気儘に生きた転生馬物語   作:イナダ大根

60 / 113

いつも多くのご感想と誤字報告ありがとうございます。
これにて馬の本編を畳むとしましょう、日本人の業のような世界でも、使いようによっちゃぁ役に立つもんだ。
昔はよく言われたもんだよね『日本人に見つかった結果』とかさ…だよね?今はそんなことないよね?





最終話・エピローグ ☆

 

 

 

 

ディープインパクトはひどく重い眼に辟易しながらぼんやりとする意識の中で不思議な気持ちだった。

酷く長く眠っていたような気がする、重い瞼を開け、しょぼつく両目をゆっくり開き、起き上がりながら周囲を見渡す。

 

(ここはどこだ)

 

ただ広々とした黒い空間があるだけだった、どうして自分はこんなところにいるんだろうか?

昨日は普通に眠ったはずだ。いつも通り仔馬たちの面倒を見て、食事をして、体を洗ってもらって、部屋に戻って寝たはずだった。

いつも通り整えた寝藁に真新しいシーツをかけて、老齢になって冷えやすくなった体に毛布を掛けて寝たはずだった。

それとも自分の勘違いだろうか?記憶がぼんやりとしていてどうにも確信が持てない。

いつも通りだった気もするし、えらく調子に乗っていたレガレイラに小言を言ってやった気もする。

それともアーモンドアイだっただろうか、エフフォーリアの尻を小突いた時か?ジャスタウェイの芦毛語りだったか?

ゴールドシップのおふざけに付き合ってやったんだったか?せっかく外に連れ出してやろうと思ったのに土壇場でやっぱやめたはひどいよな。

思い出はどんどん出てくるが…今日は何年の何月だったか…2025年のどこかだったか?いやもっとか?思い出せない。

 

(わからない、そもそもここはどこなんだ)

 

ここはなんなのだろうか、黒くてどこまでも終わりのない世界、空ではなく地面の星空がきらめき、3条の光がどこからか漂っている。

赤、青、黄色、その光の帯をたどれば、その向こうには光る出口のようなものがあった。後ろを見る、後ろには何もない。

 

(行かなくちゃ)

 

なんだかよくわからないが、何となく漠然とだがそう思い、彼は足を踏み出した。どこに向かってなどという明確な考えはない。

ただ漠然とその光の奥にいかなければいけない、それが当然だと思って歩を進めていた。

何故かそうすると気分がいい、ぼんやりと思考を覆っている何かが晴れていくような気がする。

そこに行く、その先で走ろう、きっとそれがいい。どうしてそれがいいんだ?そこへ行ってどうしたいんだ?

 

(俺は、どうしてそこに行きたいんだ?)

 

走り出しかけていた足が止まる、疑問が生まれたのだ。このまま進むべきなのか、どうしてそこに行きたいのか。

ふと周りを見る、周囲の同族の影があった。みんながその光の先に向かって進んでいく。

本当なら自分もそれに倣うべきなのだろうと思った、そうするのが正しいんだろうとも思った。

でもそれではだめだと何かが囁く、それでは何も変わらないのだと。

自分は何かを変えたいのか?変えるならどうすればいいんだ?わからない、考えられない、思い出せない。

 

(俺は…)

 

ナニカしなければならないのは解っている、ナニカしたいのまでは思い出してきた、だが一体どうしたい?

解らない、あと少しのところまで出かかっている感覚が気持ち悪い、どうすればいい?何が引っ掛かっているのだ?

考えがまとまらなくて苦し紛れに周りを見渡す、真っ暗な世界に同族の影、地面の星空に光の帯、その先のかすかな影。

そのはるか向こう側に山の影が見えた、何の変哲もない山だ、だがそれが自分が行くべき場所を思い出させた。

 

(あっちだ)

 

無意識に惹かれる方向から、多くの同族たちが向かう光の先に向かう道から、闇の向こうの山の影に向かって足を踏み出す。

山にはアレがあるはずだ。彼はいつも言っていた、彼はいつも楽しげに話していた。

思い出してきた、自分が何者で、自分がなんであるか。

 

(俺の行きたい所はあっちだ)

 

ナニカが呼んでいる気がした、そっちではないと呼ばれている気がした。女性の声で『ディープインパクト』と呼ばれた、そんな気がしただけだ。

もう自分を縛るものはないんだ、人間の都合を考えることもない、行きたい所に行っていい。

自分が行くべき場所は自分で決めていいんだ、かつての彼のように。

 

「そうだ、それでいい」

 

ふと聞きなれた人間の声が聞こえて振り返る、一瞬人影が見えた気がした。

自分よりも長く、多くの相棒を得て乗り換えながら競馬の世界を活躍していた相棒の見慣れた影があった気がした。

自分の知る、自分とともにあの時代を駆け抜けて、勝って勝って負けに負けた相棒の姿だった。

 

(あぁ、あいつが言うなら間違いないな)

 

ただの直感が確信に変わる、より力強い意志をもって方向に向かって歩き出す。どれくらい歩いたのか、それも考えずに歩いた。

気付けば周囲の様子が変わっていた、神秘的な黒の世界と光の道ではない。

綺麗な琥珀色の空の世界だった。どこまでも続く夏の夕暮れ、そんな世界の先に山が見える。

周囲から湧き出るように空に舞う青と赤と黄色の光、そしてその空を走る芝の平原に自分は立っている。

空の先に山が見える、道はその山にも続いている。後ろを見た、そこには何もない。

あの黒い世界に続く道はなく、後ろに続く芝の道はなく、ただ琥珀色の空がどこまでも続いている。

空にはいろいろなものがあり、浮いていた。見上げると空の向こうにも見たことのないものが浮かんでいる。

それは船のようだった、人間が作った戦艦のように見える。無数に筒が付いた黒くて大きな乗り物だ。

それは戦車だった、ノルンファングが見せてくれた模型に似ている。T―72という名前だったはずだ。

それは飛行機だった、いつか見た覚えのある大きな飛行機ではない。戦闘機という一人乗りの飛行機に見える。

それは人型のロボットだった、緑色の一つ目の巨人だ。どこかで見た覚えがあるが、なんだっただろうか。

それは一本の刀だった、それが何かは皆目見当がつかない、ただそれは刀だということはわかる。

それは名状しがたいナニカだった、きっと普通に出くわせば心を壊されてしまいそうな言葉にできない造形と威圧感のある姿だった。だが今はそんな気はしない。

それは銃だった、人間の使う武器であり似たようなものを牧場で人間が持っていたのを見た覚えがある。それよりも黒くてカクカクしている。

走っているといろいろなものが浮いているのが見える、近くにも遠くにもぽつりぽつりとあるそれに、不思議と面白みを感じた。

 

(すごい場所だな)

 

それは石像だった、それは本であった、それは偶像であった、それは伝説であった。琥珀色の空には様々なものがあった。

面白い、楽しい、こんな場所初めてだ。まるで人間が行っていた博物館にでも来たみたいだ、歴史がここに凝縮されているみたいだ。

見たこともないものがたくさんあって、見た覚えのあるモノがたくさんあって、足を止めるべきではないとわかってはいてもついつい目で追ってしまう。

次に目を引いたのは人だった、紋付き袴のちょんまげ男だ。どこかで見た覚えのある顔だ、燃える神社で踊っていたような気がする。

その次も人だった、さっきの紋付き袴のちょんまげ男と同じ服を着た黒髪の人間の少女だった。

なんでおんなじ服を着てるんだ?もしかして兄弟なのかな?面白い、人間はやっぱり面白い。

見覚えのある銃とそれを抱く少女の姿があった、黒くて長い銃はノルンファングが持っていたM4A1にそっくりだ。

銃を抱くようにして空を漂う緑のメッシュがアクセントの黒髪ロングヘアの少女、どういうわけか人間ではないと直感がささやいている。

ひと際大きい平たい船の横に浮かんでいるのが見えた、その傍らにいるのは小柄で平たい胴体の赤い服を着た少女だった。

甲板という船の上部分によく見る家がなく平たくなっている変わった船、芝を引いてラチを作れば移動するレース場が作れそうだ。

そのすぐ横で目をつむる少女、船の舳先に似ている変わった帽子を被り、ゆったりとした赤い服と大きな巻物を抱えた彼女は揺蕩っている。

不思議な光景だった、必ずすぐそばに人影がある。

そのどれもが姿形は違っても同じもののように見えた。まるで別の何かに生まれ変わっているような、そんな気がした。

なんだか前にそんなことがあったような気がするが、思い出せない、なんだっただろうか?

そんな不思議な光景を目にしながら、再び足を踏み出す。こんなにいろいろなものがあっても、自分の意識はその先の山に向いていた。

 

(峠は山にある)

 

あの光の道の向こうにはきっと自分が求めていたナニカはあるのだろう、自分の求めたモノがあるのだろう。

取り逃したモノがあるのだろう、取りこぼした願いがあるのだろう、きっと思い描いた理想があるのだろう。

だけどそれがどうした、そんなものは後でいい。そんなものよりももっと優先するべきことが自分にはあるのだ。

 

(峠にはあいつがいる)

 

無数の同族たちの居た世界を抜けて、見たこともない琥珀色の空を越えて、ほんの少し寂しさを覚えながらも自分の定めた方向に走る。

ただ走り、走り、走り、気が付くと周りの世界は見覚えのある街の中だった。

周囲を囲む四角い建物、木製の古びた建物、舗装されたアスファルトの地面、いつか見た大都会とは違う、記憶の奥底にあった景色。

ここは群馬だ、いつか見た群馬トレーニングセンターに行くときに通った街並みだ。

この道を通るたびに心が躍ったのを覚えている。あぁそうだ、いつも彼と会うのを楽しみにしていた。

 

(戻ってきたんだ)

 

走る足に力が満ちる、やっと戻ってきたのだ、思い焦がれながらもついぞ叶わなかった群馬に戻ってこれたのだ。

以前は馬運車で運ばれた道路を直感のままに今度は自分の足で走る、いつのまにか人間のような足になったが不思議と踏み外す事はない。

人間の腕になった前足は使わずに、前傾姿勢を取って本能のままに町中を疾駆し山へと通じるであろう道路を駆け抜ける。

気が付くと自分の体は人間の雌のような姿になっていた、いやそもそもこれが普通だったのだろうか。

自分は牡で、四つ足で、四足歩行だった気がする。でもずっとこうだった気もする、記憶が曖昧だが気にする必要はないだろう。

少なくとも違和感はない、走ることもできる、自分はこのまま走れるのだから問題はない。

周囲を見ると数人の同族の影があった、それはどこかで出会ったような懐かしさのある影たちだった。

すぐ後ろにいる5人の影、その後ろに続く3人、そこからさらにまばらながら続く影。

懐かしい姿だった、どこの誰だったか?そう思い出そうとして、すぐに思い出せなくてやめた。

みんなで同じ場所に向かうのだ、ならば気にする必要はない。なぜかそう思うことに疑問はなかった。

ここにいるみんなが向かう場所は同じなのだと、なぜかそう確信があった。

視線を外して前を向いた途端に影の気配が消える、再び一人になったディープインパクトはもう寂しくはなかった。

街を抜ける、山間の道路を抜ける、田んぼと畑の間を走る田舎道を抜けて、懐かしい群馬競走馬トレーニングセンターの前を通ってその先へ。

その先にあるのは自分が知る大都会とは比べ物にならない田舎町、そしてその先にある山の姿に確信を抱き、胸がときめいた。

街に入る道路の標識に書かれた『芦名』の文字、そして矢印で示された『葦名山』の進行方向。

葦名山、そこに存在する峠道、山の公道こそが彼の最も得意とするコースであり、彼が常々語っていたホームコース。

標識に従って街を駆け抜け、広くもない中心街を抜けて山裾の峠道の入り口へと至った。

想像していたものとはまるで違う、どこにでもある何の変哲もない山への入り口だった。

琥珀色の空が終わり、夜になった空の下で、ディープインパクトはその入り口の前でふと立ち止まる。

これまで走ってきた競馬場とはまるで違う、油と機械そして焦げたゴムのにおいの染みつく走り屋たちの世界がこの先にはある。

完全な未知の世界だ、完全に未知なレースだ。同族ではない、車という機械を操る人間を相手にレースをするのがこの世界だ。

それでも自分は来た、自分の意志でここに来た、ここにずっと来たかったのだ。峠道に向かって足を踏み出す、一歩一歩、確信をもって山道を登る。

上る、上る、群馬スペシャルといわれた群馬競走馬トレーニングセンターの坂路をはるかに超える厳しさを持つ道路をひたすらに上る。

目的さえなければきっとこの厳しさに心折れてしまっていただろう、何も知らなければきっと登ろうとすら思わなかっただろう。

けれどもディープインパクトには理由がある、ここを上る目的がある、何よりここに望んだ彼がいる確信がある。

会いたいのだ、彼に会いたい、どう言葉を掛けるべきかもわからないけれども、彼に会いたいのだ。

上る、今まで走ったことのない不規則な急勾配、競馬ではありえない左右に振られるコーナー、何よりどんな競馬場よりもコンディションの悪い足場。

傷んだアスファルトは思ったよりも不均等で走りづらく、掃除されていないがゆえに枯葉や塵が積もり、薄く伸びた油や溶けて引っ付いたタイヤのゴムが足を滑らせる。

不規則な山風が体を吹き抜け、目の前の道路だというのに目を離した途端にコンディションが変わる。

それでも走る、それでも上る、上り続ける、ただひたすらに上を目指して上って上って上り続けて、不意に後ろから何かに追い越された。

自分の体を通り抜けて、山を全速力で駆け上がっていく半透明な影。

それは車だった、何度も相棒の大竹と見たカーレースの映像で走っていた車の一つだ。白黒の車体、四角でどこか愛嬌のあるスタイル、車種までは解らないが恐ろしく速く、機敏に動くスポーツカー。

彼が生涯をかけて戦い、幾度かの勝利を得た彼の定めた世界の対抗馬、峠の走り屋たちが乗り回した文明の利器。

 

(ハチロク)

 

あの特徴的な形は彼からよく聞いていたものとまるで同じだった。エンジン音をかき鳴らしてぐんぐん加速していくその姿は、まさに格が違うものだった。

ハチロクが見えなくなった道路の先に目をやると、今度はヘッドライトが二つ瞬く。迫ってくる腹に響くようなエンジン音とスキール音。

同じようでどこか違う、まるで兄弟のような白い車体と黄色の車体は、舐めるようなロングドリフトを展開しながら再びディープインパクトを透り抜けて、後ろのコーナーに消えていく。

その技術は見覚えがあった、これこそがシマカゼタービンが得意としたドリフト、そしてインベタグリップなどを筆頭にした攻め込み、彼の技術の本筋なのだ。

それが終わればまた車が上る、そしてまた下る、車が変わり、人が変わり、季節が、空気が、天気が、レースのたびに移り変わる。

変わらないのは時間だけ、季節や天気が移り変わってもずっと夜だ。きっとこれは歴史なのだろうとディープインパクトは感覚的に理解した、

峠を上りながら、途切れなく行われる走り屋たちのレースを見て実感する。

幾度となく峠を上っては下る、無数のスポーツカーたちの終わりのない闘争、その一つ一つがこの峠には染みついている。

それが見せる歴史、その中にある技術、そこに息づいていた走り屋たちの魂、そしてこのレースそのものに魅入られ楽しんだその思い出。

インベタグリップで車体を擦り付けるような攻め込みで滑らかにコーナーを曲がっていく車。

車輪を滑らせて車体を滑らせながら最低限の半径でコーナーを曲がり切るドリフトでそれに追従する車。

コーナーに突っ込むときの鋭さと繊細な立ち回りで機先を制する車、またはコーナーからの立ち上がりでコーナーでの突っ込み下手を挽回する車。

パワー重視のエンジンで直線コースで大馬力を発揮して距離と速度を稼ぐ車、直線での速度ではなくコーナーでのテクニックを重視する車。

そのテクニック一つ一つから感じる感情が手に取るようにわかる、そしてそのテクニックを駆使して操る人間たちの車に対する感情も。

世界が違うのだ。機械の性能はサラブレッドのそれをはるかに超えていて、それを操る人間たちの技術もまた別世界のそれだ。

比べるものではない、本来比べるべきものではない、競馬と峠レースは比べるようなものではないのは解っている。

スポーツカーに競馬はできず、競走馬に峠レースはできない、だからそもそも比べるようなものではない。

けれど、その蓄積されて染みついたテクニックに対する人間たちの感情や、愛する車に対する感情は似通ったものだ。だから分かるのだ、理解できるのだ。

なによりもディープインパクトは知っているのだ。競走馬でありながらこの峠レースを走り、その世界を生きた彼の背中を知っている。

そしてその技術をもって競馬の世界に激震を与え、その力をもって競馬の世界を駆けていたことも。

峠道の先に人影が見えた。

坂を上り切った道の端の駐車場のような場所、上ってくる中で見たことのあるスポーツカーだけでなく様々な車が止まっているスタート地点。

その奥、ガードレールで仕切られた崖際、多くのスポーツカーたちの中を抜けたその先で一人で佇む姿があった。

それは人間の雌のような姿だった、青い髪、見慣れた馬の耳にしっぽ、背中からも分かるほどに大きな胸にくびれた腰。

それは自分が知るシマカゼタービンとは似ても似つかない、あの見た目はまるで普遍的な栗毛の牡馬からは想像できない姿。

けれどシマカゼタービンなのだとディープインパクトにはわかった。どんな姿でも彼は彼だ、姿形は変わっても彼の持つ雰囲気などは変わらない。

 

(居た)

 

足が自然と早くなる、もう限界を超えた足が速くなる。やっとたどり着いたのだ、ひどく遠回りしてしまった、ひどく時間をかけてしまった。

すぐ横に立つ、やっと横に立てた感動と同時に、彼の見ている景色に目を奪われた。

眼下に広がるのは人間の営みの光だった、山間に作られた街の光は大都会には及ばなくともその力強さは変わらない。

キラキラと星々が光る壮大な夜空、鬱蒼としてどこか幻想的な夜の山、そして山間に光る文明の輝き。

峠を吹き抜ける風が森とガソリンの匂いを攫って巻き上げていく、ここが人間の居る世界なのだと実感できた。

 

「すごいな、これ。これが夜の峠なんだ」

 

口から出てきた鳴き声は人間の少女のモノ、もう馬のモノではなかった。だがそれが自分の声なのだという確信もある。

彼は何も反応しなかった。彼の美しい青と赤の双眸は眼下の景色に注がれているばかり。

年端もいかない少女の声なのだ、もしかしたら彼は気づいていないだけなのかもしれない、そう楽観的に思おうとしたができなかった。

すぐそばにいる、すぐ横にいる、なのに彼は何も反応を示さないのだ。誰かが来たと感じているそぶりすら見せないのはあまりにもおかしかった。

 

「タービン?」

 

思わず手を伸ばしてようやく気が付いた。伸ばしたその手はすでに霞んで透き通っている。

彼に向かって伸ばした自分のそれは赤青緑の光の粒子を纏い、それが解け、徐々に透き通って消えていく。自分という存在が希薄になっていく。

そういうことか、遅まきながらに気づいた。自分はこの世界にはいないのだ、彼の隣に自分は居ないのだ。

ここは人間の居る世界なのだから、走り屋の世界なのだから、競走馬の自分は本来いる場所ではないのだ。

彼がここにいられる理由は簡単だ、彼は競走馬であったが本質は走り屋だった。だから彼は峠にいるのが当たり前なのだ。

 

(まだ届かない、俺ではまだ届かない)

 

彼が夜景に背を向けてその視線を道路に向け、ガードレールを離れて道路に向かって歩いていく。

その先にいたのは馬ではなく車だった、白黒のどこか古びたスポーツカー、彼の口から何度も聞いたハチロクがそこにある。

あの車こそがシマカゼタービンが目指した頂点、あの車の主こそがシマカゼタービンが憧れた極地、峠の走り屋となった彼の原点。

既にエンジンがかけられ、運転席には人影があり、すぐ横に誰かが来るのを待っている。そう、彼が位置に付くのを待っているのだ。

歯を食いしばる、胸が引き裂かれるようだ。舞い上がって勘違いしていた自分がはなはだ恥ずかしい、だが認めなくてはならない。

自分は届かなかった、届くことができなかった。自分のせいだ、自分の力不足のせいだ、自分の理解不足のせいだ、自分が間違えたせいだ。

今はまだ駄目なのだろう、今はまだ届かないのだろう。ならどうするべきかは明白だ、次こそたどり着いてみせる、それだけだ。

次がだめなら次の次に、それでもだめならまた次に、どれだけ失敗したって絶対に峠を越えてあの場所にたどり着いてみせる。

何度負けようとも、何度挫けようとも、何度だって立ち上がる。地べたを這いずって、のたうち回っても、彼女の隣に立ってみせる。

薄れていく体で踏み出す。彼女の背中を追い、自分も峠に向かう。ここを走るのだ、走り屋である彼女のように。

 

(諦めない、絶対に追いついてみせる、だって私はあなたの親友なんだから)

 

私は走り続ける。たとえどれだけ失敗して、どれだけ苦汁を舐めようと、何度だって走り続けよう。

その頂を越えてふさわしい自分になるために、胸を張ってその横に立つ対等なライバルになるために。

 

 

 






あとがき
どこまでも走り続けよう、3女神の祝福を受けて、虹の橋の先を越えて。いつまでも、何度でも。


おまけ1・ディープインパクトが見た背中

【挿絵表示】








おまけ2・作者の戯言
ちなみに最後のシーンにUMA娘の横に人影があるという構想もありました。
養父がいて、養母がいて、兄がいて、上司がいて、部下がいて、仲間がいる。
背景がいろいろ重なって、教師、指揮官、眼帯の厳つい男、金髪のお嬢様、どこにでもいる青年など偏在している。
孤独ではないけれどもその中に『ウマ娘』あるいは『トレーナー』の姿は一つもない。
さすがにやりすぎだし曇らせがひどいんでやめました。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。