気儘に生きた転生馬物語   作:イナダ大根

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いつも多くの感想と誤字報告ありがとうございます。
これにて凱旋門賞は閉店ガラガラ、ちょっとあっさり目ですけどどうかお許しください。






第46話

 

 

 

 

人気の少ないロンシャン競馬場の厩舎に人影が伸びる、祝勝会を抜け出してきた大竹は何とも言えない気分のまま馬房の中に居た。

理由は特にない、祝勝会の空気に中てられたのか、ついていけなかったのか、ただ居心地が悪くて気分転換に散歩をしていたらここに居たのだ。

どうせなら相棒と一緒に乾杯するのも悪くない、ディープインパクトの馬房なら飲み干してない限り水はある。

そんな気持ちでディープインパクトのいる馬房に近づいていくと、向かいの馬房から小さく鉄を打つような音が聞こえてきて大竹は首を傾げた。

 

「おや、今日の主役が何をしてんだい?」

 

気になってディープインパクトの向かいの馬房、ホクリクダイオーにあてがわれた馬房を覗き込むとそこには体を横たえてリラックスするホクリクダイオーの右後ろ脚の蹄鉄を金槌で小突く老男性がいた。

ホクリクダイオーをこの舞台にまで引き上げた立て役者の一人である蹄鉄職人である彼は、慣れたように滑らかな手つきで蹄鉄を叩いてそれを微調節している。

大竹がのぞき込んできたことに気付いた蹄鉄職人の彼は、人のいい好々爺とした笑みを浮かべて問いかけてきた。

 

「それはあなたもでしょう、何をしているんです?」

 

「いつもの仕事さ、今日もかなり無茶してたからな」

 

コンコンと蹄鉄を小突き、その音の反響具合で何かを見定めている彼はどこまでも自然体であった。

どこか田舎っぽい、牧歌的なゆったりとした仕草だったがその手つきは並みの蹄鉄職人ではない凄みがある。

その姿と、彼が日中手にしていたモノを思い浮かべて大竹は聞いてみたくなって問いかけた。

 

「失礼は承知でお聞きしたいのですが…以前は上山に?」

 

「おうさ、無くなる最後の日までな。聞きたいことは分かっとるからいいよ。俺を拾ったのは茂三さ」

 

「やっぱり」

 

「何を隠そう、ツインターボの蹄鉄を付けてたのはこの俺だからな。中央の芝馬にダート走らせようってんだ、気が抜けない仕事だったが悪かなかった。

それが縁であいつとはちょいと縁があった、ツインターボにゾッコンだったからな」

 

彼は昔を思い出してとても愉快そうに微笑む。彼曰く、茂三の入れ込み具合は相当であったらしい。

曰く、上山競馬場でツインターボが走るときは必ずいた茂三をこっそりツインターボに会わせたり、放牧中に見学させたりしていたそうだ。

引退した後も頻繁にではないが節目には顔を見せ、養育牧場にも顔が利くようになるくらいに仲良くなってもいた。

 

「ターボが死んで、縁も切れるかと思ったがあの野郎、ちょこちょこ会いに来るんだよ。

聞けば墓参りは毎年するし、牧場のほうにもあいつは自分の所の引退馬を預けて世話焼いてるって話だ。

そんな縁がまさかまさかだ、上山が終わったその日に俺を拾って群馬競馬に放り込みやがったんだ。

あの野郎、引退させるには惜しいとかなんとか抜かしておだてやがってよ。知ってんだぞ、上山を残そうとしてかなり動いてたらしいじゃねぇか。

不採算なのに目を付けて、買い叩いて私設競馬場にしちまおうとかまで考えてた辺り相当イカレてるよ」

 

「あの人らしいですね、タービンの時もかなりぼったくられてたのに即金で払ったとか聞きましたよ」

 

「あれも最初はバカなことをって思ったもんだ。聞けば聞くほど胡散臭い、あんなぽっと出、普通あり得ねぇだろうが。

だってのにあの野郎、あそこがまともな育成してねぇって知ってながらダチを信じてサラッと金払いやがった。

知ってるか?あそこの牧場、タービンを育てる金すら惜しんで職員すら騙して育成してたんだぞ。

賞味期限切れの赤ちゃん用粉ミルクを幼駒用の安物粉ミルクとすり替えてたなんて聞いたときはふざけんなって思ったもんだ」

 

それは大竹も知っている、深く調べてその話を聞いたときはこんなふざけた経営者のいる牧場があるとは信じられなかった。

そう考えるとやはり自分は騎手として幸せな道を生きてこられたのだと思わざるを得ないのだ、出会う馬も出会う相手もすべて幸運なことにまともであったのだ。

 

「殺す気だったんだよ、茂三の話なんざ本気にしてなかった派閥がいたのさ。だから殺して経費を浮かそうとしやがったんだ。

競走馬を育てようってんだ、そりゃ安いもんじゃねぇさ。それを惜しんだんだよ。

育成しようとしたけど死んじゃったからしょうがないってか?しかもその費用まで浮かせようとしてた?牧場経営主どころじゃねぇ、人として終わってる。

結果としてタービンは他より安く育って無事売れて、事が明るみに出るのを恐れて隠蔽してたがな。だがそんなふざけた環境で育った馬がまともなわけがあるかってんだ」

 

実際にまともではなかったのだ、しかしそれは極めて良い方向にすべてが向いている辺り本当にシマカゼタービンという馬は分からない。

馬の神に愛されているのか、憎まれているのか、そんな波乱万丈な生誕を迎えて今や峠の走り屋である。

 

「世の中、不思議なこともあるもんだ。その馬が今やこの大騒動の裏の立役者ときたもんだ、まったく」

 

「フヒヒン?」

 

「おーそうだな、お前の自慢のダチだもんなぁ。あいつ凄いよなぁ、この前なんか碓井でプロ相手にやりあったってよ。いい勝負はしたらしいが」

 

「フヒッ!?」

 

「ヒヒィン!?」

 

「なんですかそれ!?聞いたことないですよ!!?」

 

「く、喰いつきいいなぁお前ら!?っていうかディープ放馬放馬!!」

 

蹄鉄職人が指さす方を後ろを見ると、自分の馬房の柵を開けて真後ろにいるディープインパクトの姿が。

いつもの事である、大竹はすぐに前に向きなおった。

 

「ヴッフ?」「で、どうなったんですか?」

 

「慣れてやがる。さすが中央…俺だってシビック野郎から聞いただけだよ、この前の定期連絡でちょろっとな。

なんか碓井峠に行ったらプロになったOBが顔見せしてるのに出くわして、面白がられて勝負吹っ掛けられたって話だ」

 

「聞いたことないんですけど…」

 

「群馬にいるアイツが連絡してくるはずねぇだろ…言っとくが負けたぞ、5秒差つけられて完敗だ。

相手は不慣れな後輩の車で今の碓井に慣れてなかったからいい勝負になっただけ、っていうのがあいつらの言い分だとさ。

だから自慢なんかしてこねぇだろう、あいつらの中じゃいい勉強ってことらしい…やっぱズレてるよな?あの馬鹿ども」

 

親友を褒められているのに気づいたホクリクダイオーは自慢げに鼻を鳴らす。それに呼応してディープインパクトも嘶く。

 

「フヒン、ヒヒン♪ヒヒーン!!」「ヒヒーン!!ヒンヒン!!ヒヒーン!!」

 

「ダメだからな」「ダメだからね」

 

「「ファ!?」」

 

行くぞ行くぞやるぞやるぞと見るからにやる気を出して鼻息を荒くするディープインパクトとホクリクダイオーに、大竹と蹄鉄職人はぴしゃりと止める。

この二頭がやらせろと言っていることは目を見ればわかる、シマカゼタービンを負かしたプロレーサーとやらせろというのだ。

 

(公道の峠道を走る走り屋とは違う舗装された平地を主戦とするプロレーサー、跨ってるのが機械か馬かの違いだけとしか考えてないんだろうな)

 

大方『プロならば仕事で都合が付く、帰国したらそいつらのレースに登録しろ』とでも言いたいのだろう。散々違いを教わっているだろうに懲りない奴らである。

相手がどのレースのレーサーをしているのかもわかっていないというのに。これでF1レーサーだとしたらどうやって勝てというのだ、シマカゼタービンでも無理というだろう。

 

「ダメに決まってんだろおてんば娘、あれはあいつだからできることだっての。

中央の重賞馬の足を見る事になっちまってビビったもんだが、お前は昔と変わんないな」

 

「ディープもだよ、たまにネジ外れちゃうのは治らないね。ほら、帰った帰った」

 

少し不満げな様子で踵を返して馬房に戻っていくディープインパクトを見送りながら大竹は肩をすくめる。

 

「まったく、中央ってのは規格外だねぇ。あんなふうなのがいっぱいいんのかい?俺が言うのもなんだけどさ」

 

「ははは、まさかまさか」

 

「本当かよ…ま、いいわ。そろそろ行くぞ、みんな待ってるからな」

 

「おや、どちらに?」

 

道具をしまった彼はホクリクダイオーの手綱を握ると立ち上がらせた。

 

「レース場だ、明日は朝から馬運車に飛行機にと日本まで缶詰めだからな。気分転換させてやりてぇのさ。

夜にレース場使って良いか運営様に掛け合ったら撮影と引き換えに特別にOK貰えたんだ」

 

「また直帰ですか!?群馬の皆さん何でそうなるんです、いつも強行軍じゃないですか」

 

「中央さんみたいに金が潤沢ってわけじゃねぇんだよ。うちらだって結構カツカツでやってんだ、こうじゃねぇと遠征できんのよ」

 

「しかしいくら何でも…それじゃ馬だけじゃなくてあなたたちにも負担が大きすぎる。せめて数日は余裕を見たほうがいいと思いますよ?」

 

「残念ながらそんな金もないんだよ、あの新坂とはいえ会社でやってるわけじゃねぇからな。うちの社長のポケットマネーはカツカツさ。

それに長々してたらその分うるさいだろう?うちらみたいなのにはそういうのはキツイし帰れなくなりそうだ。うちら老骨の気力が切れんうちに帰れるなら強行軍もいいもんさ。

それにアイツの入れ知恵のおかげでこいつらは輸送平気だかんな、こんな強行軍できねぇし遠征なんか到底無理だったよ。お前さんらもそうだろ?」

 

大竹はその問いに頷くしかなかった。確かにディープインパクトの長距離輸送による消耗は、今まで多くの海外遠征で経験した中でも異次元の健康体であった。

飼い葉の吸い込みは変わらず、睡眠や生活リズムも時差ボケを自力で修正して以後は狂いもない、輸送中のストレスもほとんど感じさせず馬体はまるで変化がない。

日本にいたときとまるで変わらないディープインパクトが、国内のポテンシャルをそのまま維持して飛行機を降りてきたのだ。

現地に慣れてからはむしろ環境の変化に興味津々で好奇心を掻き立てられるほどに元気いっぱいだった、本当に長距離輸送したのか疑わしいほどだ。

 

「ブルルッ!」

 

「おうおう、なんだお前は今日の復習したいってか?さすがに全面は無理があるぞ」

 

「ヒヒィンッ!」

 

「無茶言いやがって…解った解った。あとでカメラさん乗せて走ってもらうか、それならあっちも言い訳付くだろ」

 

「ヒヒーン!」

 

「まったく…そうだ、どうせならお前んとこのヤツの話でも聞いてやれ」

 

「というと?」

 

「今のお前さんと同じさ。まーったく、お前ら揃って似たもん同士だな。顔に出てんぞ、消化不良だってな」

 

上山の蹄鉄士はどこか懐かしそうに微笑み、ホクリクダイオーの手綱を引いて馬房を出ていく。それを見送る大竹は少しばつが悪そうに頬を掻いた。

こりゃ勝てないな、年長者というだけあってお見通しといってもいい口ぶりは明らかに大竹満という人間を見抜いていた。

さすが年の功というべきだろう、地方と中央の違いはあれどまったくもって油断ならない。

しかし似た者同士とはいったいどんな顔をしていたのだろう、大竹は馬房の中に戻って素知らぬ顔で水を飲むディープインパクトのほうを覗き込んだ。

先ほどの事なんてなかったようにふるまう彼は、ちらりと大竹のほうを見てから飲み干したペットボトルを踏みつぶしてゴミ箱のほうに放る。

口から器用に飛んでったペットボトルはきれいな放物線を描いてゴミ箱の縁に当たり跳ね返った。確かにどこか不満気だ。

 

「ディープ、君も納得いかないのかい?」

 

「ブルルッ?」

 

「そんな顔しなくても分かるよ。あれに反応したのってずっと聞き耳立ててたんだろ?」

 

「…ヴッフ」

 

バレちまった、とでもいうようにため息をついたディープインパクトは馬房の壁に背を預けるようにして身を休めると少し物憂げな眼差しを大竹に返した。

普段ならばもう少し喜んでいる雰囲気を見せてくれるものだが、今回のレースは嬉しくとも思うところのあるレースだったのだろう。

 

(それもそうか…奥の手を出してなお届かなかったからね)

 

ディープインパクトは強い、ホクリクダイオーは強い。そして自分たちはここにきて、ついに日本競馬界の悲願を達成してみせた。

しかしそれ以上に彼らや自分が相手にしてきたシマカゼタービンが化け物過ぎる。

確かに鍛え上げてきた、確かに実力もつけた、すべてを出し切って追い立ててやれば彼の速度にも短時間ながら拮抗し、わずかに上回れるだろう。

勝てる道筋はある、勝てる道理はある、しかしそれがどれだけ難しい事か。その一瞬で勝ちをかすめ取るのにどれだけ苦労することか。

自分達は時速90キロまで達した、しかしそれを長時間維持することなんてできない。あの一瞬到達するので精一杯なのだ。

もし同速度で彼が自分達より速度を維持して走れるのなら勝ち目はない、そして彼はそれよりも速く走れて長く息が続く。

最初から最後まで延々と加速し続ける大逃げに食らい付きながら、なお最後の局面で最高速度に達してなお長く続く末脚を越えなければ勝てない。

ディープインパクトの目には常に彼の背中が見えているのだろう、憧れる強い彼の走る後姿が思い出されているのだろう。

自分がどれだけ持て囃されようとも決して追いつけない背中がずっと頭から離れない、この自分のように。

 

「それにあんな話聞かされちゃったらなぁ…」

 

「やっぱりここに居た、主賓がいなくなりやがって全く…勝ったにしてはお前ら揃って浮かない顔だな。あいつ等か?」

 

「小泉さん、よくわかりましたね?」

 

「そりゃそうだ、一緒にやってきたんだぞ?」

 

会場から大竹を追いかけてきたらしい小泉は、ディープインパクトと大竹が顔を見合わせているのを見て苦笑いした。

 

「まったく、凱旋門賞とっておいてそんな顔するのはお前らくらいなもんだ。頼信君を見習ったらどうだ?きっぱり切り替えて大酒飲んでるぞ。おかげでしばらくもつ」

 

そう言えば抜け出す前に自分も頼信の大酒飲みとムードメーカーっぷりを利用していたのを思い出した。

彼は自身も大酒を飲みながら、フランスやイギリスの重鎮相手に外人受けの良さそうな一発芸やら大酒飲みの宴会芸やらをやっていた。

自らも酒に酔って気が大きくなっているが故であろう、元チンピラらしい暴れ酒や周囲の目を顧みない下品なネタではない辺り彼も丸くなっているようだ。

 

「ははは…そうはいきませんよ。ああいう性格してないもんで」

 

「ま、あれはあれで才能だからな。だが考えすぎるのもダメだろ、お前らは最高の走りをしたんだ。

日本競馬ここにありって世界に知らしめたんだぞ?我ながら思いっきり熱くなったんだからな」

 

「えぇ、それは分かってるんですよ。私たちは最高の走りができた、間違いなく今できる最高の走りで凱旋門賞を取った。

あそこまで絞り出しての同着なら悔いはありません、互いにそこまで実力が拮抗していたという事です…でも…」

 

「お前らが望む走りにはまだまだ遠い、か」

 

小泉の答えに大竹は頷く。今回のレースに悔いはない、最高のレースをしたと自慢できる、しかしそれだけだ。

完璧に自分の望んだレースではない、個人的な欲望はまったくもって満たされていない。

自分の仲にある栗毛の背中の幻影が自分たちを捉えて逃がしてくれない、まだまだやれるだろ?と鼓舞してきて終われない。

 

「小泉さん、僕たちは彼らを超える走りができるのかな?超えてやったって言えるのかな?」

 

「今回は超えてないな、ぼろ負けだ。最後の直線、お前らは僅かに踏み込みが深すぎた。良い走りだが、速度を殺してる」

 

「そうですね」

 

「ダイオーは逆に浅すぎた、うまく掴めてないから空転してる。良い走りだったがそれだけだ、勝てないな。どっちも最後は垂れて振り切られる」

 

勝てない、ここまでやってなお勝てない。日本の、世界の競馬界が大騒ぎをするこの快挙をもってしてもあの馬とあの社長に、あの走り屋に届かない。

こんなことあっていいのか、こんなこと許されていいのか?とんでもないことだ、挑んでも挑んでも終わらないチャレンジなんてとんでもなく燃えるじゃないか。

 

「向こうも同じだったぜ、向こうの連中に聞いたんだが競馬場見ながらみんなして静かに酒呷ってるってよ」

 

「聞きましたよ、ダイオーの復習に付き合ってるそうですね。向こうのカメラマンさんも居るとかなんとか」

 

「知ってたのか。ま、あの爺様たちからしたらある意味肩透かしだったのかもな、勝っても負けても骨を埋めるつもりだったはずがまさかの引き分けときた。

勝っても居なけりゃ負けても居ない、まだまだ戦いは続くし決着はまさかの有馬でってんだ」

 

「そりゃそうですよ、いくら有馬記念と言っても僕たちとしてはある意味で見慣れたGⅠですもの。

それが今年は世界中から注目されてる決戦とか宣伝されちゃってるっていうんです、僕たちだって現実感がないですよ」

 

「あの実況には参ったよ、一体どうするつもりなんだか…そうだ知ってたか?実況の連中、興奮しすぎて病院に担ぎ込まれたってよ」

 

「そりゃあれだけ大騒ぎしてればそうなりますよ…」

 

とはいえそんな大騒ぎをするのも分かる。

この凱旋門賞をも巻き込んだ日本競馬の決着が年末の中山競馬場で決まる、それを盛り上げない理由は無いし否が応でも盛り上がる。

しかし、大竹にとってはいまいち納得がいかない面もあった。

 

「でもさ、僕たちの決着はもう付かないかもしれないんですよね…」

 

「次はジャパンカップ、その次は有馬だ。さすがに群馬に足を延ばしてる暇はないぞ、そもそも周りが許さない。

今年のライバル馬3頭の本拠地だ、今まではディープのお気に入りってことで誤魔化せたが今度ばかりは難しい」

 

きっとこれまで以上に厳しい目がマスコミやファンたちから送られるに違いない。

そんな中でわざわざ群馬という『敵地』にひょこひょこ練習に行くなんて、中央競馬が許しても世間が許さないだろう。

いくら練習という建前とは言えどこぞの木っ端馬とされている彼と本気の勝負をしようものなら、無駄な消耗をさせるなと大バッシングされかねない。

そしてそれは同じ群馬地方競馬に所属する3頭も同じことだ、たとえシマカゼタービンが彼女たちの初代ライバルと認識されていても今や彼女たちは世界屈指の強者達になってしまった。

未だ地元で負け無しとは言え所詮はなんか強い変な奴でしかないシマカゼタービンは、一般的に見れば全く釣り合わずお呼びではないのだ。

そして何より、彼女たちもまた有馬記念をラストランとするため今年最後まで主戦場は中央競馬への遠征である。

 

「うん…残念だな、一回でいいから直接勝ちたかった」

 

本当の決着はもうつかないかもしれない、最後のチャンスは逃してしまったのだ。そう思うと胸の内がモヤモヤしてしまう。

騎手生活の中で幾度となく経験してきた感情であったが、今までがあまりに気楽な存在であったがゆえに急に取り上げられてしまってやり場が見つからなかった。

都合が付けばいつでも勝負を挑めた、負けて負けて負け続けていつまでも壁でいてくれた彼を取り上げられた、本当に倒したかったのに。

 

「できるかもしれないぞ」

 

「ヒヒン?」

 

「お忍びで群馬に?うまく行きますかね…」

 

「違う、堂々と勝負できるかもしれないぞ。暮れの中山でな」

 

大竹は眉を顰めた、小泉にしては笑えない冗談だった。あの彼と茂三が有馬記念などという大舞台にわざわざ来るわけがない。

その手の名誉や賞金には一切興味がない超が付く変人馬主な茂三に、それによく似て競馬自体にはさほど興味がないシマカゼタービン、どちらも言い出すとは思えないのだ。

 

「瀬名酒造が有馬に登録してる、出走馬はシマカゼタービンだ」

 

「そういう冗談はやめてよ」

 

「このままじゃただの冗談だ、茂三さんもダメで元々の博打なんだろ。馬鹿正直に、真っ当なルートで選考に応募してきてる。

それを見た理事長のヤツ、泡喰って俺に問い質してきたんだよ。お前ら何しやがったてな、あの人がそんなことするなんて上も思ってないもんよ。

身に覚えねぇから茂三さんに聞いたらあっさり答えてくれやがった。

そんで『ダメで元々だから俺の踏ん切りがつく結果出るまで内緒で頼む』とさ。茂三さんめ、それで済むなら俺たちはこうなってないっての」

 

「まさか…」

 

「あぁ、桜葉理事長のほうも知ってるだろうし群馬のほうも知れ渡る。でもな、このままじゃだめだ」

 

「そうですね、普通に考えて賞金額で撥ねられる」

 

まさに博打、当たるも八卦当たらぬも八卦というよりまず無理だ。それでもやらないよりはマシ、といった願掛けの類である。

その程度ならあの茂三は笑ってやりそうだ、当たればでかいが当たらないならそれでいい。ちょっと残念なだけで痛くもかゆくもない。

しかし、もしかしたらあり得るかもしれないと期待する話を知ってしまう自分の身にもなってほしい、99パーセントとダメでも1パーセントに賭けるのもまた騎手なのだ。

 

「落ち込むな大竹、ディープ。このままじゃタービンは絶対に出られない。選定馬に残っても賞金額で真っ当な状況じゃふるい落とされる。

だからちょっとやってみないか?真っ当な状況じゃだめなら真っ当な状況じゃなくしてしまえばいい」

 

「まさか八百長をしろとでも?それとも裏工作?そんな伝手は僕にはないしやるなんて御免だ」

 

「早とちりすんな、そんなことしなくていい。というか、する必要がない。真っ当な、合法な手段で、やれることがある。他の奴らにゃご愁傷様だがな」

 

小泉は愉快そうな笑みを浮かべ、実に気の毒そうな声色で言葉をつづけた。

 

「俺たちはもう見たはずだ、あんなことがあったからお前らはあのハルウララに当たって負けたんだ」

 

「ハルウララ?…そうか、マルゼンスキー!!」

 

「どうしてハルウララが宝塚に出られたのか。お前らが強すぎたからだ、だから連中は一旦引いて出直す腹だった。

マルゼンスキーとの違いは逃げは逃げでも反撃するための逃走だったところだな、それもおじゃんになったが」

 

小泉の言葉にすぐに大竹は思い出した。そうなのだ、宝塚記念でハルウララが出走できたのは出走登録していた競走馬たちが軒並み回避を選択し、追加登録する競走馬がおらず巡り巡って出走権が回ってきたからだ。

ディープインパクトと大竹のコンビがあまりにも強かったから勝ち目がないと、ここで戦う意味がないとあの時はそう思われたからだ。

その結果、大竹とディープインパクトはハルウララと対決することになり。そして負けている。

 

「こいつは俺たちにとっても賭けだ、だが前例はある。お前らはジャパンカップで勝て。他の連中が戦いたいとか思わない圧勝で蹂躙しろ。

並みの中央GⅠクラスじゃ手も足も出ねぇ怪物だって、お前とディープが走る有馬は出るだけ無駄な出来レースだって思わせてやるんだよ」

 

そうすれば出てくるかもしれないのだ、あの馬が暮れの中山に姿を現すかもしれないのだ。

もし出走権が実際に巡ってきたならば彼らは無下にすることはない、きっと笑顔でやってくる。

 

「理屈は分かります、でも僕たちの一勝でそうできるでしょうか?ラストランになったらきっと気合いの入り方がみんな違う」

 

「そいつらはいいんだよ、やる気があるならそれでいい。でもな、宝塚ごときでやる気失ってたようなやつらには十分だと思わないか」

 

「いやいや、待って。有馬はディープ達のラストランですよ、最後の勝負になる。挑まないなんて考えるわけが…」

 

「それさえ我慢すれば来年からはお前らに当たることはないんだぞ」

 

小泉の言葉に大竹は反論できなかった。それは自分も感じていたことだったからだ。

 

「何もディープだけの話じゃない。あの3頭やハーツクライも居るんだぞ?特にあの3頭は正直ディープよりも理不尽だ。

今まで群馬の3頭が出ていたのは中長距離主体の芝だが、連中はそれが得意なだけで他もいける。

お前というライバルがいて、馬主がただそこがいいから走らせていただけに過ぎない。あいつらはどこでも走ることができる。

芝も、砂も、土も、短距離も、マイルも、中距離も、長距離も、そして海外でさえも、あの3頭は経験済みで実績を残しているんだ。

わかるか?逃げ場がなかったんだ、どこに行っても、どのレースに行っても、あの3頭のうち誰かがいるかもしれなかったんだ」

 

絶対に回避できる場所がなかった、安心して挑めるレースが存在しなかった、そのことがどれだけの陣営のストレスになっていただろうか。

それこそ対抗できるディープインパクトやハーツクライを擁していた自分たちは恵まれていたにすぎない。

そんな連中がもう少し待てば自分から消えていくというのだ、待つという選択肢は十分ありうる。

 

「俺たちはタービンがいたから気楽でいられたが、あの3頭もほかの連中からしてみれば十分怪物だ。

あんな素質馬、地方が持っていくなんて相当あいつらを扱ってた連中の目は節穴だったんだろう。

お前たちが去れば後に残るのはいつもの連中だ。いつもの重賞馬ばかりのレースが始まるんだ。

お前たちを迎え撃つために蓄えた知識と研鑽で築いた技術で、寄り合い馬達を鍛え上げて次のレースに挑むことができる。

俺達がシマカゼタービン相手に鍛え上げてきたのと同じように、俺達がタービンと茂三に勝つ方が難しいと考えるようにな」

 

「でもそれで諦めるわけがない、そんな人たちばかりなら僕は騎手やってない」

 

大竹は栗東厩舎専属であり、小泉の手掛けた馬だけに乗る騎手ではない。ディープインパクトを主戦として乗っているがそれでもほかの馬主と調教師を手掛けた馬に乗る機会は多い。

 

「誰がお前らだけでそれができると言ったんだ、自惚れるな。たかが凱旋門取ったクラシック3冠一頭と騎手一人だ」

 

「どうするつもり?」

 

「話聞いてなかったのか?ダイオー達にも話を持ち掛ける。あいつらの実力でさらに広範囲を黙らせる、有馬前に前走でどこか使うって言ってたからな」

 

「それ違法じゃない?」

 

「いいや?そういうなら学校からやり直せって話だぞ。これは談合なんかじゃない、ただ『圧勝してこい』ってライバルを応援するだけなんだからな」

 

圧勝は圧勝でも『こいつらとは例えどんなことがあっても二度とやりたくない』と思わせる圧勝だがな。と小泉は意地悪そうに微笑む。

彼は自分たちと知り合いがただレースで勝つだけでハルウララの再現をやる気なのだ、ダメで元々で失敗しても痛くもかゆくもないのだから。

しかしそれで成功したらその結果は計り知れないのだから、自分達で彼らを暮れの中山に迎え入れる。

そのための露払いをして、申し訳ないが邪魔者には自発的に身を引いてもらうのだ。

自分達の領域で、自分達が慣れたホームである中央競馬場で、自分達が絶対有利なルールの中に彼らに勝負を挑むのだ。

 

「それでどうにかなるとは思えないけど…」

 

「いいや、今回ばかりはそれでいいんだ。だってそうだろ?ディープインパクトクラスの怪物が着内分まとめて出るんだぞ?」

 

「あ…」

 

「賞金すらも望み薄ってわけだ」

 

小泉のニヤニヤした微笑みに大竹は思い至った。競馬において上位5頭までは賞金が支払われ、着外は賞金がない。

5着となればかなり少ないが着外よりもはるかにまし、そして有馬記念では、その5着に割り込むにはディープインパクトとタメを張ってきた怪物たちとタメを張らなければならない。

出来なければ絶対に着外に蹴落とされる、そうなれば手に入る金額は奨励金や出走手当の僅かな額だ。

GⅠ出走に掛かる費用は安いものではない、それくらいはできれば回収したいというのが馬主の心情だ。

つまり2006年の有馬記念は相手が悪すぎるのだ、生半可な馬では出走するだけ大赤字になりかねないとんでもないレースになっている。

 

「お前らに拮抗出来る馬、あるいは大赤字でもお前らに挑む気のある陣営なんてそれこそ少数だしそれだけ手練れだ。その少数があいつらだよ。

リンカーンやコスモバルク辺りも絶対に出てくるだろうが、逆に言えばそれくらい実力がないと歯牙にもかからないんだよ。

ファン投票に出てくる連中は出るだろうが、それも絶対とはいえん。通常出走組は勝ち目がないなら絶対に引く、下に行けば下に行くほど確実に。

そりゃそうさ、お前らに加えてお前らぶっ倒そうっていうガンギマリも一緒に相手にするんだ、手に負えねぇよ。

有馬に集中するとなれば他の重賞が安全圏になるんだ、勝負になるならそっちに流れるだろう。むしろこっちの枠ががら空きになりかねんよ」

 

「宝塚の悪夢再来、それは上も絶対に避けたいと思うところですね」

 

「だから上は大喜びだって話だ、宝塚の悪夢を見たくない。その点で言えば瀬名酒造はいわば最高のキープボトル、枠が回れば確実に来る。

それどころかおつりが付くぞ、何しろあいつはダイオー達の地元最強格、あいつらに勝ち星がある初代ライバルだ」

 

「オグリキャップのラストランにマーチトウショウが乗り込んでくるようなもの、インパクトは十分。

しかもあの3頭の得意距離にわざわざ乗り込んでくる、ダートのスプリンターかマイラーのはずなのに。

まるで最期を見届けるために来ているみたいだ、物語性も完璧なわけですね。世論もこれなら見方も甘くなる」

 

「そうだ、たぶんあの人はそんな世間の目も加味してんだ。あの人は確かに人間というモノを分かってる。

しかもシマカゼタービンの血筋がここで生きてくる、あのツインターボの血を引く最後の一頭だぞ。

ツインターボと言えば大逃げと逆噴射だが、あの有馬に惨敗と言えども2回出ている上にナリタブライアンとやり合ってるんだよ」

 

「祖父の忘れ物を取りに来た、祖父に出来なかったことをやりに来た、とも取れるわけですか」

 

確かにこれは競馬ファンならば誰もが好みそうなストーリーだ、これほどまでにできた話になるのはなかなかない。

祖父が取れなかった中央GⅠの有馬記念の頂を取りに来た、クラシック3冠を討ち取りに来た、どちらも為せなかった祖父のために。

祖父と同じ大逃げで、一心不乱の全力疾走を磨き上げてやってきたとなれば、確かにファンからも期待はされる。

 

「出てくることには多少のやっかみはあってもこのストーリーに競馬ファンは酔うだろうよ。

もしかしたらがあると思わずにはいられない、競馬好きなベテラン共ならなおさらな」

 

さしずめツインターボの幻影といったところであろうか、そんな大イベントともなれば中央競馬も逃がす気はないだろう。

それが多少乱暴な蹂躙劇の末に奇跡的に手に入った切符だとしても、それはルール違反でもなければイカサマでもないのだ。

ただ自分たちの強さを勝手に恐れて相手が回避を選択しただけの事、その結果で彼らが偶然有馬記念への切符を手にしてやってくる。

どこにも不正は存在しないし、不思議な縁はあってもそれは単なる偶然、そして運営の定めた規則による出走選定に過ぎない。

ただ運が悪かっただけ、ただ運が良かっただけ、この時代に自分たちがいて大暴れしたから出ることができた一発屋。

でもそんなのがいい勝負してきたらどうだ、きっと面白いに違いない。

大竹は暮れの中山競馬場で自分たちを千切らんとする彼らの後姿を思い浮かべ、武者震いを感じて笑った。

 

 

 

 







あとがき
どうやら皆さんは召喚の儀式を始めるようです、ほんとにどうしてこうなった。
救いはその召喚されるヤツは普通に友好的という事くらいか…
あいつは深淵に住んでいても深淵を覗く者がいたらお茶入れて歓待してお土産持たせて見送りしてくれる。
ちなみにディープはシマカゼほど日本語が堪能ではないので少しは理解できてもすぐ追いつけなくなって宇宙猫してました。

シマカゼ生誕暗黒秘話は実は元からあった設定、こいつの味覚でどうして幼駒を生き延びられたのか。
そりゃ安物とはいえ人間用粉ミルクっていう『覚えのある味』だったから、そして中身の人間は幼駒用と人間用の違いなんて知らない。
なので当時のこいつはごくごく飲んだ、だって中身人間だもの、動物用のミルクなんて初手から難易度高いわ。
これしかない上に搭載ソウルがバグってた体はエマージェンシー状態だったが故に弾けて適応したのです。
だからいろいろ食える、喰えなきゃ死ぬんだこの世界って体が理解してる。
当然ながら当馬は全く気付いてない、茂三も懇意の担当職員が全員騙されてたので気付いてない。
経営陣の反対派は死ななかったことに不思議には思いましたがさらに安値で大金が入ったので忘れ、同じ過ちを繰り返して破滅しました。
しょっ引かれてやっと浮上しましたが過ぎたことで馬は元気なので『幸運』で終わってます。
実際『幸運』でしたね、真っ当な牧場で真っ当な生産者が相手だったらこいつはすぐに死んでたんですから。
当然真っ当な競馬馬主に拾われても同じ、真面な環境じゃポテンシャルは発揮できません。まずい飯で気が滅入る。






おまけ『古びた中津競馬場のキャップ』
ロンシャン競馬場内に設置された資料館に写真と共に展示されている古びたキャップ。
日本語で『中津競馬場』と刺繍がなされており、経年劣化のため内側にタグに書かれていた持ち主の名前はかすれて読めない。
詳しい経緯は不明であるが2006年に歴史的快挙を成し遂げた競走馬の厩務員たちが持っていた古びたアイテムの数々に興味を持った運営幹部が、由来を聞いて感銘を受けたため譲り受けて展示した。
ただの古ぼけたキャップでありながらその雰囲気と由来は、展示されてから多くの騎手や厩務員たちの心を鼓舞する存在となった。



その姿は無様だったかもしれない、その背中はみっともなかったかもしれない。
傷だらけで、錆びついて、草臥れて、老いぼれた。それでも彼らはたどり着いたのだ、彼らは諦めなかったのだ。


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