気儘に生きた転生馬物語   作:イナダ大根

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いつも多くの誤字報告、感想ありがとうございます。
これにて天皇賞春は終了、次は少し話を挟んで2006年の宝塚記念に行きたいですなぁ。





第29話

 

 

 

『お手上げだな』

 

『同感』

 

『そんな!?』

 

何度も頭の中でレースを再現しながら、俺は結論付けた。だって、話を聞けば聞くほどディープが勝った理由なんて理由が一つしか浮かばんのだもの。

最初はどうにかなるんじゃないかと思ってたけど、最終的にディープがやる気出しちゃうと大体力業でぶち抜かれる結果になるんだよ。

どうもいかん流れなんで気分転換でノルン達と第一馬房前の練習場へジョギングに連れ出して走りながら考えてたけど、うん、無理!

 

『お前の策は完璧だ、ディープと大竹さんは完全に術中に嵌ってやがる』

 

『でもそれで負けたんですよ?何か穴があったとしか思えません』

 

『どうしようもねーよ、そこまでになったらもう対策がどうのこうのって次元じゃない。必要なのは運と根性だ、根性は負けてねぇから最後の最後で運がディープのほうに向いた、それだけだ』

 

頭の上に乗せた盃に入れた水をこぼさないように軽く走りながら並走するノルンに言うと、一緒に走るダイオーもうんうん頷く。

そもそも最後のところはディープの体力切れを狙ってるんだろ?それをあいつはド根性で凌ぎ切って競り合ってやがる。

3200メートルをノルンのハイペース逃げでペースを狂わされた上に、仕掛け時もミスらされて、最後は基本戦術も変えさせられてんだぞ?

普段追い込みとか差しやってる連中を、レース途中に無理矢理逃げにするよう強要するとか普通は相手が潰れないほうがおかしい。

それをあいつは土壇場のド根性でやり遂げちまったんだ、むしろそこから巻き返せるディープのほうが異常だっての。

やっぱあいつの強さは底知れない、いろんな意味でヤベーわ。中央競馬もやばいヤツ生み出したもんだぜ。

 

『ならあなたならどうします』

 

『逃げる』

 

だって俺は逃げしかできないんだもの。聞いた話じゃ、俺の芝3200最速タイムよりその時は遅かったらしいじゃん。

単純な計算なら俺は十分勝てるわな、まぁ実際走るとなればそうはいかんのだろうけども。それでも戦術は変わらない、それしかできんからね。

どんな戦術を仕掛けてこようが、その馬たちよりも速く走っちまえば勝ちなんだ、要はルール守って抜かせなきゃ勝ちなのさ。

競り合ったら同じく根性勝負だ、小手先の対策はむしろ隙を作ることになりかねんから最初から最後まで体力と根性勝負よ。

 

『とはいえ、先は分かんないね。うかうかしてられねぇな』

 

『お?なになに?いつになくやる気っぽいね』

 

『ちょっとこっちは足踏み中でな。最近、碓井のタイムアタックランキングに挑戦してるんだが伸び悩んでんの』

 

『碓井って…あ、あのグネグネ道か』

 

『知ってるんですか?ダイオー』

 

『前レースに行くときに通ったよ!崖沿いの道でグネグネしてる道でね、夜走ったらすごい怖いだろうなあそこ。

人間ってすごいよね、僕たちみたいに夜は見えないはずなのにあそこでレースしちゃうんでしょ?今どんくらい?』

 

お、ダイオーの奴が知ってるとは話が早い。ちなみに俺もライト無しじゃ見えんがな。

 

『やっとトップ10の尻が少し見えてきたあたりだ、それ以上はなかなか縮まらん』

 

『6着7着って所?』

 

『10位のランサーがトップで射程圏内が入着とすればそんな感じかな、正直ここで無茶しても絶対に届かねぇ』

 

正確に記録されてんのはトップ10までだから大体だけどな、この前いい成績出したって浮かれてたやつらは追い越したけどそこからがなかなかうまくいかん。

安定していいタイムを出してる腕のいい連中がそこからうようよいるんだもの。そこ抜けないとあのランサーには挑めない。

あの10位の青いランサー、見た目は地味でもなかなか速い。まだまだ俺じゃ太刀打ちできん。

それなのに親友が世界クラスのレコード更新だって?そんなのやる気が出てくるに決まってんじゃねーか。

でもなんか足んねぇんだよ、なーんか今一つ踏み込みが足りないっていうかそんな感じが今あるのよね。

 

『なんかいま一つ足りない感じがしてな、酒と同じでよ。パワーが足んねぇのかな、バターナッツのトレーニング俺もやってみようかな』

 

『なんか特別なことやってんの?』

 

『あれだよ、あれ』

 

顎でしゃくって運動場の端っこを差す。そこにはバターナッツが古巣から持ってきたソリに1トンの重りを乗せて大汗を掻いて引っ張っている姿が!!

 

『ナンジャアリャー!』

 

『ばんえいだよ、毎日一回は引くのがあいつの日課。やらんと次の日は調子が出ないらしい』

 

いつ見ても大迫力だねぇ、よくあんなのが引けるもんだよ。ほらダイオーとノルンなんか目ん玉ひん剥いて愕然としてやがる、ほらほらペース落ちてんぞ。

 

「ひ、ひひぃん」『お、お先に、失礼!』

 

「ブルルッフィィィィン!!」『声が小さーーい!!』

 

あ、モンスニー爺さんに追い掛け回されるジョンソンに抜かれた。モンスニー爺さんの奴、ジョンソンが来てからすっかり元気になっちゃって自分の技術を軒並み注ぎ込もうとしてやがるぜ。

ただのランニングのはずなのにすっかりスタミナと根性作りのマラソンになっちまってやがる。

 

『じ、爺様!さすがに、8000メートルは、きつい!!もーむり!!!』

 

『口が開けるならまだいけるな!もう一セット追加だ!!』

 

『ひょぇぇ!?』

 

『頑張れよ、俺はできるぞ』

 

『止めて!!』

 

『ガンバ!』

 

もし手があればグッドラックと親指を立ててやったんだが、馬は蹄だからな。ほらジョンソン、そんな絶望した目をすんな。

遅くなってるからどんどん爺さんの目が嬉しそうに輝いてんぞ? 同じメジロ一族が鍛え甲斐あるとか燃料にしかならんぞその馬。

一周800メートル10本、まだまだ青いジョンソンには厳しいだろうね。

 

『鬼だ、鬼がおる』

 

『何を言うか、これくらい普通よ普通』

 

『イヤチョットチガウトオモウナーボクアンナレンシュウシテナイシニンゲンモシテナカッタシ』

 

『これはアメリカ軍式ブートキャンプですね!!かのキャプテンが毎朝やってたっていう!!』

 

『イヤソレモチガウトオモウヨ!?』

 

『原型なんて残っちゃいねーよ、世界中のが混じってるからな』

 

『イミワカンナイヨ!!?ドウシテソウナッタ!?』

 

『俺が教えた』

 

瀬名酒造は馬に関しちゃ古今東西ありとあらゆる知識を集めてんだよ、うちの資料室を漁ればものすごいの出てくるぞ。

この前も新入社員にポーランド陸軍騎兵隊の教本を日本語訳したやつ読ませてたしな。

それも第2次大戦直前の最新バージョン、一体どこから引っ張り出してきたんだよあんなの。

他にも大日本帝国陸軍の奴とかアメリカ陸軍の奴とか普通にあるし、武田騎馬隊の兵法書とかも普通に出てくる。

もちろん全部合法的に手に入れたもんだ、親父さんやその先代が各国のいろんな古本屋とか骨董市をめぐったそうな。

爺さんに教えたのは俺、人の文字読めると知ったら全部翻訳させやがった。

そういう知識も追加されたモンスニー爺さんのプログラムはキッツいのなんのったらない。

メジロモンスニー式ブートキャンプは、爺さんが長い年月をかけて組み上げた対ミスターシービー仕様の超スパルタだかんな。

俺も最初の頃はあんな感じだった、いやはや懐かしいわ。あんな風に追っかけ回されてひたすらスタミナと根性を鍛えたんだよ。

 

『うわ、モンスニーさんのあれって対3冠馬訓練?ますますえぐくなってない?』

 

『あ、ツバキ!』

 

『え、ツバキ?』

 

『おっ?ツバキ、久しぶりだな。なんでこんなところに?』

 

ジョンソンを追っかけ回すモンスニー爺さんを見送っていると俺たちのジョギングに割り込んできたのは今や世界に名だたるツバキプリンセスちゃんではありませんか。

まさかホントに世界大会で勝っちまうとはねぇ…群馬の馬として俺も鼻が高いぜ。

 

『今帰ったのよ、人間ってめんどくさいことするわよね。さっさと血液検査なりなんなりすればいいのになんで隔離なんてするんだか…』

 

『医者はキライじゃなかったか?』

 

『理由を知らされないまま注射器ぶっ刺されたら誰だって嫌でしょ、理由を教えてくれれば採血くらい我慢くらいするわ。私だって病気を持ち込みたいなんて思ってないし』

 

『そうはいっても一応規則らしいし無理じゃね? そういう検査やっても出ない時は出ないから経過観察するんだって聞いたことあるしな』

 

実は前世で俺もそれは考えた、実は出張の時に空港の検疫官と雑談できる機会があって聞いたことがある。

あの時はやればできるけどその後が大体問題になるからクソめんどいのでやらんとかなんとか。

犬猫ならまだしも馬とか牛だとそれやるだけで危険だし下手すりゃ大暴れして検査どころじゃないってな。馬なんか特にデリケートだとか。

そういやそん時も言ってたな、競走馬だと調教師がうるさいだの馬主がせっついてくるだの。

 

『しかしさすがはドバイの巴御前、すごい勝ちっぷりだったらしいじゃないの?』

 

『あんたのアドバイスがなきゃ体調崩してたわよ。飛行機で長いこと移動するなら、向こうだと時間感覚が狂うってのは本当だったわ』

 

『マジデ!?』

 

『マジよ、ダイオー。飛行機の中も大変だったわよ?足元が妙にふわふわするし、体が上に行く感覚がざわざわするの。

しかもそれに合わせて頭と耳がツーンと来たりするしさ、そういうもんだって知ってなきゃあれだけで結構きついわよ。

あと向こうについたら時差ボケっていうやつ、体の感覚と向こうの時間が合わないのはなかなかきついわね。

向こうの時間感覚に合わせるには、向こうの夜に合わせて寝るのが一番っていうのは本当だった』

 

『なるほど、ではやはり気候や環境も違うのですか?』

 

『そうよノルン、あっちとこっちじゃ人間も違うわ。アラブの人間は鹿毛が多いのと言葉が全く違う、日本の言葉と響きが全然ね。

他にもブリテンとかいう国から来たっていう芦毛の人間とか、尾花栗毛の人間もいたわね。黒鹿毛よりもっと真っ黒な人間もいて面白かったわ。

もちろん環境も違うけど、一番は水とご飯よ。味が全然違う、最初は良いけど続くと嫌になって来るわね。

タービンの言う通り日本からご飯はできるだけ持っていったほうがいいわ、時々慣れた味を食べれば不思議と喰えるし。

水もペットボトルの水以外は飲まないほうがいい。水道水だっていうのに全然味が違うし、口の中イガイガするのよ。

飼い葉と同じで時々薬臭いのがあったからそういうのは絶対食べないようにしないとおなか壊すしさ』

 

向こうは食糧事情が違うからな、向こうじゃ普通でもこっちからしたら香辛料とか使い過ぎとか平気である。お国柄ってやつだ。

そういうのは食品保存用の保存料にもある、そのせいで人間だって腹壊すんだから警戒して損はない。

こいつらは競走馬、アスリートなんだからその程度の我儘くらい聞いてもらってもかまわんだろ。

 

『お世話してくれる人間が言ってたわよ?あんた、散々しつこく追い掛け回して教え込んだって?』

 

『なーに、簡単な根回しよ』

 

ツバキと練習した後に、あいつの厩務員付け回して散々訴えてやったからな。役に立って何よりなにより。

 

『へー、じゃぁ僕とノルンのお付きの人間にやってるのってそれかー』

 

『あとちょっと体臭がキツイわ。向こうの人間、余りいい洗剤がないのかしら? たまに変なにおいがする人間もいるのよ?』

 

『そいつは文化の違いだ、風呂じゃなくてシャワーが主だろうし仕方あるまい。別に滅茶苦茶臭いってわけでもなかっただろ?』

 

臭いとおっそろしく匂うからな、しかもそれに対抗してオーデコロン使うと最初は良いけどそのうちやばくなったりもする。

しかもそのオーデコロンの匂いがまたキッツいのだったらそれだけで…ねぇ?

 

『逆に慣れなかったわ、あくまで我慢できる範疇だったもの』

 

『そっかー、じゃぁ僕たちも気を付けなきゃね。ドイツってどんなところなんだろ?』

 

『ドイツは欧州で白人系、芦毛の人間が多い国だな。今はいろいろな人種がいるが、衛生面なら日本に近いと思うぞ。

治安も悪くないし比較的安全な国だ、ちょっと拗らせてるのとかあるからそういうのには注意だけどな。ま、ほっとけ』

 

ここじゃないが、未来のドイツはちょっと拗らせてるところあったかんな。ナチス否定しつつやってることと言ってることが、元が違ってもおおよそ変わらんとかね。

 

『ならアメリカはどうなんでしょう?』

 

『ノルン、お前が大好きなターミネーターとダイハードの国だぜ?最近の映画見てれば大体わかると思うぞ。

芦毛、栗毛、鹿毛に黒鹿、尾花栗毛にツルッパゲ、基本何でもありだな。安全性もピンキリ。

映画でスラムとかギャングとか見たか? ああいうのは裏路地に行けば居るから、旅行者は表の大通りで過ごしましょう』

 

これも前の世界と変わらなければいるね、変に近道しようとすると嫌な奴らが品定めしてくんの。俺はまだ運がよかった。

 

『ま、とにかく普通に競馬するなら注意するのは水と飯、あと環境変化だ。そこに注意しときゃ何とかなるだろ。

海外の競馬場は日本より整備が雑だとか言われてるが、そういうのはお国柄だしお前らにゃ関係ない話だ』

 

『荒れてる道は慣れてますからね』

 

『裏山ほどじゃないでしょ』

 

『走ってないけど、見た限りアラブの芝は裏山に比べたら完璧な整備してたわね』

 

ほらな、だから体調面とメンタル面しっかりしときゃこいつらは心配いらんね。

 

『ところでタービン、どうしてそんなこと知ってるんですか?』

 

『悪いなノルン、そいつは機密事項だ』

 

『どうせ雑誌とかテレビでしょうが』

 

かっこつけさせろよツバキ…

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

≪戻ってきた、戻ってきた!!ノルンファング最後方から鋭い末脚で再び先頭!!後方集団を一気にぶち抜いた!!≫

 

≪まさか!?どんな足してるんですかそれ!!≫

 

≪最終コーナーを回って最後の直線、ノルンファングが前に、前に…抜けない!!ディープインパクト抜き返す!!ノルンファングさらに前へ!二頭がさらに加速して後続を突き放す!!≫

 

実況の中に相当驚いていたらしい観客の声が混じる、当然だろう、ディープインパクトとノルンファングがやっていることははっきり言って狂気の沙汰だ。

片やただ一頭を引きずり出して罠に嵌めるために逃げを打ってレースを騙し、片やそれにまんまと嵌って狙い通りに体力を浪費した。

もう勝負はついている、ディープインパクトが垂れるだけ、そのはずなのにそうならない。

そこからさらにバトルが始まり、2頭だけの意地の張り合いで破滅的な加速勝負が始まっている。

普通なら完全な暴走だ、しかし2頭の騎手は止めない。これが暴走ではなく勝負に出ているのだと理解しているからだ。

 

≪ディープインパクト粘る!!ノルンファング粘る!!加速する、加速する!!残り200メートル、2頭の加速がまったく止まらない!!≫

 

ゴールまで残り200メートル、3000メートルの長距離を走り抜けてきた先頭2頭以外の馬たちはほぼいっぱいいっぱいなのはド素人の見物客でさえ理解できる有様だった。

 

≪トップは中央と地方の鍔迫り合いだ!!どっちも譲らないデッドヒート!!3番手リンカーンは大きく離されてもう届かない!!≫

 

だからこそ、先頭で競り合いながらなおも加速する2頭の超加速で差がどんどん開いていく。

もはや3番手は全く勝ち筋に乗れないまでに絶望的な差が開いている。

完全な二人旅、このレースは中央競馬と地方競馬の一騎打ち。会場がどんどんヒートアップしていくのが小泉にはわかった。

2頭は全く譲らない、ただ前を見て、互いに勝利を目掛けて邁進する。

ディープインパクトの大竹騎手、ノルンファングの田島騎手も必死の形相で相棒と同じく前を睨んで手綱を握る。

 

≪残り100、差は広がらない!!後ろがどんどん離される、また加速だ!!どんどん2頭が前に行く!!

後続はもう無理か、もう20メートルは突き放されている、懸命に追うがもう届かない!!そのままゴール!!

新しい伝説か、古の奇跡か!!どちらもハナを全く譲りませんでした、両騎手もリアクションはありません!!≫

 

≪何キロ出してた!!最後の…いやタイムじゃなくて最高速度!!え、なに、時速83㎞!?機械の故障じゃないのか!!?≫

 

一気にゴール板を駆け抜けていく2頭、どちらの騎手もリアクションはない。互いに顔を見合わせた後に、相棒に減速を命じてゆっくりと速度を落とさせる。

掲示板には順当に着順が一着と二着を残して点灯、トップ争いには写真の文字が点灯した。

写真判定の審議を行うとの会場告知がなされた、無敗の中央GⅠレース5連勝の達成か、それとも地方競馬の天皇賞春秋制覇か、会場の期待とボルテージが否応なく高まる。

どっちが勝っても歴史的一幕、伝説の偉業、それが作られる現場にここにいる全員が立ちあうことになるのだ。

 

≪おっと、先頭2頭に現場係員より指示が出ました!このまま2頭でコースを一周してからホームストレッチに戻るようにとのことです!!これは異例です!!これは一体…あの?≫

 

≪だから何なんだその数字!3200だぞ!!時速83kmとかおかしいだろう!!何?みんなわけわかんなくておかしくなってるだぁ!?≫

 

≪…どうやら取り込み中のようです、こちらはこちらで続けましょう。おっと指示の内容が今届きました、両馬とも激しい競り合いをしたため、急な停止は危険と判断しクールダウンを行うとのことです。

えー、二頭の計量は一番最後に行うとのこと。あ、今審査結果が出ました!準備でき次第、発表とのことです!!≫

 

数分の沈黙、そして写真判定の結果が掲示板に表示される。瞬間、会場内が歓声に包まれた。

一着、ディープインパクト、二着・ノルンファング、着差はハナ差・激戦を制したのはディープインパクトだった。

しかしノルンファングの健闘も凄まじいもの、僅かな差の敗北ではあるがその健闘を大いに讃えられる。

 

≪やりました!レコードです!!ディープインパクト、ワールドレコード勝利で無敗のGⅠ5連勝!!ノルンファングは惜しくも2着、天皇賞春秋制覇ならずしかし彼女もワールドレコードを更新!

二頭が帰ってまいります、ディープインパクトの後ろにノルンファングが…おっとまた現場係員の指示が飛んでますね。これは…2頭でウィニングラン!これはサービスが利いているぞ!!≫

 

≪ぜぇ、ぜぇ…ど、どちらも立派なワールドレコード保持者と言えますからね、いい判断と、言えるのでは、ないですか?ぜぇ…ぜひゅッ≫

 

「ここにいたんですか…不満そうですね、小泉さん」

 

「わかる?」

 

「怖い目してますよ」

 

昼下がりの優しい日光に照らされた栗東厩舎の資料室、自分たちのディープインパクトが勝利を収めた天皇賞春の生中継録画を見ていた小泉は、仏頂面を決め込むトレーニングウェアの大竹を見て無言で自分の顔を揉み解す。

あのレースは間違いなく天皇賞・春のコースレコードである。しかしそのタイムは自分たちが知る芝3200コースの最速タイムには及ばない。

自分の知る最速の馬はもっと速く走った、3200メートルの芝コースを今日のコースレコードよりもはるかに速く走った。

もちろん本戦と練習では比べても意味がないとわかっているが、それを加味してもやはり比べてしまうのだ。

 

「少し期待していた、最後の直線のあの走りは今のディープが何もかも振り絞った全身全霊の末脚だった。正直、痺れたよ、今まで見てきた馬のどんな馬よりもね。

群馬では勝てない、群馬トレセンのあのコースでは勝てないが…中央の競馬場なら、経験のある京都競馬場での実戦ならば上回れるかもしれない。

ほんの一瞬でもいい、時速93㎞を超えることができればと…だが結果は時速83㎞、まったく届かなかった」

 

世間では競走馬の常識をはるかに超えたスピード勝負に大賑わい、日本のみならず世界中にこの衝撃は広く伝播している。

それを制したディープインパクトに関する問い合わせは国内国外から後を絶たない、きっとそれはノルンファングを擁する群馬地方競馬も同じだろう。

中央競馬界は空前の怪物の出現でディープインパクトとサンデーサイレンスの名前は不動のものとなり、それに対抗するかつての名馬たちの血筋もにわかに盛り上がりを見せ始めた。

 

「小泉さん、考えすぎは逆に良くない。私も正直、あの加速には驚いてます。まんまと騙されて、あんなふがいない騎乗になってしまったのに…」

 

ノルンファングの大逃げに見せかけたレースを支配し、ディープインパクト一頭だけを攻略するためだけにほかの馬を払い落とす大ナタ。

そして自分たちだからこそ引っ掛かる『逃げ』に対する危機感の利用による陽動、そして終盤にばてたと見せかける見事な演技。

全部がディープインパクトと大竹を騙すため、他の馬が粘る可能性を眼中に入れていない自殺行為染みた戦略だ。

それに対して自分が取れたのはディープインパクトにすべてを委ねて逃げさせて、彼が走りにくくならないように体を制御することに終始した。

それにはもちろん理由がある、ディープインパクトはもともと差しか追い込みを主体とする馬であって、逃げの戦術を取る馬ではない。そもそも彼の走りは逃げに向いていないし、逃げの練習も騎乗スタイルの合わせもしていない。

大逃げで走る馬の乗り方は熟知しているが、その手綱の握り方ではディープインパクトの見様見真似の大逃げにはむしろ毒だ。

サイレンススズカのような訓練された逃げではないがむしゃらな大逃げは、一見立派ではあるが下手に手を出せば一瞬で崩れる脆さがあった。

だからあくまで自分は体の制御に徹し、ただの重しになることを受け入れて勝負に挑んだ。

それが最善だとはわかっているが、それは自分に何もできることはないと逃げているのだ。それが不甲斐ない以外のなんだというのか。

そもそもそんなことになったのは自分の力不足故だ、だから今度は失敗しない。大竹の頭の中にはすでに次のレースに挑むための調教プランと自分の自主練プランが練りに練られていた。

 

「ディープは速かった、とてつもなく速かった、最悪の状況であいつは自分で考えて最高の走りをやってみせたんですよ。

これはあなたが教えた走りだ、ディープに走り方を教えたのはあなただ、ならやる事は一つしかないでしょう?」

 

「まったく…少しは休ませてくれたっていいだろ」

 

「次が待ってます、宝塚前の最終調整までにもっと仕上げておきたいでしょう?」

 

大きくため息をつく、仮病作戦大失敗である。どうせ次の事を考えて突き進みたくて仕方ないに違いないと大竹の姿を見て、自分の年齢を考えて肩をすくめた。

 

「この前から電話が鳴りっぱなしで電話線引っこ抜いて、外に出りゃ質問攻めだぞ?しばらくこの資料室から出たくないね」

 

「僕も厩舎前でさっきもみくちゃにされましたよ、ディープが助けてくれたからよかったですけど」

 

「ディープが脱走するなんて相当だな」

 

群馬と栗東の違いを理解しているディープインパクトは、基本的に栗東厩舎では厩舎から勝手に出てきたりすることはない。

群馬トレーニングセンターとは違い、自分たちが勝手に厩舎をうろつき回ったりしたらここの人間が大騒ぎするのを理解しているからだ。

群馬地方競馬ではポピュラーになってきた電子ロックなどよりも遥かに簡便なモノが主流のここの馬房から抜け出るなんて、彼にとってはお茶の子さいさいなのである。

 

「次も気が抜けないな、群馬の連中は出走登録しないと聞いているが注目度は天皇賞に負けてない」

 

「ハルウララ効果が出てきてますか…」

 

ディープインパクトが次に出走する第47回宝塚記念には、大竹にもなじみ深いあのハルウララが出走を決めていた。

群馬地方競馬で復帰し、高知地方競馬に鍛え直して舞い戻ってきたハルウララ。

未だに勝利はできずにいるが、群馬地方競馬での戦績は復帰戦の最下位を除けば出走5回のすべてで掲示板入りをしているシルバーコレクターだ。

シマカゼタービン、ホクリクダイオー、アルトアイネス、アルトレーネ、タイムパラドックスを相手にして得たとすれば怖ろしい上達ぶりと言える。

そんなハルウララの高知地方競馬復帰の第一戦目が、中央出張の宝塚記念となればハルウララファンは驚くと同時に温かな声援で彼女を後押ししている。

その人気とファンの数はすでに引退前をはるかに上回っていて、群馬地方競馬のツバキプリンセスによるドバイワールドカップ制覇によって日本地方競馬全体が世界の注目を集めたことにより海外ファンも徐々に増えている。

それが宝塚記念に押し寄せるというのだ、その注目度は考えるまでもない。それが無謀な挑戦でも、それがまた彼女たちを彩るのだ。

大竹もハルウララの宝塚記念出走登録の話は古海から直接聞いて、無謀な挑戦だと素直に答えた。

しかしその無謀さが余計にハルウララが競争心を失っていないという事を際立たせて人気を押し上げた。

大竹自身は抽選で落ちるものだと考えていたが、ディープインパクトが出走登録を行ったことで状況が一変してしまった。

 

「凱旋門賞前の国内最後のレースだ、失敗はできないぞ。残った連中は本気でお前らの首を狙ってる」

 

ディープインパクト、クラシック無敗3冠であり、これまで無敗の日本中央競馬の絶対王者。

それを相手にして勝ち目が見えないと考えた馬主が居て、勝ち目がないレースに出すのは意味がないと避けるのはおかしくない。

それが2006年の宝塚記念では起こっていた、出走登録を取り消す陣営が続出し結果的にハルウララ出走までの道筋ができてしまった。

 

「気を引き締めてかからないといけませんね。行きましょう、もうディープはコースで準備運動をして待ってます」

 

「だから少し休みたかったのに…」

 

またしばらく忙しい日々が続くのだろうな、そこにまた横から呼び止められるんだろうな。

最近は栗東トレーニングセンター内でさえ奇異な目で見られ、よりディープインパクトを鍛えるために思いついたことを試行しているとすぐに疑念の声が飛んでくる。

仕事をするなら集中したい小泉は思わずため息をつき、いろいろなチャレンジにも動じないで肯定的な群馬トレーニングセンターが少し懐かしく思えた。

 

 

 






あとがき
ハルウララ、宝塚記念出走確定。これにはまさかの大竹もびっくり。
群馬ではシルバーコレクターしてたのでかなり鍛え上げているのは確かなのですが…まぁ元がウララちゃんだからな。
でも宝塚記念ではディープインパクトの戦績がいらん結果を招いてしまいました。まぁここのディープ強いからね、仕方ないね。

あとディープも含めて、海外遠征予定のある群馬勢はシマカゼタービンに入れ知恵されてます。なのでツバキは多少強行軍でもケロッとしてたわけですね。
ペットボトルのミネラルウォーターで水が飲めない問題を対策、食料持参と事前知識によって現地飼料への慣らしと警戒、栄養面もばっちり。
時差ボケ対策万全、事前知識と対策を教えられてたので一週間もあれば余裕で万全ですわ。
これでちょっと経費が係るようになるけど『不意のアクシデント』は減るはずです。
なおその根回ししてる奴はそこまで考えてないですがね、これだからうちのUMAは…




おまけ
なおこの天皇賞における実況は長らく世界中のテレビで、年末スペシャルなどで流されるハプニング映像の定番となるのであった。


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