家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
イリーナルは有翼種、半獣とはまた別の存在であり厳密には『獣』ではないものの広義の意味では同一存在扱いされていた。
自分にとっての不俱戴天の敵はカリナ=イコライであったが、比較されていた対象として常にイリーナルの存在があった。なにせ彼女は、レントのお気に入り扱いされていた。別にそんな指標とか、階級がある訳でもないけれどアイツは気に入った奴を傍において厚遇するふしがある。
親衛隊とでもいえば良いのかな?当時の自分はアイツが羨ましかったが、向こうはこちらになにやら敵対心のようなものを抱いていたようだ。各地で集めた情報を精査し、陰からレントを支えていた自分の功績は決して低いものではなかっただろう。ただ、気に入られただけで傍に置かれた奴よりは役に立てているという自負があった。
今考えれば戦闘職と諜報員じゃ単純に比べられるものでもなければ役割も違う。ただ、そんなことまでは考えられず互いが互いを目障りに思っていたことに変わりはなかった。ある意味では、カリナは本人を前にしても陰口でも散々喚き散らしていたからある意味分かりやすかった。だがこの女とは、大した接点がないにも関わらず意識しあっていた。
「クーラ」
「イリーナル」
カリナには落とし前をつけておいたが、こいつとはまだだった。いい機会だ、ここでこいつとの過去も清算してしまうのも良いだろう。
「少し痩せたんじゃね?」
「え?」
……なんのつもりだ?確かに痩せたっちゃ痩せたが、何をいきなり。
「あーあー苦労しちゃってるみたいじゃん。まあ、ずっとこんな北の僻地にいたんじゃ無理もないよねぇ。ちゃんとご飯食べれてんの?眠れてる?肌に悪いよ~ちゃんとした睡眠とれないと」
「……なにが言いたいの?」
「ほらぁ、実はあたしってばアンタのことだいぶ気にしていたんだよね。アタシは有翼種だしアンタは半獣。ある意味似た者同士だし、勝手な噂はされていたけど親近感みたいなのはあったんだよね~。年代も近いじゃん?でも接点無かったし、仲良くしたかったんだよね~」
「ええ?おい?助かったけど、なんだ知り合いか?お前等」
握り辛そうなイリーナルの羽から出来たナイフを放り投げながらガランが口をだしてきた。包帯を放り投げてやると、顔に当たったのか後ろか「ワプッ!」という間の抜けた叫び声が聞こえた。余計なことを気にする必要があるならさっさと止血してほしいものだ。
「なにが言いたいっていうとアレだよアレ。なにトチ狂って沈む船にいるか知らないけどさ、レントのところに戻るよう口添えしてあげよっか。なに、あの女王とやらを潰すのを邪魔しなければ良いだけだからさ。悪い取引じゃないんじゃない?どう?」
「それで、降った自分の居場所はアンタの補佐役ってところ?正妻狙いのアンタのこと、自分はお妾さんってところかな?」
「あーうんまあそんなところ。でもしょーがないよねぇある程度のペナルティーはさ。それにお妾って卑屈にならなくても良いじゃない。友達になって、一緒に彼に恩を返していく、それで良いじゃない。遊びは終わり、さっ戻ろっか」
「……そうだね。まあ、いい加減この寒さとかにウンザリしてきたしさ。今なら北側の内部情報てんこ盛りで渡すことができるし良い頃合かな?」
後ろで「はぁ!?お前なに言ってやがる!」という抗議の声が聞こえてきた。良いリアクションだからありがたいね。でもさ、止血ちゃんとできてる?
「よしじゃあ決まり!これからよろしくねぇクーラ。ひとまず、この城の詳しい間取りからでも教えてもらおうかな。どうせ、もう調査しているかその最中じゃ」
言い終わる前に相手が動く。それとこちらの動きもほぼ同時だった。翼の斬撃と二刀の刃が交差して火花を散らし、互いに間合いをとる。やれやれ、考えることは同じだったかな。
互いに互いに急所撃ちの攻撃を同時に繰り出したせいで、上手いこと決まらなかった。自分が言うのもなんだけど、性格悪いなこいつ。
「やっぱ気が合うかもねぇアタシ等さぁ!考えていること同じじゃん!」
「いや、どうだろうね?少なくとも自分はアンタのことあんまり良く思ってないしさ!大体、アンタ自分がレントのところにいた頃からこっちのこと嫌いじゃなかった!?」
「アハハハ!それはご名答!でもだからこそクーラ、アンタのことはそれなりに意識していたんだよ!でもなんで…」
前蹴りを大きく翼を羽ばたかせて避ける。間合いを離されてしまったか。
「なぁんでレントを裏切りったのかなぁ。どうせ、アンタもアタシも最底辺からあの人に救い上げてもらった口でしょう?恩知らずで恥知らずなんて、後ろ指刺される覚悟で裏切ったんだろうけどさぁ」
羽ばたきと同時に羽の刃が放たれる。側面に飛びながら走り、壁を蹴って建物の屋根の上に飛び上がる。抜け落ちた端から新たに翼から羽が精製される為その気になったイリーナルの飛び道具は切れ目がない。だがアイツはまだ、本気ではない。
「殺しとく前に聞いておきたかったんだよねぇ!地面を這いつくばる薄汚れた獣の分際で、あの待遇と彼になんの不満があったのさぁ!」
「さぁてね。まあしいて言うならばさ、レントはどうせ自分がいなくてもさして困らないからかな。所詮自分はアンタと比べるとその他の面子、でも居場所を見つけることができたからそっちで頑張ってだけの話だよ」
腰袋から煙球複数を取り出し、屋根の上に叩きつける。大きな羽ばたき音が聞こえ、風と共に煙幕が晴れていく。広く張った煙幕が晴れる前に、影術が屋根に突き刺さり引きはがした建材を巻き上げておいた。確かこの下は食堂だったっけか、雨漏り確定で申し訳ないね。
廃材の弾幕をイリーナルに向けて飛ばす。羽の刃が弾幕になり飛ぶが、質量で勝る建材が遠心力に任せて飛び羽による弾幕を弾きながら上空に飛ぶ。
レントが施した加護持ちを全員知りえている訳ではなく、カリナ=イコライの時は役割が政治方面であり加護を発揮するタイミングが無かった。だがイリーナルの加護は身体的特徴と直結している為その把握は容易く、そして仮想ライバルとして意識をしていた為よく理解している。
イリーナルが得た加護は単純明快かつ彼女にとって最大限に適したものだった。見た目は分かりやすく翼の硬質化。羽の一つ一つがまるで名刀が如き斬れ味を誇っており、恐らくは体力が続く限りは無制限に精製されていく。
羽による散弾の如き刃の雨で敵の動きを固め、自在に空を飛ぶ機動力で間合いを詰めすれ違いざまで斬殺していく殺傷能力。だが、翼として羽ばたき空を飛ぶという必要性がある為、あの刃でできた重そうな有翼は見た目とは裏腹にとてつもなく軽い。
分離して飛ばした刃は、斬れ味があっても重さは無い。薄い木板くらいなら貫通するかもしれないが、ガランの足に突き刺さった刃が肉と骨を貫いて貫通しなかったことから大した質量がないのが見てとれる。斬れ味故に突き刺さる能力は高くても、深々と刺さることはない。
もっとも、飛んで来る刃は一つではなくとんでもない数が襲いかかる為充分脅威であるのだが。例えば、適当な家具を一つぶん投げるくらいなら迎撃されすぐに穴だらけにされたうえに、それ以上の刃が攻めてくるだろう。
それならば、質量を伴った散弾で迎撃すれば良い。石材に木材が飛来し、刃の刃を巻き込みながらイリーナルに向かっていく。放り投げた建材の合間を縫うように飛ぶが、引きはがした建材に紛れるように投げナイフが飛んだ。
投擲されたそれは、目論見通りに行けば心臓に突き刺さる筈だった。だが流石の視力と反射神経とでも言えば良いか、寸前で大きく羽ばたき狙いが外れ太腿に投げナイフが突き刺さった。
「ねえイリーナル。自分は見つけることができたんだよ、自分に相応しい立ち位置って奴をね。自分はあの人に、ランザについていくことに決めたんだ」
そう、あの日の夜に自分は、精神的にも肉体的にも一度殺させかけた。あの夜、酸欠で苦しみの中で見たあの濁った瞳が忘れられないのだ。恐らくは、テンに向けられる筈だったドス黒い殺意と悲しみが入り混じった汚泥のような視線。
戦闘の興奮とは別の熱い吐息が喉から溢れる。手にナイフや直刀を握っていなければ、何時ものように首筋に指を伸ばしていただろう。それだけに、あの夜の出来事は熱く深い思い出だった。
ナイフが刺さった太腿から血が流れている。太い動脈に傷がついただろうし、あれを引き抜いてしまえば止血ができる環境でなければ失血死は免れない。痛みに耐えている表情で、険しい目付きを向け……いや、これは違うな。疑問の視線かな?
「ランザ=ランテが、アンタになにをしたって言うのよ。いったいなにがアンタをそこまで変えたの?レントの道具として、散々手を汚してきたうえでそんな心変わりが何故できるの?」
ねえイリーナル、自分は今どんな顔をしているのかな?少なくとも今彼女が浮かべる顔は、理解できないものを見ている表情だ。
「ついていくって決めただけで、そんな顔はできないってば。なんなの?アタシが知っている、大嫌いだけど努力家で油断ならない、あの半獣クーラ=ネレイスはどこに行ったの?」
踏み込みから跳躍。影術で再度建材を引っぺがし足場を作り、その上を飛びイリーナルに肉薄する。
「その娘なら死んだよ!呼吸を狭められ衰弱し、そして時間をかけて、ゆっくりとね!ああ、イリーナル、アンタにも教えてあげたいよ!今までなにがあったのかをね!」
レントを見限りランザについていったのはキラービーやクイーンビーの一件や結局彼に名前を忘れられていたという失望感、そして命を狙ったのに命を救われ、あの濁った瞳に興味をもった自分がいたということが大きかった。
サグレとベレーザ、エルフ達にミハエル。死闘があった中で仲が深まっていくのを感じていた。だがしかし、湧き出た信頼し親愛が壊れるように重く深い、あの暗い悪夢の世界で自分がどういう存在であるのかを自覚してしまい、その瞬間今までのクーラ=ネレイスは死んでしまったのだろう。
自分は、過去はレントの役に立ちたい、それ以降はランザの役に立ちたいと思い行動を共にし、努力をしていたと思っていた。本当はどうしても嫌だけど、例え自分が選ばれなくても、相手の幸せを願い祝福できると信じていた。
だがしかし、現実はどうだ。身勝手で横暴で差し出した分の見返りを求めてやまない自分がいた。ランザが、自分以外の誰かと幸せになるのが我慢ができない。あの幸せな悪夢は、自分にとっては地獄のような日々だった。あの赤ん坊が、ミーナが産まれて間もない頃から成人し祝言をあげる話が出て来るまでよくも精神を壊さず耐えられたものだ。元々、壊れていただけかもしれないが。
そんな自分に絶望していた。嫌悪感もあった。それでも止められなかった。元々嫌いだった自分が、大嫌いになった。浅ましく、おぞましいとすら思えてしまう。
でもそんな自分を肯定してくれたのは、まさかのジークリンデだった。胸を張れと、泣くなと、肯定してやると。そして最後には、自分を貫けと。
過去の自分は悪夢の世界で死に、ジークリンデの言葉で葬られた。今の自分は、誰かの道具になりたいなんて謙虚な自分ではない。傲慢で浅ましく、彼を求める一匹の獣だ。
「イリーナル、アンタは首を絞められながら犯されたことがある?」
飛び上がり正面から見たイリーナルの顔には、怯えのようなものが混じっていた。
「自分はね、何時かランザにそれをやってもらいたいんだぁ。機会があったら、レントにやってもらえば?自分とアンタ、気が合うんでしょう?もしかしたらハマるかもね」
「ッ!気持ち悪い!」
直刀の突きが空を貫く。嫌悪感を表情に浮かべながら全力で身を引いたイリーナルは、大きく翼を羽ばたかせた。軽い身体と軽い翼の利点、小柄な身体が空を旋回する度にグングンと加速していく。着地をし、すぐに左に飛びのくと同時に突風が通り過ぎた。
鋭い風が刃に当たっていないにも関わらず刃物となり、衣服の一部を斬り裂きその下の皮膚を切断する。今度は前方に飛び退いた瞬間、背中が切断され血があふれ出る感覚がした。あーあ、これはまた消えない傷が増えちゃったかな。
「レントの元から離れるってだけでも理解しがたい恩知らずだというのに、そこまで堕落しきったか!気持ち悪い、気持ち悪いんだよ!陰で研鑽して日陰で動いて少しでもレントの利になるように努力を惜しまない姿勢は、嫌いながらも認めていたのにさぁ!死ね!もう死んでしまえ発情猫め!」
まるで殺気が自然界の風にのって周囲を飛び交っているようだ。直接斬撃を受けなくても通り過ぎる風だけで服が破れ皮膚が斬れる殺意の突風。本気になった彼女のこの高速移動こそが、レントが自身のお気に入りとして重宝していた理由なのだろう。
彼女の加護はあくまで翼と羽が硬質化し、名刀となるだけである。この運動能力の高さは天性の物だけではなく本人の努力で培った賜物だ。なんだ、陰で研鑽を積んでいたのはアンタも同じじゃない。
四方から翼を離れた羽が刃物となり降ってくる。その様はまるで、吹き荒れる嵐にのって舞い落ちる豪雨のようだった。影術で建材や瓦礫と化した建物の一部を盾にしても隙間から身体に突き刺さっていった。
クーラ=ネレイス。アタシは勝手に彼女をライバル視することにしていた。同じような存在、同じような境遇、同じような救われ方。違う点は、アタシは少なくとも彼女よりはレントに認められていたということだ。
他に彼に近しい、或いは重宝されていると言える存在は、彼の右腕とも言えるカナリヤ=エル。消息を絶ったが元からいるよりいない方が多かったウェンディ=アルザス。リスム地下迷宮で見つけ、その異様な風貌と特異な生い立ちにより同じエンパス教の間ですら秘匿されていた名無しのコボルト。
加護を駆使しなくても圧倒的なカナリヤの戦闘スキルに、加護に頼らなくても様々な能力を駆使するウェンディに肩を並べていたアタシはどこか分不相応さを感じていた。それだけアタシの飛行能力を買ってくれているのだと思っているが、心無い者からは膣の具合が良いだけの女と陰口を叩かれているのも知っている。
有象無象には知らされていないコボルトはともかく、そんな自分と明確に比べられていたのはクーラ=ネレイスだった。正直、彼女の忠誠心と職務遂行能力はアタシから見ても目を見張るものだった。集められた情報はカナリヤの元に一度集められるのだが、あの彼女が時折クーラを認める発言をしていたのを聞いている。
彼女が中枢に加わらなかったのは、噂によればレントとの閨を拒んだからだと言う。嘘か本当かは分からないが、そのどこから出て来たかも分からないような情報のせいでアタシの肩身は更に狭いものになっていた。
クーラは、レントの正妻を巡る争いに関与できない立場にいる。それでも、自分を道具として少しでも役に立つように滅私奉公する様は、半獣を毛嫌いする者達の間でもどこか認めざるえないような空気があった。仮にこれが、レントのお気に入りであり寝所を共にするような仲であるのならば嫉妬ややっかみが混じったであろうが偶然のバランスがクーラの評価を支えていた。
余談だけど、カリナ=イコライはレントの親衛隊であるアタシと、クーラに対して嫌悪と好感が入り混じるような評判が気に食わずアタシ等どっちにも攻撃してきてたっけか。そんな彼女も、表向きにはモスコーの吸血鬼事件に巻き込まれ命を落としたことになっていたがとある情報によればクーラが直接手を下したともいう。どっちにしろざまーみろな結末であるが。
道具に徹するクーラとは違い、アタシはなにも気にしないという風にヘラヘラとしているしかなかった。今の地位を手放すつもりは毛頭ないものの、クーラの在り方に憧れとは言わずともどこか……敬意とライバル心のようなものを内心で燃やしていたのは確かなのだ。
そして、いざ争いごとがおこればアタシの翼は誰にも負けない。エンパス教の僧兵達で最速を誇るこの身体と戦い方が周囲に認められれば今の評価は一変し、それはクーラに対して勝ったことになると強く信じていた。そしていざとなれば、最強と言われるあのカナリヤにも勝つことができると自負している。
だがしかし、彼女は、クーラは裏切った。
「イリーナル、アンタは自分にとっては雲の上の存在だったよ。自分がレントとの閨を拒なければ、アンタの立場にいたのかなぁなんて何度も思った程。でも壊れた道具は捨てられるから、それをおくびにも出さないように慎重に生きてきた」
クーラは避けるだけで精一杯。傷も身体に増えていき、スタミナが尽きるか気力が尽きるかが先か。すばしっこいものの、少しでも隙を見せたらその身体を両断できる命の危機に直面している。
「でも、自分は道具になりきれなかった。あの夜、ランザに壊されたしレントにも壊された。笑えることにね、レントは自分の名前を憶えていなかったんだよ。道具なら道具らしく消耗品×1みたいな評価で良い筈なのに、それを知った時、自分の感情は失望だった。自分は壊れた道具ですらない、最初から物にすらなりきれなかったなにかだった」
話しながら、笑っていた。笑う要素がどこにあるのかも分からない言葉が口から溢れ出ているというのに。
もうあの不気味な顔は見たくない。トドメの一撃は、背面から決めてやる。
「ねえイリーナル」
アタシの速さをとらえきれていない筈のクーラが、こちらに振り向く。決してそんなことはないのだが、何故か酷くゆっくりと首を折り曲げこちらを見たように感じた。
眼帯、何時からしていたか分からないそれの下から、爛々としかつ禍々しい、黄金の輝きを持つ瞳がこちらをとらえた。爬虫類を思わせるようなその細い瞳に、ドロリとしたなにかが流れ、溢れだす。
「好きな人を独占し、全てを与え、全てを奪い取る。ランザが誰かと幸せになるのを自分は許さないし、自分がランザ以外と結ばれることはない。親衛隊?正妻競争?馬鹿馬鹿しい、レントが欲しいなら周りにいる女を全員殺せば良いだけじゃん。何故それをしなかったの?」
クーラの手から、直刀と歪んだナイフが空に投げられた。五指がゆっくりと、握られる。
「それが出来ないお前に、自分が負ける道理はない」
気圧された。身体が逃げの姿勢に入り、直前で上空に逃れようとしたがクーラの黄金の瞳がそれを逃さなかった。
ノルン=ミルクエルにカウンターを喰らった時とは違う。彼女の言葉を借りるならば、今度は殺し殺されることを覚悟して全力を出した一撃だった。僧兵達、レントの取り巻き、いやこの大陸においてアタシ以上の速さを出せる者は存在せず、本気になったら影すら置き去りにしてみせる。
だがクーラの握り拳は、確実にこちらの顔面に叩きこまれた。
「少し、格闘術もかじり始めていてさ。練習台になってよ」
クーラの楽し気な言葉が聴覚を通し脳内に響く。こいつは、レントの元から離れて、いったいなにになったと言うのだ。
クーラが苦戦している。なにか少しでも、奴の気を反らすかなにかをしなければなます斬りにされて殺されちまう。
影術により破壊された建物の一部、角材の切れ端と手ごろな大きさの石ころを掴み取りなんとか手助けをしてやろうと考え屋根によじ登った。
だが、少し目を離していた隙に情勢は大きく変化をしていた。顔面に拳が叩きこまれ、ふらつく有翼の少女は羽ばたいて逃れようとする。だがそれをさせず、クーラの爪先が腹部に叩きこまれた。胃液をまき散らしながら悶え、少女が屋根の上に膝立ちになる。
顔面を掴んで顎に膝が叩きこまれ、軽い身体が少し浮いた。その時、クーラの言葉が少しだけ耳に届く、聞きたくなかった。
「叩きこめるならば、出来る限り叩きこめだっけ」
クーラは、努力家だった。影術、投擲術、短刀術。それだけじゃ飽き足らず、ランザの旦那にしつこくおねだりをして教わっていた打撃術。
打撃の基礎を教える訓練の様子を見て、ボディタッチや身体を密着させデレデレしたツラを見せていたクーラに俺は、『ああ、半ばそれが目的なのね』と思ったものだ。
だがしかし、教わったことは可能な限り噛み砕き、誰にも見えないところで努力を重ねていたらしい。生身の肉体というサンドバッグが手に入ったことを、彼女は嬉しそうにしていた。
掌底が叩きこまれるが、服を掴まれており離脱ができない相手を引き寄せ頭突きをかます。怯んだ隙にワンツーの連打を叩きこみ、脳が揺れふらついたのを確認したら飛び上がり側頭部に蹴りを叩きつける。屋根の上を滑り、有翼の少女は地面に落ちていく。今の結果に、クーラは不満顔だった。
「しまった、フィ二ッシュが早い。ランザに聞いたエイラさんだったら、もっと叩きこんでいた筈なのに……これじゃあ、ランザの一番になれないじゃん」
屋根から落ちた少女はピクリとも動かない。旦那に比べて一発一発は軽いが手数が多い。死んだにしても死んでいないにしても、オーバーキルも良いところだ。……あ、よく見たら痙攣している、一応は生きていたか。
有翼の少女を気にせず、クーラの独白が続いた。急所以外に突き刺さっている、羽の刃を気にする様子もない。
「エイラさんのことなんて忘れるように、自分が打撃術でも連撃でも一番にならないとね。ああ、早く娼館時代の思い出も塗りつぶしてあげなきゃなぁ。もっともっと技を磨かないと、何時かランザの頭の中を全部自分で埋める為にね…ああ、ジークリンデの分はちゃんと残してあげるからさ……フ…フフ」
空を見上げながらブツブツと呟いている。そして、こちらから見えた黄金の瞳がまるでそれを喜ぶように怪しく歪んで見えた。
旦那にあの少女をぶつけるつもりだったが、どうやらその必要はなかったらしい。クーラ=ネレイス、彼女も既に十二分に化物だった。
「クーラ!」
先程投げ渡された包帯のあまりを投げ返す。痛みを興奮で消しているのかもしれないが、彼女の身体も傷まみれだ。
「さっさと止血しろ!まだ終わっちゃいねーぞ!」
怖い、怖いがいつも通りに声をかけてやる。自分達と違う者を迫害し遠ざけたら、それこそ半獣を遠ざけ差別した人間と同じだからだ。クーラはクーラ、倒錯気味で心的に病んでいるが、こちらをおちょくる様子はただの生意気なクソガキ。それで大好きな人の為に頑張る努力家。それで良いじゃないか。俺が恐れて、どうするんだ。
「え?いたの?隠れて震えてるものかと思ってたよ」
「ざけんな!角材と石ころ持ってぶん投げに来たんだよ!まあ必要なかったみたいだがな!あと、助かった!借りはそのうち返す!」
「返せるの~?ガランに返せるの~?」
「舐めんな返したるわ!でも利子つけるなよ!絶対つけるなよ!」
良い笑顔をしてやがるぜこのクソガキめ。やはり俺のアイツに対しての評価は、これが一番いいようだ。きっと、多分、恐らく…少なくとも俺にとってはだが。ランザの旦那にとってクーラどういう存在になるのか、そこまでは関与しない。俺は、その程度には賢明だった。