いつも多くのご感想と誤字報告ありがとうございます。さぁ凱旋門賞でございます。
考えを巡らせた結果、今回はこいつらになりました。そういえばこいつら使ってなかったしね…と。
2006年、10月1日、夜10時ちょっと過ぎあたり、やっと必要な書類の作成を終えた俺は重たい足を引きずって愛しい我が家である馬房に帰ってきたところだった。
鍵開けて、ドア開けて、中に入って、電気付けて、ポケット付き馬着のベストを脱いで今朝整えてシーツを敷いておいた寝藁に飛び込むようにして横になる。
今日も今日とて残業でしたのよ、ここ最近本当に忙しくて、酒作って書類作って営業してと目も当てられないハードワーク真っ最中なのよ。
前世でハードワークにゃ慣れてるけどさ、経験済みだけどもさ、経験あるから平気ってわけではないわけよ。
もう動きたくない、もー書類見たくない…仕事だって分かってんだけどさ、やっぱりうんざりするんだよこーいうの。
『あー…眠い』
いかん、眠い。シャワー浴びねぇと…朝シャンする余裕をもって起きられる自信ねーよ。
『…ってか、馬にも残業ってあるのね。いやまぁ、競走馬よりはマシなのかもしれないけど?』
残業代出るんじゃろか…いや親父さんの事は信じてますがね?仕事にはしっかりとした対価が欲しいのは普通なわけでして。
前の会社も残業代だけは渋らなかったから会社まわってたんだよな、仕事が溜まりすぎてブラック化する時はあれどその分通帳は潤ってたし。
多少なりとも通帳がほくほくしてると多少は気楽なのよねぇ…あれ?そういや今生預金通帳なんざ見たことないぞ。ってか作ってねぇじゃん。
『…あしたつくりにいくか、ひるめしんとき、ぎんこーいこ』
えーとどこにあったっけ?銀行印、確か…あれ?それも作ってない。瀬名のハンコでいいのかな?この場合。
銀行で聞きゃいいか、それでつくれりゃいいし。ダメなら詳しく聞いて…あ、帰りにマックでも買って食いながら帰ろう。
マブタが重い、眠い、あ、これあかんやつ…寝る…スヤァ…………………アー、オキャクサマイケマセンイケマセンフタツデジュウブンデスヨ。
Prrrrrrrッ!!
「ひょはぁぁッ!!?」
内線の電子音の呼び出し音で思わず飛び起きた。なんだなんだ?内線電話がかかってくるなんて珍しい。
なんか書類に不備でもあったか?それとも酒種になんかあったか?やめてよ、徹夜でお仕事とか今本当にやりたくないぞ。無視してやろうか?
「ほひほひ?」『もしもし?』
でも出ちゃう、馬房の隅っこにある電話台の古い内線電話から口で受話器とって机において返答しちゃう。だって会社員なんだもん、悲しい定めだ。
≪おう、夜中に悪いな。すまんが庭に来てくれねぇか?≫
親父さん?なんだ珍しい…ってか庭って家の?なんじゃらほい。
「ふぇ~い」
≪悪いな、待ってるぜ≫
ぷつんと通話が切れる、受話器を戻して大あくび。残業じゃなさそうだけどなんだろね…とりあえず行きますか。
というわけで再び馬房の電気消して、馬着を着直してドア閉めてカギ閉める。戸締りを確認して、真っ暗な放牧地をベストに付けてあるL型ライトで照らしながら進む。
放牧地に限らず暗い所が多いから懐中電灯は必須、都会みたいにいつも煌々と電気がついてるわけじゃねぇんだよ田舎暮らしはな。
馬の身としてはベストに引っかけられるL型ライトは本当に助かりますわ、これで霧深い日なら気分はサイレントヒルだぜ。
放牧地抜けて、そのまままっすぐ家のほうに行って裏口からお邪魔しまーっす…あんれ?
「ひひぃん?」『なんぞこれ?』
庭に行くといるわいるわ、軒下に親父さんがテレビ持ってきててブチたちとかモンスニー爺さんやらが釘付けだ。
なんだなんだ?見せたいのって映画か何かか?そんな面白い奴こんな時間にやってたっけか?
『どれどれ…って競馬じゃねーか』
「おぅ、来てくれたか。どうだ、凱旋門賞だぜ?見たくないか?」
『いや全然』
期待して損した、てっきりなんかレースの生放送かと思ったのに競馬かよ、なんでこんなの見せたがるんだ親父さん。
「ヒンヒン、ふぁぁぁ…」『帰っていい?明日もお仕事だから寝ないとまずいんよ』
「おいおい、凱旋門賞だぜ?ディープとダイオー出てるんだぜ?見ない?」
「ェェェ…?」
いや、だから何?凱旋門賞でしょ、そんな雲の上の出来事に元々ミリオタの木っ端競走馬に一体何を感じろと?
名誉ある賞なんでしょうが何のかかわりもない俺からしてみれば悪いけど所詮はただのGⅠレースにすぎません事よ。
結果なら明日の朝刊でも見ればいいよ、リアルタイムで見る必要はないと思うんだ。
それよか眠い、眠いのよ親父さん、眠らないと明日のお仕事に支障でちゃいますわよ。
「まぁまぁ、これだけでいいからよ。明日半休で午後からでいいからさ」
なんと?これ見るだけで明日半休とな?
「ひひぃん」『そういう事なら、まぁ…』
「にゃぁ…」『相変わらずボケた顔してんなお前』
ブチ、んなこと言われても興味ないもんはねぇんだわ。明日半休…寝るぜ!
『おいおい、せっかく茂三が気を利かせてんだ?喜んでやれよ、凱旋門賞見れるなんてもう一生無いぞ』
『あんただろ、わがまま言ったの』
こら、そっぽ向くな爺さん。口笛吹こうとするな爺さん。ブーブー汚いぞ爺さん。
それとなく爺さんの視界に入ろうとすると気づくたびに顔と目を全力で背ける爺さん。
俺は親父さんと一緒に仕事してんのよ、その親父さんがわざわざ夜中に呼び出すわけがないじゃない!!
ほら、こっちを見ろメジロモンスニー。見ろ、こっちを見ろォ、そっぽ向くな、コッチヲミロォ…。
『なんのことかな?』
『こっちを見ろ、こっちを見ろォ…』
『な、ナンノコトカナァ?』
『コッチヲミロォ!!』
「そこまでにしとけ」
俺と爺さんの間に親父さんが割って入る。仕方ねぇ、ここは親父さんの顔を立ててやる。
「悪いなタービン。お前がいないとわからんってゴネられてよ。ほれ、これで納めてくれや」
『しょうがねぇやっちゃなぁ…』
親父さんが持って見せてくれたのはバケツと中に入った氷に突き刺さったゴン太ストロー、そしてウィスキーのビン。
ふむ…メーカーズマークか。しょうがねぇな、普段一緒に仕事してるんだからそりゃ親父さんが無理言うはずねぇもんな。
小さく息を吐いてからそれなりに見やすい位置に陣取って座り込むと、親父さんがバケツを置いて中にメーカーズマークを注いでくれる。
瓶一本丸々、人間だったころならこれ見るだけで何とも贅沢だと思ったことか…馬に成るとこうしてやっと人間でロック2~3杯くらいなんだよな。
しかも洒落たグラスなんかないから何とも間抜けというか、罰ゲームめいた絵面にしかならん。まぁうまいから飲むけど。
ストロー咥えて一混ぜしてから一口、口の中で転がして風味を味わう。うーん、この口の中に広がる芳醇なコクとスモーキーな感じがいい。
「つまみ、どっちがいい?」
『ジャーキー』
親父さんが左右の手に持って差し出してきた右手のビーフジャーキーと左手の飼い葉から右手のジャーキーを喰う。
それに頷いて親父さんは天狗のお面がトレードマークの大袋から皿一杯に盛ったビーフジャーキーをバケツの横に置いてくれた。
人間だったら目を輝かせてただろうなこの山盛りジャーキー、馬の身だとなかなか慎ましい量よ。
うーん、デリシャス。このどこにでもある天狗のお面のビーフジャーキーはやっぱおつまみにぴったり。
『しっかし…こりゃ本格的に教育カリキュラム組んで覚えさせた方がいいかね』
『肉を食うお前に代わる奴がいると思うか?』
『そりゃいずれはそうならにゃならんだろ、ずっと俺がいるわけでもない』
どうにも最近、文字とか映像となると俺に頼りがちになる傾向があるんだよな群馬競馬もこっちも。
そりゃ仕事量が落ち着いているならやれもするが今は忙しいし疲れてるから負担なんだよなぁ。
ましてや爺さんなんか、俺に散々教本とか資料とか翻訳させてくるくらい熱心だしよ。
元気なのはいいことだがこの調子がずっと続くのはちょっと困るな、俺にだって仕事があるしずっとは付き合えん。
うちはともかく、群馬競馬のほうは本業も忙しいしあいつらも引退って話だし俺も足洗うべきだと思うのよ。
『戻ったぞ…あ、兄貴!なんだ兄貴も見に来たのか!』
『あれ?兄さん珍しい』
やれやれとため息をついていると裏手からのそのそと入ってきた軍曹とシャット、なんで家の裏から?
『なんだ、お前らも見るんか。どこに行ってたんだ?』
『出すもん出してきたぜ、ここって場面を見逃したくないからな』
『人間さんも見逃せないところはそうするんでしょ?』
便所か、まぁそれならば馬房のほうに行くのが近いわな、さすがに家の裏でなんてやれんし。
『便所か、ちゃんとケツ拭いてきただろうな?』
『そんなことするの兄貴くらいだぜ』
聞いた俺が悪かった、まだこいつらの衛生観念そこまでじゃなかったわ。ケツむず痒くならんのかね、俺なるから無理だわ。
『兄貴が翻訳してくれんならもっと面白くなりそうだな、実況してくれ実況』
『アレやってくれるの!!やった、楽しみ!!ナッツも居ればよかったのに』
『トレセンで夜間練習なんだしょうがねぇよ、帰ってきたら自慢してやろうぜ』
『やめてやれよ』
この野郎、こっちの気も知らねぇで。いくら家族とはいえ感じるもんはあんだぞこんにゃろう。
実況は…えぇ、あの青川じゃねーか。前世のテレビ珍プレー好プレーでおなじみのあの人じゃん。
『勘弁してくれ、実況吹き替えなんぞしねぇぞ』
『どうしたんだよ兄貴、ダイオー先輩とあのディープインパクトがやり合うんだぜ?』
『どっちが勝つのかはともかく…今日も疲れてんだよ、解らねぇか?お前さんらみたいに競馬重視のスケジュールじゃねーんだわ』
『今日も滅茶苦茶瓶担いで走ってたもんね、峠何回行ってたっけ?』
『10超えてから数えんのやめた』
眠いんだよ、こちとら最近完成したスパークリング馬練りの増産で毎日朝から忙しいんだよ。
朝から晩まで延々と上り下り、さすがに街中をグルグルしまくるのも迷惑だから昼間でもある程度人気が無いと言えば峠だもの。
最近は両脇で20、上面10の30本背負いで峠を延々と走るのさ、大事な仕込みだから気が抜けねぇんで余計疲れるのよ。
アレを仕込めるの俺だけだしまだまだ発展途上だから研究は欠かせない。仕込みに改良に書類仕事と朝から晩まで登って下って走り回って机に齧りついてんのよ。
いくら俺だってなぁ、最近はかなりハードワークしてる自信あるんだ。夜はしっかり眠らないと明日に響く、居眠り運転とかシャレにならんよ。
「ファアァァ…」
『本当に眠そうだな…』
『だからそういってるだろーが…お前もやってくれりゃ少しは楽になるんだがな』
『無茶言うなよ、酒の機微とかまだ全然わかんないんだって。この前失敗しちゃったし』
あの時は傑作だったな、ステイヤー仕込みのはずが派手に振り回し過ぎてスプリンターとミドルランナーのハーフになっちまったもんな。
逆にあんな器用に混ぜられる奴は見たことねぇぜ、やっぱ才能はあるんだよな。
『失敗したらそれで覚えりゃいいって前も言っただろ。次やるときは気を付けりゃいい』
『自信ねぇなぁ…レースしてたほうが気楽でいい。凱旋門賞とか兄貴出れたんじゃねぇの?ダイオーさんより速いだろ』
『見たくもない競馬を解説させようとしておいてそれに出ろと申すか…不名誉除隊ものだぞ軍曹!!』
『ふめいよじょたいって…なんだ?』
『馬にゃ早いか…』
ウィスキーを一飲みして気分を落ち着ける…ふぅ、やっぱ酒は偉大だぜ。これがアニメだったらいい気分転換になったろうよ。
深夜アニメは残業の良いオトモだった、30分休憩の気分転換にちょうどいいんだ。良い現実逃避にもなるし。
『枠入りが始まったな。さすがロンシャン、豪華なゲート使ってやがる』
『見る所そこかよ兄貴、やっぱ弄れると見る所変わるもんなのか』
『細かい所を見るのも大切だぞ、機材の調子如何ではスタートに支障が出る可能性もあるんだぜ?
もし土壇場でゲート不調で自分だけ取り残されたらお前冷静に対処できるか?』
『そんなことあんのか?』
『ないとは限らん、機械は万能じゃない。整備がしっかりされてるか否か、古すぎないか草臥れてないか、なんとなく見てるだけでも準備ができるもんさ。
実際弄ってりゃ、いざって時どこの部分が弱点かもわかるから対処もしやすいしな』
なんか調子悪そうだなって分かればその分身構えられるからね。高崎で実際ゲート不調で閉じ込められたことあったし。
頭突きでゲートこじ開けて走ったがそん時はさすがに負けたわな、まだ未熟だったから力技で頭から血も出たし。
その後もアクシデントで開かんことはあった、暴れたバカのせいで故障して今度は全員閉じ込められた。そん時は俺まで中から配線弄らされてよ。
そん時は敏則の代わりに新人の姉ちゃん乗せてたから大変だったぜ、馬と一緒に姉ちゃんまでビビッてるもんだから世話しなきゃならんのだもの。
『整備も行き届いてるみたいだな、感心感心』
『あの機械弄ってるの兄さんくらいだよ』
『ん?なんだ、フランスのレースってのはあの音はないのか?』
『フランスのレースはファンファーレがないらしい、本で読んだ』
『まったく、何腑抜けたこと話してやがる。よく見ろ、シリウスシンボリの野郎だって散々苦戦した海外だぞ?お前解ってんのか?』
そうカッカすんなよ爺さん、そんなんじゃ持たねぇぜ。
『あいつらのどっちかが勝つ、実力は大体拮抗してるからな。9割9分、ハナ差で決着。1分で大穴だな。
少なくとも他の連中が弱いとは言わないが、勝てるとは思えん。ルベルさんのかエレクトロなんちゃらがかろうじて、奇跡で大穴だ。
海外のレース場ってだけでGⅠだろ。日本でもやってるじゃねぇか、ジャパンワールドカップとかダイオーが勝ったんだろ?』
『何も知らん若造が言いやがるな』
『海外だからなんだってんだ。俺がどれだけあいつらの練習相手で走ったと思ってんだよ、今のあいつらに負ける理由がねぇ』
ま、それは今のアイツらだからできた事か。爺さんたちの世代じゃ無理だ。
『日本には郷に入れば郷に従えって諺はあるが、いちいちそれに則ってりゃぁ勝てるもんも勝てねぇよ。
フランスの競馬場で、フランスの流儀に則って律義にやり合うなんざ、日本のやり方が身に沁みついてる日本馬にゃ不利も不利。
峠の交流戦で相手の地元に乗り込んだ上に、自分達は断食して徹夜してルート把握もしねぇで特殊ルール戦ぶっつけ本番やりますってんだ。
そんなデバフにデバフかかった状態で勝てるわきゃねーだろ、しかもあんな特化型走法でよ』
何だっけか、ガムテープデスマッチだっけ?どっかのバカが漫画の真似して事故ったって聞いたな最近、それやろうってんだろ。
そんなもん勝てるわきゃねぇんだよ、地元の連中が強いなんざ当たり前なのにセルフ縛りしてどうするってんだ。
『ははーん、またお前の変な見方が出てきたな。言ってみろ、お前の見解ってやつ』
『あいつらアスリートに特化しすぎて普通の歩きにも出てたからな。だから普通の足の使い方ってやつを教えてやる事から始めたよ』
『なんだと?てめぇ、あいつらになに仕込みやがった?』
変なこたぁしてねぇよ、睨むなよ爺さん。ただ練習の前にトレセン周りをフラフラ散歩しただけさ。
道路を走って、農道も走って、河原も行ったし公園にも行った。泥だらけのあぜ道に林の中、神社の境内もなんかもな。
あいつらにゃぁそれが必要だったのさ、競走馬じゃねぇ普通の馬としての普通にどこでも歩ける足腰の使い方を覚える必要がな。
競走馬なんてのは中央も地方も変わらん、とどのつまりは競争のエキスパート、走って競い合うために生きるアスリートだろ?
競い合うために走り、レースに勝つために生きる、走ることに生涯を懸けるならそれ専用の足しか必要ないしそれを突き詰めなきゃいかん。
しかもあいつらに関しちゃ生まれてから今までずっと競馬の世界でしか生きてねぇ、だから抜け落ちるのさ。
速く走ることに特化して、芝やら砂やらに特化して、複雑な外の道に適応する柔軟性を失っちまってる。
それが普通の歩き方にも出てんだ。普通に生きる分なら別に大したことはないが、こういうところで顔出しやがる。
サイズがあってない靴を履いてるようなもんだよ。
『別になんも、ただ散歩増やしてあっちこっちふらふらして、いつも通り峠コースでぶっちぎってやっただけであとは前情報教え込んだだけ…あ、思い出した。
爺さん、仕込んだどうとか言うならあんたもだろ。あいつらにいらんこと吹き込みやがって』
お陰様であいつらに散々海外レース場の特徴が載った資料を延々と読み聞かせる羽目になったんだ。
散々千切ってやった後で疲れてんのにそんなことやったもんだから互いに寝ないように必死で起きてる羽目になったぞ。
『できること教えて何が悪いってんだ、お前さんが翻訳すりゃ人間の資料から少しでも知れるんだ、無いより全然マシじゃねぇか。それよりもお前の見解ってやつを教えろ』
『こっちの労力考えろってんだよ…そもそもな、日本の競走馬がこれまで勝てなかった理由なんて明白じゃねぇか』
『ほぅ?じゃぁその理由は?』
そうねぇ…まぁ所詮はド素人の浅知恵ですがね、仕事してりゃ多少は理解できる程度の事だけども。
『まず騎手さん、何かない限り絶対変えるなって念押しした』
『ほーぅ?外国だと向こうに慣れてる知らん奴乗せるって聞くが?』
『理屈としては正解なんだ、フランスに慣れてない日本人乗せるより地元のフランス人のほうがレース場をよく知ってる。
理屈は通るさ、だがこれは理屈じゃねぇんだよ。ぶっちゃけ精神論だがバカにできねぇ』
そもそも競馬ってのは、騎手だけでやるもんじゃねぇからな。俺が言う事じゃないんだろうけども。
例えばそうだな…そういや軍曹のヤツ、敏則以外によく乗ってる中央の騎手を気に入ってたよな。
この前スイープとかいう生意気なやつ連れてきたの、確か…池永だったか?
『軍曹、お前がもしロンシャン走るなら相方は誰がいい?』
『え、俺?…そうだな、敏則兄貴は悪くないけどやっぱ池永だな。楽しいし頼りになる、いざって時は心強いぜ。
この前だって、しくじりかけた俺に気付いてすぐ修正してくれた。解りやすくて助かってるぜ』
だろうな、ぶっちゃけ敏則って良くもないし悪くもない。大竹さんやらルベルさんやらと比べたら二流、正直親父さんより少し上って程度だ。
それに比べたら中央の池永は経験も技量も段違い、スイープのわがままには苦労してたがありゃそういう星の下に生まれてきたんだろうな。
『じゃぁ池永としばらく組んでたとして、凱旋門で急に敏則と組んだらどうよ?』
『うーん…キツイだろ。敏則兄貴だってうまくやるだろうけど、正直池永じゃねぇと勝てると思えない』
『うまくやるのがサラブレッドだろうが』
『爺さん、そういうがあんたはそれで苦労した覚えはないんか?』
『む…』
あるんじゃねぇか。そういう事だよ、そこが肝心。
『いくら向こうのレースに慣れてるからって少しのレースで仲良くなれるほど異種間交友が楽なもんか?
向こうのスペックが良くてもな、所詮は互いに良く知らねぇ馬の骨、いざって時に頼れるもんかよ』
慣れない海外、初めての環境、初めて見るレース場、同じ芝なのにまるで違うフィールド、どれもこれもないない尽くしだ。
こういうので前世でも散々苦労させられたもんだ。イギリスの仕事を振られたから現地に慣れたコンビを向かわせたら向こうで急に組む相手替えさせられたって悲鳴が来たの。
向こうの頭でっかちな命令で現地の秀才と急に組ませて見事にしっちゃかめっちゃかだよ。そんな即席コンビでうまくいくわきゃない、ましてや外国でだぞ。
いくら海外慣れしてる奴らを送り込んだからって限度がある、しかもよりにもよってどっちも優秀ではあったから表向きはうまく回してみせたのがまずかった。
致命的でも何でもない些細で見えないズレが積み重なって致命的ミスにつながったパターンだったよ。
俺らはすぐに是正を提言したけど向こうは渋って、その間に大敗して大損。
これまでも散々煮え湯を飲まされてきた向こうのエース相手に即席チームが勝てるもんか。
うちらは対策してたから被害は抑えられたけど向こうの秀才は面目丸つぶれな上に責任押し付けられてうちに左遷だ。
才能豊かな秀才だったよあの二人、うちで引き取ってマジで向こうの連中終わってるわって痛感したわ。こいつらでコンビ組ませてうちのと共同させりゃよかったのに。
『確かにスペックは大事さ、経歴も、経験も、データで見てやるデジタルなやり方は悪い事じゃねぇ。
でもそういうのはな、できる余裕があってこそ最大の効果を上げる采配だ。
こういう余裕がない時は、互いに背中を預けられる信頼が大切なんだと俺は思ってる。いざって時に何も考えず『任せた!』って背中を預けられる感じにな。
爺さん、あんたにだってそういう騎手さんはいただろう?』
『確かにもし自分が走るなら…俺はあいつしか思い浮かばん、奴なら信用できる』
『それが大事なんだよ、馬鹿にならねぇ。あんたがレースでもし迷ったとき、凱旋門賞でどうしようもない位追い詰められた時、相棒に任せろって言われたらどうする?』
『…あぁ、そうだな。相棒の事なら信じるだろうよ、あいつならやってくれる、それで駄目ならしょうがない』
それだよ。
相棒ならこうしてくれる、こいつなら任せられる、これでダメならしょうがねぇ、こうやって割り切れると思いきった手段が取れたり行動に迷いがなくなるんだ。
そういう行動の爆発力ってのはバカにできない、阿吽の呼吸でやられるとなんのこともない普通の反撃がキレイに嵌る。
そもそも全幅の信頼を置く相棒の咄嗟の判断に逡巡しないで即体が動くってのはアスリートにとっちゃデカいぜ。
『理屈じゃねぇんだよ、こういうの。経験だの、才能だの、結果だの、大切なのはそこじゃねぇんだ。
今現場で戦ってる連中に必要なのはな、自分がピンチの時に支えてくれるって信じられる仲間なんだよ』
『確かにそりゃ理屈じゃねぇな、ならその点はお眼鏡に…いや、聞く必要ねぇな』
もちろん、満点さ。ディープと大竹さん、ダイオーに頼信、完璧な布陣だぜ。でもねぇ…
『それくらい仕事してりゃわかるもんだと思ってたんだがなぁ…なぁんか調べるといろいろやらかしてんねぇ、俺から見ると。
そもそもF1カーにダートラリー走らせちゃいかんというにそんなことしてちゃ勝てんわな』
『………すまん、もっとこう、俺らの種族的にわかる言葉にしてくれ』
『舗装道路用カスタムしたレーシングカーでオフロードレース走るようなもんだよ、バギーだのハマーが適正車種なところにFD突っ込んでやがんの。
タイヤ、セットアップ、そもそもの適正まで全然マッチしてねぇ。
そんなんいくら時速何百だのでかっ飛ばせるって速度自慢も意味がねぇ、きっちり性能を引き出せるコース走ってねぇんだから。
どんだけ乗り手が努力したって無理があらぁな、馬も騎手も走るだけで苦労してただろうよ』
『走り屋基準で話さんでくれんか、オフロードだのなんだのはさっぱりだ』
『そう言ってもなぁ…まぁアレだ、フランスの競馬場ってのはまるで道路を切り取ったような感じだろ?あの地点で日本のそれとちげぇわ』
俺としちゃそうとしか言えんのだが…あいつらは芝が芝がって言ってたがそうじゃねぇよ、俺に言わせりゃ芝なんざ気にするのは後だ。
それよりもっと気にすべきはさらに下、フランスのあれはもさもさの芝で覆い隠されてるがその下の地面もまるで馴らされちゃいない。
見た限りありゃぁ整地されてないか敢えてそうしてる、自然のまんまっぽいぞ。田んぼの脇道とかのほうががっちり踏み固められて走りやすそうだ。
きっちりレース用に整備されて競争するために作られたコースしか知らん連中に、あんな山道みたいなコンディションのコースは足に負担がでかすぎる。
そもそも日本の競馬場はレースをするために最適化されたコース、きっちりかっちり整備して入念な審査と検査をしてる。
郡サイとか鈴鹿とかのサーキットと同類だよ。それに対してロンシャンはラリー用、WRCとかの類だな。
そりゃ走るほうも走りにくくてしょうがねぇだろうよ、普段はアスファルトで舗装された上にきっちり整備されてるレースコース走ってるみたいなもんなんだから。
『完全に合ってねぇんだよ、日本競馬とフランス競馬はまるで違う。のっけから不利だ、そりゃ向こうも承知だろうけどな。
馬は車みてぇにはいかない、車はタイヤが合ってなきゃタイヤを変えて、セットアップがかみ合ってなきゃ調整できる。
極端な話、幅が利く。その場凌ぎの小手先で何とか出来る余地が広いんだよ。
だが馬は蹄鉄を履き替えてハイ終了とはいかんだろ、蹄鉄替えても動かすのは自分で走るのも自分なんだ。
部品を取り換えるとかドライバーのテクニックとかとは違う。馬そのものの応用力、それを御する騎手の技術、そして互いの信頼関係、そんな小手先の調整だって一朝一夕になんて無理だ。
ま、だからさっきも言った通り普通の足使いを思い出させたんだ』
『何言って…いや待て、なんか覚えがあるぞ。どこかで聞いたような…』
うん、なんか爺さんの様子が…なんだ?前にもおんなじこと言ってた奴がいたのか?お、そろそろレースが始まるかな?
『思い出した!ルドルフだ!!』
『昔の仲間か?』
『ああ!中央にいたとき、たまたま顔を合わせことがあったんだがあいつがそんなこと言ってやがった。
確か、あいつが海外で足やった時だ!!土の道に入った途端走り方が分からなくなったとかなんとか言ってたんだ!』
『なんだそりゃ?土道って練習場でしくじったのか?』
『いいや、海外のレース場には芝コースをぶった切って土のコースが横切ってる場所があるんだとよ。
そこに差し掛かった途端に形容しがたい違和感がして、足の感覚がまるで別物になって頭が追い付かなくなったらしい。
何とか乗り切ろうとしたそうだが、そんなんじゃ足運びもくそも無くてうっかり土と芝の切れ目に足突っ込んでやっちまったそうだ』
爺さんの知り合いなら芝だろ、そらキツイわ。急にコンディションも足場もがらりと変わるんだ。
俺も峠で何度もそういうの見てきたけど解ってても走りにくいんだぜ?足の食いつきも変わるし蹄の掛け方も変わる。
『あいつですら惑わされたんだ、こりゃ気が気じゃねぇだろうな。孫が同じようなことになってやがる』
『何言ってんだ爺さん、心配いらねぇよ』
『お前は心配じゃねぇのか、あいつらはお前よりも弱いんだぞ』
『やってのけるさ、あいつらの強さは良く知ってる。あとな爺さん、その言い方は良くねぇな』
まったく、爺さんめ。久々に高ぶってやがんのか?柄にもないテンパり方しやがって。
『あいつらが弱いんじゃない、俺が強いんだ』
あいつらは強い、それ以上に俺が強かった。それだけのことだ、そしてあそこに俺はいない。
そもそも、あいつらの実力は俺が良く知ってる。俺がいっつも相手してるんだから当然だろ?
普段の仕事もあるってのに雨の日も風の日も練習に付き合わされたんだ、そりゃ嫌でも理解させられるさ。
そもそも自分の友達だぜ?なら俺が言う事なんざ決まり切ってるだろうが。
『心配すんな、勝つさ。負けるわけがねぇ』
テメェの友達を信じない友達がどこにいるっていうんだよ。
≪スタートしました!!第85回凱旋門賞!!≫
始まったな、お手並み拝見と行こうか。ガチャコンとゲートが開いてロンシャン競馬場にあいつらが飛び出した。
≪まずまずのスタートを切りまして、まずは大竹満騎手とディープインパクト。外目に付けてそろりそろりと後方に下がります。
続いて新坂頼信騎手とホクリクダイオーは前目に付けました、先頭にシロッコ、ハリケーンラン、少し遅れてレイルリンク、それに続く形です。≫
ディープと大竹さんはいつも通り追い込み狙い、ホクリクダイオーもいつもの先行策だな。
≪このあたりから坂の登りに入りますが馬群は固まったまま、後方も離されずしっかりついてきています。
後方シックスティーズアイコン、エレクトロキューショニスト、プライド。プライドからわずかに遅れてディープインパクト最後方からの競馬です≫
『どう見る?』
『いつものだ、ダイオーもディープも』
ダイオーのヤツ、初っ端からしっかり足を先頭の連中に同期させて足音と気配を消してやがる。大忍び戦法は健在だ。
その上で敢えてディープと大竹さんにその姿を見せつけて牽制、相手が良く自分を分かってるからこそできることだな。
≪長い坂がまだまだ続きますが先頭シロッコ、ブレずに前へ進む強い走り。
続くハリケーンラン、レイルリンク、ホクリクダイオーはその内側でラチ沿いに進んでいます≫
坂…坂?競馬場の坂っていつも思うけどあの程度なんか?ただのスロープやん、あんなのもうブニーだって軽く走るのだが…いや、みなまで言うまい。
≪坂を上り終えまして残り1400メートル、ここから坂の下りに入っていきます。
先頭にシロッコとハリケーンラン、3番手にレイルリンクすぐ横にホクリクダイオー。
ディープインパクトは後方2番手、外目に付けて滑らかな走りをみせています≫
『…外に出過ぎじゃないか?』
『ダイオー先輩、囲まれちまいそうだ…』
『どきどき』
『さーて?』
ダイオーは相も変わらず先行策で息を潜めて前を狙う、後ろに付けている奴は恐らく気づいてないか忘れそうになりそうで四苦八苦してる。
これがホクリクダイオーの怖い所だ、勝負時まで粘るとあいつのことが騎手からも馬からもすっぽり抜ける時がある。だって気配も足音も消えるからな、見ないとわからん。
ディープはいつもみたいに後方、外目に出してペースをいつも通りに調節して体力と足を溜めてる。いいぞ、速度を距離で合わせてる。
しかもそこは穴場の特等席だ、馬群の流れも警戒する相手もよーく見える絶好の位置だろうよ。
≪残り1000メートルを切りました、もう間もなく偽りの直線、フォルスストレートに突入します。
どの馬もまだ仕掛けない、大きな手ごたえのないままフォルスストレートに入りまして―――!?≫
そら来た、動くぞ、あの2頭が。
≪ホクリクダイオーが抜けた!?ホクリクダイオーここで仕掛けた!!≫
フォルスなんちゃらに入る直前に先頭3頭の意識が前に集中した、その隙と緊張をホクリクダイオーが逃すわけがない。
どれだけ意識を集中していてもできちまう一瞬の意識の偏り、それがフォルスなんちゃらに入って大きくなっている。
経験者だとそこが怖い、しかしダイオー共はそうでもない。先の見えないコーナーなんて散々トレセンで走ってる。
その緊張と隙を狙えばタイミングも多い、好きな時に前にちょいと出して、隙間に鼻先突っ込んでこじ開けちまえばこっちのもん。
ギア上げて、素早く前へ、そして柔軟な足で芝を踏み、土に足を喰い込ませて前へ飛ぶ!
≪ホクリクダイオー先頭!!残り750でホクリクダイオーが仕掛けた!!ぐんぐん前に伸びていきますが持つのか!?≫
そしてホクリクダイオーの仕掛けに呼応して馬群全体の意識がダイオーと頼信に集中、これを待ってたあのコンビが動くってわけだ。
あいつらならこうやるだろうって、大竹さんとディープインパクトは良く知ってるからな。
≪ホクリクダイオー先頭!!まさかのロングスパートでペースが上がっている!!ディープインパクトは大丈夫か?7番手ディープインパクト…どこだ!?いない!?
ディープインパクトが消えた!!?ディープインパクトが後方から消えた!!≫
後方?馬鹿言え、とっくに大外から追い上げてきて4番手のプライドを抜かしておるわ。
そらそら来たぞ、黒い鬼さんが大外まわって前に来てるぞ。ロングスパートの鬼がぐんぐん上がってきているぞ。
≪ディ、ディープインパクト4番手!!いや2番手!!ディープインパクト大外からぐんぐん上がってまくり上げて来たぁぁ!!≫
ディープインパクトが得意の追い込みで大外捲り上げだ。恐ろしく力強い踏み込み、芝の深さと食い込みやすい地面を逆に利用した力任せの超加速。
それについて行けるのは…へぇ、エレクトロキューショニスト。ディープについて上がるか、面白いが…踏み込みが浅い。付け焼刃だな、そういう動きだ。
≪抜けた!抜けた!!上がってきた!!突き抜けた!!ホクリクダイオーに遅れてディープインパクトが抜ける!!
伸びる伸びる!!ホクリクダイオー目掛けて突き進む!!日本対日本の頂上決戦か!伸びる伸びるあっという間にすぐ後ろ!!
エレクトロキューショニストが追う、レイルリンクも追う!!後方はさらに仕掛けるが伸びるか!!伸びないか!!
前に行く前に行くこれはすごい末脚勝負!!直線に入って後ろをどんどん突き放す!!レイルリンク落ちる!!エレクトロキューショニスト届かない!!
届かない!!届かない!!日本両馬で決戦だ!!残り200、並ぶ!並ぶ!!日本の馬が並んでいる!!
ディープインパクト先頭!!ホクリクダイオー先頭!!ディープインパクトか!!ホクリクダイオーか!!≫
『ほらな?』
2馬身、3馬身、ダイオーとディープがどんどん差を広げて突き進んでいく。
テレビの中がより一層色めき立つ、興奮しまくる解説がすっかり意味を為していない画面を見ればゴール直前、予想通りの展開だ。
いくら海外レースが初めてとはいえあいつらが『初見さん』程度に捕まるもんかよ。
ゴールまであと少し、直線勝負はあいつら2頭の独壇場。ディープとダイオーが大差をつけて突き放して潰し合いの真っ最中。
2頭で並んでどっちが先に垂れるかを懸けたチキンレース。残り100、時速87辺りだが…
ハナを伸ばして抜いては抜かれてを繰り返す、意地の張り合いだ。他に敵はいない。
ギアを上げろ、お前らだってできるんだろ?散々見せたじゃないか。
≪ディープインパクト先頭!!ホクリクダイオー先頭!!≫
息を吸う、4つ数える、息を吐く。姿勢を整え、体の力を抜いて半クラッチ。一瞬の減速、力が抜ける体を制御する。
そして息を、鼓動を、血流を、筋肉の動きを、関節の角度を、崩れる前に最高のタイミングで繋ぎ直す!
≪は、速い!はやい早い速い!!さらに加速、加速してなお縺れ合う!!決まらない決まらない決まらない!!!!≫
残り70、時速87、互いに譲らない。
残り50、88、変わらない。もうあいつらが見てるのは前だけだ。
残り20、89、譲らない。後ろの連中の目が怖いもの見る目してんぜ、舐めてたか?ざまぁねえな。
≪そのまま!縺れ合って!!ゴール!!!ゴーール!ゴールゴールゴーーーール!!≫
『ふむ…まぁこうなるわな』
互いに譲らない競り合いをしたままゴール板を通過、最高時速90って所か。途端に言葉にならない歓声と悲鳴がスピーカーから鳴り響く。
おいおい実況と解説が仕事放棄しちゃったよ…これ年末の珍プレー好プレーとかに長年取り上げられるタイプじゃね?
『勝った!!どっちが勝ったんだ!!』
『解らん、同時にしか見えんかったな。向こうの判定待ちだ』
『すげー!!スゲー!!先輩たちスゲー!!』
『ふーん…これがレースかぁ…面白そう』
受けは上々なようで、同じように走れる奴なんざそうそうおらんけどね。
お、審議・・・じゃねぇな写真判定だ。あいつらの後が先着エレクトロキューショニストで次がレイルリンク…クビ差ね。
『おおよそ90か、あのコンディションで初コース、あいつらやっぱバケモンじゃねぇか』
すげぇ奴らだよ本当に。危なっかしくて見てらんねぇくらいに全身全霊って感じで、何度もやれるもんじゃないってのにいつもそうだ。
解ってるだろうに、それが自分の命を削る行為だってことくらい。なのにホント、良い顔してやがるんだよな。
「無茶するねぇ、怖い怖い」
『親父さんもそう思うか?だよなぁ』
怖い怖い、怖くて危なっかしくて…すげぇかっこいいじゃねぇか。ほんと、お前らはいっつもそうやって輝いてさ。
本当にさ、すごい事ばっかしてるんだ。俺はそうは生きられなかった。
最初の仲間はもうお前らだけだぜ、みんな用途変更で消えちまったよ。俺もお前らももう会ってないだろう?高崎だけでもそうなんだよ。
走れなければ競走馬としては生きられない、そのまま別の道が見つかればいいが大半は肉になるんだ。
経済動物なんだ、牛や豚と変わらねぇ。でもよ、それで納得して殺されろってのか?俺は嫌だ、喰われるのなんか嫌だ。
そんな怖がって生きるのなんて嫌だろ、生きるんならたとえ苦しい時はあっても笑って楽しくなくちゃ嫌だろ。
『おま…それをお前が言うのか』
『忌憚のない意見ってやつっすよ』
「モンスニー、ああいうのは見る分には面白いかもしれねぇが実際当たると怖いんだよ。
遊んでる時ならクッソ面白いんだろうけど、仕事の時にやられるとたまったもんじゃねーや」
『おいおい、茂三までそんなこと言うのか。タービン、そういう割に高崎じゃ楽しんでるんじゃなかったか?』
違うよ、それは登録継続のために最低限義務的に走ってるだけだ。あいつらと一緒に居たいから、それに必要な資格の更新作業でしかないんだよ。
あいつらと一緒にいるのは楽しいんだよ、ただ駄弁ってバカするのが凄い楽しいんだよ、競い合てるときなんかすっげぇ生き生きしてたよ。
でもそういうの、競馬そのものには見れなかった。むしろ峠と酒造りにそういうのが見えたんだ、それだけさ。
『ま、それなりにな…だがまぁ、そろそろ潮時かね』
『まさかテメェまで引退する気か?まだ早いだろ』
『馬鹿言え、そろそろ本業に専念する頃合いさ。酒造りはそう甘いもんじゃねぇって知ってるだろ?二足草履はそろそろ卒業だ』
あいつらがいない競馬に興味なんてねぇよ、走る意味なんてないんだ。俺もやめ時を見極める時期に来たわけさ。
『せいぜい来年いっぱいかね、それで畳むさ』
『あー…そうだな、お前はそういう奴だよな。まったく、ただかしこぶってるだけじゃねぇのが質が悪いぜ』
『やるときはやる人間だと言ってくれ』
『人じゃねぇだろ』
言葉の綾だよ。
『さて、終わったなら俺ぁ帰るぞ。さすがに眠いぜ』
『待て待て、結果見なくていいのか?』
『明日のニュースでも見りゃいいだろ。どの結果であれこの大騒ぎだ、明日の朝刊でいいよ』
結果は逃げんだろ、さすがに眠気に耐えられなくなりそうだ。集中切れちまったな。
しっかしまぁ、みんなすごい所に行っちまったなぁ…でももう俺と当たることはない、ラストランは中央だ。
こんなの中央の連中が黙ってない、俺が入る隙なんか残ってないさ。最後は勝ち逃げできたのだけでも良しとするかね。
楽しかったなぁ…本当に去年から楽しい日々だったよ。引退すりゃ、もう会うことはないだろうな、特にディープなんざ。
「そうだタービン、ちょいといいか?」
『なんぞ?』
なんだかてんやわんやしてるテレビの向こう側の審議がどうにも決着が付きそうにないので馬房に戻ろうとしたら親父さんに停められた。
え、まさか親父さんまで勝敗まで見てろってのかい?あんまり長いとガチで寝ちゃいそうなんだけど。
「眠そうだな、そんな時間がかかんねぇよ。次のレースの話だ」
次?なんかレース走る気か?そんな暇あんのかい?
「勝手なことしてすまん、嫌ならそれでいいから話だけでも聞いてくれ。うまくいくかもわからねぇ、ダメ元だ。
あんなこと起きるわけがねぇし、こんなのうまくいってもきっとろくなことにならねぇ、お前は最初から最後まで笑われるか嫌われ者の道化になる。
俺らはお前の爺さんの様な愛される馬鹿じゃない、どう転んでもきっといい方向には転ばねぇ」
親父さんの言っていることがよくわからん。何を言ってる、あいつらはもう高崎では走らんだろうに。
来年はあいつら引退だ、俺はたぶん少し走るだろうがそれだってまだ先の話、ここで話すことじゃない。
≪同着!同着です!!なんと日本の競走馬が!凱旋門賞同着ッ!!≫
「でもな、あいつらのラストランなんだ。最後だ、ならやっぱりお前がいねぇと締まりがねぇだろ?お前がいないと俺らには話にならねぇ…
いや違う、俺は見たいんだよ。俺が見てぇんだよ、あいつらにはお前が居なきゃ面白くねぇ、お前がいないと俺は納得できねぇ。
あいつらもろとも、お前が中山をぶっちぎってるのが見てぇんだよッ」
≪夢は終わらない!!夢で終わらせない!!決着は日本、暮れの中山!有馬記念に持ち越しだぁぁぁぁぁッ!!≫
「次走の予定は中山、有馬記念だ。そいつに登録した、頼む。あいつらに勝ってみせちゃくれないか?」
「…Why?」『…Why?』
一体何がどうなっているんだ?それってありなのか?
あとがき
さて、凱旋門賞が終わりましたのでラストスパートです。えぇ、この世界の06有馬は注目度がクッソやばいことになってます。
世界を荒らしまわった日本競馬の総仕上げであり凱旋門賞同着の雌雄を決する舞台となりました。
夢を果たすどころか更なる夢を持って帰ってきました、世界中が見ています、世界中が待ち望んでいます。
この有馬記念の激闘を、そして結末を、有終の美を、最高の舞台を、世界の競馬ファンが待ち望んでいるのです。
ハーツクライ、ツバキプリンセス、コスモバルク、ノルンファング、ハルウララ、ホクリクダイオー、そしてディープインパクト、その雄姿を。
みんな胸に希望を抱いて、どんな結末でも祝福できる熱意を抱いて、自分達が望む最高を夢見ています。えぇ、自分達が望んだ夢をね?
おまけ・メジロジョンソンと池永騎手
メジロジョンソンの主戦騎手は瀬名敏則であったが、実は池永のほうが鞍上の数は多く敏則もそれは認めている。
これはメジロジョンソンが池永の事を大層気に入っていたからであり、主戦騎手の敏則よりも成績が良かったからである。
池永自身も都合が付くならば絶対に騎乗を受諾しており、癖馬に好かれる騎手人生の中で癖馬ながら温厚であるジョンソン相手は安穏としていたようだ。
しかしオルフェーヴルが一番の相棒という思いは本物で、またジョンソンが地方所属という事もあり一線を引くことも含めて主戦に名乗り出ることはしていなかった。
しかしながら第91回・凱旋門賞に出走し勝利したメジロジョンソンの相棒はこの池永である。
これにはひと悶着あり、元々メジロジョンソンには主戦騎手の瀬名敏則が騎乗予定であり当初は池永騎乗の予定にはなかった。
池永はオルフェーヴルに乗ると茂三が思っていたためであったが、鞍上を敏則にするという予定をメジロジョンソンが聞いて珍しく駄々をこねにこねまくり出走を辞退するのもやぶさかではない猛抗議をした。
最終的には馬房の中に閉じこもりストライキし、瀬名酒造のボス馬であったシマカゼタービンでさえ説得できなかった。
これを見かねた敏則がダメ元で騎乗を依頼し『ジョンソンが君じゃないと嫌だとごねるんだ、考えてみてくれないか』と馬鹿正直に伝えたという。
すると数秒で受諾され、そのあまりのレスポンスに当時は文字通り耳と脳みそを疑い、翌日には家出同然の大荷物で自らやってきた彼に事態の深刻さを知ったという。
実は当時、池永は最高の相棒である『暴君・オルフェーヴル』の海外挑戦主戦騎手を外されて、やけ酒に走ろうとしていた直後であったのだ。
池永からすればかの伝説の『逆指名』が自分にやってきたようなものであり、この時ばかりはオルフェーヴルへの気持ちを封印してジョンソンの相方となったという。
そして第91回凱旋門賞では得意の逃げで最初から最後まで先頭を走り、最後の直線でさらに加速する逃げ差し戦法でオルフェーヴルに一馬身差をつけて勝利している。
当時を知る茂三は語る『池永がダメならうちは出なかった、池永ならオルフェーヴルを勝たせていただろうに』と。
さらにオルフェーヴルが出場を決めた第92回・凱旋門賞では、世間ではオルフェーヴルの鞍上は池永の起用が絶対視されていたが、陣営は熟考と激論の末に去年と引き続きW・スミスを採用している。
池永は同じ日本馬でありお手馬であった『クチクアケボノ(地方・荒尾)』に騎乗し凱旋門賞に出走、最後の直線で一度先頭に出たオルフェーヴルを差し返し、競り合いの末ハナ差で勝利。
クチクアケボノに差し返され2着に終わったオルフェーヴルの姿に前年の光景が重なり、前年勝者であった池永を逃した陣営への批判が殺到した。
実はオルフェーヴル陣営は池永の起用を熟考の末に決定していたが、これを池永自身が『先約』のため断腸の思いで断っている。
これは出走決定直後に即オファーを出したクチクアケボノ陣営の決意と、前年の不採用による諦観のためだった。
池永は記者会見での質問でこれを問われた際『もしオルフェーヴルのオファーが先なら間違いなく乗っていた、でもアケボノのほうが早かった。
もしかしたらオルフェーヴルに乗れるかもと思って少し待ってもらったけど、聞いても答えてくれないし返答期限まで来なかったから今年も無理だと思って了承した。
あんなすぐにオファーをくれたのに我儘を言って返答を待ってもらったのだもの、あいつには悪いけど後から無しとか人として絶対ダメだと思ったんだ』と答えている。
オルフェーヴル陣営はすぐに池永の実績を信頼しきれず悩み、クチクアケボノ陣営が池永の実績を信じて即決即断のオファーを出した。その差であった。
おまけ2・池永は何を見ていた?
なお第91回・凱旋門賞当時、池永は最後の直線でわずかな間、一度だけ振り向いて後ろを見ている。
これはラストスパートをかける最後の後方確認のために一瞬見たという分析されているが、ファンの多くは『後ろのオルフェーヴルを見ていた』と思ったという。
このことを池永は多く語らなかったこともあり、ある漫画の発売ののちに多くのファンを焼くこととなる。