家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
1
「愛した相手を貪り食わずにいられない性か、報われないな」
半壊した村落の奥地、まるで大型の竜巻でも過ぎ去ったかのような惨状。そんな村の中心、噴水が中央に存在する広場にて、月明りに照らされた一人の少女に声をかける。
ロングのスカートに安物の上着、古い鹿革のジャケットを着たのは十代半ばの村娘だった。まだ幼さが残る顔には鮮血。口の端から腸を垂らしこちらに振り向いた勢いで新鮮な血液と共に壁に叩きつけられる。
熱を帯びた視線が冷たさを帯びた、と変化を感じた瞬間後ろに飛びのく。少女の身体が夜空に舞い上がり月を陰らせた瞬間、巨大な質量の拳が先程まで自分がいた場所に叩きつけられた。当たれば確定でミンチになる一撃、村落の自警団や狩人程度では相手にならないのがよく分かる。
ここに至るまで、胴体や頭蓋を潰された死体が幾つあったか。数えるのも億劫になる程だった。
着地した少女の身体は、飛び上がってから着地するまでに変貌をとげていた。大柄の男性の三倍程ありそうな巨体は白く柔らかな体毛をまとっており、両腕や足もそれ相応の巨大さに変貌を遂げている。指先からは短剣のごとく鋭い五本の鈎爪。まるで大柄な狼男…この場合は狼女か。原種よりも遥かに巨大だ。
視線からは殺意。目の前に現れた邪魔者、いや邪魔者だと思われていればまだいい方か。目の前に現れた鬱陶しい羽虫を払うことになんの躊躇も持たないような瞳をしている。
そうだろうな。今のお前は成人男性一人ミンチにすることくらいなんの苦もなければ労もない、そのうえ躊躇も罪悪感すらないだろう。ちょこまかと動き回る標的に向け、右腕を無造作に振り払う。全力で飛びずさりギリギリで回避する。潰しにくいのに周囲を飛び回る羽虫は、苛立たしいだろう?とは考えるものの当たれば一撃死、飛び回る羽虫だって命がけだ。
幾度かの命の危機を伴う攻撃を回避した後、片手で潰すのは面倒だと考えたのか、右腕で握りこぶしを作り左手の爪を動かして挟み撃ちの構えをとる。ここまで恥も外聞もなく全力で後方に下がっていたがここで急反転。前にのめりこむように全力で疾走。左右から挟まれる攻撃をかいくぐり腰のホルスターから武器を引き抜いた。
ストックを切り落とした、二発の弾丸が入る中折れ式散弾銃。踵が地面をこすり仰向けに倒れ込むように滑り込んで銃撃、二発の散弾が柔らかな皮膚に無数の穴を開け皮膚をズタズタに引き裂いていく。
銃身を折り、空薬莢を排出して新たな弾丸を装填。再度腹部に鉛玉を叩きこもうとした瞬間、こちらを覗き込む憎悪の目と視線が交錯した。
極大の悪寒。追撃を諦め横方向に転がった刹那、先程まで自分がいた場所に巨大な顎と鋭い牙が襲いかかっていた。立ち上がる間もなく、そのまま転がり続ける。だが牙の追撃はそれよりも僅かに早い。戦闘用外套に牙が食い込み身体が止まる。顎はそのまま身体を持ち上げ、大きく頭を振り持ち上げた身体を振り回した。
「やっ…!」
やばい、と思う間もなく振り回された身体は木材と石材でできた廃墟に直撃、木端に廃材を砕きながらそれでも留まらず、上から下へと振り回す方向を変えて赤レンガで作られた屋根に背中から叩きつけられそのまま貫通し地面に叩きつけられた。
血反吐が口内から溢れる。臭いに興奮したのか振り回しが激しくなり、外套が千切れて吹き飛び、多数のテーブルとカウンター席が見える元は料理店か酒屋と思われる店舗に頭から突っ込んだ。
そのまま追撃をしようと迫る巨体が停止。濁った視線は店の看板、『ロンド食堂』という文字を見たまま硬直していた。
『グッアアアアァアアアぁあああああああ!』
獣の咆哮が人の嘆きの声に変化する。ボコボコという音と共に巨大な獣はいつの間にか一人の少女に姿を戻していた。先程散弾銃により腹部に傷を負っていたが、それでも少女はそれを気にすることなく頭をかきむしり月に向かって咆哮を続ける。
少女は狩人であった。妻を早くに無くした不器用な父が、これしか伝えられる物が無くてすまんと今際に謝罪してきた、狩りの技術。
機織り、料理、家事の代わりに得物を追い詰める知識、猟銃の使い方、皮なめしや血抜きの方法などを教わった少女は村の変わり者ではあった。狩人の技等女性がすべきものではないという偏見は、村民はもとより同じ狩人達からも忌々しく思われていた。父の凄腕を、才能と努力でそのまま受け継いでいればなおさらだ。
だが少女が狩りとった質の良い肉を好んで仕入れていた男がいた。
優男だ。半日山を歩き回れば、疲弊で動けなくなってしまうようなか弱い男。しかし彼の作る料理は味がよく繊細で女性にも食べやすく健康にいい。そんな料理ばかりかと思えば豪快な職人連中が好むような酒と共によく食べる大味な肉料理まで作ってしまう。
そんな彼は、常連客に遠回りではあるが少女から肉を卸すことに反対されていた。みんなここの食堂が好きではあるが、それでも口にださないだけで狩人達を中心に快く思ってないものが何人もいると。あんな肉は、余所者向けに販売されるものでここにはふさわしくないと。だがしかし彼は、それを拒否をした。
彼女のお父さんの技術を、ボクの師匠は血抜きから加工の処理まで高く評価していた。彼女もそれを継いでいる。ボクの料理には欠かせない。
そんな話を偶然聞いてしまってから、少女は意識をしてしまった。会う機会があれば、今まで気にしたこともないお洒落を意識し都会で流行しているという動きにくいことこのうえないロングのスカートまでわざわざ行商人から買い付けて着替えていったものだ。
彼に好きとは言えなかった。男の領域に足を踏み入れ成果をだす自分がいかに、村の調和を乱した面倒な存在であると自覚していたからだ。そんな自分が告白すれば彼を困らせてしまう。
だから、彼が少女の技術を便りそんな彼の役に立つだけで、それだけで幸せであった。だがしかし…
「おい、まだ変身は解くな」
男の声に、少女は、怪物は、食堂の奥を睨みつける。戦闘用の外套に身を包み、全身から血を流す男が瓦礫の中から現れる。普通は死んでいてもおかしくない程の衝撃を与えたにも関わらずだ。
少女はまたボコボコと肉を変化させ、骨を太く、顔を異形へと変える。男はそんな様子を見ながら、腰にぶら下げた棒と呼んでも差し支えないような古くボロボロなかろうじて剣に見えなくもないなにかを引き抜いた。男は剣のようなものに嫌悪感混じりではあるが、ある種の期待を込めた眼差しを向けるが、怪物はそれがなにを意味しているのか分からなかった。あんな武器ですらないようなものになにを期待するのか。
「……この期に及んでだんまりかよ!」
男が悪づく。狭い建物の奥に逃げ込むが、たかだか木材の壁なぞ怪物にとっては意味がない。
食器が納められた棚ごと剛腕と鈎爪は壁を破壊する、カウンターに足を乗せ粉々に破砕し逃げ込んだ得物を追い込むように前進。親しんだ店内を破砕することに後悔を感じることなく、獣としての本能と狩人として負傷し追い込んだ得物を仕留めることとに思考が支配されていた。
食堂の奥、調理場に顔を突き入れた瞬間右目に激痛。なにかが刺さったような感覚に、のけぞり飛びのく。
男が調理場から飛びだし接近、散弾銃を構え放たれる二発の銃声。腕を交差させ衝撃を防ぐが、その腕になにやら紐のようなものが巻き付いた。そう感じた瞬間、両の腕が切断。断面から鮮血が飛び散り広場中央の噴水を赤く汚す。
男が手にもつのは汚らしい鉄の棒、ではなかった。まるで生物のように浮遊する分裂した刃を血菅のようなものが繋ぎ結合している。血菅が脈打ち分裂した刃が血だまりに飛びつき、刃に付着した血液が吸収するように吸い込まれていった。
男は苦々しいものを見るように刃を見ていた。よくみると首筋に切り傷がついておりドクドクと血を流していた。
男は前進する、引きずられるようにして刃が血から離れたがらなそうにしていたが、柄を一振りすることで連結された刃が宙に浮き無防備な胴体に叩きつけられる。丸太のような足でカウンターの蹴りが繰り出されるが、前に腹部から飛び込み地面に這いつくばることでそれを回避。
前転をしながら立ち上がり連結刃の柄を宙に放り装弾。怪物が振り向く前に膝に向け後ろ側から引き金を引いて二発の散弾を叩きこむ。筋繊維と筋肉をズタズタに鉛が引き裂き、怪物が前のめりに倒れこむ。
宙に投げられた連結刃が蛇のように空を泳ぎ、自我があるように倒れ込んだ怪物の身体を斬り刻む。まるで戦っているというより傷をつけることを楽しんでいるような、そんな感情があるかのような動きだった。
「クソ!勝手に動くなこの野郎!」
男が慌てたように連結刃の柄を掴み、無理矢理制御を奪い切っ先を地面に叩きつける。血の蒸気を放ちながら、刃は不承不承とでも言いたげに脈打ちながらも、徐々にその脈動を収めていき一本の棒に戻る。
男は隙を見せていた、もはや両腕もなく脚も破壊されたが、その破壊された足に最後の力を振り絞り身体を男に向ける。牙をもって男の胴体を寸断しようとするが、迫る額に銃口が付きつけられた。
いつの間に装弾していたのか、一発の銃声が怪物の頭脳を半分吹き飛ばす。怪物の力と姿をもってしても、致命の一撃。膨れあがった筋肉は収縮し、骨格が人のものへと戻り、柔毛が抜け落ちていく。死に行く獣は少女の姿へと戻っていった。
死にゆく少女の脳裏に浮かぶのは、最後の記憶。
今日は新鮮な鹿肉を卸す為、彼の店へと向かう。村の中央部、噴水の近くにある彼の店の前には見慣れぬ馬車が一台止まっていた。周囲の村人は困惑と興味の視線を、こんな村落には似つかわしくない華美な装飾をほどこされた馬車に目を向けている。
店の中に入るのを躊躇してしまうが、意を決して店内へと歩を進めた。彼が食材を待っているのだ、足をとどめる理由はない。
「あら」
村ではみない清潔感と派手ではないが、気品を感じるようないで立ちのドレスを着た女性は、こちらを見てまるで臭い物でも見たかのように扇で口元を隠した。それは不快ではあるが、いちいちつっかかるのも彼の迷惑となるだろうからグッと飲み込む。
「では、私はこれで。貴方の為に席を開けて待っておりますわね。これは契約の前金ということで、お納めくださいませ」
傍らに立つ男が、カバンから白い袋を取り出す。袋のフチから除くのは金貨と銀貨。
「では、失礼いたします」
優雅な一礼をし、女性は店から出ていく。こちらに向け侮蔑と不愉快さを感じる視線を残し。
彼はそんなことには気づかず、喜色満面の笑みを浮かべていた、馬車が立ち去るのを待ってから、大きく握りこぶしを振り上げ大声で歓喜の声を叫ぶ。
嫌な予感がした、この先は聞かない方が良いと瞬時に考えたが。聞かない訳にはいかなかった、理性も本能も聞けと脳内に命令がくだし、口が恐る恐る質問の言葉をまるで鉛を吐き出すように言葉を紡いだ。
首都で店を持てる。長年の夢を叶えられる。彼の歓喜の言葉は、そのまま自分にとって呪詛だった。
『あああああああああああ!』
咆哮。男は驚愕の表情を浮かべる。
脳内での記憶巡りを終わらせた少女は、少女の姿に戻った存在は立ち上がった。両の腕がボコボコと再生し、再生と同時に誕生した肉でできた筒状のなにかを握りしめる。人に戻りかけた顔は、半ば獣の顔で固定しボロボロだった足もなんとか立ち上がることができるまで再生した。
筒は、その形状は少女が使い慣れた猟銃だ。引き金を引くと同時に骨でできた弾丸が射出され咄嗟に回避行動をとろうとした男の右肩を削り取る。
「っぁ!」
苦痛による呻き声。少女は目の前にいる存在を正しくとらえていない。姿かたちすらも歪み、混ざり、異なっていた。
あの女が、全てを奪ったあの女が目の前にいる。半分吹き飛び混乱した脳と歪んだ視界が、そう捕えた。
『オまえサえ!おまエさえいなケレば!おマえさえお前サエオマエさエェエエエエ!』
再度構えて引き金を引こうとした瞬間、目の前になにか小袋のような物が投げられる。袋から導火線が伸びており、火花が散っていた。爆発物かと少女は考え爪で袋を斬り裂く。その瞬間、発達した鼻に凄まじい臭気が流れ込んだ。狩りの獲物を逃がさず警戒されないことを第一にする狩人には縁遠い道具、臭い袋。
身体をふらつかせる程の強烈な臭気。隙を見つけた男は大きく踏み込み懐から短刀を取り出し、垂直に構える。心臓部に短刀を突き刺し押し倒し、再生する端から幾度も突き刺し続けていく。返り血が周囲に飛び散るがまだ死なない。まだ、まだ、まだ。頼むから早く楽になってくれ。男はそう念じながら、願いながら幾度となく心臓部めがけて短刀を振り落とした。
どれだけ時間が過ぎただろうか、男は肩で息をする。完全に動きが無くなった相手から身体を退かす。それと同時に、怪物の身体が変化をおこし元の少女の姿に戻る。頭が半分飛び散り、腹部をズタズタにされ、両足は奇妙なささくれた骨が飛び出る程破壊され、心臓に差しすぎてグチャグチャになった刺し傷。
失敗した。男は疲弊した思考でそう考えた。異形は人の形で殺した際、怪物の姿で死亡し、怪物の姿で死んだときは人の姿に戻る。人の姿の時に奇襲をせず声をかけ、変身を促す言葉をかけたのもそれが理由だ。せめて死ぬときは元の人の姿でと考えた結果できたのがこの惨殺死体だ。
いやそれ以前に死にかけた。一筋縄ではいかないと予想はしていたが、最後の再生は予想外もいいところだ。まさか肉が猟銃の姿を形どり骨を飛ばしてくるなど想像の埒外だ。
興奮が収まってきたのか強力な痛みと、吐き気。少女の惨殺死体の前で理性が拒否反応を示したのか、喉奥から湧き上がる不快感にすぐにその場から飛びのき地面に向け反吐をぶちまける。
『大丈夫ですか?お父様』
凛とし、それでいてあどけなさを感じる鈴のような可愛らしい声。男はすぐさまうつぶせ状態から立ち上がり散弾銃に装填、周囲に向ける。
『妖狼ルーガルーの単独討伐、お見事ですお父様。こんな立派なお父様をもてて、娘冥利につきますね』
「ふっ…ざけるな。どうせこれもお前の仕業だろうが」
『ええ、もちろん』
夜の闇よりもさらに濃い深淵。そんな影の中からなまめかしい程病的に白い足が伸びる。交易により他国から仕入れた東方の民族衣装。腰から伸びる白くふわりとした太い尻尾。水色の瞳に銀色の髪の毛、頭部に生えた三角の耳。
「疎まれ差別された彼女は唯一自分を認めてくれていた相手に、叶わぬと知りつつ恋焦がれていた。それでも相手に必要とされていたことに、自身の存在価値をみいだしていた。それが無くなる恐怖と絶望は、さぞ強力な存在へと昇華するにふさわしかったのです。そう…お父様が強くなるための贄として」
散弾銃が火を噴く。散弾が豊満な胸と腹部に命中し血霧を作るが。それを気にした様子もなく微動だにせず、狐の女がほほ笑んだ。
「まだ足りません。お父様」
尻尾が目にもとまらぬ速さで振られる。ガードが間に合わず脇腹を殴られ吹き飛び、身体を壁に叩きつけられる直前ふわりと背中から身体を抱きとめられた。
「お父様はまだ力をつけなければなりません。血を流し肉を削り骨を断つような経験を繰り返し、繰り返し、繰り返さなければ。私を殺すことはできませんよ」
短刀を背後に立つ女の首筋に向け突き刺そうとするが、柄を指で絡めとられる。握りしめていた筈なのにまるで魔法のようにあっけなくナイフが奪われ、地面にストンと落下した。背後をとられ、武器を失う。耳元にかかる吐息、生暖かい風と甘い血と臓物を嗅ぎ慣れたなか不意に来る甘い香りは、普段ならば歓喜するものだろうが嫌悪の対象だ。
「なにがお父様だ。こんなデカい娘なぞもった覚えはない。遊郭通いもろくにしてこなかった」
「だが経験はあった。嫌ですね、娘に対して男の情事を言うものではありませんよ?教育に悪い。でもこのような姿の方が、好みなのでしょう?情欲を抱いても受け入れますよ?」
胃袋の中身なんてだいたい出し終わったばかりだというのに、提案に吐き気を男は感じていた。化物の繰り言だと、冷静になれと心中言い聞かせ続けなければ、気持ちが嫌な意味で昂ってしまうのも無性に腹が立つ。
割れ物を扱うように白く細い指が、外套の中に差し込まれる。折れた骨や抉られた傷口を指先が、愛おしそうに這いまわり激痛と苦痛が視界にちらつく勢いで身体中を襲い掛かった。振りほどこうにもそれ以上の力でしめられる。この化物が。
「お前なぞ拾わなければ良かった、見捨てて…野垂れ死にさせていればっ!」
「それは同感ですね。お父様にとっての不幸はそれがすべての始まり。ですが、万物の主でも今更過去は変えられない。私にも反省すべき点が、恥ずかしながら多々存在するものですが、これはもうどうしようもないこと。今は過去を振り返り未来を考えましょう。行き倒れの幼子を拾い、育て、怪物にしてしまった、なってしまった。そしてお父様は私を怨み、私だけを考え全てを投げうってくれる。今はそれがたまらなく愛おしい。家族の情愛とはこのような歪んだ形であっても素晴らしく慈しむべきものなのですね」
「だが獣も人間も親離れが必要だ。子離れできない親の責任か?お前も親離れできないのも問題だな。その首落とさせてくれれば全てが丸く収まるぞ。あるいはさっさと殺せ、今ここで。物理的に子離れ親離れをしちまえば良い」
「足りません」
肩を骨の弾丸が抉った跡に、指先が突き入れられる。苦痛で悲鳴をあげながら、頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響き身体が悲鳴をあげていた。
「憎悪も怨みも全て愛おしいお父様ものは全て受け止めます。ですがもっと長く、もっと強く、もっと激しくしてもらわないと私の渇きは収まりそうにありません。だから今はその時ではないのです。強くなってくださいお父様、この身体に何時か致命を叩きこむまで。それまでは、どうか親離れさせないでください。まだまだ私、愛情に…いえ、愛憎に飢えております」
狂ってやがる。率直な感想だ。それだけの為に、鍛える為だけに村落一つを巻き込む被害をおこし、獣の衝動に任せ愛する存在を食い殺すことでしか自我が保てない化物を生み出したというのか。
情けは人の為ならずとは言うが、地獄への道は善意で舗装されているともよく言ったものだ。最悪の地獄への道を自分がしいてしまい、その道の途上にあったありふれた他人の平凡や幸せに悲しみまで一緒くたになって踏みつぶし道の下にしてしまった。
ふと視界の端、転がる鉄さびの浮いた剣というより棒のようなもの。暴走ぎみだったので無理矢理変形を戻したが、それが再度勝手に変異をはじめ切っ先をこちらに向けていた。
伸びた先端が背後へと流れる。だがしかし音からして刃は、肉を裂くことなくその向こうにあった壁を粉々に砕くのみであった。いつの間に拘束が解け身体が揺らつく、その場に倒れふし息を整えすぐに周囲を見回すべく起き上がったが、娘の姿はどこにもなかった。
『また会いましょう、お父様。来るべき日を、心から楽しみにしています』
空に響く言葉。気配が無くなるのを感じ男は握りこぶしを堅く作った。グローブをしているが、そのまま握りしめていれば爪が皮膚に食い込み出血をしていたかもしれない。それほど強く握りしめていた。
「クソッ…たれがぁあああ!」
男が叫び声をあげる。
男の名はランザ=ランテ。復讐相手に弄ばれる、惨めな存在だった。
ああ、お父様。貴方は私が立ち去ったと思っているのですが、今も見ているのです。
気配遮断などとうの昔にまっさきに習得した技術、こうして貴方を見守る為に。
野垂れ死にしそうな小娘を拾い、育て、不慣れながら慈しみ育ててくれた義理の父。血の繋がらない義理の父に向けたのはほのかな恋心。だがそれは、世間というものから見れば例え血の繋がりがないとしても娘が父に向けるものではないことは幼心にも理解していた。
頭を撫でてくれる大きな掌、大味でガサツな料理、知識や教養も必要だろうと本を買い込み、一緒に勉強しつつ私よりも顔をしかめ頭を抱えながら文字と睨めっこする困り顔。娘と父としての時間を、何時までも共に過ごしていれば良かった、それで幸せだった。
だがしかし彼は、妻を迎えた。そしてあろうことか血の繋がったその娘までこさえてしまった。
独占していた私への時間は半分以下にまで縮みあがり、それだけで心の中でまるで煉獄の炎が広がるように内心が焼けただれていく。その笑顔は、自分だけに向けられていた筈なのに。その安らぎは、自分だけが与えていた筈なのに。お姉ちゃんになるんだから我慢しなさい、我慢できるはずがない。あの人の全ては自分のものだった。
地獄しか過ごしたことがないものが別の地獄におもむこうと意味はさしてない。だが天国を覗き過ごしたものが地獄に落ちたのは耐えがたい苦痛であった。
気づけば斧を手にとっていた。気づいていたが安らかな鼾をかく赤子に斧を振り下ろした。そして死体にすがりつき、飛び散る赤子の脳みそを元に戻そうとする母親に、殺意を持って斧を叩きこんだ。
計算違いはそれを見られてしまったこと。おかしいな、お父様は行商の手伝いで別の街にしばらく向かっていたはずなのに。そう思ったが、お父様が手から落とした紙袋が落ちて年頃の娘用の髪飾りと高級な砂糖菓子が転がり落ちる。
ああそういえば、お父様と出会った日。便宜的に誕生日と定めた日が今日だった。
やりましたよ、お父様。と声をかけようとした瞬間、身体が吹き飛ぶ衝撃。壁にかけられた猟銃に手が伸ばされ、発砲されていた。
身体が壁に叩きつけられたが、痛みよりも生命の危機よりも訪れたのは高揚感と恍惚。ああ、その瞳で私を見てくれる、殺意をたぎらせ私のみを考えてくれる、他のなにもかもがかいざいせず真っ直ぐこちらを見つめる瞳に、初めてだろうか。雌として興奮まで覚えてしまった。
もっとこの感覚を味わいたい、甘露の実のようにしゃぶりたい。だが残念ながらこの身体はもう死を迎えようとしている。なんで、なんで、なんでっ!
そうだ…この身体を捨てれば良い。疑問の解は驚く程すんなりと、あっさりと答えを教えてくれた。
さて自分はいったいどこから来たのか、何物であったのか。不吉がられた黒髪はこの周囲では見かけないものであったし、黒い瞳も同様だ。そんな特異な血筋になにかが潜んでいたのか、願いは即座にかなえられた。
髪の色は脱色したかのように銀に生え代わり、身体の傷が治癒されていくと共に変異をし、全能感が心身全てを満たしていく。
化物がっ!そう叫ぶ声が生えた新たな耳に突き刺さる。それすらも歓喜を覚え、それだけで身体の急激な変異以上の幸福が心も体も包み込んだ。この幸せをもっと感じるためには、どうすれば良いか。頭の中でそれはすぐに理解できた。
時が過ぎ、あの時の歓喜と興奮は色あせることなく今なお強烈に鮮やかに続いている。そしてそれはさらなる刺激と憎悪により高い段階に向かっていた。
「ああ、そんな歪んだ顔もいじらしいです」
妖狐は身体をもだえるようにくの字に折り曲げた。口の端から唾液が滲み、下腹部が疼き、身体を抱きしめていなければ暴走してしまいそうだ。
「テンは、貴方の娘は何時までもお待ちしています。何時か最高に憎悪と狂気がこもった殺し合いを、いたしましょう。テンは何時までもお待ちしておりますお父様」
水色の瞳が濁り、黒瞳を片目に浮かばせていた。その瞳は、狂気と興奮に曇りドロリと深淵のような暗闇を浮かばせていた。