾していると思われるでしょう。私も、本当は一人で故郷に骨を埋めるつもりでした。でも、あそこにはもう戻れない」

 

 今のところは、戻る手段もない。

 

「ここに辿り着いて、あなた方に出会ってしまったのは本当に偶然です。……神楽ちゃんには、もう私という存在に縛られず幸せを掴んでほしかったけど」

「……戻れない?」

「今は……まだ話せません。言えないことばかりで申し訳ないのですが」

 

 怪しい、と思われるのは避けられないだろう。

 出稼ぎだとあっけらかんと語ってみせた神楽とは全く違う。……銀時には話してしまおうかとも思ったが、神楽は寝てはいるが側にいるし、彼もまたお家騒動に関わってくる身だ。

 沈黙を貫く意思が伝わったのだろう。

 銀時は、がりがりと天然パーマを掻き乱して。それがひとまず白旗の合図だった。

 

「……なんでウチにはこー厄介なヤツばっかり集まってくるかね」

 

 捨てゼリフとともに、ふらつきながら席を立つ。背を向けて、その最中にぼそっと、

 

「とりあえず……今日はいいけどよ。面倒な仕事肩代わりしてくれた恩もあることだし」

「銀さん、」

 

 遠回しな容認の宣言。

 なぜか私より嬉しそうにしてみせる新八を横目に、とりあえず、頭を下げておく。

 

 ──これから私、どうなるんだろう。

 

 そんな疑問をぼんやり噛み締めながら、その不安を誤魔化すように、神楽の柔らかい髪を指先に絡めた。

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