世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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黒輝の勇者

「あ?」

 

 途中で消えた手応えに、おれはたまらず間抜けな声をあげた。大剣で肩口から真っ二つにするはずだった小さな体が、目の前から忽然と消失したからだ。

 

「ちょっと師匠? 止めてたんじゃないんですか?」

「ふむ。大悪魔とやらの魔法、甘く見てた」

 

 滅多なことで表情を動かさない師匠が、少なからず驚いた様子で振り返る。

 

「わたしが、直接触れれば止められる。でも、外側から干渉されたら、止められないらしい」

 

 足元に転がっている小石、おそらくジェミニと入れ替わったのであろう石を、師匠は蹴っ飛ばした。視線の先には、肩の傷口を抑えて荒く息をしている少年と、手をかざしている少女がいる。

 軽く舌打ちしながら大剣を軽く振るうと、刃から血が滴り落ちた。逃しはしたが、無傷では済まなかったらしい。

 

「あの悪魔の魔法は、自分自身と触れているものを、視線の先にある対象と入れ替える効果を持っているようです」

 

 半裸でおれに抱きついたままの死霊術師さんが、得意げな顔で解説してくれる。説明はとてもありがたい。ありがたいのだが、そろそろ離れてほしい。胸とか当たっていて、さっきから師匠の視線がすごく痛い。

 

「武闘家さまの魔法で、触れていた少年の方の魔法は()()()ことができても、少女の方の魔法は止めることができなかったようですわね。やれやれ、黄金の魔法が聞いて呆れますわ」

「は?」

「師匠。落ち着いてください、師匠」

 

 今にも体に巻き付いた死霊術師さんごとおれを殴りそうな師匠を宥めていると、

 

「……調子に、乗るなよ」

 

 負け犬の遠吠えが聞こえてきた。

 いや、違う。何も聞こえないな。

 

「何だ? 言いたいことがあるなら、もっとでかい声で言ってくれ」

「なら、言わせてもらうよ」

「わたしたちは、まだ負けていない」

 

 あれほど激昂しているにも関わらず、悪魔の視線はおれを見ていなかった。

 どこを見ているんだ、と。疑問に思ってから、気付く。

 

「赤髪ちゃんっ!」

 

 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 後ろに隠れていた赤髪ちゃんを目敏く見つけだしたジェミニは、たった一瞬でその体を手元に転移させ、引き寄せ、捕縛していた。

 

「ゆ、勇者さん!」

「馬鹿が」

「わたしたちを馬鹿にするから、こうなるんだよね」

 

 まずい。完全にしくじった。

 

「む。抜かったな」

「あの魔法は『見る』だけで、対象を手元に捕まえられるようなもの。厄介ですわね」

 

 師匠と死霊術師さんは呑気にそんなことを言っているが、冗談ではない。早く、赤髪ちゃんを取り戻さないと……

 

「落ち着いてください。勇者さん」

 

 沸騰しかけたおれの頭に、冷ややかな一言が水をかけてくれた。

 

「あの最上級悪魔は、2体で1体の特別な存在。それなら、同じ魔法を扱うことにも納得がいきます」

「……賢者ちゃん」

「空間操作系の能力かぁ。あたしは近づいて斬るしかできないけど、接近しても逃げられそうで困るね」

「……騎士ちゃん」

「その女を許すのは、甚だ不本意ですが……とはいえ、私たちが5人、揃っているのです」

 

 いつも通りの自信に満ち溢れた顔で、賢者ちゃんが言い切る。

 

「女の子を1人助けるくらい、何の問題もないでしょう? 違いますか?」

 

 ……いいや、違わない。

 

「赤髪ちゃん!」

 

 声を張り上げて、言う。

 

「すぐに助ける!」

「っ……はい!」

 

 ジェミニは、それを鼻で笑い飛ばした。

 

「はっ! 自信満々だね」

「きみたちは、仲間の力を頼りにしているようだけど」

「でもそれは、きみたちだけのものじゃない」

 

 羽の音が聞こえた。

 ドラゴンの翼ではない。もっと小さくて、耳障りな、虫のような羽音。

 

「ぼくたちにだって、仲間はいるんだ」

「協力、団結、絆」

「数の力が人間の専売特許じゃないってことを」

「教えてあげるよ」

 

 なるほど、と少し納得する。

 ジェミニが無駄に自信満々だった理由が、ようやく理解できた。

 まるで空を覆い尽くすかのような、黒い影。各地からかき集めたのであろう、地獄の使徒達。上級悪魔の群れが、まるで肉に群がる蝿のように集結していた。

 

「うわ……なに、あの数」

「数え切れない。賢者、あれ何体いるの?」

「ざっと数えて、72体ですね。よくもまぁ、ここまで集めたものです」

 

 呆れたような賢者ちゃんの呟きをかき消して、ジェミニが叫ぶ。

 

「聞け! 我が同胞たちよ!」

「よくぞ集まった! 魔王さまの魂は、すでに我が手の中にある!」

「あの目障りな勇者を排除し!」

「我らの主を! 我らの時代を取り戻すのだ!」

 

 拡声魔術によって広がったジェミニの声に、悪魔たちが賛同の雄叫びをあげる。あの双子悪魔、見た目は子どものくせに、士気を引き上げるのは無駄に上手いな。

 

「恐れるな!」

「このジェミニ・ゼクスが、お前達に力を授けよう!」

「肉を切り裂かれ、骨を砕かれようと、お前たちは蘇る!」

「あの人間どもを、蹂躪しろ!」

 

 ジェミニの腕が、紫色に妖しく輝き、悪魔の群れを照らし出す。

 

 ん? 

 

「ちょっと死霊術師さん。あれなに?」

「ふふ。いやその、なんというか……わたくし、あの悪魔と契約していたので」

「うん」

「取引内容に合わせて、ドラゴンの支配権を譲り渡したり、わたくしの魔法の一部を貸し出したりしておりまして」

 

 なんかすげー不穏な単語聞こえたな。もしかして、魔法を貸し出すって言った? 

 

「先ほど、一方的に契約を破棄してしまったので、わたくしの魔法が強制的に、あちらに権能として吸い上げられているようですわね」

「わかりやすく言ってくれない?」

「あのドラゴンや上級悪魔の群れ、多分自己蘇生します」

「最悪じゃん」

「そんなに褒めないでくださいませ。照れます」

「勇者くん、この人殺していい?」

 

 殺したくても、殺せないんだよなぁ……

 わらわらと湧いてきた上級悪魔を見て、深い溜め息を吐く。たしかに、あれらが全て自己再生するというのは、かなり手間だ。正直、すごく困る。

 

「どうすれば止められる?」

「契約破棄のペナルティによって、能力の一部を吸い上げられているのなら、契約者である双子を殺せば止まるでしょう」

「双子が蘇る可能性は?」

「それは殺してみなければわかりませんが……自分が蘇生できるなら、あんなにわかりやすく、情けないツラを晒して勇者さんの剣から逃げると思いますか?」

「いや、思わない」

「なら、そういうことです」

 

 賢者ちゃんはやっぱり頭が良い。

 つまりこれは、ジェミニという頭を潰せば終わりのゲームというわけだ。わかりやすくて助かる。

 

「じゃあ、作戦立てようか」

「立てる作戦とかあります? 突撃すればいいでしょう?」

「すいません。役職をお聞きしてもいいですか?」

「天才賢者ですが?」

 

 発言が賢者じゃないんだよなぁ。

 

「勇者くんが言いたいこともわかるよ。突撃するにしても、どう突撃するかとか、そういうのあるもんね」

 

 頭兜のフェイスガードを上げた騎士ちゃんが、ドヤ顔の笑みで鎧に包まれた親指を立ててきたが、うーんちょっと違うっていうかもう脳筋ですね。だめだこのマッスルプリンセス。

 

「勇者」

「なんです師匠? 何か名案が?」

「あのドラゴン、殴ってみたい。殴っていい?」

「……」

 

 よし、決まったぜ。

 

「突撃だ」

 

 

 

 

 

 

 それはもはや、戦闘ではなく戦争の様相を呈していた。

 72体の上級悪魔と、それらを統べて魔法を司る、最上級悪魔。そしてモンスターの王、ドラゴン。その軍勢と正面から対峙するのは、たった5人の人間だ。

 上級悪魔とは、本来それ単体で街一つを容易に滅ぼすことができる、人知を超えた存在である。それが72体。さらに、リリアミラから奪った自己蘇生の権能まで保有している。

 まるで群れを成すように笑い声をあげる悪魔の群れを、シャナ・グランプレは積み上がった船の残骸の上から冷めた目で見上げていた。普通の感性を持っている人間なら、この光景を地獄と呼ぶだろう。あるいは、世界の終わりというべきか。

 

「もう救ってしまったので、いまいち実感が湧きませんね」

 

 シャナは、杖を一振りした。

 頭上には、72体の悪魔。ならば、こちらも相応の数を用意する必要がある。

 瞬きの間に、1人だったシャナの姿が、悪魔と同じ数……72人に『増殖』した。

 

「大した魔法だ」

「けど、増えれば勝てるとでも、思ってんのかぁ?」

 

 悪魔の嘲笑に、まともに耳を傾ける方が馬鹿である。シャナは無言のまま杖を振って、攻撃の準備を整えた。

 

「攻撃魔導陣……並列多重展開(マルチ・パラレル・オープン)装填起動(セットオン)毅岩大砲(スカラ・カノーネ)』」

 

 小柄な少女の周囲から、岩石が削り取られ、弾丸となって浮き上がる。

 一般的に、魔導師はあらかじめ構築した魔導陣を高速展開して、戦闘に用いる。並列処理に優れた腕の良い魔導師であれば、同時に二つ、三つの魔導陣を展開することができるが、シャナは攻撃用の魔導陣を一つしか展開しなかった。一見、雑兵のように見えるが、群れているのは人間を遥かに上回る魔術耐性と身体能力を持つ上級悪魔である。撃ち出す攻撃の威力も考慮し、魔力を込めた魔導陣の展開は、それぞれ一つずつに留めた。

 それでも、居並ぶのは総数72門にも及ぶ、岩石の大砲。その威容に、悪魔達が狼狽えた様子を見せる。

 

「一つ、良いことを教えましょう」

 

 賢者の声が、戦場に響き渡った。

 それはジェミニが士気を高めるために用いたのと同じ、広範囲に声を届けるための拡声魔術だ。

 

「私の魔法特性は、自分自身と触れた対象の増殖。同一のものは100までしか増やせない制約がありますが、触れたものは完璧に、そのまま増やすことができます」

 

 淡々とした声が、広がっていく。

 いくら敵に能力の性質が知られているとはいっても、わざわざそれを大声で喧伝する理由はない。メリットもない。にも関わらず、賢者が己の魔法性質を開示する理由は、たった一つ。

 

「当然、72人に増えた私も、問題なく魔法の行使が可能です」

 

 己の力の誇示である。

 72人の賢者が、72の魔導陣に触れた瞬間、それは起こった。

 無限に溢れているのかと、錯覚するほどに。増殖していく魔術の紋様が、空を覆い尽くす。

 

「は……?」

「なんだ、これは……」

 

 シャナの魔法は、全てのものを無条件に増やすことができる……わけではない。

 例えば、池に張られた水をそのままそっくり『増殖』させることはできない。それはシャナが、池の中の水を数えることができないから。見ただけでは、その池に満ちる水の総量を把握することができないからだ。だが、手元のコップに満たした1杯の水であれば、1杯を2杯に、2杯を3杯に増やすことができる。

 発射準備を整えた魔導陣は、シャナにとって魔力という水が並々と満たされ、可視化されたコップであった。自らが生成した魔導陣を、シャナは増やせる『もの』として認識している。ならば、増やせない道理はない。

 

 72×100=7200

 

 合計7200門もの大砲が、悪魔達に牙を剥く。

 

「堕ちろ、雑魚ども」

 

 轟音、という言葉すら相応しくない。断末魔の悲鳴すら、掻き消える。まるで暴風雨のような岩石の砲弾が、細腕の一振りで放たれた。

 

 これこそが、世界最強の賢者。

 現実を真っ白なキャンパスに変えて、彼女は自分が望むものを、意のままに描き出し、知恵を以て使い潰す。

 

 

白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』シャナ・グランプレ

 

 

 咲き乱れる花を、何人も汚すことはできない。

 

 

「さて、上を飛ぶ蝿はこちらで落としました。制圧砲撃から援護射撃に切り替えますので、前に出て頭を討ち取ってください」

 

 逃げ場のない空中では叩き落されてやられる、と考えた悪魔達が、次々に地上へ降下する。このまま魔術砲撃で面制圧をかけてもいいが、72人に増えたシャナの魔力も、決して無尽蔵ではない。なにより、人質を巻き込んでしまう可能性がある以上、大味なシャナの攻撃は、ドラゴンとジェミニに向けることができない。

 故に、シャナの仕事は、ここまで。戦闘は、白兵戦に移行する。

 

「待ってました」

 

 かしゃん、と。上げていた頭兜のフェイスガードを下ろして、アリアは大剣を構えた。

 

「打たれ強いやつはまだ普通に生き残ってそうだな。再生してくるのもいるだろうし、一番でかい獲物のドラゴンもいる」

「突っ込みながら、一匹ずつ潰していけばいいよ」

 

 火の聖剣を肩に置いて、騎士は水の聖剣を突き立てた。

 

「あの双子悪魔まで……あたしが、道を切り開く」

 

 瞬間、溢れ出した氷の波が、怒涛のように広がって、戦場の中央に文字通りの氷の道を作る。

 勇者は、あきれた顔でアリアを見た。

 

「え、なに? これで滑って真ん中突っ切るの?」

「うん」

「いや、うん、じゃなくて」

「滑り台みたいで楽しいでしょ?」

「おお。たしかに、滑るの、おもしろそう」

「ほら、武闘家さんもこう言ってるよ?」

「……では、お先にどうぞ、師匠」

「なら、お言葉に甘える。よし、いくぞ死霊術師」

「は? なんでわたくしを掴むんですの? いやちょっと動けな……ぁああああ!?」

 

 リリアミラを掴んだムムは、そのまま自分よりも大きく豊満な体を静止させ、横に倒した。これで、即席の『人間そり』の完成である。

 

「一番乗り、いただき」

「どうぞどうぞ」

「あぁぁぁぁぁああああああああ!」

 

 死霊術師に上に飛び乗った武闘家が、凄まじい勢いで氷の道を滑っていく。勇者と騎士も、それに続いた。

 

「突っ込んでくるぞ!」

「殺せっ! 殺せぇ!」

「取り囲んで八つ裂きにしろ!」

 

 当然、敵がそれを黙って見逃すわけがない。

 賢者の魔術砲撃を生き残った、あるいは蘇生によって復帰した、気骨のある悪魔達が立ちはだかる。

 

「邪魔」

「どけ」

「消えろ」

 

 立ちはだかっては、吹き飛ばされる。

 闘争本能に満ち満ちた化物達が、人間の振るう拳に、剣に、冗談のように、その身を砕かれ、切り倒されていく。

 

「なにをしている! 魔力を出し惜しみするな! 全力でかかれ!」

「一斉に攻撃して致命傷を与えろ! 少しでも手傷を与えて、やつらの勢いを削げ!」

 

 ジェミニが悪魔達に出した指示は正しい。進む道が一本である以上、どうしても避けられない攻撃は出てくる。いくら個人個人が強くても、根本的な数の有利は覆らず、どう戦ったところで魔力と体力の消耗は、人間の方が早い。

 少しでもダメージを負えば、それが積み重なって、致命傷に繋がってしまう。

 

「勇者、使え!」

「はいっ!」

 

 ならば、致命傷を負っても問題のない人間に、ダメージを肩代わりしてもらえばいい。

 世界最悪の死霊術師。醒めない悪夢と謳われた、元魔王軍四天王、リリアミラ・ギルデンスターンの、勇者パーティーにおける運用は──

 

 

「いやぁああああああああああ!」

 

 

 ──死なないメイン盾である。

 

「騎士ちゃん、危ない!」

「おっと」

「ぎゃあああああああああああ!?」

 

 触れたらヤバそうな黒い炎を浴びそうになったアリアは、勇者から投げ渡された『リリアミラ・シールド』で炎を完璧に防御。返した剣で炎を吐き出したまま驚愕している悪魔を、一刀で切って捨てた。切って捨てている間に、リリアミラはもう灰から生き返っているので、また掴んでは振り回す。

 もはやほぼ全裸の美女が、死んでは生き返り、生き返ってはまた死ぬ。肩で息をしながら、リリアミラは黒髪を振り乱してぐったりとしていた。

 

「はぁ、はぁ……はぁ。む、無理です。もう無理です。死んでしまいます!」

「だからあなた死なないでしょ」

「ほんとだよ。なに言ってるの、死霊術師さん」

 

 再び騎士から投げ渡されたリリアミラを空中でキャッチして、勇者は言う。

 

「また裏切ったんだから、もっともっと働いてもらわないと」

「はぅぅ!?」

 

 あまりにも残酷な勇者の一言に、リリアミラは胸を打たれたように顔を赤らめた。その一言のどこに頬を染めて照れる要素があったのか、周囲にいた悪魔達は疑問に思ったが、その疑問を口にする前に、彼らは勇者に斬り殺されて息絶える。

 止まらない。72体の上級悪魔に、不死の権能を上乗せしても。そのパーティーの進撃が止められない。

 

「もういいっ……! 消し炭にしてやる」

 

 痺れを切らしたジェミニが、ドラゴンを前に出させる。

 勇者達は、それを待っていた。

 

「アリア。あれに向かって、飛ばして」

「了解。いくよ!」

 

 鎧に包まれた両足が、氷を踏み砕いて踏ん張る。

 ぐるん、と騎士が回した大剣の腹に、パーティーで最も小さな武闘家の体が乗る。同時に、アリアは肉体への魔力強化を全開にして、全力でそれをフルスイングした。

 結果、ムム・ルセッタの体は一発の弾丸のように、戦場を切り裂いて飛ぶ。

 

「でかい的、狙いやすくて、助かる」

 

 ドラゴンに比べれば、あまりにも小さな拳が、ぎゅっと握りしめられる。

 攻撃そのものを『増殖』させるシャナと異なり、ムムの魔法は防御性能には優れていても、攻撃に関して有効に作用するわけではない。

 触れた全てが『静止』する、という特性から、勇者パーティーの中でも一段上の魔法使いとして見られている彼女の強みは、しかし実のところ、魔法ではない。どんな人間でも持っている、誰もが握れば構えることができる、原初の武器。

 

 最もシンプルな、拳による打撃である。

 

 それは、単純な魔力強化に過ぎない。

 それは、日々の積み重ねに過ぎない。

 けれどもそれは、どこまでも正しく、一撃必殺の拳であった。

 衝撃が巻き起こった。誰もが、耳を疑った。

 顎を殴られた竜が、大きく仰け反って。一拍を置いた後に、悲鳴のような鳴き声を轟かせる口の牙が、砕けて割れる。

 

「……やっぱり、急所は、顎か」

 

 これこそが、世界最強の武闘家。

 修練を絶やさず、ただひたすらに磨き続けてきた金色の拳は、人の身の限界を超え、竜ですら殴り倒す。

 

 

金心剣胆(クオン・ダバフ)』ムム・ルセッタ

 

 

 永遠の研鑽に、果てはない。

 

「ドラゴンは抑える。悪魔をやって」

 

 武闘家の短い指示を聞いて、沸き立ったのはむしろ悪魔達だった。あの化物がドラゴンに掛かり切りになるなら、まだ勝ちの目はあるのではないか、と。

 

「じゃあ、よろしく」

 

 そんな安堵を、突撃する騎士が切り裂いていく。

 迂闊に触れた悪魔が、燃え尽きた。逃げようとした悪魔が、骨の芯から凍りついた。

 女騎士と勇者の進撃は、むしろ勢いを増して、加速していく。

 

「結局、2人になっちゃったね」

「ご不満か?」

「ううん。たまにはいいんじゃないかな」

 

 頭兜の下で、勇者には気づかれないように、アリアは笑う。

 

「勇者くんのテンポを、一番知ってるのはあたしだもん」

「じゃあ、合わせてくれ」

「うん。わかった」

 

 戦場の中心で、その2人はまるでダンスを楽しんでいるようだった。

 密着するような近さで背中を預けあって、身の丈を優に超える大剣を振るっているにも関わらず、その刃は襲い来る悪魔だけを的確に切って捨てる。むしろ、お互いの死角を補い合って、美しく舞い続ける。

 それは、互いの呼吸を完璧に把握していなければできない動きだった。

 

「それなら、片方を引き剥がせばいい!」

 

 遂に、ジェミニが動きだす。

 女騎士に視線を合わせ、魔法によって位置の入れ替えを行おうとした、その瞬間。

 分厚く張られた氷の壁が、女騎士と勇者の姿を覆い尽くした。

 

「なっ……!?」

「同じ手は、二度は食わない」

 

 騎士が呟く。

 見ただけで、対象を捕捉できる。ジェミニの魔法は、間違いなく強力だ。しかし、いくら強力でも『視界に入らなければ能力は発動できない』というタネは、すでに割れている。

 

「タネが割れた手品ほど、つまらないものはないな」

 

 勇者が呟く。

 刹那、氷の壁が、内側から溶け出して、ジェミニは目を見開いた。

 出力最大。剣から迸る炎の刃を限界まで延長したアリアは、それを躊躇いなく振るった。たった一閃で、数え切れない悪魔達がその身を焼き裂かれ、地面に沈んでいく。

 身を低くして横薙ぎの斬撃を避けたジェミニの頬を、熱気が掠めていった。

 

「無茶苦茶な攻撃を……」

 

 しやがって、と。言い切る前に、ジェミニはそれに思い至る。

 地面に膝をついてしまった。凍った地面に、長く触れてしまった。蛇が獲物に纏わりつくように、ジェミニの脚を霜が這い上がる。

 

「しまっ……」

「ご自慢の魔法でも、()()()()()()()ら、転移できないだろ」

 

 戦いとは、力が全てではない。

 戦いとは、数が全てではない。

 互いの持つカードを把握し、手の内を読み合い、狙いを通す。

 

「やっちゃえ、勇者くん」

 

 その騎士は、隣に立つ勇者の思考を完璧に把握し、呼吸を理解し、言葉がなくても考えを読み取って、実行に移す。勇者にとって、最高の騎士という言葉は唯一人、彼女のためだけに存在する。

 

 

紅氷求火(エリュテイア)』アリア・リナージュ・アイアラス

 

 

 誇りを掲げる剣には、情熱と冷厳が矛盾なく宿る。

 

 

「終わりだ」

 

 動けない悪魔に、勇者が剣を振り上げる。

 

「終わって、たまるか!」

 

 小柄な少年に大剣を受け止められ、勇者の表情が僅かに揺らぐ。当然、刃渡りの広い聖剣をまともに受け止めたジェミニは、無事では済まなかった。肉が裂け、骨が砕け、肩の傷口から鮮血が吹き出す。受け止め切れなかった刃が、腹に食い込む。

 それでもなお、悪魔は笑っていた。

 勇者の背筋に、悪寒が走る。そういう笑みを浮かべる敵が何をするのか、勇者はよく知っている。

 密着した状態で。ジェミニの手刀が、寸分違わず、勇者の胸を貫いた。

 

「ご、はっ……」

「勇者くんっ!?」

 

 ずるり、と。胸からべっとりと血が付着した、小さな手のひらが引き抜かれる。

 戦闘を開始してから、最も色の濃い笑みを浮かべ、少年の悪魔は歓喜した。

 

「やった……やったぞ! そうだ! 刺し違えてでも、ぼくは、お前を……」

 

 世界を救った勇者はその瞬間、たしかに命を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

「──あらあら、いけませんわ」

 

 女の、声がした。

 

「その方を、わたくしの許可なく殺すことは許しません」

 

 どこから、現れたのか。

 いつから、そこにいたのか。

 まるで影の隙間から、這い出てきたかのように。彼女は、死んでしまった勇者の背中に覆い被さって、熱く抱き締めた。白く長い指先が、愛おしげに、心臓の鼓動が止まった身体に触れる。

 甘えるように、女の顎が男の肩にのった。唇が、甘い言葉を紡いだ。

 

「さあ、早く起きてください」

 

 そう。忘れてはならない。

 彼女こそ、世界最悪の死霊術師。

 決して覆せないはずの死という結果を、零れ落ちた命を、指先一つで覆し、紫色(しいろ)で彩り、呼び覚ます。

 

 

紫魂落魄(エド・モラド)』リリアミラ・ギルデンスターン

 

 

 その傲慢には、死すらも頭を垂れる。

 

「リ、リリアミラぁああああああ!」

「邪魔をするなっ! この、裏切り者がぁ!」

 

 絶叫と共に突き出された拳を顔面に受け、死霊術師の頭が文字通り千切れ飛ぶ。首なしとなった女の体から、力が抜け、地面に崩れ落ちる。

 それだけの間があれば、十分だった。

 ゆっくり数えて、四秒。それが、彼女の魔法が発動する合図。

 鼓動が戻る。

 呼吸が戻る。

 視線が射抜く。

 

「よう。おはよう」

 

 剣が、翻る。

 

「あ」

 

 断末魔の叫びはなかった。

 そこにあったのは、結果だった。

 無造作に振るわれた一閃が、双子の名を冠する悪魔の首を落とした。

 

「悪いな。相討ちじゃ、おれは殺せない」

「あ、あああ……!」

 

 勇者の言葉は、もう殺した少年に向けられているわけではなかった。赤髪の少女を取り抑える、もう一人のジェミニに向けられていた。

 勇者の剣が、ジェミニの半身を殺した。

 首を落として、殺した。

 その意味を、最上級悪魔はよく知っている。

 

「早く、こっちに来い」

 

 立ち竦む悪魔を、勇者はつまらなそうに()()。手近な石を掴む。掴んだそれを、悪魔に向ける。

 たったそれだけの動作で、ジェミニは勇者の目の前に転移させられていた。

 

「わ、わたしの、魔法を……哀矜懲双(へメロザルド)を」

「そうだ」

 

 勇者は肯定する。

 その魔法を、最上級悪魔は知っている。

 

「おれの魔法は、()()()()()()()()()()()()

 

 魔法とは、自身の体と心を中心とする魔の法。世界を己の理で塗り替える、神秘の力である。

 だからこそ、色の名を司る高位の魔法の中で、唯一。その力だけが特殊な起動条件を課せられ……魔法使いを殺すカウンターとして完成したのは、必然であった。

 

「おれは、お前がきらいだ。それでも、お前はおれを、この子に会わせてくれた」

 

 世界を救う、その日まで。

 折れず、屈せず、砕けず、諦めず。

 鉄の強さに、鋼の意思を伴って、勇者という存在ははじめて完成した。

 なにものにも染まらない輝きは、なによりも美しく、しかし同時に、この世に満ちる全ての色を否定した。

 

「礼を言う」

 

 それは、魂を塗り潰し、あらゆる魔を従える、救済の黒輝(くろがね)

 

 

黒己伏霊(ジン・メラン)』──・────

 

 

 たとえ、讃える名が失われていたとしても。

 彼は、この世界を救った、最高の勇者にして、魔法使いだった。




今回の登場魔法
黒己伏霊(ジン・メラン)
 魔法の力は、いとも容易く人間を狂わせる。故に、その魔法に相応しくない担い手が現れた時には、魔法使いを殺し、魔法を剥奪する必要があった。長い歴史の中で、二つの魔法だけが、それを可能とした。黒の魔法は勇者に。無の魔法は魔王に。世界を命運を賭けて彼らが激突したのは、やはり運命であったと言える。
 黒己伏霊(ジン・メラン)は、勇者の固有魔法。殺した相手の魔法と名を己の魂に刻み込み、我が物として操ることができる。勇者は世界を救う過程で多くの魔法使いを殺し、彼らの名を覚え、片時も忘れることなく力を振るってきた。しかし、魔王の呪いによって全ての名が失われ、この魔法も実質的に使用不可能になってしまった。
 相手を殺して名前と魔法を得る、というシステムがセットであるため、勇者は魔王の呪いを浴びた今の状態でも『殺した相手』の名前なら、覚えて口にする事ができる。逆に言えば、殺さなければ相手の名前を覚えることができない。なお、リリアミラはいくら殺しても『殺した』という結果が残らずに生き返ってしまうため、この魔法だけでは彼女を殺すことはできない。
 均衡を保つ抑止力。望めば全てを塗り潰す黒い輝き。世界を変える魔法を否定する力。
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