やはり、こんな荒野のど真ん中でも、飲食店を構えたのは間違いではなかったらしい。
「ごちそうさまでした。おいしかった」
「いやいや、こちらこそ。おもしろい話を聞かせてもらったよ」
代金を受け取り、店主はそう言葉を返した。
出した食事にきちんと礼を言ってくれる客は好ましい。それが、この世界を救った勇者なら尚更だ。
「まさかこんなところで、噂に名高い勇者さまが拝めるなんて思わなかったよ」
「……あー、わかっちゃいました?」
「最初は随分と大仰な呼び名で呼び合う変わったパーティーだと思ったけどなぁ。まあなんか、漏れ聞こえてくる会話の内容から、ああ、こりゃ本物の勇者さまだなって」
「あはは……」
相変わらず、勇者の青年は人の良さそうな、ちょっと困った苦笑いを浮かべている。
女性ばかりのパーティーだからそんなに値段はいかないものとばかり思っていたが、ずいぶんたくさん注文して飲み食いしてもらったので、合計金額はそれなりになっていた。ぎりぎりサービスできる範囲を頭の中で算盤をはじいて計算して、店主は青年にいくらかの釣り銭を返した。
「あれ? 多くないですか」
「おまけしとくよ」
「ありがとうございます。ところで、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「どうぞどうぞ。道のことなら、もう半日も歩けば村に着くと思うが……」
「マスター、エルフですよね?」
「……おっと」
純粋に、店主は驚いた。
「……いや、まいったな。わりと、上手く誤魔化せてるつもりでいたんだが、いつ気づいた?」
「まず、こんな荒野のど真ん中にぽつんと店がある時点で、私は最初からあやしいと疑っていましたよ」
賢者の少女が、ゆったりとした口調で答えを提示する。
「そうかい? どこに店を開こうが、俺の自由だと思うが」
「もちろん、冒険者向けの休憩所や宿泊施設ならどんな辺鄙な場所にあってもおかしくはありませんが、それにしてては少々内装や雰囲気が凝りすぎています。粗野な冒険者や旅人は、べつに高級な皿や調度品の類は求めませんからね。休めれば十分です」
私はお皿やティーカップのことは詳しく知りませんが、うちの死霊術師は運送業を営んでいるので、どこの特産品かまでわかったみたいですね、と。店内で使っている備品にまで言及されてしまっては、もはや言い逃れのしようがない。
年齢よりも、彼女はずっと優秀な魔導師なのだろう。おそらく、魔術的に店の中も調べられていた。
「違う、というのであれば。とりあえず、その長髪をかきあげて、見せて頂けますか? 私の耳と差があるかどうか、見比べてみましょう」
とどめと言わんばかりに、少女は被っていたフードを下ろしてみせた。
ボリュームのある、ややくせの強いウェーブがかかった銀髪が、波のように広がってこぼれ落ちる。その美しい髪の間からは、エルフ族の特徴である尖った耳が存在を主張していた。
「同族に会うのは、ひさしぶりだな」
観念して、店主は長髪の右側をかきあげる。賢者の少女と同じ耳の形を見て、勇者の少年は軽く頷いた。
「失礼ですけど、おいくつなんですか?」
「そうさなぁ。いくつにみえる?」
「え」
「年頃の娘のような返しはやめてください。勇者さんが困ってるでしょう」
「はっはっは」
からかうと楽しい青年だな、と店主は思った。
とはいえ、見かけよりも若作りしているつもりなので、年齢がばれる心配はない。
「店主さんは、村を出て長いんですか?」
「それも、お嬢ちゃんのご想像にお任せするよ」
「では、質問を変えます。どうして村を出たんですか? 私のようなハーフエルフはともかく、普通のエルフにとってあの村はそう悪い場所ではなかったでしょう?」
そういう客観的な評価が下せる程度には、この少女はあの村に対して抱いていたであろう複雑な気持ちを、もう精算しているのだな、と。店主は目を細めた。
「さてね。たしかにあそこは、お行儀のいい花にとっては居心地のいい咲き場所だったのかもしれないが……俺みたいな鼻つまみものには、どうにも落ち着ける場所じゃなかったんだよ」
「エルフの村は、もうありません……多分、私のせいで、すべて燃えてしまいました」
「お嬢ちゃんのせいじゃないさ。俺は自分の種族のいろんなところがいやになって、あの村を出た。遅かれ早かれ、消えてなくなる運命だったんだろうよ」
「……村を出た理由を、お聞きしても?」
「ああ。きみと同じだよ。いや、逆というべきかな?」
「え?」
自嘲気味に笑いながら、少女と真正面から目を合わせる。
「人間の女性に、惚れちまってな。この店も、元々その妻がやっていたものでね。おれが引き継いだんだ」
それまで、常に余裕をもって会話を回していた少女が、はじめて息を呑む気配がした。
水晶玉のような碧色の瞳で何を考えているのか。それを覗きこむことはできないが、なんとなく、少女が何を思っているのかはわかった。
「失礼ですが、奥方は……」
「ああ。90歳だったよ。おれに合わせて、ずいぶんと長生きしてくれた」
自分のことでもないのに、少女はそっと顔を伏せた。それだけで、やさしい子であることがわかる。
なので、ちょっとからかいたくなった。
「お嬢ちゃんは、この勇者の兄ちゃんのことが好きなのかい?」
「はい。愛していますが、それが何か?」
「おぅ……」
いや、だめだった。からかって遊ぶ余地すらなかった。
顔を赤らめて手で覆っているあたり、まだ後ろの勇者の方が可愛げもからかい甲斐もある。
「じゃあ、もう言うことはねえや。お幸せにな、お二人さん」
「ええ。ご飯、おいしかったです」
振り返り際に、少女はさらに一言。フードを目深に被り直しながら、言った。
「また来ます」
からんからん、と。退店を告げるベルの響きだけが残されて、あれだけ騒がしかった店内が、再び静寂に包まれる。
素直じゃない分、あの子は幸せになるのに苦労しそうだな……なんて。隣にアイツがいてくれたら、そんな呟きに同意してくれただろうか、と。らしくない物思いに耽った。
「ちょっと! おじいちゃん! お客さん帰ったんだったら、洗い物手伝ってよ!? あたし、めちゃくちゃ料理作って大変だったんだから!」
が、そんな風に沈んでいた意識は、奥の厨房から飛んできたやかましい声に一瞬で吹き飛ばされた。
「……あー、うるっせえなぁ! 今行く! 今行くよ! ……ったく、やかましいところだけ遺伝しやがって」
「あ、今悪口言ったでしょ!? こんな寂れた店を手伝いに来てる孝行者の孫娘に向かって、その言い草はなに!?」
「ああ言えばこう言いやがる。べつに手伝いに来てくれなんて、頼んでないんだがなぁ……どうせ、俺の道楽なんだしよ」
「だっておじいちゃん、1人じゃろくに料理も作れないでしょ!」
「……んなこたねぇよ」
「でもあたしが作った方が美味しいでしょ!?」
「そりゃ、まぁ……」
ひたすらにやかましい孫娘が、料理の修行を終えて押しかけ同然にやってきたのは、つい最近のことだ。店主は深く、ため息を吐いた。
結局、自分の胃袋は死ぬまでアイツに掴まれたままだった。まさか、料理上手なところまで、きっちり孫に遺していかなくてもいいと思うのだが。
「ひさしぶりのお客さん、あたしも接客したかったなぁ……」
「それはだめだ。お前に接客はまだ早い」
「おじいちゃん、前にあたしがお客さんに口説かれたの、未だに根に持ってるでしょ?」
「べつにそんなんじゃない」
顔の良さまで遺伝したのは、嬉しいと同時に少々複雑である。
どちらにせよ、あの青年は明らかに生粋の女たらしだったので、絶対に孫娘を会わせるわけにはいかない。ろくなことにならないに決まっている。
「さて、次はどのあたりに店を出すかね」
店全体に仕込んである、
「今度はもうちょっと人が通る場所にしてね」
「忙しすぎると、おれが疲れちまうんだよ。なんせ、良い年だからな」
「まだまだ元気なくせに。で、おじいちゃん。さっきのお客さん、どんな人たちだったの?」
「ああ」
腕まくりをして、洗い物をするために厨房に入った。
「世界を救った、勇者の御一行様だったよ」
「……おじいちゃん、やっぱりボケた?」
「はっ倒すぞ」
狐に化かされたことは一度もないが、狐に化かされるとはこういうことを言うのだろうな、とおれは思った。
「……消えたな」
「……消えましたね」
扉を開けて、店を出た瞬間。厳密に言えば、店を出たと認識して、振り返った瞬間、おれたちがさっきまで食事を楽しんでいた店は、忽然と姿を消していた。
「勇者くん! 大丈夫!?」
「お店! お店が消えちゃいましたよ、勇者さん!」
外で待っていた騎士ちゃんと赤髪ちゃんも、あわてた様子で駆け寄ってくる。ついさっきまで入っていた店がいきなり消えてしまったのだから、驚くのも無理はない。
ていうか、もしかしなくてもあのエルフの店主、めちゃくちゃすごい魔術の使い手だったのでは?
「どう思う賢者ちゃ……」
「空間転移用の魔導陣を店全体に仕込んでいたとして、どこに仕込んでたのか全然わからなかった……人やモノを転送させるのとはわけが違う……だって建物をそのものを転移させたのにそこに建物があった痕跡すらない。つまりこれは地面に仕込んだものではなく建物をそのものを転移対象として認識させているということ。だとしてもこんなに一瞬で何の予備動作もなく忽然と消えるなんてありえない……でも認識阻害の類いじゃなくて明らかに建造物そのものが移動している……店そのものを単一の存在として確立させている? その場合、建築の土台から魔術的アプローチをする必要が……でもその方が明らかに手っ取り早いし、一応の辻褄が合う……だったら」
ぶつぶつと呟きながら、賢者ちゃんは乾いた地面に杖の先でガリガリとおれにはよくわからない式を書き込んでいく。
あ、これだめみたいですね。スイッチ入っちゃってるわ。
「騎士ちゃん、赤髪ちゃん。悪いけど先行ってて。多分、師匠が死霊術師さん拾いに行ってるから」
「はいはーい。じゃあ、先行ってるね」
「わかりました」
隣にしゃがみ込んで、うわ言のように呟きを止めない賢者ちゃんをしばらく隣で眺める。
「はっ! すいません。つい……」
「いいよ。気が済んだなら行こっか」
「そうですね。30人くらいに増えて、じっくり思考を共有して取り組みたいところですが」
「だめだめだめ。それ、絶対日が暮れるパターンでしょ」
さっきの魔術はおそらくあーだこーだ、と。うんちくを垂れ流すモードに入った賢者ちゃんの話を、笑いながら聞き流す。
しかし、口と同じくらい滑らかに動いていた足が、ふと止まった。
「ん、どうかした?」
「ああ、いえ……」
すぐに視線は逸らされてしまったが、何に目を留めていたかはすぐにわかった。
花だ。草木すら少ない荒野の中で、それでも懸命に咲こうとしている、小さくてかわいらしい一輪の花。
賢者ちゃんと同じように、おれの目も何故かそれに強く惹かれてしまった。
「賢者ちゃんは、花は好き?」
「そうですね」
視線が、前に戻る。
「好きだったんだと思います」
花を見る時。
賢者ちゃんはいつも嬉しそうに、寂しそうな表情をする。
自分の中にいる誰かを思い出すような、そんな顔をする。
そして、決まってどこか遠くを見る。
「なんで過去形なわけ?」
「……はぁぁ。そういう質問します? 今の私は成長しましたからね。お花に無邪気に喜んでいたあの頃と違って、大人になったんですよ」
ぐだぐだと言いながら、しかし賢者ちゃんは花の前で膝を折った。
水の魔術だ。かざした指先から、雫が落ちる。根付く地面がやさしく濡れて、花を支える緑色が、少しだけ背伸びしたように思えた。
「お、やさしい」
「気紛れの慈悲です」
「またかわいくない言い回しを……お水をあげたくなった、でいいじゃん」
「よくないですよ。だって、わたしがずっとここにいて、この花に水をあげられるわけじゃないでしょう?」
しゃがみこんだまま、賢者ちゃんはじっと花を見詰める。
「こんなところじゃなくて、もっと楽な場所で咲けばいいのに、とか。今はそういことを考えちゃいますから」
……なんというか、本当に素直じゃない育ち方をしたなぁと思う。
とはいえ、質問にはしっかり答えてほしいものだ。
「過去形じゃなくて、現在進行系なんだよね」
「はい?」
「さっきの質問」
むぅ、と。ローブに包まれた背中がもぞもぞした。
「……答えをわかっている問いを投げる方が、いじわるだと思いますよ」
「つめたっ!?」
すくっ、と。立ち上がって。ちょん、と。
背伸びした指先に鼻をつつかれて、おれはたまらずあとずさった。
「──花は好きです」
不意打ちだった。
「特に、その場所でがんばって咲こうとしている花は、もっと好き」
花が咲くような笑顔、という表現を最初に考えた人は、間違いなく天才だと思う。
だって、いつもは素直じゃないくせに。
急に昔みたいな笑い方をされると、おれの心臓が少し跳ねてしまう。
「でも、人は一輪の花よりも、一面に広がる花畑に惹かれるものでしょう?」
「……そうかな?」
疑問を返して、おれは見た。
水を浴びて、心なしか艶やかに輝いているように見えるその花を。
「おれも好きだよ。小さくてかわいい花は、特に好きだ」
「そうですか。それは……よかったです」
小生意気で、あっけらかんとした、鈴の声。
それでも、さっさと歩き出した背中には、また笑う気配があった。
燃え盛る森から脱出するために、彼が選択したのはいちかばちかの賭けだった。
「いくよ。しっかり掴まって」
「はい」
「コール……マーシアス。『
少女の身体を強く抱き締めると同時に、彼と少女の身体が、重力を無視してふわりと浮き上がる。
その魔術に、否、魔法に、少女は覚えがあった。
「長老の……」
そのままぐんぐんと高度を上げた少年は、遠方にちらりと見えた明かり……おそらく、遠く離れた村のものであろうそれを見据えて、呟いた。
「これならいけるか……」
その明かりに向けて、
ぎゅん、と。ただ浮かぶだけだった身体が、まるで風に押し出されたように、加速して射ち出される。
「きゃっ……」
眼下を、見る。
燃え盛る、生まれ故郷の森。風は冷たくて、指先はかじかんでしまいそうなほどに寒い。
「ごめん。本当に、ごめん……」
彼は悪くないはずなのに、なぜか、彼はそれを心から悔いているようだった。
「でも、絶対に……絶対に、おれと一緒に来てくれたことを、後悔はさせないから」
それを、認識した瞬間に。頬で受ける風の冷たさを、強く抱きしめられた熱が上回った。
下を見るのではなく、前を見る。
顔をあげると、闇の中に浮ぶ月があった。ささやかに、けれどたしかに光る、いくつもの星々があった。
それは、少女がはじめて誰かと見る、夜の輝きだった。
だから、不思議と、こわくはなかった。
「大丈夫?」
「はい」
これだ、と少女は思った。
彼に恋した『私』の想いを、私は知らない。それがどれほど深い気持ちだったのか、わからない。その無念を晴らすことは、きっとできない。
だって、私は私だとしても。
この世界に、まったく同じ恋は一つとして存在しないから。
この夜、この瞬間。彼を見詰めるこの気持ちは……それだけは絶対に、私だけのもの。
ああ、そうだ。
きっと『私』は、この人に恋をした。
「お兄さん」
「ん?」
「名前を、教えてくれませんか?」
そして多分、これから私もこの人に、何度でも恋をするのだ。
静かに咲かせた想いを、幾重にも重ねて、花束のように。
──このささやかな恋を、愛に変えていくのだ。
今回の登場人物
・勇者くん
長老の魔法を奪ったあとは、魔法を組み合わせることにより、ある程度の自由飛行能力を得た。普通にチート。花を見ているときの賢者ちゃんの横顔が好き。
・賢者ちゃん
花を育てるのが趣味。勤務している魔導学園には、シャナが自分で栽培している花壇がある。その花壇の前で告白すると想いが成就すると、生徒たちには専らの噂。元々凝り性なのできれいに咲かせる方法をいろいろと模索しているが、冒険の途中に足元に咲いている花を見るのが、一番好き。
・店主
実はエルフ。実は魔導師。村から出て生活することは、当時のエルフの里では重罪にあたるので、殺されずに逃げ切っただけでありえない凄腕の魔導師。
妻が亡くなったあとは、残された店を暇そうな場所に出して、余生を過ごしながら一人でゆったり切り盛りする予定……だったのだが、最近孫娘が押しかけてめちゃくちゃ騒がしくなった。どんなに生意気でも孫はかわいいので、満更ではない模様。
・孫娘
厨房担当。店主の奥さんに似て、とても美人らしい。おじいちゃん一人では店をやっていくのは難しいだろうな、と思って王都で料理の修行を積んでいた。貴族向けの一流店に放り込まれても鼻歌交じりに包丁を振るうことができる腕前。
賢者ちゃん過去編、完。タグの『ギャグ』があまりにも仕事してないので、騎士ちゃん過去編入る前に、ちょっとクエストしたりすると思います。