そのスライムは、もはや校舎全体を覆いきりそうな勢いで巨大化し、広がっていた。
今からこれを、みんなで協力して倒す。やらなければならないと頭ではわかっていても、本当に討伐が可能なのかどうか。
「よーし、学生諸君。作戦は説明した通りだ」
しかし、そんな不安を根底から塗り替える声は、どこまでも落ち着いていた。
「まずは俺が前に出て適当にスライムをいい感じにあしらいながら……ほどよく削って弱らせるから……そしたらきみたちも、なんか良いタイミングで入ってきなさい」
落ち着いてたが、おじさんの指示はやはり雑だった。
「では、はじめよう」
言い出しっぺが、なんとやら。
騎士団長は軽い調子で剣を肩に担ぐと、先頭に立ってスライムに向けて突貫した。
作戦を簡単に説明された時、おれは「一人で大丈夫なんですか?」と彼に聞いた。巨乳好きで上裸だったおじさんは「大丈夫だ」とあっさり返答した。
その答えの証明が、おれの目の前で雄弁に繰り広げられる。
結論から言ってしまえば、スライムの触腕は騎士の鎧に触れることすら叶わなかった。
振り上げる一撃の、剣圧が重い。炸裂する一撃の、剣閃が鋭い。
重さと鋭さを伴う攻撃を呼吸のように繰り返しながら、それでいてスライムの触腕を避ける足取りは余裕を保って、どこまでも緩やかで軽く。
重いのに、軽い。そんな強さの矛盾の塊を、ありありと見せつけられる。
「よく見ておきなよ。後輩」
「先輩」
いつの間にか隣に立っていたイト先輩は、どこか得意気な表情で言葉を紡いだ。
「勇者になる、っていうのは……アレより強くなるってことだよ」
言われた意味に、ごくりと生唾を飲みこむ。
「イト! サボってないでちゃんと働け!」
「はいはいわかってますよ。おじさん」
軽い返事をしながら、イト先輩が前に出る。
抜かれたのは、通常の剣よりも細く薄い得物。よく手入れされた片刃の刀だった。
「イト先輩」
「ん?」
「さっきはすいませんでした。おれ、先輩のかっこいいところがみたいです」
「ほおほお、ほお。ふんふん、そっかそっか」
軽く。しかし満足そうに頷いた先輩は、何を思ったのか。地面に片膝をついて、おれに後頭部を晒した。そして、飾り気のないヘアゴムを差し出される。
「髪、結んでくれる?」
「……おれ、あんまりそういうのうまくありませんよ?」
「いいのいいの。ワタシがやってもらいたいだけだから。さあさあ、早く早く」
ヘアゴムを受け取って、艷やかな黒髪に触れる。女の人に髪に触るのは、やはりちょっとドキドキする。とはいえ、目の前で戦闘が繰り広げられているのに、呑気に髪型のオーダーを聞いている時間もない。おれはイト先輩の黒髪を、手早くポニーテールに括った。
「お、いいねいいね。意外とうまいじゃん」
「そうですか? 普通だとおもいますけど」
「ポニーテールも、きれいに結ぶのは意外と難しかったりするんだよ?」
馬の尻尾を、一房。軽く頭を振って揺らしたイト先輩の横顔は、どこか上機嫌で。
ざり、と。砂を踏みしめる靴の音が、やけにはっきりと聞こえた。
「じゃあ、ちょっとは良いところ見せちゃおっかな」
跳ねた。
小柄な体が、飛ぶように。否、実際に飛翔するように宙を舞って、スライムの塊に突貫。そのまま、振り上げられた細い刃が流体に切り込みを入れて、一刀両断する。
一刀両断、した。してしまった。
「は?」
あ? 斬った!?
あのやわらかいスライムを!?
「よしよし。どんどんいこうか」
呟きながら、加速する斬撃は止まらない。むしろ振り抜かれるごとに、使い手の昂りをそのまま表すかのように、キレと勢いが増していく。
スライムの切断を可能にしているのは、先輩の魔法だろうか?
斬撃の合間に織り交ぜ、炸裂する火炎は、魔術に依るものだろうか?
疑問と興味が、心の中から湧き出て尽きない。今のおれよりも明確に実力が上だと断言できる人間が、目の前で戦い方を見せてくれている。その事実を、噛み締めて、咀嚼する。
考える。
おれは、あの二人の、何を盗めるだろうか?
「良い顔をしているな、少年」
スライムの相手を、一旦イト先輩に任せて。傍らに着地したおじさんは、おれの顔を覗き込みながらそんなことを言った。
「貪欲な目だ。俺たちの動きを見て、何か掴めたか?」
「……いえ。正直、自分がおじさんと先輩の動きについて行けるイメージは、あまり湧きません」
「それでいい。己の力を正しく客観的に評価できるのは、戦場で生き残るために大切な資質だ。しかしあれを倒すためには、突っ立ってないで手伝ってもらわなきゃ困る。きみが持っている魔法の性質を簡単に教えてくれるか?」
「……おれの魔法は、自分自身と触れたものを、鋼の硬さに変えることができます」
魔法の本来の特性は伏せて、おれはおじさんの質問に答えた。現状、おれが使える魔法は『
「……ふむ。良い魔法じゃないか」
「でも、今はあまり役に立ちません」
自分の体を硬くしても、丸ごと呑みこもうとしてくるあのスライムには関係ない。常に流動する水のような状態のスライムを、硬くすることもできない。
しかし、おじさんは首を傾げた。
「なぜ、役に立たないと考える?」
「え?」
「できないと思うな。やれないと考えるな。想像を現実に、不可能を可能にするのが魔法だ」
落ち着いた声音から紡がれる、その一言一句が。
おれの心の中になぜか沁み入るように響いた。
「あのモンスターを見ろ、少年」
肩に、手を置かれる。
「きみの魔法は、触れたものを固くできる。物体の硬度を変えられる。まずはそれを強く意識しろ」
スライムを、見る。
常に流れ動く、不定形の本質を考える。
「逆に聞こう。なぜあれを硬くできない、と思う? それはあれが生物で、やわらかいもので、きみの中にあれを固めるイメージがないからだ。そういう固定観念を、きみが心の中に持ってしまっているからだ」
固定観念。思い込み。
「魔法を使うのに、それはなによりも邪魔なものだ。捨てろ。そして、考えろ。あれをきみの魔法で
ニヤリ、と。おじさんは悪い笑みを浮かべた。
「とても愉快なことになる気がしないか? さあ、わかったら、臆さずいけ」
背中を、強く押されて。おれはスライムに向けて駆け出した。
呼吸をする。集中をする。想像をする。
そう。イメージだ。必要なのは、強いイメージ。
スライムの触腕に触れた瞬間。取り込まれる前に魔法を発動させなければ、おれはあっという間にあの気持ち悪いぶよぶよに呑み込まれてしまうだろう。一度呑まれてしまえば、それでアウトだ。後から魔法が効いたとしても、もう遅い。自分の周りを固めてしまったら、むしろそれは己の首を絞めるだけだ。
しかし、スライムがおれに触れてきた、その瞬間。正しく、素早く、魔法を作用させることができれば……
「そう。やればできるじゃないか」
硬く、固めた触手を、弾くことができる。
どこにものを考える頭があるのかは知らないが、自身の体の変化に驚愕したのだろう。ぎょっとしたように動きが硬直し、スライムの触腕はおれを襲うのをやめた。
ならば、と。
今度は逆に、おれの方からスライムの体に触れて『
イメージは、ゼリーを固める感覚に近い。
瞬間、硬化した部位のスライムの動きが、明らかに鈍った。さらに困惑を重ねたように、痙攣を起こして麻痺したかのように、動きそのものが目に見えて止まった。
「おお、こりゃいいねえ!」
「ああ、これは助かる」
溌剌とした声が、重なって響く。
「「──斬りやすくなった」」
鋼の硬さ。それがどうした、と言わんばかりに。
先輩とおじさんの斬撃が、硬化して動きが静止した箇所を、あっさりと切り分けた。先輩が斬った箇所は、切断面がそのまま張り付きそうなほどに、滑らかに。おじさんが斬った箇所は、切断したというよりも、ハンマーで無理やり砕いたかのように、粉々に破断される。
あれ?
おれの魔法、ちゃんと発動してるよな?
これ、ちゃんと鋼の硬さになってるよな?
「……スライムを硬くしたら、お二人の攻撃が通らなくなるかなと思ったんですけど、いらない心配でしたね」
「ん? ああ、そういう心配はまったくしなくていいぞ。基本的に、おれもイトもなんでも斬れるからな」
なんでだよ。
「そうそう! 後輩くんはその調子でスライムを固めて、がんがん動きを鈍らせて! そしたらワタシたちが、じゃんじゃん斬って削っていくからさ!」
やっぱりおかしいだろ。
でも、それならたしかにいけるか?
と、安心したのも束の間。おじさんと先輩が斬ったスライムの塊が、どろりと液状に戻り、取り込んでいた人たちを吐き出した。そして、本体に戻ろうと怪しく蠢き出す。
「うおっと!?」
連結、合体。再構築。
完全にわかれて別個体になったスライムが、怒り狂って襲いかかってきた。おれが触れている部分から離れて、硬化の作用が効かなくなったからだろう。
手を離して、一度後退する。
「む。やはり本体から完全に切り離しても、動いて元に戻ってしまうか」
「これ、細かく刻んでも意味がなさそうだね」
言いながら、スライムを見るイト先輩の瞳の、片目の琥珀色が、濃い赤色に変化する。
……ちょっとまってくれ。
ただでさえ魔法持ちでめちゃくちゃ強くて最強なのに、もしかしてこの先輩、特別な『魔眼』の類いまで持っていらっしゃる!?
「イト。あと何人、中に残ってる?」
「さっき切り落とした部分に結構固まってたから、もう数人だよ。後輩くん! もっかいさっきのやれる!?」
「言われなくても、やりますよ!」
先輩と、動きを合わせて、再び前に出る。とはいっても、おれはついていくので精一杯で、イト先輩の方が合わせてくれた形だ。
硬化させて動きを止めてからの、再びの斬撃。
今度は頭頂部に近い部分を掻っ捌いたイト先輩とおじさんは、そこから数人を引きずり出した。
「お、ジルくんみっけ!」
「うぅ……ヌメヌメする」
「サーちゃん! ジルくん抱えて連れてって!」
「承知しました。正直ヌメヌメで触りたくないですが」
文句を言いながらもしっかり仕事をするサーシャ先輩が、生まれたての子鹿みたいになってるジル先輩をキャッチして離脱する。
「お、大丈夫かナイナ」
「ぐ、グレアム!? なんで貴様がここにいる!?」
「お前を助けに来たに決まっているだろ?」
「ふ、ふざけるな! 貴様はいつもそうやって……」
「ああ、すまない。お前の生徒をちょっと借りているぞ」
「ちょっとまて!? 私の生徒たちに危険なことはさせてないだろうな!?」
「ああ。お前を助ける手伝い程度しかさせてないよ」
「貴様ぁ!」
一方で、おじさんはどうやらウッドヴィル先生とも顔見知りらしく、全身ヌメヌメになってる先生を抱きかかえながら、ラブコメに興じている。冷静に考えて担任の先生がおじさんとラブコメしてるところを見るのは、中々心にくるものがあるな……正直、あとにしてほしい。今、ウッドヴィル先生、全身ヌメヌメでえっちなことになってるし。
「スターフォード団長! 助け出した人たちは全員離れました!」
「よし。ご苦労、槍の少年。じゃあ、コイツも頼む」
レオもしれっと救出した生徒たちを避難誘導していたらしく、報告を受けたおじさんはウッドヴィル先生をレオに向かってぽいっと放り投げた。めちゃくちゃ興味があるので、二人がどういう関係なのかはあとでじっくり聞くとしよう。
スライムを中身まで透かすようにまじまじと見詰めながら、イト先輩がサムズアップした。
「うん、大丈夫そうだね。 おじさん! もう中に人はいないよ」
「準備完了だな」
頷いたおじさんは、おもむろに振り返った。
そこには、制服のブレザーも、シャツも、スカートも、すべて脱ぎ捨てて、水着に着替えたアリアがぷるぷる震えながら立っていた。靴とハイソックスは履いたままなのでちょっとなんかこう、うん……なんだろうな……これはこれで魅力的でとてもありだと思います。
赤面したままのアリアに、おじさんが告げる。
「さて、プリンセス。俺は騎士で紳士だから、事前に確認しておくんだが……
「え。いやです」
「よし。ありがとう」
「質問した意味は!?」
おじさんは水着姿のアリアを抱えると、スライムに狙いを定めて両足を広げ、深く腰を下げてための姿勢を作った。
「いくぞ。女子をスライムに向けて全力投擲するのは、俺もはじめての経験だ。失敗したらごめんな」
「いや、ちょっとま」
「どっせい!」
アリア・リナージュ・アイアラスが、飛ぶ。
王国最強の騎士団長という砲身から、一国の王女が、一発の砲弾の如く。スライムという目標に向けて射出される。
これ非常時で誰も見てる人がいないからいいけど、普通に国際問題になりそうだなとおれは思った。
「いやぁあああ──へぶっ!?」
プリンセスキャノンは、狙い違わず、スライムの中心に着弾。あのヌメヌメを心底嫌っていたアリアの表情が、ここからでもわかるほど蒼白に染まり、そして歪む。
水着の女子生徒を、切り札の砲弾代わりにして投擲した騎士団長は、すでに勝利を確信した表情になっていた。
「繰り返しになってしまうが、魔法というのはつまるところ、想像の力だ。自身が置かれた状況や心の在り方で、その威力や性質は、いくらでも変化する」
アリアの魔法は、触れたものの温度を上昇させる。
しかし、アリア本人がスライムに触れるのを嫌っていたが故に、触ることで発動する魔法の本質を活かすことができなかった。あるいはおれのように、スライムの一部に触れたとしても……その全体を強く熱っするイメージを、アリアは持つことができなかったかもしれない。
だが、今。アリアは拒否権すらなくスライムの中央に投げ込まれ、そして体に張り付いた水着という薄布の上から、全身でスライムに触れている。その不快感と生理的な嫌悪から脱するために、魔法の出力は段違いに跳ね上がる。
「あのスライムはかなり厄介なモンスターだが、その本質はどこまでいっても取り込んだ水分にある」
ぶくぶく、と。
水が沸騰するような音がした。否、実際に巨大なスライムの全身が、余すところなく沸騰して、そして。
「プリンセスの魔法とは、相性最悪だ」
ある種の破裂音にも似た、凄まじい轟音と共に、おれたちを苦しめたモンスターは水蒸気になって、粉々以下の塵になって、霧散した。
「はっはっは! 本当にすごい威力だ。あ、少年。ちゃんとお姫様を助けてあげろよ。多分ショックで受け身取れないから」
「え、あ……はっ!」
言われてからその意味に気がついて、慌てて駆け出す。校舎並みの大きさだったスライムの中心からすべてを吹き飛ばしてそのまま落ちてきたアリアの体を、おれはスライディングでキャッチした。図らずも、お姫様だっこの形で。
「見事だよ、親友」
「お前近くにいたなら助けろよ」
「キミが間に合わなかったら、もちろんボクがキャッチしていたとも。しかしボクは空気が読める男だからね」
バカが!
空気の読めるイケメンへのツッコミは後回しにして、腕の中のアリアを見る。身体のラインが出る水着姿だし、なんか全身はほんのりとあったかいし、腕の感触にも目のやり場にも正直困る。恥ずかしさから悲鳴の一つでもあげてもらうのが正常な反応だと思うのだが、それ以上に本人の端正で整った顔が、なんというか性も根も尽き果てて、茫然自失としていた。
うん、大変だったな。本当に。
「ふぅ、う、ううう……もうやだ。スライムきらい。絶対一生関わらない……」
「……おつかれさま」
アリアを抱えたままのおれに、おじさんが近づいてくる。
「よーし。なんとかなったな! みんな、ご苦労! しかし、良い経験になっただろう? あとはおれの部下たちが到着したら引き継がせるから、一息ついてくれ」
はっはっは、と笑う巨乳好きの上裸おじさんに……否、
「グレアム団長。お願いがあります」
「ん?」
戦闘の最中、一瞬でおれに魔法の使い方を叩き込んでくれた、王国最強の騎士に頭を下げる。
「おれに、戦い方を教えてくれませんか?」
え、正気? という目で。
お姫さま抱っこしたままのアリアの視線が、おれを見上げていた。
今回の登場人物
弟子入り志願の少年
ちょっと魔法に関して新たな扉を開いた、気がする。
現在の勇者くんはムムを『師匠』、グレアムを『先生』として認識しているが、ムムは勇者くんのことを最初の愛弟子だと思っているので、グレアムの存在を知ったら多分めちゃくちゃ拗ねる。
アリア・リナージュ・アイアラス
尻を押し出されて砲弾として射出されるタイプのお姫さま。今回のイベントでスライムが完全にトラウマになってしまった。なお、作中で描写された通り、本人の魔法との相性はすこぶる良い。
元の100万パワーに、スライムに対する生理的な嫌悪の100万パワーをプラスして、200万パワー!
騎士団長による全力の射出エネルギーが加わり、200万×2の400万パワー!
そして、スクール水着を加えれば、400万×3……スライムマン!お前をうわまわる1200万パワーだっ!
レオ・リーオナイン
スク水にハイソックス……アリだな。
サーシャ・サイレンス
会長のヌメヌメはちょっと見たかった。
ジルガ・ドッグベリー
ヌメヌメした。
イト・ユリシーズ
黒髪ポニテ最強帯刀系オッドアイ生徒会長。過去の事故で潰れた片目を、魔力を宿した義眼で補っている。キャンサーの正体を見破ることができたのは、この眼があったから。使用にはいろいろとリスクがあるらしく、イトはいくつかの薬を日常的に服用している。
グレアム・スターフォード
俺は上裸だったのにきみは全裸だったから、俺が教えることとか何もなくない?と思っている
ナイナ・ウッドヴィル
銀髪褐色巨乳先生。グレアムとは子どもの頃からの幼馴染みで、騎士学校でも同級生の腐れ縁。学生時代は銀髪褐色ツインテールでメガネをかけていて風紀委員だった。