いつも多くの誤字報告と感想ありがとうございます。
今回から2006年の天皇賞・春、ついにノルンファングVSディープインパクトをお送りします。ちなみに史実改変タグに仕事して頂いております。
実はノルンの馬主でどうするか悩んでましたが…もう行くところまで突っ切ります。
よってこの世界はとある軍人が大暴れして生き残った世界線です!!こんくらいバカバカしくしときゃ怒られんやろ!!
2006年4月30日、京都競馬場は前年をはるかに超える人々がごった返し大賑わいを見せていた。
どこを向いても人人人、いつもの競馬ファンや賭博好き、競馬には縁がなさそうな子供連れに若いカップル、そして最も縁がなさそうな外国人観光客御一行。
京都競馬場及びその周辺はまさに人であふれかえっていた、そこに突撃を掛けるのは日本を代表する一流メディアたち。
誰もかれもがこぞって取材を敢行し、テレビカメラを振り回して中継映像を看板リポーターと一緒に垂れ流す。
そこに世界各国から派遣されてきた海外競馬メディアたちも加わってそこかしこで中継を流し、今日の大イベント前の京都競馬場を取材しまくっている。
その喧騒を近くのビル内部にある喫茶店の窓際に座る彼は、慣れた目つきで品定めしつつ自身も同じメディア関係者でありながら心底面倒な気分でそれを眺めていた。
「すっごい人だかりですねぇ、こんなの初めてですよ。ほら見てください、シュバッと!の取材スタッフですよ。
朝ニュースの連中まで来てますし、あれ!アメリカの有名テレビ局もいる!!うちらも取材しに行かなくていいんです?」
「あんなの取材したってうちらの記事にゃそぐわんね、あれの大半は競馬のけの字も知らんど素人ばっかだぞ」
「それがいいんじゃないっすか?今や空前の第3次競馬ブーム真っただ中っすよ?」
「話になんねぇよ、オグリん時もそれで痛い目にあったからな。俺たちは普通の雑誌記者じゃねぇんだ、やめときな」
第3次競馬ブームの到来、競馬メディアに属する彼もまたそのことは理解していた。
昨年のディープインパクトが見せた無敗3冠、そこからの無敗GⅠ4勝。
群馬地方競馬からやってきたかつての伝説たちの後継者たちが見せた日本中央競馬での地方競走馬によるGⅠレース勝利の3連発。
そして先月、3月のドバイワールドカップでツバキプリンセスの勝利。日本出走馬初にして、地方競馬初の海外GⅠ勝利。
その波乱中の波乱、大躍進の中の大躍進、初づくしというビッグニュース、それが日本中のお茶の間を席巻し、競馬ブームに火をつけるのは当たり前だった。
今日の天皇賞・春もそうだ、昨年の天皇賞・秋の優勝馬である群馬地方競馬の『ノルンファング』が相棒の地方騎手と共に出走を決めている。
もちろん狙うは優勝、それが意味するのは地方競馬所属競走馬による日本初の天皇賞春秋制覇だ。
競馬を知る者ならばこれがどれだけ難しい事か、挑戦できるだけでもとんでもないことだとわかる異常事態だ。
競馬を齧ったことがない一般市民でも『天皇賞』という単語からして国内でも由緒ある賞であるとわかりやすいこともあり、地方からやってきた田舎者が世界にも誇れる大会に出走するというカタルシスに酔っている。
しかも今回も今代の天皇が出席して直に観戦する天覧試合だ、解りやすいインパクトも十分である。
「オグリの時もこんな感じだったんすか?」
「そうだよ、俺もお前みたいな新入りの時にオグリキャップが来てな。あん時もどえらいブームだったもんだ。
当然、いいネタががっぽり拾えるって思ってたよ?先輩と一緒にうきうきして準備したもんだぜ。結果は惨敗だったがな」
「そりゃまたなんでです?」
「相手がド素人すぎて話にならなかったんだよ、どいつもこいつもオグリオグリでそればっかだ」
考えてみれば当然なのだ、若かった自分と先輩が取材した相手はオグリキャップの活躍まで競馬に一切興味がなかったような一般人ばかりだったのだ。
当然ながら対抗馬のことも、レース場のことも分からない。天気の影響、馬場のコンディション、そして出走馬たちの健康状態からくる期待度なんてまるで理解していない。
まるで狙ったかのようにオグリキャップ、オグリキャップを見にきた、オグリキャップが勝つ、と言うだけだった。これでは取材のネタにもなりゃしない。
その上、当時のメディアが無作法なことをしでかして中央競馬全体に顰蹙を買ってしまい、いい意味で向こうが見知った自分たちまで仕事がしづらくなる始末だ。
「でもうちの雑誌、その時もいつも通りの濃さだったじゃないですか。出版部数も増えてウハウハだったんでしょ?」
「馬鹿野郎、俺たちみたいな競馬専門紙ってのはな、一般人にゃまったく向いてねぇの。読み手に知識がないとちんぷんかんぷんでな。
あん時はひどかったんだぜ?俺らは普通に書いてるだけだってのに、苦情の電話がなぜか鳴りやまねぇときた。
おかしいと思って今でいう炎上か?それ覚悟で問い返したらな、書いてることわかり辛いから返金しろとかほざきやがる」
かといって、注釈入れたりわかりやすい表現にしてみたら今度は常連の購買層から不評を買って踏んだり蹴ったりだぜ。
と、当時を思い出して彼は胸糞悪くなって鼻を鳴らす。昔を思い出してしまうとどうしてもこういうノリには乗り切れない。
どうしても『あ、嫌な流れだ』という冷めた思考が過って自然と距離を置きたくなってしまうのだ。
「ほどほどに収まったら家族連れとかに話を聞いて終わりでいいよ、写真はさっき取ったので十分だ。
あとはいつも通り、各騎手と馬のコンディションを調べ上げて、いつもの連中回って情報を集めるぞ」
「了解です…ところで先輩、今回も出ませんでしたね」
「あの馬か?」
「えぇ、あの馬です」
ふと思い出す昨年の皐月賞前の最終調整、日程の食い違いでディープインパクトが古い地方競馬向けの群馬トレーニングセンターで最終調整をしなければならなくなった時のことを。
当時から強者の風格を持っていたディープインパクトを真っ向から叩き潰した気色悪い目の栗毛の牡馬。
あの時の模擬レース映像は今も編集部に封印されている、中央競馬からの圧力以前に当時の上層部が全く信じてくれなかったのだ。
あれ以来ディープインパクトは最終調整以外でも群馬トレーニングセンターを訪れる半ば常連状態、帯同取材はほとんど断られているが理由は分かり切っている。
そして流れてくる話を聞く限り、ディープインパクトは一度も勝てていないという。
「秘密兵器のつもりか、それともほかに理由でもあるのか…でも向こうじゃ出てきてんだよな、輸送に難があるって話も聞かねぇし。いったい何なんだ?このノータッチ」
「まぁ馬主が酒屋ですし、案外ほかの仕事があるからってだけだったりして」
「競走馬でそれはねぇだろう、そろそろ行くぞ」
「ういっす!あ、途中のおもちゃ屋に寄っていいっすか?」
「なんだ? 息子のおもちゃなら仕事終わりにしとけ」
「うちのじゃなくて取材相手にお土産っすよ。群馬のノルンファングってユニークなヤツで戦車のおもちゃがスゲー好きらしいっす。
戦車のミニカーとか持ってったら気に入ってもらえんじゃないっすか?」
「あの馬主にしてこの馬ありか…気に入られんのも大事だな。5分で済ませろ」
コーヒーの残りを飲み干し、上着を整えながら立ち上がる。愛用のカメラとボイスレコーダーを抱え、彼は記者として意識を切り替えて店を出た。
店の外にはいまだに観戦客たちの喧騒が広がっている、この歓声と熱気が最後にどうなるのか、彼にもまだ予想できなかった。
◆◆◆◆◆
「ブゥンブゥン、ブルルッ!」
「お前、相変わらず好きだねぇ」
馬房の中で器用にちょこんと座りこみ、両前足でお気に入りの戦車の模型を走らせて遊ぶノルンファングのいつも通りの姿に、主戦騎手である田島は同じように座り込みアンパンをかじりながら眺めていた。
中央の厩務員や騎手達からは変な目で見られるが、愛馬と一緒に飯を食らうというのは群馬地方競馬では当たり前のことなのだ。
同じ釜の飯を食らうというわけにはいかないが、こうして並んで飲み食いしているだけで不思議と一体感のようなモノが沸いてきて相手のことがより理解しやすくなる…気がするのである。
「ノルン、知ってっか?今日も天覧試合になっちまったぞ、正直俺実感わかんわ」
「ブルル?」
おもちゃの戦車から目を離して首を傾げるノルン。
「天覧だぞ天覧、陛下が見にくるんだよ?」
「ふぃーは?ブルルッ?」
「去年の秋天、あの偉い人、覚えてんだろ?」
「ブルッ!?フィー!ふぇーは!ふぇは!!」
「そう、変な話になったもんだよな。そういうもんは中央の連中の仕事だったってのによ」
悪い気はしないがやはりいざとなると現実味がないものだ。田島とて人間である、一度はこの手の大成を夢見たことはあるがまさかいきなり転がり込んでくるとは思ってもいなかった。
ましてや件の魔境である中央競馬に移籍して中央所属の素質豊かで最新の調教を受けて仕上がったエリート競走馬たちに乗って挑むのではなく、勝手知ったるド田舎の群馬地方競馬に所属したままこれまた勝手知ったるノルンファングに乗っての出場である。
ノルンファングも中央所属の名馬たちには負けない強い馬であるのは理解しているが、田島の中ではノルンファングは群馬地方競馬の戦車好きな愛される癖馬だ。
「こらこら、何やってるんだい健介君」
「あ、西さん」
ノルンファングに話しかけていた田島が振り返ると、ピシッとしたカーキ色の軍服に身を包み背筋をピンと伸ばした老男性がしわくちゃの顔を困ったように笑わせていた。
ノルンファングの馬主であり群馬でも有数の米農家であり資産家である西竹一その人である。
既に齢100歳を超えながらピシッと自らの足で立つその姿を見てノルンファングが目の色を変えて小さく嘶く。
そして馬房の柵を自ら器用に開けて、戦車の模型を口に咥えるとトコトコと彼に歩み寄って顔をすり寄らせた。
それを西も手慣れた手つきで受け止め、優しく頭を撫でつけながら朗らかに笑う。
流れるような脱走であるが田島は何も言わない、やっていい時と悪い時くらい彼女も重々理解しているのは知っているからだ。
「よしよし、今日も元気そうで何よりだよ」
「相変わらずお前は西さん大好きだねぇ」
「なんだい、嫉妬しちゃったかい?」
「馬鹿言わんでください」
食べかけのアンパンを口に放り込み、一口で処理しながら田島ものっそりと起き上がって西を出迎える。
「そんな格好してこんなとこ来てよかったんすか? また変な雑誌が騒ぎ出しますよ?」
「過去は過去だ、それに私は軍人としてあの戦争を戦ったことに後悔はない。陛下の拝謁を賜るならこの服以外は考えられんよ」
「でもそれでこんなところに来なくてもいいでしょ、汚れちゃったら不味いって」
「軍服ってのは汚す時はとことん汚していいのさ、それに今はクリーニング屋に出せば大体平気だしね、大丈夫大丈夫」
「ならいいっすけどね。で、なんかありました?」
「なぁに、ちょっと様子を見にきただけだよ。緊張しすぎてやしないか心配だったけど…この様子だと平気そうだね?」
あ、これ自分も心配されてるわ。田島は少し照れくさくなった。
「正直、緊張するほど理解してないって感じですよ。ノルンと一緒にいると、なんかいつものレースと同じみたいな感じしますし」
「それでいい、その平常心こそ大切だ。人も馬も、勝負事で冷静さを欠けばうまくいかないのは目に見えているからね」
さすが硫黄島の戦い経験者は違う、田島は西の何気ない一言に感じる重みに思わず背筋が伸びるように感じた。
「私も正直緊張してるんだ、まさかこんな機会に巡り合えるとはな…君のおじいさんのおかげだよ」
「また始まった、老けちまいますよ?爺様」
「もうとっくに老けとるよ」
「海兵隊の連中を余裕でぶん投げる100歳がどこにいますかっての」
「硫黄島で戦った連中よりはるかに温かっただけだよ」
「うちの爺さんとおんなじこと言ってやがるぜ…」
田島は苦笑する。硫黄島の激戦の中で西の背中を守り生き残らせ、最後の指揮官として降伏を選択させたのは彼の部下であり仲の良かった彼の祖父だった。
主戦場となった第2陣地にて米軍を相手に徹底した持久戦による激戦を田島祖父も繰り返していたが、次第に劣勢になる中で想定よりも敵の動きが良いことを察した彼は持久戦継続のために西に『包囲殲滅されるのを回避するため頃合いを見て転進』を提案し、一時的に機動戦を行いつつ栗林中将のいる本隊へ合流を決めさせたのだ。
そこで動かなければ死んでいただろう、と戦後西は米国のインタビュアーに答えていた。
2月終盤、置き土産の罠でてんこ盛りにした陣地からの撤収は成功したものの米軍の追撃により合流できず無線を失って本隊との連絡手段を失いながら丸一日かけて島内を迷走、躍起になる敵を引き連れながら僅か5両にまで減った戦車で目の前の敵をなぎ倒す撤退戦が幸か不幸か米軍全体を引っ掻き回した。
そして迷走二日目に部隊が突破口を求めて偶然にも摺鉢山に近づき米軍はさらに大混乱、それを好機と見た西は摺鉢山麓を敵中突破してさらに引っ掻き回して活路を見出そうとするが、それを奪還部隊と勘違いした米軍の抵抗に足止めされる。
嫌にしつこいので抜け出すために集中攻撃を仕掛けて追い払ったら米軍の摺鉢山守備隊が総崩れ、いつの間にか摺鉢山を奪還してしまった。
想定外にも成功をしてしまった摺鉢山の奪還だったが、機動戦による部隊の消耗に休息が必要と判断した西は一晩だけ摺鉢山に籠城を決意。
だが一夜明けたら立て直した米軍が顔を真っ赤にして完全包囲しており、米軍が補強した摺鉢山陣地にて完全に敵中に孤立した。
再び奪還に躍起になる米軍相手に摺鉢山の地形と鹵獲した米軍の集積物資を使用して戦い、米海兵隊の摺鉢山奪還攻撃の戦術を逆手にとって逆に焼き払いながら戦い続けていたが戦況は好転することなく、摺鉢山の元米軍施設及び物資鹵獲によって補給と水に困らないが状況は終わりの見えない迎撃と殲滅を続けるばかり。
自らも負傷しながら陣頭指揮を執り、自分たちよりも碌な補給もなく追い詰められていく栗林中将率いる本隊とは鹵獲無線の不調で連絡が取れず、当然救援にも動けず、やがて最後の攻勢に出た本隊が放った大本営への訣別の電文を傍受し自らも打って出ようとするのを田島祖父は決死の覚悟で押しとどめた。
自らも本業は競馬騎手であり、馬関連の話で馬が合った彼は西の愛馬であり帰国を待つウラヌスを理由に迫ったのだ。
相棒に満身創痍の部下たちに突撃を命じて散ったとあの世で話すつもりか、こんな有様で胸張って死にましたなんて言えるのか、そんなあんたを相棒は一体どう思うだろうな。
度重なる激戦と苦難の中で意固地になりかけていた西の心にこれが効いた、大きく狼狽えた西の姿に張りつめていたものが切れてしまったほかの部下たちも涙を浮かべて懇願した。
生きて帰りたい、家族に会いたい、高潔な世界のバロン西、自分たちを生きて帰らせてくれ。
その返答はすぐにはなかった、できなかったのだと田島祖父は孫に語った。彼も悩んでいたのだ、当然だと当時の誰もが納得したという。
そして3月25日、返答を控えた彼は一人で遠くから響く激戦の音とあわただしい米軍陣地を眼下に見ながら一晩黙考し、最終的に度重なる降伏勧告の一つに応答する事を決意した。
その後米軍の奪還部隊を撃退しながら籠城しつつ決死の伝令を出し、西の言葉に呼応して各地から集まった2000名近くの将兵と共に降伏を受諾。
1945年4月3日、西竹一の戦争は終わった。
「田島中尉のおかげだ、彼が止めてくれたからウラヌスにまた会えた、こうして、あいつの孫の晴れ舞台に巡り合うことができた」
「またそれだ、聞き飽きてますぜ」
ノルンファングにはウラヌスの血が流れている、遠い祖先、数いる祖父の一頭に過ぎないとはいえ、彼の血は今もここにある。
そして今や日本競馬の時の一頭、群馬地方競馬3強の名を持つ名馬となってここにいる。
「西さん、今にも死にそうなこと言わんでくださいな」
「何を言うか、まだこいつの子供を取り上げるまでは死なんぞ」
「そっすか」
一体いくつまで生き続ける気だ、でもやると言ったらやりそうだと田島は呆れた。
未だに大好きな馬に関わり、馬主として違法にならない程度であるが馬に密接にかかわる彼は全く衰える気配がない。
そうでなくてもいまだに世界各国の軍から話を聞きたがって若い衆が顔を出してくるのでこの爺、常にバイタリティ溢れすぎである。
「そういうお前こそ、いい顔しとる。こんな大舞台なのにほぼ自然体とはなかなかできん」
「でも正直、ちょっと緊張感ないとやばいとも思うんすよ?」
「気の抜きすぎも行かんのは確かだ、キミの気持ちも分かる。しかし陛下のご高覧を受けて走るというのに変な緊張をもったままじゃぁ、お前もノルンも持たんよ?
陛下は君たちの全力勝負をご覧になりたがっているんだ、緊張でいらんミスしてそれに応えられなきゃ死んでも死に切れんと思うがね」
「そんなこと言っても、変にいつも通りだとパドックに陛下が見に来たらナチ式敬礼やりかねませんぜ。
こいつ、前の秋天で陛下には敬礼するもんだって覚えちまってますから」
田島が思い出すのは昨年の天皇賞・秋、自分たちが破ったヘヴンリーロマンスの騎手である榎本騎手が退場前にヘヴンリーロマンスともどもメインスタンド前に赴き、陛下に向けて帽子を脱いで最敬礼したのを見てしまったのだ。
それでその場の主役は一気に掻っ攫われたのだが、そんなことより重要なのはノルンファングが感じたのは『自分だってできる!』という対抗心を覚えたことだ。
何分、西の影響で戦車好きという趣味に目覚めている馬である。ミリタリーの知識に関しては妙なほど理解している。
そして気晴らしもかねて映画をちょこちょこと見せるようになってしまっていたのもあり、馬でもできる敬礼としてアレを覚えてしまったのだ。
「ヒーヒ、ヒヒンッ!」
「やめやめここでやんな」
「…見事なナチ式敬礼だな」
後ろ足で立ち上がり、右前足を前にピンと張って突き出し左前脚はピシッと下ろして制止する敬礼。ナチスドイツのアレである。
常日頃からホクリクダイオーと押し相撲をしているせいで立ち上がるのも慣れているからか、およそ3秒は楽に立っている。
戦車好きな彼女にとって戦車が大活躍する欧州戦線を題材にした映画や歴史番組は貴重な娯楽、その中の記録映像でドイツ軍人がこれをやるのを見て覚えてしまったのだ
つまり奇行だ、彼女は真面目腐って真似をするから余計にシュールなのであるが、この場合は恐ろしく不敬極まりない上に問題行動ととられかねない。
群馬地方競馬のパドックなら冗談で済むが場所が場所、場合が場合であるので非常にまずいのだ。
しかもノルンファングはそれを理解していない、彼女の中では所詮数ある敬礼のひとつなのである。
シマカゼタービンに頼んでも変わらなかったのだからどうにもならない、馬に人間の歴史を説いてもしょうがない、種族が違うのだ。
これで陛下の前でも万全だぜ!と気勢を上げるノルンファングがやる気に満ちているからなお困る。
「うーん、それは困るなぁ…田島君、何とか曲げさせられない?それか頭を手のほうにもってくとか」
「無理っす、敬礼じゃなくて『ごめんちゃい』になっちまうんで」
「ぶえッ☆」
「ていっ」
スムーズに四足歩行に戻ったノルンファングが舌をだらんと出してわざとらしく変顔を決めてウィンクしたので田島は軽く額をはたいて突っ込む。
まったくもって調子に乗ると愉快な相棒である、それだけ緊張してないのは良い事か悪い事か…
「うーん、さすがにここでは笑えんなぁ…かっこよく決めたいっていう気持ちは理解できるけども」
「下手な対策は愚策ですかんね、あとが怖い」
「ヒヒン!フンスフンス!」
誇るように鼻息を上げる彼女、普通の馬のような奇行の対策をしようものならば確実に機嫌を損ねていらない知恵を働かせてくるだろう。
仕事後のプライベートでの仕返しが怖い、また馬房の出入り口に落下トラップを仕掛けだしたり調教の後で帽子やタオルを奪われて隠されたり、いつの間にか服や車に泥のひづめ跡が付けられてたりするだろう。
なので田島は普段通り、ノルンファングに話しかけて何とか説得しようと試みた。
「ノルン、高崎でならいくらでもやっていいからここじゃ我慢してくれない?」
「ヒンヒン」
「首を横に振らないでくれ、それはちょっとダメなんだよ、デリケートな問題だから、ね?お願い」
「ヒンヒン!」
「ダメなものはダメなのです、とな?決心は堅いか…良い馬に育ったものだ。ならば全力でやってこい!」
「いやちげーでしょ爺様!!今回だけはヤベーって!」
「陛下も馬のやることに変な勘繰りはするまいよ」
「陛下はそうでもメディアがいらんことするのが目に見えてるんでダメです」
「…今も昔も変わらんな、あのお調子者ども」
「ふぇでぃ?…ぶぁー…ふぁっく」
「誰だ今の?」
「おや、なんか分かってくれたみたいだよ?」
「うそだろおまえ…」
「フン…」
先ほどまでのやる気が少し失せ、心底残念そうにケッと鼻を鳴らすノルン。どうやら自重はしてくれるらしい。
「すまない。今、よろしいですか?」
不意に声を掛けられ、全員の視線が一緒に声がした馬房入り口のほうに目が向く。
そこのいる人物に田島は思わずびっくりした。なぜなら彼を田島はよく知っていたからだ。
「小峠騎手!?」
「知り合いかい?」
「あ、いや、一方的に知っているだけというか…」
「もう騎手じゃないよ、お初にお目にかかります田島君、西さん。彼女の父に乗せていただいておりました、小峠貞治と申します」
小峠貞治、ノルンファングの父であるミホノブルボンの主戦騎手だった男。その唐突な登場に田島は思わず興奮を抑えきれなかった。
あとがき
というわけでノルンファングのミリオタ感染源は西竹一でしたというお話、史実改変でイレギュラーな奴らいっぱいいるからその先祖がイレギュラーでもいいよね?
ちなみにこの世界の硫黄島の戦いはB●Vの日本実装PVみたいなことが終始起きてた地獄。
焼いたり焼かれたりして、とある戦車が敵味方の両方から恐れられたりしました。
最終的にはどっちも意地と意地にぶつかり合いになり、最終的には物量と補給に勝る米軍側が勝利したけど軍と財界と政府は禿げ散らかした。
のちに世界中から『狂ってんぞお前ら』という目が日米双方に向けられてます。
ちなみに残留日本兵などは出なかった、西さんが降伏後も頑張ったので残存部隊は満足するまで戦って降伏したか戦死しました。
先祖にオリンピック金メダリストを持ち、その相棒だった爺様に薫陶を受け、UMAの猛威に晒されたのがノルンファング。
ツバキプリンセスの大活躍に付随して顔バレして調べ上げられちゃったので、世界中から注目を浴びている状態です。
バロン西の持ち馬でウラヌスの孫で日本競馬初の大記録に大手を掛けてるとか…ねぇ?
まぁそんなの知らん主人公はこの時もボケた面して普通に酒仕込んでるがな!!
おまけ・この世界の西竹一
現在は米のみならず様々な農作物や酪農を手掛ける西農園の創始者であり相談役、ノルンファングの馬主であり育て親の一人。
本来の世界線では硫黄島での戦いで戦死しているが、この世界線では『ノルンファング』に繋がるイレギュラーである田島祖父の存在により生存。
硫黄島の戦いでは栗林中将からの決別電文が送られるまで生き延び、偶然にも奪還に成功した摺鉢山にて残存兵力と共に米軍相手に奮戦し続けた。
訣別電文に呼応して自らも打って出ようとしたところを田島祖父に諭されて踏みとどまり、軍人として死ぬよりも今は蔑まれようとも多くの将兵を救い相棒に胸を張って会うために生きて帰ることを決めた。
降伏を受諾後、米軍の要請に応じ抵抗を続ける日本軍部隊の説得に尽力。最終的に降伏を拒んで自決した者、徹底抗戦を選んだ者達を除いて約3000人ものの将兵の命を救い、日本に連れて帰った。
なお摺鉢山をめぐる激戦が終始続いた事により米軍の死傷者がどえらいことになって当時の上陸部隊司令官は摺鉢山の悪夢に生涯悩まされることになる。
終戦後、部下の田島を頼り群馬に移住。自ら田畑を開墾し、やがて群馬随一の米農家として活躍する。
実はそんなことをしなくても世界中から仕事が絶えなかったのでお金には困らなかったが、本人はストイックに仕事をこなしつつそれに応えた。
その姿がさらに受け、高潔なバロン西の名声は確たるものとなり日本復興の一助となった。
また仕事の傍らで一介の馬主としても活躍、群馬地方競馬創設にも深くかかわり、一次期は老齢となったウラヌス号を馬事御苑から預かり、彼と共に興行として旧高崎競馬場や各所競馬場を駆けていた。
老齢となった今は育て上げた田畑の経営などは子孫に譲り、一相談役として自宅菜園をつづけながら隠居生活を続けている。
種牡馬となったウラヌス号の血筋を傘下の零細生産牧場で我が孫のように育て上げ、必ず血を紡ぎ続けるようにするのが生涯の目標になっていたが…まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。
ちなみに根っからの戦車オタクでもあり、一見普通な和風書斎は一回裏返すと世界各国の戦車の模型が飾られたコレクションルームとなっている。
おまけ2
硫黄島の戦いでの米軍側公式発表では戦死・行方不明者は約20000人、戦傷者は約7000人。日本側戦死・行方不明者16000人。
当時に指揮官曰く『何もかも西竹一が悪い』とのこと。
これは西竹一率いる帝国陸軍戦車第26連隊の追撃と摺鉢山の攻防でむやみな犠牲を出した上、摺鉢山を取り返された後の奪還作戦もすべて失敗したのが原因で何もかも狂ったからと言われている。
栗林中将率いる本隊への攻撃と西竹一率いる摺鉢山の再攻略という二正面作戦を米軍は強いられて双方への戦力が分散し、日本の防御陣地により狭い平地に抑え込まれ苦戦する場面が多くなり犠牲が増えた事。
この兵力分散により制圧区域の掃討と監視が不十分となり孤立した日本軍部隊が物資鹵獲などの余裕が生まれてゲリラ作戦が活発化し、哨戒部隊や補給部隊が行方不明になるのは当たり前になりひどい時は戦線後方の海岸線にまで浸透され襲撃され続けた事。
そして消費あるいは損耗する武器弾薬や物資の多さに米陸海軍がふんだんに持ち込んだ補給物資が払底し支援火力も直接火力も徐々に失われていったためである。
これにより米軍でさえも補給が滞る前線部隊が出始め、互いに水不足と弾薬欠乏に苦しみ、両軍が会敵しても疲労と弾切れでにらみ合うという状態も戦闘末期では散見された。
また摺鉢山陣地が奪われた際、集積されていた米軍の補給物資が丸ごと日本側に奪われて活用されてしまったのも失点であった。
西竹一率いる戦車第26連隊は摺鉢山奪還時後には装備も物資もほぼ使い切っていたが、混乱した米軍が摺鉢山の物資集積地と武器庫を破壊する前に制圧したためにほぼ丸ごと鹵獲し、西が自ら武器の説明書を翻訳して簡易マニュアルと共に各部隊に支給していた。
そのため米国製兵器の火力が補給の利便性も何もかもそのままに、充実した火力が奪還部隊をお出迎えしていた。
火炎放射器や火炎放射器付き戦車なども鹵獲され、摺鉢山近辺に潜んでいて合流した残存部隊による情報もあり最初の攻略と同じように動いた米軍は逆手に取られて盛大に焼かれて戦略も一から練り直しに。
また第26連隊の装備は弾薬規格や燃料、戦車などの車両に至るまで鹵獲した米軍装備でほぼ統一することになったため、米軍が摺鉢山に補給(奪還部隊を送り込む)する形になる踏んだり蹴ったりな戦いになったのである。