向日葵畑で、君と   作:イナバの書き置き

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今年の夏はちょっと穏やかかもしれないと思っていたけど全然そんなことなかったので。
お前前回「行くところまで行ってるか書くのは野暮」みたいなこと言っといてこんな話書いてええんか?


番外編「10年後、ソファーにて」

 息抜きは大切だ。

 

 何せ、仕事にしろ絵画にしろどれだけ上手く行ってもいつかは必ず「煮詰まる」瞬間がやってくる。

 それは課題や壁にぶつかるとかそういう足踏みではなくて、単に脳ミソがオーバーヒートしているだけのこと。

 そういう時は、小休憩を取るとか作業の時間にリズムを作ると良いと聞く。

 25分の作業と5分の休憩を繰り返す……確か、ポモドーロ・テクニックとか言うんだったか。

 まあ詳しくは知らないが、兎に角区切りを付けるのが大切なのだろう。

 

 ──と言っても、それが中々難しい

 

 納得が行かなければ何度でも描き直すし、気に食わなければボツにする。

 何なら真っ白のキャンバスを前にして一日中唸り倒している日だってある。

 自分で言うのも妙な話だが、どうも俺は思った以上に妥協が出来ない性分らしかった。

 それで冬は倒れてしまったのだから当然自制すべきだとは思っているが。

 

 ──あれは良くなかった

 

 スピネルに格好悪い所は何度も見せてしまっているが、ああいうタイプの格好悪さは本当に良くない

 だって僕は長生きするつもりだから。

 受肉したとは言え妖精であるスピネルは僕よりずっと長く生きるに違いない。

 あまり魔術世界について知りすぎると危険だからとスピネル以外から与えられる情報は絞られているが、それくらいは僕にだって分かる。

 

 それでも、一緒にいたい。

 人として命尽き果てる最期の一瞬まで。

 不摂生なんかで早死にするつもりは毛頭ない。

 

 そう言う訳で、僕はある程度意味の無い無理を控える工夫を凝らすことにしたのだ。

 タイマーを置いて小まめに休憩するとか、アトリエじゃなくて母屋の方で休憩するようにするとか。

 他にも諸々。

 もう思い付く限りは何でもした。

 二川青年やら時々遊びにくるメリュジーヌさんにも恥を忍んで協力を仰いで、散々迷惑をかけた。

 

 ──しかし

 

 その……本当に。

 色々とやってくれた彼らには申し訳ないのだが。

 解決はあまりに突然で、それでいて完璧だった。

 引き戸を開けるや此方を一瞥する、赤髪の彼女──スピネル一人で全てが事足りてしまったのだ。

 

 

「ああ、またやってる────」

 

 

 ちょっと不機嫌そうな、しかし心に染みる声音。

 此方を真っ直ぐ見詰める灰の瞳。

 その視線に身体だけでなく心も射抜かれる。

 

 

「何してんだよ……早くこっち来い」

 

 

 ああ、これは今日もダメだ。

 拝啓、都会で楽しくやっていると思われるお父様にお母様──親不孝な息子をどうか許して下さい。

 どうやら僕はスピネルが軽く手招きするだけで作業を中断してしまう、自分でもビックリするくらいチョロい人間に育ってしまったようです。

 

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 番  編 〕

 

 

10年後、ソファーにて

 

 

永遠と妖精騎士

──×──

"The Grimalkin casts a curse on him."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 あの時から十年経ったので、今の僕は二十五歳。

 つまりは、成人済み──大人だ。

 まだ社会の深みや苦味を知ったとは言えない若造だが、それでも括りとしては間違いなく大人だ。

 なので、根っこの気質はそのままでも昔に比べば少し落ち着いた……と自分では思っている。

 少なくとも、早とちりや焦って逆に物事を悪くしてしまうようなことは減ったはず。

 時折開く子供向けの絵画教室では「向日葵のにーちゃん」と呼ばれている訳だし、きっとそうだ。

 

 なのだが。

 

 ここまで如何に自分が大人になったかを力説しておいてアレなのだが──平たく言えば、僕はドキドキしていた。

 しかも並大抵のものではない。

 まるで一世一代の告白をした時のような──居ても立ってもいられないほどの感情が爆発していた。

 思春期真っ盛りの中学生だって、ここまで落ち着きを失うことはそうあるまい。

 でも──今日は、仕方なかった。

 重ねて言うが、本当に仕方なかったのだ。

 

 

「ったく、私が止めないと何時までもやりやがる……」

 

 

 何故なら、呆れた表情で俺の手を引くスピネルは湯船から上がったばかりで……その、正直に言うと、とても色っぽかったから。

 これを直接口にしようものなら、蔑みの言葉と平手が飛んでくることは先ず間違いない。

 スピネルに邪な目線を向けるのは、主君と騎士と言う観点からすると……とても良くないことだ。

 

 しかし、彼女は途方もなく綺麗だった。

 

 その過酷な出自故に「陶器のように」を通り越して生命として危険な領域にある白さの素肌。

 それが温かな湯に浸かることで血行が促進された結果、非現実的な艶を帯びる。

 呪いを宿す身体に命の熱が吹き込まれ、スピネルが元来備えていた美しさが一気に引き立つ。

 ルビーピンクの髪もまた同様。

 普段はふんわりと広がる形でセットされていた髪は、水気を帯びたことでスピネルの背中に流れていた。

 それがまた、見惚れるほど綺麗なのだ──特に今は彼女が前を歩く形になっているから、その鮮烈な赤さや灰色の毛先が何でも見て取れてしまう。

 

「……」

 

 贔屓目抜きで世に二人といない美少女。

 10年前から変わらない、ザンコクで可憐な妖精。

 そのスピネルが──ネグリジェを着ている。

 

「……何?」

「いや、何でも?」

 

 訝しげな視線を、こちらも視線を逸らすことで掻い潜る──が、僕の頬が染まっているのはまず間違いなく誤魔化せていないだろう。

 と言うか、誤魔化せる筈がなかった。

 

 だって、相手があまりにも悪い。

 

 真っ白な、半袖のワンピース。

 全体として身体を締め付けないようゆったりしたシルエットをしているものの、それがかえってスピネルの整ったスタイルを強調している。

 加えて、裾やネックラインに施されたレースの刺繍が彼女の挑発的な美貌に華を加える。

 そんなネグリジェを当然のように着こなすスピネルは、最早存在そのものが僕に対する虐殺兵器だ。

 

 見るべきではない。

 しかし見たくなってしまう。

 

 邪な色を視線に乗せるべきではない。

 しかし良からぬ考えが頭を過ってしまう。

 

 触れたくなってしまう。

 もう手を引かれている。

 

 どっどっと心臓が鳴って、視界が狭くなって、もう今にもどうにかなってしまいそうだった。

 そんな状態では、完全にされるがまま。

 普段から彼女に手招きされるだけでパタリと作業を中断してしまう意志薄弱人間が、このような妖花を前にして抗う術など持ち合わせている筈もなく──僕をリビングに連れてきた彼女は、ソファーに座ると隣のスペースをぽふぽふと叩いた。

 

「ほら……早く座れよ」

「ああ、うん……」

 

 言われるがまま、腰を下ろす。

 シックな色合いをした二人掛けのソファーは、スピネルと再開してからまず真っ先に買ったものだ。

 それまでは一人暮らしだったから何でも一人用にしていたが、同棲するのだからそうはいかない。

 それに、再会してから最初の格好付けと言うか……俗な話だが、これを買えるくらいには画家として「成った」と示したい。

 そんな実用と見栄が半々の代物は、数ヶ月も経てばスピネルと過ごす憩いの場となっていた。

 が、今日はそうもいかない。

 

「ん……っ」

 

 肌が触れ合う、どころではない。

 これでもかと腕が絡んで、頭が僕の肩に預けられる。

 スピネルの柔らかくて……今は少し温い身体が、僕の腕にぴったり寄り添ってくる。

 これは危険だ。

 危険過ぎてもうどうにかなってしまいそうだ。

 

「……だから、何なんだよ」

「何でもないよ。ウン、ナンデモナイヨ」

「いやどう見たって何かあるだろ」

 

 当然、スピネルはそれを見逃さない。

 貪欲に知識を取り入れる彼女の瞳は、僕程度の拙い演技など容易く見破ってしまう。

 そうしてカチコチになっている僕を暫し訝しげに見詰めていた彼女は、やがて答えに至ると──にたっとザンコクな笑みを浮かべた。

 

「変態」

「うぐっ」

「欲情し過ぎ。猿かよ」

 

 全く、返す言葉もない。

 しかも彼女が腕を絡めているせいで──その、当たるのだ。

 柔らかで、まろやかな曲線を描くものが。

 ネグリジェが薄いせいで、僕の腕で撓むそれの輪郭がハッキリと分かってしまう。

 

「さる」

「……」

「ふふ、言い返せないってカンジだな?さーる」

 

 猿、猿、と。

 暫しの間、スピネルはそれはもう楽しそうに僕を罵倒した。

 しかもわざとらしく身体を寄せて、耳元に唇を近付けて──真っ赤になった僕をこれでもかと煽り立てる。

 普段の僕と彼女はこう言う舌戦では互角だから、ここぞとばかりに攻め立てているのだろう。

 しかし、それすら非常によろしくない。

 比類なき美少女が、ぞっこんの彼女が、身体を擦り寄せながら僕に囁くのだ──心臓は早鐘を打ち過ぎて今にも爆発しそうだった。

 

「……で、だ」

 

 そうして一頻り僕を弄んだ後。

 彼女の真剣な目線が僕に冷や水を浴びせる。

 

「お前さあ」

「うん」

「私、ほどほどにしろって言ったよな」

「……うん」

「……心配になるから、あまり無理はしないで。言っても、アナタは聞かないだろうけど」

 

 責める言葉とは裏腹に、声色は落ち着いていた。

 スピネルも靴職人だから気持ちは分かるのだろう。

 基本的には僕が止められる側だが、時として止める側に回る場合もある。

 要は、お互い様──だから、咎めこそするもののそれは必要最低限だった。

 でも、やったことはやったこと。

 僕が「ごめん」と口にすれば、スピネルは「いいの」と返してきた。

 

「騎士を信じるのも主君の役目──これは私のワガママって、分かってるだろ」

「主君を心配させないのも騎士の役目だよ」

「お前なら、アナタならいい。こうして隣にいてくれるだけで、私は嬉しいから」

 

 口調が揺れる時、彼女の心も揺れている。

 妖精トリスタンは、バーヴァン・シーは、スピネルは……本当は不安で仕方ないのだろう。

 この信じられないくらいの田舎に戻ってきて一年、不幸らしい不幸と言えば精々僕が風邪を拗らせて寝込んだことくらい。

 悪いことなんて殆どなくて、幸福と成功だけが毎日積み上がっていく。

 

 ──その反動が、何時来るのか

 

 スピネルは、過去に良かれと思って取った行動で大変な惨事を引き起こしてしまったことがあるらしい。

 それも自分のみならず、モルガンさんと彼女が築いた妖精國まで死に追いやるようなとてつもない過ちを。

 尤も、その罪自体はカルデアで自分を見つめ直す内に拭われ、アンチカースという形で昇華されている。

 犯した過ちと向き合い、答えを見付けたスピネルが同じミスを繰り返すことはない。

 

「でも、怖い」

「……」

「怖くて仕方ないの」

 

 だが、根っこの部分は変わらない。

 他サーヴァントとの交流、芽生えた妖精騎士の自覚、あの夏の日が彼女を新たなステージに進めたが、それだけで不安は拭えない。

 

「ごめん、なさい」

「……」

「アンチカースの妖精がこれしきのことで不安を覚えるなんて、妖精騎士失格ね……」

 

 ザンコクでサイアクなバーヴァンシーの、肝心な所で決定的に間違った判断を下してしまう性分そのものは未だ健在だった。

 だから、「何時間違うのか」「何時この幸せを喪うのか」と言う疑念が絶えず付き纏っている。

 やっと手に入れた幸福と常に視界の隅でチラつく破滅の予感に挟まれて、スピネルはナーバスになってしまっているのだ。

 

「大丈夫」

 

 それを、悪いことだとは思わない。

 良いことばかりが続けばどこかで揺り戻しが来るんじゃないかと思うのは人として当然の考えだ。

 スピネルの場合は過去のせいでそれが過剰になってしまうだけで、問題では全くない。

 

「一緒だ」

「一緒……?」

「健やかなる時も病める時もって、言うだろ?」

 

 それは結婚の文句だ。

 けれど、今言ったところで変わらない。

 

「だから、辛い時も一緒だ」

「……」

「一緒ならきっと辛さも半分になる」

 

 またこっ恥ずかしいことを言っている自覚はある。

 簡単に背負えるとも思わない。

 スピネルが受けてきた苦痛、誰かに与えてきた残虐は到底人間一人で分かち合えるものではないだろう。

 それでも、やって見せる。

 十年前から強がりと格好付けでやってきたのが僕なのだから、今回だけ出来ないと言うことはあるまい。

 

「足りないかな」

「……私、は」

 

 成る程、今回は相当根が深いと見える。

 実際、口では何でも言えるものだ。

 無責任に希望を語るだけなら誰でも出来るし、10年前の自分も衝動に後から結果が付いてきただけで何か確証があったかと言われるとそうでもない。

 だが、今は違う。

 

「なら、連れてってくれよ」

「……どこに?」

「地獄の底でも、誰もいない場所でも……スピネルが行くなら何処までだって着いて行くから」

 

 あるんじゃないのか、そう言う魔術。

 そう口にすると、スピネルの肩が大きく跳ねた。

 

「……いいの?」

「いい」

 

 言葉だけでなく、身を捧げる。

 これ以上に彼女への愛情と忠誠を示す行動は、少なくとも自分に思い付かない。

 それはスピネルも理解したようで、彼女は愕然とした表情で俺を見る。

 希望と疑念が、灰の瞳に渦巻いている。

 

「きっと、死ぬまで……いや、死んでも逃げられない」

「それでもいい」

「嫌って言っても、取り返しがつかなくなっちゃう」

「いいって」

「でも……」

「ああもう、まどろっこしいな」

 

 彼女の脇に手を差し込んで、ひょい持ち上げる。

 思った以上に軽く、しかし確かに存在するスピネルの身体はいとも容易く僕の膝の上に収まった。

 誰より大切で愛おしい少女と真正面から向き合って、囁きかける。

 

「10年前からずっと、僕はスピネルのものだ」

「──!」

「それで、これから先もずっとそうだ」

 

 例え死んでも、今度こそ世界が滅んでも、キミだけのもの。

 そう伝えれば、スピネルは雷に打たれたみたいに目を見開いた。

 口を開いては閉じて、肩をぶるぶる震わせた。

 それを何十秒か何分か、兎に角暫くの間繰り返して。

 やがて、震える声音で呟く。

 

「……バカだろ、お前」

「知ってる」

「本当に、バカだ……」

 

 何度バカ、バカ、と繰り返してもそこに責める色は少しもなくて、あっという間に緩んで萎んでゆく。

 そして、涙で潤んだ灰の瞳に籠る感情はただ一つ──視線を絡めて、呼吸を整えて、スピネルが宣言する。

 

 

「私と一緒に地獄に落ちて」

「スピネルとなら、喜んで」

 

 

 とっくの昔に決まりきっていた答え。

 僕がそれを返すと同時に同時にゆっくり持ち上がった細い腕が、するりと首に回される。

 まるでぶら下がるみたいに、スピネルが縋り付く。

 

 

「ああ、私────」

 

 

 くぁ、と。

 スピネルの口が開く。

 そこから覗く、小さな牙。

 感極まったように染まる頬。

 束の間、僕と彼女は見詰め合って。

 

 

「──本当は私、ずっとこうしたかった」

 

 

 ずぶり、と。

 吸血妖精の性が、僕の首筋に突き立てられた。

 

 

 

▼▲▼▲▼

 

 

 

 まるで波が引くように、スピネルの中に渦巻く不安は消え去っていった。

 代わりに呪いの少女を満たすのは、もどかしくなるほどの強く熱い愛情。

 青年がスピネルに対して抱く感情が、何のフィルターも介さずダイレクトに伝わってくる。

 そしてそれは、彼も同様だろう。

 吸血行為が終わると同時にリンクしたスピネルの感情は、余すところなく彼に開示されている。

 

 少女が行使した魔術。

 

 それは自分と他者を魂レベルで同調させる──強者と弱者を均一化すると言えば聞こえは良いが、その実態は互いの魂を紐付ける危険な代物だ。

 つまりは、片方が死ねばもう一方も死ぬ。

 その上両者の同意があって初めて機能する制約まである、最早全く使い道のない呪いだった。

 だが、今やそれは結婚指輪が陳腐なものに思える──勿論それはそれで欲しいが、最も強固な絆の証明となった。

 そんな儀式を手早く遂げたスピネルは、表情を緩めることなく青年の胸に耳を押し当てる。

 

 ──良かった、ちゃんと動いてる

 

 当然、自分を満たす呪いが逆流しないよう細心の注意は払っていた。

 だが物事に絶対は無く、詰めが甘いバーヴァン・シーがやらかさない保証も無い。

 心臓が脈を打って血流を送り出す感覚を直に確かめるまで、これっぽっちも安心は出来なかった。

 

「……どう?上手くいった?」

「……私が失敗するワケないでしょ」

「良かったぁ……」

 

 強がり半分の返事をすれば、一気に雰囲気が弛緩する。

 

「何かちゃんと休むってだけの話だったのに、えらい脱線したなあ」

「それはお前が心配させるからだろ、バーカ」

「だからそれは悪かったって……」

 

 普段と何ら変わりない、端からは喧嘩をしながらイチャついているようにしか見えないらしいやり取り。

 スピネルはこの言葉の投げ合いが好きだった。

 バーヴァン・シー自身は頭痛持ちなのも相まって静かな環境の方が好みだが──10年前から続く「スピネル」としてはこれがあってこそだと思う。

 どれだけ関係が深くなっても、この気安さだけは変えるつもりがなかった。

 

「んじゃ何かドラマ、でも……」

 

 そうして、青年の膝の上から退こうとして。

 ネグリジェの上から下腹に触れる、熱の塊に気付く。

 

「……」

「えっと、何?」

「……当たって、るんだけど」

「ぇ、あ──っ!?」

 

 青年の顔が一気に赤くなる。

 スピネルも、同時に真っ赤になった。

 

 実際、彼の「そういった」欲望を感じるのは今日が初めてだった。

 

 それは人間にとって原始的な本能なので、当然彼にも備わっているが──事情が事情だ。

 彼はスピネルに対して極力そう言った部分を隠そうとしていたし、実際それはほぼ完璧に隠し通せていた。

 だが、どうしても溜まるものは溜まる。

 況してやスピネルは、客観的にも彼の主観的にも非現実的なレベルの美少女。

 限界に達しかけていたそれが、ネグリジェ姿の彼女と吸血による生命の危機を前にして漏れてしまったのだ。

 

「あっ、ごめ、いや今すぐ退くから──」

 

 必然、彼はその場から退こうとした。

 膝の上のスピネルを隣に戻し、何とかして己の不始末を詫びるか無かったことにしようと考えを巡らせていた。

 だが、それはスピネルに筒抜けだ。

 思考の相互リンクは物理的に離れると大幅に減衰するが、逆を言ってしまえば触れ合う限り全てが伝わってしまう。

 欲も羞恥も愛情も、こうして彼の膝の上にいればダイレクトに伝わってくる。

 

「……ふふ」

 

 少女は、艶やかに微笑んだ。

 邪な欲望を向けられるのは反吐が出るが、全てを共有した相手ならば何も問題はなかった。

 寧ろ、欲しい──彼の内を巡る熱で、呪いを宿す冷たい身体を温めて欲しい。

 知っていることを全部試したいし、知らないことを沢山教えて欲しい。

 

「だぁめ」

「え、ちょっ……!?」

 

 そんな良からぬ欲望がぐつぐつと煮立つのを感じながら、スピネルは慌てて立ち上がろうとする彼の肩を押してソファーに押し戻す。

 妖精騎士に、可憐な少女にあるまじき感情に自ら進んで身を委ねれば──彼の心臓が早鐘を打つ。

 

 

「一方的に優しくされるのは私の性に合わないの」

 

 

 甘く蕩けた音を紡ぐ唇がサディスティックな弧を描き──彼の喉がごくりと鳴る。

 魂レベルのリンクに誘惑の魔術が混ぜ込まれて、行き来する欲望を際限なく増幅される。

 そして哀れで愚かな青年は知るだろう。

 

 

 

「据え膳食わぬは男の恥、だろ?」

 

 

 

 ザンコクでサイアクな妖精に魅入られてしまった者の末路は、須くロクなものではないことを。




◯彼/青年
こうして未来永劫彼の魂は悪い妖精のものになってしまいました、めでたしめでたし(?)
普通に生きれば普通に過ごせた人生を滅茶苦茶にねじ曲げられているのでバーヴァン・シーの残酷な趣向にもちゃんと合致している。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
普通の青年を誑かした悪い妖精。
彼と籍を入れるつもりだが、サーヴァントである以上諸々の手続きやら隠蔽が大変なので現在はカルデアに申請中。
そう言った「待ち」の時間が続いたのと、幸せな時間の揺り戻しが恐ろしくて不安定になっていた。
自分自身のやらかし(失意の庭とか)をちゃんと理解しているからこその疑念だが、繋がりがより一層深くなったことで今後は多少自分や未来を信じられる…かもしれない。





今のところこの話の続きを書く予定はありませんが、もし何かの気紛れで書くことになったら改めてR-18に投稿しようと思います。
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