気儘に生きた転生馬物語   作:イナダ大根

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いつも多くの感想、誤字報告ありがとうございます。





第52話

 

 

 

 

 

そのレースは彼の長い競馬場勤務の中でも異次元の速さと結果による決着だった。

競馬場に勤める一人の係員として、観客席の最前列にて殺到した観客たちの整理を担当していた彼は目の前で行われたレースの結果にただただ圧倒されるしかなかった。

観客たちも同様であり地鳴りのようなどよめきが支配し、普段ならばすぐに行われるアナウンスも流れず、実況者の言葉にならない声を垂れ流すばかりだ。

しかし現実は目の前の結果が如実に表している。第51回有馬記念の勝者は決まった、14番のシマカゼタービンだ。

彼は逃げた、大逃げをかまして最後の最後まで先頭を走り続けてすべてを寄せ付けずに勝利した。圧倒的な、完全な勝利だ。

 

(凄まじい速さの逃げ足、こりゃ大竹さん可哀そうだな)

 

日本中央競馬が誇る名ジョッキーの心の内を推し量った。この大敗は堪えたであろう、あのディープインパクトに乗りながら最後のレースで入着すらできない大敗だ。

しかしきっと彼ならばそれを乗り越えて、自分を負かした馬に乗りたくてうずうずしだすだろうなとのんきに考えていると、頭上を何かが過ぎ去るのを感じた。

なんだろうか?その後を目で追おうとして、額に何かが当たって足元に落ちた。ひり付く額をこすり、それを見やる。

 

「ペットボトル?」

 

それは空っぽのペットボトルだった。よく見る緑茶のラベルが張られ、ついさっきまで飲んでいたのかキャップもついていない。

自制できないどこかのバカが投げたのか、この時代にもまだいるのかこんなやつ、げんなりした彼がそれを拾おうとした瞬間、観客席のほうから大きな男性の声でブーイングがかけられた。

 

「Booo!Boooooo!!」

 

イントネーションからして外国人のそれだ、つまりは向こうのお国柄だろう。ここで大声はそのやめてくれ、馬が怯える。

競馬が何たるか毛ほども理解していない連中だろうな、さらにうんざりした彼が注意しようとゴミをもって顔を上げ、異様な空気に飲まれた。

 

「「「Booooooo!!Booooooooooo!!」」」」

 

「「「「「「Booooooo!!Booooooooooo!!」」」」」」」

 

「「「「「「「「●●●●●●●●!!●●◆▼▲●◆■■●▼!!!」」」」」」」」

 

声が増えていた、音量が上がっていた、そしてそれはさざ波のように広がって、やがて大きな波のように観客席全体から罵声が上がり始めた。

ゴミが飛び、頭上を通り過ぎ、重苦しい落下音が聞こえる。すぐ近くに落ちてきたそれを見る、それは中身入りのペットボトルだった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

≪な、何が起きてッ…!!皆さんいったい何を!!栗本さん、これはいったい!!?≫

 

≪わかりませんが、これはちょっとまずい展開ですよ≫

 

確かにすごいものを見ているな、桜葉はひどく冷めた面持ちでテレビから流される映像に目をやった。

群馬地方テレビのスポーツ特番が流す今年の有馬記念の生放送、競馬のプロ実況者を呼べずに急遽抜擢されたカーレース畑の実況者と解説者を据えた番組はつい先ほどまでまるで現場の空気を感じないままに普段通りの大爆発をかましていた。

生放送のカメラがとらえてそのまま垂れ流す現場のどよめきと言葉にならない実況をモノともせずに、何も知らない鈴村実況の大爆発が鼓膜を揺らし、相方の栗原解説の居酒屋じみた相槌が場違いに響いていた。

群馬では、高崎では、とりわけ芦名ではそれでよかったのかもしれない。少なくともこの実況者とテレビ局員たちはそのレースの勝者の彼をちゃんと見ていた。

 

「やっぱな、やっぱりこうなったか…茂三、お前解ってたくせによくもまぁらしくないことをしたもんだ」

 

おそらくは、この結末は多くのツインターボファンが心の底から願った最高の結末だっただろう。ただのツインターボファンだったらそうだっただろう。

だが茂三はもう違う、茂三は彼らの親だ。騎手である敏則の実の父親であり、シマカゼタービンの育ての親なのだ。

それでも茂三は思いを募らせていた、どうしてもという気持ちを募らせていた。

もしかしたら、常識破りによる称賛を浴びるなんてそんな希望はあっただろう。99%あり得なかったとしても、1%はあっただろう。

けどそんな実際は絶対にそんな事にならない確信もあったに違いない、それは桜葉も確信をもって感じていた。

この有馬記念は例年とまるで違う、どこをどうやっても角が立つ、あまりにも季節はずれに起きてしまった日本による世界競馬の蹂躙劇はそれだけ世界の負の側面も集めていた。

人種差別、格差差別、宗教思想、社会思想、生活理念、生活習慣、どれだけ高尚な人間が人権や平等を口にしようが人間の根底は変わらず決して相いれないものは相いれないし変わらない。

とんでもない人間の負の面を徹底的に煮詰めて封入した超特大のダーティボム、それもただ一つの衝撃で起動するような不安定な代物だ。

 

「お前は本気だったが本気じゃなかったんだろうな、こうなることは解ってた、そうだろ?」

 

きっと茂三も望んでなんかいなかっただろう、子供が命を懸けて喜ぶ親がどこにいるというのか。

彼がやったことはただの代償行為に過ぎなかった、できもしないことをやって想定通りに失敗して自分を納得させるための方便に過ぎなかった。

だがそれは彼の登場を待ち望んでいた者たちへのチャンスでしかなかったのだ。そこにいないのならしょうがない、藪蛇とよく聞く言葉も蛇がいなければどれだけ藪を掃除したって出てこない。

けど本当にいるなら話が別だ、彼らは藪を徹底的に取り除いて彼を出した。藪蛇が出てくることを待ち望んでいる連中がいた、それもこの時代を作り上げた英雄たちの中にごまんといた。英雄は英雄であるべきだと望んだのだ。

 

「お前ならこんな風になるなんて分かってただろうがよ。あいつがマジで取り組むと恐ろしいことになるってことくらい」

 

彼は仕事となれば本気で挑む、それは決して悪い事ではない。現にその気質があってこそ、彼の作る酒は極上の品に仕上がる。

彼の持つそれは一種の職人気質であり、類稀なるプロ根性だ。だからこそ彼の競馬は恐ろしい。

彼にとって競馬とは失敗が許されない戦場だ。そういう場面を何度も見てきたのだ、一度の失敗で命を落とすことだってあるのが競馬だと身をもって知っている。

だからこそ彼は命を懸ける故に本気になる、そこに笑みはなく、感情もなく、ただ目的のために突き進むレーシングマシンがいるだけだ。

面白味もない、面白くもない、ただ強いだけの悪役がすべてを蹂躙していっただけのレースになる。

当然だがそんなレースは観客たちが望んだものではない、だがそれでいい。

 

「バカ野郎、どいつもこいつも馬鹿野郎だ」

 

普段ならば違っただろう、ただの競馬ファンたちやただの一般客が集った有馬記念だったなら大番狂わせで済んだだろう。

しかし今日は違う、この有馬記念は奇しくも全世界から注目される今年の世界競馬の総決算ともいうべき有様であった。

長年海外に挑戦しては悔しい結果になりながらついにその力を示して賞を勝ち取ってきた日本競走馬が、一度破れてもへこたれずホームグラウンドまで追いかけてきて喉笛を嚙み切らんと勝負を仕掛けてきた海外競走馬を迎え撃つ。

根っからの競馬ファンならばどんな国の人間だろうときっと胸の躍る国際競馬の歴史的一戦となるのだ。

そしてその構図は競馬を知らない一般人に対しても分かりやすい歴史的一戦とわかる構図であった。

まさに歴史だ、時代だ、今この時こそが最盛期だと言わんばかりの熱がこの有馬記念には渦巻いていたのだ。

その熱は競馬界だけには収まらず一般世相にまで浸透し、国内競馬を行う各国の一般層さえも日本に呼び込む事態となった。

その中には『ヒールに対して容赦ない罵詈雑言を浴びせることが当たり前な国の観客』も存在した。そして彼らはそのまま、当たり前のように行動した。

それが引き金になった、と桜葉はすぐに感づけた。日本人だってあくまで表に出さないだけで不満は持つ、思い通りにならなかったと苦々しく思いながら押しとどめる。

そもそも競馬を知る人間ならば思いはしても『これも競馬』だと理解できる、それがストッパーとなる。

それはダムみたいなものだ、それは国民性であって強固なダムとなって普段はその心の本流を抑え込んでくれる。

だがそのダムが決壊すればあとはとどまることを知らずにあふれ出す、それが中山競馬場では起きてしまった。それも全世界の観客を巻き込む規模で、ダムの放水弁を破壊するどころかダムそのものを爆撃して破壊する勢いで。

 

≪ここは関係者以外立ち入り禁止です、下がってください!!≫

 

≪うるせぇどけ!!いたぞ!!≫

 

≪Stop!! Camera!!≫

 

≪やり直しだやり直し!!こんなの撮るんじゃねぇ!!≫

 

≪世界に恥晒すな!!≫

 

≪こらッ、ヤメッーーーー≫

 

警備員や係員の制止を無視して力づくで抑え込み、放送席に乱入した一般市民たちが両手をこちらに伸ばしてくる姿を最後にカメラの画面が途切れて消える。

その様子に番組のスタジオは騒然となり、言葉を紡ごうとするスタジオのコメンテーターは顔を青ざめさせ、コメディアンのゲストがいつになく真面目な表情で近場のスタッフを呼び出して何か提案している。

レース実況者と解説者も自前の携帯を受け取って撮影中にもかかわらず情報収集を行い、狼狽えるスタッフに声をかけて場を動かしていた。

 

「まるでゾンビだな。いや、まさにゾンビか」

 

桜葉はふとデスクにしまい込んだ3通の封筒を思い出して、手元で中途半端に書き進めていた書類に最後の一筆を書き込んだ。

それをどこにでもある封筒に収め、デスクの引き出しを開いてそこにある『騎手免許取消申請書』『登録抹消書類』『退会届』の束を手に取った。

 

「こんなものまで用意してきやがって…結局、逃げるが勝ちか。ついでに恨みを向こう側まで持ってくってことかよ、舐めんじゃねぇよ馬鹿野郎が」

 

封筒に重なるように自分の封筒も一緒に差し込む。そしてそれをデスクにしまい込むと、大きくため息をついて天井を見上げた。

 

「もう祭りは終わりだ、後始末の時間だな」

 

「理事長」

 

「始まったか」

 

普段ならばノックをしてから入ってくるはずの職員が息を切らしながら飛び込んでくる様子に桜葉はすぐに察した。

予想していた事態が起きている。まだ20代後半の面影が残る男性職員は手に持った資料を片手に即座に報告を読み上げた。

 

「はい、すでに電話回線はパンク状態です。各部署の固定電話はほぼ通話不能、電話回線は緊急回線に切り替えています。

ファックスもすでに飽和状態、機材負担増加による火災を防ぐため全機使用停止、電源を落としました。

現在は緊急用ファクシミリを稼働。旧規格の秘匿回線を用いて通信開通、変換カプラーを用いて中央競馬とのコンタクトに成功しています。

またアマチュア通信機を用いたモールスによる現場との通信も現在調整中、時期に通信が可能になります」

 

「そうか、ならば予定通りプロトコルAを許可する。覚悟を決める時が来たようだ」

 

「全員呼び出しますか?」

 

この全員とは文字通り『群馬地方競馬に属する職員全て』のことを意味する。どうしようもない、本人ですらどうしようもない事態である以外の職員全員を呼び出す強権の発動を意味する。

それは桜葉自身にも大きな責任が発生し処分は免れない労働の強制に他ならない、たとえ給料の支払いを確約していても人権侵害ともいえることだからだ。

だがそれくらいのことをしなければ、自分たちはこの苦境を乗り越える事はできない。文字通り、全世界を相手に自分たちは仲間のために死力を尽くす。

 

「いいや」

 

だがやらない、意味が無い、それをするのは覚悟のある人間だけで十分だ。前途ある若者に背負わせていい悪夢ではないし、見せてもいい景色でもない。

若者がこれを見れば人間に対しての価値観なんてがらりと変えてしまうだろう、それは困るのだ。

どんな仕事だって次代を担う若者に必要なのは希望と夢とそれを形作るための行動力、地方競馬であってもそれは同じでこれからは地方競馬の盛り返しだ。

そんな彼らに人間の負の極致ともいえるこれを直で見せて経験させるのは酷どころの話ではないし、経験したが故に彼らは人間に対して必ず疑念を抱くようになるのは明白だ。

ここで滅んでもいずれ再起するだろう群馬地方競馬を担う若手にはいらない、そんな経験をするのは飲み込める大人だけで十分だ。

 

「直近で辞める予定がある連中だけ招集に応じることを認める。そうじゃない奴は特別有休と自宅待機、それから依頼退職の手続きも進めろ。

緊急予算A+Pの開帳をここに命ずる、俺の全責任をもってこの予算を職員の退職金に充てて過不足なく分配しろ」

 

「承知しました、地獄の果てまでお供します」

 

「君の子供はまだ小さいだろう、帰れ。退職金は期待しておけ、ボーナスももちろん加算する」

 

「すでに家族は新潟の実家に行かせてますし、覚悟はできています。もう何もできないってのはもう御免なんですよ。

前は逃げるしかなかった、自分は若手で能がある訳でもない落ちこぼれでしたからね。そんなのが今度は自分を拾ってくれた恩義に背いて金を持って逃げる?」

 

職員は鼻で笑った、上司である桜葉の言葉を鼻で笑って睨み返した。

 

「冗談じゃない、そんなの子供に見せたい親の背中ではありません。何がどうあっても命があれば次があるって言いますがね、俺は胸張って子供に向き合える大人で居たいんですよ。

子供に『親父はすごいやつだった』って、ちゃんと自慢させられる親で居たいんですよ」

 

「…そうか、君の古巣は上山だったな」

 

「えぇ、理事長と瀬名の親父さんに拾ってもらったんです。ここで育ててもらったんです、恩義がある、報いる義務もあるでしょう。

だけどね、命を懸ける場所は自分で決める。ここが私の踏ん張りどころです、理事長の命令でもそれは聞くことはできません」

 

彼はそう言葉を終えて桜葉を見つめる。その視線の奥にある固い意志と、遠くから聞こえてくる荒々しいエンジンを吹かす音に被りを振った。

群馬トレセンの内部構造はそれこそもう骨の髄まで刻み込まれているのだ、文字通り音を聞くだけでもわかる。

職員用駐車場に我先にと車で乗り付けて、ドアを開け閉めする音がすればそれはもう確定事項だろう。

どうやら彼以外にも仕事を辞める予定を作った大馬鹿どもがいたようだ。

 

「わかった、許可する。仕事に戻れ」

 

「ありがとうございます」

 

「だがこれだけは言っておく。英雄になろうとするな、仕事をしろ。ヒーローじゃなくてプロフェッショナルの仕事をな」

 

英雄は成れるものではない、英雄を望んだ人間の願望が作り出す都合のいい偶像だ。人々が望み、人々が都合よく感じたから持て囃される。

都合が悪ければ捨てられる、自分勝手に破棄させられる、そういう程度のものでしかない。

だから桜葉はこう考えてもいた。英雄とは死んだモノをネタにして作り上げられる偶像だ、だってその方が都合がいいから求められる。

それは別にいい、死んだ後なら勝手にしろ、少なくとも死んだ本人がとやかく言うことではないしなにか感じることもないだろう。

だから英雄なんてものは生きている間に呼ばれる価値も、成る価値も、ありはしない。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『あー…やっぱこうなったか』

 

傷む体を何とか動かしながら、俺は罵声と怒声を響かせる観客席を見回して溜め息をついた。

全身を全方位から縄で縛り付けて引っ張られてるみたいに痛いってのに容赦ないぜ、まったく。

両手両足と首に縄を括りつけて引っ張って引き裂いて殺す処刑が無かったっけ?あれの全身全方位バージョン。

正直クッソ痛い、もうここで敏則降ろしてぇくらいに痛い。筋肉は痙攣してるし、熱で火照って全く冷める気配がない。

血管はバクバク心臓の鼓動に反応してるの分かるし、心臓は鼓動するたびにキリキリ痛い。

息を吸うたびに肺も痛む、横隔膜を酷使したせいか吸っても吐いても地味に痛い。

両目は酷使しすぎてごろごろして座りが悪い、水分すっ飛んでドライアイ、何度も瞬きしてるけどなかなか治らん。

蹄も血こそ出てねぇが酷使したからボロボロだ、蹄鉄も全部はがれちまった。蹄鉄が芝に埋まって上手く抜けてくれたから良かったよ。

全く以って満身創痍もいいところだ、本当にもう今日は無理、マジで敏則降ろしてぇ…でもそれはルール違反だから我慢する。

まぁ予想はしてたから驚きはねぇよ、むしろ当然の成り行きよな。観客席見てなんとなーく予想できちゃってたかんな。

まぁなんだ、普段からマナーがいい競馬といっても不平不満は感じるわけでしょ?ただそれを表に出さないで秘めてるだけ。

思ってても口に出さない、それはそれこれはこれ、思うようにならなかったけどそれもまた競馬って理解してる、それができてるだけ。

けどね、それができる人間だけがいるわけじゃないし何ならそんな我慢しないタイプだっているわけよ。

アメリカなんかそうだろ?ヒール相手にゃ徹底的にブーイングかますお国柄でそれが当たり前なんよ?それここでやったら導火線にしかならんよねって話だよ。

しかも今日に限っては『そういうお国柄な連中』がこぞって自分から見に来てやがるっていう状態だ。

 

「なんだかなぁ…やっぱりでけぇ大会って違うな、テレビで見た海外レースとおんなじだわ」

 

「ブフブフ」『お前それカーレースチャンネルの話じゃね?』

 

「レースじゃん?」

 

『レースだったわ』

 

ならおんなじか、馬か車の違いだけだ。向こうではよくある話ってのは間違いねぇからな。

これが普通の有馬記念だったら違ったのかね?まぁそういうのよくわからんから比べようもないけども。

しかし今回のは特殊な例だってのは理解できる、なんてーの?根っからの競馬ファンじゃない連中は競馬を見に来てたんじゃねーのよ、たぶん。

あいつら『物語』と『歴史』を見に来てたんじゃないかね、時代の大イベントを映画みたいに見たかったんだろ。

その現場に自分は居て、その歴史を目の当たりにした、自分たちは歴史の語り部だ。そういうステータスが欲しかったんだろうよ。

誰が勝ってもこの有馬は歴史に名前を刻む、外れ枠といえば俺くらいなもんだ、楽に勝てるぼろい勝負だとでも?

でもそうはならんかったな、ディープ達の勝利も海外馬の逆転も、そんなもんはなかった。俺が勝った。

歴史の一ページを刻むヒーローの誰かじゃなくてちんけなチンピラが横から出てきて全員蹴散らしたわけだ。

その上に思ってたもんじゃなかったから余計に荒れておるわけだ、まぁ賭け自体もだいぶ番狂わせしたにちげぇねぇしな。

 

「なんてーか、テレビでさんざんこの手の特集やってんの見てるだろうによくやるよな」

 

『人間なんざそんなもんだ、やらねぇ奴は目立たねぇ。そもそもいないのと同じだよ』

 

そもそもこういう輩はやかましいから目に付く、やらねぇ奴は静かなもんだからそもそも目立たない。

アメリカのことわざだったかな、軋む歯車は油を差して貰える、だったか?意味は違うが状況としちゃそんなもんだろ。

 

「なるほど、暴れねぇから埋没してしまいか」

 

そういうこった、溜め息でちゃうぜ。

 

『それにしても、いざこうして目の当たりにするとなかなか壮観だな。みんな俺たちのことが憎くて憎くてしょうがないって感じだ』

 

紙吹雪の代わりにゴミとか備え付けの何かとかいろんなもんが投げ込まれてやがる、ほとんどこっち迄は来ないけど一部届くやつがあるあたりすげぇ肩してるのがいるみたいだな。

 

「ならギャンブルなんざするなって話なんだよ、だから好きじゃねぇ。自分で賭けて負けりゃ暴れる、まったく」

 

敏則がやれやれと肩を竦めると途端に怨嗟の声が大きくうねる、どうやら癇に障ったらしい。

ぶん投げられるもんが一気に増えた上にこっちまで届くもんがちらほら出てきやがった。

なんかメジャーリーガー級の遠投してる馬鹿いるけど飛んでくるの勿体ねぇな、中身入りコーラのペットボトルとか飲み物多いぞ。

 

「大竹さん、こっちに来ないでください!頼信、てめぇらもだ!」

 

周りを見回した良助が何かに気づいて後ろの方に叫ぶ、後ろを振り返るとふらふらになりながら俺の方に来ようとしているあいつらがいた。

その眼に浮かんでいるのは心配と不安だった、俺を案じている、心配してくれている色だった。それはやめろ、そういうのはやめてくれ。

俺はお前らにそんな目で見られていいやつじゃない。俺はお前たちを殺しにかかった敵だ、敵を心配する馬鹿がどこにいる。

 

『来るんじゃねぇ』

 

一睨みして顔を背けて馬道のほうに歩を進める。お前らだって限界なんだろうが、他人の心配じゃなくて自分の心配してろってんだ。

そもそも狙われているのは俺だ、一緒にいたらあいつらの方が危険だ。

ぶっ倒れそうな体を引きづるように地下馬道に入ると、レース前と違って責任者らしい年配の係員がこっちにやってきた。

 

「敏則さん、こちらへ!そこは危険です!!」

 

「安全な場所なんざどこにもねぇだろ」

 

「シマカゼ号と敏則さんは計量を別室で行います、案内しますのでついてきてください」

 

「上の対策かい?」

 

「もう暴動寸前です、いくつかの関係者エリアはもう占拠されていて、通路の封鎖も破られる可能性が高いと…ん?足音が…」

 

なんだそら、それもう事件じゃねぇの。厩務員に引っ張られながら地下馬道に入ってしばらく歩いて、案内された部屋に入る。

俺は中央のそういうのは初めて見るが、明らかに急ごしらえの機材や計器が置かれて獣医や係員が同席していた。

俺が入ってきたとみるや一気に集中視線。うわ、そんな化け物を見るような目でみんなよお前ら、ただ全力で走っただけだぜこちとら。

とはいえ明らかに馬を見る目じゃないって以外は何かしてくるわけでもないのでとりあえず身を任せる、ちゃんとこれしないと失格になっちまうからな。

 

「おいおい、足音で嫌な予感してたけどマジかよ。全部落鉄してやがるッ…」

 

「嘘だろ、最後は生の蹄で走ったってのか」

 

「気を散らすな、あんな無茶苦茶したんだからむしろ幸運だろうが、手元狂わせんじゃねぇぞ」

 

悪いねぇ、蹄鉄はいつも使ってる普通の奴だったから耐えられなかったみたいなのよ。

特注ってのも考えてたけどね、オーダーメイドだから高すぎて手が出なかったんだよね。

 

「おぅ!なんだここにいたのか、上は大変なことになってるぜ?」

 

「あ、ちょっと!ここは関係者以外立ち入り禁止です!!」

 

「おっと失敬、俺はこいつの馬主だよ。ほら、これ」

 

「親父?なんでここに」

 

「なんでって当たり前だろ、馬主が愛馬をねぎらいに来るのは変なことか?」

 

計量をおとなしく受けてると一張羅のスーツを着崩した親父さんが小走りで部屋に駆け込んできた。

近くにいた厩務員さんに止められるとおどけるように肩を竦めて関係者用のパスを見せる親父さん。

その様子はいたって普通、普段と同じだった。

 

「そうかよ、で?どうだった?」

 

「何が?」

 

「有馬記念のご感想は?」

 

おーそうだそうだ、どうだよ親父さん、俺頑張ってきたぜ。いやはや、きつかった、二度と走りたくねぇよ全く。

ちゃんと勝ってきたんだ、少しくらいご褒美くれてもいいんじゃないかい?

 

「あー…ま、思ってたのとなんか違ったな。とりあえずお疲れ」

 

「おい」『おい』

 

「ははは…」

 

肩の力が抜けるってこういうことだよな、肩透かし食らった感じ。

思ってたのと違ったって何想像しとったんじゃ…まったくもぅ、しょうがないんだからもぅ…よし、とりあえず終わりってことで。

こりゃ家に帰ったらいい飯たっぷり食わせてもらわねばなるまいて、行きつけの居酒屋にでも引っ張り出してやろうかね。

 

「でもまぁ…よくやってくれた、おかげで夢が一つ叶ったよ」

 

あーもぅ、ずるいぜ親父さん。そんな目で言われちゃったらなんも言えないじゃん。

育ての親ゆえの強みっていうのかね、それとも育てられた恩義がある故の弱みっていうのかね、まったくもぅ、まったくもぅ…

 

「ならもうちょっと言い方ってのがあるんじゃねぇのか?もっとこう、めちゃくちゃ感情出すとかよ」

 

「んなことできるタチじゃねぇよ、家に帰ったらうまいもんたらふく食わせてやっから勘弁してくれ」

 

「ほほん?じゃぁ水生にある焼肉食い放題をリクエストも構わねぇよな?」

 

「ヒヒィンッ」『肉、いいねぇ肉!俺は葦名軍鶏のたっぷりフルコースで手を打とうじゃないか』

 

「わーったわーった、お手柔らかに頼むぜ?」

 

言質は取ったぞ、楽しみだなフルコース。葦名軍鶏は芦名特産のでけぇ軍鶏で育ちがいいと人間の大人の背丈くらいになる世界一でかいともいわれてる鶏だ。

これがうまいんだ、でかくてうまい、食えるところが多くて全部うまい、食えないところも出汁にできたりして捨てるところがない。

良いこと尽くめの鶏だが欠点としてとにかく凶悪、普段はただの鶏だがキレるとやばい取扱注意な鶏だ。

でかいしすばしっこい、鶏にしてはだけど強い、これがまぁ本当にね、油断するとやられるの。

過去に何度も生産者や従業員、果ては軍人までぶっ殺してる事例があるくらいにはやばい。けどうまいからね、仕方ないね。

 

「馬主さんですか、ちょうどよかった。異常は見られません、合格です。落鉄していますし、極度の疲労と怪我の兆候が見られますので後で病院に行くことをお勧めします。

ウィナーズサークルや授賞式程度ならば何も問題ありませんので、別室にて待機を―――」

 

「悪いがそいつは無しだぜ、とっくにやられてら」

 

「…なんですって?」

 

親父さんが肩を竦めて言った言葉に係員のおっちゃんが目を見開く。とっくにやられたってどういうこった?爆撃でもされたか?

 

「サークルの中に中身入りの瓶やらボトルやら投げ込まれてな、ヒデー状態で使用不可だ。俺はそいつを伝えに来たのさ」

 

「そんなッ…こんな時にどうしてッ…」

 

「みんなどうしちまったんだ?」

 

「それだけみんな期待してたのさ、歴史的に見れば結構あるぜ似たようなの。ま、今回は悪い方に入っちまったかな?」

 

軽い様子でけらけら笑う親父さん、知ってる限りだとアイルトン・セナのレースで似たようなのあったっけね。

最後の母国レースで負け確になった途端にファンが見るのやめてどんどん帰ってるの。

いくら振るわない結果とはいえ英雄の雄姿を最後まで見ないで帰っちまうんだから薄情なもんだよな。

しかもそれが母国で見れた最後の姿だってんだから皮肉が効いてるぜ。

 

「敏則、タービン、悪いがこのまま帰るぞ。このまま居たら次のレースと引退式が潰されちまう」

 

「休みなしかよ、世知辛いねぇ」

 

『暴れてる馬鹿どもの注目は俺だしな、連中が消えればリカバリーできるってか』

 

「わかってるじゃねぇか、あいつらを引っ張り出すぞ。じゃねぇといろいろアブねぇからな」

 

「なに言ってるんですか?まだ授賞式が済んでませんよ」

 

「ねーよ」

 

だろうな、親父さんがこんなこと言いだすんだからそうなんだろうよ。ほれみろ、中央の人たちぽかんとしていらっしゃる。

 

「上にゃ話は通してる、授賞式やらなんやらは全部無しだ。火に油になるだけで良いことは何一つない」

 

「な!?」

 

「この状態で『俺の勝ちでござい』なんてへらへら前に出てみろ、雪崩打って突っかかってくるぜ」

 

「んなな!?」

 

「レイとトロフィーも馬主席の連中逃がす時に囮に使ったからな、今頃どうなってるやら」

 

「んなななッ!?」

 

顔面蒼白で言葉にならないうめき声をあげる中央の厩務員さん。すまねぇな、俺も同意見だよ。

こんな状態じゃ何やろうが火に油にしかなりゃしないのさ、こういう時こそ大人の対応ってもんが必要だ。

ここから大逆転するとかそんなもんする必要はない、要はうまくやって切り抜けろってこった。

 

「わーった、準備する。俺とタービンは馬運車、親父はハチロクだな?」

 

「おう、目に付きやすい正面のほうから堂々と出るぞ」

 

「わかった、じゃこのままタービンに乗っていくとするかね」

 

「それがいい。タービン、もうひと踏ん張りできるか?」

 

「ヒヒンッ!」『しゃーね、やってみるさ』

 

ほんとならもうふて寝したいくらいだけどね、どうやら現実はそんなこと許しちゃくれないそうだ。

やれやれ、ほんとに仕事となると世の中世知辛いねぇ。

 

「待ってください、いくらなんでもそんなことあっちゃならない。なんとかします、何とかしますから!」

 

おっと、厩務員さんたちが完全に混乱しているぞ。ここのまとめ役っぽいおっさんが親父さんを何とか止めようとしてる。

 

「落ち着けよ、深く考えんな。ただ運が悪かっただけさ」

 

そうだな、そうとしか言えないだろう。深く考える必要はないんだ、原因も結果も、結局根底にあるのはこれだろうよ。

 

「どんな仕事だってそうだ、100%勝てる勝負、なんてのはありはしないぜ?」

 

「どんなに美麗字句を並べようが人間にできるのは99%まで、そうじゃなきゃやらせだな」

 

『100%を語る連中はまず信用ならんさ。大体肝心なところが抜けてるんだよ、だから足を掬われる』

 

最後の1%は運、こればかりはどれだけ努力しようとも埋められるもんじゃないんだ。

そしてその1%にすべてをひっくり返されることだって普通にあり得る、そういう事例は探せばいくつもある。

テストで満点なはずの回答がなかったことになりました、実はテスト問題に不備が見つかりやり直しになったからです、とか。

つい先日合意に至ったショッピングモールの改修計画はなかったことになりました、理由は先日改定された建築基準を該当施設が満たせなかったためです、とか?

うちの会社だって、仕込みは万全で設備も完璧なはずがなぜか落雷を食らって酒がだめになったことあるからな、芦名の雷ってホント不思議なんよ。

やってる本人たちにはどうしようもできないそんなこと、いかに対策しようがあるんだよ。

やればできる、為せば成る、できないってのは噓つきの言葉、社会はみんなこういうの大好きだよな?んじゃてめーがやれ。

さんざん逆なでしてほっぽり出してやらせたら案の定失敗して地獄に落ちた連中は前世でもさんざん見たぜ。

 

「しかし、いや、しかし…!」

 

『心配すんなよ、酔っぱらいの相手は慣れてんだ。うちは酒屋だぜ?』

 

おっさんの頭を顎でポンポン叩きながら落ち着くように促す。おっさんが俺を見返してきたので務めて穏やかに笑ってやった。

大丈夫、これ以上あんたらに迷惑はかけさせやしないよ。

一瞬呆けた表情をしたおっさんを優しく押しのけて、俺や敏則を乗せたまま踏み出す。

その横に親父さんが並んで、俺たちはざわめく厩務員さんや係員さんたちの横を抜けながら廊下に出た。

 

「敏則、ここにいる連中にも声を掛けよう。」

 

「あいよ、派手に凱旋パレードと行くか」

 

『33のあいつに声かけようぜ、絶対来てるだろ』

 

敏則の携帯電話を投げ渡した親父さんは、自分の携帯電話でどこかに掛ける。さて、最後の一踏ん張りと行きますかね。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

記録が流れる、それは誰かが偶然撮影した映像を編集したものだった。

人が溢れる競馬場、かの一大レースが行われた中山競馬場、その競馬場に設置された馬運車用の駐車場とそこに到るまでの車用の小道。

その小道の周囲はすでに多くの人々が集まり、異様な形相で道路のその先に向かって罵声を浴びせ掛け、一つ間違えれば即座に車道に飛び出しかねない雰囲気であった。

それをカラーコーンとトラ柄ロープで何とか抑える警備員たちは、必死の形相で口々に呼びかけるもののそれに意味はなく、警備員が身を呈して両手を広げることでかろうじて人の侵入を抑え込んでいた。

その小道におんぼろの馬運車がやってきて、その暴徒と化した人の前を堂々と、あえて少しゆっくり走らせる。

その運転席には作業服の青年が座っており、馬運車の窓からはしたり顔を栗毛の競走馬が顔を見せたり隠れたりを繰り返す。

それを見つけた群衆は口々に声を上げる、その怒りと感情に任せた表情に車道で警告を発していた警備員は背筋を震わせながらも必死で職務に勤めていた。

その観客たちの姿はさながら暴徒であり、出ていく車に向かって無作為にゴミを投げつけ、罵声を浴びせ掛ける。

視点が切り替わり、馬運車の前に一台の古びたスポーツカーが合流する。スプリンタートレノAE86GT―APEX、白黒のパンダトレノが我が物顔で先導するように馬運車の前を走る。

その姿に観客の勢いは一瞬削がれ、すぐさま再燃してその車にもゴミを投げつけ始める。

まるでかつて国会の前や大学で起きた大規模デモのようなありさまだ、それがただ一頭の競走馬とその持ち主に向けられている。

その競走馬は、その一大レースの勝者であった。けれども彼らを観客たちは認めなかった、そしてこうして追い立てて追い出そうとしている。

その光景は現実の否定そのもの、気に食わないから追い立てて追い出す、そんな子供じみた感情の発露。

しかし誰もがそうではなかった、2台の車が競馬場から車道に出る。片側2車線のただの道路だ。

そしてすぐ、その車列に新たなスポーツカーが加わった。スカイラインGT―R・R33、まるで彼らを迎えに来たとでもいうように我が物顔で馬運車の後ろに並ぶ。

そのスポーツカーは一台ではなかった、シビッククーペEJ1、ワンビア、RX-7FD3C、RX―7FC3D、インプレッサGC8、スカイラインGT―R・R34。

シルビアS13、180SX、ランサーセディア、フェアレディZ・S30、アルテッツァRS200、ポルシェ911。

まるで仲間を迎えにでも来たかのように、その車列は馬運車を先頭にゆったりとその姿を観客たちに見せつけながら車道を行く。

まさかの登場に罵声を上げていた彼らの声が遠のき、投げつけられていたゴミが止む。

高級なスポーツカーが次々と登場し、それに傷をつけた結果を想像したのか。それともそのスポーツカーが見るからに走りに特化した走り屋仕様だったからか。

恨めしそうにその後姿を見つめる観客たちに見送られてその車列は中山競馬場から離れ、大通りに出て加速する。

そして車列はどこかに向かって去っていく、向かう先は解らない。

 

 

 

 






映像が止まる、映像を映していたパソコンのモニター。映像記録を閉じた彼女は、静かに手元の台本を手に取った。


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