「で、あの踏んでた人どうしたの? 大丈夫? まだ生きてる?」
「……ひさしぶりに会う仲間への第一声がそれって、勇者さんは本当に、私のことをなんだと思ってるんですか?」
「こわい子」
「名前と一緒に語彙も失ったんですね。かわいそうに」
ひさしぶりに会う賢者ちゃんは、案内された応接室のソファーにどかっと腰を下ろして、ほっそい足を高い位置で組み、かわいそうなものを見るようにおれを眺めていた。めちゃくちゃえらそうだなコイツ。
なんだか取り込み中みたいだったので、また日を改めて訪ねようかとも思ったのだけれど、賢者ちゃんは予想以上に早く用事を済ませて、おれたちに会う時間を作ってくれた。決して暇な身の上でないだろうに、ありがたい話である。
「はぁ……殺してませんよ。どちらかといえば、彼は都合よく利用された側の人間ですし。まだまだ私にとっても利用価値がありそうだったので、解放してあげました」
「それはよかった」
「良い豚になりそうです」
「あの人、一応王国に五人しかいない騎士団長だよね?」
どんだけこわいことしてるの、この子。曲がりなりにも国防のトップを担う人材を気軽に豚さんにしないでほしいんだけど。
「それで、そちらが勇者さんの新しい彼女さんですか?」
「い、いえ! 彼女だなんてそんな! わたしは勇者さんに助けて頂いただけで……」
「ちっ……」
でかい舌打ちが漏れた。
赤髪ちゃんが身を固くして、賢者ちゃんとの間に緊張がはしる。おれは慌てて間に入った。
「お行儀悪いぞ、賢者ちゃん。あと、おれはこの子を普通に助けただけだから、べつにそういうのじゃないから」
賢者ちゃんの圧に押されて、赤髪ちゃんは明らかに小さくなっていて、肩身が狭そうである。
「は、はじめまして。わたしは」
「自己紹介はいらないです。おおよその事情はさっき勇者さんから聞きましたし。この人は私の名前も、あなたの名前も聞こえないんですから」
なんかおれ、気を遣われてるなぁ。申し訳ない。
「あなたも、私のことは名前で呼ばずに、適当に『賢者さん』とでも呼んでください」
「は、はい。えっと……賢者さんは、勇者さんと一緒に冒険されていたんですよね? ということは、魔術士さんなんですか?」
赤髪ちゃんの質問に、賢者ちゃんはむっとした表情になった。
「賢者っていうのは『魔術士』じゃなくて、高位の『魔導師』の別称なんだよ」
「役職名ってことですか?」
「えーと……そもそも、魔術を使う魔術士にも種類があるのはわかる?」
「いえ、全然」
まあ、記憶ないもんな。
「魔術を使える人間は、その上手い下手に関わらず魔術使いって呼ばれるんだけど。学校に通って正式な学問として魔術を学んだ人間のことを、魔術士っていうんだ」
「ふむふむ」
「人に魔術を教えることができる人間は、魔術士とは区別して、魔導師って呼ばれる。魔を導く師、と書いて魔導師だ」
賢者ちゃんは、一流の魔導師である。
その中でも『賢者』とは、魔道を修めた者達の中でも、より高いレベルでそれらを伝え教えることができる高い位の魔導師を指す。生まれついての感覚やセンスに頼って魔術を使う者も多い中で、そのメカニズムを正確に理解し、解き明かした者。文字通りの、賢き者。それが賢者なのだ。
付け加えて言えば、賢者ちゃんは『魔法使い』でもあるんだけど、まあ『魔導師』も『魔法使い』も、やることに関しては似たようなもんなので、そこはどうでもいい。
「あの、少し聞いてもいいでしょうか?」
「どうして私があなたの質問に答えなければ」
「賢者ちゃん」
「……はぁ。どうぞ」
「あの、賢者さんはどうして部屋の中でもフードを被ってらっしゃるんですか?」
「ああ。そんなことですか」
ばさり、と。特に迷う様子もなく、黒いフードが捲られて落ちる。賢者ちゃんのきれいな顔がはじめて陽の光に当たった。
というか、一年会ってないだけでまた美人になったなこの子……
「ご覧の通り、厳密に言えば私は人間ではありません」
賢者ちゃんの顔を見て、その美しさに目を惹かれる人はとても多いと思うけど。多分、それ以上に、はじめて彼女の顔を見る者は、その耳を見てしまうはずだ。
常人とは明らかに違う『とがった耳』を見て、赤髪ちゃんははっとした。
「えっと……変わったお耳ですね?」
おいおい。赤髪ちゃんは、ボケの才能もあるな。
「ぶっとばすぞ」
「ひっ」
「どうどう」
そろそろ賢者ちゃんが杖から何か撃ち出しそうだったので、手で抑える。
まあ、多分知らないというか、覚えていないと思うので、説明しようか。
「賢者ちゃんは『ハーフエルフ』なんだよ」
「はーふえるふ?」
「エルフ族と人間の混血ってこと」
「そんなことも知らないなんて、ほんとに無知ですね」
「記憶喪失だって言ってんだろ。知識マウントやめろ」
暴言がひどくなってきたので、手を伸ばしてぐりぐりと、きれいな銀髪の頭を押し撫でる。
「……むぅ」
ふわふわの銀髪は、最高級の絹糸のような手触りだ。髪は女の命、というのはもちろんおれも理解しているつもりだし、あんまり雑に触ってはいけないことはわかっている。わかってはいるのだが、賢者ちゃんがまだ小さかった頃から一緒に旅をしてきたので、なんとなく癖になってしまっているのだ。
「…………」
きゅっと唇を真一文字にして、翠色の瞳が細められる。口を開けば罵詈雑言が飛び出すが、こうしていると子犬のようだ。美貌のわりに子どもっぽい仕草に、赤髪ちゃんが目を丸くした。
さて、説明に戻ろう。
「エルフ族は長命で、魔術を扱うことに長けた亜人種なんだ。半分エルフの血が入っている賢者ちゃんには、元々魔術の高い才能があったってわけ」
「我ながら天才過ぎてこわいですね」
「謙遜も美徳だぞ」
この子は昔から褒めると伸びるタイプなのだが、褒めまくってたらこうなってしまった。ちょっと育て方を間違えてしまったかもしれない。
「エルフ族は長命、ということは、もしかして賢者さんも、見た目よりお年を……?」
「いや、賢者ちゃんは16歳だよ」
「わかっ!?」
赤髪ちゃんは、賢者ちゃんのローブに包まれた細い肢体を眺めて、それから自分の身体を自分で確認して、頷いた。
「なるほど。見た目通りのご年齢なんですね」
「賢者ちゃん賢者ちゃん。そのままの意味だから。きっと他意はないから」
賢者ちゃんの杖を押さえて止める。
コイツ、煽りの才能もあるのか?
「さて……」
十分後。部屋の中には、おれと賢者ちゃんだけになった。赤髪ちゃんは、街に買い物に出かけている。
さすがにおれの用立てた服では限界があるということで、賢者ちゃんの従者に頼んで赤髪ちゃんの生活に必要なものを、街で見繕ってもらうことになったのだ。首都の商店なら、おれが住んでいる片田舎の街よりもずっといい品物が揃うので、正直かなりありがたい。
それに、賢者ちゃんと二人きりで話したいこともあった。
「で、どうだった?」
「特にあやしいところはありませんでしたよ。まあ、白なんじゃないんですか」
すっと賢者ちゃんが指先を振ると、足元にミニサイズの魔導陣が浮かび上がった。
これは、近くの対象を魔術的に精査して、呪いや特別な魔法を持っていないかチェックするためものだ。
「ていうか、最初から私に魔術精査させるつもりでここに連れてきたんですか?」
「まあ、うん」
「悪い人ですね」
「仕方ないでしょ。本人、何も覚えてないって言うんだから。調べられるところから調べないと」
「それは正論ですけど、女の子に隠し事は良くないですよ」
「うっ」
相変わらず、痛いところを突いてくるなぁ。
昔は、話してる時はもっと素直で可愛げがあったのに、一体いつからこうなったのか。今となっては、もう話術で勝てる気がしない。
「賢者ちゃんのことだから、この部屋だけじゃなくて、別の部屋からも魔術精査かけてたんでしょ?」
「私のことだからってなんですか。私のことなんだと思ってるんですか。まあ、両隣の部屋から彼女のことはじっくり観察して丸裸にしてましたけど」
「やってるじゃん」
「おっぱい大きかったですよ」
「マジで? 死霊術師さんとどっちがでかい?」
「なに食いついてるんですか。へんたい。カス」
「話振ったのそっちだよなぁ!?」
この子は時々、マジで口が悪くなる。育った場所でいろいろあったので、仕方ないんですけどね。
まあ、賢者ちゃんが一番胸のサイズが小さいのは明白なので、そこは揺らぎようがない。小ぶりな胸を張って、ハーフエルフの天才賢者は続けて言った。
「しかし、天才の私にもちんぷんかんぷんですね。記憶喪失になった原因が気になりますけど、残念ながら魔術的なものではなさそうですし。ぶっちゃけ何もわかりませんでしたよ」
何もわからなかったのに、なんで胸張ってんだコイツ。元々張る胸もないくせに。
「魔術的に何もわからなかったということは、心の病気とか、何らかの外傷によるショックとか、そういう感じの原因ってこと?」
「そんな感じですかね。私は魔導師であって医者ではないので、心理的な病気のお話になってくるとお手上げです」
「うーん。賢者ちゃんに相談してだめ、か。困ったなぁ」
おれが唸ると、賢者ちゃんはなぜか嬉しそうに「ふふっ」と笑った。なんで笑ってんだコイツ。元々かわいいくせに。笑ったらもっとかわいいだろうが。
「騎士さんでもなく、あのクソネクロマンサーでもなく、最初に私を頼ってきたことだけは、勇者さんにしては良い判断だったと褒めてあげます」
「はあ。褒めて頂き、ありがとうございます」
「しかし、私では手詰まりなのは間違いないので、次は騎士さんのところに行くのがいいでしょう」
上機嫌なのか、わりとまともなアドバイスをくれた。
「おれもそうしようと思ってたんだけど、騎士ちゃんの領地まで行くの、結構時間がかかるんだよね。向かうなら、もうちょっときちんとした旅支度を整えたいな」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。数ヶ月前に、私が空間転送用の魔導陣を敷設しました」
空間転送用の魔導陣、というのは人間を運ぶことができる高位の術式のことである。術式を刻んだ魔導師が対応する魔導陣を繋げることで、ある距離を無視して一瞬で移動することができる。少人数でしか使えないのが難点だが、今では各地を繋ぐポピュラーな移動手段の一つになっている。
「もちろん、騎士さんの領地と繋げておきました。勇者さんがここまできたように、一瞬であちらまでひとっ飛びです」
「便利な時代になったもんだ」
「騎士さんのところで、何かわかるといいですね」
「そうだなあ。今のところ、あの子に関わることって何もわかってないし。騎士ちゃんなら他の領主に働きかけて戸籍も調べられるから、それに期待かな」
そういえば、と。賢者ちゃんはカップの紅茶を皿に戻して言った。
「あの子を追っているあやしいヤツらがいたのなら、捕まえて縛り上げるなり、拷問するなりして、情報を聞き出せばよかったのでは?」
紅茶を口に含んだまま、おれは固まった。
「……賢者ちゃん」
「なんです?」
「やっぱり、賢者ちゃんは天才だな……全然思いつかなかった!」
「で、そいつらはどうしたんですか?」
「ごめん全員ぶっ飛ばして捕まえるの忘れてた」
「ドアホのクソバカ」
夜。
宿に帰る勇者を見送ってから、シャナは光が落ち始めた街の中を、一人で歩いていた。
あの赤髪の少女に必要なものは、一通り用立てたつもりだし、魔導陣の用意も完璧だ。なにもなければ、明日の朝には出発できるだろう。
そう、なにもなければ。
わざと人気のない路地に入り、立ち止まる。
「さて、そろそろ出てきてくれませんか?」
空間へ向けた問いかけに、返答があった。
夜の闇に溶け込んだ影の中から、音もなく。シャナの二倍はあろうかという体躯が浮上する。
狭苦しい道を全て塞いでしまいそうなサイズの、漆黒の翼。赤褐色の、鋭い爪。総じて、明らかに人ではない、人外の威容。
「いつから気づいていた?」
牙を生やした口から発せられる、驚くほど滑らかな人の言葉。
「悪魔ですか。それも、上級の。ひさしぶりにみましたよ」
モンスター、と呼ばれる人に害を為す存在の多くは、この世界の生態系に組み込まれた生き物だが……いくつかの例外は存在する。
人語を理解し、巧みに人間を誘惑し、闇の中に落とす魔の眷属。これを、人は『悪魔』と呼ぶ。
「質問に答えてもらおう」
「もちろん、最初から気づいていましたよ。わたしを誰だと思っているんですか?」
「あの勇者と肩を並べた賢者、と聞き及んでいる」
「それだけですか。まあ、いいですけど」
異形の悪魔に向けて、にこり、と。シャナは気安い笑みを向けた。
「じゃあ、さよなら」
モンスターならば、調教してペットにできる。そもそも、偶然出会ったところで牙を剥いてこないのなら、無理に殺す必要はない。
だが、悪魔は最初から、人の敵。害にしかならない存在だ。
言葉とは、相手とコミュニケーションを取るためのもの。コミュニケーションを取る必要のない存在と、言葉を交わす必要はない。
故に、速やかに殺す。
最速、最短。悪魔の足元に展開された魔導陣は、眩い光を放ち、
「え」
止まった。
魔導陣が、作動しない。
賢者は、己の影を見た。深い闇に紛れて、貼り付けられた、見たことのない紋様の呪符。
(まさか、魔封じのッ……!?)
高いヒールが、石畳を蹴る。華奢な身体が、後ろに向かって飛び退る。
判断の早い、回避行動。
しかし、それはどこまでいっても、近接戦の不得手な、魔導師の動きでしかない。
「遅い」
悪魔は、人間と契約し、闇の中にその存在を落とすために、言葉を学ぶ。
だが、人間はそもそも悪魔の餌。格下の、塵芥のような存在だ。
最初から殺すことを決めていたゴミと、言葉を交わす必要はない。
「……ぁ」
原始的な爪が華奢な身体を貫き通し、そのまま二つに裂いた。
生きているだけで、この世界は地獄だった。
人との間に生まれたというだけで、シャナはその村で迫害された。苗字はない。元より、エルフという種族には名前以外に家名を戴く文化はなかったが、人間の父親に認知されなかったシャナは、自分の苗字すら知らぬまま育った。
名前だけではない。母親は、シャナを生んですぐに死んだ。どんな人かも知らなかった。せめて、どんな女性であったか知ることができたなら、恨みようもあったのかもしれない。しかし、顔も性格も知らない母を、恨むことはできなかった。
シャナの耳はエルフの特徴をたしかに受け継いでいたが、それ以外は人間の身体そのものと言っていいほどに、彼女の身体はエルフ族の中で平凡だった。羽根はなく、空を飛べず、同族に馴染めない少女を、エルフの里は容赦なく排斥した。
シャナが母親をなくした『ただのエルフ』であったなら、里の人間はその境遇に同情し、優しく教え導いただろう。
しかし、シャナは特別なハーフエルフだった。
自分とは違う存在に、共感はできない。同情もない。ただ、理解できない存在は気持ち悪いだけだ。
だから、村に訪れたその少年は、シャナにとってはじめて出会う、自分に近しい存在だった。
「きみは、エルフじゃないのか……」
面と向かって、少年は言った。
「この村は、好きか?」
面と向かって、シャナは首を横に振った。
「じゃあ、一緒に行こう」
それ以上は何も聞かずに、少年はシャナに手を差し伸べた。
理由はない。事情もない。たった一つの質問と答えだけで、少年はシャナを連れ出すことを選択した。
「あー、でもちょっとお願いがあるんだ」
少年は、少しだけ悩む素振りを見せて、シャナに言った。
「おれ、これから世界を救うために魔王を倒しに行くんだけど……手伝ってくれる?」
シャナには、そもそも世界が何かわからなかった。
シャナには、魔王がどれほどおそろしい存在なのか理解できなかった。
しかし、目の前の少年が救いたいものは救いたいと思ったし、倒したいと思ったものは、倒さなければならないと確信した。
シャナにとって、手を差し伸べてくれた少年が、はじめて知る世界の全てだった。
だから、
「あの、私……いっこだけ、特別な魔法が使えます」
気持ち悪い自分の力も、役に立てるかもしれないと思った。
「魔術を封じられた魔導師ほど、脆いものはないな」
目の前の死体を見て、悪魔は嘲笑う。
これが騎士であれば、魔術を封じられても剣で立ち向かうという選択肢もあっただろう。悪魔が切り札として用意してもらった『魔術封じの呪符』は、あくまでも魔力の放出と特性を封じるもので、魔力そのものを封じるものではない。つまり、魔導師殺しに特化した代物だったのだ。
魔力による身体強化を基本とする騎士ならば、あるいは肉弾戦で、悪魔に一矢報いることもできたかもしれない。
とはいえ、死体を前に可能性を考えることは、ただの時間の無駄だ。
「なにが最強。なにが無敗のパーティーか。王国最強の賢者がこの程度の実力なら、勇者も底が知れるな」
「そうは言われても、魔術が封じられたら私は非力な女の子なんですよねぇ」
ほとんど反射で、悪魔はその場から飛び退いた。瞬時に翼を広げ、爪を構えて、振り返る。
「オマエ……これは、どういうことだ」
「どうもこうも、見ての通りですが?」
悪魔は、死体を確認した。ソレは、たしかに死んでいる。
悪魔は、前方を確認した。そこには、たしかに王国最強と呼ばれる賢者がいた。
シャナ・グランプレは笑顔だった。
殺したはずの相手が、目の前にいる。
その理由をいくつか考え、悪魔は口にした。
「バカな……幻覚か? それとも、ゴーレムか?」
「冗談はやめてください。幻覚でも身代わりでもありません。だってあなた、たしかに私の腹を貫いて、心臓を握り潰したじゃないですか。とっても刺激的に、乱暴に」
己の胸を、人差し指で示して。
「すっごく、痛かったですよ」
悪魔が口にした可能性を、賢者は否定する。
「よもや、死霊魔術ではあるまいな?」
「……ウチのパーティーには、たしかに最高に腕が良くて最高に趣味の悪いネクロマンサーがいますけど。蘇生されたのなら、わたしの死体がそこにあるはずがないでしょう?」
くるくる、くるくる、と。その場で黒のローブが舞い踊る。
「私、
それは、どこまでもシンプルな答え合わせだった。
悪魔の背後から、三人目の声がした。
王国最強の賢者。シャナ・グランプレが、三人いた。
「……魔法」
「だいせーかいっ♡」
病的なほどに白い頬が、高い声と共に紅潮する。
人が解き明かし、魔力を用いて運用することができる超常の力は『魔術』と呼ばれる。これは、素質がある人間なら、誰もが平等に扱うことができる力だ。
しかし、人々は魔の深淵を、完全に解明したわけではなかった。
魔術とは一線を画す、異能力。選ばれた者だけが生まれながらに持つ、唯一無二の力。世の理を歪める異法。
それこそが『魔法』である。
「分身、か」
悪魔は、冷静に賢者の力の正体を分析する。
「分身? この期に及んで、まだ寝ぼけてるんですか? あなたのお粗末な魔力探知でも、もう答えは出ていると思いますけど」
悪魔が人に嗤われる、その屈辱。
歯噛みしながら、目を見開いた。ありえない。そんなことは、ありえない。
しかし、少女の言葉通り、悪魔の魔力探知は、一つの答えを明示していた。目の前に立ち並ぶ二人と、先ほど殺した一人。その魔力は、間違いなく全て同様のもの。
つまり、
「ふざけるな。本当に、実体を伴って増えているとでも言う気か!?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか」
新たな一人が、顔を出す。
「私の魔法は、ものすごく単純ですよ。
新たな二人が、魔導陣から現れる。
「増やしたものは、幻ではありません。現実に存在しますし、実体があります」
「食べ物を増やせば胃の中に収めることができますし、お金もやろうと思えばそっくりそのまま同じものが作れます」
新たな三人が、空中から飛び降りる。
「理屈ではありません」
「ものを増やす。一つだったものが、二つになる」
「これはそういう力。そういう概念です」
新たな四人が空中に浮かび上がり、悪魔を完全に包囲した。
「魔術を完全に封じる呪符。たしかに、とても厄介でした」
「私が一人だったら、完敗していたかもしれません」
「でもまぁ……そういう強いマジックアイテムを用意するのなら」
「人数分用意してくれないと、困るんですよね」
最後に現れた五人が、魔力の充填を開始する。
「ちなみに、増やせる数は100まで。これは、明確に決まっています」
「べつに頭の出来が良くない私が、どうして「天才」だなんて呼ばれているかというと」
「これは本当に単純な話なんですけど」
「100人で学べば、効率は100倍になる」
「ただそれだけのことなんです」
悪魔は、絶句する。
その魔導師は、触れた全てに神秘を与えた。
その魔導師は、存在そのものが神秘だった。
恵まれない出自を跳ね除けて、たった数年で魔術の頂点に手を伸ばした稀代の賢者は、それでもなお満足せず、決してその歩みを止めない。
それは、万物の理を捻じ曲げ、手にした全てを咲き狂わせる、欲望の純白。
『
この世界を救った、最高の賢者にして、魔法使いである。
「……」
たった一人の悪魔は、それでも居並ぶ最強を見上げて、不敵に笑ってみせた。
「……ぺらぺらと、よく回る口だな。そんなに自分の魔法の性質を語って、大丈夫か?」
「え?」
しかし、数え切れない賢者達は、誰一人として笑わなかった。
「だってあなた、ここで死ぬじゃないですか」
魔力が人間に宿る不可視のエネルギーであるならば、きっと人を想う気持ちにもエネルギーの総量があるのだろう、というのがシャナ・グランプレの持論である。
「一箇所にこの人数を集めたのは」
「ひさしぶりですね」
「まあ、いいでしょう」
「とりあえず、この悪魔をバラして、出所を探るところから」
「はじめよっか」
「こういう時、死霊術師さんがいたら楽なんだけど」
「でも絶対に頼りたくないですね」
「うん。やめとこやめとこ」
ぐちゃぐちゃにした悪魔の死体をかき集めながら、シャナは昔のことを思い出す。
幼い頃は、増える自分をコントロールできなかった。
増えたり減ったり、彼には随分と迷惑をかけた。
それでも、彼は優しく笑って、腕を目一杯に伸ばして、二人の自分も、三人の自分も、四人の自分も、たった一人きりの自分も、頭を撫でて抱きしめてくれた。
──私がたくさんいて、迷惑じゃないの?
──迷惑じゃないよ。もしもシャナが百人いたら、百回頭を撫でればいいだけだ。
シャナ、と。
彼に名前を呼んでもらうのが、大好きだった。
愛は見えない。愛は可視化できない。
それでも、もし。人を想う気持ちに総量があるのなら、彼ほど愛を持っている人間を、シャナは知らない。
だから、愛そう。あらゆるものを増やすことができるなら、それら全てで彼を愛し尽くしてみせよう。
彼女は、世界を救った勇者を愛している。
彼に好意を寄せる者が多いのは知っている。
それでも、シャナ・グランプレは断言できる。
──私の愛が、最も多い。
今回の登場人物
・賢者ちゃん
本名、シャナ・グランプレ。銀髪生意気メスガキハーフエルフ貧乳賢者。今回、悪魔の手によって魔術を封印されて『わからせ』かけられたが、本人が最強なので返り討ちにしてぶっ殺した。
パーティー屈指の恵まれない幼少期を過ごしたので、出世欲と知識欲の塊になっているが、彼女の基本行動原理は『勇者のため』という大前提の元に成り立っている。シャナにとっては勇者が世界であり、世界が勇者。勇者さえいれば、基本的にそれでいい。小さな小屋に一口のパンとスープがあれば満足するレベル。現在、首都でいろいろやっているのも、勇者をなるべく幸せにしたいから。手を差し伸べられたあの日から、彼女の中でそれが揺らいだことはない。
・悪魔くん
自然の生命とは異なる存在の闇の使徒。いろいろ対策してたが、最強を『わからせ』られた。
・勇者くん
エルフの里に立ち寄った際、10歳の賢者ちゃんを村から拉致った。そのため、世界を救ってもエルフ族からの印象は最悪だったりする。ロリコン疑惑あり。
・赤髪ボケ女
記憶喪失。自分の胸がでかいという自覚はあるらしい。
今回の登場魔法
固有魔法『
魔術とは異なる、選ばれた人間の心身にのみ刻まれる異能力を魔法と呼ぶ。勇者が率いたパーティーのメンバーは、全員がそれぞれ違う固有魔法を所持していた。
シャナの魔法の固有効果は『増殖』。自分自身と、その手で触れたものを、そっくりそのまま増やすことができる。増やした物体、対象に差異はなく、シャナが能力を解除しない限り消えることはない。触れた対象の増殖制限数は100。それ以上は絶対に増やすことができない。幼い頃のシャナは能力の制御がうまく行えず、しばしば複数人に増えていたため、魔術に通ずるエルフ族からも理解されず忌み嫌われていた。
ダイヤが一つあれば、百個になる。伝説の聖剣を一振り手に入れれば、それを増やし百人の味方に装備させることができる。まさに一を百にする、この世の法則に唾を吐きかける魔法。