気儘に生きた転生馬物語   作:イナダ大根

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いつも多くのご感想と誤字報告、ありがとうございます。
少しだけ先の事件の後始末をして2006年宝塚記念に入りたいと思います。
ぶっちゃけ方々投げっぱなしジャーマンして勝手にやりやがれってやるだけだけどな!!
今回はかなり一部方面を悪辣に扱き下ろしますが仕様ですのでご勘弁を、これがこいつらの基本スタンス。





第36話

 

 

2006年6月24日、今年もじめじめとした6月の終盤、群馬競走馬トレーニングセンターの理事長室の応接間で現実逃避をしていた。

戦後日本にて初ケースといえる日本国内での他国首長暗殺事件、後に『群馬ドバイ首長暗殺未遂事件』として世界に記録される大事件は多くの被害をまき散らしながらも類稀なケースで幕を閉じた。

文面にすれば何のことはない。襲撃は失敗、実行犯は返り討ちで全員逮捕、それだけの話だ。

一般への情報開示もそのようになっており、あくまで現地の群馬県警と居合わせた職員が一丸となって反撃して返り討ちにしたと発表されて一躍世間を賑わせた。

それは間違いではない、事実である。しかしすべてを発表したわけではない。

その詳しい内容が国際犯罪界隈では評判のいい暗殺集団による綿密なテロであり、情報かく乱による綿密な前準備などもあって日本とアラブ双方の公安や諜報機関を欺いていたこと。

情報かく乱と事前工作によって手薄になったマクターム殿下の守りを見事に果たし、実行犯である暗殺集団と文字通り交戦して打ち勝ったのは群馬県警の警察隊と群馬地方競馬の警備員達、そして所属競走馬や職員たちであったこと。

そして逃走した主犯格を一網打尽にしたのが一番活躍したのが普段は交番勤務の制服警官ととある競走馬であり、全力で逃走する実行犯たちの反撃をすべて掻い潜り派手なカーチェイスの末に全員を捕まえる大立ち回りだったこと。

このことをいち早く知った日本政府は当然困惑した、これは本当に事実なのかと、これは本当に現実なのかと。

群馬県警や現地職員たちが対応したのは間違いないにしてもいろいろ盛りに盛ってるんじゃないか?頼むからそうであってくれ今ならただの冗談で笑えるからと願ったが現実は非情である。

だからこの事件の詳細は機密として厳重に封印されることになったのだ、余りにも荒唐無稽であるゆえに。

そして群馬県警や群馬地方競馬といった一番の功労者達もそれを望んだ、多少の褒章はうれしくてもそれ以上となると今後に差し障るのだ。

何より一時の過大評価による不相応な評価を引き摺ったらひどいことになる、こういうモノはあぶく銭として考えるのが一番だ、パッと使ってはいおしまいで終わりなほうがいい。

何より本件はそもそも一地方の抱える案件としては重すぎるし面倒臭い案件だ、そういうのは慣れてる奴らに振ってやるのが一番である。

よって世間一般の認識では『群馬県警が大金星を挙げた』といった程度の認識で収まっている。

行儀の悪い記者や勘の良すぎる記者は何か裏があると勘づいているようだが、今のところは大人しい。

 

「んで、なんでまた来てるんですか、殿下」

 

もう終わったはずだった、殿下はすでにアラブのドバイへ帰り、残る問題はぶち壊された群馬競走馬トレーニングセンターの修理と代替要員の手配だけのはずだった。

幸いながら中央競馬の栗東トレーニングセンターとのつながりがあったおかげで臨時の人員は確保、施設修理は長い付き合いの大工や施工業者を軸に募集をかけて目下再建中である。

群馬競走馬トレーニングセンターは施設に大きな被害を受け一部は焼失、職員に怪我人こそ出たが死傷者はなく所属競走馬たちにも影響は見られなかった。

さすがに直近のレースは全て延期になり、最近になって高崎競馬場でのレースが再開されたがすべて元通りになったわけではない。

これからすべて元通りにするところなのだ、すべて直ればもうあの鄙びた地方競走馬用トレーニングセンターとしてやり直せるはずだったのだ。

国と国のどーしようもないすったもんだは勝手にやってろと問題は丸投げだ、再建費用と給与補填と保証がされれば群馬地方競馬側は何も言わない。

何故なら群馬地方競馬に死人は出ていないし、金で解決しない不可逆な問題は残っていなかったからだ。

群馬地方競馬の競走馬たちは今やみんなタフで分別が付いている馬ばかり、むしろこれで無駄な自信すらついている。

襲撃された怪我をしたという程度で心を病むような新人はあの日は休みにしていたのでいなかった。

あの日、群馬トレセンで勤めていた職員たちは馬という猛獣を相手に中央に比べれば低賃金で日夜命を懸けて挑み鎬を削ってきた猛者たちばかり、多少荒っぽいことがあっても一晩寝れば大体元通りである。

あとは一般公開用の資料館に事件の資料や回収された武器の模型、装備のレプリカあたりを端っこにおいて少しだけ花になってもらおうと手配したくらいだ。

広場にはこの事件で犠牲になった警官達の名を刻んだ慰霊碑を置いて、いつものお坊さんに頼んで供養しており今は立派な広場のモニュメントである。

故に、もうどうでもよかったのだ。もう馬狂いの顔を表に出したマクターム殿下と顔を突き合わせるなんて二度とないと安心していたのだ。

現実は非情である、考え方が甘かった。

 

「うん、実は―――」

 

「馬なら預かりませんよ」

 

「いや、そうではなくて招待状を―――」

 

「授与式とかも行きませんよ」

 

「ならばせめてシマカゼを次のドバイミーティングに――」

 

「それはうちの管轄じゃありません」

 

「…貴様ぁ、私を誰だと―――」

 

「いらないから持って帰りなさいと言っているんだ王様、関わんな」

 

「君たちどうしてそんなに塩なの!?」

 

めんどくさいんだよアンタラ!!とはさすがに言えないので桜葉は内心罵倒する。

最近は良く出没するのだ、このマクターム殿下、しかもご丁寧に完璧すぎるお忍びで。

目的はもちろん群馬地方競馬の技術とシマカゼタービンを筆頭にした賢い馬たちである。

賢い馬たちは確かに他と比べれば賢いのでそりゃそうだろうとは思うが、技術に関しては否定しかできなかった。

なぜなら峠坂路を作った以外、特に特異なことをしている自覚なんてないのだから。ただやれることをいろいろしただけで

 

「この前も説明したでしょう、この件に関してうちらのことは記録には残されますが公表は控えさせていただきます」

 

「だから勲章とかは何もいらない、どうしてもというなら郵送で送ってくれって?」

 

「そういう事です、瀬名酒造のほうもそうでしょう?別にアラブの特産品詰め合わせでもいいですよ?というかそっちの方がみんな喜びます」

 

この件に関しての群馬地方競馬のスタンスは『ただの被害者』であり『善意の協力者』である。

決して凶行を阻み、英雄的活躍で事態を収拾した立役者などではない。

事件の詳細な資料は残されるが、表向きの報道では群馬地方競馬はあくまで解決に少し助力しただけとされる。

当然ながら、居合わせてしまったシマカゼタービンの一連の活躍も資料にはされるが後は保管室の深い闇の中に封印される手はずになっているのだ。

実際黒歴史である、当人たちも当時のテンションが過ぎ去れば、あとは恥ずかしいやらやらかしたやらで忘れたがった。

少なくとも口に出すとシマカゼも雅孝も同じ渋い顔をする、思い出させんなと。

 

「あくまで群馬県警の活躍による事件の解決、そうなると国のほうで話が付いたはずでは?」

 

「いやしかしだね、やはり一番の功労馬と功労者に何も与えないなんて我がアラブの威信にかかわる」

 

「そんなもん誰も知らなきゃ無いと同じでしょ」

 

「だからなんでそんな塩なの!?今回は私達のミスだし、信用されないのは当然だけども!!」

 

若いっていいなぁ、健全っていいなぁ、真面っていいなぁ、思わず桜葉はそんな風に思って優しいほっこりした気持ちになった。

こんな指導者を持った国は幸せだ、まだまだ経験が足りないところはあるだろうけどもこういう人には得てしていい人材が集まるというモノだ。

 

「殿下、私たちは殿下たちを信用してないわけじゃないんです。そちらにも理由はあったんでしょう?うちらにゃ理解できませんが。

ただ今回の件は表沙汰になったら面倒なんでうちもなかったことにしたいんですよ、利害も一致してるんでそれに乗っかっただけです」

 

「なぜそんな風に袖にするんだい?」

 

え、なんでって?そりゃぁこの自分がよく国というか行政というか権力者というクソっぷりを理解してるからだよ。

あとついでに黒歴史はやった本人も普段は絶対に忘れていたい、無かったことにしたいことだから。

 

「地方自治体と国の溝ってやつを舐めちゃぁいけませんよ」

 

まぁ地方自治体にもクソみたいなのは山ほどいるからどっちもどっちだから苦労はお互い様だが、素直に同情できないのも事実である。

これでも最近の群馬はマシな方なのだ。戦国末期から飛び出してきたような昔気質のしっかりした若い男性が、しっかり県議会を運営しているので風通しは良いのである。

本人曰く育ての親である祖父に比べたらまったく才能がないと自分を卑下しているのだが。

 

「桜葉さん、目、怖!!」

 

おっといけない、ついつい闇があふれ出てしまったようだ。

 

「殿下、うちらが何で今回の事件でさっさと引っ込んだとお思いですか?」

 

「うん、それは分かっているよ。だが…」

 

「タービンはあいつの馬だが、一応はうちに所属してる競走馬だ。そんな風にあんたらが扱ったらメディアの格好の餌だよ。

群馬地方競馬は競走馬を育成してるんじゃなくて軍馬を育成してるのか?って大見出しになるでしょうな」

 

この日本における狂信的な軍事アレルギー、それは金を稼ぎたいメディアにとっては『書けば売れる』という絶好の稼ぎ頭だ。

何でもかんでも尾ひれはひれつけて書きなぐって、信じるかどうかは読者次第だと投げて、金だけかき集めてへらへらしている大手メディアの腐り切った編集部や記者たちの顔はよく覚えている。

腐ったミカンになった大人の姿、日本を代表するメディアのきれいな皮の腐った中身、まったくもって度し難い。

さらにああいう連中はたとえ世間的に潰したとしても次が出てくる、次から次に、次から次にとキリがない。

瀬名茂三とその手の連中を相手ににらみ合う機会があったからこそ自信をもって言えるのだ、相手にするほうがバカバカしい。

そういう連中には仲間なんていない、放っておけば勝手に共食いを始めて同類同士で潰しあうのだ。

腐り切った体液をまき散らして周りを汚染しながら取っ組み合うさまは見ているだけで目が腐るというモノだ。

そんな連中に一生好き勝手されるくらいなら、平穏な日常を失うというなら、一生に一度の栄誉なんてものは捨てたって惜しくないと群馬競馬も瀬名酒造も同じ思いだった。

 

「まさか、国の英雄だよ?」

 

「持て囃すより貶してバカにして笑いものにしたほうが金になるんですよ、この場合。だってそのほうが万人受けして売れる、嫌がるのは競馬関係者だけ」

 

「言わせておけばいいだろう?どうせ口だけ達者な週刊誌の戯言だ」

 

「生憎、その戯言に乗っかって好き勝手する連中がこの日本では覇権を握ってたりするんでね。絡まれたらそれこそ面倒だ。

しかもああいう連中には、お題目がすっかりすり替わってはき違えた解釈してるのに、全く理解しないで正義面してくるどうしようもない奴らがいる。

ああいうのは面倒ですよ、何しろ自分が見たい聞きたい都合のいい事しか理解する気がないからこっちがいくら説明しても無駄なんです。

筋が通ってない事だって声高に提言して、それを常識と道理で否定しても『それはそっちが間違ってるから無効、こっちが正しいから認めろ』って素で言う連中ですよ?」

 

桜葉が心底うんざりした様に答えると、思い当たる節があったのかマクターム殿下は表情を渋くさせて言葉を詰まらせた。

文字にするだけでも明らかにイカレた連中だが、残念なことにこういった生態系を持つ『人間もどき』とも言えそうな人種は世界各国にいる。

それこそ国境も、人種も、思想も何も隔てなく、必ず存在するのだ。しかも非常に面倒臭いというところまで一緒である。

普段は相いれない主義主張を提言する人間たちの間でも、その話題になると互いに話が合って同情するくらいには共通の敵だ。

実際、公営競馬なんてやっていると賭博を悪とした社会正義を気取ったイカレポンチを相手にすることはザラである。

そしてそういう連中の中でも手に負えない奴はとことん手に負えない、思考回路に互換性がなくて通じないのだ。

 

「うちもだいぶでかく顔が知られました、これ以上変に顔が売れたら今後の営業にも差し障ります。

もし殿下の言うように国を挙げての式典を行うというのなら、それを最後に群馬地方競馬は畳まなけりゃならんでしょう」

 

「…え、桜葉さん本気?」

 

「いかにも、一公営競馬のできる域をはるかに超えちまってますからね」

 

苦肉の策だが致し方あるまい、これ以上は一地方競馬の手では御しきれない、ひどい暴走の末の破滅よりもきれいな有終の美を飾るべきだろう。

そのほうがのちの再建でも角が立たないし、今も尽力してくれている職員たちの経歴にも傷がつかない。

もしそうなったら瀬名酒造も店仕舞いであろうし、いっそ茂三と一緒にまたどこかの僻地でやり直すというのも悪くない。

 

(いや、むしろそのほうがいいかもしれんな。何の取柄もない中年には、群馬地方競馬理事長の席は豪華になりすぎた)

 

思えばこの一年で遠くに来たものだ、思い付きでいろいろやってきたらどうしてだかこんな有様だ。

いっそ、自分の身の丈に合った一介の中間管理職として再出発、なんていう理想的な夢だ。

 

「…解せない、どうしてそんな風に拒むんだい。君達はまるで人間を信じてないみたいだ」

 

「ははは…道理ですな。こんな仕事をしてますと人間っていう本質というかどうしようもなさっていうのか…とにかく見えてくるもんです」

 

「だがそれあっての人間だ、違うかい?」

 

「さすがですな、殿下。若くして国のトップに上り詰めるだけあって御強い。私はそういう風には見れんのですよ」

 

自分は深く見過ぎた、耐えられもしないのに深入りした、その自覚はある。

まったくもって羨ましい、馬狂いだけど。こんなきれいな瞳をした為政者が日本のトップになればいろいろと変わるだろうか…いや無いな、桜葉はすぐに思い直した。

たとえマクターム殿下が良い為政者であっても周りが腐ってるので汚染されるかいいようにされるだけだ、むしろ彼が不幸になるのでアラブに生まれてくれてよかったとすらいえる。

 

「とにかく、うちらはできることをしただけですわ、私なんて右往左往してただけだしね。茂三もそう言ってたでしょう?」

 

「うん、瀬名さんどころか群馬県警にもそう言われたよ。仕事をしただけだからってね。だが…君たちは英雄として讃えられるべきだ、違うかい?

自画自賛は好きではないが、キミたちはアラブ首長国連邦のトップを見事に守り切って、あまつさえ下手人を全員殺さずに捕縛した。

これを讃えずしてどうするというんだい?シマカゼと雅孝警部補を国賓として我が国に招待して勲章の授与式を行う、これのどこがいけないんだ」

 

「英雄ねぇ…そりゃすげーや、映画の中ならな」

 

いや、映画の中でもいずれはそんな英雄が出てくるかもしれない。

桜葉は思わず、本気で鼻で笑ってしまった。英雄なんて飾られた日には自分たちは終わりだ、そう桜葉には直感できた。

ましてや国が讃える『英雄』などという称号の薄っぺらいものを喜んで受け入れられるような夢を見てはいなかった。

都合のいいそんな称号は、都合のいい人材にしか与えられない。本当の英雄といわれる存在は、どこまで行ってもそういう権力者たちには目の上のたん瘤なのだから。

市販されている歴史書を紐解けばそれこそ素人にだってわかる。

ベトナム戦争を戦い抜いたアメリカの軍人は何と言われただろうか。軍人として戦い抜いた結果、祖国でどんな扱われ方をしただろうか。

アフガニスタンの戦いで生き抜いたソ連軍人たちはどうだっただろうか、ソ連崩壊後の彼らはどんな扱いを受けただろうか。

エルネスト・ゲバラの最後はどうだった、一国の首相にまで上り詰めたが最後はボリビアでゲリラとして死んだ。

かつて英雄だった西竹一はどうだ、今でこそ彼の人生は持ち直したが戦後の彼の人生はどこまで行っても苦難の連続であった。

世界にはそんな話がごまんとある、それこそ身近にだってある。

かつて中央競馬の一世を風靡した競走馬たちはどうだ、後継に恵まれずやがて諦められ、今やサンデーサイレンス一強の時代になりつつあった。

時代の流れだ、といわれればそうだろう。だが後ろを見てみると思うのだ、自分はこうはなりたくない、仲間をああはしたくない。

 

「そんな仰々しいもん、あいつらも鼻で笑うでしょう、自分には不釣り合いだとね、もともとそういう連中です。

それこそ感謝状と一緒に勲章を宅配便で送ってやった方が喜びますよ、きっと額縁に入れて大切に保管してくれるでしょうや」

 

身分相応で十分、身の丈に合った報酬をもらって身の丈に合った生活を、ちょっとしたボーナスでちょっとした贅沢ができたら大喜び、それでいいのだ。

 

「もしかして見てたのかい?」

 

「よく知ってますからね、想像がつく」

 

「うん、雅孝警部補のところにも行ってきたんだけどね。この話をした時にすごい優しい顔で断られてね…」

 

「あの人も出世にゃ興味ない現場一筋人間ですからねぇ」

 

瀬名茂三の同級生として、同じ芦名で育った桜葉は御庭雅孝という男がそれこそ学生時代から芦名の交番にいた事を覚えている。

自分が10代の時には交番のお巡りさんとして芦名市で活躍していた、思い返すと彼もずいぶんと長いこと現場にいたものだ。

現場主義で出世欲がなく常に地元に寄り添って職務に励んできた故に、出世の話が来なくとも全く気にも留めずに今まで仕事に取り組んできた。

そんな彼の持つまともな警察官像は清濁併せ呑む事を覚えるしかなかった群馬県警上層部には眩しすぎた、故に敬遠されてもいた。酒の席で悲しそうに愚痴っていた先代県警本部長の顔は今も覚えている。

悲しいことに上層部にそう思われていたことを知らない雅孝はかなり上層部には好意的であった、ぶつかることはあっても仕事はまともにやっていた県警上層部を憎む理由が全くなかったのだ。

というか、この殿下は芦名の交番にまで顔を出していたのか。フットワーク軽いなおい、まぁ驚かんが。

 

(フットワークが軽いと言えば茂三のヤツ、もう向こうにはついたんかねぇ?)

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

京都競馬場は京都府京都市伏見区にある競馬場であり、日本中央競馬に属する競馬場の一つである。

その中に作られた馬房近くの関係者用駐車スペース、馬房に一番近くこの競馬場のレースに出る馬を輸送する馬運車が主に使う駐車場にその車は止まった。

年代物の古びた一頭乗せの馬運車で、中央ではもはや使っている場所はない旧式中の旧式。そこかしこにへこみや傷の後やそれを塗り直したり修復した箇所がある、年季が入ったなどというよりまさにオンボロといった風貌だ。

きっと白くてきれいだっただろう車体には擦れている文字で『瀬名酒造』と書かれており、どこかの厩舎が使っているというよりも別会社の業務車両といった方がふさわしい。

ましてやその車が止めた駐車スペースにいる馬たちの馬房は、翌日の宝塚記念を走る今年の目玉競走馬たちが寝泊まりしている馬房なのだ。

当然ながらそこを出入りする人も車も業界の有名所であり、車にもかなり気を使っている所ばかりである。そしてすでに競走馬たちは搬入を終えているはずで、この時期に馬運車が入るとすれば土壇場でのアクシデントによる出走回避が出たときしかない。

そんな話なら京都競馬場に勤めている者ならすぐに耳が入るのでそれがないとすれば、このギリギリでの馬の到着だ。

それゆえにその車はあまりにも悪目立ちしていて周囲から視線を集めていた、変なスケジュールを組んでギリギリでやってきた連中は一体どこの連中だ?

まさか不法侵入か?ここまで来るのに警備の検問が二つあるはずなのに?と警戒して足を止めた職員だったが、オンボロ馬運車のフロントガラスから見えるステッカーを見てすぐにその考えを改めた。

それはこの京都競馬場で行われるレースに参加する競走馬を輸送するためにあらかじめ発行され関係者に配られる通行許可証だ。

それがあるという事はあらかじめ出走予定の競走馬を積んだ馬運車であるという事で、途中の警備員達の検問も堂々と抜けることができる。

そのオンボロ馬運車の運転席から降りてくる男性が二人、一人は年季が入った作業服姿の瀬名茂三、もう一人は調教用の作業服を着た高知地方競馬に所属する古海騎手。

二人は居心地悪そうにしながらすぐに馬運車の後ろに回り、ドアを開けて馬運車から馬を引き出す。その馬を見て、周囲で観察していた職員たちはすぐに納得してむしろ同情した。

降りてきたのはハルウララ号、近年になって復帰した高知競馬のアイドル、そして最終調整中にテロに巻き込まれてしまった不幸なヤツ。

ちょっとしたチャレンジで宝塚記念に出走登録したら、同レースに出るディープインパクトが強すぎて回避が相次いだので枠が空いて出られることになったという話は聞いていたのだ。

レース自体はその後の運営の努力のおかげで何とか普段通りの実力馬ぞろいの馬を揃えることができたが、それでハルウララ号陣営が出走を取り消すことはなかった。

正規に登録され、それで出走意志を示し続けているのならば運営がとやかく言う理由もない。

しかし実力が実力であった上、最終調整中であった群馬競走馬トレーニングセンターでのひと悶着のせいで到着が遅れるとの話があったので、このまま流れるのだろうと誰もが思っていたのである。

しかし彼女たちは来た、前日入りというギリギリであるが来た、絶対に勝てなくても頑張るというならば何も言うまい。

なぜならハルウララ号だから、彼女は走るだけで十分価値があるのだから。

そんな周囲の温かい歓迎の雰囲気を意に介す余裕もなく、物珍しそうに周囲を見回して嘆息した二人は一晩とはいえ世話になる立派な馬房や立派な施設を見回してお上りさんそのままの気分だった。

 

「茂三さん、来ちゃいましたね」

 

「やっと着いたぜ…まぁ、夜にならなかっただけマシか」

 

本当ならばもっと早くにハルウララを京都競馬場に送らなければならなかったのだが、今の群馬競走馬トレーニングセンターは絶賛人手および車両不足であった。

その上、ハルウララの最終調整もマクターム殿下暗殺未遂事件という大ハプニングのせいで予定が狂いかなりずれ込んだのである。

その結果がこの前日入り、しかも早朝から高速道路を延々と走る長い旅、何とか夕方には着いたがそれも道中の渋滞でそれすらも怪しくなりそうな雰囲気であった。

道中はハルウララには渋滞やサービスエリアなど目新しいものばかりで退屈しなかった上、スピード違反ギリギリで茂三が馬運車をかっ飛ばすレースじみた運転で大はしゃぎし、むしろ元気にしているのが儲けものだろう。

 

「今回は本当にありがとうございました、ここまでご迷惑かけちゃって」

 

「いいんだよ、ウララの面倒見てたのはうちのタービンなんだ。あの野郎が苦労すんのは当たり前だし、ついでだついで」

 

何を隠そう、この馬運車を長距離輸送できるまでに調整しなおしたのはシマカゼタービンである。

何分オンボロであるゆえにどこもかしこもガタがきていて、最近はもっぱら群馬トレセンと瀬名酒造の往復でしか出番がなかった車だ。

その程度ならばこの車も十分使えたのだが群馬トレセンで起きた事件で状況が一変、群馬トレセンの馬運車がマクターム殿下暗殺未遂事件ですべて損傷してしまい、放っておけなかった茂三は会社の馬運車を貸し出してフォローした。

瀬名酒造の社長という肩書で重要な仕事以外では暇な茂三も自ら運転手を買って出て、車の整備にはシマカゼタービンが何かを忘れたい一心で取り組んだ。

しかしそれでも足りず、ハルウララの宝塚記念出走のための馬運車も運用ペースが崩れていて間に合わない、という事になってこれが引っ張り出された。

今頃、徹夜でこの馬運車を調整しなおしたシマカゼタービンは馬房で大鼾をかいていることだろう。

なお茂三は運転手だったので昨日はたっぷり9時間睡眠である、運転手の仕事は過酷なのだ。

 

「それに俺も京都競馬場は久しぶりなんだ、観光がてら久々に中央の馬券を握ってみるのも悪くない」

 

どうせ帰りも自分が運転するのである、何が起きようが京都から高知まで、そして高知から群馬までの長い道のりを走るのだ。

このくらい息を抜いてもばちは当たらないだろう。

 

「というか、俺の方こそ謝らにゃならん。昼過ぎの予定だったのに結局夕方になっちまった」

 

「仕方ないですよ、事故で渋滞が起きてるなんて予想できません。まぁ、なるようにしかならんでしょう」

 

「フヒン!フイフヒン!!」

 

「ほら、ウララも大丈夫って言ってますよ」

 

「そうか、そう言ってくれると助かるぜ。明日は頑張れよ、期待してるぜ」

 

「フヒィン!!」

 

「いい返事だ。古海さん、気合いで負けんなよ?」

 

「えぇ、忘れてませんとも。あ、こらウララそっちじゃないって」

 

元気よく『任せて!』と鼻を鳴らしたハルウララは、当たり前の様に馬運車に戻ろうとして古海が咄嗟に手綱を引っ張って止める。

なんで?と不思議そうにキョトンとするハルウララに、古海はすっかり肩の力が抜けたようにため息をついて馬房のほうを指差した。

 

「ふひん?ヴヒィィン?」

 

「ウララ、お前はこっち、今夜はここで泊まるんだ」

 

「ヒヒィィィン?ヒヒン!!」

 

「お、やっぱ気付くか。そうとも、あいつもいるぜ」

 

「あ、こら、まったく…じゃ、また帰りに」

 

「ヒヒン!」

 

ここが今日のお宿ならば話は早い、とばかりに馬房に向かおうとするハルウララ。

それを呆れた顔で手綱を引いて押さえ、茂三に向かって軽く頭を下げる古海。それをマネして頭を下げるハルウララ。

いいからいいから、はよいけはよいけと手ぶりで茂三が示すと、古海はハルウララを引いて馬房の中へと入っていった。

 

「やれやれ、渋滞があったとはいえ高速であんまり稼げなかったのはやはり響いたな…もうちょっと自信あったんだがなぁ…」

 

馬房の中に消えた古海とハルウララを見送って馬運車に背中を預け、茂三はそれを見上げながら独り言ちる。

今日は全力で先を急いだはずだ、しかし思い返すと改善点や昔ならばしなかったミスがいろいろと出てくる。

高速道路でタイムアタックなどはしない茂三であったが、テクニックという面ではいくつもふがいないと感じる所があった。

シマカゼタービンの整備にはまだ改善点こそあるが、この馬運車の今のポテンシャルを最大限引き出していたのでこれは自分のミスである。

やれやれ、年は取りたくないもんだ。そう思いながら空を見上げる、競馬場の敷地の外に見えるビルの先に少し嫌な黒い色をした雲が見えた。

 

「こりゃ明日は雨になりそうだな」

 

じめじめした暑い空気、ぐちゃぐちゃな地面、濡れて滑って重たい芝、そして無駄に強くてヤバイ馬。

ハルウララのほうはたいして気負いはしていない、騎手の古海は若干緊張気味ではあったが過敏になっている所もなかった。

最後までシマカゼタービンに群馬トレセンの峠コースで体も心も鍛え上げられたのに疲れも見せない、なかなか目を見張るポテンシャルである。

 

「もしかしたら、もしかしたらがあるかもしれねぇぞ?なぁ、てめぇが教えたんだからよ」

 

明日はなかなか波乱のレースになりそうだ、そうでなくっちゃ面白くない。

 

「久々にワクワクするな」

 

久しく感じていなかった高揚感だった。若い時はこの高揚感に身を任せて、この熱狂の中で声を上げて応援して、そして一喜一憂した。

久々だ、本当に久々だ、湧き起こるワクワクとしたこの感覚が、何が起こるかわからない競馬が本当にたまらなかったんだ。

忘れたことはなかった、この輝かしい熱を帯びた日々を懐かしく思わない日はなかった。

明日のレースが楽しみだ、茂三は久方ぶりに若返ったような気持ちでクスリと微笑んだ。

 

 

 






あとがき
というわけで宝塚前日、まさかまさかの殿下再来&ハルウララ前日入り。
テロられたのでしょうがないという事で運営も容認してるので問題ありません。

茂三や桜葉理事長の独特な感性についてはいろいろ思われることはあるでしょうがご勘弁ください。
茂三と友達だったから桜葉も巻き添え喰ってて、茂三にいろいろ言ってるこいつもやっぱねじ曲がってるんですわ。
そこに国と地方自治体の闇というか、ねぇ?そんなもん見ちゃった日にはもう、ね?
なお雅孝さんに関してはお仕事柄どうしても口にするのも憚る度し難いものに対面して苦い経験をしたという設定。
ほらとある議員が無免許運転してたりとかそういうの、あるじゃん?あれ結局誰も口にしなくなったよねー(闇の瞳)
よって『この線引きから超えなきゃ勝手にやれ』というぶん投げ、なお超えたらその部分引っ掴んで一緒に地獄へダイブする覚悟。
中央競馬と同じように異常なくらい『どうぞどうぞの精神』で『勝手に戦え』という具合です。


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