暑いのはあまり好きじゃない。
制服のシャツが背中に張り付くし、少し汗っかきなところがある俺にとっては、そう過ごしやすい気候でもないからだ。
太陽は通学中に何回制服の袖で汗を拭かせるつもりなのだろう。学校まではまだまだあるんだぞ。
……横断歩道、なかなか変わらないな。
「ふー、ふー、疲れたねぇ」
おばあさんがいるな。しかも結構な大荷物だ。
あれだけの荷物をもってこんな時間にどこに行くんだろう。
ふむ。
「おばあさん、随分なお荷物ですね」
「ああ、お兄さんごめんなさいね。邪魔だったわね。今どきますね」
「いえ、気にしないでください。……どこか行かれるんですか?」
「なんでも孫が熱を出したらしくて。今から休めない息子夫婦の代わりに看病に行く予定なんですよ」
「その荷物を持って、ですか」
「ええ、車は運転できないし、タクシーを使うほど遠くもないですから……」
頑張らないとね、とおばあさん笑うけど、聞けばお孫さんのいるところは結構な坂道だ。老人にはちょっときついだろう。
時間は……ぎりぎり、間に合うか。
「わかりました。じゃあ、おばあさんのお孫さんのところまで俺が背負って送りますよ。俺が走ればそんなにかからないと思います」
「あら、でもそれはお兄さんに悪いんじゃ無いかしら……」
「大丈夫です。俺、鍛えてますから」
「まあ、お顔をそんなに歪めて、どうしたの? どこか痛むかしら」
「これは笑顔です。さ、お気になさらず背中にどうぞ」
「でも……」
「俺も風邪をひいたお孫さんのためにしたいんです。もし俺に遠慮があるのならそれは傍に置いといてお孫さんのことを考えてあげてください」
「……じゃあ、お願いするわね。ありがとう、お兄さん」
「いえいえ。じゃあ走りますね」
一応おばあさんが落ちないように足を固定して、と。学バンは……あとで取りに来ればいいか。そこらへんに置いとこう。
ずん、とした重みを感じつつも、走る。
「お兄さん足早いのねえ」
「鍛えてますから」
「……でも笑顔は下手ねえ」
よく言われますよ、おばあさん。
ん、あそこにいるのは同じ学校の人……かな。何回か顔を見たことがある気がする。
「おはよー、ふぇーいとちゃんっ。あー、やわらかー」
「きゃあっ! も、もー! 朝からいきなり胸触らないでよぉっ」
「わはは、ごめんごめん。いやー、ついな?」
「びっくりしちゃうから、明日からはやめてよね」
「それは、約束できかねるなぁ……これは、私のライフワークやから!」
「……なのはに言いつけるよ」
「ごめんなさい」
「早いね」
「だってなのはちゃん怒る時はちゃんと怒るやんか……あれ、3-Cの空見くんと違う?」
「誰? あのお婆さんを背負ってる人?」
「そうそう、知らへん? 海鳴の走る人助けマシーン」
「ああ、なんかそれは聞いたことあるかも」
「今日も人助けやってるんやねぇ」
風に吹かれて喋っていることはよく聞こえなかった。まあなんでもいい、今は俺も忙しい。
しばらくおばあさんの道案内で進み、五つ目の角の横断歩道を渡ったあたりでお孫さんの家に到着する。
「本当にお礼はいいのかい? お茶くらい……」
「ご心配なく。俺もこのあと学校ですから」
「お兄さんも人がいいわねえ。こんな年寄りなんかに親切にして」
「いえ、俺は俺のためにしかなんでもやってないので」
「……?」
「お気になさらず。では」
頭を下げて、学校へと走る。
まだ今ならきっと間に合うはずだ。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
いつか読んだ本に、「習慣は性格になり、性格は運命になる」と言うようなことが書いてあった。
道端でゴミを捨てればそういうのが当たり前の人間になる。
なんとなく見かけたアリを潰し続ければ、いつしか人にも手を出す人になる。
それを聞いてなるほど、と思った。
そりゃ確かに悪いことなんてするもんじゃない。
なら、自分が良いことだと信じることを続ければ、それはいつしか性格になって、俺を変えてくれるのだろうか。
わからない。
その答えは、まだ俺の中で出ていない。
だから今俺は、俺が正しいと思うことを続けるしかないんだ。
「ん、なんだあれ」
坂を駆け降り、いつもの通学路に出たあたりで空が一瞬光った。
飛行機だろうか。
いやそれにしては光が多かった……気がする。
まだ太陽も高いのに流れ星でも見えたのだろうか。
「……ま、今はまず学校に急がなきゃな」
このままでは遅刻してしまうからな。
「で、アンタは学生カバンを道に置きっ放しのまま学校に来たと」
「そういうことになる」
「バカじゃないの?」
「俺もそう思う」
「真面目くさって頷くとこじゃなくない?」
「先生に死ぬほど呆れられた」
「そりゃそうでしょ。あたしでも呆れるわよそんなもの」
俺の前の机に座るアリサ──アリサ・バニングス。去年同じクラスだった──が呆れたようにため息をついた。
「ああ、わかった。アンタそれで罰として、こんな放課後の教室で一人ぽっちでプリントの整理してるんでしょ」
「いやこれは普通に先生が忙しそうだったから引き受けただけだ。罰は別でもう受けた」
「わざわざ? アンタもほんとお人好しね……」
「俺には過ぎた褒め言葉だ」
「でもよく言われるんでしょ」
「……それは事実だが、なんだか騙しているようでそう好きになれん」
「相変わらず不器用ね」
「いきなり器用にもなれんだろう」
「少しは変わりなさいというハナシ。なんで笑顔一つ満足にできないのよ」
「む」
「そのせいで何考えてるかわからないーってビビられてんのよ。ほら笑顔ーにこーっ」
「にこーっ」
「オーケー、あたしが悪かったからやめときましょうか。あんたが浮かべてるのは笑顔の死骸よ」
「まだ生まれてもない笑顔が既に死んでいる」
南無。
「はあ。こういうのってどうやったら改善するもんなのかしら」
「風呂上がりに表情筋のトレーニングはしている」
「アンタの場合そのトレーニングが実を結んでないのよね」
「残念で仕方ない」
「……ほんとにそう思ってる? なんかアンタの笑顔下手な理由は心の問題な気がし始めたわね」
「心?」
「なんかアンタが本気で笑いたいって思えるきっかけでもないと上手く笑えないんじゃないの」
「例えばどんな?」
「それあたしに聞くんだ……」
「アリサが振ってきたんだろう」
なら答えをくれてもいいだろう。
そう言うとアリサは、「それもそうね」と零し、顎に手を当ててしばらく考え込む。
そして、しばらくしてから、一つ一つ思考を丁寧に積み上げるように口を開いた。
「それこそ、誰かに恋をする、とか」
「……」
「……」
「…………」
「な、な、なんか言いなさいよぉっ!」
「あ、ああ、なんだ、アリサ結構ロマンチストだな」
「うっさいっ!!!」
怒られた。自分で言い出したのに。
そんなに顔を赤くするくらいなら言わなければよかったのに。
「まあ、ありがとう。恋をする、心には留めておく」
「ま、真面目腐った顔で言うんじゃないわよっ!」
「ならどんな顔で言えばいいんだ」
「繰り返すのやめなさいって言ってんの! このお人好しの人助けマシーン!」
お人好し、な。
「俺なんて『彼女』に比べたら、自己満足もいいところだと思うがな」
「……ま、比べる対象が悪いと思うけどね」
「かもな。しかし、本物は『彼女』だ」
よし、これでプリントの仕分け終わり。
こっちはまだ使えるから職員室に持っていって、こっちは後でゴミ捨て場にでももっていくか。
「よし、俺は職員室に寄って帰るがアリサは」
「……はあ、あたしも帰るわよ。
アンタが困ってるなら手伝ってあげようかと思ったけどいらなかったみたいだし……なによその顔は。意外だったとでも言いたげね」
いやそんなことはないんだが、どうにもどんな顔をすればいいのかわからない。
とりあえず笑ってお礼は言っておこう。
「ありがとう」
「顔怖っ」
「……」
やっぱり笑顔は難しい。
昼休みのうちダッシュで取りに行った学生カバンを肩に引っ掛けると、捨てるものとそうでないものと仕分けたプリントの束をそれぞれ段ボールに入れて持ち上げる。
よっせっと。
「おー、二つなのに軽く持つわねー」
「まあ鍛えてるからな」
「ふーん。もう部活に使うわけでもないでしょうに。……腕太いわね」
「待て何触ろうとしている」
「いいでしょ別に減るもんじゃないし」
「なんだそのセクハラ親父のような台詞は」
「うりうりー」
「こらこらやめろ」
その程度で段ボールをおとしたりはしないが、やっぱちょっとくすぐったいからな。
「じゃ、あたし下駄箱こっちだから」
「ああ。話し相手になってくれてありがとう」
「いーのよ別に。何もしてないし」
あんまお節介しすぎないで帰りなさいよ、と言い残して帰るアリサにじゃあな、と声をかけ俺は職員室へ。
教室は2階で職員室は3階だから少し階段を登らなきゃ行けないが、今朝おばあさんを背負って走ったことを思えば軽い軽い。
手早く職員室に再利用用のプリントを持っていくと、残りの廃棄用のものを運ぶ。
確かゴミ捨て場には、古紙回収も来てたから燃えるゴミじゃなくてそのまま段ボールで置いといてよかったはずだ。前用務員さんを手伝った時そう言ってた……気がする。
にしても、アリサと話したの久々だったな。前はよく話してた気がするけど最近あんま話してなかったからな。
そんな俺が教室で一人でなんかしてるからって声かけるとかつくづく人がいい。ツンケンしてるけど根が委員長気質だ。
「……お人好しなあ」
思えば不思議な漢字だ。
人が好きと書いてお人好し。
意味合いとしては漢字の成り立ちとかが関係してるのかもしれないけど、『人が好き』で人が良いって読むんだ。
人が好きな人は、人に優しくなる。
優しい人は好かれやすく、みんなに『良い人』だと思われる。
そんなこの世界の真理を表してるように思うこの言葉。
「考えれば考えるほど俺には当てはまらない言葉だな」
そう、その言葉が似合うのは『あの子』の方だろう。
「にしても遠い、ゴミ捨て場」
ウチの学校、いいとこの附属中学だから校舎もやたらと広いんだよな。
そのおかげで中等部でも学食があるし購買が使えるのはいいことだが、移動が少し面倒臭い。
いつもひーひー言いながら校舎を走り回っている今年56の教頭先生が少し気の毒になるくらいだ。
だからといって校舎を縮小するなんてことはなく、この微妙に便利で微妙に不便な日常は続いていくことだろう。
教頭先生は明日もひいこら言うんだろうし、購買は明日もいつも通りパンを買う生徒でごった返し、校庭からは部活に励む生徒の声が聞こえてくる。
変わらないからこそ、日常だ。
「って、危なっ」
反射的に避け、あ、しまった段ボール。
「あ、ああああぁぁ」
手、離しちゃったせいで蓋が開いて中身を盛大にぶちまった……くそう、こんな外で。
「ていうか今のなんだ」
なんかいきなり飛んできたけど、これは、サッカーボール?
なるほど、サッカー部か。ここ校庭だもんな、そんなこともあるか。
ええと、飛んできた方向的にボール探しにきた部員がどっかに……あ、いた。
「おーい、ボール飛んできたぞー」
「あ、すまん空見! それ俺たちのボールだ!」
「ボール、ここから蹴り返せばいいかー?」
「そうしてくれると助かる、けど……」
目線が下の方……ああ、散らばったやつか。
別にわざとじゃなかっただろうに人がいいな。
「気にするな。部活頑張れよっと」
転がったボールを足元まで転がし、蹴り返す。
よし、ちゃんと返ったな、よかったよかった。
「すまん、サンキュー! あとプリントごめんな!」
「おー」
プリント集めるか。さてダンボールは、と。
ん? あれ、あれれ? ダンボールがサッカーボールが当たった衝撃でボコボコになってる。
……こ、これ流石にもう使い物にならないよな。
いや待てそう判断するのは尚早だ。案外入れてみたらなんとかなるんじゃないか。
「取り敢えず半分くらい入れてみて……」
持ち上げてみた途端底が抜けて新しくでかいゴミが誕生した。
うん、ダメみたいですね。
「困ったな」
ほっとくわけにもいかない。しかしかといって一気に抱えて持っていける量でもない。
どうしたものか。
「きみ、もしかしてなにか困りごと?」
胸が、跳ねた。
いつの間にかしゃがんでプリントを拾う俺の隣に女の子がいた。
髪は秋の木漏れ日のように柔らかで、瞳は夏の空のように澄んでいる。
伸びた背筋は冬の朝を思わせ爽やかで、浮かんだ表情は春の風のように穏やかだ。
道に人知れず咲く花のようだと、そう思う。
派手ではなく、かと言って地味なのでもなく、ただとても自然にそこにいて、見た人の心を温かくする。
そういう、『人に好かれそうな』笑顔を浮かべた少女。
努めて、声を揺らさないように、動揺が伝わらないようにその質問に返答する。
「別に、困っては……いない」
「ほんとに? 私でよかったら……あれ、もしかして空見くん?」
この子を俺は知っている。というか知らない奴なんてほとんどいない。
この学校にいて、この子の優しさに間接的でも触れたことのないやつがいないのと同じだ。
──高町なのは。
やさしくて、かわいくて、色んな人に好かれる、『お人好し』。
「……アリサたちと一緒に帰らなかったのか、高町さん」
彼女は俺の質問に一瞬目を丸くしたものの、すぐにいつもの笑顔を浮かべて落ちたプリントを拾い集め始める。
「今日はみんな用事があるらしくて。私も自分のクラスの方で日直の仕事とか残ってたから、じゃあ今日はそれぞれでかえろーって」
「そうか……なんでプリント拾っているんだ」
「落ちてるから?」
「……そうか。すまん」
「困ってる時はお互い様……あれ別に困ってなかったんだっけ」
「いや、それは、嘘だ。その、困ってた。手伝うの手伝ってくれて、助かる」
「そっか。よかった」
……高町さんの顔をうまく見れない。
上手く言葉が出てこなくて詰まる。
心臓の音がうるさい。
高町さんは心からの善意で手を貸してくれてるのに、舞い上がりそうになる気持ちを抑えきれない。
「よいしょ、これで全部かな」
「ああ。助かった。じゃあ、それはどっかそのへん、えと、荷物。俺の荷物をおもしにでもして置いといてくれ」
「きみが今持ってるやつは?」
「これは、外のゴミ捨て場に今から捨てに行く」
「一人で?」
「俺の引き受けた仕事だ」
じっと高町がこっちを見る。
俺より少し小さいせいで自然とこちらが見上げられる形になる。
やっぱり、落ち着かない。
目が綺麗だなとか、まつ毛長いなとか、髪がつやつやだなとかどうでもいいことばっか考えてしまいそうになる。
「んー、じゃあひとつ提案ですっ」
「提案」
「私にも君のお仕事手伝わせて欲しいなって。これ今から持っていくっていっても、一人じゃ無理でしょう?」
「いや2回行けばいい、から」
「でも私も今手が空いてるし、それに」
高町さんが自分のサイドポニーをくるくると指で弄びつつ、続ける。
「なんかここで自分ができることあるのに、やらなかったらなんかそのあとずっとモヤモヤしない?」
「……それは」
「ほら、君もちょっと私の気持ちわかったでしょー? だから今回は私の押しつけのお節介ってことで手を打って。よいしょ」
にこーっと笑う彼女は、そのまま傍に置いていたプリントの束を持ち上げる。
「おとと、案外重いね……あれ?」
ふらついていた高町さんの持つプリントの上の方、三分の一程度を持つと、自分の足元の束に足した。
「少し俺が多めに持つ」
「いいの?」
「先に引き受けたのは俺だ。当然だ。あと」
「?」
「その、君は女の子だ」
「ふ、ふふっ、なにそれ」
くすくすと笑う高町さんと二人でプリントを持ってゴミ捨て場に向かう。
なんてことはないただの雑用。けれど、その間もどこか足元がふわふわしてるような気がする。こうして重いプリントの束を持ってなかったら空に浮かんで行ったかもしれない。
「ふー、おもかったー。これ縛ったりしなきゃいけないのかな」
「ああ。ダンボールならともかく紙単体だとな。だからこのビニール紐で縛ってしまおう」
「すごいナチュラルにカバンから出てきたね」
「あって困るものじゃないからな。備えあれば憂いなしだ」
「普通の中学生の備えじゃない気がする……」
「そうだろうか。タオルとハサミとビニール紐と絆創膏と消毒液くらい入れてると便利だぞ」
「ちょっとした救急箱だねそれ。お菓子とかも出してくれそう」
「校則違反になるからお菓子はない……あ、栄養補給ゼリーが入ってる。いるか」
「それはお菓子じゃないかなー……」
そうか。
どれも持ち歩いてて損なものじゃないからな。
ゼリーはたべれるし、絆創膏とかは怪我した人がいれば手当てできるし、ビニール紐があればこうしてゴミをまとめられる……よし、できた。
「おつかれさま、空見くん」
「あ、ああ……。その、高町さんも、ありがとう。手伝ってくれて」
「ううん、気にしないでよ。何かあったらまた頼ってね」
微笑む高町に、ああ、と生返事。
「じゃあ、俺、帰るよ」
「うん。私も帰ろうかな」
「おう。じゃあ、また」
「うん、また」
手を振り俺と高町さんがそれぞれ歩き出した。
……なぜか同じ方向に。
えーと。
「俺、家こっち側なんだけど」
「え? あ、私もこっち側なんだ」
「あー、同じ方向、なんだな」
「みたいですね」
「その、なんで敬語」
「な、なんででしょう」
「……」
「…………」
「その、道同じなら、一緒に帰らない? ほら、なんというか、せっかくだし」
「あ、うん」
頷いてしまった。
いや、嫌とかじゃなくてメチャクチャラッキーなんだけども、ほんとにいいのか?
二人で並んで、歩く。
なにか話してるような気がするけど、何も話してないような気もする。
正直緊張でそれどころじゃない。
高町なのはが隣にいるというだけで、胸がうるさくて落ち着かない。
アリサと話す時は触られようが近くにいようがなんともなかったのに、なんでだろう。
「空見くんって結構身長高いよね」
「だろうか。俺としてはまだ伸びて欲しい」
「男の子ってどんどん大きくなってずるいなぁ。私なんかこの一年で1センチくらいしか伸びてないよ」
「まあ、確かに高町さんは、その、大きくないな」
「む。失礼な。大人になるまでには160センチくらいにはなるよ! たぶん!」
「……そうか。伸びたらいいな」
「やさしさが痛いよぉ」
「痛い? もしかして荷物を持たせたダメージが今? すまん、俺のせいだな……」
「あ、ごめん痛いってそういう物理的なのじゃないから大丈夫。私、元気」
「そうか。ならよかった。君を怪我させたとあっては親御さんに申し訳が立たない」
「親御さんって、なにそれ、ふふっ」
「なぜ笑う」
「いやだって、もー、ふふ、へんなの」
「……? 変なところで笑うんだな、高町さんは」
「変なの私じゃなくて空見くんだと思うけどなぁ〜」
「そうか?」
「そうですそうです。普通怪我一つで親のことまで考えないよ」
そうなのか。
…………いや、怪我させたら申し訳ないのは当然じゃないのか。
「ふふ、ふー、おなか痛いや。
ちゃんと話してみないとわからないことってあるんだね」
「?」
「いや、空見くんとは挨拶とかはしたことあったし、噂でも聞いてたんだ。海鳴の……」
「走る人助けマシーンか。同級生がふざけてつけたものだ」
「知ってるんだね。うん、そうそれ。
アリサちゃんなんかは君と友達だっていうから時々話も聞いてたんだけど」
「バニングスさんがなんと言ったかは知らないが実物はこういう男だ。すまないな」
「……んーん、謝るなら私の方だよ」
高町さんが?
隣を見ると、ほんの少し申し訳なさそうにサイドポニーを指でくるくると巻く彼女。
「挨拶とかはしたことあったし、顔も知ってた。
けど遠くで見てる時はどういう人なのかわからなかったから、ちょっぴり怖いなーとか思ってたんだ。ごめんね」
「それは、仕方ないだろう」
知らないやつが少し怖いなんて当たり前だし、何より俺は無愛想だ。
アリサ曰く俺の笑顔は死んでるらしいし。
「……君はそう思っても私にとってはそうでもないんだー。
実際話した君は、ずっとお茶目で、でも噂通りのところもあって」
ほにゃり、と目尻を下げた。
「あー、私はこんなに素敵な人のことを今まで知らなかったんだなーって。知らないことを、怖いことだと勝手に思ってた。
君にひどいことしてたなぁって思って」
「……褒めすぎだろう。それに、君の方が、ずっと素晴らしい人間だ」
「え、え?」
「普通の人は、わざわざ自分の気持ちを正直に伝えて謝ったりしない、はず」
別に心の中でなんと思おうが言わない限りバレない。別に俺になんと思っていようが黙って今日別れてしまえばよかった。
でも、高町なのはが俺に謝ったのは彼女が誠実だから。
その心の在り方は美しく思われこそすれ、卑下されるものではないと思う。
「だから、なんというか。その、あんまり申し訳なく思わず、今まで通り、あいさつとか、してくれると助かる……いや、あいさつ、しよう」
あまり、隣の高町さんの顔は見れなかった。
相当恥ずかしいことを言った気がしたから、その表情を直視する勇気がなかった。
「やっぱりもっと早く仲良くなっておけばよかったなぁ」
小さな声だった。自分の気持ちを再確認するかのような、小さな。
思わず声のした方に目を向けると、隣に既に人影はなく、二、三歩先へと進んだ高町さんが、くるりとこちらを振り返る。
夕暮れの斜陽に一瞬彼女の姿が重なり、その表情を濃く彩った。
「私、今日空見くんと話せてよかったっ」
眩しい笑顔だった。優しい笑顔だった。
今まで見た何よりも、美しくて、可愛らしいと、そう思った。
「──」
あ、なんだこれ。
胸の鼓動が早くて、うるさい。間違いなく100mを全力で走った時よりも荒い。
目の前の彼女から目が離せない。吸い寄せられるように、いや、離せないのでなくて、離したくない。ずっと、目の前の彼女のことを見つめていたくなる。
ああ、俺は今どんな顔をしてるのだろう。真面目腐った、いつもの表情を浮かべてるのだろうか。
だとしたら、それはほんの少し、嫌だった。
──それこそ、誰かに恋をする、とか。
不意に、アリサの声が蘇った。
なんで、こんな時に思い出すんだろう。
「空見くん?」
「あ、いや、なんでも、ない」
「そう……? あ、空見くんそこの公園の道右?」
「え、あ、そうだ」
「私左だから、ここでお別れだね」
お別れ。そうだ、今一緒に帰ってるんだ俺たちは。
道が同じ方向だったからって。俺たちの関係はそれだけで、だから、道が違ったら終わりなんだ。
「じゃあまたあした──」
「あ、あのっ! た、高町さん!」
「は、はいっ」
「その、なんというか、の、飲まないか、ジュース。俺、奢るよ、そこの公園で」
「へ?」
「いやあの今日手伝ってもらったお礼そう言えばしてなかったなって思ってだから何かしたいって思ってそれでジュース奢ろうかなとか、その」
「な、なんでそんな急に早口になってるの」
「……すまない。不審すぎるな腹を切らせてもらう」
「代償行為がものすごいね? せっかくだしお言葉に甘えちゃおうかな」
「お、ああ。任せてくれ」
公園の側にあった自販機で自分の分のコーヒーと、カフェオレを一本ずつ購入。「最近ハマってるんだ」とは高町さんの言。
俺のコーヒーの缶と、カフェオレのボトルとを抱えて公園に向かうと、高町さんはブランコに腰掛けてぎこぎこと揺らしてたいた。
もうすっかり夕方なせいか公園には他に人はいない。
「どうぞ」
「ありがとう。空見くんは……コーヒー?」
「ああ」
「ジュース飲もうって話だったのにどっちもあんまりジュース感ないのになっちゃったね」
「まあ、確かに」
「コーヒーはコーヒーだもんね。そういう飲み物って感じ」
「うん、カフェオレはともかくコーヒーはジュースじゃないな」
「えー、カフェオレもジュースじゃなくない?」
「でも甘いだろうカフェオレ」
「甘いけどカフェオレもコーヒーの仲間だよ」
「そうなのか?」
「そうなんです」
高町さんの隣のブランコに腰掛けてからプルタブを開ける。つめたいやつなので湯気は出ない。
「空見くんはコーヒー牛乳とカフェオレの違いが何か知ってる?」
「コーヒー牛乳とカフェオレ? 考えたことがないな。あるのか、違い」
「ありますあります」
「ううん……」
「しんきんぐたーいむ。ちっちっちっちっ」
「あ、これそういうのあるやつなのか?」
ダメだ飲む場所の違いしか出てこない。コーヒー牛乳は風呂上がりに飲むもの……いや、普通に探せばスーパーとかにも置いてあるよなコーヒー牛乳。
「ううん……」
「はいぶっぶー。正解はコーヒーとミルクの割合でした。
カフェオレはだいたいコーヒーとの割合は半々だけど、コーヒー牛乳は割合が決まってないんだよ」
「へえ、割合。ん? じゃあカフェラテとカフェオレはどうなるんだ。漠然と同じものだと見てたが」
「あれは豆の焙煎とかミルクの割合とかまた違うんだけど、ざっくりとカフェラテの方がミルクの割合が多いと覚えてていいんじゃないかな」
「へぇ。深いな、コーヒー」
「深いんですよ、コーヒー」
「高町さんは詳しいな。コーヒー好きなのか?」
「好きーっていうほどじゃないけど、おうちのお仕事の都合で自然と覚えちゃったって感じかな」
「高町さんの家……そういえば、喫茶店だったな」
「喫茶『翠屋』、お客様にとびっきりの幸せな甘さと心落ち着くコーヒーをお出ししてますっ。よければ来てみてね」
高町さんが、笑う。
その名前の通り、野に咲く花のように、やさしく、あたたかく。
ああくそ、かわいいな。
なんでただ笑ってくれただけなのに、心がぽかぽかするんだろう。
「空見くん?」
「へ?」
「あ、またぼんやりしてたでしょー」
「すまない。もう二度と聞き逃さないからもう一度良いだろうか。もし聞き逃したなら腹を切ろう」
「今回も反省が過大だね。ただアリサちゃんとは仲良いみたいだったからいつからの付き合いなのかなーって話だよ」
「アリサとは去年クラスが同じだった。色々世話になった」
「ふうん、そうなんだ。そうなんだー……」
ぎこぎこと高町がブランコを漕ぎ始めた。
どうかしたのだろうか。
「ブランコ、少し漕ぎにくいね」
「俺たち、中学生だしな」
「私、昔はここのブランコでよく遊んでたんだ。いつのまにかあんまり来なくなったんだけどさ」
「なんかわかる気がする。いつの間にか、来なくなってる」
「ね」
足がゆらゆらと揺れる。膝ほどまでのスカートの裾が、風を孕み膨らむ。
振り子のようにゆっくりと行ったりきたりするブランコの動きに乗って、栗色のサイドポニーもまた、揺れる。
「空見くんは『友だち』のなり方ってなんだと思う?」
唐突に、彼女は問いかけてきた。
友だちのなり方。
難しい質問だ。
なにせ明確なルールがある事柄ではない。
せっかくなったと思えば今度はちょっとしたことで友だちじゃなくなったりする。
曖昧で、迂遠なもの。
……のだが、俺は知っている。
高町なのはにとって『友だち』を定義するものがなんなのかということを。
「……名前で、呼び合うんだろう」
「もしかして、なんか聞いてたりした……?」
「君が思ってるよりも君は有名人だということだ」
高町なのはは友だちが多い。アリサたちはもとより、クラスメイト、その他困ったところを高町なのはに手を貸してもらった人たち。
そうなれば、少しくらい耳に入ることもある。
「好きなんだ。友だちに名前を呼ばれるのが。
なのはーって言われて、私も相手のことをちゃんと名前で呼んで。
そういう、お互いにお名前を呼ばれても良いよって思い合えるって事実が、嬉しいんだ」
「そうなんだな」
「うん、そうなんだ。
……まあ、友だちとかにはそろそろ中学生なんだし男子と女子のこととか考えなさいー、とか言われることはあるんだけどね」
「そうなのか」
「うん。そう言われると、中学3年生にもなって名前で呼び合うのは、そろそろあれなのかなーとか、思っちゃったり。にゃはは、難しいね」
「……俺は、良いと思うが」
「へ?」
「俺は、自慢ではないが友だちを作るのが上手くない。
どこからが友だちになるのか、そうなれるのかもよくわからん」
だから。
「高町さんみたいに、相手の名前を呼び合って友だちになれてしまう人は、本当にすごいと思うし、憧れる」
「……そう、かな」
「ああ。俺から見れば魔法みたいだな」
「魔法と、きましたか。じゃあ、私はきみにとっては魔法使い、だったり?」
「……かもしれないな」
隣で古時計のようにゆっくりと揺れていたブランコにブレーキがかかる。
ざざっと、音を立ててほんの少し舞い上がる砂煙。
「じゃあ、だよ」
高町なのはが、俺を見た。じっと。何かを決心するように。
「きみのなまえ、教えてほしいって言ったら、おしえてくれる?」
俺の、名前。
それを高町なのはが俺に聞いている。
それは……。
「そうか、俺の名前知らなかったか……」
「ち、ちがうよっ! しってる! しってるから!」
「でもおしえてって……」
「いやだから……っていうか私さっきから名字で呼んでたよね?」
「いやいいんだ、気を遣わせてすまない」
「もー! 私は君の口から聞きたいの! ちゃんと自己紹介しあいたいの! なんとなくわかってよ!」
「自己紹介」
「うん、自己紹介」
予想だにしなかった提案をオウム返ししてしまう。
もしかしたら目も丸くなるなってるかも。
黙り込んだ俺にほにゃりと笑う高町さん。
彼女はぴょん、とブランコから飛び降りると、目を瞑りゆっくりと言葉を紡いでいく。
「私、高町なのは。今年で15歳。家は喫茶店をしてて、将来の夢は……まだ考え中、かな」
そこまで言うと、ふう、と一息。
「えへへ、なんだか緊張しちゃうな。自己紹介も、これが初めてってわけじゃないのにね。君だから、なのかな」
名前。自己紹介。
簡単だ、空見に続く名前をいうだけ。
それで関係が変わる。今までの遠くで見るだけの、挨拶をするだけの関係から、変わる。
「あなたの名前を、教えてくれますか?」
花が咲いた。
それは、今日で何度見惚れたか分からない春の花。
「友だちに、なりたいんだ」
友だちになる。高町なのはの、この、女の子の。
憧れていた人だ。かわいいと思っていた人だ。話しているだけで、満たされる人だ。
それなのになぜ、俺は、
「俺、は……」
さっきからこんなことばっかりだ。
高町さんと一緒にいると、俺は俺のことがどんどんわからなくなってしまう。
「高町さん、俺は……」
彼女は俺の言葉を待っている。何も言わずに、ただ。
傾く夕日が下がっていく。
光が去り、闇にまどろむ時間が近づいていく。
そして、光と闇の重なる刹那──逢魔が時に、『星』は堕ちてきた。
ざわり、と肌が泡立つ。どこかで犬が遠く吠えるのが聞こえる。
視界の端で、電信柱に止まっていたカラスが羽を広げて逃げるのが見える。
ここにいたらダメだと、なんでかわからないけど、わかる。
見上げた空から堕ちる一条の光。
「高町さん、逃げ──」
そばに居た高町に声をかけようとして、星は地に堕ちた。
それと同時に周囲の時間が止まっていく。
羽を広げたカラスが空中で動きを止め、木々のゆらめきどころか風の一つも静止して、その中で『星』の衝撃は止まらない。
時間の動きが封じられた世界の中、手を伸ばした。
俺は、あの子を守らなきゃ、いけんだ。
だがそんな俺の思いを嘲笑うように、ごうっと光の津波が俺たちの体をさらう。
伸ばした手は虚空を切る。言葉すらも言い終われなかったその刹那で、視線が交わった。
ああ、こんな時でも本当に綺麗な瞳だ──。
少しだけ遅れて、爆竹を100個同時に鳴らしたような爆音と、花火を一箱まるまる一気に火をつけたような熱量が襲ってきた。
「──ぐ、が」
痛い。どこまで吹き飛んだ、まだ俺は公園の中にいるか?
クソ、目も眩んでるから、よく、見えない。
《
なんの声だ、これは。
俺じゃない、高町さんでもないだろう。
なら、あの堕ちてきたものの声なのか?
目を擦るとぼんやりと視界が元に戻り始めた。
そして、再び目を擦った。
星だと思っていた。あんなに眩しかったから。
けど、それは、『ソイツ』はとてもそんなものとは言えない見た目をしていた。
ずんぐりとした図体は影をこねて集めたように真っ黒。
ゆらゆらと揺れるせいで輪郭が安定してないくせに、口には牙があり、真っ赤な瞳が黒の中で妖しく瞬く。
星なんて、光なんて、もうこいつに言えるはずがない。
こいつは
空から落ちてきた、黒い影のモンスター。
そして、そいつの赤い目はじっと一点だけを見ている。
一体何を……。
「あれは」
俺のいる場所の反対側、モンスターを挟んでの向こう側に高町さんが倒れていた。
意識はないのかぐったりとしていて、顔色も悪い。
「高町さん──!」
早くあそこまで行かなきゃ。
俺よりモンスターに近い位置にいた。爆発だって、もっと近くで食らってたはずだ。
足がふらふらする。でも早く、早く!
なんだ? モンスターが俺の方を向いて口を開けた? 口の中に、何かが溜まって──。
《 ██████ 》
世界が塗り替えられた。モンスターの口から放たれたものを見た時に俺はそう思った。
それほどの閃光と、熱量と、威力だった。
なにせ、それは俺に命中せず俺の隣を通り抜けただけだったのに、その速度だけで俺を地に転がした。ついでとばかりに、俺の背後にあった鉄のジャングルジムを跡形もなく消しとばして。
「あ、あ……」
なんだよ、これ。なんなんだよ、今のは。
あんなの、俺に当たってたら、俺は、俺は、いったいどうなってたんだよ。
モンスターは地面に転がる俺には興味なさそうにすぐに目線を外すと、ズリズリと影のような体を引きずって高町へと近づいていく。
手が震えた。吹き飛ばされたまま立ち上がれない。
怖い。
あんなもの人の手に負えるものじゃない。
俺はただ普通に生きてるだけのやつだ。
特別なんかじゃない。素晴らしくもない。そんな人間なんだ。
ああくそ、なんでどこにも人がいないんだ。
街の中のはずなのに、人の声どころか気配も感じない。
まだ時は止まったままなのか。いつ動き出すんだ。
あのモンスターは人間の手には負えないんだ。
だから頼む誰か、助けてくれ。誰でも良い。警察でも軍人でも偶然通りがかった超能力者でもなんなら魔法使いだって構わない。
ああ、わかってるよそんなこと起こらないのなんて。
この世界に
でもじゃあ、誰が高町さんを、助けてくれるんだよ。
「…………ん……らみ、く……」
あ。
「う、ぉおおおおおッ!」
気づけば、高町の下に駆け出していた。
なんでかなんてわからないし、今だって怖くて仕方ないが、動かずにはいられなかった。
高町なのはを助けようと体は反射的に動いていた。
「そこを、どけぇぇぇぇえええええッ!」
握った拳をモンスターに叩きつける。
だが、効かない。
それどころかそもそも殴るという行為が相手に有効かもわからない。
ただ暖簾に腕押しをしたような手応えのなさだけが帰ってきた。
影の怪物は俺を鬱陶しそうに払いのける。
「う、ぐ……」
吹き飛ばされて、高町なのはの前に転がされる。
「うぐ、ぎ、ぎ……」
俺は、お人好しなんかじゃない。
こうして立ち上がってる今だって逃げたくて仕方ない。
体が痛い。なんで動いたんだ。勝てるわけもないのに。
俺のやったことなんて意味がないんじゃないか。
ああくそ、今からでも運良くコイツが消えてくれたりしないかな。
アリサは、俺のことをお人好しだと言ってくれた。
でも違うんだ。
俺は自分の『良い人間になりたい』という願望を、他人を助けることで満たそうとしていただけなんだ。
良いことをしてれば良い人になれるなんて、幼稚なことを考えていた。
他人のためじゃなく、徹頭徹尾、自分のためにしか動けない人間。
土壇場になれば
カッコ悪くて仕方がない、本当の俺。
「……はあ、はあ、なんで、だろうな」
俺の中にはいつからか、同じ学校にいる、挨拶くらいしか交わしたことのない少女への憧れがあった。
見知らぬ誰かに手を伸ばす。損得抜きで行動できる人。
誰かのために行動できて、そして誰かを幸せにする素敵な魔法が使える人。
そういう、『勇気』がある、人。
そうだ、俺は、ずっと、ずっと、憧れてた。
そんな『高町なのは』みたいな人間に、俺はずっとなりたかったんだ。
拳を握る。
目の前にいるモンスターへと目を向けて、震える心を必死に抑えつける。
それでも目を逸らしそうになって、自分の背後にいる彼女が目に映った。
頼むよ、俺。これっきりでいい。震えよ止まれ。
俺の後ろにいる子を守りたいんだ。
「だから、こいつに立ち向かう勇気を、絞り出せ」
影のモンスターが叫び、口の中に光を収束する。
やってくる絶望を前に、手は無意識に胸へと向かっていた。
「……熱い」
胸が、熱い。
恐怖で震えるこの胸の奥に、光る炎が燃えている。
これが勇気なのかな。
熱が血管を通って、腕を伝い、拳の先に集まった。
動ける。いま、守るために、身体が動く!
そして、眼前で破壊の光は解き放たれた。
「う、ぁぁぁあああああ!」
それに向かって拳を振るった。
悪あがき以外の何物でもない、けれど、いまできる俺の全力。
破壊の光と俺の拳が激突し、拳を跡形もなく吹き飛ばす。
──寸前、俺の拳から
「は?」
最初は弾けるだけだった光が、いつの間にか線となり、連なり、奔流へと変わる。
まさしく、『光線』。
光線は鞭を叩かれた馬のように虚空を駆け抜け、モンスターの攻撃と激突する。
が、それも一瞬のこと。光線は容易くモンスターのものを押し返し、そのまま相手を吹き飛ばしてしまった。
あんなに俺たちを苦しめてたあいつを、あっさりと。
「なんだ、今の……」
自分の手に視線を落とす。
なんら特別なことはない、何か変わった様子もない普通の両手。
でも、今俺の手から出た光は間違いなくモンスターを吹き飛ばして見せた。
「……あ、何か落ちている」
さっきまで黒い影のモンスターがいたところに落ちてるこれは……宝石、だろうか。
薄ぼんやりと光る菱形の結晶のようなものの中に数字が書いてある。
「これがあいつの正体なのか?」
ためつすがめつ、石を手の中で転がして、はっと今自分の背後にいる彼女のことを思い出す。
「高町さん、大丈夫か。俺の声が聞こえるか」
駆け寄り、ぐったりとしている高町さんを抱き起す。
が、未だ一向に意識は戻らない。
呼吸も浅く、顔色も随分と悪い気がする。どこかを怪我しているのだろうか。
「せっかく生き残れたんだここで目が覚めませんでしたなんてのは御免だぞ!」
無意識に拳を──その手の中にある菱形の宝石ごと握りしめていた。
「起きてくれ高町なのは! 俺はまだ! まだ……!」
手の中が、淡く光る。
「君に名前を教えてない!」
夢中で叫び、不意に、腕の中の彼女がせきこんだ。
「え?」
先ほどまで浅かった息が規則正しいものへと変わり、頬にも血色が戻って行く。
それだけに留まらず、高町さんは目をしぱしぱとと瞬かせて、小さく声を漏らした。
「ん、んん……」
なんでいきなり意識が、いやそんなことはどうだって良い。
「高町さん俺の声が聞こえるか?」
「ええと……あの、はい」
……あ。
「良かった……本当に良かった」
「……あの」
「あ、怪我とか大丈夫だろうか。痛いところとか。もしあったら、いやなくても病院には行っておいた方がいいだろうだいぶ荒っぽく吹き飛んだ。体の見えないところとかに怪我が──」
「あのっ!」
はっ。心配のあまり声が聞こえてなかった。
申し訳ない。もう二度と君の話は聞き逃さないことにしてたんだが。
ごめん、俺は君に言いたいことがあって。
「すみません────あなたは誰ですか?」
え。なんて、言った。
この子は、今なんて言ったんだ。
「誰、って、同じ学校の……」
「……クラスメイトの人、なのかな。そっか、『
あ、支えてくれてありがとう、と言って高町なのはが俺から離れる。
そして、まずはキョロキョロとあたりを見回して、自分の身体を見て眉根を寄せ、最後に胸に手を当てて「そういうことなのかな」とつぶやいた。
彼女が俺に目を向ける。
そこで、俺も遅まきながら──あまりにも遅すぎたけれど、ようやく気づいた。
彼女の表情が、俺の知る彼女のものでないことを。
俺の知る高町なのは春の花を体現した少女だった。
どこにでもいるような優しさと温かさを併せ持つ微笑み。
けれど、今の高町なのはは違う。
目が離せないい強い光を宿した瞳と自信と勇気をのぞかせる強い
それは、夜に見上げた星の眩さと、少し似ている。
心の奥で「こんな人は知らない」と誰かが言った。
「君は、だれ、なんだ」
心が溢れ出すように、その疑問は自然と言葉になった。
「私は、『高町なのは』」
その後の『彼女』の答えで、俺はわかった。
俺の知る彼女に、名前を呼んでもらう機会が無くなったのだということを。
「
少なくとも、今この時は。
「貴方の名前を、教えてもらえますか?」
・
この世界に暮らす魔法の才能がある鉄面皮少年。
つけられたあだ名は走る人助けマシーン。
・高町なのは
空見の憧れの人。
・『高町なのは』
原作の高町なのは。
空見の世界の高町なのはの体に意識が入り込んだ。
・空見のいる世界
高町なのはが魔導師とならず、フェイト・テスタロッサが姉と母親と海鳴に暮らしており、八神はやてが自分の足で歩き守護騎士たちと暮らす世界。
鉄面皮少年空見と、『高町なのは』。
この二人が出会うことで始まる物語。