家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 私が小さかった頃、母親はわりと愚痴の多い人だったという印象がある。

 

 コボルトのシャーマンは一子相伝。役割は、産まれた子供の為の祝福や、火竜を祀る祭祀の進行と執り行い(もっともランドルフ様は出来ればしないでほしいと言っている)に、死者を送る為の葬儀を役割としている。

 

 母さんは、表向きでは厳格なシャーマンで通っていたが、裏では立派な人が亡くなったのだからもっと規模の大きい葬儀をしろだの、やれランドルフ様を祀る祭祀なのだからもっと大仰にしろなど色々言われていたらしい。だけど、母さんはまだ自分は楽な方だと言っていた。

 

 『シャーマンなんて基本、平和な間は食わせてもらっている立場。いてもいなくても、大して違いなんてないわよ』

 

 そんな考えをもっているからこそ、母さんは表向きでは謙虚に振る舞っていた。裏側では愚痴の一つや二つではすまない程、零したくなるものを抱えながら。

 

 だが、そんなシャーマンが一番求められる時は、一族をかけた戦い。まさに、戦争状態であった。怪我人の治療を行っても、或いは行うまでもなくもう手遅れだと判断した者に、祈り言葉と共に慈悲を与えること。そしていざという時は、コボルト達の最後の砦として敵対者と戦うこと。

 

 後者はともかく前者、慈悲というものは相当に堪えるものだった。コボルトの狭い社会では、なにかとみんな顔見知りばかりだ。昨日まで談笑していた知り合いが、どんなに延命処置をしようと苦痛を長引かせるだけの状態になったりする。迷ってはいけないし、躊躇もできない。ただ笑顔で見送ることが理想とされていた。

 

 母さんから後を継いで、あの人のように愚痴をこぼすんだろうなと考えていた私にはなかなか厳しい現実が待っていた。だからこそ、戦争なんて早く終わらせなければならない。これ以上続けば、何時心が擦り切れるか分からない。

 

 『怖くないのかって?』

 

 ある日、ふとしたことでクーラちゃんに聞いたことがある。近寄るのでさえ怖いランザさんの近くに張り付き、弾丸飛び交う最前線に常に赴く彼女。ジークリンデ様から眼球を移植した彼女は、まともな半獣とは言えないかもしれないが、その身体はあくまで生身のものだ。

 

 ランドルフ様やジークリンデ様のような頑強さも、ランザさんのような人外じみた身体も持っていない。それなのに、あんな小さい女の子が毎回毎回怖くはないのだろうか。

 

 『おいて行かれる方が怖いよ』

 

 クーラちゃんは、なにかを諦めるようにふっと笑った。話してもしょうがない、とでも言いたげでありこれ以上深入りしすぎるなと、追及するなと言わんばかりな態度をどこか感じ取れるものだった。

 

 でも少なくとも思ったことは、あんな顔は小さな女の子が浮かべて良いものではないということだ。天真爛漫さや無邪気さを年相応に求めるのは傲慢ではあるが、少なくとも笑う時はもっと穏やかや楽しげであるべきである。

 

 戦争を終わらせることの先にランザさんの目的があるようだ。ランザさんは止まらない、クーラちゃんもそれについていくことをやめはしないだろう。一度、ランザさんにクーラちゃんを連れまわさないように話そうとしようとしたことがあった。

 

 例えクーラちゃんがついてきたいと駄々をこねるようなことがあっても、あんな少女を戦場まで連れて行くのは良くないことだ…と。因みにそれを伝えるまでもなく、ランザさんもその意見には同意であったことをひょんな事情から後に知ることとなったがそれは別の話だ。

 

 だけど、やはり少し怖かった為決意を固める為に一度エルバンネさんに相談に行ったことがある。それを聞いたエルバンネさんは、なんとも複雑そうな顔をしたものだ。

 

 ランザさんと昔から因縁があるエルバンネさんなら、なにか他の人とは違う意見がもらえるかもしれない。そうも伝えると、エルバンネさんは小さくため息をついた。

 

 『クーラ、あれは君が思っている以上に強かだよ』

 

 苦いものを呑み込んでから吐き出したかのような言葉。ただその一言に、様々な感情が込められているように思えた。

 

 『他者が干渉するものではないだろう。特に、あの二人とそれを取り巻く因縁はな』

 

 それだけ言われて、自分でもよく考え直してみたが口を紡ぐことに決めた。クーラちゃんはこれまで歩いてきた人生が分からないのに、出会ってまだ日が浅い私が独善で口を挟んで上手くいくことがあるのだろうか?でも、何時かはちゃんとした一人の女の子として幸せを掴んでもらいたい。

 

 「この上も井戸か」

 

 先輩の声が、意識を引き戻す。上を見上げると曇天と共に、小さな滑車が見えた。垂直な壁ではあるが手をかけるところも複数あるし、先輩が村の納屋から適当に拝借してきた道具を応用すれば先輩なら登れなくもないだろう。私はちょっと無理そうだけど。

 

 「気配は?」

 

 「近く…とは言い難いですが、井戸の間隔から考えてここが一番近いと思います。人の気配というか、臭いも薄めだと思うので狙うならここかと」

 

 「それ、妙と言えば妙だな。特異な能力がある者ならば当然護衛がつくと考えてはいたが」

 

 もしかたら…という言葉は口から出す前に呑み込んだ。特異な能力だからこそ、もてはやされるとは限らないのではないか?少なくとも、私はらランザさんのことを怖いと感じている。

 

 皆はランザさんのことをジークリンデ様の後継ということで見ている。でも、私は彼がそうなる前から異質なものだと感じていた。自分とは違いすぎる相手が怖い。そう思うのは、なにも特有なものじゃないんじゃないのかな。

 

 「なにはともあれ、様子を見なきゃ始まらないだろう。先に行かせてもらう。上についたら、安全確認するから待っていろ」

 

 「あ、はい分かりました」

 

 先輩が岩の隙間に手を差しこんで昇り始めた。井戸に飛び込むくらいだから昇る方法くらいは確保していると思っていたけど、まさか素手でロッククライミングを始めるとは、流石というべきかなんというべきか。

 

 嗅覚に集中しているのか、あと少しで井戸を昇りきるところで鼻をひくつかせた。安全を確認したのか、軽く頭を井戸の縁からだして周囲を見渡している。怪訝な顔をして身体全体を出してこちらを覗き込んだ。

 

 「周囲には兵隊もなにもいねえ。本当にこの近くにいるのか?その妙な気配って奴は!」

 

 「え、ええ?その匂いとか、色々分かりません?」

 

 「いないからいないって言ってんだろ!だがまあ帝国兵も近くにはいないし、上手いことあの壁の裏側に周り込めたな。待っていろ!今昇れるもんを用意してやる!」

 

 滑車に繋がれている桶を上げ下げするロープはか細く、千切れるのではないかとみたか。体重的に別にそんなことはないと憤慨したいところであるが、どうやら先輩的はこれでは少し心元ないと考えているようだ。

 

 まあでも、改めて上を見上げても私の腕力と握力では登り切れる気はしない。指を引っかける力、ピンチ力って言うんだっけ?凄い人は指先でなんでも斬り裂けるとかなんとか。どっちにしろ私には縁のない話だけどさ。

 

 「気をつけてくださいね先輩!依然気配は近い……」

 

 そう、気配は依然として近いのだ。それにも関わらず、上に行った先輩は敵を見つけられずおりなおかつなにか頑丈そうなロープを探しに行くくらいの余裕まである。私の感じる気配が間違いだったのかな、そもそもろくに戦場に出たことがない私がいきなり感覚とか気配とか感じる訳が。

 

 水が滴る音が響いた。そりゃここは井戸だ、穴の真下は水が流れているし水流はあちこちに流れている。そりゃ多少水が流れる音くらいは。

 

 「奇妙な気配。なんだ、お前は」

 

 ピッという水を切る音と共に、石でできたナイフが首筋に添えられた。鋼鉄を鋳造し研ぎあげたナイフでないにも関わらず、鋭く磨かれた奇妙な程綺麗なものだった。

 

 「え?…え?」

 

 水が衣服から滴る音。臭いがなく、上にはいなく、だが気配は近い。声からして女の子だが、この子はずっと水の中で身じろぎもせずに待ち構えていたのだろう。薄暗い洞窟内でさらにこの冷たい水に全身を浸して隠れているなんて想像もつかなかった。

 

 背後の女の子は、こちらの腹部をまさぐり始めた。湿気で少ししっとりしてきた柔毛をまさぐられ、まるで自分にはないものを確かめるようにゴソゴソと手を動かしている。ナイフを握る手は人のものなのに、こちらをまさぐる腕は私達と同じそれだ。

 

 「貴女も、コボルトなのです…か?」

 

 「聞いているのはこちらだ。下でコソコソと鼠、いやモグラのように蠢く。そうか、お前コボルト…混じり気のない純正のコボルトという奴か」

 

 背後で、憎悪のような感情が沸き上がるのを感じた。脅しのナイフが殺しの凶器に見えて来るような、殺意が膨れ上がってきた。

 

 「ルノはコボルトなんかじゃない」

 

 「え?」

 

 「ルノ達は、ただお前達に捨てられた紛い物だ!」

 

 殺意を感じたと同時に、暗闇の中で蠢いた影術を一気に伸ばしルノと名乗った少女の腕に巻き付く。

 

 「えい!」

 

 驚きで動きが硬直したと同時に隙が産まれたので、突き飛ばして離れる。敵に気取られない状況と手段はいくらあっても良い、ただそれを行使するならば相手が大きく動いたりトドメを刺しにきた時にしろなんてクーラちゃんは言っていたけど、成程こういうことか。

 

 正直なところ、影術に関しての技術はまだまだ私の方が上であるが、一対一で影術オンリーで戦ったらもう彼女には勝てないだろうと思う。色々と、見てきたものと経験が違うだろうから。

 

 距離を離すことができたことで、井戸から差し込む光のおかげでその身体を見ることができた。下着のように生えた柔毛であるが肌全身を覆う程生えそろっていない体毛。右手は人間の腕が伸びているが対症的に左手は獣のそれであり、コボルトよりもむしろ野性味を感じるようなアンバランスで力強い筋肉をまとっていた。

 

 顔立ちは可愛らしい、時間が経てば美人になると感じるようなものであったがどこか獣の面立ちも残っている。半ば人の顔なのに、見慣れたコボルトのみんな達と比べるとまるで野獣のような厳しさと威圧感が漏れ出ている。

 

 自分用の小さな荷物袋の中にはクーラちゃんからもらったナイフがある。だけど、それに手を伸ばした瞬間殺されそうな気負いがあった。それでも、手は無意識に袋に伸びてしまう。

 

 それと同時に、ルノが周囲の地面に踵を突き立てるように叩きつけた。クーラちゃんがランザさんに格闘術を教わっていた時、震脚と言えば良いのだろうか。地面に足を強く叩きつけ体幹を安定させる技術に似ているような気がした。

 

 でもその身体能力は違う。岩を割り舞い上がった石が宙に大量に浮かび上がる。重力で自然落下せずに何故か空中に浮かび上がっていた。そしてカリカリという音をたてて浮かんだ石が削られて槍の穂先のように尖っていく。

 

 「え?え?」

 

 「お前達なんていらない。ルノ達を捨てて行った者達なんて、ルノ達もいらない。小奇麗なコボルト共を皆殺しにして、ルノは唯一の存在になる」

 

 「ひぃ!」

 

 まるで弾丸が放たれるように宙に浮かび上がった岩が放たれる。とっさに身を屈めるが、岩の一部が肩と岩に突き刺さるのを感じた。痛い!想像以上に、痛い!

 

 ランザさんやクーラちゃん、コボルト達に半獣の皆さんやエルフの皆さん。戦場では当然だけど、普段の訓練でも傷だらけになることも多い。なんでみんな、こんな苦痛を自分で好んで受けに行くのか理解ができない。

 

 そんな現実逃避を思考がしようとしたが、そのままじゃ死ぬと本能が理性をねじ伏せ…られない。痛い!痛い!痛い!誰か、助けて!

 

 「う…うぅ……痛いよ」

 

 うずくまりながら痛みに悶えていると、足音が聞こえてきた。頭頂部の毛を掴まれ持ちあがられる。冷たい目で見下されている。心底の嫌悪と憎悪が込められていた、こんな目で今まで見られたことは一度もない。

 

 「まだ少し、針が刺さっただけだろう?なんでそんなに泣くんだ」

 

 こんなに痛いことは、今まで一度も体験したことがなかった。純粋に、これくらいのことを乗り越えられる覚悟が足りていない。もう、もう帰りたくてしょうがない。なんで私は、あの砦から飛び出しちゃったのかな。

 

 「よく見たら、綺麗な身体だ。体術もなっていない、傷の痕もない。なにをしにきたんだお前は」

 

 なにをしに来たんだっけ。そうだ、クーラちゃんにお弁当を届けに来たんだった。その為に野菜を斬って数が少なめのお肉もこっそり入れて。馬車に乗って行き倒れのおじいちゃんを助けて、それまでで良かったのに。

 

 そうだ、クーラちゃんにお弁当届けに行かないと。ああ、お弁当はエルバンネさんに預けちゃったんだっけ。じゃあ、エルバンネさんから返してもらわないとな。行こうか、帰ろう。今日の夕食はなににしよう、乾物はあとどれくらいあったっけか。

 

 手が、なにか堅いものに当たった。感覚に思考が中断され、指先に意識が集まり、小袋に中に入れていたものに意識が集まる。

 

 『クーラちゃんは凄いですね。そんな傷だらけなのに、なんで戦えるんですか?ほらここ、今日の訓練で青あざ作っちゃって』

 

 走馬灯なのか、指先に触れたナイフの鞘から流れ込むように記憶がよみがえる。

 

 『いや、ランザさんが好きってのは分かるけど。それでも、女の子なのに、戦う以外にもランザさんの役に立つ方法っていっぱいあるのになーって』

 

 クーラちゃんがあまりにも戦場についていくるのに、ダメ元といった様子ではあるがランザさんが遠回しにお願いしてきたことだった。あの人は、諜報や防諜等専門技術はともかくあまり危険な最前線にはついてきてほしくないといった様子だった。

 

 私?当然ながらあんな怖い人に頼まれたんだ。すぐに無理と理性が告げたが本能は『はいよろこんで~!』と精神的に腹を見せながら寝転がる降参ポーズで二つ返事で受け入れたのだが。

 

 高山地帯に生えた薬草を染み込ませた布地を、青あざとは違う裂傷に当てながら器用に包帯を巻いているクーラちゃんは、それを聞いて二カリと笑った。

 

 『自分の勝手だからだよ』

 

 『え?』

 

 『ランザに頼まれた?説得してくれ~って。いやいやいや、それだけじゃないよねミルフ』

 

 包帯を巻きおえたクーラは、愛おし気に青あざを撫でる。

 

 ランザさんの格闘訓練は、私からしてみたら容赦がない。こういう教え方をされてきたと語るその内容は、最低限の型を見せる前にいきなり組手から入る。その組手の中で打ち出される技術こそ、課題となり教わる型だった。

 

 まず敵が目の前で繰り出したきた技を身をもって喰らうこと。ランザさんの二人の師匠のうち一人、投げ鬼と言われたお爺さんには常にそういう教わり方をしていたというのだ。エイラさんというもう一人の師匠も、見て覚えろの精神だったらしく打ち合いの中で技術を磨かれたらしい。

 

 そして、身をもってその技の脅威を知った後、初めて型稽古に入っている。クーラちゃんはそうやって格闘技術を吸収しており、半獣やエルフのみんなはそれを見てドン引きしていた。

 

 そりゃ当然ランザさんも、加減はしているだろう。だけど年齢差もあれば、体格差も体重の違いもある。打たれ吹き飛んだクーラちゃんの腹部は青くはれ上がり、吐瀉物を吐き出す程の衝撃があった。それを何時も、複雑そうな顔でランザさんは見ている。もう少し加減すれば良かったと後悔しているような、本当に不器用な人だ、本当に…。

 

 出来れば、私もそれをやめさせたかった。そんな気持ちが根底にあったのも否定はできない。

 

 『技が直撃した時浮かべるランザの、後悔が入り混じるような顔。あの表情とここを貫く激痛。あれは、ご褒美だよ。訓練につけてもらえるうえに、自分の身体にこんな福音を与えてくれるんだから最高なんだよねぇ』

 

 『は…はぁ』

 

 ええ、意味が分からないよぉ。

 

 『フフッ…まあ、それはともかくだけどさ。ランザについていくには強さが必要だし、そのためにはもっと強くならんらきゃいけない。だからこそ、これまで磨いてこなかった格闘術も必要だし、投げ技はまだ厳しいけど近距離戦で覚えておいて損はないのは確か……だからやめないよ。血反吐を吐こうが、キツイ訓練も、最前線についていくのもね』

 

 それでも、やっぱり心配である。何時も何時も危険な最前線についていき、訓練でも地面を何度も転がりボロボロになった上で、更に投げナイフや短刀術の自主練や私に影術を教わるのは明らかにオーバーワークだと思う。やっぱい、女の子には正しくないんじゃないかと。

 

 『正しくないんじゃないかと思うかな?』

 

 いつの間にかクーラちゃんが近くまで来て、こちらの耳を軽く摘まんで持ち上げ息が吹きかかる距離で囁いてきた。生暖かい吐息に、背筋がブルリと震える。

 

 『でもそれって、ミルフの勝手だよね。ミルフが正しいと思うことを、なんとか自分に押し付けようとうとしている勝手。でもそうじゃないと正しくないなんて誰が決めたの?決めたのはミルフ自身でしょ?自分だってそう、多分自分の行いは人から見れば正しくない、だけど自分の勝手でランザについていっているのは自分自身がそれを正しいと信じているから』

 

 『え、あ…』

 

 『勝手を貫くのってそれなりに覚悟がいるものなんだよ。自分はランザの人生を壊したから、一生ついて回り添い遂げ、必要ならば、仮に彼が望むならば性の捌け口でも暴力の受け皿にでもなる…それはそれで凄い興奮するしね。だからミルフも、自分をなんとかしないといけないという勝手があるならば覚悟をもたないと、こんな風にすぐヘニョヘニョになるくらいなら無理だと思うけどな』

 

 ゾリ、と耳孔内で滑らかななにかが蠢いた。驚いて腰を抜かして座り込んでしまうと、舌先で唇を舐めるクーラちゃんが淫靡な笑みを浮かべている。

 

 『さ、今度は影術の続きを教わる時間だよ。腰抜かしてないで立ってよ、シショー。ほらほら、これあげるから立って。護身用には役に立つからさ。報酬の先払い、なーんていって』

 

 すぐにその顔は、おどけたような笑顔になった。鹵獲したと思われる帝国製の短刀を一本差し出しながら年相応の柔らかな表情。それを見て同時に、思い知った。私にはこの子を矯正することなど、普通の生活を送らせることなんて無理だと。

 

 ……無理?

 

 じゃあなんて私は、クーラちゃんに影術を教える傍ら頼まれていないのにお弁当作ったり、体調や衣服を色々気にしたり、恋の応援なんかしているんだろう。

 

 えっと、それは体調を崩さないようにだとか、身体的不調や装備の不備で戦場に万が一がおこったりしないようにだとか、そんな色々な捌け口なんかじゃなくてちゃんと幸せになる恋愛をしてもらいただとか。

 

 あ、そっか。それって私の勝手なのか。幸せの形なんて色々あるし、クーラちゃんが仮で語った私から見れば悲惨としか思えない内容だって彼女からしてみれば、求められているという幸せなんだ。だけど、私が思う幸せはそれとは違いちゃんと恋愛して、付き合って、ご飯を作って、家族として生活してもらうことである。そうでなければ正しくないと、勝手に思っていた。

 

 そうだ、勝手でいいんだ。そして、勝手を貫き通すならば覚悟がいるんだ。

 

 「もう良い、死ね弱虫」

 

 頭頂部の毛から手を離され、蹴られて壁に叩きつけられる。首筋を狙い振るわれる石のナイフを、小袋から取り出したクーラちゃんに渡された護身用ナイフで防ぎ火花が散った。この子の、人間の腕はそこまで腕力がないようだ、私でも防げる程に。

 

 「なにを驚いた顔をしているの」

 

 殺すつもりの一撃を、取るに足らない相手に防がれた。それを驚く相手に、私は産まれて初めて殺意というものを全力でぶつけるように叫んだ。

 

 「私は勝手にここに来て、勝手に戦っているんだ!貴女なんかに、構っている場合じゃないんだ!」

 

 地面を強く踏みこみ、影術を発動させる。先端を槍の穂先のように尖らせ、複数の実体を伴った影がルノに向けて群がる。死角をついたつもりであるが、気配で悟ったのかルノは大きく後ろに飛び退き、影術は空を貫いて停止した。

 

 「貴様」

 

 「貴女のその姿、置いて行かれたという言葉、多分貴女の正体は私には予想がつくかもしれない」

 

 人間達の鉱山開発とその為に邪魔となるコボルトの乱獲。大多数の先祖達は北の僻地に逃げ延びたが、何らかの理由でそれが出来ずに更に地下深くに隠れ息を殺すしかない同族達もいたのであろう。

 

 ルノは、その末裔だ。私達コボルトは同種で子孫を産み出してきたが、過酷な環境で数を減らした逃げ損ねた者達は、それこそ手段も選べなかったと推測できる。それが、目の前の女の子。私が感じた奇妙な気配、その正体。

 

 先祖が救いきれなかった、私には直接は関係ない者とはいえ罪悪感もある。同情の念も感じよう。でも、私は弱いからみんなを助けることはできない。私の勝手は一人にしか向けられない。

 

 「私は、貴女を倒す。倒してあの子にお弁当を届けにいくんだ!」

 

 ルノの目が、本格的にこちらを敵として見定めた。それでも怯む訳にはいかない、私にも、それくらいの覚悟はあるつもりだからだ。

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