魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。
扱う属性、得手とする攻撃距離。それらを知られるだけで、戦闘の有利は簡単に覆る。
故に、魔術を扱う人間の戦闘の鉄則は、一つ。先手必勝だ。
「やはり若者は威勢がいいな」
「うっせえ」
跳躍、接近。一太刀で首を落とすつもりで、剣を振るう。
だが、おれが横に薙いだ刃は、クソジジイの首を捉えることができなかった。手応えのないその感触に舌打ちする。
「飛べるのか、その翅で」
「飛べるのさ、こんな翅でもな」
回避された、というのは正確ではない。厳密に言えば、刃が届く範囲から逃れられた、と言った方が正しい。
顔を上げ、天を仰ぐ。
まるで枯れ枝のような老体が、風に攫われて浮いていた。地面から両の足を離して、エルフの長は宙に浮かんだまま、静止している。
エルフが飛べることそのものに、驚きはない。さっきの戦士も、おれの頭上を取って奇襲してきた。ただ、あの明らかに衰えきった翅で飛べるのは、完全に予想外だ。
しかし、剣が届かないからといって、やりようがないわけではない。
「
その名を呼ぶ。
「──ゲド・アロンゾ」
思い出して、行使する。
体の内側から、魔法を引き出す、独特な感覚。
「『
エルフの戦士たちが使っていた武器を拾いあげ、クソジジイに狙いを定める。瞬間、おれが触れた武器に、魔の力が宿る。
ナイフと剣を、投擲。物理法則を無視して回転するそれらは、まるで吸い込まれるかのように、目標に向かって飛翔する。
「ああ……
だが、阻まれる。
浮遊する老人の、さらに頭上から舞い降りたのは、重装騎士が携えるような大盾だった。ジジイの体と同様に宙を舞う鉄の塊が、投擲したナイフと剣をあっさりとはじきとばす。
身を守る盾を周囲に回転させながら、老獪は笑う。
「それは、さっき見た」
「ちっ」
やはり、というべきか。
魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。
そして、魔法戦における情報の重要性は、魔術戦のそれよりもさらに上。すでに息絶えているおれは、きっと持てる力を以てあのジジイに抵抗し、手持ちの魔法を駆使して、全力を尽くした上で殺されたのだろう。
つまり、おれが所持している魔法が、すべて把握されているかもしれないということだ。
「では、反撃させてもらおう」
軽い声と同時に、それらは降ってきた。
「……ちっ!」
人が抱えられない質量の、岩。
おそらく砂岩系の魔術に分類されるであろう塊が、十数発。着弾と共に、地面を揺らす。
避けられなかった。直撃だった。
「
とはいえ、おれは落石が全身に直撃した程度では死なない。
「『
衝撃は気合で耐える。砕けた石の粒を、払い除ける。
もちろん、痛みがなかったわけではない。粉塵を掻き分けて、喉もとにこみ上げてきた血の塊を、地面に吐き出した。クソジジイは、おれを見下ろしたまま目を細める。
「
だが、と。
長老はいやらしいほど間を置いて、言葉を紡いだ。
「なによりも素晴らしいのは、他者の魔法を奪い、自由自在に操る……きみ自身の魔法だ」
まるで足元の虫を相手にしていたかのような口調に、はじめて明確な熱が宿る。
「素晴らしい……素晴らしい素晴らしい! 本当に、実に素晴らしい! 複数の魔法を自在に操る魔法使いなど、聞いたことがない! 直接目にして、戦って、殺してみたあとでも信じられない! ああ……っ! きみは本当に、噂と違わぬ勇者殿だ」
噂と違わぬ勇者殿だ。
最初に出迎えられた時と同じ言葉を言われて、痛みからくるものとは違う吐き気を催しそうになった。
「正直に言えば、きみを一目見たときからその脳髄を開いてみたくて堪らなかった。臓物の色を、一つ一つ確かめてみたかった。きみの体に宿る神秘を知ることができれば、魔法という魔術とは異なる力の真実が、きっと解き明かされる。この世すべての魔法を手にすることも、夢ではないだろう」
「ジジイの与太話に興味はない。体をいじりたいなら、そこの死体を使ってくれ。調べ放題だろ」
「…………ふむ、それもそうだな」
深く考えたわけでもない、脊髄反射で返した悪態。
けれど、それを聞いた老人は少し考え込む様子を見せて、髭を撫でながら言った。
「ならば、やめよう」
「は?」
次にどう動いて、どのように相手の息の根を止めるか。会話に付き合って時間を稼ぎつつ、それだけを考えていたおれは、耳を疑った。
何を言われたかは、わかる。でも、どうしてそんなことを言われたのかが、わからない。
「いや、きみの言う通りだと思ってな。未来の勇者殿。もう、きみの死体は手に入れた。べつに、わざわざ骨を折って3人目を殺す必要もあるまい」
さらり、と何の事も無げにクソジジイはそう言ったが、それはつまり最初に増えたおれも殺されている、ということで。
「……つまり?」
「見逃してやろう」
生きるか、死ぬか。
選択の瀬戸際に立たされたおれにとって、それはなんとも魅力的な提案だった。
「理由は?」
「才能に満ち溢れた未来ある若者の命を奪うのが惜しい……とでも言えば信じるかね?」
「いいや、全然」
「だろうな。わしも正直、人間の命はどうでもいい。が、我らエルフとて同じ世界に生きるもの。闇に包まれつつある世界を、憂う気持ちはある」
もはや本性を隠そうともしないのが、いっそ清々しい。しかし、何も隠そうとはしていないからこそ、今この瞬間だけは語る言葉に嘘が含まれていないことがなんとなく伝わってきた。
「きみは思う存分、その魔法を成長させ、研ぎ澄まし、魔王を倒して、世界を救ってくるといい。そこにいるシャナも連れてな」
まずいな、と思った時にはもう遅かった。
「わたし、も……?」
あれほど隠れているように言い含めたはずなのに、小柄な銀髪が物陰から顔を出す。
思わず舌打ちしそうになったが、釣り下げられた甘いエサに反応するな、という方が無理な話だ。それだけ、クソジジイの提案が魅力的な証拠でもあった。
「長老
「ああ、いいとも。どうせ、まだ里にお前の代わりはいる。これからお前は、いくらでも増える。彼と一緒に、この村の外で生きていくといい」
意外にも、シャナを見下ろす老人の瞳には、労りがあった。声音はぬるく、そのまま浸かれば引き込まれるような優しさを含んでいた。
ただし、それはどこまでいっても、人間に対する言葉ではなかった。
いくらでも代わりがいる、いくらでも新しく作ることができる、消耗品をゴミ箱に放り捨てる前に、ほんの少しだけ名残惜しくなるような、そんな感情の向け方だった。
「……シャナ、戻れ。隠れてろ」
短く言って、老人を見上げる。
「魅力的な提案だ。見逃してくれるならありがたい」
「ふむ。賢明な判断だ。きみは幸運だったな。わしと会うのが最後だったおかげで、殺されずに済む」
「ああ、そう思うよ。土産代わりに、最後に質問をしていいか? 長老殿」
「わしに答えられることなら、良いとも」
「じゃあ聞こう。あんた、シャナを今まで何人殺した?」
「そんなこと、覚えているわけがないだろう」
ほんの少しでも、あの子に情があったか、なんて。
悪辣の中にほんの一匙の善性を期待していたわけではない。
「……とか。そういう返事を、期待していたかね?」
それでもやはり、返答はバカみたいなおれの返答よりも、ずっとずっと黒い感情に塗れていた。
「もちろん、すべて覚えているとも。最初にアレが生まれてから、ずっとずっと……世話をして、管理してきたのが誰だと思っている?」
おれの問いの意図が、どこにあったのか。
「喜びも悲しみも苦しみも。魔力を絞り尽くされて、息絶える瞬間の涙の一滴まで……アレから排出されるすべてがエルフという種族の財産だ。記録し、保管し、この頭の中に焼きつけているに決まっている」
見透かすように、嘲笑された。
「アレは貴重な魔法だ。世界を変える魔法だ。いくら調べ尽くしても、興味は尽きない。しかし……
「ああ、よくわかったよ」
どこまでいっても、そういうことだ。
人間とエルフでは、価値観が違う。
おれがシャナを連れて行っても、また別のシャナがこの村で死んでいくことになる。
そんな事実を許容して、のうのうと世界を救いに行くおれを……死んでしまったおれは許さないだろう。
「シャナを全員解放しろ。それなら、この村から出て行ってやってもいい」
「やれやれ。1人だけならくれてやると言っているのに。少年……強欲は、身を滅ぼすぞ」
「強欲、大いに結構」
ちびっ子をたくさん連れて戻ったら、アリアにはなんて言われるだろうか。きっと「旅は遠足じゃないんだよ!」とか言いながらも、文句たらたらでお世話してくれるに違いない。
おれはまだガキで、あの子に対して、何の責任も持てないけど。幸せにしてやると、断言することはできないけど。それでも、道具としてではなく、人間として彼女の隣に立つことだけはできるから。
「これから世界のすべてを救いに行くんだ。欲が深いくらいじゃないと、勇者なんて名乗れない」
「……なら、仕方ない。死んでくれ」
どうやらここが、おれの甲斐性の見せ所らしい。
威勢よく啖呵を切った少年の最初の行動は、結局のところ先ほどまでと同じだった。
地面を這いずり回って、武器を拾い上げる。その行動を見下ろして、エルフの長は嘆息する。
(惜しいな)
若者らしい蛮勇だと思う。
センスはある。研鑽も年齢を考えれば、十分過ぎるほどに積んでいる。そして、身に宿す魔法はこの世の理を根底から覆しかねないもので。ともすれば、あの少年はあの魔王を打ち倒し、世界に光をもたらす存在になれるのではないか、と。エルフの長は、たしかにそう思った。
だから、見逃そうと考えたのだ。シャナの1人は貴重なサンプルだが、またいくらでも補充できる。くれてやることに、不満はなかったのだが……
「本当に、残念だよ」
殺してしまおう。
少年を見下ろして、長老は手をかざす。喉を枯らして叫ばなければ声が届かない高さまで、さらに高度を上げる。
間合いのアドバンテージは、最初から最後まで、こちらにある。自分は飛べる。少年は飛べない。いくら足に魔力を流して強化したところで、人間の跳躍力には限界があるのだ。唯一、届く攻撃手段は、先程のような武器の投擲のみだが、それは
故に、エルフの長は余裕を持ったまま、少年を殺す方法を思案し、
「あ?」
眼下の光景に、思考の停止を自覚した。
膝を曲げ、地面を踏みしめて。
少年の体勢は、その構えは、まるで「そこまで届くぞ」と、声なく告げているようで。
事実、次の瞬間に弾丸の如く飛翔した体は、あまりにもあっさりと空中を駆け上がった。
「いつまで、上からもの言ってんだ」
囁くような、声が聞こえた。
振り下ろされる斧と体の間に、咄嗟に盾を挟み込む。それでも、少年はその上から斧を叩きつけた。
結果、長老の体は垂直に落下し、大地に叩き落される。
「あっ……が!?」
胸を打ちつけた衝撃で、胸の中から空気が漏れ出した。
「やっと同じ目線になったな」
自分を見下ろす、声が聞こえた。
「あんたは最初から大嘘吐きだ。そんなくたびれた翅で、若いエルフみたいに飛べるわけがない」
──飛べるのか、その翅で
──飛べるのさ、こんな翅でもな
交わした言葉は、どちらも欺瞞だった。
ある意味、当然だ。最初から、どちらにもわかりあう気などなかったのだから。
「
口の中の砂利を噛み締めながら、顔を上げる。
大盾を地面すれすれの高さまで下げ、追撃を警戒しながら、それでも老いたエルフは精神的な優位を保つためだけに、言葉を紡いだ。
「……よく、見破ったな」
「ああ。逆に、こっちの魔法は全部知られてるわけじゃないみたいだな。安心した」
「……ッ」
理解する。
世界を救う。そんな大言壮語を当たり前のように口にし、当然のように成し遂げようとする人間が、普通であるはずがない。
一度、二度、殺せたとしても。三度目まで、黙って殺されるとは限らない。
「言われた通り、おれは強欲だよ」
ここに至って、エルフの長は理解する。
奪ったつもりでいた。見下ろし、上に立っているつもりでいた。
「あんたのそれは、とても良い魔法だ」
違う。
アレは、最初から自分を獲物として見ている。
「クソジジイにはもったいない。おれに寄越せ」
命と魔法を。
奪うか。奪われるか。
「……若僧が」
人間とエルフ。
異なる種族の魔法使いの、殺し合いがはじまる。
今回の登場魔法
・『
勇者くんが最初にゲットした魔法。体を鋼の硬さにすることができるらしい。冒険序盤で勇者くんが死ななかった理由の九割はこれ。元々はシエラという女性が所持していた。
・『
勇者くんが二番目にゲットした魔法。投げたものを必ず目標に命中させることができるらしい。冒険序盤で勇者くんが頼っていた遠距離攻撃の九割はこれ。元々はゲドという盗賊が所持していた。
・長老の魔法
自分自身と触れたものを浮かせることができるらしい。