世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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世界を救い終わったけど記憶喪失の女の子ひろった

 青かった空は、いつの間にか雲に覆われていた。

 雨の雫が落ちて、悪魔の頬を濡す。ここまでか、という悔しさに、奇妙な納得があった。

 勝算はあると思っていた。いくつもの準備を重ね、計略を張り巡らせてきた。それでもなお、自分の半身をむざむざと殺され、魔法を奪われ、すべてが終わろうとしている。

 ジェミニは悪魔だ。人間が言うバケモノだ。しかし、目の前に立つ人間は、悪魔以上にバケモノだった。だから負ける。それだけのことだった。

 

「……」

 

 振り上げられる剣に、言葉はない。切っ先が鈍く輝いて、恐怖に染まる悪魔の表情をまざまざと照らし出す。

 ジェミニは迷った。

 魔王を、この少女を盾にすれば、なんとか生き残れるだろうか? あるいは、自分の生存は保証されるだろうか? 

 そんなわけはない。この黒い勇者と敵対した以上、もはや生き残る術はない。たとえ何度殺そうが、この男は何度でも蘇って、自分を必ず地獄の底に突き落とすだろう。

 

 勇者の視線には、そういう力があった。

 

 ジェミニは決断した。

 その意を決した上で、あれほど欲していた少女の体を、突き飛ばすようにして解放した。

 

「え?」

 

 困惑する少女とは裏腹に、勇者に迷いはなかった。

 

「潔いな」

 

 呟きには、賞賛と殺意が同居していた。

 最小の動作を、最速のスピードで。悪魔を殺すための動きを、勇者は実行に移す。

 胴体を、一突き。

 肉体を貫き通す大剣の感触に、ジェミニは目を開いた。しかし、その口から苦悶の声は漏れない。無言のまま、悪魔の手は、勇者の心臓に向けられる。

 

「二度も続けて、急所狙い。芸がないぞ」

 

 が、その胸板に指先が触れたところで、勇者の手が少女の手首を掴んだ。悪魔の指先は、心臓には届かない。

 

「……ううん、見えたよ、勇者」

 

 しかしたしかに、悪魔の指先は、勇者の心に触れていた。

 

「あなたの殺意が、あなたの魔法が……あなたの心が、わたしには見えた。見えたなら、触れられる」

 

 そして、悪魔は自身の主である少女を手放してはいても、その視線までは決して外していなかった。

 魔法とは、世界を書き換える概念である。

 二体で一柱である特別な悪魔の魔法は、まだ完全に黒く塗り潰されたわけではない。

 触れている対象と、視線の先にあるものを入れ替える。それが、ジェミニ・ゼクスの魔法。『哀矜懲双(へメロザルド)』の発動条件だ。

 

「魔王様を、返してもらう」

 

 自分の命と、魔王の復活。その重さを、天秤にかけるまでもない。ジェミニのすべては、最初から主君に捧げられている。

 

 勇者の中にある『魔王の存在』を、少女の心と入れ替える。

 

 双子の名を冠する悪魔の、最後の魔法が発動した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 夢を見ているようだった。

 赤髪の少女は、目を開く。

 心の内側で、欠けていたピースがかちりとハマった音がした。

 呼吸をする。周囲を見回す。そんな当たり前の挙動をしながら、ここはどこだろうと考える。

 透明な部屋だった。何もない、白とも違う、本当に透明な空間。

 

「こんにちは」

 

 透明な少女がいた。

 透き通るような白髪と、折れてしまいそうな肢体。造りもののようなその身体には、不思議と目が引き寄せられてしまうような魅力があって。同時に、目を離してはいけないような威圧感があった。

 じっと見入って、思考が答えを出す前に、心が呟いた。

 

「あなた、は」

「ひさしぶり。元気だった?」

 

 頬を持ち上げ、破顔する。たったそれだけの表情の変化が、こんなにも魅力的に見えるのは何故だろう? 

 

「勇者の中から、ずっとあなたを見ていたわ」

 

 唇を動かして、言葉を紡ぐ。たったそれだけの当たり前の所作が、こんなにも魅力的に聞えるのは何故だろう? 

 

「魔王」

「そうね。わたしは、そう呼ばれていたものよ」

 

 透明な少女は、あっさりとそれを肯定した。

 どこまでが地面で、どこからが天井かもわからない。

 その場に立ち尽くす赤髪の少女に向かって、魔王と呼ばれた彼女は一歩ずつ近づいていく。

 

「大丈夫?」

「え?」

 

 手を、差し出された。

 なぜか、勇者とはじめて会った時のことを、赤髪の少女は思い出した。

 その表情は、本当に心から、自分のことを気遣っているようで。

 

「わたしと、一緒になる気はない?」

 

 その提案は、なによりも甘く、魅力的だった。

 

「一緒になる、って……?」

「元に戻る、ってことよ。何者でもない自分でいることは、なによりも辛かったでしょう?」

「どうして、そんなことがわかるんですか?」

「わかるわ。だって、あなたはわたしだもの」

 

 謳うように、囁くように。

 もう楽になっていいのだと、魔の王は告げた。

 

「できません。わたしがあなたと一つになるということは、勇者さんやみなさんを裏切るということです。そんなことは、絶対に……」

「ほんとうに?」

「え?」

「あなたは、ほんとうにそう思ってるの? あなたの愛じゃ、どうせあの子たちには勝てないのに」

 

 ただ当然の事実を、突きつけられる。

 その指摘は、たしかに正しかった。

 少女は知っている。

 彼に向けられる気持ちが、多いことを知っている。彼に向けられる気持ちが、熱いことを知っている。彼に向けられる気持ちが、永遠であることを知っている。彼に向けられる気持ちが、美しいものであることを知っている。

 そして、自分の想いが、そのどれにも勝る保証がないことを。他ならぬ、自分自身が知っている。

 

「重ねてきた時間も、想いも、あなたは他の子たちには勝てないでしょう? だったらわたしと一緒になって、いっそのこと、ぜーんぶ壊してしまわない? 大好きなあの人を、独り占めにしたいと思わない?」

 

 魔王の言葉は、少女の本心でもあった。

 少女の心の、一番奥の部分にある。浅ましい嫉妬を晒け出す言葉だった。

 魔王の言葉に、偽りはない。魔王の言葉に、嘘はない。その提案はやはり魅力的で、少女の心を、強く強く揺り動かした。

 だから、少女は、

 

 

「うらやましいんですか?」

 

 

 魔王の提案を、鼻で笑って蹴飛ばしてみせる。

 疑問形のその返答は、自分自身への問いかけと、確認だった。

 

「え?」

 

 きょとん、と。

 透明な少女の大きな瞳が、さらに大きく丸くなる。純粋な、困惑だった。

 

「わたしが、勇者さんと一緒にご飯を食べて、街を歩いて、海に行って。そういうのが全部、うらやましいんでしょう?」

 

 赤髪の少女は言った。

 あろうことか、世界最悪の魔王に向かって「お前、嫉妬してるだけだろ」と言っていた。

 

「わかるんです。だって、あなたはわたしだったから」

 

 あなたはわたしだから、と。魔王は言った。しかし少女は、あなたはわたしだった、と。今の自分は違うと、魔王の共感を根本から否定する。

 少女は、記憶喪失ではなかった。最初から少女には、記憶というものすらなかった。

 けれど、世界を救った勇者の隣で、様々なものを見て、いろいろなものを感じて、それら全ての経験が、一人の少女を形作るアイデンティティに変わった。

 少女には、名前しかなかった。決して勇者に聞いてもらうことができない名前しか、自分という存在を証明するものがなかった。

 

「でも、あなたはわたしじゃありません」

 

 今は、もう違う。

 

「わたしは、勇者さんが大好きですから」

 

 勇者のことが大好きな自分がここにいると、胸を張って断言できる。

 

「世界を一緒に見に行くって、約束しました。世界を壊す魔王になるなんて、死んでもごめんです」

 

 だから、一人の女として、彼女は魔王の提案を、正面から否定する。

 

「そっか」

 

 なによりも自信に満ちたその返答を聞いて。

 魔王は、静かに微笑んだ。

 

「じゃあ、気をつけて」

 

 胸に、手が触れる。やさしく突き飛ばされて、少女の意識は薄れていく。

 ずっとこちらを見詰めていた瞳は、

 

「がんばってね」

 

 最後の最後まで、優しいままだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔法による入れ替えをはじかれた、と認識するのに、さして時間はかからなかった。

 ジェミニは、自分の魔法が正しく働かなかった理由を考えようとして、しかしそれがなによりも不毛な思考であることに気がついた。

 赤髪の少女が、ジェミニを見ていた。

 

(どうして……)

 

 その目を、知っている。

 記憶の底から、悪魔の最も大切な記憶が、走馬灯の如く鮮明に浮上する。

 

 ──魔王様は、何か欲しいものがありますか?

 ──わたしたちに用意できるものなら、必ず用意してみせるよ!

 

 それは、ただの戯れだった。

 玉座でつまらなそうに座る王の表情が、少しでもやわらげばいい、と。臣下が思いついた、ささやかな気遣いだった。

 とはいえもちろん、主が欲するものがあれば、悪魔にはそれを用意する自信があったのだが。

 

 ──そうね

 

 十二の悪魔に、主君として崇められることになった特別な少女は、その時はじめて、何かに迷う表情を見せた。顎に手を当てて、悩んで、考えて、

 

 ──あなた達みたいに、双子の妹ができたら……とっても楽しそうね

 

 荒唐無稽な提案に、ジェミニは思わず吹き出した。そして、敬愛する主が温かい笑みを浮かべたのを、よく覚えている。

 そう。悪魔はその笑顔を、片時も忘れたことなどなかった。

 あの笑顔を、取り戻したかった。あの笑顔を、もう一度目にするために戦ってきた。

 けれど、それはもう叶わない。何を引き換えにしたところで、絶対に。

 

 ──本当に? 

 

 声が、聞こえた気がした。

 悪魔が主の残滓から目を離さなかったように。彼女もまた、ジェミニのことを見詰めていた。

 少女の口が、言葉を紡ぐ。

 

「……ありがとう」

 

 彼と、出会わせてくれて、ありがとう。

 名前をくれて、ありがとう。

 どちらか、あるいは両方だったのか。

 

 ジェミニは、人ではない。

 その感謝の言葉にどんな意味が込められているのか、人ではない悪魔は理解することができない。

 だが、それは紛れもなく、悪魔が成し遂げようとした契約に支払われた、明確な代価だった。

 

「……ああ」

 

 かくして、悪魔の夢は、ここに終わる。

 剣が、意識を引き裂いて。

 その名と魂を、勇者は心に刻み込む。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 夢を見ているようだった。

 

 その日、すべてが終わり、すべてが変わった。

 それは、最後の戦いだった。

 

「……ここまでだな、魔王」

 

 疲労と痛みを少しでも排するように、息を吐く。

 魔王をそこまで追い詰めることができたのは、はじめてだった。賢者ちゃんも師匠も、死霊術師さんも限界で、最後までおれの隣で戦ってくれていたのは、騎士ちゃんだった。

 千載一遇の好機。もう二度とこないであろうチャンス。それに釣られて、おれは判断を見誤ってしまった。

 

「それは、どうかしら」

 

 騎士ちゃんが膝を突いたのと、満身創痍の魔王が手をかざしたのは、まったくの同時。隣の騎士ちゃんの体を突き飛ばしたのは、ほとんど反射だった。

 

「っ!」

 

 死に際に遺す、己の命を代価にした呪い。

 浴びてはいけないものを浴びてしまった、と。すぐにわかった。それでも、おれには足を踏み出して、剣を振るう以外の選択肢は残されていなかった。歯を食いしばり、その華奢な身体に魔剣を突き立てる。魔王と呼ばれた少女の口の端から、鮮血が零れ落ちた。

 

「……ごほっ」

 

 こいつの血も赤いのか、と。なぜか、ほっとした。

 手にした剣から、伝わってくる命の鼓動は、今にも消えてしまいそうだった。

 

「……ああ、すごいわ、勇者。ほんとうに、あなたはすごい」

 

 血と一緒に吐き出された言葉は、怨嗟ではなく、おれを讃えるものだった。

 

「わたしを倒すために、あなたはここまで辿り着いた。わたしを倒すことだけを目指して、あなたはここまでやってきた」

 

 語る言葉に、熱が籠もる。

 

「なにが、言いたい?」

 

 死に際の戯言に、どうして問いを投げたのか。自分でも、わからなかった。

 

「うれしいの。だってわたしは……世界で最も、あなたに想われた女ということでしょう?」

「ほざくな……っ!」

 

 足場が崩れる。おれの体も、もう限界だった。膝にろくな力すら入らず、そのまま突き刺した剣と、魔王と一緒に、斜面を転げ落ちる。おれの名前を叫ぶ騎士ちゃんの声が聞こえた気がしたが、返事はできなかった。

 

「っ!?」

 

 唇を、奪われたからだ。

 一体、瀕死の体のどこにそんな力が残っていたのか。首の後ろに手を回されて、脚を絡められて、まるで抱きつかれるような形で、一緒に落ちるしかなかった。求められるその熱に、舌を噛みそうになる。口の中に、血の味が溢れだす。落ちて落ちて、転がって、ようやく背中の鈍い痛みと共に、体の回転が止まった。

 おれは、すぐにその生温い感触を振り払って突き飛ばした。突き飛ばしたその手で、唇を拭う。

 

「はぁ、はぁはぁ……お前、なにを……?」

「ふぅ……ふふっ。照れてるの? かわいい」

 

 魔剣は、腹に突き刺さったままだった。

 今にも死にそうな息遣いで、それでも少女は、なぜかとてもうれしそうだった。

 

「どうして、こんなことを」

「理由はないわ。ただ、あなたと唇を重ねてみたかっただけ。わたし、あなたのことが大好きだから」

 

 まるで普通の女の子のように、少女はそれを語る。

 

「わたしは今まで、欲しいものをすべて奪って生きてきた。だからね、勇者。わたしは、大好きなあなたのすべてを奪うわ」

 

 まるで悪魔のように、少女はそれを語る。

 

「数え切れない人たちの魔法を、想いを、名前を、世界を背負って。あなたはわたしを殺した。この世は平和になって、魔の時代は終わる……でもね、わたしは嫉妬深いから、そんな一方的なハッピーエンドは、絶対に許さない」

 

 体が熱を帯びていることに気がついた。胸の内側から吐き気が湧き上がって、思わず頭を抑える。

 

「だってあなたは、わたしの名前も、自分の魂に刻んで生きていくんでしょう? 平和になった世界で、わたしを殺したことも、背負って生きていくんでしょう?」

 

 それが、義務だと思っていた。

 それが、おれの使命だと思っていた。

 だが、魔の王はそれを否定した。

 

「だめよ。絶対に許さない。あなたは……わたしの名前を一生忘れたまま、わたしの名前を呼べないまま、わたしという存在に囚われて、生きていくの」

 

 焼けつきそうな頭を抱えながら、まだ間に合うと思った。

 意識をして、言葉を紡いだ。

 

「────」

 

 おれは、はじめて魔王のことを、名前で呼んだ。

 

「……ああ、うれしい」

 

 本当に、本当に嬉しそうに。

 

「やっと、名前で呼んでくれた」

 

 この世の皮肉と矛盾を、集めて押し固めたような事実が、そこにあった。

 世界のすべてを賭けて戦った、命のやりとりのあとで。

 おれが殺した女の子の笑顔は、見惚れてしまうほどに美しかった。

 

「愛してるわ、勇者」

「……違う。お前のそれは、愛じゃない」

「……そっか。うん、そうね。あなたがそう言うなら、これはきっと、愛じゃないんでしょうね」

 

 ずっとおれを見詰めていた瞳は、

 

 

「わたしは……あなたに、恋をしていたのかな?」

 

 

 最後の最後だけは、おれを見なかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 体を強く揺さぶられる感覚に、目を覚ます。

 

「勇者さん!」

「勇者くん!」

「勇者!」

「勇者さま!」

 

 勇者、勇者、勇者、勇者……と。ああ、もう。本当に、うるさくて仕方がない。

 こんなに名前を呼ばれたら、おちおち寝ていられない。

 

「……いや、死んでないから。大丈夫だって」

 

 起き上がって、大きく伸びをする。

 せっかく勝ったのに、一番思い出したくないことを、思い出してしまったようだ。

 

「勇者さん!」

 

 起き上がったところで、赤髪ちゃんに抱き着かれる。よしよし、と頭に手を添えていると、4人分のじっとりとした視線が突き刺さってきたので、おれは誤魔化すように大きく咳払いをした。

 

「あー、とりあえず、状況報告を」

「あの悪魔を勇者さんが倒してくれたおかげで、敵の不死性が消えたので、とりあえず片っ端から殲滅しました」

「討ち漏らしはあったかもしれないけど、少なくともこの周囲にもう敵はいないよ」

「たくさん、殴れて、すっきりした」

「わたくしは今、全裸です!」

 

 なるほどなるほど、よくわかった。なんか一人、自分の状況報告をしてるアホがいるけど、放っておこう。

 

「みんな、ありがとう。本当に助かった。みんなのおかげで、赤髪ちゃんを助けられた」

「本当ですよ。もっと感謝して崇め奉ってください」

「ひさびさに良い運動になったね〜」

「修行の成果を、発揮できる機会をくれたのは、有り難い」

「ふふ……これも全て、わたくしが彼女を蘇生したおかげですわね! あ、ちょっと待ってください。今のはジョークですわ。うそです。もちろん反省して……」

 

 死霊術師さんがドヤ顔で言い放った瞬間に、残りの3人が取り囲んでリンチをはじめたので、おれはそっと目をそらした。

 

「赤髪ちゃん、大丈夫だった?」

「大丈夫って、何がですか?」

「あの悪魔の、最後の魔法」

「ああ……」

 

 おれを見詰める瞳の赤が、うっすらと滲んだ気がした。

 

「もちろん、全然平気です! わたしは、わたしですから!」

「そっか」

 

 なら、よかった。

 

「よーし、じゃあ帰るか!」

「え、本気で言ってるんですか、勇者さん?」

「へ?」

 

 死霊術師さんをぶん殴っていた杖を振るう手を止めて、賢者ちゃんが聞き返す。

 

「帰るといっても、ここがどこかもわからないのに、どうやって帰るつもりなんです?」

「ん……? いや、それはなんかこう、賢者ちゃんの魔法とか、位置探知で」

「方位くらいはわかりますが、ここがどこかまではわかりませんよ。各地の主要な都市に散らばっている『私』との通信も繋がりませんし。どうやらこのあたり、かなり辺境の土地みたいですね」

 

 たしかに、見渡す限り荒野で何もないけど、いやそれにしても! 

 

「でも、ドラゴンを飛ばしていたのは死霊術師さんじゃなかった?」

「あら、そうは言われましても、目的地はあの悪魔が設定していたので、どこに向かって飛んでいたかなんて、皆目見当がつきませんわ」

 

 つ、使えねぇ……この死霊術師、使えねぇ。

 

「でも、死霊術師さんの魔法でドラゴンを蘇生させて乗って行けば……!」

「申し訳ありません。それも無理です」

「なんで!?」

「わたくしの紫魂落魄(エド・モラド)の蘇生は、厳密に言えば二種類あります。意識を奪った状態での蘇生と、意識を奪わない蘇生です」

「うん。知ってる知ってる」

「先ほど勇者さまに施したような、意識を奪わない普通の蘇生には何の制限もないのですが、意識を奪ってわたくしの手駒にする蘇生には、当然いくつかの制限がありまして」

「……つまり?」

「4回以上死んだら、もう蘇生できないのです」

「師匠!? あのドラゴン4回も殺したんですか!?」

「うむ。4回くらい殺した気がする」

 

 おかしいだろ!? 

 なんでこの短時間であのサイズのドラゴンを4回も殴り殺せるんだよ!? 

 

「すまない。興がのって、つい……」

 

 ちょんちょん、と。指先を合わせて、師匠はしょぼんとした。そんなかわいらしい顔をされても困る。

 

「じゃあ、あのドラゴンはもう蘇生できないし、乗っていくこともできない、と」

「はい」

 

 なんてこった……帰りの足が消えた。

 

「まあ、ちょうどよかったじゃん、勇者くん。その子と、約束したんでしょう? いろんな世界を見せてあげるって」

 

 いつもポジティブな騎士ちゃんが、にっこりと笑って赤髪ちゃんの方を見る。

 

「いや、たしかに言ったけど……おれはなんかこう、もっとちゃんと準備とかして、旅に行くつもりだったんだけど……」

「準備もクソもないですよ。まず人がいるところまで辿り着かないと、私たちはこのまま野垂れ死にます」

「いやぁ、昔を思い出すねぇ。あたし、ちょっとワクワクしてきたよ!」

「これもまた、修行ということ」

「会社が気になるので、なるべく早く帰りたいところですが……勇者さまと一緒にいられるなら、わたくしは全てを投げ捨てる覚悟ですわ!」

 

 ああ、なんてこった。

 世界を救い終わって、おれは悠々自適にセカンドライフを満喫するはずだったのに……

 

 

 

「──これ、もしかしてまた冒険の旅に出なきゃいけない感じですか?」

 

 

 

 質問の答えは、すぐに返ってきた。

 

「そういうことです」

「楽しみだね〜」

「うむ」

「お供いたしますわ」

 

 うちのパーティーメンバーは、本当に最強で最高だ。

 

「では、出発です。武闘家さん、とりあえずこの女を背負って、動きを止めておいてください。自由にしておくと、何をしでかすかわかりませんから」

「わかった。トレーニングのために重りが欲しかったから、ちょうどいい」

「そんな……わたくしを、またモノのように扱って! 人権はないんですか!?」

「そうそう。さすがに服は着せてあげようよ。全裸だとあたし達の人格を疑われるし」

「じゃあこのズタ袋でも被せておきましょう」

「ああっ……扱いがひどい! ひどいですわ!」

 

 さっさと歩き始めたみんなを見て、やれやれ、と。ため息を吐く。

 赤髪ちゃんだけが、座り込んだままのおれに手を差し伸べてくれた。

 

「行きましょう! 勇者さん!」

 

 その手を取ろうとして、その表情をまじまじと見詰める。

 あの時と変わらない朱色の瞳は、あの時とは違う輝きに満ちていて。だから、少しからかってみたくなった。

 

「赤髪の、きれいなお姉さん」

「え、あ、はい!?」

「あなたに、伝えなければいけないことがあります」

「えぇ……? えーっと、なんでしょう?」

 

 突然敬語になって、小芝居を打ち始めたおれに、赤髪ちゃんは戸惑いながらものってくれた。それに甘えて、言葉を続ける。

 

「それが……おれ、あなたの名前を聞くことができないんです」

 

 ──それが……わたし、なにも覚えていないんです

 

 あの時と、正反対だ。

 赤髪ちゃんの目の前で座り込んで、おれは困りきった表情のまま、俯いてみせる。

 屈託のない笑顔で、おれの戯言はくすりと笑われてしまった。

 

「そうですか。それは困りましたね」

 

 まず、おれに立ち上がってもらうために、彼女は手を差し伸べた。

 

「じゃあとりあえず、わたしのことは『赤髪ちゃん』とでも、呼んでください」

 

 あの時から、何かが変わったわけではない。

 自分の名前しか覚えていない、まっさらな少女が一人。

 魔王が遺した呪いにかかった、情けない勇者が一人。

 

「うん。わかった。あらためてよろしく、赤髪ちゃん」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。勇者さん」

 

 でも、何も問題はない。

 この鮮やかな赤髪の少女が、食いしん坊で、意外と毒舌で、おしゃれが好きな、かわいい女の子であることを、おれは知っている。

 だから、一緒に歩いていけばいい。これからこの子のことを、もっともっと知っていけばいい。

 

 差し出された手のひらを強く掴んで、おれは立ち上がった。

 

「あ、勇者さん! あっちの方、みてください! 晴れてますよ」

「おお、たしかに」

 

 おれたちの門出を祝福するように、青く染まった空の境界線に、色鮮やかな橋が架かる。

 

「虹を見たことは?」

 

 興味が湧いたので、聞いてみた。

 

「はい! もちろん、はじめてです!」

 

 元気の良い答えに、おれも釣られて笑ってしまう。

 

「いいね。じゃあとりあえず、あっちの方に行ってみようか」

「え、そんな適当に行き先を決めちゃっていいんですか?」

「いいんだよ」

 

 歩幅を合わせて、手を繋いで、歩き出す。

 

「虹を見上げて、その根本を目指して進む。冒険なんて、そんなもんだ」

 

 それでいい、と。

 気づかせてくれたのは、きっとこの子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、世界は魔に包まれていた。

 紅蓮の騎士と純白の賢者。黄金の武闘家と紫天の死霊術師。力を持つ多くの仲間の助けを得て、黒輝の勇者が魔王を打倒した。

 

 魔王と呼ばれた、少女がいた。少女は、勇者に恋をした。

 

 少女の愛は、そんなに多くない。

 少女の愛は、そんなに熱くない。

 少女の愛は、それが永遠だと、断言するにはまだ自信がない。

 少女の愛は、それが誰よりも美しいと、自惚れるには足りなかった。

 

 そう。少女の中にあるこの気持ちは、きっとまだ愛と呼べるものですらなくて。

 でも、だからこそ、少女は自分の中に芽生えたこの気持ちを、大切にしたいと思った。

 

 彼に名前を呼んでもらったことは、残念ながら一度もない。これから、彼が呼んでくれる保証もない。しかし、それでも構わないと、少女は思った。

 

 愛とは、なんだろう? 

 

 この気持ちを積み上げていけば、それは多くの愛になるのだろうか? 

 この気持ちを静かに温めていけば、それは熱い愛に変わるのだろうか? 

 この気持ちを磨き続ければ、それは永遠の愛として認められるのだろうか? 

 この気持ちをどこまでも深く求めれば、それは美しい愛として讃えられるのだろうか? 

 

 疑問は尽きない。答えはわからない。

 だから、これから探しに行こう。

 

 空に虹。地には風。雨が降って、固まった地面を踏み締めて、彼女は彼と歩み出す。

 少女は、世界を救った勇者の隣を歩いていく。その横顔を、こっそり盗み見ながら歩いていく。

 彼に想い焦がれるものが多いのは知っている。 

 多くもなければ、熱くもない。永遠だと言い切ることはできないし、美しいと胸を張って自慢もできない。

 

 ──わたしの愛は、最も幼い。

 

 

 

 

 

 

 けれど少女は、空にかかる虹色を見て思うのだ。

 想う心は、何色にだってなれる。鮮やかな色彩を描いて、人と人を繋ぐ架け橋になれる。

 

 だから、ここからだ。

 

 

 

 ──わたしの恋は、ここからはじまる。






みなさんの応援のおかげで、ここまで書き切ることができました。本当にありがとうございます。
勇者と少女の出会いのお話はこれにてとりあえずおしまい。ですが、彼らの冒険はこれから、ということで。書ききれてないこともあるので、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

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