いつも多くのご感想と誤字報告、ありがとうございます。
はっきり言いましょう、峠の走り屋なんかやってるシマカゼタービンがすべて悪い。
こんなことするから無意識にSANチェックを振り撒く側になっちゃうんです。
静寂、それが練習場の観客席を支配していた。トレセン学園内にいくつも作られたレース場を模した練習用コースは不気味なまでの静寂が支配していた。
その中に自分はいた、どこにでもいる競争ウマ娘を目指して常に練習する彼女は目の前の現実が信じられなかった。
その静寂は長くなかった、徐々に広がっていくどよめきが静寂を侵食しやがて支配していく。
そしてその中に交じるうめきに似た何かに、何かが砕かれるような、心の中の何かが崩れていくような、自分を支えていたモノが壊れていくのを彼女は感じていた。
「うそ、だよね…」
震える声が隣から聞こえる。それは一緒に見物に来ていた友人だったのか、それとも名前も知らない他人のか、それとも自分自身だったのか、彼女には分からない。
前後不覚にも似た状況、ただ目の前で起きたあり得ない現実にただ目を奪われて、そして絶望を感じていたのだ
誰もかれもが、その光景に目を奪われていた。向けられたスマホのカメラが、デジカメのレンズが、それを克明にとらえていた。
自分達は見ていた、この目で確かに見ていた、あり得てはいけない現実が目の前で生まれる瞬間を見ていた。
「なんで、勝てるの?」
一般人が、プロに勝った。
「なんで?ねぇなんで?囲まれてたのに―――」
スタートはそこそこだった、しかしプロには敵わなかった。あっという間に囲まれた前半戦、終わったと思った。なのに勝った。
「一番後ろまで、下がってたのに!!なんで、追い付けるの!!」
前半で進路を切り開き、中盤で自ら最後方まで逃れ、中盤から後半まで異次元の加速で一気に最後尾から全員をごぼう抜きして最後は逃げ切った。
あり得ない、あり得ない戦法で、あり得ない加速で、あり得ない足さばきで、あり得ないコース選択で、彼女は勝利した。
華やかな強者の証である勝負服の群れの中を、借り物の見慣れた体操服があっという間に抜き去って強さを示した。
「なんで、勝っちゃうの?なんで勝てちゃうの?おかしいよ、ネェおかしいでしょ?」
「うそ、うそよ、こんなの嘘に決まってる!」
「オペラオー先輩だよ?あのオペラオー先輩が何で!?」
「ふざけるな!無効だ!!全部無効試合だ!!」
動揺がどよめきになり、感情がヒートアップし、噴出して着火し、普段では聞かないような怒声と罵詈雑言が一部から巻き起こる。
巻き起こった声は彼女も知るトレセン内の中でも素行が悪いと言われるウマ娘達だった。どこの学区にも一定数はいる不良である。
「ドーピングだ!!ドーピング以外ありえない!!全部偽物だ!!全部!!」
「そ、そうだ!!こんなのあり得ない!!あっていいわけがないよ!!」
「騙されてる!学校も病院もみんな騙されたんだ!!走り屋ごときが!!!」
「ふざけんな!!」
「引っ込め!!」
「出てくんな!!」
同じウマ娘に向けていいものではない罵詈雑言、一部から放り込まれる缶やペットボトル、咄嗟にトレーナーや教員たちが制止に係るが一向に衰えない。
完全に悪い方向に転んだ、そう他人事のように彼女は思った。普段は絶対にみんなこんなことはしない、けれども今回は何もかもが異常事態なのだ。
眼つきが異常なほどキマッていて、感情の高ぶりで口調や言葉遣いが不安定になっている。
だがその標的にされた本人は肩を竦め、やれやれといった具合に頭を掻いて困惑するビワハヤヒデに向けて困ったように微笑む。
そしてオーバーアクションに肩を竦め、両掌を天に向けて首を横に振る。そして、声を荒げる彼女らを瞳だけで睥睨してから不敵に笑った。
言葉はない、ただパフォーマンスをしただけだ。言うだけならタダだ、だが証明できるのか?やってみなよ、俺は逃げも隠れもしない。
そう言ってるように見えた、自分達を小馬鹿にしているように、そう見えた。
それが余計にいきり立った全員の精神を逆撫でする、彼女はただ下手な反応を抑えただけでも、受け取る側がそうでない。
逆上し、発奮し、完全に怒り狂った者達が手を出していないのはひとえにトレセン学園生としての意地でしかなかっただろう。
そしてヒートアップするウマ娘達の横で蒼褪めながらウマ娘達を宥めすかしているトレーナーたちが、どちらが正しく正統性があるのかを体で表していた。
何故なら彼女の実力に不正などはないと証明したのはあのメジロ家、学園その物、他にも名だたる関係医療機関。
それらが公的な書面と科学的にも立証された検査とその結果を以って証明しているのだ。
きっと今はそれすらもいきり立ったウマ娘達は感情のままに切り捨て、信じず、足蹴にするだろう。それが何を示しているかを気づかぬままに。
シマカゼタービンが一言声を荒げればここで喧嘩を売ったウマ娘達の首が一瞬で飛ぶ、それだけでなくトレセン学園にも多大な影響が出る。
峠の走り屋とはいえ、公道の走り屋とはいえ、彼女は正規の手順を取って、正規の手段で走って結果を出したにもかかわらず、こうしてこんなところに連れ込まれた『被害者』とすら言えるのだ。
故に声が出ない、言葉が出ない、周囲の流れにも乗れずグルグルとめぐり続けてとめどない思考の中でただただ茫然とするしか彼女にはできなかった。
ヒートアップするウマ娘と、同じように茫然自失するウマ娘と、右往左往するウマ娘の波に揺さぶられ。
普段は仲が悪いと言われているトレーナー達すらも肩を並べていきり立つウマ娘を何とか鎮めようとする光景を脇に見て。
その不良たちの一部を束ねている事で有名なシリウスシンボリがその声を一喝し、その彼女の横に並んだシンボリルドルフが良い笑顔で静かに問いかける。
その後ろで文字通り牙をむき出しにして怒りを露にするディープインパクトが、耳を絞り今にも躍りかからんとしている格好でいつもの笑みの駿川たづなに押さえつけられていた。
たづなの瞳は『これ以上なにかあれば手を離す』『自分たちに手を出させるな』と無言の圧力を放っている。
見たことのない怒りを放つディープインパクトが解放されれば、彼女が動けばどうなるか、火を見るより明らかだ。
何よりも普段ならば見ることがないたづなの雰囲気は燃え上がる空気を鎮火させるには十分すぎた。
乱降下する場の空気に全てが揺さぶられ、気が付けば彼女はちょこんと、自室のベッドの上に腰かけて呆然と天井を見上げていた。
「私、なにしてるの?」
どんなふうに寮に帰ってきたのか記憶がない、気が付けば自室のベッドに腰かけていた。
部屋の中は整理整頓されていた。二人部屋で、相方とは仲良しで、どちらも未勝利戦で四苦八苦して身を粉にしていた。
部屋には二人で使っている機材が置かれ、勉強机には最新の練習メソッドなどが書かれた教本や自習ノートが並ぶ。
女の子らしさなどかけらもないアスリートの部屋、この世界に臨んで入ったからこそ気にしないようにしてきた今の自分。
余裕がない自分たちの気持ちを体現したような無機質な、競走ウマ娘としての部屋。
(きっと彼女の部屋はこんなんじゃないんだろうな)
シマカゼタービンはきっとこんな風に過ごしてなんかいないだろう。部屋は女の子らしくて、趣味のグッズがいっぱいあって、思い出がいっぱい散らばってるんだろう。
学校の行事がたくさんあって、修学旅行で京都や奈良なんかに行って、課外授業でハイキングなり、都会に行ったりするのだろう。
学校の友達と何気ない日常を過ごして、遊んで、バイトして、喧嘩して、恋をして、フッたりフラれたりして、どこにでもある普通を過ごしてる。
自分にはそんな余裕なんてない。修学旅行なんてない、レースの時はそれに集中していて、合宿もレースのためにするもので息抜きはあれどそれだけだ。
一度遊びに行ったことがあるハルウララとキングヘイローの部屋はとてもかわいらしくて、優雅で、余裕がある女の子の部屋だった。
世界が違った、見ているものが違った。こういう世界なんだと、強くなればきっとこんな風に笑えるはずだと。
それが普通だと思っていた、それが普通だと思い込もうとした。でも思い出してしまった。
自分は勝てないレースの合間にずっと目で追っていたじゃないか、道行く人の中に見える同年代の女子高生のありきたりな後姿を。
学校に行って勉強して放課後を過ごす姿を、気だるそうにしながら帰宅する彼女たちを、男友達につるんで馬鹿笑いする彼女たち。
この世界に足を踏み入れなければ手に入ったはずの『安穏とした普遍的な生活』が、自分は羨ましくて仕方なかったじゃないか。
「私、何してんだろ…」
ベッドに横たわり、暗い室内で天井を見上げながらつぶやく。やる気が何も起きない、ただ思考だけが巡り、それを止められない。
自分は全て捨ててきた。この世界で認められたくて、語られるウマ娘になりたくて、証を残したくて、努力してきたつもりだった。
私は他と違う、私はトレセン学園でやっていける、輝けるウマ娘はごく一部だけなんて覚悟してきたはずだった。
目の前でそのごく一部のキラキラしたスターのウマ娘達が、羨ましくて仕方なかった普通の女子高生相手にレースで負けた。
なんで?どうして?私たちは彼女達とは違うんじゃないの?負けちゃいけないはずじゃないの?なんでそんな楽しそうにしてるの?
あの娘は普通の女子高生だよ?自分が持ってないもの全部持ってるんだよ?どうしてそんな風に認め合ってるの?
彼女は私が欲しかったものを全部持ってる、彼女たちはみんな私が羨んだものを成してきてる、どうして?なんで?
「どうしてこうなっちゃったんだろ…」
こんな風に自分を削って、こんな風に自分を虐めて、それでもこの世界は厳しくて険しくて、自分にないものを要求し続けてくる。
そしてそれをこなしても、それは報われない。自分はこんなにも辛いのに、自分はこんなにも苦しいのに、いつも自分よりうまくやる天才がいる。
いくら伸ばしても届かない頂がある、いくら走っても追いつけないトップがいる、求めても求めても目の前で誰かが持っていく冠がある。
「どうしてこんなところに来ちゃったんだろ」
地元では負け知らずとは言わないまでも強かった自分、強かったウマ娘は他にもいたがトレセン学園を受験して受かったのは自分だけだった。
自分より強かったウマ娘に受験で勝った自分、自分はできるウマ娘だという自信があった。でもそんな自信は入学してすぐに打ち壊された。
トレセン学園に入学してからの自分は今まで、何も成せていない有象無象。取るに足らないただのウマ娘。
中央入りしておきながらレースにすら出れずに卒業して、頭が良くてもレース以外は素人なウマ娘。
そんな状態の自分が世間に出て、一体何ができる?どんな価値がある?
「来るんじゃなかった、こんな学校ッ…」
胸に秘めていた、自分が最も口にしたくなかった心の内がついに口からこぼれた。こんな感情を持った自分が嫌いだった。
レースも学校も大好きだ。大好きなのに大嫌いだ、自分を苦しめ貶めるここが大嫌いだ。好きなことを嫌いになる才能のない自分が大嫌いだ。
「辛いよ、怖いよ、パパ、ママ…」
脳裏にすぎる両親の笑顔がつらい、親友たちの応援がつらい、一緒に頑張ったライバルたちの姿がつらい。
両親は自分に期待してくれた、親友は祝福してくれた、一緒に走ったライバルたちから託された。
そのどれもを自分は裏切ることになる、自分が至らないばかりに全てを裏切ることになる。そんな自分がますます嫌いになる。
トレセン学園を卒業したら、きっと自分は本当にどうしようもない現実に襲われるに違いない。
最高学府と言えどスポーツばかりに専念して芽吹かなかった成り損ないの卒業生なんてたかが知れているのだから。
そんな話は掃いて捨てる様にある悲劇だった、それこそ重賞レースで勝ち星を稼いだ上澄みが引退して崩れるなんてよくある話だ。
ましてや未勝利やデビューできないまま卒業してから有名になるなんてごく一部に過ぎない、まともな生活を送るだけでも大変だ。
ここで見切りをつけて一般校に転入してやり直す?そこにシマカゼタービンのようなウマ娘がいないとも限らない。
元トレセン学園生などという肩書はアドバンテージにはならなかった、むしろ自分の実力を過大に装飾する重しであった。
そもそもトレセン学園生というネームバリューが自分という存在をどうしても脚色して、自分にそぐわない何かを求められるに違いない。
地方トレセン学園に転入する?同じことじゃないか、そこでも芽が出なければ一般校や卒業よりも最悪じゃないか。
怖い、恐ろしい、未来が恐ろしい、希望が見えない、藻掻いても藻掻いても何も見えてこない、真っ暗だ。
真っ暗な天井が私の上にはある、天井だ、その上にはいけない、天井が私を押しつぶそうとしている。
「助けて…」
家族は頼れない、親友たちは頼れない、ライバルたちは頼れない、それはみんなを裏切る行為だ。
学校には頼ってばかりだ、学友にそんな暇はない、トレーナーは担当にしか興味はない。
「助けてよ、先生ッ…」
脳裏に浮かんだ助けてくれるかもしれない人物は、自分を指導してくれた全体教練の教官であり、クラスの担任だった。
◆◆◆◆◆◆
レースの後の混乱は驚くほど速く不気味に終息していった、茫然自失とした教え子たちを何とかケアするので精一杯だった彼の目にもそれは不気味に見えた。
いきり立って暴走する一部ウマ娘達の暴言と騒動、それに対していつになく厳しい言葉を向けたのはシンボリルドルフ本人だった。
何と言葉にしていたかはうろ覚えだ、それよりも前後不覚に陥りかけていたウマ娘達のケアに必死だったのだから。
しかしシンボリルドルフ本人は明言こそしなかったがその言葉尻から彼女を『ライバル』としてシンボリルドルフが捉えているという事は理解できた。
かつて現役時代に見せていた猛々しい雄姿と雰囲気を取り戻し、さらに一歩進んだシンボリルドルフの見せた厳しい一面はウマ娘にもトレーナーにも有無を言わせぬ凄味があった。
文句があるなら言ってみろ、正論ですべて論破できる。実力で示してみるならやってみろ、いつでも相手になってやろう。
それはダメ押しで、その後ろからさらに恐ろしい笑顔を浮かべるたづなとバーサーカーと化したディープインパクトのほうが恐ろしかったという事も否めないが。
模擬レースがお開きになり、集ったウマ娘達やトレーナーのほとんどはその場から即座に撤収し、残ったのは動けない教え子たちとそれをケアする自分たちだけになっていた。
このレース場はチーム・リギルやチーム・スピカといった強豪たちがあらかじめ使う予定があったためでもあるし、それ程までに居心地が悪かったのだ。
自分も教え子たちを何とか保健室や部屋に連れ帰り、何とかひと段落した時にはすでに一日が終わりかけていた。
夕暮れが迫る空を見上げ、彼の足は自然と普段は寄り付かない来客用の駐車場の方に向いていた。
そこには見慣れない青いスポーツカーが止められており、それは件のウマ娘の愛車であることは耳にしていた。
大した理由があったわけではない、ただの思い付きだ。もし運が良ければ、彼女と直に話ができるのではないかと思っただけだった。
(まさか、こんなことになっているとは…)
駐車場に付けばそこに居るわ居るわ、トレセン学園でも名の知れたトップクラスのウマ娘達とトレーナー達が見送りに来ていた。
レースの後の練習で一体何をやらかしたのか分からないが随分と仲良くなっているようだ。
今もヤエノムテキ相手に組み手をして、素人でもわかるくらいキレのあるパンチをあっさりいなして掴み、素早く引き込んで首絞めの体勢にもっていっている。
あのヤエノムテキが全く相手になっていない、格闘技でも相当な腕前のはずの彼女がだ。
「押忍!ありがとうございました!!」
「いやいやなんでやねん!?」
「ふむ、格闘技もなかなか強いのか」
「あんたもなんで納得してんねん!!」
相変わらずツッコミを入れるタマモクロス、頷くオグリキャップ、なぜかご満悦なヤエノムテキ、なかなかに分からない構図だ。
だがそれだけではない、今度はアドマイヤベガに詰め寄られており、本人は苦笑いしてのらりくらりとかわし、ナリタトップロードとテイエムオペラオーが即座にアドマイヤベガを遠ざける。
ゴールドシップがいつものようにどこかぶっ飛んだ言葉をかけたようだが、その返答を聞いて真顔になり信じられないものを見た様子でまじまじと見つめ返していた。
ゴールドシップが真顔で去ったかと思えば、ミホノブルボンとそのトレーナーが二言三言話してすぐに去っていく。
そしていつものどこか儚げな様子を一切見せないですたすたと彼女の前に歩を進めたのはサイレンススズカ。
「次は勝ちます」
「楽しみにしてるぜ」
「本戦で会いましょう」
それだけ言うと彼女は再びどこかに走っていく、それを見送るシマカゼタービンの表情は明らかに微妙な顔だった。
他にもアグネスタキオンがやってきて体のデータがうんぬんかんぬんと話し、それに対して二人の間で専門用語が飛び交う。
それに業を煮やしたエアシャカールが割り込むがこちらもすぐに専門用語が飛び交う。
そして気付けば二人とも納得したのか、二人もまたレースでの決着を言葉にしてその場を去った。当然微妙な顔である。
その表情に気付いたツインターボがきょとんとした表情で問いかけた。
「何微妙な顔してんの?」
「あー…やっぱ住む世界違ぇと思ってな」
「何当たり前なこと言ってんのさ、それよりさ、今度タービンの家行くから峠の走り方教えて!」
「また来るのか?別に俺は構わねーが親父とお袋には話を通せよ。あとお前は会社の手伝いもやる事」
「了解だー!うひひッ!!」
ニマニマ微笑むツインターボに、微妙な表情をしていたシマカゼタービンの表情も緩む。
慣れた手つきでツインターボの頭をくしゃくしゃなでる彼女になすがままにされるツインターボの笑い声は周囲からも笑いを誘った。
声が非常に掛け辛い、ウマ娘達だけならまだしもトレセン学園でも指折りのトレーナーたちがこぞって周りに居る状況ではなおさらだ。
あのオグリキャップやタマモクロスが自身のトレーナーを紹介している中に飛び込むなんて恐れ多いにもほどがある。
結局、全員が満足して散らばり、お土産を貰ったシマカゼタービンがそれを見送るまで待つしかなかった。
「少し、良いかな?」
誰も居なくなった駐車場、見送りに来ていたウマ娘やトレーナー達から貰ったお土産をトランクに詰めていた彼女は、訝しそうに自分を見てからやけに親し気な笑みを浮かべて立ち上がり、すぐにはっとして頭を下げた。
その様子がすこしおかしくて、彼は失礼と思いながらも少しクスリと笑った。
「えっと…どこかで会ったかな?あ、話しやすいようにでいいよ?」
「すんませんね、知り合いに少々似てたもんで…あとテューダーがそれはもう耳にタコができるくらい話すもんですから」
ひどく恨まれたな、そりゃそうか。
「テューダーガーデンは私の教え子の一人だよ。いや、だった、かな」
「あぁ、良く聞いてる。あんたほど自分の相談に親身になってくれた良い先生はいないってな」
「私が?」
肩を竦めて首を縦に振る彼女、それは思いもよらない言葉だった。自分はどう考えても恨まれる側の人間だと思っていたからだ。
何故なら自分の力不足のせいで、彼女はこのトレセン学園でやっていけなかったも同然だからだ。
「良い先生なものか、私はあの子を導いてやれなかった…知ってるでしょ?私はあの子を活躍させてあげられなかった」
「えぇ、それはまぁ。あいつ、よく話してるかんな」
少し困ったように苦笑いするシマカゼタービン。やはりテューダーガーデンはずっと気にしているのだろう。
自分は彼女に何もしてやれなかった、決して手を抜いたつもりはないし誠心誠意彼女を導いたつもりだったが、彼女はスカウトされることはなかった。
どこにでもいる、トレセン学園の中でもよくいる未勝利のウマ娘、走ることすらできなかった類いの負け組になってしまった。
才能がないというわけじゃなかった、それでも彼女はこのトレセンの中ではよくいる才能しか持ち合わせていなくて埋もれてしまったのだ。
「私は…初めて見た。あの子が、テューダーガーデン、彼女が初めて、勝って笑っている所を」
トレーナーとしてデビューしたウマ娘達を指導していないただの指導教官、それが自分だ。
今まで多くのウマ娘達の全体教練を担当して、そして教え子たちが現実に向き合っていくのを見てきた。
多くはそれに向き合って、挫折して、受け入れて、そして新しい道で生きていく。だがそんなウマ娘達だけじゃなかった。
それを受け入れられなくて、無理をして、ボロボロになって、壊れていくのを見てきた。
何人も見てきた、何人も見送ってきた、何人も救えなかった。届かない手を、伸ばされた腕を、誰も取ってくれないその光景を。
テューダーガーデンはそんな壊れていく生徒たちの一人だった、入学当初の頃から担当していた全体教練で練習を見ていた生徒の一人だった。
端的に言えば可もなく不可もなくの普通のウマ娘だった。落ちこぼれではないが、才能があるわけでもない、そして努力も実らないよくいる生徒だった。
いくら練習に励んでも芽が出ない、いくら模擬レースを経験してもうまく行かない、当然周りに埋没してトレーナーも目を向けない。
ただ周りとの差に置いて行かれて苦しむばかり、背負った期待に押しつぶされそうになり、焦りと絶望が彼女を蝕んでいくのをずっと見てきた。
自分はそんな彼女に教官として、一人の生徒として当たり前のことしかできなかった。相談されれば相談に乗るし、練習を少し見てほしいならば付き合った。
今まで担当してきた生徒たちと同じように、周りにいる生徒たちと同じように、それしかできることがなかった。
「私は初めて見たんだよ、あんなふうに笑う彼女を。勝ったらあんなふうに笑うんだね、知らなかった」
彼女は学園を去った。無茶な練習に手を出し始めた彼女を、そのままにしておけずに最後の手段として選択肢を提示した。
家族の期待に背くことに悲しむ彼女が立ち直れる時間を得られるように、それからできる限り逃れられるような遠い学校も紹介した。
自分は何もできなかった、何もしてやれなかった。彼女をトレセン学園でトレーナーの目に留まるウマ娘にしてあげることができなかった。
「私は、何もできなかった…恨まれて当然なんだ、私が彼女に夢を諦めさせた。先生失格だ」
「いいや、あんたは恨まれてなんかないさ」
「どこがだい、私は結局…!!」
「あいつらトレセン学園の事となると途端に口が悪くなるがな、あんたの事を恨んでた事なんざ一度もなかったよ」
そうでなきゃ延々と聞いてられるかっての、と彼女は肩を竦めた。
彼女は確かにトレセン学園に対しては否定的になっていた、悪意も持つようになった。
悪い所は徹底的に調べ上げ、一番言われたくないタイミングを見定めて口にして印象を悪化させたりもする。しかし嘘やでっち上げは絶対にしない。
そして何より、いい思い出はいい思い出として懐かし気に話すしいい所はちゃんと認めて褒めているようだ。
「あんただろ?最後までアイツに付き合って、相談に乗ってたの。うちの学校見つけたのもそうだろ?」
「そんなの…当たり前じゃないか、私は教師なんだから。でも私はあの子に夢を諦めさせたッ!!」
「生徒のことを第一に考えるのが先生だ、支えてやるのが先生だ、確かにそうだ。けどな、先生のやる事はそれだけじゃねぇよ」
じゃぁなんだというんだ、自分は何をしてやればよかったというんだ。この学校で、このトレセン学園で。
「あんたはテューダーにこれ以上は危ないって言ったんだろ?あいつから全部聞いてる。
生徒の事を第一に考えるのが先生だ。間違ってたら止めてやるのも、怒ってやるのも先生の仕事だ。
アイツ自分で言ってたぜ、最後の自分は滅茶苦茶だったって。体の事も考えず無茶な練習ばっかだったってな。
無茶するあいつを止めたのはあんただろ?感謝してたよ、無理してぶっ壊れたら暢気に追っかけなんぞできねーからな」
「感謝?この私に?」
「あぁ、あんたはあいつのこと最後まで見てたんだろ?自分の仕事もあるっていうのに、ちゃんと最後まで」
「そんなの当たり前のことだ」
「それができる人間が一体この世界にどれほどいる?」
どこか皮肉気に、そして諦観のこもった声色で彼女は肩をすくめる。
「私はただの教官だよ、トレーナーじゃない」
「確かにあいつらをメジャーに連れてくのはトレーナーの仕事さ。けどな、あんたたちが居なきゃスタートラインにも届かない。
どんなウマ娘だって最初からうまく走れる奴なんざいねぇんだ。トレーナーの目に留まる前からきっちり走れる奴なんざいねぇんだ。
どこかで必ず走り方を教わるんだ、倶楽部しかり、学校しかり、実家しかり、あんたの言うトレーナーにスカウトされる前に必ずだ。
トレーナーに最初っから教わってるなんざそれこそ奇跡、比べるほうがおかしいもんだよ。
それにな、俺が教えられるのは峠の走り方だ、平地の走り方じゃねぇ、意味が分かるか?」
「どういう意味かな?」
「そのまんまの意味、俺は根っから峠の走り屋でね。最初は親父の走り真似してたもんだから我流も我流だよ。
そんなんまともなわけがねぇ、だがアイツの走りは基本を押さえたまとも中のまとも。あいつの走りはあんたの教えた基本が元だ」
「私が、教えた?」
「当たり前だろ、うちの学校にトレーナーがいるとでも?悪いが全員武闘派って言ってもいいくらいでレースにゃ興味もかけらもねぇよ。
俺だって教えたもんはいくつもあるし、峠で何度かやっちゃいるがアイツの走りの根底はあんたが教えた走りを元に鍛え続けてきたものだ。
あいつ、走った後はいつもトレセン時代のノートを読み返して復習してんだぜ?
トレセン時代、自分に走り方を教えてくれた先生と一緒に作った練習ノート、ボロボロになるまで読み返して何度も作り直してよ」
その意味、解らねぇあんたじゃねぇだろ?と彼女は笑う。思い出す、確かに走り方をレクチャーする時に彼女はノートを取っていた。
それはよくあることでほかの生徒たちも同じように作っているから気にはしていなかった。
そのノートを見て意見を求められたこともあったし、自分がそれに追記してあげることもしばしばあった。
「先生、あんたの走りであいつはトレーナーにスカウトされた連中に勝ったぞ」
「わ、私の…」
「あんたじゃなきゃ誰が教えてたってんだ?今度会ったらさ、褒めてやんなよ」
「そう、か…私は…」
彼女を導くことができたのか、彼女に教える事が出来たのか。
心の中で蟠っていた何か後ろくらい気持ちが、蝕んでいた毒が、体から抜けていくような感じがする。
まるで心の中をきれいな風が突き抜けていくような、そんな不思議な感覚だ。
「ところで、こんな所で駄弁ってていいのか?俺が言うのもなんだがその…あんたの生徒、さっきヤバく見えたぞ?」
シマカゼタービンの言葉に頭を殴られたような気分になった。そうだ、自分は何をしてるんだ?
自分がこんな気分になるんだから今日のレースを見ていた生徒たちはもっと深刻な事になっているのは明白だ。
まずは電話を、いやウマスタで声を掛けてあげるのが先決か。
「そうだね、こんなことしてる場合じゃない。ははは、こりゃマジで失格かな?」
「完璧超人じゃねぇんだ、それくらいあるだろ。ほら、寄り道終わり、行った行った」
「すまないね…あ、そうだ」
ならば最後にやる事がある。一人の教師として、自分の下から巣立っていった彼女への最後のお節介だ。
姿勢を正して、彼女に向けて正対する。それを見て眉を顰めた彼女だったが、何かを察したのかすぐに眉間の皴が取れた。
「どうかあの子を、私の生徒を、よろしくお願いします」
彼女は既に自分の手を離れた。いや卒業していった自慢の生徒だ。
シマカゼタービンに向けて深く頭を下げながら彼は願う。どうか、彼女の道がこの先より幸せな未来に続きますように。
あとがき
最後のこれがやりたかっただけ、ではありませんがここらでトレセン学園編を終了しようと思います。
正気度がガリガリ削られちゃったのでモブウマ娘ちゃんたちの一部がアイデアロール成功しちゃって狂気に陥りましたが、精神分析のプロはいっぱいいるので問題ないでしょう。
正気度が減った代わりに峠の走り屋技能がたぶん3ポイントくらい増えましたのでまぁトントンという事で。
うちのUMA娘からすれば今までもやってきたことなのでいつも通りです、伊達に前前世からお節介はやってない。
なので多少のやっかみ程度でどうってことはない、商談では弱みを見せちゃいけない時もあるのですよ。
次から再び群馬、頭文字Dに戻りたいところ。どこにどうコイツを突っ込むか、さてさてどうしよう。
あとは峠レースにどういう形でウマ娘達を忍び込ませるか。普通にギャラリーさせるか、それとも走らせてしまおうか。
おまけ『指導教官』
この世界における●●●●●●の同位体。彼女が最初から気安げだったのは、彼に気配を感じた為である。
特に特徴といった特徴のない、されど現代においては真っ当な教員でありトレセン学園の中ではまともで異端な教師。
普段は現代国語の教師をしながら1クラスの担任を担当し、そのクラスの全体教練を行う教官としてトレセン学園に勤めている。
仕事の傍らウマ娘達からの相談にも乗っており、例え無理な案件だとしても親身になって寄り添い対応してきた。
テューダーガーデンは教え子の一人に過ぎず、学園を去っていった数多の生徒の一人であるが、決して忘れていない。
彼は決して表舞台に出ることはない裏方の存在であるが、彼の事を恩師と慕うトレセン学園卒業生のウマ娘は数知れない。
彼はトレーナーではない、彼は天才ではない、しかし彼は正しく導く者である。
多くの子供たちの手を引き導くその姿は偽りの存在にあらず、今日もまた夢に向かって駆ける少女たちの背中を押して見送るのだ。