そういえば。
「――ふむ」
自分とレーナの関係は、世に言う恋人同士なのではないかと。
「つまりそういうことか……?」
シンは、今更ながらに気付いた。
「で、どう思う、ライデン」
ライデンの持つスプーンを動かす手が止まる。なんと声を掛けようか思案するライデンを見て、何かを間違えたという事だけをシンは悟る。
「いや、あのさぁ、あのなぁ……」
心底うんざりしたような溜め息を、今更だとでもいうようにライデンはついた。
「それ、俺が何か言うべきことあるか?」
「まぁ、ライデンなら何かアドバイスくれるんじゃないかと思って」
「ねーよ。本当に今更、お前は俺に何を期待してるんだ」
「……話のタネ程度、には……?」
「それならそれでいいが、そしたら多分お前ら二人が出歩く時は呼んでもいないお供が後ろからぞろぞろと着いてくるぞ」
まぁ、それ自体は今更なのだが、シンもレーナも気付いてないなら知らせることもないと思い、ライデンはその続きを口にするのをやめる。
ふとシンが食堂を見渡すと、見知った、だけど今日は別々に食事をとっているグループの内の何組が明らかに聞き耳を立てていた。少しだけ血赤の双眸を細めると、慌てて取り繕ったかのように食事に戻る――。
「いや、内容自体は今更だから、もう諦めろ」
――振りをしている。
今度はシンが溜め息をつく番だった。一番気にしなければいけないものは作戦中の敵の行動と疑ってかからないシンにとって、少なくとも自分の生死に関わるもの以外のことがそこまで気になるものなのだろうか。ダスティンとアンジュのような他のエイティシックスの面々を気にするならいざ知らず、連邦軍人がエイティシックスのことを気にするなんて。
「人の恋路って、そんなに面白いもんなのかな」
「お前が関心ないだけだろ。散々86区でもあっただろうに」
というより、そうでなければ、散々好意を向けてたクレナが報われない。ずっとアンジュの近くにいたダイヤが召されない。
ライデンだって人よりかはそういうのには関心がないという自覚があったが、それでもかつてのシンよりは恐らくましだ。セオは――女子の水浴びをダイヤやハルトと覗きに行ってたし、流石にシンよりかはその辺りましなのだろうけど。
そこまで考えて、ふと、自身が知らない感情のことをライデンは考えた。クレナがずっとシンに抱えていた感情の事。ダスティンとアンジュがいつか叶えたい想いの事。いつかライデン自身が誰かに抱くかもしれない想いの事。
勿論、それについての答えが今出るわけではない。各位のことは各位で結論を出す。そしてそれはライデンにも当てはまることだ。そもそも、今は抱えてない何かについて、今ライデンが悩む義理は全くない。
でも、それならそれで、目の前に座る相棒がその内何かしらの答えを出してくれるだろう。とはいえ、それは恐らく最適解ではないだろうから、その時が来たらそれを反面教師にでもすればいい。
「――何か失礼なこと考えてたように見えるんだけど」
「気のせいだろ」
こうも付き合いが長いと、悟られないようにするのも大変だと、ライデンは内心苦笑する。これで相手がクレナやアンジュやフレデリカだったら、きっとシンは針の筵になるだろうとも。
そもそも、ここ数ヶ月の無自覚お惚気ムーヴを考えると、未だにシンの思考がこの程度で、尚且つ無自覚にライデンにこういう相談を持ち掛ける時点で。未だまだ冗談で済ませられる内に。
「まぁ、それ以上続けるといい加減怒るからな?」
「――すまない」
シンが食堂を出ると、これから食事というレーナとばったり会って、少しだけ数日間の予定を確認して。じゃぁ明日デートぐらいしようか、という話にまずはなって。どうせだから二人で行きたい場所を考えようか、という話になった。
そこまではよかったのだけれど。
「さて、さっきまでのライデンとの話を聞く限り、何か指導してやらないと行けないように思ったわけですが」
どうして、その現場を、クレナに抑えられているのだろうと、シンが独り言ちる。さっきの食堂にクレナはいなかったはずなのだが、誰かが知覚同調でもしていたのだろうか。
「……クレナが気にする話でもないと思うんだが」
「気にするよ! シンがそんなんじゃおちおち嫁にも出せません!」
「お前は俺のなんなんだ……」
「うーん、初恋の人?」
それを真顔でクレナに言われて、がっくりとシンの力が抜ける心地がする。下手に引きずってないだけいいのかもしれないけれど、だからと言って茶化しに使われてはシンの身も持たない。
「それで、デートの時の服装は何か考えてるの?」
「前回レーナと出かけた時の服装でもと」
「駄目だよそれじゃぁ! もうだいぶ寒くなってるのに、初冬の服装、シンはまともに持ってないでしょ!?」
確かに昨年の今頃は連邦に保護されて、だけどまだ外には出られていなかった頃だ。そして86区にいる頃はまともな私服なんてものもなかった。連邦に来て私服なるものを持つ機会も出たけれど、だけどまだ一年経ったわけでもない。
ましてや、お互いに想いを伝えた上での初めてのお出かけなのだ。つまりは世の男女が羨む初デートなわけで、つまりそれはとびきりおめかししても全くばちは当たらない。
「だけど、シンは今ぐらいに着るようなおめかしするような服を持ってないでしょ」
「軍服か病院服か、そんなものしかないな」
「だけど服を買いに行くにしても、シン以外の男子で助言を頼めそうな相手は少ないし、女子に付き合ってもらうのは論外だ」
「やはりレーナにまずは見てもらいたいというのはあるし、それにレーナ以外の誰かに真っ先に見られたくはない」
「――どうせなら一緒に買いに行くのをデート内容にしてしまえば? そうすれば絶対におめかしの格好、他の人に真っ先に見られることもないでしょ」
あぁ、とシンがぽんと手を打つ。確かに、それなら無理に慣れない買い物に神経を擦り減らす必要もない。
気付けば、秋は深まるどころか、気付けばもうすぐ一面を白く染める季節が間近に迫っていた。先日ひと月ばかし戦闘のために滞在していた、灰に覆われた白とは違う、触れると冷たい雪と氷の季節。
そんな季節に合うような服装は、果たして案外難しい。だからこそ、クレナの提案は、シンにとっても渡りに船だった。服なんて殆ど決まったものしか着る機会がないから、どうせならその辺りの嗜みがあるレーナに見てもらえばいい。
ただ、それならそれで、予めレーナと入る店を決めておいた方がいいだろう。だけど生憎、丁度いい店をシンは知らなかった。
「――どこだったかな」
そんな思索に入ったシンの考えを敢えて中断させるかのように、クレナが少し大きめに声を出す。
「私が服を自分で選ぶようになって、たまたま今着てたのをショーウィンドウを鏡代わりにして確認してた店があったんだけど。そこがいいんじゃない?」
「入った店じゃないのか」
「いやぁ、その店、定員さんにグッドの親指立ててもらってたのは知ってるんだけど、だけどそれがどうにも恥ずかしくて、中々そこで買える機会ってのを失っちゃってたのよね。だから、紹介がてら、場繋ぎじゃないけど、行ってくるといいんじゃないかなって」
「つまりクレナの行けてない罪悪感を滅ぼすために行って来いと?」
「――正直そうですごめんなさい」
「いや、服屋の情報なんてそう多いわけじゃないから、そんな理由があったとしても助かるもんは助かるからいいんだが」
「ほんと!?」
「でもその理由はそもそも口にするなよ、悪い意味で素直すぎる」
「はぁい」
反省してないな、とシンは思った。だけど情報を教えてもらった手前、クレナに強く言うことが出来ない。
「まぁそれはそれとして、どうせレーナも手探りなんだろうから、無理に合わせるんじゃなくて、一緒に好きなのを決めてきなよ、と私は思うけどな」
「レーナはそこそこにそういう服の造詣が深いとは聞いてるけど」
「でも、シンがどういうのが好きかは知らないというかそんなにわかってないだろうから、シンの好みを伝えながら選べばいいんじゃないかな」
「好みといってもなぁ……」
ふと、喪のような黒い軍服をシンは思い出した。正直、あれはレーナには似合わない。黒が似合わないわけではないとは思うのだけれど、それよりかはパステルカラーのような明るい色彩がきっと似合う。共和国軍服がどちらかというと深めの青を基調としたものだからこそ、私服の時は明るい色の方がいいだろう。
「折角だからそこを使うか。どこにあるんだ?」
「えっとね――」
クレナ曰く、服屋はここからそう遠いわけではないらしい。だったら、そこだけ先に行って、そこで着替えたら、今着ている軍服を置きに戻って、そこから改めて街に繰り出してもいいだろう。
「助かる。お陰で予定が決まった。これで行かせてもらう」
ふぅと、少しのため息がシンから漏れる。本当は最初から最後までエスコートすべきなのかもしれないけれど、恐らくそこまでの余裕もないだろうから、まずは当日歩調を合わせるところから。
すると、突然クレナが鼻をふふんと鳴らした。
「まぁ、シンの好みは私の方が知ってるんだからね。でもレーナには教えてあーげない」
「俺、クレナに何かそんな好みの話、した覚えあったか?」
「いや?」
そのままクレナが舌をべーと出す。そういうところが子供っぽいと言われる所以なのだと、クレナは未だに気付かない。だけど、相手を想う気持ちだけは人一倍で。
「その内私より長い時間を過ごすことを目的とした相手への、今だけの優越感に浸りたいだけ、かな」
――見てくださいシン! あそこのワンちゃん可愛いですね!
――そうだな、確かにレーナ好みっぽい犬ですね。
――ちなみに、ぱっと見だったらどんな名前を付けますか?
――そうですね……タロか、ジロ?
――それどこかの極地に置き去りにされてませんか!? あとさっきの子、どう見ても樺太犬ではないじゃないですか!
――俺の名付け方には既に前にも呆れられてるでしょうに……レーナだったらどういう名前を?
――うーん、テリア犬っぽかったですし……ボブとか?
――飼い主が死んでる時点であなたも大概じゃないですか……。
「――で、考えることはやっぱ一緒なのな」
「だってねぇ。あの二人のこと考えるとねぇ? 絶対手繋いだだけで顔真っ赤にして今日はここまで進展しました! ってその後レーナがドヤってくるでしょ」
「あー、容易に想像つくわ……」
レギオン相手にはやり慣れている隠密行動をこうもするのも、地味に久々かもしれない。だけど相手は正直下手なレギオンよりやりづらいからこそ、訓練の一環だと思い込んでライデンは今の行動を正当化する。
ギリギリシンとレーナの会話が聞こえるぐらいの、だけどなんとか常に死角を確保できるポイントにいながら、一方でクレナは先程の二人の会話を反芻する。シンが濫読家なのは知ってるけど、それに話が合わせられるレーナも大概だ。クレナにはあの会話の元ネタが全くわからなかった。
ちなみに見つかったらただじゃ済まない。レギオン相手なら撃破すればいいかもしれないが、こっちは撃破するわけにはいかず、且つ逃げ道もなく何らかの形で蹂躙されるという未来が待っている。
それにしても、ライデンとクレナが考えていた以上に二人の関係は進展していた。
「あっれ!? もう手繋いでる!?」
「ありゃぁ、鮮血の女王の名前も形無しだわな」
「レーナは寧ろそれでいいでしょ。それならシンだって振り回される死神ってことになって形無しじゃない、こっちも」
ライデンとクレナの視線の先では、レーナが機嫌がいい犬の尻尾のようにぶんぶんと手を振っていて、呼応するかのようにレーナのアホ毛がひょこひょこと忙しなく動き回る。そして半周遅れるかのようにしてシンの腕が振り回されていた。
それにしても、あれだと下手するとその内シンの肩が脱臼しそうに見えて少し不安だ。シンのことだからこの程度ぐらいはとは思いはするも、だけど意図せず振り回されるような状況では不意打ち的にそうなってしまってもおかしくはない。
さて、どうしようか。そうライデンが考え込むのを見て、だからお母さんと呼ばれるんだよと、内心クレナは思う。
「おっ! まさかレーナの方から腕を組むか!」
「あひゃー、ありゃ意外だねぇ。というかシン顔真っ赤じゃない? 耳が赤いのこっちも見えるぐらいなんだけど」
「シンであれかぁ……いやレーナが赤くなってる方がよっぽど目立つけど」
ともあれ、展開ペースが早くて追いつかない。クレナは少しの動きできゃーきゃー言うし、ライデンはライデンで息子の成長を見守る母親の視線のそれだ。
だけど、つまり、それは傍から見ていても割と騒がしいそれであるということで。
「――っ、まずいクレナ、一旦下がれ!」
「え? お、おあわわわっ!?」
瞬間、不可視の即死する弾道が見えた気がした。物理的にじゃないけど、恐らく死ぬのは信頼だとかのそれだ。
手鏡で、こっそり二人の方を反射で確認する。果たして、じっとシンがこっちの方を向いて血赤の目を細めていた。ライデンがデートの日付を別日だという嘘情報を流したから、二人以外にこっそり後を付けているのはいない。他に誰かいれば、現時点でシンのあの視線に殺されていただろう。一番押さえつけるのが大変なフレデリカがこの場にいなくてよかったと、ライデンはほっと一息をつく。
「こりゃ、もう下がった方がいいかな」
「あれ、ここで終わり?」
「たりめぇだ。これ以上無粋なこと出来るか。というかそれこそ今のクレナをこれ以上連れ回せるか」
「それさっきから『そういう視線』を向けてるライデンには言われたくないんですけどー」
「お、俺はあれだ、俺含めずっとシンには迷惑かけてたし、副長として見守る役回りがだな」
「言い訳になってなーい」
やっぱり、ずっと好きだった相手には、幸せになってほしいから。どうせなら、その図はずっと見続けていたい。
そう思って改めてクレナが視線を前に向けると、だけどその先にはレーナ一人しかいなかった。
「――あれ、そういやシンは?」
「あれ、そういえば見当たら――やっべ、違う、察知されてる!」
ダッシュで近くの建物の勝手口の扉を開けて隠れる。一歩遅れて、気のせいだったか、という呟きがライデンの耳に入った。
足音なんて全くもってしないから、扉の先にまだいるかどうかもわからない。開けてシンがいれば詰みだし、いないならどの道尾行はこれ以上出来ない。
「こりゃ無理だな、しゃーない、撤退するしかねぇな」
「あれー、諦めちゃうんだ。だったら私一人で頑張って追おうかなぁ」
「じゃぁ逆にクレナに聞くが」
「――何?」
「ここで撤退してこれまで通りに戻るのと、冒進してシンに見つかって今後一切口聞いてくれなくなるのだったらどっちがいい」
「ひっ……!」
どうせいなかったとして探す手間がかかるんだ、そんな苦労をしても得られるものは少ない。
「それに、クレナの言う通りのプランだとするなら、二人共一旦戻ってくるんだろ? だったらその時に散々っぱらいじり倒してやろうぜ」
「それもそっかー……。じゃぁ戻ってみんなに伝えなきゃね」
どうせなら巻き込んでしまえ。それが、いつかの86区での光景だった。なら、その幸せを、他方では邪魔して、他方では盛大に祝うのは、流儀の一つとしては正しいだろう。
まずはこの場にいないセオだろうか。アンジュとダスティンは寧ろパイ投げを投げられる側だから別方向で巻き込むとして、シデンは……寧ろレーナにばかり被害が行きそうだ。とりあえずはアネットがいれば双方に被害が行くか、丁度いい。フレデリカは……気付けば混ざってるだろう。
多分それこそが、戦時下での一つの平和の象徴にもなるだろうから。こういう時に盛大にいじってやろうと、ライデンとクレナは固く誓う。それは簡単に出来ることで、そして簡単にみんなで楽しめることだった。
だけど、当座の問題は。
「さて、開けるぞ……」
「お願い……いないで……いややっぱりいて……」
猫箱に押し込められたライデンとクレナが無事に生還出来るか、に尽きてしまうのだった。